プラスに言い換えて受け止め方を変えてみましょう【リフレーミング】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

リフレーミングとは・・・

物事を見る枠組み(フレーム)を変え、違う視点で捉えることで前向きに解釈できる状態になることです。

ネガティブに捉えがちな自分の短所(と思い込んでいる)を違う角度から眺めてみると、案外長所だったりするものです。

例えば、“人見知り”は“慎重である”と言い換えることができます。

探し出してリフレーミングで一般的にネガティブと思われがちないろいろな言葉をプラスに言い換える練習をしてみましょう。

愛想がない
→その人の肩書きや出会った状況に流されない。

●心配性
→感受性が鋭く慎重、真面目で責任感が強い。

●流されやすい
→柔軟性があり、臨機応変で適応力が高い。

●見栄張り
→発想力がありエネルギッシュ、向上心がある。

●目立ちたがり
→社交的で行動力がある。

●弱虫
→自制心が強く慎重、物静かで思慮深い。

●腹が立つ
→正義感が強く、自分に正直。

●優柔不断
→多角的に物事を見ていて慎重。

●気分屋
→自由で感情表現が豊か、切り替え上手。

など。

短所だと思ってコンプレックスがあったり、ネガティブな感情を持つ自分が嫌になった時こそリフレーミング。←ここがミソです。開き直ってリフレーミングすると、間違った方向へいきます。例えば『腹が立つ』の場合、開き直って<気に入らないならしょっちゅう腹を立てていい>と言っているのではありません。それは単なるわがままで、場合によっては即、パワハラ、モラハラになります。

物事は一方の方向から見るものではなく、あらゆる角度から見て判断するものです。頭でわかっていても、日常の生活や仕事に追われていると、ついついそのことを忘れて、自分の尺度や自分が考えるフツーという物差しで相手(他者)や物事を見ていませんか?

ペットボトルも、上から横から真下からと、視点を変えるといろいろな表情(形)があります。ペットボトルのシルエットを想像すればわかると思います。

あなたが短所だと思っていることが、他者からは案外魅力的に映っているかもしれません。

ちなみに私のパートナーは“超”がつく人見知りです。心のハードルが物凄く高いのですが、その分バウンダリーがしっかりしています。おいそれと内側(内面)に踏み込めないタイプです。

パートナー本人はどう感じているのかはわかりませんが、私からは慎重でリスク管理能力が高く、とても頼り甲斐があると思っています。

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『メンヘラ』と呼ばれる人たち

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【メンヘラ】

もちろん正式な心理学用語ではありませんが、この単語が市民権を得てずいぶん経ちます。今では【ファッションメンヘラ】【ツンデレ】【ヤンデレ】と種類も豊富で、どこまでも広がりをみせ、進化し続けているのがメンヘラです。

親から受け継ぐ気質的なものが多少は関係しますが、生まれつきのメンヘラはいません。ならば、なぜメンヘラになってしまうのでしょうか。

メンヘラは自分に自信がありません。

親を含め他者からダメ出しや否定ばかりされていると、「自分はダメ人間なんだ」と思い込まされ、自尊感情が育ちません。これは抑圧によっても起こります。

「お前なんか何やってもまともにできない人間なんだ」と毎日言われ続けたら、初めは「そんなことない!」と思っていても「そっか・・・そうなんだ、私なんて何やってもダメで価値のない人間なんだ・・・」と劣等感に苛まれ自信がなくなりませんか?

自分で自分を大切にしよう、自分にはいいところもたくさんある、私は大切にされる価値のある人間なんだ・・・これが自尊感情です。

自分が嫌い、自分なんて・・・と劣等感が強く自己肯定感がとことん低いのもメンヘラの特徴ですが、これだけだと落ち込んで後ろ向きなネガティブ全開の時には誰もが陥る可能性があります。

しかし、メンヘラになると「こんな私は愛してくれる人なんていない、いるはずがない、私なんか誰からも必要とされない」と勝手に思い込むので、その人を大切に想う恋人や大切にしたいと思う友人の自分に向けられる愛情や好意を彼らが納得する証拠がなければ信じることができません。

その結果、「この人は本当に私を愛しているのか」「本当に私のことを大切にしているのか」を自分の尺度で確認するために、証拠が欲しくて“試し行為”に出ます。ほとんどが無意識におこなわれるため、本人に試し行為をしている自覚はありません。

  • 本当に好きならLINEの返事をすぐくれるはず
  • 既読無視なんて絶対しないはず
  • 本当に好きなら道行く異性を見たりしない
  • 本当に好きなら言わなくても私のことをわかってくれるはず
  • 本当に好きなら死にたいなんて言ったら私を心配してすぐに来てくれるはず
  • 本当の友達なら私の言ったことを否定しないはず

など、試し行為はあらゆる場面に及び、試し行為で一度は納得しても、そもそも根底には他者を信じられないベースが出来上がっているので、繰り返し繰り返し形を変え試し行為がおこなわれます。

パートナーや友達がメンヘラだと、いくらその試し行為に応えても底の抜けたバケツに水を注ぎ続けるように、一杯になる(満足する)ことはありません。満足(信用)できないのです。

感情のコントロールができないので、良くも悪くもスリリングで不安定な付き合い方になります。最初は人懐っこく感情表現が豊かな人だと魅力的に映りますが、あまりに感情の起伏が激しいと振り回されて一緒にいることがツラくなるほど疲弊します。

すぐ怒る、すぐ泣く、すぐ責める、すぐ自虐的になる、すぐ大量に薬や酒を飲む、すぐ手首を切る、すぐ被害妄想を炸裂させる・・・でもどっぷり依存する。

生まれつきのメンヘラはいないことを考えると、すべては後天的であり親を含め他者との関わりの中で傷つき体験を重ね、大きな歪みを生じ自己肯定感より自己否定感が上回ってしまった、と考えられます。

信じたいのに信じることができない。信じるために試し行為を繰り返し、それが原因で人間関係がズタボロになり周りに人が居なくなり、ますます自信を失くし「やっぱり自分は価値のない人間」「やっぱり愛されてない」「やっぱり誰も自分をわかってくれない」「やっぱり人は裏切る」と傷つき、さらに失敗体験を重ねてしまう、まるで負のスパイラルです。

とても辛いと思います。

メンヘラの多くはパーソナリティに何らかの問題を抱えています。そしてそれは生育歴にまで遡らないと複雑に絡まった糸玉を探すことも、ほぐすこともできないことがほとんどでした。本来の自分らしさを取り戻していくその過程も想像を絶する辛さの連続になる人が多く、あまりの苦しさに途中脱落していくクライエントも多くいます。

人の心はいとも簡単に操作されますし、傷つけられ続けると簡単に認知は歪みます。思い込みや被害感情ばかりが強くなり、それが認知の歪みを引き起こしていることにすら気づけなくなります。

ファッションメンヘラは知りませんが、なりたくてメンヘラになる人はいないと思っています。

発達障害とは違う生きづらさを抱えている人たち、それがメンヘラでもあるのです。

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厄介な自己愛オバケ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

“自己愛”と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

自己愛は、自分を認めありのままを受け入れていくことで育まれていく自己肯定感のベースになります。

ただ、自己愛が強過ぎる(自分大好き過ぎ/自分大切過ぎ)とかなり厄介で、周りから疎まれる存在になってしまうのも事実です。

その自己愛オバケの特徴を見ていきましょう。

他者から賞賛されること、承認欲求が強い

→SNSで「いいね」の数、賞賛コメントが少ないと自尊感情が低下してしまう。自分が期待する反応がないと「自分はもっと評価されるはずの人間なのに」と落ち込んだり、評価されなかったことに対して怒りを覚えます。

他者から特別な配慮や敬意を持った扱いをされることを期待し(それを当たり前と考えている強者もいる)、それが叶えられないと不満・鬱憤を溜め怒りを覚えやすい。

→自分を特別扱いしてほしいかまってちゃんにありがちですね。成り金もこのタイプが多い傾向にあります。

自己愛強過ぎタイプで有能感が強い人

大昔に大企業のお偉いさんだったであろう(あるいは地区のお偉いさんとか?)今はただの人が「俺を誰だと思ってるんだ!(怒)」とコンビニで息巻いて突っ掛かりまくりなのを見たことがありますが、まさに「俺スゴイ俺エライ」と、この自己愛拗らせ倒した自己愛オバケの典型です。社会的地位の高かった男性に多い傾向にあります。なかなか滑稽ですが、カラまれる側はたまりませんね。

自分の不安や不満、感情を調整して表出コントロールしずらく、他者に感情の尻拭いを持っていきがち、あるいはぶつける。

簡単に言うと、八つ当たりですね。当たられた側は不愉快極まりないと思います。

また、自己愛の強過ぎる人はとても傷つきやすい人でもあるので、傷つかないために他者の言動に反応する心の防衛反応が過敏で攻撃的になりやすいと言えます。実際、自己愛が強過ぎる人は他者に対し「えっ?そんなことで?」「どこに地雷あった?」という場面で攻撃的な態度を取ります。ある意味、このタイプも生きづらいだろうと思います。

いろんな“生きづらさ”をテーマに、次回は【メンヘラと呼ばれる人たち】について考えてみます。

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【続】他者の時間とスキルを搾取するのが平気な人たちの考察

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回本城が標題のタイトルで人のスキルを搾取することが平気な人たちについて書いていました。今回はその続編として、そういう人はなぜタダでやってもらおうとするのかを考えてみたいと思います。

まず表面的な部分では『友達』というところに甘えがあるのかもしれないと考えました。『友達なんだからいいよね?』という甘え。甘えなのか彼らの中の常識なのか、それはわかりません。

例えば、友達が飲食店をオープンしたとします。身近にそういう友達がいる人は結構いると思います。一度は必ずと言っていいほど顔を出しますよね。その時『タダで飲み食いしよう』『タダで飲み食いさせてくれる』と思って行くでしょうか?店を開いた人が自分の友達がわざわざ時間を割いて顔を出してくれたから、何らかのサービスをしてくれることはあるかもしれません。でもそれを予め当然と思って行くでしょうか。

大概の人は「いや申し訳ないよ、ちゃんと払うよ」になると思います。私も何度かそういうことがありましたが、皆ちゃんと払っていました。むしろご祝儀も兼ねてお釣りはいらないよ、とまで言っていた友達もいました。

一方で本城のような心理士や美容師、医師、ネイリスト、カメラマン、デザイナーなどという人に依頼する時は、『友達』をいいことにタダでやってもらおうとする人がいます。私からすれば、それは友達の悪用にしか見えません。友達に依頼する根底には“信頼できる人”ということがあります。しかし、その信頼を“悪用”している自分に気づいていないのだと思います。

心理士や医師、ネイリスト、美容師、飲食店を開いた料理人もそれぞれのフィールドでプロフェッショナルとして活躍している人たちで、そういう人が友達にいることはとても心強いことです。何かあったら相談したくなる気持ちも理解できます。そして仕事を依頼するとなれば、当然対価を支払うことが道義であり誠意ではないか、と思うのです。

個別には「お前の頼みならタダいいよ」と言ってくれる場合もあるでしょう。しかしそれはあくまでも個別的なことで、大前提は友達であれ依頼する側は対価を支払うことではないでしょうか。クルマの貸し借りでもガソリン代程度は払いませんか?

「お前との関係だろ、水くさいことはいいよ」と言うのは依頼された側で、「水くさいこと言わずにタダで頼むよ」と依頼する側が言ってはいけないし、その友達のスキルや技術を利用しているだけです。

友達を本当に大切に思うなら、きちんと対価を支払うことのほうが人としてまっとうではないでしょうか。

一方、表面的な部分では『友達だからという甘え』に対して、根深い部分では日本人の『美徳』が関係しているかもしれないと考えます。無意識な部分でもあるのでわかりにくいかもしれません。

依頼する側は何かに困っているから、それを解決できる“信頼している”友達を頼るわけですが、「困っている友達からカネを取るのか?」「困っているんだから善意でやってやれよ」という無言の世論とも言うべき日本人の『美徳』というやつが『タダで』という発想を安易に、間違った形で招くのだと思います。

困っている友達からカネを取るのか?・・・多分事情を聞けばその時は取らないことがあるかもしれません。しかし『出世払いでいいよ』とか『カネができた時でいいよ』と言います。冗談かはさておき、言葉の上では『払ってね』であり『タダではないよ』ということです。

『タダではないよ』という言葉の裏にあるのは、思うに困っている友達への最大の敬意ではないかと思うのです。タダを別の言葉で言い換えると『施し』になるのではないでしょうか。『施し』は恵みを与えることです。ちょっと見方を変えれば上から目線の行為です。宗教が施しと言っていいのは、人間が崇め奉り人智を超えた存在である仏様、神様からの恵みだからです。

人が人に施し(タダ)となると、施す相手を非常に愚弄した行為になりかねません。だからこそ『タダではない』のです。タダではないことにする意味は立場を対等に保ち、相手の自尊心も傷つけないある種の知恵だと思うのです。

友達からタダという施しを受けた瞬間、その友達よりあなたの立場は下になり、もう友達関係とは呼べなくなる気がします。

そう考えると、安易に『タダでやってもらおう』とすることは、自分で自分を貶め、友達との関係に上下を作り、友達関係を破壊する愚かな行為と言えます。

そう考えると、本当に『タダ』ほど怖いものはありませんね(笑)

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他者の時間とスキルを搾取するのが平気な人たち

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

寒い日が続きますね、如何お過ごしですか?

私の友人たちは私のような心理士だけではなく、美容師、ネイリスト、福祉職、ドクターやナース、広告デザインと職種はさまざまです。

これは私が実際に何度も経験し、その度にモヤモヤしていることですが、聞いてみるとネイリストや美容師、ドクターなど皆似たような経験があるそうです。

「知り合いが鬱みたいだから話を聞いてあげて」「彼氏が仕事でストレスあるみたいなんだけど、ちょっとカウンセリングしてもらえない?」「ママ友が旦那のDVに悩んでるから話聞いてあげて、シェルターとか教えてよ」「彼女がアルコール依存っぽい(だから話聞いてあげて)」など・・・。

パートナーはもちろん、友人“本人”の愚痴や悩みであれば幾らでも聞きますし、大事な友人ですからちっとも負担ではありません。私にできることがあれば幾らでも力になりたいと心から思っています。

しかし「知り合いが〜、ママ友が〜、彼氏(彼女)が〜」、これはどうなのでしょう。

私には縁も所縁も顔すら知らない真っ赤な他人(敢えて他人という言い方をします)ですから、私が厚意やボランティアで“わざわざ私の時間を割いて”“無料で”傾聴したりカウンセリングする義理はないはずです。

「本格的じゃなくてちょっと話してもらうだけでいいから」←ちょっとでいいなら無料の相談窓口がありますよ?もちろん自分で調べてね。

「プロに話を聞いてもらったら気が楽になると思うからお願い」←プロはそれで食べているのですが、プロの時間を搾取し且つ無料で使うのですか?

「アンガーマネジメントやってるんだから、サクッと軽くさわりだけでいいから教えてくれない?」←サクッと軽くできるものではありませんし、いつもプロとして仕事してお金をいただいているのですが・・・。

なんなのでしょうね・・・。

「美容師なんだよね?うちの子の髪切ってよ」これはまだマシで「うちの子の髪、切らせてあげてもいいよ」と斜め上からのツワモノもいるそうです。「前髪だけ軽くササッとでいいからウチでやってくれない?」←タダでプロを呼び付けるつもり??「ヘアモデルになってあげる」などなど、まるでネタのようですが案外言われるそうです。

ドクターに至っては「タダでインフルエンザワクチン打って」から「頭が痛いからちょっと鎮痛剤ちょうだい」「旦那の目薬なくなっちゃった、(病院の)薬局で目薬もらってくれない?」まで。ネタを通り越して開いた口が地面まで落ちそうです。

美容師も医師もプロです。学校へ行き、国家試験に合格し、時間をかけて技術や知識、スキルを習得し、それを生業にしてお金を稼ぎ生活しています。

「ちょっとだけ」「軽く」「テキトーに」「チャチャっと」「サクッと」と言うのは簡単ですが、それは彼らの貴重な時間を“搾取”し、知識を“タダ使い”していることに気付いていません。

「友達なんだから」は、“やってもらおうとする側”が絶対に言ってはダメな言葉です。

「空いている時間でチャチャっと」←空いている時間といっても、暇でゴロゴロしているわけではありません。

厚かましい・・・それ以外に表現のしようがありません。

丁寧にお断りすると「ケチ!」

いいですもう、ケチでも(笑)

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終わりの始まり【職場篇】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、本城ハルのコラムで『終わりの始まり』を掲載しました。主に恋愛関係を軸にコラムを展開していましたが、職場においても似たようなことはあると考えます。

不安、不満、不信は職場環境でも大いにあり得ることだと、私自身、実感してきた一人だからです。新入社員として、あるいは転職先で、この不安、不満、不信を経験しました。

最初から上司と距離があったわけではありませんでした。むしろ新しい職場環境に希望を持ち、モチベーションも高かった気がします。いい上司に恵まれた、と思っていたぐらいです。とは言っても私の場合、大企業ではなかったので上司といってもつまりは社長でした。

職場の場合、恋愛における価値観とは違い、上司(社長)としての人間性がモロに不安を駆り立て、不満に移行し、不信に陥る、という経過を辿ると思います。ここで誤解してはいけないのは、上司(社長)個人の人間性ではない、ということです。仕事における姿勢や責任であったり、人の上に立つ者の言動であったり、そういう意味での人間性です。

  • トラブル回避の手段を講じる。
  • トラブルが起きた時に、どのように解決するか。
  • 価値観を擦り合わせ、互いの納得に近い着地点を模索する。

企業規模はさまざまですが、少なくとも見栄を張ることなくトラブル内容を正直に話してくれたほうが、従業員に一時的に不安は与えてしまっても不満と不信は予防できると思います。不安のうちは皆で解決しようという新たなモチベーションを生む可能性があります。それが不満に移行してしまうと「やってられない」という気持ちが強くなり、モチベーションには繋がりにくくなります。不信になると、従業員の耳には何を言ってももう何も入ることはなく、見切りをつけて早く転職しよう、という気持ちしかなくなります。

このように、企業の中での【終わりの始まり】は、従業員に見放されることです。当然離職率は高いでしょう。業績以外の不安、例えばチームがバラバラであることも不安材料と言えます。その不安材料をまずは従業員あるいはチーム全員と共有できるかどうか、その上でどうすればいいのかまで話し合う、上司やリーダーにとってはとても勇気が必要だし、ハードルは高いと思いますが、それができるかできないか、で【終わりの始まり】を回避できるかどうかにかかっている気がするのです。

職場において従業員の価値観の擦り合わせまでする必要はないと思います。ただ問題の解決には、共有と話し合いは必要不可欠だろうと思います。リーダーだけ、上司だけ頑張っても限界はあり、間違えれば従業員やチームの不満、不信に繋がるリスクを生じかねません。

不満の数ではありませんが、不満しか出なくなればそのチームや組織の終わりは近いと言えるのではないかと思うのです。

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終わりの始まり

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

友人関係でも夫婦関係でもなく、当たり前に親子関係でもない恋愛関係。その中で恋愛は一番不安定な人間関係ではないでしょうか。

恋愛関係も友人関係も物理的距離“だけ”が原因で壊れることはあまりないと思っています。不安不満不信など原因はともかく、自分の中で相手に対し“どう感じたら”、“どんな感情を持ったら”終わりの始まり・・・なのかはわざわざ意識しないだけで誰もが薄々気づいているのではないか?と思うのです。

ウキウキルンルンなスタートしたばかりの恋人同士は相手に多少「?」を感じても、目の前にいる恋人の“存分に自分フィルターがかかった状態”で都合の良い部分しか見えていません。

人間関係を持続するために擦り合わせたり乗り越えていかなくてはいけない、目の前の立ちはだかる“価値観”という壁に、まだ本格的に向き合う機会がないからとも言えます。あるいは本格的に向き合うだけの関係にまだ成熟していないと言えるかもしれません。

よく3週間3ヶ月3年と言われますが、3週間はともかく、この“3ヶ月”説は3ヶ月3年過ごす中では、二人の間で何らかのトラブルが起きたり、“譲れない”価値観の違いが露呈していくからではないでしょうか。

  • トラブル回避の手段を講じる。
  • トラブルが起きた時に、どのように解決するか。
  • 価値観を擦り合わせ、互いの納得に近い着地点を模索する。

どれも高いソーシャルスキルとコミュニケーションスキルを必要とします。しかも、いちいち言葉にせず“察する”ことも要求されるという高難度です。

どちらか一方がこの能力が高くても残念ながら長続きしません。恋愛は一人では絶対に不可能だからです。我慢に我慢を重ねての長続き、はあり得ますが・・・。

最良なのは、二人ともがスキルを持ち合わせていることですが、世の中、そうそう上手くいかないものです。

どちらかが、もしくは両者が「自分は間違っていない!悪いのは全部相手だ!」という気持ちを持つと、どんな小さなことでもそこから綻びが生まれ、同時に不満も生まれます。これはあらゆる人間関係に言えることだと思います。

コラムでも何度か書いていますが、人はいきなり不信にはならないもので、不安→不満→不信という過程を辿ります。

パートナーと「相手の気に入らないところの数を数えるようになったら終わりに近いだろうね」と話をしていました。もちろん細〜い見えない糸でのみ繋がっていた修羅場三昧の危うい氷河期が私たちにもあり、その時はお互いに気に入らないところだらけ(むしろ嫌なところしかない)だったと思いますが(笑)、今は「気に入らないところは特にないな」なので、なんとか無事に危機を脱したと言えます。

不満を不満のまま不信になるまで放置(逃避)した結果、相手の“気に入らない”数を数えるようになったら、どんな関係も終わりの始まりではないかと思うのです。

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他者の気遣いや無意識の厚意に感謝するという小さな当たり前の姿勢

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

感謝は強制されるものではなく内側から出る自発的な感情ですから、誰に対してもどんな時にも周りに平身低頭感謝しまくりましょう・・・なんてことはこれっぽっちも思いません。

ですが、他者の“厚意”からくる行動を当たり前に思い、感謝しないどころか自分が想像(勝手に期待?)していたとおりに他者が行動を起こさないと不満に感じ、文句を垂れたり酷いとぶちギレる人が増えたように思います。余裕の無さやイライラしやすいのはコロナのせいもあるのかもしれませんが、他者に攻撃的な気持ちを持ちやすいのはまたちょっと違う気がします。

例えば、余程いじわるな人でなければ、自分が先に乗り込んだエレベーターに後から人が乗ろうといているのにわざわざ【閉】ボタンを連打して扉に挟もうとはしないと思います(笑)でも『あ、乗ろうとしているんだな』と【開】ボタンを押すのは頼まれたわけでもなくても、挟まれないようにという“気遣い”“厚意”からくる行動です。

「乗ろうとしているんだから【開】ボタンを押しておくのは当たり前でしょ!」と考えたアナタは、それは「〜すべき」思考が混じるちょっと偏った考え方です。確かに扉を開けておくのはマナーかもしれませんが、やってもらって当たり前、やるべきこと、という決まり事ではありませんよね。

私でも自分が先に乗り込んだ時に階数ボタンの前に立っていれば当然【開】ボタンを押して待っていますし、奥に階数ボタンがないエレベーターでは「何階ですか?」と尋ねることもあります。毎回ではありませんが。

自分が逆の立場なら「3階お願いします/押してもらえますか?」とお願いします。恐らく多くの人はそうしているだろうと思います。

ここで偏った自分本位な考えを持つ人は、自分から「○階お願いします」と意思表示をしなくても「フツー何階に行くか聞くもんでしょ、階数ボタンに近いんだし」と考えます。そのような考えを持つ心理の共通として、〇〇すべき、という行き過ぎた白黒思考だったり、他者の価値観や思考を認めない自他境界の曖昧な人に多く見られるようです。あなたとまったく同じ考えや感情を持つ人は“いない”と考えましょう。

たまたま同じエレベーターに乗り合わせただけの真っ赤な他者で、明らかなエレベーター係(今時いる方が少ない)でもない一般人に、階数ボタンの前にいるというだけで、何故そこまで他者を気遣うことを“当たり前に求めるのか”です。飽くまでも任意の行為を無意識に義務の行為と勘違いしているか、日頃から他者を見下している愚か者です。

「ありがとうございます。」「助かります。」

毎回いちいち口にしなくていい場面でも、この気持ちは大切にしたいものです。

常々『ありがとう』『ごめんなさい』は人間関係をまろやかにする魔法の言葉だと思っていますが、『ありがとう』と言われて嫌な気持ちになる人はまずいません。

「(私のために)ありがとう」と伝えること、ありがとうと口に出さないまでも、ありがとうの気持ちを持つこと。相手との距離が近くなればなるほど忘れがちなことですが、何より大切なことではないでしょうか。

思っているだけでは伝わりません。どんなことも「言わなくてもわかる(わかってる)だろう」という考えは改めて、ニッコリ「ありがとう!」。

立場に関係なく気持ちいい人間関係のコツかもしれませんね。

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無意識に存在する傲慢な気持ちが人間関係を不安定にする

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

相手が私(親)で場所も家だからなのか、発達障害重複の息子は「ADHDなんだから、できなくても仕方ないじゃん!やってくれてもいいじゃん、そのくらい!」がかなりの頻度で口を突いて出ます。

「やってくれてもいいじゃんそのくらい」は“そのくらい”のことをやってもらうために他者(親でも他者です)に手間をかけさせ、時間を搾取するということ、わかってますか?何より“そのくらい”なら自分でやればよくないですか?

いくら親だとはいえ、ものを頼むなら頼み方というものがあると思いますし、「できないんだからやってくれてもいいじゃん!」(そのくらいやってくれて当然)という考えそのものに傲慢な気持ちが透けて見えて、かなり不愉快になります。

親子でなければ能面になるくらい不快です。

人に何か頼む時、これは発達障害であるかどうかにかかわらず、頼む側に傲慢な気持ちが相手に透けて見えたら、その人間関係は不安定になります。

わかりやすい例として「カネがないんだから、借してくれたっていいじゃないか!」と言って借りる人はいないと思います。もし仮にそう言われたら、絶対に貸したくないし、今後は関わらないようにしませんか?(笑)

ADHDだから不得手なことが人よりも多く困り感もあるのは理解しています。ですが、発達障害だろうが定型だろうが何でも世話を焼く年齢ではないので、頼まれてもお断り!や、ヒントを与えるだけの時もあります。

「頑張ったけどここまでしか出来なかったから、〇〇を手伝ってもらってもいい?(手伝ってもらえる?)」「手が空いているなら〇〇お願いできる?」が他者を不愉快にしないスマートな頼み方だと思うのです。自分は手もつけないで(努力せずに)ADHDだから出来ないと投げ出し、「そのくらいやってよ」はいくらなんでも酷すぎます。

料理は私がやりますが、我が家では息子が3歳から自分が使った食器は自分で洗うのがルールです。お立ち台を準備し、最初は洗い方を教え「綺麗になってキュッキュッて気気持ちいいよね、やってみよう」で習慣化させましたが、何しろ今は何もが面倒に感じて、やたら親子関係が悪化しがちな思春期。

息子:ついでに洗っといて。

私:・・・(頼み方ってもんがあるだろ) です。

こうではなく、

息子:一緒に洗ってもらえる?(洗ってもらってもいい?)

私:いいよ、“ついでだから”洗っとくよ。

息子:ありがとう ←こうではないかと思うのです。

頼む側が“ついでに”なんて言ってはダメなのです。

「暇そうなんだからやってくれたっていいじゃない」「出来ないんだから手を貸してくれるのは当たり前でしょ」「見ててわかるでしょ、忙しそうなの、普通は自分から手伝わない?」

思い当たることありませんか?自分以外は親でも子でも血が繋がっているだけの他者、上司や部下、同僚、友人、パートナーに至っては血も繋がっていない他者です。口に出さなければあなたがどう考えているのかなんてわかりませんし、わかっていたとしても何を望んでいるのかまで細かくはわかりません。それを求めること自体が「何様?」な気がします。

時間が経ち、距離が近くなり関係性が変化(安定・安心)してくると、誰にでも無意識に傲慢な気持ちが顔を出しがちです。のっけから厚かましい傲慢な人もたまにはいると思います。そんな人には、ノーリアクション能面で遠い目をする、なんてシオシオさ対応もアリかもしれません(笑)

互いに慣れてきた時こそ、気持ち良いお願いの仕方や頼み方を心がけ、きちんとした感謝や謝罪の気持ちを『言葉にして伝える』こと、その大切さを思い出しましょう。

察してちゃんは面倒極まりない人に他ならないのです。

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ストレスチェック制度

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ようやくメンタルヘルスの重要性が認知され、ストレスチェック制度を導入する企業も増えてきました。改正労働安全衛生法68条にあるように、ストレスチェックとは心理的症状の確認ではなく、心理的負担の程度を把握するためにおこなう検査です。

またストレスチェックには定期的に従業員のストレス状況について検査をおこなうことで従業員への気付きを促すことや、高ストレス者を早期に発見し医師や臨床心理士、産業カウンセラーなどの面談に繋げること、職場にあるストレッサーを評価し職場環境の改善に取り組むことでストレス要因そのものを低減させる目的があります。

ストレッサーが低減することで従業員のメンタルヘルスが守られ、メンタル不調からの休職者、離職者を減らすことにも繋がります。

ほとんどの企業が57項目版職業性ストレス簡易調査票という調査票を使っていると思います。ストレスチェックは従業員が正直に答えていることが前提になりますが、実は他にも課題があります。

  • 企業に産業医(臨床心理士や産業カウンセラー)がおり、きちんと機能しているか?
  • 高ストレスと判定された従業員が医師や臨床心理士、産業カウンセラーなどの面談を受けやすいスキームが整っているか?
  • 従業員が正直に回答できるような体制、スキームを確保できているか?
  • ストレスチェックの性質上、さまざまな人間や組織が関係してくるが、個人情報管理は徹底できているか?

などです。

また、結果が本人通知のみのため高ストレス者であっても、その後の対応は本人に委ねられており、実際は「気になるなら心療内科へ行ってね」「カウンセラーに話を聞いてもらってね」と、やりっぱなし感は否めません。

日本ではメンタルクリニックや心療内科という場所は、「風邪っぽいから内科に行こうかな」のように気軽に門をくぐれる場所ではないのが正直なところではないでしょうか。

まだ大丈夫、大したことない、みんな大なり小なり悩みやストレスはあるものだ、自分だけじゃない・・・そう考えて相談も吐き出すこともできない従業員が多いのが現実です。

▶︎産業医がストレスチェックをおこなっていない場合、組織は誰が高ストレス者なのか一切情報が入らない。

▶︎産業医、臨床心理士、産業カウンセラーなどの面談がおこなわれ、環境調整や個別配慮の進言があった場合、組織はそれらの意見を尊重し、高ストレス者に対応できるのか?

▶︎高ストレス者の負担軽減に配慮した場合、望まない配置換えや給与面での待遇などでトラブルにならないか?

▶︎産業医がメンタルヘルスに関する問題に十分対応できるのか?

▶︎産業医に時間的な余裕はあるか?

これらも大きな課題となります。

あなたの悩みや苦しみは誰かと比べるものではありません。体の同じ場所を同じように怪我しても自分と他者では痛みの感じ方や度合いが違うのは当たり前ですよね?心もまったく同じです。

ストレスを感じる場面が同じでも、そのストレス度合いや表れ方は人により違いがあります。ストレスチェックは、やって結果が出たらハイおしまいではありません。

自分のストレス状況を自分自身が正確に把握し、心身に不調をきたさないように心の負荷を軽減していく場を持ったり、ストレスコーピングテクニックを身に付け、柔軟な対応力を上げていくのも大切なことだと考えます。

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