承認欲求こじらせオバケ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ここ最近また以前話題になった、犯罪を面白いウケると思ってやらかす“バカッター”のような迷惑極まりない輩が増えてきたように思います。コロナの制限が緩和されたこともあるのかわかりませんが・・・。

いや、きっと以前から居たのでしょう。それが発信する場がなかっただけで。今ではSNSで発信でき、皮肉にもそれは同時に良くも悪くも可視化できるようになりました。誰もがSNSを使い、自由に発信できる環境になったことで、バカッターのような輩が目立つようになっただけでしょう。

彼らを突き動かしているのは拗らせた承認欲求だと考えています。承認欲求は、拗れて歪んだ承認欲求でなければ、人が自分を肯定し生きていくために必要な自己肯定感と深い関係があるので、失ってはならない欲求の一つではあります。

しかし、他者の迷惑を考えられず(考えず?)、「面白いかも」「ウケるに違いない」「みんなビックリさせよう」「こんなことやっちゃう自分ってスゲー」みたいなペラッペラに薄い承認欲求を満たしたいだけの行動は、時として取り返しのつかない事態を招きます。

実際、某回転寿しチェーンはやらかした高校生と保護者から謝罪があったことを認めつつ、被害届は取り下げず刑事と民事で厳正な処分を求める考えを変えていません。

謝れば済む。謝れば何とかなる。謝ったんだから許してもらえる(謝ったのに許してくれないなんてオカシイ!/謝ったんだから許すべき!)と考える「アタマ大丈夫ですか?」の強者もいます。

もうね・・・億単位の請求をされてしまえばいいと思います、個人的には。鉄道の人身事故でも遅延分の損害を鉄道会社は遺族に請求しているそうですから。

自己破産しても消えない賠償金のケースもありますから、謝っても取り返しのつかない若気の至りを一生かけて償っていけばいいと思います。

承認欲求。

他者に褒めてもらいたい。他者に認めてもらいたい。他者にスゴいと思われたい。他者に特別だと思ってもらいたい。

認めて!褒めて!もっと私を気分よくさせて!

私はコラム以外に一切SNSをやらないので、息子のインスタグラムやパートナーのSNSを見せてもらうしかないのですが、SNSにはそんな人たちで溢れ返っています。魑魅魍魎とでも言いましょうか。

やらかし系バカ者(一歩間違えば犯罪)から、やたら公私リア充をアピールする人(面倒だけど実害なし)、不幸自慢から訳わからないマウンティング(不快指数青天井)まで、現代の病んでいる社会の縮図のように思えます。

承認欲求を拗らせると面倒な人になることだけは確かです。ただ面倒な人になるだけならまだいいのです。華麗にスルーにして放置するなり「へー、ほぉ〜ふ〜ん」を無限ループしていればいいのですから。←ヘソ曲げるかもしれませんが、そんな機嫌を取る必要はないので(自分の機嫌は自分で取れるのが大人です)、能面になっていれば居心地が悪くなって去ってくれるでしょう。

承認欲求オバケには関わらないのが一番ですが、関わらざるを得ない関係だと微イラ/モヤモヤします。巻き込まれない実害のないオバケが相手で、自分に余裕のある時には「スゴいですねー」「私にはできません」「さすがです」をループしていれば、人間関係の悪化は避けられますのでお試しください。

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