何だか疲れるズレ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の会話泥棒についでに、会話のズレについて話そうと思います。

どんな場面でズレて、何故ズレるのか、ぶっ飛んだトンチンカン返しになるのか考えてみます。

話をしていて、激しくトンチンカンな場合もあれば、微妙な会話のズレとしてモヤモヤすることがあります。これも重複がある息子を例に会話のズレを見ていきましょう。

中学生の息子はASDもある重複で、会話から早合点したり、違う方向に勝手に解釈したり、他者感情を考えない独特の受け取り方や被害的な受け取り方をする特徴があります。それが原因で、起こらなくてもよい衝突が学校でも家庭でも日常的に起こります。

まず彼は、コミュニケーションの大原則、5W1Hのどれもが適当か、スッポリ抜け落ちたコミュニケーションスタイルで、彼の話したいことに辿り着くまでかなり時間がかかります。

「話したいことを今言いたい!今!!」というADHD衝動性に突き動かされ、頭に浮かんだことからそのまま口に出すので、のっけからまったく意味がわからない、端折りまくりの、息子本人にしかわからない噛み合わない会話(?)がスタートします。

例えば、とある日の息子との会話。

息子:800円!
:いきなり何??
息子:(微イラ気味に)だーかーらー、提出!!
:教材徴収金ね、プリントと封筒をもらってない?
息子:(中イラ気味に)だーかーらーっ!教材費!!
:それはわかった、プリントと封筒があるんじゃない?
息子:明日800円いるんだよっ!!
:それもわかった、いつも教材費徴収連絡プリントと一緒に封筒をもらってくるでしょ?
息子:お釣りなく出さなきゃいけないんだってば!!
:いつもそうだから知っているよ、封筒ないの?こっちで用意するの?
息子:1,000円札じゃダメって言われた!
:だからさ、さっきから教材費用の封筒あるかどうか聞いてるでしょ?
息子:(イライラMAXぶちギレて)もー!!話通じないなっ!

かなり、かな〜り疲弊します。彼の頭の中では話したいストーリーが全部繋がり出来上がっていて、私の頭の中でも繋がっている(わかるはず)と考えているのです。私はただの凡親でエスパーではないので、いきなりの800円から息子が言いたいことを全部を察し、汲み取ることはできません。でもそんなことはお構いなしなのが息子です。

これは極端なトンチンカン返しですが、微妙な会話のズレはもっと頻繁です。

:このマンガ面白いね、動物好きな人が描くマンガって、生き物あるある多くて面白くない?
息子:この人、カエルの絵下手。
:いやいや絵の上手い下手じゃなくて(実際は特徴を上手く捉えていてとても上手い)、内容、内容。
息子:こんなカエルいるわけない、見たことない。 ←マンガだからデフォルメされている。

↑全然会話になっていません。

:今回の都知事選は立候補者多いね、ビジュアルもマニフェストもなかなか個性的だよねー。
息子:気持ち悪い、落ちればいいのに。具合が悪くなった。
:いきなりナニ??
息子:僕は投票しない。←そもそもまだ君に選挙権もありません(笑)

↑人の話を聞いてませんね。

一度ICレコーダーで普段の会話のやり取りを録り(いつも会話がズレるので、いつ録っても見事なズレっぷりが録れる)、コミュニケーションのどこにズレがあるのか二人で聞いたことがあるのですが、息子曰く「母さん・・・意味わかんない!オカシイ!」と、自分ズレしてない自分オカシクナイ!で話になりませんでした。

ASDの人と会話をすると、心の理論が薄かったり欠如していたりすること、認知の違いから微妙にズレた会話になるのはよくあることですが、息子はかなり極端だと思っています。

はっきり言語化されていなくても、会話の中からの情報を繋ぎ合わせたり、表情、仕草といったノンバーバルコミュニケーションから、察することや汲み取りは得意なのですが、日々息子とやり取りしていると、会話がズレずトンチンカンなことを言い出さない人と、しっくり噛み合った話をしたくなるもので、そんな時は仲の良い友人相手にガス抜きさせてもらっています。

「朝から雨だと気分が上がらないよね」と話し掛けたら、皆さんはこの他愛もない雑談にどう答えますか?ちなみに息子は「梅雨なんだから当たり前に雨降るよ」でした(笑)

このやり取りをズレと感じますか?ズレていないと感じますか?コミュニケーションとしてまったく成り立っていないわけではありませんが、明らかにズレています。

普通(この表現はあまり好きではありませんが)は「ほんと、憂鬱な気分になるよね」だったり、「え、雨好きだからウキウキしちゃう(笑)」になるものです。何故なら、朝から雨だと“気分が上がらない”という“気分”について話が振られているからです。

「困ったな、事故で電車が遅れてるから取引先に間に合わない」に対し、「日本の鉄道は世界一正確だと言われてるんですよ」だと、ズレていると思われてしまいます。私も当然ズレを感じますが、間に「それは困りましたね、連絡取れてますか?」→「すぐに電話しなきゃ」からの「日本の鉄道は世界一正確だと言われているんですが、事故だと流石に遅れ出ちゃいますよね」という流れであればズレもトンチンカンも感じません。

A:ここのホットサンド、美味しいんだよ。
B:パセリ、嫌い!

これでは会話が噛み合っているとは言えませんよね。Bは言いたいことを言ってるだけで、コミュニケーションとは言えません。

会話はキャッチボールです。

投げっぱなしは会話ではないのです。

気になるキーワードにだけ注目して反応し、目の前にいる人が何を言わんとしているかを意識(無意識にですが)して噛み合った会話をしないと「何だか話が通じない」「ちょっとズレてる」「人の話、聞いてないの?」と思われているかもしれません。

「そんなこと言っているんじゃないんだけどな」←着目点のズレ

「何でそう受け取っちゃうかな」←認知の違い

これが繰り返されると「あーもう疲れる・・・。」になるものです。

会話する、って案外難しいものだと思いませんか?前回に引き続きコミュニケーションについて書いてみましたが、改めて自分のコミュニケーションスタイルを意識したり、自分のクセに目を向けてみると、今までよりより会話が弾んだり、コミュニケーションが楽しくなるかもしれません。

あなたのコミュニケーションクオリティがワンランクアップするといいですね。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

神出鬼没?【会話泥棒】にご注意

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【会話泥棒】

ご存知でしょうか。

泥棒と付いていると何やら穏やかではありませんが、“物を盗み取る”という泥棒ではありません。

皆さんの周りにもいませんか?話をしていると、まだ話し終わっていないのに「聞いて聞いて私も〜」と話を被せてきたり、「私なんかさ・・・」「私だって・・・」と、自分の話に持っていってしまう人。

持っていってもすぐに話をしていた人にバトンを戻せばいいのですが、大概奪ったバトンは奪いっぱなしです。

A:ちょうど出かけてる時に雨が降ってベランダの洗濯物が濡れたよ、最悪。
B:そうそう、いきなりの夕立だったよね。
A:買い物も中途半端、洗濯やり直しで散々!大丈夫だった?
B:タッチの差で取り込めたから大丈夫だけど、雨で買い物に行きたくなくなっちゃった、洗剤買わきゃもうないのに・・・。
C:うちも洗い直しになっちゃった。午前中に買い物を済ませてたのが救いだったかな。洗剤切らすと困るよねー。

↑これは会話のキャッチボールが上手くできている状態。

A:ちょうど出かけてる時に雨が降ってベランダの洗濯物が濡れたよ、最悪。
B:そうそう、いきなりの夕立だったよね。
A:買い物も中途半端、洗濯やり直しで散々!大丈夫だった?
B:タッチの差で取り込めたから大丈夫だけど、雨で買い物に行きたくなくなっちゃった、洗剤買わな・・・。
C:うちも洗い直しになっちゃった。ていうかさ、この前雨が降った時、うちの主人ったらさ〜・・・

↑これ、会話泥棒が混じってますが、誰が会話泥棒になってしまっているかわかりますか?二人で話している時はもちろん、数人で話をしていても無意識に平気で“自分の話”に持っていく人がいます。

話しを相槌を打ちながら聞くのは、聞いてもらう側にとっても心地好い会話を楽しめるものですが、話を被されたり途中から自分の話にすり替えて会話ごと自分の話したい流れに持っていってしまうこと、これはいけません。

ここに発達障害が加わると・・・

ADHDなら、“雨”“買い物”“ベランダ”など会話に含まれる、自分が気になったキーワードから話したいことを抑え切れずに(衝動性)、話を被せてきたり、話さずにいられなくなり、結果会話泥棒になってしまうことも。

重複がある息子は、目に見える多動はないものの(脳内多動のみ)、ADHD衝動性も強いので、誰かと話しているとそれが電話でも、気になったキーワードに反応して口を挟んでくるので「人の話にいきなり割り込まないで」「話を被せてこないように」「いきなり自分の話始めない!」と口を酸っぱくして注意することの繰り返しです。地味に疲れます・・・。

誰でも話を遮られたり、いきなり割り込まれたり、最後まで話したいのに勝手に話題を変えられたらムッとするものです。電車移動をしていると、聞こうとしなくても自然と会話が耳に入ってきて、「あ、会話乗っ取られてる」と思うことがあります(笑)

行動観察がてら注意を向けていると、乗っ取られてしまった人が一瞬「え?」の後、ムッと表情に出したことにも気付かず話を続けているので、乗っ取られた人は相当面白くないだろうな〜と思います。

これが毎回続いたらどうなるでしょう?

「あの人と話しても何だか楽しくない」

「いつも自分の話ばっかり」

「人の話をまったく聞かない」

こう思われてしまうのです。

何故か嫌われてしまう人の中には、この【会話泥棒】が原因の人もいるので、今一度自分のコミュニケーションスタイルを振り返ってみるとよいかもしれません。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

愚痴の効用/副作用

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

普段からさまざまなストレスに囲まれて生活する私たちにとって、切っても切り離せない【愚痴】、今回は愚痴についてお話します。

愚痴には、

前向きな愚痴

ただ垂れ流す愚痴

の二種類があることをご存知でしょうか。

誰でも嫌なこと(理不尽、不快、怒り、悲しみ)がなければ愚痴はこぼしません。

その愚痴には、

  • 気持ちを落ち着ける。
  • 気分を切り替える。
  • 口に出すことで頭(あるいは気持ち)を整理する。

という効用があります。これは愚痴をこぼす側からの視点です。

愚痴をこぼされる側の視点で効用を考えると・・・、

  • 何で怒って(不快になっているのかわかることで、その人をより理解することに繋がる。
  • 自身の傾聴力が上がる。
  • 傾聴姿勢を持つことで、その人との間に信頼関係が生まれる。

こういったところでしょうか。

愚痴にはマイナスイメージばかりで、特に男性には『カッコ悪い(みっともない)から愚痴は吐きたくない』という人が多いように思います。世代にもよるかもしれませんが、私のパートナーもまさにこのタイプです(笑)。

確かに、会えば愚痴、口を開けば愚痴オンリー、では疲れるものです。ただ頑張っている人の愚痴(弱音と言い換えてもいいかもしれません)と現状を変える気もなく努力もしていない人の愚痴には、聞く側の気持ちは違うと思いませんか?

「共働きなのに旦那が全然家事を手伝わないのよっ!」という愚痴を例に考えてみると・・・。

毎回イライラを吐き出すだけで改善策(感情的にならず落ち着いて家事分担について話し合う)を講じず、「手伝ってくれない!」という愚痴だけを延々とリピートされるのと、最初は「家事を手伝わない!」という愚痴でも、次に「ちゃんと話をしようとしてるんだけど、『疲れてる』とか『今度聞くから』とか言って話し合いから毎回逃げるんだよね・・・(どうすれば話し合えるかなぁ)」になると、多少前進しているように感じませんか?

同じ話を何の進歩もなく(ないように感じる)、何の努力もしていない(ように感じる)と、愚痴を聞かされる側は疲れてくるものだとわかっていただけましたか?

関係や距離をわきまえず、誰かれ構わず話といえば愚痴や他者の悪口ばかり・・・そんな人もいます。聞いているだけで負のパワーがこちらのエネルギーを吸い取りそうです。一定の関係、距離で、ある程度の信頼関係がないと、愚痴を聞かされる側はその人物の性格や背景がわからないことで、『また(同じ)愚痴か・・・』とウンザリするものです。

先ほど、パートナーは愚痴をこぼさないタイプだと書きました。突然彼がポツポツ愚痴(らしきもの)をこぼすようになったのは、信頼関係がしっかり出来てからだったように思います(それまで数年は要した気がします)。側にいて彼の頑張りを見てきている私は、ようやく愚痴をこぼしてくれるようになったと嬉しく思ったものです。でも、親友以外の相手や馴染みの飲み屋などではまったく愚痴は言わないか、あるいは言いたくない心理が強く働き、それは今でも変わらないようです(笑)

●コップから溢れそうだから、溢れないためにこぼす愚痴。
●コップから溢れてしまった部分を愚痴としてこぼす愚痴。

二つの意味が愚痴にはあると考えています。

私も信頼関係があり、互いの背景がわかっている時には愚痴を言います。一旦立ち止まり頭を整理する、疲れたからリカバリーする・・・ための愚痴ですね。

愚痴を受け止めてくれる存在の、長い付き合いの親しい友人たちやパートナーは、私の今までの経緯や背景をよく知っており、共感と共に聞いてくれます。ただ聞いて共感してくれる、手厳しいアドバイスをくれる、どちらも本当にありがたいと思っていますし、周りに恵まれていることに感謝しています。

彼らも当然愚痴をこぼすことはありますが、ただただ垂れ流すだけの疲れる愚痴ではなく、もがき悩み、何とかしようと努力していることを知っているからこそ、気持ちに寄り添えますし、

共感の気持ちを持ち、その愚痴を“愚痴”とは思わずに話を聞くことができる

のです。

上手に愚痴をこぼせる

これも人間関係に影響します。積極的に愚痴をこぼしていいと思っていますし、そう話をしています。ただ、相手を選び、相手の状況も考慮したほうがいいでしょう。←ここを間違えると“いつも不満だらけで話を聞くのが疲れる人”になってしまいます。もちろん【会話泥棒】なんてもってのほかです。

愚痴=前向きなガス抜き

愚痴≠不満の垂れ流し

ちょっと意識してみませんか。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

自己愛ってナニ?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

自己愛

意味がわかるようで何だかよくわからない、そう思っている人は多いのではないでしょうか。

自分大好き!!

頑張る自分を誰よりも認め、自分のことを好きでいること。この気持ち自体は大切なことで、自分を認められないと“自己肯定感”を持ちづらくなります。(自己肯定感についてはまたの機会に。)

ただ、この【自己愛】が強すぎると『自分だけが大事!』になり、これはこれで人間関係に軋轢を生みやすい非常に厄介な人になってしまいます。

いろいろな使われ方をされる【自己愛】ですが、今回は自己愛が強すぎるタイプとはどのような人なのか、それがどう人間関係に影響してしまうのかをお話しします。

自己愛が強すぎる人には幾つかの特徴があります。

●自分に対して評価が甘い。
自分を大好き過ぎると、『ま、いっか』が激増、自分大好き=自分を甘やかす、になりがち。

言葉の端々から自己卑下しているように見えても、実は自己評価が高いという人がいます。何かに躓くと、自分が悪いのではなく「〇〇があったから」と環境のせいに、「〇〇さんが□□だから」と人のせいに、という具合に周りが悪いという考えに向きがちです。

●失敗から学べない。
私生活や仕事で失敗することがあっても過度に「自分は大丈夫」と思い、反省から振り返り、次の行動に活かすことができない。そのため、何度も同じ失敗を繰り返しやすい。

自己愛が強過ぎる人は、自分の中に“理想の自己像”があり、自分の失敗や欠点、汚い部分(実は自分は計算高いところがある、人によって態度を変えるなど)を認めない傾向が高いです。失敗について誰かに咎められても、自分を省みることが難しいことから、謝罪をしていても形だけ、どこかで「自分は悪くない(だって〇〇さんが・・・)(だって□□があったから・・・)」「自分が正しい」と思っています。

●思いやりの持ち方、考え方が独特。
自己愛が強過ぎると自分にばかり意識が向いているので、他者の気持ちや感情を認識しようとしないし、そんなことより“自分が優先”。

大切なもの、守りたいものは自分(だけ)の気持ちやプライド、体面なので、それが傷つけられたと感じると、他者から見て些細なことでも過剰反応し、激しい感情をぶつけます。とても強いように見えますが、他者からの否定や非難には非常に打たれ弱く、嘘や詭弁でその場を逃げようとします。客観的に現実把握する力があっても、自分(だけ)が大切で可愛い、守りたいのは自分(だけ)なので、自分の失敗を認めて反省することはできません。

他者(関わる人)をブンブン振り回しエネルギーを奪う人たちの中には、ボーダーと言われる“境界性パーソナリティー障害”がいますが、自己愛が強過ぎる人も、ボーダー並みに他者を心底疲弊させます。

失敗を認めず、「だって〜」「でも〜」「だから〜」を繰り出し、誰かのせいにばかりしているとウンザリされますし、口先の謝罪ばかりで行動自体が何も変わらなければ他者から相手にされません。

自分を愛し大切にする適切な“自己愛”は、自己中心や自意識過剰、自分大好き人間とは違うのです。

家から一歩出ると(一人暮らしでなければ家の中にも“他者”がいますが)、どのような形でも自分以外の他者と関わりながら社会生活を営んでいます。

自分(だけ)が一番可愛い、自分(だけ)を守りたい、自分(だけ)は傷つきたくない、何かあったら人のせい・・・と、ジブンがー!ジブンがー!ばかりだと、関わる人は疲れてしまいます。

私生活でこのようなタイプに行き当たってしまったら・・・「へー」「ほー」「ふーん」と定型文ループで浅いお付き合いを心掛け、大切な自分のエネルギーを無駄に使わないようにしましょう(笑)

誰かが言っていた印象深い言葉があります。

【我が強い】と【気が強い】は似て非なるものだ、

と。なるほど、と思いました。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

緊急寄稿:新型コロナウイルスによるメンタルリスク

メンタル・イデア・ラボの代表を務めるスミです。

新型コロナウイルスの影響により、当初は首都圏や関西、福岡に緊急事態宣言が出され、今や全国に緊急事態宣言が出されるに至りました。生活が一変し、日常とは違う生活を強いられていることだろうと思います。一応来月6日までということですが、それで済むかいえば甚だ疑問です。

英国では以前より緊急事態宣言が出されており、そこで静かに社会問題化しているのがDVであることが報道されていました。恐らく虐待も増加していると想像します。

経済的に苦しくなり、徐々にメンタルが不安定になっていった結果、DVや虐待が誰の身にも起き得るということを理解しておくことが大切です。最悪の場合、離婚に発展することもあるようです。『コロナ離婚』という言葉も既に耳にします。

夫の収入が不安定になり(あるいは無くなり)、生活が維持できなくなるのではないか、これからどう生活していけばいいのか、という極度な不安がメンタルを追い詰め、DV、虐待という形で顕れることがあります。それが酷くなれば、当然一緒に生活できないとなり、離婚へ至る夫婦もあるようです。

2019年8月19日のコラムで、弊社の心理士である本城がモラルハラスメントについて書いていますので、それと合わせて読まれることをお勧めします。というのも、今の社会的・経済的不安定の状況にこそ、モラルハラスメントが顕在化し、横行し、今まで他人事だと思っていたことが突如自分の身に起きる可能性が高まるからです。

世間全体が今、我慢を強いられています。テレワーク、在宅勤務ができている人で、収入面でもそれほど心配ではなくても、夫婦関係、親子関係は別であることは肝に命じておくとよいと思います。外出自粛も相まって四六時中一緒に居れば、家庭でも多少の差はあれ、イライラが溜まってくるものです。子供も学校は休校状態であり、子供の面倒を見ながらの在宅勤務、テレワークなど、やはり心理的負担は大きいはずです。

そんな状態が毎日続くわけですから、当然イライラが溜まり、時として心にもなく、“つい”キツい言葉が出てしまうかもしれません。そこからゆっくりと気持ちのスレ違いのようなことが進行し、知らず知らずのうちに溝が出来てしまう、ことになりかねないのです。

収入面での心配が生じてしまっている場合は、よりメンタルを直撃し深刻になりやすくなります。私もリーマンショックの時などは本当に辛かったし、今思えば軽い鬱になっていたのではないかと思うくらいです。しかし今回は、それを上回る規模で景気が急速に後退しつつあります。行政機関からの休業要請もあり、支援金などの制度を活用したところで再開の目処が立たないうちは、不安はまったく払拭されません。このような状況で

どうメンタルを保てばいいのか?

これは経済的な問題と同時に重要な問題です。経済的な問題は死活問題ですから、同時にダイレクトにメンタルにも影響してきます。私がリーマンショックの時に感じた、重苦しく不安しかないメンタル状態にならないために、メンタルをいかに保って難局を乗り越えていくかが、今、最も重要なもうひとつのテーマです。

しかし『これ!』という方法はありません。ただ不安に呑み込まれないようにすることが肝要です。そのためには、

今の自分の現状を受け入れること

出来ることから行動すること(今なら行政機関の支援制度を調べ行動するなど)、

そして親など身内、知人、友人と相談も含めた世間話すること

です。これを【意識的に】おこなうことです。【意識的に】がミソです。この時、心配をかけたくないとか、見栄、羞恥心は最大の敵になるので、そういう類の感情は早く捨てたほうがいいと思われます。社会全体が有事なのですから、ヘンにカッコ付けるのは危険です。社会全体が有事だからこそ、むしろ共感が得られやすいかもしれません。

共感できる人や共感し合える人がいることは、メンタルにとって非常に重要なことです。

どうか共感し合える人を一人でもいいので見つけてほしいと思います。決して独りで抱え込まないことが肝要です。

このように、自分ができる小さなことを行動に移すことで、不安に呑み込まれにくくなります。ただし、不安が解消されるわけではないことに注意してください。不安に呑み込まれにくくなることで、少しずつ出来ることが見えてきたり、夫婦や恋人との会話であれば、思わず前向きな言葉が出てくるかもしれません。こういう時、夫婦や恋人は戦友のように共に励まし、助け合う関係になり、絆がさらに深まる機会でもあります。単身であれば仲間同士で励まし合い、信頼関係が一層深まる機会でもあります。つまり、こういう時は

孤立化しないこと

が重要です。孤立化しなければ、メンタルが不安に呑み込まれにくくなり、深刻な状態に至らない予防になり得ます。

今、新型コロナウイルスに感染しないことが最も重要なことですが、次に重要なのは、意外と見落としがちな【メンタルをいかに保つか?】です。今こそ自分のメンタルのしなやかさが問われています。

メンタルは不安に駆られているうちに壊れていきます。メンタルが壊れてしまっては、出来ることすらする気がなくなります。つまり気力が奪われます。さらに心がささくれ立ち、今まで築き上げた人間関係すら壊してしまうことになりかねません。

この度のことは長期戦が予想されます。この長期戦を乗り越えるには、

自らのメンタルに目を向け、気力を奪われないように、メンタルを自己管理すること

が重要です。

その方法のヒントについては、以前の本コラムに本城が書いていますので参考までに記載しておきます。

2020年1月15日コラム

2019年11月20日コラム

2019年11月15日コラム

2019年10月31日コラム

2019年9月21日コラム

上記以外にもヒントになるコラムがあるかもしれません。どうぞ参考にしてみてください。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

在宅勤務、いかがですか?

メンタル・イデア・ラボの代表を務めるスミです。

世間は新型コロナウイルスの影響でテレワークを実施している企業もあると聞きます。要は在宅勤務ですね。インターネットのニュースでは在宅勤務で逆に『孤立化』が進行しているケースもあるとか。あるいは自宅待機(休日とは違い自宅に居るという勤務状態)を命じられ、いつ会社から連絡が入ってもいいように自宅に居なければならず、それが却ってストレスに感じる職種の人もいるようです。

いずれにしても、慣れないことを強いられているので無理もありません。新型コロナウイルスの影響はメンタルのバランスにも及んでいるようです。

在宅勤務だからといって、企業は安心することは禁物です。在宅勤務だからこそ、新型コロナウイルスの感染リスクは避けられるとしても、上記のような慣れないことでメンタルのバランスを崩す従業員が出るとも限りません。

例えばインターネットのニュースにもあった

在宅勤務による『孤立化』

とはどういうことか?

いつもは毎朝出勤し、上司、同僚、部下、先輩、後輩、顧客などに囲まれて仕事をしています。周囲の人の進捗状況を見たり、コミュニケーションを取りながら仕事をしているわけです。言葉を交わさずとも、そばに人がいる、という職場そのものが孤立化しない環境に自動的になっています。

しかし在宅勤務は、周囲にそんな人はいません。それは何を意味するかというと、周囲の人の進捗状況はわかりにくく、言葉や表情など直接的なコミュニケーションもほぼ取れない状態に陥るということです。コミュニケーションとは言葉を交わすことだけではありません。相手の顔色や態度、表情など、言葉以外の情報を瞬時に整理することもコミュニケーションなのです。それを【ノンバーバルコミュニケーション】といいます。このノンバーバルコミュニケーションがほぼ取れない状態が在宅勤務です。

ノンバーバルコミュニケーションがほぼ取れない環境で考えられるリスクとして、周囲に迷惑をかけないようにしようと無理(あるいは無駄)に仕事をしてしまう、あるいは見えないプレッシャーに常に晒されるなどが考えられます。そういう人は一定数必ず出てくるでしょう。また子育てや介護、家事をしながら業務もしっかり遂行しなければいけないプレッシャーに強い焦りや苛立ちを感じる人も出てくるかもしれません。

仕事の場と生活の場が同じという環境での精神的両立は、かなりのストレスを要することは容易に想像できます。

こうしたことが複合的に絡み合い、やがてメンタルのバランスを崩してしまう人は確実に出てくるでしょう。

崩してしまうと、崩す前に戻すにはかなり時間を要し、場合によっては医療機関を受診する事態になります。そうなっては、従業員の社会復帰は相当難しくなります。

企業はこうしたリスクを考慮しなければなりません。

企業は従業員が完全にメンタルのバランスを崩してしまう前に、適切な対応をおこなう必要があります。

企業の適切な対応には、日頃から従業員のメンタルをしっかりとケアし、サポートする態勢を整えておくことがあります。それは従業員が身体疾患同様、精神疾患で医療機関にかからないように、例えば私たちのような医療機関や行政機関とも連携するメンタルの専門家である心理士を活用し、

予防的【砦】を確保すること

というものです。

産業医に相談することを推奨することも悪くありませんが、医療機関の受診へと進んでしまう恐れがあり、一見安心に思えても、それは予防ではなく疾患となり、通院する負担や処方薬を手放せなくなるなど、従業員のクオリティ・オブ・ライフに何らかの影響を及ぼします。

在宅勤務は皮肉にも今回の新型コロナウイルスが契機となって、これから新たな働き方として広く普及・定着するかもしれません。そうなれば、顔を合わせないリスクの対策として、コミュニケーションをどう円滑化するか、メンタルのバランスをいかに保つか、保たせるか、がこれからの企業の人事課題、労務課題になってくるのではないでしょうか。今からでも決して遅くはありません。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

認知の歪みって?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

最近は認知症という意味だけでなく、“認知”“認知の歪み”という単語もよく聞くようになってきましたよね。

今回は中学生でもわかる内容で、“認知の歪み”について、とても簡単にわかりやすく説明しようと思います。

認知とは平たく言うと、

その人のものの捉え方 

その人の持つ思考スタイル

と言えます。それでは“認知の歪み”とは一体どんなものなのでしょうか。

読者の皆さんは、こんなところはありませんか?

  • 一度失敗したら二度と挑戦しようとしない。
  • 「いつも」「絶対に」ダメだと思ってしまう。
  • ついネガティブな想像をしてしまう。
  • 100点でなければ0点も同じだと考える。
  • 理由は特にないのに自信がない。

それは、もしかしたら“認知の歪み”が原因で引き起こされているかもしれません。

例えば会社でAさんがBさんに挨拶をして、Bさんから返答がなかったとしましょう。Aさんが『Bさんは私をわざと無視した!』と考えれば“怒り”が生まれます。怒りが生まれると、今度はAさんがBさんを無視したり、嫌な態度を取るかもしれません。こうした思考スタイルが重なって人間関係がギクシャクしていくこともあります。

もしAさんが『私の声が小さくて聞こえなかったのかも』『Bさんは何かに夢中だったのかも』などと考えれば、怒りは生まれませんよね。怒りが生まれなければAさんはBさんを無視したり、冷たくすることはないでしょう。

『私は何をやってもダメだから、次も絶対うまくいかない』

『前に失敗したからまた失敗する』

『周りのみんなに嫌われてるに違いない』

など、

現実に違うかもしれない思い込みや捉え方、考え方を“認知の歪み”と呼びます。

誰でも落ち込むことはありますし、落ち込んだ時にネガティブになってしまうことはありますが、それが毎日続いて気持ちがツラくなっていませんか?

認知の歪みは自覚するだけでも効果があります。もし出来そうなら、他の考え方や捉え方を探してみましょう。

一人では難しいので、家族や信頼できる身近な人に自分の考え方について客観的にアドバイスをもらったり、専門家に相談することもオススメです。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

人間関係の距離感<後篇>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前篇に続き人間関係の距離感<後篇>、心理的パーソナル・スペースについてお話しようと思います。

物理的パーソナル・スペースはもちろんですが、それ以上に心理的パーソナル・スペースは人により、とても幅があります。

誰でも友好的で人見知りをしないように見える人でも、心理的パーソナル・スペースがとても広い人もいますし、人見知りで取っ付きにくく感じても、心理的パーソナル・スペースが狭い人もいます。

心理的パーソナル・スペースは誰にでもあるもので、その広い狭いは、自分との関係性によって距離を変化させるものと言われ、見た目だけではまったくわからないということを覚えておくとよいかもしれません。

本題に入る前に・・・。

このコラムでよく使う単語に【他者】という言葉があります。他人と他者、同じ意味ですが少しだけ受け取るニュアンスが違うと思います。

親子、兄弟姉妹、夫婦関係では日常的に“他人”という言い方はあまりしませんし、恋人同士で“他人”と言われると、よそよそしく感じてしまいます。“他人”という表現は、自分や自分と親しい人以外、というニュアンスを感じませんか?

一方“他者”は、自分以外すべての人なので、それこそどんなにおしどり夫婦でもピーナッツ親子でも、仲良しカップルでも“自分”以外は他者になります。

この“他人”と“他者”という表現の違いを頭の端に置きながら読んでみると、なぜ他者という言い方をするのかや、“他人”という言い方をした時に感じる違和感を見つけられるかもしれません。

多くのクライエントと話をし、関わってきた中で気付いたことがあります。それは、他者との距離の取り方には幾つかのタイプがあるようだ、ということです。その中で人間関係が拗れやすいタイプを4つに分けてみました。

①自分だけの都合で近づいたり離れたりする、気まぐれな<彗星タイプ>

②ふとした瞬間に(無意識的、意識的関係なく)他者の領域に踏み込む<地雷踏み抜きタイプ>

③近づかないのに遠い所から干渉してくる<マジックハンドタイプ>

④常に領域無視でガンガン踏み込んでくる<無神経タイプ>

自分の周りを思い浮かべながら、どれかに当てはまる人はいないか考えてみてください。

人間関係を上手に構築、持続していっている人を見ると、相手との間柄(関係性)、心的距離を考慮して意識的に『これは聞いちゃダメだ』『ここまで仲良くなったから聞いても(話しても)大丈夫だな』『仲良くなったけど、この話は話題にしないほうがいいかも』などを、人や場面に応じて上手く振り分けて話をしています。

心理的パーソナル・スペースは、仕事やその場でしか関わらない第三者、あまり親しくない他者に対しては広く、恋人やパートナー、親友など親密な他者に対しては狭い人が多いようです。

心理的パーソナル・スペースが広い人には傾向があります。

▶︎自分のペースを守りたい、他者に合わせるより自分のやり方を大切にしたい人。

▶︎人見知りで内向的な人や、元々一人の時間が好きな人。

▶︎自分に近づく危険から自分を守るため、トラブルになりそうな苦手なタイプとは、あまり関わらない人。

・・・なので、警戒心が強く、打ち解けるまでには時間がかかります。また、口出しされたり、自分のやり方を指摘されることが苦手で、集団行動が得意ではない人も多いようです。慎重で心配性、何事も納得がいくまで確認したいと考える、他者に急かされるのが苦手な人も心理的パーソナル・スペースを広く取る傾向があります。

警戒心が強く、自分を守るために縄張り(パーソナル・スペース)をしっかり確保しておきたいと考える人は、苦手な人を絶対に自分の心理的パーソナル・スペースに入れようとはしません。

マイルールや拘りが強く表れるASDの人にも心理的パーソナル・スペースが広い人が多く(ASDのタイプにより個人差がある)、それは、自分の価値観を否定される(かもしれない)ことを強いストレスと感じるからです。

心理的パーソナル・スペースが広い人には、相手のペースを尊重し、適度な心理的パーソナル・スペースを保ちながら、互いの距離を時間をかけて縮めていくことを心掛けると円滑な人間関係が築けるはずです。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

人間関係の距離感<前篇>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人は皆それぞれ違う人間関係を築きながら、社会生活を送っています。そこで、今回は前篇【物理的距離感】、後篇【心的距離感】で、“人間関係でほどよい距離感”についてお話しようと思います。

私たちは不快感を避けるために、他者やモノとの間に無意識のうちに取ろうとする距離があり、それを

パーソナル・スペース(個人空間)

と言います。

その人を取り囲む空間において、他者が踏み込まない(踏み込んでほしくない)空間を指します。

パーソナル・スペースには物理的距離と心的距離があり、前篇の今回は物理的距離についてのお話です。

下の図を参考にしてください。

図における、それぞれの距離についての補足説明。

【密接距離】
夫婦や家族、恋人、パートナーといった近親な関係。→見知らぬ人が入ると不快に感じる。

【個人距離】
友人関係の他、医師や美容師など社会生活を送る中で近い距離で関わらざるを得ない関係。

【社会距離】
会社の上司や同僚など、言葉でのコミュニケーションが可能な距離。

【公的距離】
個人的コミュニケーションはほぼ不可能な距離。

また図が円ではなく楕円である理由は、例えば自分にとって同じ個人距離内にいる人であっても、相手によっては差があるからです。つまり、自分にとって『密接距離に近い人』か『社会距離に近い人』か、といった具合です。相手が“片思いの人”の場合と“いい人”の場合をイメージすればわかりやすいでしょうか(笑)

精神分析学の父と言われるフロイトが、寓話を元に考えた人間関係についての例え話で、心理学では有名な【ヤマアラシのジレンマ】というものがあります。

日本では、エヴァンゲリオンでも話が出た【ハリネズミのジレンマ】ですが、耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。ヤマアラシでもハリネズミでも同じ例えです(笑)

【ヤマアラシのジレンマ】

ある冬の寒い夜、2匹のヤマアラシが寄り添って暖め合おうとしますが、近過ぎると互いの持つ鋭いトゲで体を傷つけてしまい、離れ過ぎると寒さに震えてしまいます。寄り添ってみたり離れてみたりを繰り返すうちに、2匹のヤマアラシは互いの体を傷つけず、ぬくもりを感じられる、お互いにとってちょうど良い(ベストな)距離を見つける・・・というお話です。

〜寄り添い合うヤマアラシ〜

人との関係が難しいと感じている人は多いと思います。人間関係の難しさの一つが距離の取り方とも言えます。自分も傷つかず、相手のことも傷つけない、それでも互いのあたたかさを分かち合える距離を見つけることが大切なんですね。

まずは、

相手を思いやる気持ちを持つことからがスタート

です。今回は物理的距離についてお話しましたが、次回は心的距離についてお話しようと思います。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

全5回:感情と表現【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2月になりましたね。今月は連載企画として円滑な人間関係に必須である

感情マネジメント

についてお話しようと思います。

【1】では、感情を分析しながら

情動知能』と『その働き』

についてお話します。

感情とは・・・

精神的・肉体的・行動的

要素が入り組んだ気持ちのことです。

『精神的』には自らの感情を快・不快として感じますよね。

『肉体的』には感知する、緊張するといった形で体験するでしょう。

『行動的』には衝動的な行動を取ることで気持ちや感情を表出します。海で大声で叫ぶなど(笑)

私たち人間の持つ4つの基本的感情は

【怒り】【恐怖】【悲しみ】【楽しみ】

で、怒りとは強い不快感と敵意の感情です。皆さんは情動知能という言葉を聞いたことがありますか?

情動知能とは『人間の感情を理解しコントロールできる能力』のことで、いくら良い教育を受け知的に高くても、激しい感情を自己コントロールできなければ、残念ながら情動知能が高いとは言えません。知能に差があるように、情動知能にも大きな個人差があるのです。

情動知能には

1)自らの感情を知る。
2)自らの感情をコントロールする。
3)他者の感情を認識する。
4)人間関係を上手にする。
5)目標達成のために自らを動機づけていく。

という能力があります。

1)自らの感情を知る:自己内面にある感情を理解し、その感情の生を言えること。

2)自らの感情をコントロールする:自らの感情や無意識に出てくる思考(自動思考)を認識することで、

  • 動揺したら自分を鎮め、落ち着かせる。
  • 自己コントロールをする。
  • 怒りをコントロールする。
  • 情動をコントロールする。
  • 適切な時と場所で自らの感情を表現する。
  • 不安や怒り、鬱を長引かせない。
  • 避けられない失敗や挫折を上手く乗り越える。
  • ネガティブな感情が自分の判断力や問題解決の妨げにならないようにする。
  • 欲求不満に耐える。
  • 自らを認め、受け入れ、大切にする。

3)他者の感情を認識する:他者の感じていることや他者の意図を読み取り理解する能力のこと。

4)人間関係を上手にする:人間関係をスムーズにこなし、他者と上手に関わっていける人は、言いなりになるだけでなく、適切な自己表現ができる人と言えます。

対立や拗れが生まれた時でも、交渉を通し解決策を模索、導き出すことで対応が難しい相手にも対処できます。アルスの法則、メディエーターも参照。

5)目標達成のために自らを動機づけていく:計画性、忍耐力、欲求不満に耐えられる、衝動的な行動を抑えられる、楽しみを先延ばしにできる、挫折や失敗からリカバーできる、などが含まれています。

情動知能について理解できたところで、ひとつ質問です。

感情とはいったいどこからくると思いますか?

次回(10日)はそこからスタートし、感情と行動のABCについて学んでみましょう。