パートナーはASD<連載①>:【アスペルガー疑惑編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回から3回の連載コラムとして、

【私自身の実体験】

を元に、<パートナーのアスペルガー疑惑>、<カサンドラ愛情剥奪症候群>、<パートナーのアスペルガー受容>という順で、その一連の出来事を書いていこうと思います。

彼本人からの「書いてみたら?」がなければ、このコラムに掲載することはなかったと思います。

ではその初回として<パートナーのアスペルガー疑惑>についてです。

紆余曲折ありながらも6年の付き合いになる私のパートナーは知的にとても高い【ASD孤立型】です。もちろん、アスペルガーの“三つ組の特性”は持ち合わせていますが、色濃く表れている特徴と比較的薄い特徴があります。

宿泊先で“ジャケットから持ち物をデスクに出す”時に、毎回同じ並びできちんと揃えられていることが最初のほんの小さな違和感でした。

普段から人の行動や言動を細かく観察する職業癖がなければ『几帳面でキレイ好きなんだな』としか映らなかったと思います。当時を振り返ると『よくあの数々の修羅場を越えて今があるな〜』と思うほど、自分が心理士にもかかわらず、それはそれは壮絶なバトルが繰り返されていました。

付き合いが長くなるにつれ、私の違和感が増えると同時に彼の地雷(笑)を踏むことが多くなり、その時思ったのが『この人、どこに地雷があるかわからない。というか、地雷原?の地雷に常に足を載せている感じ?』という凄まじい緊張感でした。

何か気持ちの行き違いが起こるような出来事があった時、『なぜわからないの?わかってくれないの?なぜ?どうして伝わらない?』という感情的なスレ違いが起こると、考えや気持ちを互いに出し合ったり、擦り合わせをすることで相互理解を深めていきたいと思う私と、「そもそも他人と理解し合うことは不可能(ある意味正しい)なんだから、そんな努力は無駄でありナンセンス」と言う彼との間には当然軋轢が生まれるわけです。

真っ向から対立し感情的なぶつかり合いが発生し、私はひたすら気持ちの交わし合いがないことで心を削られ疲れ果て、彼は彼で「思ってもみないことを言われた」ことで、自らを責められている、否定されたと理不尽を感じ、激怒状態になり、険悪ムードが漂うことになります。

また、これも特徴ですが『感情的にまくし立てられたと(彼自身が)感じると、脳が言い返す言葉を探すためフル回転状態になるか、言い返す気すらすっかり失くしてしまう』ので、一切何も話さなくなるのです。表情は固定され、まるで能面のように、何を話しかけてもまるで届いていない(無視とはまた違う空気)感じです。

結果、最悪な空気からパッタリ連絡が取れなくなる・・・を何度も繰り返してきました。これは彼なりに乱れた心や気持ちを落ち着けるための、俗に言われる“クールダウン”の時間だったようです。その時間は数ヶ月に及ぶこともありました。

もとより、不快感情以外はあまり表に出さず、表情豊かなほうでもなく且つ眼光鋭い彼は“拒絶モード”に入ると、息をするのも憚れるほどピリピリの緊張感を醸し出し、「話すな、触れるな、近寄るな」全開で、何度も起こる感情の衝突で「君とは相性が悪い、別れよう」と話されたこと数え切れず・・・。

ひとつのエピソードですが、ある日鯉のいる池で一緒に餌をあげていたことがありました。離れた場所で鯉に餌をあげている彼の表情は、眉間にシワを寄せ、物凄く不快そうに見えました。『本当は嫌だったのかな、やりたくなかったんじゃないかな』と少し後悔だったのですが、実もとても楽しかったようなのです。

あの表情の裏にある思いを聞いてみると『子供の頃、おばあちゃんに近くの工場の中にある池によく連れて行ってもらって、鯉に麩をあげてたなぁ、あの頃は楽しかったな。池を作って毎日鯉に餌をあげる生活もいいなぁ』と、懐古しながらとても穏やかな気持ちだったそうです。

表情と感情(内面)が伴わないことがある、とされるアスペルガーらしいエピソードです。

さて、そもそも“相性”とは何だろう、価値観や人生観とは違う?と、私は負のスパイラルに突入し、答えのない問いに悩みました。猫をとても大切に飼い、一見他者に対しても優しくないわけではないのに、共感性が低く、感情や気持ちに寄り添えない彼を、そして感情を表現するのが苦手な彼をどうしても理解できず、当時の私は「どうして?」「なぜ?」をひたすら彼にぶつけていた記憶があります。

出会ってからのさまざまな違和感や、何かが起きた時の彼の認知の仕方や行動を総合し、自分のアンコンシャスバイアス(思い込み・自動思考)ではないか?と重ね重ね慎重に確認したところ、ひとつの結論に辿り着きました。

しかし、また私はここで、決定的な間違いを犯します。

ただでさえ拒絶モードに入りやすくなっていて、二人を取り巻く状況が良くないことをわかっていながら、私は彼に

アスペルガー関係の書籍と手紙を送り付けた

のです。

当然彼からすれば青天の霹靂で、激怒を通り越して憤怒の様相で「何を根拠に人を障害者呼ばわりするんだ」「親からも誰からも言われたことがないのに勝手に障害者扱いしやがって一体何なんだ、この野郎」と、それはそれは恐ろしい剣幕で取りつく島もなく一切話ができない状態に陥りました。思い出すと今でも背中に冷や汗が流れます。

最悪なタイミングで最悪な特大地雷を踏み抜いてしまった

のですから当たり前ですよね。

なぜそんな行動に出たのかを思い返すと、二人がうまくいかないのは、認知の違いがあるアスペルガーが原因ではないか?ということを何とか彼に知らせたかったのだろう、と思います(←小さな親切、大きなお世話)。と同時に無意識に『もうどうなってもいいや』という気持ちもどこかにあったのかもしれません。

その後、辛うじて細々と付き合いは続いていましたが「どうせ一緒にいても君は俺を“アスペルガー”として見ていくんだろ」とも言われましたし、心身ともに強く拒絶されているのがありありとわかり、まるで薄氷を踏むような時期でした。

私の小さな違和感からパートナーのアスペルガーを疑い始めたのは、出会ってお付き合いを始めて1年が経つ頃、感情的な交わし合いができないことから不安を募らせ、行き違いから衝突が増えたのは2年経った頃でした。

そして決定的な出来事である、書籍送り付け事件が起こります。

次回は、感情的な交わし合いがうまくいかないことから私に起こった、カサンドラ愛情剥奪症候群について書いていきます。(10月16日水曜日予定)

「パートナーはASD<連載①>:【アスペルガー疑惑編】」への1件のフィードバック

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