メタ認知【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

お盆はいかがお過ごしでしたか?コロナ禍でもあるので、私は自宅でのんびりしていました。まぁ普通に生活していただけですね(笑)

さて本題です。メタ認知、聞いたことがある人もいるかもしれません。メタ認知はアメリカのフラベルという心理学者が提唱した概念で認知心理学用語ですが、その概念自体はとても古く、遡るとギリシャの哲学者ソクラテスにまで行き着きます。

「彼らは何も知らないのに知っていると思い込んでいる。だが私は何も知らないということを知っている。」

有名はソクラテスの言葉、“無知の知”です。知っている人も多いのではないでしょうか。ここからもソクラテスのメタ認知能力がとても高かったことが窺い知れます。

最近では認知心理学だけではなく、教育現場や組織でも広く【メタ認知の重要性/メタ認知を鍛える】など聞くようになりました。あまり拡げると訳がわからなくなるので今回は割愛しますが、

この【メタ認知】、実は人間関係やコミュニケーション能力とも深く関わりがあるのです。

イマイチわからないメタ認知だと思いますので、【1】【2】で理解していきましょう。

【メタ認知】
自分が認知していることを客観的に把握し、制御すること。→認知していることを認知する。

何やらますます何のことやら・・・?ですよね。限りなく平たく言うと、“自分の思考の矛盾に気付く”、“自分なりにやりやすいように方法を考え実践する”、“頭を整理するために書き出し視覚化する”などもメタ認知になります。

メタとは『より高次な』という意味で、メタ認知は自分自身を高い所から見ている自分、という感じでイメージしてみてください。メタ認知は概念で思考活動ですから体を動かしておこなう活動ではなく、語弊はありますが、思考の幽体離脱みたいな感じかもしれません(笑)

自分が認知している【感情】【思考】【学習】【記憶】などを高次な視点から俯瞰する、ということがメタ認知です。

メタ認知が高いと、自分自身の認知活動(感情/思考/学習/記憶)を客観的、冷静に見ることができ、それを見直したり調整することで高い目標設定〜達成する力(実行/遂行)や問題解決の向上に繋がるといった大きなメリットがあります。組織が求めるのはこの辺りの能力だと考えられます。もっと具体的に言えば、管理職や経営層になればなるほど、このメタ認知能力が求められる、と言ってもいいかもしれません。

“自分の思考について思考している”ような場面で発揮されている能力がメタ認知で、こうなるともうガッツリ哲学領域ですが・・・。

このメタ認知には二つの種類があり、それぞれ【メタ認知的知識】【メタ認知的技能】と呼びます。

【メタ認知的知識】
自分についてわかっていること → 自分は人見知りで初めて会う人と話すことや大勢の人の前は苦手だ、自分は短気で怒りっぽいところがあり、すぐに機嫌が悪くなる、自分は繊細過ぎて傷つきやすい、自分は無神経なところがあって意図しないのに人を不快にしてしまうところがあるようだ・・・などなど、自分を理解し自分について知っていること(自分は何者か、自分は何を知っているのか、知らないのか)です。

例を挙げると、『今、自分は怒っている』←怒っている自分をわかっている、あるいは『嫌な汗をかいている』←道に迷い、その焦りから嫌な汗をかいている自分をわかっている、などがわかりやすいでしょう。

難しい話が長くなってしまいましたので【1】はおしまいです。【2】ではメタ認知的技能についてスタートします。

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パウンダリーという概念【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

パウンダリー(境界線)について【2】では、例を友人、パートナー、親子、上司と部下と挙げながら境界線を守られていない時の要注意サインや、境界線を守る方法について話を進めます。前回示した図2を参照しながら読んでみてください。

  • 大切にしている本(持ち物)を本当は貸したくないのに友人に貸してしまった。

これは嫌われたくないという気持ちから相手に合わせ過ぎています。自分の気持ちや考えを伝えられず、我慢していることもわかります。それにより、【所持品】、【感情】の境界線が守られていません。

  • LINEやSNSで気付かずレスを忘れた時や飛ばしてしまった時に「無視したでしょ!」と言われた。

それからスマホが気になるようになって着信音を大きくしたり、しょっちゅう確認するようになった。これは【時間/空間】、【感情】の境界線が守られなくなり、自分の生活に影響が出てしまっています。また、すぐにレスが来なかったことに「無視したでしょ!」と責めるメッセージを送った人は、受け取った人の【時間/空間】、【感情】の境界線に踏み込み過ぎています。

  • 「あの子はお母さん好きじゃないから付き合っちゃダメ」

親の考えや価値観を押し付けていることから、【考えや価値観】の境界線を守っていません。「こんな本は読んじゃダメ、捨てたから!」これも断りもなく持ち物を捨ててしまうのは明らかに【所持品】の境界線を踏み越えています。

  • 「日曜は用事があるから会えない」と言ったら、彼から「普通は彼氏を優先させるものだろう」と言われた。

「夫婦なんだからどこで何をしているのか知る権利がある」と勝手にスマホを見られたり、持ち物を調べられる。好きだから嫌われたくない、好きだから怒らせたくない。そのような気持ちになるのは理解はできますが、前者では【時間/空間】、【考えや価値観】の境界線を無視した考え方です。後者は【所持品】、【感情】の境界線を踏み越えた行動・言動です。

  • 「お前は何もできないバカだ」「居なくても誰も困らない」「忙しいんだから残業するのは当たり前だろ」「こんなことで怒るなんておかしい」「(産休)育休取るの?」

これらは【尊厳】、【時間/空間】、【感情】、【考えや価値観】・・・あらゆる境界線をバンバン踏み越えてしまってますね。組織においては、上司などが言葉に言わないまでも企業風土や企業文化そのものが境界線を踏み越えた空気感に満たされている場合もあり得ます。

以下のように感じることがあったら境界線を守られていない要注意サインかもしれません。

  • バカにされる。
  • いつも相手の感覚や意見が優先。
  • 理不尽な命令、パワハラ・モラハラに近い命令をされる。
  • 言動や行動で脅かされる。
  • 相手と違う考えや意見があっても言いづらい。
  • 無視されたり、傷付くようなことを平気で言われる。

境界線を守る工夫として覚えておいてもらいたいことがあります。

踏み込んでほしくないことには自分でルールを決めておく。
▷○時までに帰る、○円以上は使わない、プライベートは仕事関係者には話さない、など。

●同じ言葉をリピートする。
▷何を言っても相手が自分の境界線に踏み込んで来ようとしたり、何を言われても理由を聞かれても「嫌です」「止めてください」「無理です」「できません/やりません」。

●宣言する。
▷それでも境界線に入り込んで来ようとしたら「次同じことを言ったら帰ります」「まだ言うなら警察に行きます」「大きな声を出します」をはっきり意思表示する。

●その場を離れる。
▷帰る宣言をして帰る。知らん顔してその場を去る。

●時間を置く。
▷自分の気持ちが落ち着く、考えがまとまるまで「少し時間をください」と保留し、時間を作る。

●メッセージを『I』(アイメッセージ)で発信する。
▷主語を「私は〜と感じる」「(私は)そんな言い方をされると悲しい」「(私は)〜だと嬉しい」など。

企業など組織においては、【自分でルールを決めておく】【時間を置く】【アイメッセージで発信する】などが現実的かもしれませんね。

自分の大切なスペース(エリア)に他者が踏み込んできたり、相手の大切なスペース(エリア)に入り込んでしまっている場合は、境界線を意識することが大切です。

境界線は自分自身が傷付かないことはもちろん、相手を傷付けてしまわないためにも守らなくては(守ってもらう必要がある)いけない重要な概念です。

境界線が守られているかどうかは前記の『自分の気持ち/感情』と『相手との関係』に目を向けてみることです。

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歪んだ関係:支配という名の共依存【2】〜パウンダリーという概念【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【1】に続き、共依存の話になります。

共依存と自己愛、アダルトチルドレン(アタッチメント不全)には深い関係がありますが、自己愛やアタッチメントについては近いうちに書きたいと思います。

共依存に陥りやすい人の特徴の続きです。

●コミュニケーションスキルが低い
→自分の意思を相手に伝えるスキルが低い、ノーと言えない、自分の行動・言動の責任を引き受けることができないのに、相手のせいにしたり(責任転嫁)批判する。

●被害者意識が強い
→相手のために何かしてあげたい気持ちは強いが、うまくいかない時に「私はあなたのためを思って云々・・・」と相手を責めがち。

●自分と他者のパウンダリー(境界線)が明確でない
→最後に境界線について説明〜パウンダリーという概念【1】に続きます。

●忍耐力に欠ける
→相手の言葉に過敏に反応して反射的に行動したり、必要以上に焦って取り越し苦労的な心配をする。

●自罰的である
→相手に問題がある時にも自分が悪いのではないか?と過剰に自分を責め、努力すれば相手が変わるのではないかと必死になる。

●極端な思考
→黒/白、0/100思考で自分が正しければ絶対に相手が間違っている、相手が正しければ全部悪いのは自分のせいだと決めつけがちで、“ほどほど”のバランスが取れない。

これから先は共依存の話を離れ、パウンダリー(境界線)【1】へと続きます。

これは人間関係において疲れやすかったり、ストレスフルになりやすいHSPやASDの人に気付いてもらいたい概念です。

図を見ながら考えてみます。

これはパーソナルスペースという概念です。

そして境界線には、

このように個人を取り巻くパウンダリー(境界線)には幾つも種類があるのがわかります。

また境界線にはパターンがあります。

●境界線がない
→自分の気持ちや感情など自分で守れず、他者から踏み込まれ過ぎて疲れたり傷ついたりしてしまう。また、他者の境界線もわからないので、踏み込み過ぎて嫌がられたり傷つけてしまう。

●境界線がハードルになっている
→他者を近づけず、自ら他者に近づくこともしないので、本人が孤独を感じていても周囲から孤立しやすい。自分の中だけで怒りや傷つきを抱え込み、感情のやり場がなく発散することができない。

●柔軟性のある理想的な境界線
→自分の気持ちや感情、その時の状況や相手により自由に境界線も変えられる。しなやかな強さがあるので、疲れたり傷ついても回復力(レジリエンス)があり、自分も他者も大切にしたアサーティブなコミュニケーションを取ることができる。

●混在した境界線
→ほとんどの人は上記3つの境界線を組み合わせて持っており、自分の気持ちや感情、状況、他者との関係で無意識に境界線を使い分けている。

パウンダリーという概念【2】では、例を挙げながら境界線の種類の説明、なぜ境界線が大切なのか、境界線を守られていない時の要注意サイン/境界線を守る方法についてお話します。

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歪んだ関係:支配という名の共依存【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

共依存の根底にあるのは愛情ではありません。

いきなりですが、これはとても錯覚しやすいのですが、そこにあるのは“支配”であり、互いに互いを病的に縛りつけ合う、愛情とは似ても似つかない歪んだ関係です。

今回から2回連続で【共依存】についてお話していこうと思います。

自分で共依存と気付くのは難しいものですが、話を聞かされる周りにいる人間には、その異様さから違和感を感じることもあるようです。

共依存とは一見すると親身になっているように映るので、薬物やアルコール、ギャンブル依存のように誰が見ても問題だと思われない危険な側面を持ちます。

共依存に陥る人には特徴があります。

【共依存に陥りやすい人の特徴】

●自分を犠牲にして(時間・お金・体力・精神力)相手の世話をしたり助けようとする。
無意識のうちに相手にとって自分が必要な人間であると思ってもらいたかったり、感謝されるなどの見返り(報酬)を期待している。自分がいなければ相手はダメになる、やってはいけない、と側にいることで自分の価値を見出そうとする。

●相手の考え方や行動を変えようとコントロールする。
なだめたり怒ったり無責任なアドバイスをしたりすることで、相手を操作したり変えようとする。

●常に問題を抱えている人の側にいたり、そのような人間関係に身を置きやすい。
何かと問題を抱えている人の側にいたがり、何も問題を抱える人が周りにいないと空しく感じたり、無意識に「誰かを助けたい」という焦燥感に襲われる。

●相手の気持ちや感情に過敏に反応し、先走りして気を遣う。
相手の顔色ばかり伺い、相手の気持ちを読み取り(読み取り間違えも多々)、どうすれば、どう言えばいいのか先回りして不安になったり心配する。

●見捨てられ不安が強く、他者への依存心も強く自分に自信がない。
一人でいると不安で誰か相手が必要になり、相手がいても自分に自信がないので見捨てられるのではないか、と常に不安を持っている。

●視野が狭く考え方に偏りがある。
特定の相手が気になるとそのことで頭がいっぱいになり、他のことが考えられなくなる、「〜べき」思考が強い。

個人間でのことをイメージして列挙しましたが、企業と個人における上司と部下、同僚同士、先輩と後輩の間でも言える部分があります。自分と会社の関係が歪んだ関係ではないか、点検する参考にしてみてもいいかもしれません。

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拝啓 新社会人の皆さん、如何お過ごしですか?

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

この4月に晴れて社会人になった皆さん、如何お過ごしですか?

研修中の人、研修も終わりそれぞれの部署に配属された人などさまざまだと思います。社会人になる前(私も含め)、つまり小中高大においての人間関係は極めて年齢の近い人だけの関係だったと思います。

会社という組織に入ると、最初こそ同期(同年代)と一緒に研修を受け、学校時代の延長のような気分だったのではないでしょうか。それが各部署にそれぞれ配属されると、環境は一変します。同期はほぼおらず、先輩、上司しかいません。年齢もさまざまです。ほぼ自分よりも年上ばかりの環境と言っていいでしょう。

そんな環境で緊張と不安が入り混じった状態の新入社員の人もいると思います。その中で皆が皆、優しい先輩とは限りません。業務に忙しそうにしている先輩に遠慮してみたり、言うことが変わったり、単純に取っ付きにくかったり、といろいろな要素が絡み合って、新人にとっては緊張の連続でそれだけでグッタリしている時期だろうと察します。

既に怒られた、という人もいるでしょう。萎縮してしまい出社が怖くなったりする時期でもあります。私もそういう時期がありました。昼休みに一人になれる時間にホッとしたり、緊張と不安を誤魔化しながら必死に頑張っていると思います。会社から帰宅して部屋着になって座った時、どれだけホッとしたことか、あの頃の自分を思い出します。

『そんな不安や緊張なんかないよ』という人はラッキーだと思います。たまたまあなたにとって恵まれた職場環境なのでしょう。新入社員をよく観察していると、4月当初は大体希望に満ちた笑顔が多いのですが、研修が終わり部署に配属されてくると、当初の笑顔は消えています。ちょっと疲れた顔をしています。覚えることも多くわからないことばかりなため、不安げにも見えます。入社3年程度の社員の顔は、会社や業務にも慣れ、力の抜きどころの要領も覚え、ある程度余裕のある顔付きになっています。社内の人間関係の構築もある程度できているのも大きいと思います。彼らはいわゆる学生気分が完全に抜け、社会人の顔付きといった感じでしょうか。

ブラック企業でないことが大前提ですが、私も当時、入社から3年目まではかなりメンタルが不安定な時期でした。この仕事は自分に向いていないんじゃないか、辞めたい、日曜日や連休最後の日が憂鬱だな、これでいいのか、など自問自答の日々だった記憶があります。そんな思いが入れ替わり立ち替わり巡っていました。その時出した結論は、

『とりあえず明日だけ頑張ろう』

というものでした。そうやって『とりあえず明日だけ』、その日が終わればまた『とりあえず明日だけ』という感じです。こんな生活がずっと続くのかと思ったら潰れそうな気がしたので、苦肉の策として『とりあえず明日だけ』は頑張ろう、明後日のことは今考えず明日また考えよう、という感じでした。つまりは騙し騙しですね(笑)

『とりあえず明日だけ頑張ろう』というのは今でも使っています。社会人になって長いですが、いいことばかりはなくツラいこともありますから、そういう時の気持ちの持ちようの一つとして、『とりあえず明日だけ頑張ろう』と思うようにしています。自分で自分から逃げたと後ろめたい気持ちに縛られないためでもあります。

置かれた環境によって感じることは人それぞれ違うと思いますが、今言えることは、一時的なネガティブな感情に惑わされ、流されてはダメだ、ということです。ネガティブな感情になることがダメ、と言っているわけではなく、その感情とどう向き合うかということです。

弊社の心理士である本城ハルに教わったことですが、人に言えるような大したことでなくていいから、寝る前などリラックスしている時に、3つ程度『今日の自分を自分で褒めてやる』というものです。どういうことかというと、今日も遅刻せずに出社した、昨日教わったことが忘れずにできた、など些細なことでも構わないから自分で自分を褒めるということです。私は最近『今日請求書を出した』『今日洗濯した』『缶コーヒー飲むのを我慢した』自分を褒めました(笑)誰にも言う必要がないのだから、どんな小さなことでも、人には当たり前と思われることでもいいのです。こうしたことを毎日繰り返していると自己肯定感が下がりにくくなると言われています。

ネガティブな感情は生きている以上、いつでも抱く感情ですから、そういう感情を否定していてはメンタルが疲れてしまいます。ネガティブ感情を受け入れ、それとどう向き合うか、それが自分の人生を大切にすることに繋がるのかな、と思います。

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メンヘラという泥沼世界【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【2】からの続きになります。かなり重たい話になるので閲覧注意です。

益々Sの束縛は強くなり、要求の難易度は高くなっていきましたが、共依存にどっぷりズブズブになっていた私は、『いつも孤独で誰にも理解されないツラさを味わってきたSのことを私だけは理解したい』と必死に彼女を包み込もうとしました。

寂しい、会いたい、そばにいてほしい、誰にも邪魔されたくない、私をわかってくれるのはハルちゃんだけ。

どのメールにもSが望む“解(レス)”があり、それ以外のレスだとOD(オーバードーズ:薬の過剰摂取)をし、手首を切り、失踪を仄めかすメール。そこに私の意思や感情が入り込む隙間はなく、少しでも(否定ではない)意見をしようものなら、手首を切り目を離した隙に首を吊ろうとし、ベランダから飛び降りようとする・・・。そして私の知らないS側の人間を持ち出し「〇〇もそう言ってた」と、人格すべて否定するような凄まじい暴言がエンドレスに続きました。

メンタル安定タイプの私でもゴリゴリ削られ疲弊してきた頃、ついに決定的な出来事が起こりました。

Sと過ごしていた時に抗いようのない睡魔に襲われ(どうやら医師から処方されている睡眠導入剤を盛られたらしい)、目が覚めるとSの小指と私の小指がきつく糸で結ばれ、指先に鈍く痛むかなり深い何かの刺傷がありました。

Sは目覚めた私に「ハルちゃんは絶対に私のこと見捨てないよね?何があっても捨てないよね?信じていいんだよね?」と言い、私は「気持ちはそうでも今のままだと現実難しくなるから、一緒にいるためにはどうしていくことが一番かを考えようよ」とフラフラしながら答えました。私の前に座るSの手には血のついた千枚通しが握られていました。

絶対無理心中する気だと思いましたが、幸い眠っている間に刺されたのは小指の先だけで、他には傷はありませんでした。そしてSは互いの血を飲み“一生離れない”という誓いを立てると言うのです。

まだ睡眠導入剤が残るぼんやりとした頭で私は『ヤクザの盃みたいに皿は和紙に包んで持っておくのか?』などと呑気に考えていましたが、少しずつ覚醒していくにつれ、“勝手に睡眠導入剤を盛られたこと”、“何の承諾もなく千枚通しで小指を刺され採血されたこと”、“わけのわからない一方的な気色悪い血の誓いの要求”・・・と、体の深いところから猛烈に怒りが込み上げ、腹が立ってきました。

それ以上に目の前にいるSがモンスターにしか見えず、「絶対引っ越そう、黙って引っ越して携帯も番号変えて死ぬ気で逃げ切らないとダメだ!逃げ切れなかったら大蛇に喰わせてやる!」とかなりぶっ飛んだ考えしか浮かびませんでした。

とにかく気持ち悪い血の誓いだけは避けなくてはいけないので、必死にSが喜びそうな言葉を並べ、逃げも隠れもしないと話し、その日はSの好物を作り機嫌を取り(当時の私史上最大で盛大なゴマすり)、表面上穏やかに過ごすことに徹しました。

Sと別れた後は夜逃げ屋本舗にお願いする勢いで、その日のうちに部屋を引き払い、職場には事情を話して退職したことにしてもらいました。当然携帯は即刻解約。当時のイベント関係の友人知人から足が付かないように一切の連絡を断ち、2年以上経ってようやく「逃げ切れた・・・かも」と思えるようになりました。

その後Sは違法薬物に手を染めてしまったらしいという噂は耳にしましたが、どうなったかはわかりませんし、知りたくもありませんでした。

私がプライベートでメンヘラと関わらないと決めているのは、この経験があったからです。十分な知識と経験がある今の私ならどうするでしょうか。

やはり絶対に関わりません。

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メンヘラという泥沼世界【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです

【2】では当時を振り返りながら、実際に私が経験したことをお話しようと思います。

メンヘラ度最強なので“ここまで酷くないからメンヘラじゃない”という物差しにはなりません。またメンヘラに男女差はないようですが、男女比では圧倒的に女性が多いように感じます。

以前、セクシャルマイノリティーのコラムでも書きましたが、私は恋愛対象が男女の垣根を越えて成立する、いわゆる“バイセクシャル”で、長いお付き合いの今のパートナー以前は同性がパートナーだった過去もあります。

その彼女を“S(当時27歳)”として、自身もズブズブの共依存になり、友人関係を破壊され、危うく仕事まで失いそうになった経験をお話します。

Sと出会ったのは今から20数年前になります。当時定期的に開催されていた、毎回参加者が300人を超える大掛かりなイベントで、私はビアンの友人と二人で参加しており、Sとはその友人を通して知り合いました。

色白で目が大きく、華奢で可愛いSは何故か全身迷彩でワイルドな私に興味を持ったようで(珍種みたいな感じでしょうか)、友人を通してすぐに連絡先を渡され、ほどなくお付き合いが始まりました。

「わたし、寂しがり屋だから」が第一声でしたが、『人間なんてみな孤独で寂しい生き物だ』と思っている私は気にもせず、「じゃあ寂しい思い、させないようにしないとね」と笑った記憶があります。

始めは友人カップルとダブルデートを楽しんだり、Sと飲みに行ったり水族館へ行ったりと、カップルらしい日々を過ごしていましたが、やがて私の仕事が忙しくなりSからのメールに返信が遅れたり、電話に出られないことが増えてきました。もちろん話はしていましたし、できる限り早めの対応は心掛けていましたが、何しろS自身は「並外れた寂しがり屋でヤキモチ焼き」と話していましたから。

付き合いも3ヶ月を過ぎた頃、「ここ、覚えてる?」「この日、覚えてる?」「そうそう、この時間だったよね?」がやたらと増えてきました。

彼女の誕生日やお付き合いを始めた日、クリスマスくらいは「記念日は忘れてはいけない!」と気にしていますが、Sの可愛い手帳にびっしり書き込まれデコられた“ハルちゃんが初めてウチに来た日に来る途中、コーヒーを買ったコンビニ(買ったコーヒーの銘柄と時間)”、“ハルちゃんと初めて一緒にパスタを食べた日(メニューと時間、場所)”、“ハルちゃんと初めて手を繋いだ日(場所と時間と天気)”なんて覚えていません。

さすがに「いちいち覚えてない」とは言えないので、「大事な記念日は忘れないけど、小さなこと全部は覚えられてないよ、ごめんね」と伝えたところ、大きな目から涙が。“女の子(彼女)を泣かせちゃいけない”がモットーなので、内心焦りまくりで必死で涙の理由を考えました。いくら考えても“忘れた私を責めてる涙”としか思えず、泣き続けるSに訳を尋ねました。

  • ハルちゃんにとって私はその程度の女だってことでしょ。
  • 私はいつもハルちゃんのことばかり考えてるのに、ハルちゃんは違うんだ?
  • どうせ私なんて誰からも愛されない。
  • ハルちゃんがすべてなのに。
  • 私にとって大事なことでもハルちゃんには小さなどうでもいいことなんだ。
  • ハルちゃんに愛されなかったら私は孤独。
  • 誰も私のことなんか理解してくれない。

今なら「えっ?私、何かそんなに酷いことしましたっけ?」と思えますが、当時の私は「彼女泣かせてしまった!」で頭が一杯でひたすら、「そうだったんだ、そこまで考えられなくてSにツラい思いさせちゃってごめんね」と謝り続けることしかできなかったのです。

あの頃に戻り、自分を張り倒したい気分です。

そして、一番してはいけない思考に陥ります・・・。

  • このコには私しかいないんだ。
  • 私がこのコの支えにならなきゃ!守らなきゃ。
  • 私しかSを理解できない、理解しなきゃ。
  • 私がSを幸せにしてあげたい(幸せにして“あげたい”なんて、そもそもその考え自体が傲慢ですが)

と、底なし沼の共依存地獄に片足を突っ込む思考が生まれました。ことあるごとにSはボロボロと大粒の涙を流し、不安や不満を訴え、その度に私は罪悪感に襲われ、どうすることもできず謝るしかなく、惚れた惚れられたなどではなく、完全に依存したい者、依存される者、心理操作する側、振り回される側という歪な関係になっていきました。

連絡が遅いと「寂しくてたまらないから薬を飲んだ」とメールが来て、「なかなか効かないからお酒と一緒に薬を飲んだ(酩酊状態)」とまたメールが来る・・・自分が思ったとおりのリアクションが返ってこなければ「ハルちゃんがわかってくれない」「ハルちゃんにはわかって欲しかったのに、ツラい」と手首を切り、次々と流血画像が送られてきました。

「ハルちゃんが他の人を好きになったら、その人とハルちゃんを殺して私も死ぬ」と私の携帯電話からSの連絡先以外全部を消そうとする、友達と会うと言っても絶対に付いてくる、「少しぐらい仕事遅れていいんでしょ、ハルちゃんと居たい」「今日はどこにも行かないでそばにいて。でなきゃ手首を切る」・・・と要求や言動、行動がどんどんエスカレートしていきました。

これは昼ドラではなく現実のことです。

【3】では歪な関係がどのような結末を迎えたのかを含め、ますます狂気に飲み込まれていった話の続きになります。

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メンヘラという泥沼世界【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

当時2ちゃんねるのメンタルヘルス板から生まれた2ちゃん用語の“メンヘラ”。耳慣れなかったこの言葉も市民権を得て随分経つので、耳にしたことがある人が多いのではないでしょうか。

今はメンヘラに加え、ヤンデレという言葉もあり、わざわざ“泣き腫らしたような目元”を演出する病みメイクなるものもあるようです。これが男心をどう刺激するのかはわかりません。

適当に泣いて目を擦れば良いのでは?と思ってしまう、そんな私はどんな流行にもいつも周回遅れです。

そして、世の中にはなぜか一定数メンヘラ/ヤンデレ好きが存在しています。

病的な依存や見捨てられ不安からくる束縛、試し行為「私だけを見てッ!」を一途と捉えるのであれば一途と言えないこともない・・・かもしれないですし、メンタル不安定なのを“守ってあげたい”、“自分が何とかしてあげたい/しなきゃ”と捉えると父性本能や何らかの保護欲を刺激されたりする・・・のかもしれません。

“メンヘラ”・“ヤンデレ”、どちらも医学用語ではないので当然診断名はありません。医学的にはっきりした定義はありませんが、主訴やさまざまな症状を繋ぎ合わせ、何とかして診断名を付けざるを得ないので、大概はタイプが幾つかに分かれている【パーソナリティー障害】の何か、多くが生育環境において親子関係に何らかの問題を抱えたまま成長し、人間関係に躓きやすさを持つ【アタッチメント不全/愛着障害】などと記載されます。

メンヘラとは状況次第で誰もが陥る可能性がある“鬱”のようなものではなく、独特の認知(の歪み)からくる、これまた独特の行動様式がある、と考えます。

今回はメンヘラやヤンデレがなぜ出来上がるのか?という原因部分ではなく、表面化しやすい行動や思考を考えてみます。気が向けばいつか原因と考えられる部分についても書くかもしれません。

公私問わず、今までに多くの“メンヘラ”と思われる人たちと関わってきましたが、彼らには必ず共通することがあります。

  • 強い執着/依存
  • 何らかの依存症→アルコール・ギャンブル・セックス・ゲーム・SNS・買い物など
  • 見捨てられ不安
  • 試し行為
  • 空虚感と孤独感
  • 自殺念慮
  • 自傷行為→OD(オーバードーズ/薬の過剰摂取)、リストカットやそれに準ずるもの
  • 承認欲求の強さ
  • 傷付き恐怖
  • 被害者意識
  • 感情コントロール不可能
  • 思い込みの強さ
  • 対人関係の不安定さ
  • 地雷(?)を踏み抜いてしまった時の激しい行動化

などです。一見するとなかなかドラマチックな人生を送っているように見えるのですが、その渦に巻き込まれる距離にいると、底なし沼にズブズブと足を取られ、あっという間に共依存の罠にはまります。

共存、共生と違い、共依存は病的な関係です。

恋愛関係においてメンヘラが求める関係は究極の二者間関係が多く、友人関係を破壊され、社会的に孤立し、仕事さえ行けず、まさに“ふたりだけの世界”に持ち込まれた例も少なくありません。

「死にたい」「生きている意味がわからない」「誰からも必要とされない」「私なんかいないほうがいい」「本当は私のこと愛してないんでしょ」と、事あるごとにループし、答え方を間違えると(こう答えてほしい、という彼らなりの解を間違えること)、それ以外は揚げ足を取るようなエンドレスなやり取りで話の矛先がコロコロ変わって泥沼化、激怒スイッチオン、家出や自傷スタートのいずれかにシフトします。

のべつまくなしのラインや電話(鬼ライン、鬼電というらしい)、血まみれリストカット画像の送信、いきなりの「さようなら」はあまりにも有名なよくアルアルです。

次回は過去に最強メンヘラな彼女に振り回された経験と、なぜ彼女がそのような行動を取るようになったのかを【2】【3】に分けてお話しようと思います。

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障害を免罪符にしてはいけない

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

重たいタイトルですが、そのままです。

(発達)障害を持つ子供の親として日常生活を送る中で、黒い点だったものがいつしか私の胸にモヤモヤと広がっていき、その出所を辿っていった先にあったのがタイトルの【障害を免罪符にしてはいけない】という思いでした。

重複発達障害を持つ息子は、いずれ自分に合ったライフハックを見つけ、社会生活を営むために自身や工夫しながら生活スタイルを整えていく必要がありますが、今はまだ中学生なので日常生活のあらゆる場面で声がけや配慮が必要です。

何でもできるスーパーマンみたいな人間はこの世に存在しませんが、障害故にできないこと、苦手なことが人よりも多くあり、誰かの手や声がけ(今はもっぱら親の手と声がけ)を必要としなくてはいけない場面がこの先もあると思います。

息子には早い段階で障害告知をしていて、段階的に特性を伝え、理解に繋げていっている最中です。どう頑張ってもできないことがあるのは仕方ないことですが、「そのくらいやってくれたっていいじゃん!」「僕にはADHDがあるんだからやってくれて当たり前じゃん」という言葉が出た時には思いっきり叱り飛ばしました。

サポートしてもらうのは“当たり前”ではないのです。

「配慮やサポートはやってもらって当然」この考えは(定型、身体障害、発達障害問わず)とても危険です。サポートする側が『困っている人を助けるのは人として当たり前』と考えるのと、サポートをしてもらう側が『やってくれて当たり前』と考えるのは大きな違いがあります。

「気をつけてメモを取るように心掛けていますが、忘れっぽいところや他の作業に取り組んでいる時には、他に注意が向きにくいのでひと声かけてくれたら助かります」が本来の気の持ち方だと思っているのです。これが「忘れっぽいって言ったんだから声かけてくれてもいいじゃない(声かけてくれるのが“当たり前”)」だと、誰も協力したり力になろうという気は起きません。障害があろうとなかろうとだと思います。

障害がない人でも、誰かの手やサポートを必要とすることがあります。例えば、外国人と接する時、英語を話せない場合。身近に英語を話せる人がいれば力を借りようとしませんか?その時『俺は(私は)英語が話せないんだから、話せるあなたが相手をするのは当たり前!』と思うでしょうか。大概は「英語を話せないので、ちょっとお願いしてもいいですか?」に自然と態度がなっているはずです。障害があってもこの心持ちが大切だと思うのです。

【やってもらって当たり前】

とても傲慢な考えに思えませんか?少なくとも私にはその姿勢が傲慢で偉そうに感じます。そんな態度をされたら、とても不愉快になると思います。

【共生社会】

とても良い言葉ですし、理念も素晴らしいと思います。それには障害があろうとなかろうと「お手間お掛けします」「いえいえお互い様ですから」「ありがとうございます、助かります」「何かあったら声をかけてくださいね」・・・支援や配慮を何もしたくない、と言っているわけではありません。お互いに気持ちよく社会生活を送る上で、この姿勢が何より大切なのではないか?と考えているのです。どちらかが不愉快な思いをしたり、我慢を強いられる社会は共生とは言えません。

不必要に腰を低く「申し訳ありません」「すみません、ごめんなさい」と生きろなんて、これっぽっちも思いません。

「ごめんなさい/申し訳ありません」も「ありがとう/ありがとうございます」も魔法の言葉ですが、支援や配慮に対しては「ありがとう/ありがとうございます/助かります」の気持ちが何より大切な気がするのです。所謂、【謙虚な姿勢】ですね。

恥ずかしながら私は並外れた方向音痴で、いつもパートナーには手間をかけさせていますが「方向音痴でごめんね」ではなく「いつもありがとう、助かる!」です。これが「方向音痴って知ってるんだから教えてくれたっていいじゃない/教えてくれるのが当たり前だよね」だと、わかっていてもパートナーはカチン!とくるはずです。(実際パートナーに、もし私がそういう態度だったらどう思う?と聞いたことがありますが、「方向音痴以前に人としてダメだ」と言われました)

何が違うのかというと【感謝】の気持ちを常に持っていることです。

「わかってくれて当然」「やってくれて当たり前」

どんなに関係や距離が近くても自分以外この世は全部他者です。あなたを気遣ってくれるのは、気遣ってくれる人のあなたへの“好意”や“愛情”で、それは当たり前ではない、とわかると感謝の気持ちが生まれるのではないでしょうか。夫婦関係にも通じるかもしれませんね。

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本当の感情や思いは言葉の裏に潜む

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人はすべての思いや感情をなかなか言葉にしません。なので、言葉の裏にはいろいろな思いや感情が隠されています。

反動形成でもお話しましたが、言葉にしないその裏にあるものは、

  • 心配をかけたくない。
  • 手間をかけさせたくない。
  • 嫌われたくない。
  • 生活(仕事)に支障が出る。
  • それくらい汲み取ってほしい(察してちゃん)。
  • 面倒くさい。

など、相手との関係や距離の中で、意識的、無意識的かは関係なく、さまざまな複雑な思いや願望、思いやりや甘えなどが交錯しているものです。

だったら思ってることを言えばいいんじゃないの?』

そう思う人もいると思います。

仮に、皆がみな、自分の感情に正直(これは大切なことですが、それは自分の感情に“自分自身が”素直になることで、必ずしも他者に向けてではありません)に思っていることすべてそのまま言葉にすると、人間関係ではどのようなことが起こるでしょうか。

あなたがやらかしたわけではなく、上司の指示が曖昧だったため起きたミスを責任転嫁/理不尽な理由で「ホントに君は何度同じことを言わせるんだ!」と皆の前で叱られたとしましょう。相手は上司という立場であり、関係が悪化すると仕事がとてもやりづらくなります。心の中では『うっせぇハゲ!テメェの指示がわからな過ぎなんじゃい!』と思っても実際には「申し訳ありません」と謝るしかありません。心の声を口に出したらどのようなことになるのか、火を見るより明らかなのがわかるからです。

ポジティブなものだけではないのが感情や気持ちですから、受け取る側がどう受け取るか、感じるのかを考えずにそのまま正直に口にしたとすると、果たして円滑な人間関係が築いていけるでしょうか。

相手には「無礼だ」「無神経」「思いやりがない」「自分勝手」と映ってしまいます。たとえあなたに相手を不快にさせよう、傷つけようなんて気持ちは1mmもなく、『思ったことを言っただけ』であってもです。

とても簡単な例を挙げます。

両手に重たい荷物を持っている彼女に「大丈夫?」と聞いたとします。

「う〜ん・・・大丈夫、重いけど・・・。」と返ってきたら、それは本当は大丈夫ではないのです(笑)

『持ってくれたら嬉しいな(助かるな)』で、この「・・・」の部分に隠されているのが言葉の裏にある思い、ということになります。

大丈夫だって言ったから持たなくていい、ではないということです。この場合、「重そうだね、持とうか?」が言葉の裏を読んだコミュニケーションの正解になります。

もちろん、お互いの距離が近くなり付き合いも長くなれば「重いから一つ持ってもらえる?」と言えるようになると思いますし、「僕が(わたしが)持つよ」と言いやすくなるでしょう。

この事例は職場でも当てはまるのではないでしょうか。締め切り間近にも関わらず、まだ終わる目処が立っていそうもない人、残業が多い人、あまり休めていない人などには「大丈夫?」と声をかけたり、逆に声をかけられたことはありませんか?仕事内容によっては手伝えたり、手伝えなくても、相手の「うん・・・大丈夫・・・」の言葉に隠れた「・・・」を感じ、励ましの言葉をひと言ふた言かけたことはあるのではないでしょうか。例えば「このプロジェクトが終わったら飲みに行こう」「週末、美味しいものでも食べに行こうよ」などと。

また、「〇〇やっといてね、わかった?」「・・・わかった」

なんて場面も結構あります。ノンバーバルに目を向けると口を尖らせていたり、目を合わせなかったりソッポを向いている時があります。思いっきり“異議あり”or“不満”のサインです。

言葉の表面だけを拾うと「わかった、って言ったじゃない!」になります。だいたいこの「わかった?」「・・・わかった」の言葉の裏(・・・の部分)には「うわメンドクサー、わかったって言っておこう」が見え見えに隠れているのがわかると思います。

人の言葉の裏には隠された本音や気持ち、思いが隠されているものだということを頭の片隅に入れておきましょう。

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