緊急寄稿:新型コロナウイルスによるメンタルリスク

メンタル・イデア・ラボの代表を務めるスミです。

新型コロナウイルスの影響により、当初は首都圏や関西、福岡に緊急事態宣言が出され、今や全国に緊急事態宣言が出されるに至りました。生活が一変し、日常とは違う生活を強いられていることだろうと思います。一応来月6日までということですが、それで済むかいえば甚だ疑問です。

英国では以前より緊急事態宣言が出されており、そこで静かに社会問題化しているのがDVであることが報道されていました。恐らく虐待も増加していると想像します。

経済的に苦しくなり、徐々にメンタルが不安定になっていった結果、DVや虐待が誰の身にも起き得るということを理解しておくことが大切です。最悪の場合、離婚に発展することもあるようです。『コロナ離婚』という言葉も既に耳にします。

夫の収入が不安定になり(あるいは無くなり)、生活が維持できなくなるのではないか、これからどう生活していけばいいのか、という極度な不安がメンタルを追い詰め、DV、虐待という形で顕れることがあります。それが酷くなれば、当然一緒に生活できないとなり、離婚へ至る夫婦もあるようです。

2019年8月19日のコラムで、弊社の心理士である本城がモラルハラスメントについて書いていますので、それと合わせて読まれることをお勧めします。というのも、今の社会的・経済的不安定の状況にこそ、モラルハラスメントが顕在化し、横行し、今まで他人事だと思っていたことが突如自分の身に起きる可能性が高まるからです。

世間全体が今、我慢を強いられています。テレワーク、在宅勤務ができている人で、収入面でもそれほど心配ではなくても、夫婦関係、親子関係は別であることは肝に命じておくとよいと思います。外出自粛も相まって四六時中一緒に居れば、家庭でも多少の差はあれ、イライラが溜まってくるものです。子供も学校は休校状態であり、子供の面倒を見ながらの在宅勤務、テレワークなど、やはり心理的負担は大きいはずです。

そんな状態が毎日続くわけですから、当然イライラが溜まり、時として心にもなく、“つい”キツい言葉が出てしまうかもしれません。そこからゆっくりと気持ちのスレ違いのようなことが進行し、知らず知らずのうちに溝が出来てしまう、ことになりかねないのです。

収入面での心配が生じてしまっている場合は、よりメンタルを直撃し深刻になりやすくなります。私もリーマンショックの時などは本当に辛かったし、今思えば軽い鬱になっていたのではないかと思うくらいです。しかし今回は、それを上回る規模で景気が急速に後退しつつあります。行政機関からの休業要請もあり、支援金などの制度を活用したところで再開の目処が立たないうちは、不安はまったく払拭されません。このような状況で

どうメンタルを保てばいいのか?

これは経済的な問題と同時に重要な問題です。経済的な問題は死活問題ですから、同時にダイレクトにメンタルにも影響してきます。私がリーマンショックの時に感じた、重苦しく不安しかないメンタル状態にならないために、メンタルをいかに保って難局を乗り越えていくかが、今、最も重要なもうひとつのテーマです。

しかし『これ!』という方法はありません。ただ不安に呑み込まれないようにすることが肝要です。そのためには、

今の自分の現状を受け入れること

出来ることから行動すること(今なら行政機関の支援制度を調べ行動するなど)、

そして親など身内、知人、友人と相談も含めた世間話すること

です。これを【意識的に】おこなうことです。【意識的に】がミソです。この時、心配をかけたくないとか、見栄、羞恥心は最大の敵になるので、そういう類の感情は早く捨てたほうがいいと思われます。社会全体が有事なのですから、ヘンにカッコ付けるのは危険です。社会全体が有事だからこそ、むしろ共感が得られやすいかもしれません。

共感できる人や共感し合える人がいることは、メンタルにとって非常に重要なことです。

どうか共感し合える人を一人でもいいので見つけてほしいと思います。決して独りで抱え込まないことが肝要です。

このように、自分ができる小さなことを行動に移すことで、不安に呑み込まれにくくなります。ただし、不安が解消されるわけではないことに注意してください。不安に呑み込まれにくくなることで、少しずつ出来ることが見えてきたり、夫婦や恋人との会話であれば、思わず前向きな言葉が出てくるかもしれません。こういう時、夫婦や恋人は戦友のように共に励まし、助け合う関係になり、絆がさらに深まる機会でもあります。単身であれば仲間同士で励まし合い、信頼関係が一層深まる機会でもあります。つまり、こういう時は

孤立化しないこと

が重要です。孤立化しなければ、メンタルが不安に呑み込まれにくくなり、深刻な状態に至らない予防になり得ます。

今、新型コロナウイルスに感染しないことが最も重要なことですが、次に重要なのは、意外と見落としがちな【メンタルをいかに保つか?】です。今こそ自分のメンタルのしなやかさが問われています。

メンタルは不安に駆られているうちに壊れていきます。メンタルが壊れてしまっては、出来ることすらする気がなくなります。つまり気力が奪われます。さらに心がささくれ立ち、今まで築き上げた人間関係すら壊してしまうことになりかねません。

この度のことは長期戦が予想されます。この長期戦を乗り越えるには、

自らのメンタルに目を向け、気力を奪われないように、メンタルを自己管理すること

が重要です。

その方法のヒントについては、以前の本コラムに本城が書いていますので参考までに記載しておきます。

2020年1月15日コラム

2019年11月20日コラム

2019年11月15日コラム

2019年10月31日コラム

2019年9月21日コラム

上記以外にもヒントになるコラムがあるかもしれません。どうぞ参考にしてみてください。

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在宅勤務、いかがですか?

メンタル・イデア・ラボの代表を務めるスミです。

世間は新型コロナウイルスの影響でテレワークを実施している企業もあると聞きます。要は在宅勤務ですね。インターネットのニュースでは在宅勤務で逆に『孤立化』が進行しているケースもあるとか。あるいは自宅待機(休日とは違い自宅に居るという勤務状態)を命じられ、いつ会社から連絡が入ってもいいように自宅に居なければならず、それが却ってストレスに感じる職種の人もいるようです。

いずれにしても、慣れないことを強いられているので無理もありません。新型コロナウイルスの影響はメンタルのバランスにも及んでいるようです。

在宅勤務だからといって、企業は安心することは禁物です。在宅勤務だからこそ、新型コロナウイルスの感染リスクは避けられるとしても、上記のような慣れないことでメンタルのバランスを崩す従業員が出るとも限りません。

例えばインターネットのニュースにもあった

在宅勤務による『孤立化』

とはどういうことか?

いつもは毎朝出勤し、上司、同僚、部下、先輩、後輩、顧客などに囲まれて仕事をしています。周囲の人の進捗状況を見たり、コミュニケーションを取りながら仕事をしているわけです。言葉を交わさずとも、そばに人がいる、という職場そのものが孤立化しない環境に自動的になっています。

しかし在宅勤務は、周囲にそんな人はいません。それは何を意味するかというと、周囲の人の進捗状況はわかりにくく、言葉や表情など直接的なコミュニケーションもほぼ取れない状態に陥るということです。コミュニケーションとは言葉を交わすことだけではありません。相手の顔色や態度、表情など、言葉以外の情報を瞬時に整理することもコミュニケーションなのです。それを【ノンバーバルコミュニケーション】といいます。このノンバーバルコミュニケーションがほぼ取れない状態が在宅勤務です。

ノンバーバルコミュニケーションがほぼ取れない環境で考えられるリスクとして、周囲に迷惑をかけないようにしようと無理(あるいは無駄)に仕事をしてしまう、あるいは見えないプレッシャーに常に晒されるなどが考えられます。そういう人は一定数必ず出てくるでしょう。また子育てや介護、家事をしながら業務もしっかり遂行しなければいけないプレッシャーに強い焦りや苛立ちを感じる人も出てくるかもしれません。

仕事の場と生活の場が同じという環境での精神的両立は、かなりのストレスを要することは容易に想像できます。

こうしたことが複合的に絡み合い、やがてメンタルのバランスを崩してしまう人は確実に出てくるでしょう。

崩してしまうと、崩す前に戻すにはかなり時間を要し、場合によっては医療機関を受診する事態になります。そうなっては、従業員の社会復帰は相当難しくなります。

企業はこうしたリスクを考慮しなければなりません。

企業は従業員が完全にメンタルのバランスを崩してしまう前に、適切な対応をおこなう必要があります。

企業の適切な対応には、日頃から従業員のメンタルをしっかりとケアし、サポートする態勢を整えておくことがあります。それは従業員が身体疾患同様、精神疾患で医療機関にかからないように、例えば私たちのような医療機関や行政機関とも連携するメンタルの専門家である心理士を活用し、

予防的【砦】を確保すること

というものです。

産業医に相談することを推奨することも悪くありませんが、医療機関の受診へと進んでしまう恐れがあり、一見安心に思えても、それは予防ではなく疾患となり、通院する負担や処方薬を手放せなくなるなど、従業員のクオリティ・オブ・ライフに何らかの影響を及ぼします。

在宅勤務は皮肉にも今回の新型コロナウイルスが契機となって、これから新たな働き方として広く普及・定着するかもしれません。そうなれば、顔を合わせないリスクの対策として、コミュニケーションをどう円滑化するか、メンタルのバランスをいかに保つか、保たせるか、がこれからの企業の人事課題、労務課題になってくるのではないでしょうか。今からでも決して遅くはありません。

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来年4月から施行される改正児童虐待防止法についての私見

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は近年激増する児童虐待に、とうとう厚生労働省がガイドラインを設け指針案を発表したことについて、私見を書いてみようと思います。

罪のない子供の命を守る、子供の人権を守り個人を尊重するという観点からそれ自体は大賛成ですし、虐待問題は社会全体として重く考えるべき課題だと思っています。イギリスやカナダには公的なアドボケイト制度があります。

アドボケイトとは子供(当事者)の意向に寄り添い、聞き取り、その権利を擁護代弁していくことで、その擁護代弁していく人のことをアドボケイターと言います。海外では弁護士がその役割を担うケースも多く見られますが、日本ではこの取り組み自体が新しく、ようやくアドボケイターの養成に着手したところです。

しかし一方で、今回の指針案の内容を読んで違和感を覚え、考えさせられたのも事実です。

自分の職業云々の前に、私も思春期男子の母親であり、今まで散々子供の教育、躾に悩んできましたし、今もその最中にいます。そして、まだしばらく続くであろうことでもあり、ゲンナリもしています。

実際罰則はないとはいえ、今回の指針案を見ると、かなりの“ダメ”が明記されており、仮にこれを家庭できっちり守り、やり切ろうとすると相当な無理が生じるような気がします。親を辞めたくなる人が続出しそうです。

厚生労働省指針案による

今までは家庭の考えや方針のもと、教育や躾は個々の家庭に委ねられてきました。アメとムチ、という言葉があるように、そのアメやムチをどう使い分け、我が子を躾けていくのか?だった気がします。虐待のガイドラインが設定されたことで、今回『ムチは全面禁止』となるわけです。

我が家ではどうだったのか?を考えてみました。子供に正座をさせたこともありますし、お尻ペンペンもやりました。頭ゴンッ!とゲンコツを喰らわせたことも、結果晩ご飯抜きになってしまった・・・もあります。でも、こぼしながらご飯を食べた、言うことを聞かなかった(広義ではそうなりますが)などの理由ではありません。

自分(子供自身)や他者を重大な危険にさらす可能性のある行為、公序良俗に反したり、他者に重大な不利益や迷惑をかけるかもしれない行為に対しては『じっくりしっかり言い聞かせる』は後に回し、とにかく今すぐに“手をピシャリ”、“頭ゴンッ!”で理解させなくてはいけない場面もあるのではないでしょうか。

親側が不快になる、大変な思いをする、思い通りにならない・・・などの理由で感情をぶつける意味での殴る蹴る、ひっぱたくは明らかに虐待と言えますが、日常的に起こるさまざまなことに対峙し、その場その場で対応していくのは保護者、今はまだもっぱら母親がその役割を担うことが多く、それゆえに追い詰められやすいのも母親です。

虐待したくてする親はいない、私はそう思っています。ならば、実現不可能に近い虐待のガイドラインを作り、あれダメこれダメを設定するよりも、

虐待しそうになるとても苦しく孤立を感じた時に適切な支援をおこなう、毎日必死でいっぱいいっぱいになっている保護者の小さな訴えに24時間いつでも話を聞いてもらえる窓口が、もっともっと身近に必要ではないか

と考えます。一応民間を含めいろいろな電話相談窓口はありますが、とにかく繋がりません。本当に何回、何十回かけても繋がらないのです。

余談ですが、中学1年の息子は重複の発達障害を持っていて、発達性協調運動や眼球運動、微細運動や粗大運動にも問題を抱えています。とても見落とされやすく、表面だけを見ると障害があることさえわかりません。「あなたが発達障害を作ったんじゃないの?」「そんなふうに見えないんだけど・・・。普通じゃない?神経質過ぎ」などなど、無知からくる無理解極まりない人たちにゴリゴリと心を削られてきました。

学校はもちろん、考えうるすべての支援機関と繋がり、専門家の支援やアドバイスをもらっている私でさえ、一歩間違えれば取り返しのつかないことをしてしまったであろう場面が幾度となくありました。それを支えてくれているのは、私自身を取り巻く状況を誰よりも知るパートナー、そして長い付き合いの大切な友人たちです。彼らがいなければ、母子心中してもおかしくなかったと思います。

わからないことはすぐに調べ上げてフットワーク軽くどこへでも出向き、必要とあらば発達障害に関する資格をいくつも取得する私でも、学校や支援機関、行政機関の窓口と手続きの複雑さや煩雑さ、細かな申し送りがなされなかった時の不便さ、もどかしさを知っています。

必要なのは虐待の細かい指針を決め『これを守りましょう』『これはやってはダメです』と親を執拗に縛ることではなく、追い詰められてもいろんな事情で助けの声を上げられない、上げ方がわからない、訴える場所もわからない、ゆえに孤立していく(かもしれない)

育児難民(予備軍)を生まない枠組み

を考えることではないか、と私は思います。

<運営会社:Jiyuuku Inc. ESSAY

大阪小6女児誘拐事件から考えること

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

大阪でSNSが発端で未成年が巻き込まれた事件がまた起こってしまいました。すべてが表に出ていなくても、SNSが発端の事件やトラブルは案外起こっています。

今回はインターネット(SNS)を介することで無意識に生まれてしまう独特の心理をお話したいと思います。

我が家にも中二病真っ最中の思春期男子がいますが、ゲーム障害の懸念と私の教育方針からインターネット機能がないキッズ携帯しか持たせていません。

フィルタリングを掛けたタブレットは、基本私の目の届くところで最長30分使用・・・という、スマホを与えている家庭にはない厳しいルールを設けています。

ゲーム障害については、以前このコラムで書きましたので、そちらを参照してください。

幼少期から「知らない人には付いて行ってはいけません」と口を酸っぱく言われながら育つ子供たちが、何故こうも簡単に事件に巻き込まれるのでしょうか?

ここには成長過程で当たり前に訪れる、いずれ精神的に自立していく(親離れ準備)ために“必要な”反抗期とSNSやそれらを通して共通項を発見(オンラインゲームやアニメなど多数)した時に感じる親近感などにより、反発する親以外の自分より圧倒的な知識を持つ大人に対する尊敬や憧れ危機感を持たせにくくしてしまう

思い込みマジック

が関係しています。

私はゲームといえば将棋と囲碁くらいしかやらないのでよくわからないのですが、オンラインゲームは顔も名前も当然素性もわからない人物とインターネットで繋がり、チームを組んで同じ目的のためにプレイするようです。

最初は同じ目的がスタート、そこで力を合わせ味方としてゲームのクリアを目指すうちに、強い仲間意識が生まれるまでは理解できますよね。そこからチャットやダイレクトメッセージのやり取りが絡むと、その中で相手に対し無意識に自分の良いイメージ、悪いイメージが

第ゼロ印象

として刻まれます。ただ、第ゼロ印象がすこぶる悪ければ「チームとして力は合わせるけど・・・」で、わざわざ1対1で会おうとはしないでしょう。

同じ目的➡︎仲間意識➡︎ダイレクトメッセージでのプラス印象。でも、これはオンラインゲームを通して“だけ”見える、他者のたった一部なのですよね。実際顔を合わせても他者の本質など時間をかけなければわからないのに、何故、文字列や声を聞くだけで“いい人”だろうと錯覚してしまうのでしょうか。

そこには社会経験もなくリスクマネジメントができない未成年であることを忘れ、『自分は大丈夫』という根拠のない自信だったり、自立していくために必要な親離れ反抗期からくる『親は何もわかってくれない』『親うぜぇ』『自分はもう子供じゃない(自他に責任を負えないから未成年なのですが)』『自由になりたい、もう家出したい』などの心理が働きます。中高生時代、一度は思ったことがある人も多いのではないでしょうか。

思春期は学校では友人関係や上下関係で悩み、家では親との関係で悩み、漠然と将来に不安を覚え・・・ですから、精神的にとても不安定になりやすい時期でもあるので、親ではない自分の中でフラット、プラス印象を持つ大人から(演技でも)共感され「話を聞くよ」「力になるよ」「ウチに来ない?」などと言われると、未熟な子供たちは『いい人』に映りますよね、やはり。

もちろん、大人でも“その人物の本質”を見抜けず、コロッと騙されたり、事件に巻き込まれることは多々あるのですが、経験・知識不足、対応力不足の未熟な未成年とでは比になりません。

何かが起こってからでは遅いので、何もかも学校任せ、学校頼みにするのではなく、家庭でも

危機意識を持ち、それを家族で共有

し、子供に先の見通しを立てさせながら一緒に“身近にある危険”について話ができるようでありたいものです。

余談ですが、最近は家庭対応の範疇だろうと思われることまで学校に持ち込む保護者が多いことに驚きます。実際にあった話では、

「ウチの子は何度起こしても起きないから、先生がモーニングコールしてください」

あり得ないです(笑)