他者理解/他者尊重のために意識してみましょう。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

11月になり今年も残り2ヶ月となってしまいましたね、如何お過ごしでしょうか。

何度かコラムでも書いていますが、人はわざわざ意識しなければさまざまなバイアス(無意識な歪んだ捉えからのクセ)に影響を受けまくって生活している生き物です。

例えば、

  • 男性は浮気をする生き物。←しない人もいますし実際に知っています。
  • 女性は甘いものやフルーツが好きだよね。←私は果物が大嫌いです。
  • 普通はみんな〇〇するよね(〇〇しないでしょ)。
  • 普通は〇〇なんて考えないでしょ。
  • 普通言わないよね。
  • みんなスポーツ好きでしょ。
  • オリンピック(ワールドカップ)見ないなんて(興味がないなんて)信じられない・・・。 

などなど。

“普通”・・・何を基準に普通と言っているのでしょうか?

“みんな”・・・どこにいる誰を指して“みんな”と言っているのでしょうか?

“普通”“みんな”は全部あなたの中にある歪んだ考え方、一方方向からの見方や価値観に基づいていませんか?

現代社会の常識に照らし合わせた時に、あまりに非常識である場合は私も「普通わかるよね」と使う場合がありますが。

例えば、誰かの連絡先を本人に確認/了承を取らずに他者に教える、本人の了承を取らずにSN Sなどに画像をアップする、どう使われるかわからないのに顔写真やプライバシーに関わることをよく知りもしない他者に漏らす、などがあります。自他を守るために意識しなくてはいけないネットリテラシーと言われる部分でもありますね。

上記でもない限り、“普通”はあなたの中にある普通であり、“みんな”はあなたが知る範囲でのみんなということになります。

倒れている人が居たら助けるのは当たり前だよね。

その考えは当たり前ですか?義務ではありませんが人道的に考えれば助けたほうがいいでしょう。では、具体的に“助ける”とはどこまでを助けると考えていますか?

  • 助け起こしてできる処置があればする(AEDなど救命処置)。
  • 意識があれば連絡先を聞き、そこに連絡する。
  • 警察を呼ぶ。
  • 救急車を呼ぶ(必要かわからないが倒れてたから)

このどれもが“助ける”行為に繋がっています。

倒れている人がいれば駆け寄って助ける←これがあなたの常識だったとしましょう。

どのようなトラブル(感染症なども含む)に巻き込まれるかわからないので、さまざまなリスクを考え、一旦退き警察や救急車に連絡する“だけ”の人に対して「普通助けるでしょ!」と考えるでしょうか。

知識のあるメディカル/コメディカルであれば、バイタルを確認して外傷など調べ骨折部位があれば添え木をして固定するくらいはやるかもしれません。

しかし、ほとんどの人は足がすくみ動けなくなってしまうか、救急車を呼ぶぐらいしかできないと思います。

このように“助ける”行為ひとつとっても人それぞれの考え方があり、人それぞれの行動があるものです。

あなたのバイアスはどこにありますか?その捉え方や考え方は“あなたの考える普通”ではありませんか?

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カサンドラ愛情剥奪症候群とアスペルガーについての交流会を兼ねた勉強会にパートナーと参加してきました【後篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は前回に引き続き標題にあるとおり、ASD当事者であるパートナーがどう感じたのかをインタビュー形式で聞き取ってみたので、それを書きたいと思います。

質問は全部で4つです。

1)私以外とはカサンドラ当事者のいる勉強会や交流会に参加したことはなかったと思うが、実際に参加してみてどうだったか?

最初は“ASDバッシングの連中の集まり”と思っていたから警戒感しかなかったが、今回の勉強会の参加者の人たちに限っては、バッシングするような人たちではなかったので、徐々に警戒感がなくなり最終的に安心感があった。それから、参加していたカサンドラ当事者の人たちは、ASDを理解したい気持ちはあるものの、それができないもどかしさと、いつの間にか自分基準の考えや感情を押し付け、それに応えてくれない相手に苛立つ気持ちが同居している印象を受けた。常にそれらが彼らの中で二律背反しているんだろうな、と思った。

2)今回ASD(ほとんどはADHDと重複)当事者とも話をする機会があったが、自分以外の当事者と話をしてみて思ったこと、考えたことは?

率直に思ったのは、こういうASDもいるのか、ということ。ASDというベースは同じだからか、彼らの話の中で共感や理解できる部分、自分にも思い当たる部分はあった。ただ決定的に自分とは違うなと思ったのは、今までの人間関係や恋愛関係で自分が思い至らないせいで相手の気持ちを理解できず、結果として相手を傷つけてしまったと悩み、自信喪失すらなっているように見えたことだ。自分は孤立型のせいか、そういうふうには考えないから、その点で悩んだこともなければ自信喪失になったことがないだけに、それはそれでツラいだろうなと思った。

3)途中でワークがあって定型(たぶん)と思われるカサンドラ側の意見も聞いたと思うが、重複のないASD孤立型としてどう感じたのかを聞きたい。

面倒くさいな、が第一印象。言っていることは理解できる。同時にカサンドラ側の思考回路とは明らかに違うことを実感した。自分の思考回路はというと、どうしようもないことに対しては諦め、少しでもそれを癒すような、あるいは和らげるような解決策を考える思考回路。対してカサンドラ側のそれは、どうしようもないものに対して何か抗いたい気持ちがあると感じた。ASD的思考はその部分がない。だからその抗いたい気持ちに共感しにくいのかもしれない。カサンドラ側の抗いたい気持ちの言動に、一度共感することがどこか“手続き”のような気がしたから、面倒くさいと思ったのかもしれない。

4)私も元カサンドラだが、現在私と上手くいっているのはなぜだと思うか?

君がカサンドラ状態の時は、あたかもこっちが加害者だと言われているようで不愉快だった。そんな時期を経て思うのは、基本的にはお互い様なことだけれども、あえて言えば、君がカサンドラを脱して以降、適度な距離感を体得したからなのか、それとも適度な距離感を体得したからカサンドラを脱したのか、いずれにしても『適度な距離感の体得』なしでは今はないと想像する。それと結果論になるが、ASDにもいろいろなタイプがいる中で、自分はたまたま君の受容範囲内のASDであったこともあるかもしれない。同じASDでも君の受容範囲を逸脱したASDも存在するだろうから。その他の要因としては、互いにネコを飼っているというのも意外と大きいと思料される。

一緒に参加した勉強会&交流会のパートナーへのインタビューでしたが、「カサンドラ脱却のヒントは両者共が(ここ非常に重要)認知の違いを理解し、受け止めていこうとする努力と、何より深い愛情が必要で、それがなければASDと定型の間に横たわる乗り越えなきゃ(上手く)いかない深くて暗い河は乗り越えられないんだろうな」という感想を持ちました。

深刻なカサンドラ状態は脱しても、日々の暮らしの中でモヤモヤイライラを積み重ね、心的疲労が重なってしまいがちな大切な友人もいます。私にできるのは、その友人の愚痴袋がパンパンに重たくなる前に話を聴くことしかできないのがもどかしいところです。

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カサンドラ愛情剥奪症候群とアスペルガーについての交流会を兼ねた勉強会にパートナーと参加してきました【前篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達障害、カサンドラという言葉もずいぶん市民権を得てきましたね。

今は完全に離脱していますが、私自身も過去カサンドラ状態に陥った経験があります。コラムでも何度か書いているとおり、息子はADHDがある重複、パートナーは重複なしのASD孤立型です。

紆余曲折ありましたが、確定診断はなくともパートナー自身ASD孤立型であることを自覚していますから、今回の会に一緒に参加しました。

ご自身もグレーゾーンでカサンドラ状態に陥った経験もある方が主催者で、当日ASD当事者、カサンドラ当事者が15人ほど集まりました。私が参加したのはカサンドラ状態真っ只中の人に対し、数少ないカサンドラ完全脱却組で且つ専門家であり、支援者という特殊な立場から微力ながら力になることができるのではないか?という理由からです。

カサンドラ、ASDどちらも当事者会というのは星の数ほど存在するのですが、“互いを理解し合い、尊重しながら共存を目指す”ことを目的に両者とも参加を認めて開催される会は少ないのが実情です。

情緒的な交わりが難しく、独特の認知やコミュニケーションスタイルを持つASDに振り回され傷つけられていると感じているカサンドラ側は、最初のうちはその苦しさから攻撃的になる人も多く、そのような場にASD本人を参加させればどうなるのか火を見るより明らかです。

理解したいのに理解できない、理解しようと頑張っているのは自分だけ、いつも一人ぼっちで孤独、誰にもわかってもらえない、パートナーが自分勝手過ぎる・・・そんな思いを抱えて一人で苦しんでいれば苦しみのあまり、初めは攻撃的になる人がいても仕方ありません。

今回参加した会は攻撃的な段階を過ぎ、次のステップに行くために悩んでいたり、より理解を深めたいカサンドラの人ばかりが参加していたせいか、感情を爆発させ攻撃的な言動を発する人は誰もおらず、終始穏やかな時間でした。

カサンドラテーブル×2、ASD当事者テーブル(私はこちらにいました)×1で、私のいたテーブルはパートナーを含め4人がASD当事者でした。

ASDやカサンドラについてのミニ勉強会のあと、フリーテーマで交流をしミニワーク、そしてテーマを決めてテーブルを移動しフリートークという流れでした。

ざっくりASDと言ってもさまざまなタイプがあり、その人それぞれの性格まで考えると十人十色、特性に共通項があっても濃淡もあることから誰一人として同じASDの人はいません。おまけにほとんどのASDの人はADHDやLDなども重複しているので、ますます問題が複雑化しています。

タイプが違えばアプローチも違い、特性の濃淡でもずいぶん変わってきます。

同じようにカサンドラ状態に陥っている人にもツラさは同じでも、性格+幾つかのタイプがあるように感じています。

ASDで日本人に多いのは受動型重複ですが、パートナーは極めて少ないASD孤立型でADHD要素はまったくありません。重複していると「それASDの特性だよね、そっちはADHDの衝動性からきているもの」のようにあちこちに散らばる困り感への対応が変わってくるため、ひと言で「この人アスペ」と言えないケースがほとんどです。

多くの発達障害を持つ人と関わってきましたが、重複なしの純粋(?)ASDはパートナーを含め2人だけでした。

孤立型は自身で困り感を感じていない(他者への関心が極めて薄く、積極的に関わりを持ちたい欲求はほとんどありません)ので、交流会に自分から参加することはまずありません。パートナーも私がいなければ絶対に出向かないそうです(笑)

次回は参加したパートナーがどのように感じたのかを話してもらいたいと思っています。

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自己肯定感と自己有用感

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

“自尊感情”とは自己に対して肯定的な評価を抱いている状態で、心理学ではSelfesteemといいます。

現在は日本でも広く“自己肯定感”として使われ、一般的な言葉になっています。

『自己有用感』とは・・・?

『自己有用感』とは、他者の役に立った、他者に喜んでもらえた・・・など、自分以外の他者が存在しなければ生まれてこない感情で、『自尊感情』や『自己肯定感』とは多少異なります。

自分に対する他者からの評価が中心で、最終的には自己評価があるにせよ、他者評価を強く感じた上で生まれる感情だという点がポイントになります。

単に「部内で営業成績が一番だ」という自信からくるものではなく、「部内で営業成績が良かったので、全国営業コンテストに推薦された。この営業所のためにぜひ頑張りたい」という自信です。

そういう意味では「部内で営業成績が一番」かどうかは、さほど重要ではなくなっていると思いませんか?

『自己有用感』の獲得が『自尊感情』に繋がるであろうことは容易に想像できますよね。しかし、『自尊感情』が高いことが必ずしも『自己有用感』の高さと一致するとは限りません。

他者の存在を前提としない自己評価は社会性に結びつくとは限らず、社会性を前提とした場合、『自己有用感』に裏付けられた『自尊感情』が大切になります。もちろん、自分自身が自分を肯定的に認めることは、とても大切なことですが。

【褒めること】と【認めること】

両者の違いをよくわかっていない人は案外多いのではないでしょうか。

結果に対し望んでいたことに達していた、結果が良ければ評価する、これが褒めるです。「認めてあげようと思って褒めている」「褒めることは、そのまま認めること」という感覚なのではないでしょうか。

また多くの人たちもそのように受け止めているでしょう。誰しも自分を「褒めてほしい」と思っていて、それは承認欲求という形で表れます。一般に一定の水準に達した、水準を超えたと評価するのが「褒める」という行為と言えます。反対に言えば、水準に達しない場合には「頑張りましょう」と激励することはあっても“褒める”ことは稀ではないでしょうか。

子供が「認めてもらいたい」時というのは子供の基準や水準で「褒められたい」ことがほとんどで、子供なりのこだわりで努力したり工夫したことを「認められたい」ものです。大人ですら頑張りを認めてほしいのですから、子供では尚のことです。

基準に達していなくても「褒めてほしい」と考えたり、大人の考えた水準に到達して「褒められた」場合でさえ、大人の基準とは異なる子供の基準でも「褒めてほしい」と考えたりするわけです。

なので、自分がさほど努力もしていない、自分の功績ではないことを「よく頑張りましたね」と一括りにして褒められても、さほど嬉しくもなく励みにもならないのです。

子供の実際の行動と向き合うことなく表面的にお世辞を言ったり、ちやほやしても子供の『自己有用感』はもちろん『自尊感情』すら高めないのです。

行事に取り組む、学習に取り組む際などに“子供自身”に目標や工夫する点、努力する点などを考えてもらい、その基準に沿ってどこまで達成できたのかを評価することが「認める」という行為では一番重要になります。

それが『自己有用感』を育みます。

単に良かった・悪かったことだけを評価して「褒める」では『自尊感情』を育むことはできても『自己有用感』を育むことにはなりにくいのです。

例えば、「ふりかえりシート」のようなものを用い、子供の振り返りに対し、ただ「頑張ったね」だけではなく、子供が「こだわった」「見てほしかった」点に着目し、そこに触れたフィードバックをすることが大切です。これは子供に限ったことではありません。

組織、夫婦、パートナーなどとの関係でも言えることなので、今一度【人を認める】とはどういうことかを考えながら振り返ってみる機会にしていただければと思います。

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命のせんたく

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

先日、久しぶりに遠出をしました。泊まったのは鳥取県は大山の麓のホテルでした。

ホテルに着いたのはもう陽が沈んだ午後7時でしたが、ホテルの窓から人家の灯りはもちろん街灯すら見えず、暗闇そのものでした。

翌朝目覚めたのは午前5時半頃だったと思います。

カーテンを開けると、外は夜明け直前で空はうっすらと明るくなっていました。そして目の前にあったのは、大山の見事なシルエットでした。

別名『伯耆富士』と言われているとおり、まるで富士山かと見紛うほど、左右の稜線のシンメトリーが美しい山でした。ホテルの四角い窓が額縁のようで、あたかも一幅の絵画を見ているようでした。

美しい大山のシルエットをしばらく見ていると、左の稜線から太陽が昇ろうとしてきました。大山からの日の出です。

それはそれは力強い朝陽で、まさにダイヤモンドの輝きと言っても過言ではありませんでした。山頂から昇っていれば、間違いなく鳥取のダイヤモンド富士だったことでしょう。『日、出づる国』という言葉が自然と浮かびました。

東京では絶対に見ることができない光景であり、その圧倒的な美しさに言葉もありませんでした。

朝からこのような光景に接するとは思いもしなかったので、驚いたのと同時に心の中で何かが洗われたような感覚になりました。

後で聞いた話ですが、大山は1年の3分の2は大抵雲がかかっており、山の全景がくっきりと見えることはあまりないそうです。幸運にもその日は雲一つない快晴でした。

折しも、11日から全国旅行支援が始まりました。外国人観光客の来日も急増しているようです。

時間を見つけて、あえて命のせんたくに行き、行ったことのない場所へ行くのも悪くないかもしれません。

それは仕事などのモチベーションにも繋がり、充実した日常を過ごすことに繋がる気がします。束の間、日常から非日常に浸ることは、人が生きていく上で案外大切なことかもしれないと実感しました。

というのは、メンタルヘルスに良いということ以上に、五感で体感する未知は、もはやメンタルトレジャーになると思います。上手く言えませんが、個人的には『生き還る』ぐらいの刺激があると思います。

旅は何かモノを所有することではなく、ココロを揺さぶることなのかもしれない。ココロが揺さぶられると、いつのまにか背負ってしまっている日常の重り、あるいは縛られた鎖、そんな無意識な束縛や足かせを解き放つ精神力と勇気が芽生える可能性を秘めていると思うのです。

私の場合、たぶん、それが『生き還る』という感覚を抱かせたのだろうと思います。

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価値観【4】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

土曜日あたりから天気が悪い3連休となってしまいましたが、如何お過ごしでしょうか。

さて価値観も最終回となりました。前回の価値観の例をピックアップして、あるいはご自分で付け足しなどして、ご自分の人生のガイドラインを確認することはできたでしょうか。

今回は価値観が合わない人とのコミュニケーションについて書きたいと思います。いろいろなところで書かれているとは思いますが、ここに書くこともご参考にしていただければ幸いです。

以前のコラムで、自分以外は親子であっても血の繋がった“他者”だとお話ししてきました。

ぶつかり合いながらも、なかなか離れられないのが親子ですが、血の繋がりもない真っ赤な他者は、いとも簡単に縁が切れてしまうものです。どうやっても受け入れられない価値観を前に、意識的に相手と縁を切ることもあると思います。私はつい最近そういうことがあったばかりなのでよくわかります(笑)

ですが、仕事上の関わりや婚家など関係上(しがらみ上?)疎遠にすることも縁を切ることも現実的に難しい場合もありますし、わかり合いたい縁を切りたくない人もいると思います。

そのような時に思い出してほしいこと、意識してみるとよいことがあります。

価値観が同じ人はこの世に存在しないことを理解する

→血の繋がった家族ですら価値観が合わず衝突することもあるのですから、生まれ育った環境がまったく違う他者と価値観が合わないのは自然なこと。そう理解することで、自分とは違う価値観を受け入れやすくなります。いつもは理解しているつもりでも、親しくなった相手とは、つい同じ価値観を求めてしまいがちではないでしょうか。

違う価値観を知る機会と考える

→自分の価値観を基準にし、その中だけで生きていると柔軟性がなくなり生きづらさを感じたり、怒りも感じやすくなります。「この人とは気が合わない」と感じたら「自分と違う価値観を知る機会(だから認めろ、受け入れろではありません)だ」と捉えてみてください。さまざまな人と関わっていくことで、さまざまな価値観を知り、関わることになり、結果自分の視野を広げていくことに繋がっていきます。文化が違う外国人と接すると価値観の大きな違いに驚きますが、同時に自分の視野も広がった感覚がありますよね。

当然私にもありますが、

どうしても認められない価値観を、自分が苦しい思いをしてまで無理やり認めたり、受け入れたりする必要はまったくありません。

心の中で『なるほどね、でも無理!』で構いません。心の中で、がポイントです(笑)

職場など、どうにもならない時は別ですが、他者と関わる距離(バウンダリー)は自分が決めてよいのですから。

時々面白い価値観に出会うこともあるので、“他者の価値観を知る機会”という柔軟性を持っているとよいし、少し日常のスパイスになって日々は楽しくなるかもしれませんよ(笑)

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価値観【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

10月になりましたね。今年もあと3ヶ月となりました。早いですね。

さて、前回の続きです。価値観の具体例を挙げてみます、と書いて終わりました。

その価値観の具体例を思いつく範囲で挙げてみますので、この中から自分にとって大切にしたい価値観を5つほど選び出し、なぜその価値観が大切なのか、理由まで考えてみましょう。それらはつまり、あなたの人生の指針、ガイドラインという意味でもあります。

もちろん自分で考えた価値観を書き足してもかまいません。

<価値観の具体例>

・余暇(心身の休養や気晴らし)・創造性(独創的なアイデアを持つ)・勤勉(自分の課題についてよく学び働く)・コミュニケーション(わかり合うための心を開いた対話)・交渉(話し合いにより、すれ違いを解消したり擦り合わせ)・情熱(人や信念、活動に対しポジティブな強い感情を持つ)・勇気(不安や恐れを克服する勇気を持つ)・貢献(人の世に長く残るような実績を残す)・秩序(整理が行き届いた生活を送る)・人気(多くの人に慕われ好かれること)・自立(心身ともに責任を持ち、自分一人で生きていけること)・見た目(見た目がいい、身なりがいいこと)

・チャレンジ(限界に挑戦し困難に立ち向かう力)・チームワーク(他者と協力し合い共通のゴールを目指す)・競争(人より上手くできること、他者に勝つこと)・誠実(自分、他者に対し正直である)・名声(人に認められ有名になること)・自律(自ら規範に則り行動する)・健康(身体が健康で不安がないこと)・自己受容(自分のあるがままを受け入れること)・所属(社会やコミュニティから孤立せず人と繋がっていること)・権力(他者を意のままにコントロールできる力を持つ)・合理性/整合性(理論的で道理にかなっていること)

・礼儀(他者に対し思いやり深く丁寧であること)・親密(他者と感情的精神的に深く結びつきたい)・メンタルの成長(今より人間的に努力、道徳的な人間でありたい)・援助/支援(人を助けたり人のためになること)・正当性(努力の成果を正当に認められること)・思いやり(他者の悩みや苦しみに寄り添い労わる)・お金(欲しいものを我慢せずに買える)・公平(すべての人が公平/平等であること)・安定的(予測可能で確実であること)・愛情(人を愛し人に愛されること)・面白さ(日々面白おかしく暮らすこと)・家族(幸せで安心できる家族と共に暮らすこと)

・友情(理解し合った仲の良い友人)・寛容(他者の過ちを許せる広い心)・忍耐(決めたことを最後までやりとおす)・興奮(刺激に満ちたスリルのある人生)・自由(いろいろな柵やルールから解き放たれる)・寛大/楽観的(細かいことを気にせず、大らかであること)・知識(有意義な知識を学びたい) などなど。

最終回となる次回は価値観が合わない人とのコミュニケーションについてお話しします。

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価値観【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目の今回は、価値観の習得段階についてです。

価値観の習得段階は、段階が進むにつれ抽象度が上がり、より高い視点の価値観を形成していくことになります。

Level1<生存目的レベル>
生存のための欲求が最優先されるレベルで、生理的欲求を満たすために価値観を持ちます。

Level2<集団形成レベル>
家族や友人の中で集団を形成するレベルで、安全性を求め自己犠牲概念が生まれます。また集団の長に従うことを望みます。

Level3<自己中心レベル>
自己中心的なレベルに満たされ、自分の欲求に赴くまま行動します。自分の論理が世界の論理という価値観ですが、この価値観はいずれ行き詰まります。

Level4<社会システム形成レベル>
自分の欲求をやみくもに追求するだけはなく、社会のルールに従い、その中で自分の欲求を満たす方法論を学びます。

Level5<実例主義レベル>
自己利益のためにルールの中で自分の欲求を追求します。企業活動や社会活動など実利活動の中の価値観を形成し、社会的地位を得ていきますが、周囲から疎まれたり疎外されることがあり行き詰まりを感じます。

Level6<社会的レベル>
自己犠牲で他者に役立ったり尽くすことで自分の価値を見出します。レベル5の価値観とは真逆の価値観で、全体の調和を大切にしますが、実利と繋がらず組織として機能することが困難になる場合もあります。

Level7<存在超越レベル>
他者を犠牲にすることなく自己実現を優先する方法を模索しながら価値観を形成します。その中で、自分は社会に良い変化をもたらす存在でなければいけないと考えるようになります。

人は“価値がある”と感じるものに対し【接近行動/その価値に近づこうとする】行動を、“価値がない”と感じているものに対し【回避行動/その価値を遠ざけようとする】行動を取ります。

【3】では価値観の具体例を挙げてみます。その中には必ず自分の価値観を知るヒントがありますので、いくつか順位をつけ、その価値観が大切な理由を考えてみてください。

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価値観【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

早いもので9月もいよいよ終盤ですね。シルバーウィークはどう過ごされましたか?

今回は日常的によく言うよく聞く【価値観】について、これまた4回にわたって書こうと思います。

『今さら価値観?』と思う人もいるかもしれませんが、価値観とは、その名のとおり自分が何に対して価値を認めるか?ですが、改めてこの【価値観】を深掘りしていこうと思います。

価値観は、好ましいこと好ましくないこと/善悪を自分の物差しで評価、判断する際に基準となっていることが多く、物事の捉え方(認知)や優先度も加わり、その人が“何を大切にしているのか”の指標になります。いわば価値観は“どう生きるか/生きたいか”の大切な人生のガイドラインになっていると言えます。

生まれ落ちた時には価値観など抽象的な概念は誰も持ち合わせていませんから、価値観は育った環境や今までの経験、関わってきた人たちなど、さまざまな後天的要因で形成されていきます。

そう考えると、自分とまったく同じ環境で育ち同じ経験を重ね、同じ人と関わることは絶対にあり得ないわけで、ゆえに自分とまったく同じ価値観を持つ人など存在しないことがわかりますよね。

どのような人間関係でも上手くいかなくなる根本には“価値観の違い”があると言っても過言ではなく、対人関係において価値観は最重要ファクターになってきます。

価値観の形成には時期と段階があります。

<刷り込み期> 〜7歳
人生の中で基礎となる考え方を形成する時期で、周りの知識をどんどん吸収しながらベースとなる価値/信念が形成されていきます。
一番身近にいる“親(養育者)”を無意識にモニタリングしていくので、ここでの親(養育者)の関わりは非常に重要になります。

<モデリング期> 〜13歳
周りの人達の真似を始める時期で、身近な親(養育者)や大人から始まり、テレビや漫画の世界からヒーロー、ヒロインなどにも影響を受け、自分の中のヒーロー像を形成します。それは現在の自分の行動指針にも繋がっていきます。

<社会化> 〜21歳
社会における人間関係など実利に結びつく価値観が形成される時期です。人間関係や社会との関わり方や距離で悩み、自分なりの価値観を形成していく時期でもあります。

次回は価値観の習得段階からスタートします。

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認知療法について<3>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

最終回の今回は論理療法の練習問題です。早速ですが、練習問題に取り組んでいきましょう。以下の例を論理療法で考えてみてください。

練習問題①

A(出来事)
就職(転職)活動で第一志望、第二志望の有名企業に落ちて、無名の中小企業にしか入れなかった。
   ⬇︎
B(考え方)
世の中は所詮、有名企業(大企業)に入ったもん勝ち、どこの会社に入るかで勝ち組負け組が決まる。自分はこれからもうリカバリーできないだろうし、同級生たちにもバカにされるんだ・・・。
   ⬇︎
C(結果)
劣等感が強くなる。
自己肯定感が低くなり卑屈になる。
他者を妬んだり羨むことが増える。
友達に会いたくなくなる。

という状況の人がいたとします。それではBについて3つの視点で論駁してみましょう。

  • 事実に基づいているか?
  • 論理的な考えか?
  • 人を幸せにするか?

解答例

・事実に基づいているか?
第一志望、第二志望に就職(転職)できなくても幸せな人生を歩んでいる人はいくらでもいるよな。

・論理的な考えか?
“有名企業or大企業=幸せor成功者”というのは極論すぎる。
世の中のほとんどの人は大企業に勤めていない。
(日本の企業数のうち大企業は0.3%、労働人口の約7割弱が中小企業従事者:2020年5月20日日本経済新聞)
それでも幸せに暮らしている人はたくさんいる。

・人を幸せにするか?
この考えを持つと私は一生自分を惨めに苦しめることになる。
人を学歴や職業、会社の名前で判断する人間になってしまう。この考えは幸せにはなれないようだ。

練習問題②

A(出来事)
人前で話す時に緊張して声が上ずって汗だくになってしまう。
   ⬇︎
B(考え方)
人前で上がってはいけない。
手が震えるとバカにされる。
   ⬇︎
C(結果)
人前で話すことを避ける。

という状況の人がいたとします。それではBについて3つの視点で論駁してみましょう。

  • 事実に基づいているか?
  • 論理的な考えか?
  • 人を幸せにするか?

解答例

・事実に基づいているか?
上がってはいけない!と誰かが言っているわけではない。実際に誰かがバカにしているわけではない。有名歌手ですらコンサートの時は上がって手に汗を掻くようだ。

・論理的な考えか?
手が震える人をバカにしている人はおそらく1%もいない。

・人を幸せにするか?
手が震えるからといって主張する機会を逃すと私は逃げ続ける人生になってしまう。これは幸せな人生とは言えない。

まとめると、論理療法は私たちの感情や考え方を

  • A:出来事
  • B:考え方
  • C:結果

この3つに分類します。

Aを変えることはできませんから、感情のBの考え方の影響を強く受けます。ネガティブに引っ張られ落ち込みやすく、何かと負のスパイラルに陥りやすい癖がある人は論理療法を身につけ試してみてほしいと思います。

Bの考え方を捉える際、ポジティブに捉えることとは違うので誤解しないように注意してください。あくまでも事実に基づき、論理的な思考で、人を幸せにするか?です。

その上で前向きに考える癖が増えると心を安定させる力がついていくはずです。

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