マスク、どうしてる?

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたか?仕事だった人、帰省した人、レジャーへ行った人、さまざまだったと思います。コロナ5類移行直前だったこともあり、ほぼ気兼ねなく過ごせたゴールデンウィークだったのではないでしょうか。

東京は外国人観光客が増えたと実感します。私が住む地域では普段見かけない欧米系の外国人やファミリーらしきグループが、大きなキャリーケースを引っ張る姿を見かけるようになりました。電車や駅ではそんな外国人を多く目にします。

日本も今週から5類に移行し、マスクや手指消毒も不要になりました。マスクをする自由はあっていいと思う一方で、“いつまでもマスクをする日本人”として、一部非難めいた論調があるのも事実です。だからとて『外せ』と強要するのは明確に違います。

全体としては様子見のように思いますが、マスクをしていることにいちいち目くじらを立てる必要もないと思っています。

個人的には公共交通機関を利用する時はマスクをしてしまいます。してしまう、という心理が働くのは、やはりまだコロナに感染している人がいるということ、飛沫感染するということ、有効な薬も治療法も確立されていないということ、この3点がどうしても引っかかって、電車内ではマスクをしてしまいます。

両親が高齢であること、身近に基礎疾患のある友人がいること、こうした理由もあります。

特に夜の帰宅時間帯の電車は、アルコールも入って機嫌よく話している乗客もいるので、予防というより気休めにマスクをしています。医学的に有効なのか有効でないのか、ということを考えても両論あるようですし、素人の私が有効性の有無を知る術もなく、だったらマスクをして、それでもし感染したら諦めがつくかな、という感じです。免責と自責の念を抱かないためですね(笑)

ただ街を歩いている時はマスクは外しています。これはもう屋外では外してもよい、となってからそうしています。だからマスクを持ち歩いて過ごしています。

企業へ行くことがありますが、大体どこの企業でもマスクをしている人、していない人、半々の印象です。表情がわかりにくいという欠点はありますが今さらという感もありますし、私はマスクをする自由はあって然るべきだと思います。また、マスクをする事情がある人も一定数存在しているはずです。

接客業で働く人たちは概ねマスクを着用している印象です。しばらくは外さないように会社から言われていると想像します。

一方で、ルッキズムによってマスクを外せない、という問題もあるようです。これは本城が後日どこかでコラムに書くと思いますが、これは感染予防ということではなく質が違う問題で、メンタルに関わってくるデリケートな問題だと認識しています。

ルッキズムについて、ここでは顔に限定しますが、コロナ以降に出会った人はマスクをしている顔しか知りません。顔全体を見た時、心の中で一瞬『ん?誰だっけ?→あぁ!◯◯さんだ!→そんな顔してたんだ!』という感想を抱くと思います。

マスクだけの印象で可愛い、カッコいい、綺麗、シブいなど勝手に無意識にイメージを膨らませていたことが原因だと思いますが、それは仕方のないことです。

大事なのは、実際に相手の顔全体を見た時に、差別的感情や感想を持たないことだろうと思います。例えば『案外ブスだな』とか『えっ!?そんな顔だったの!?(ガッカリ)』という感想です。顔を全体を見て抱く感想はお互い様ですから、むしろ新鮮な気持ちを抱いてほしいと思います。

同じ人ですが新たに出会ったみたいな感覚ですね。途中で調味料を加えると味変して二度美味しい思いをしたことはありませんか?そんなイメージです。

同じ相手に二度出会える、新しい出会いとは違った新鮮さを感じると思います。これはコロナでマスク生活を強いられた副産物ですが、人生でそう経験できるものではありません。

ただ気をつけなければいけないのは、そのことを下手に口にすると褒めたつもりでもハラスメントや差別発言と捉えられるご時世なので、何も言わずにスルーすることが肝心になります・・・。気心知れた関係の相手限定で褒めましょう(笑)

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注意機能【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人には触覚をはじめ全身に多くの感覚器官があり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚からも膨大な量の感覚情報が大脳に送られます。

しかし、脳の情報処理には限界があるため入力された一部の感覚情報を取捨選択しています。今重要な情報にフォーカスし意識を向け集中するというのが注意機能の役割になります。

人の意識には無意識(潜在意識)/意識(顕在意識)があるのはご存知だと思います。生活する上で今必要な情報を抜き出し意識に上げ(顕在化)、大部分の情報は意識に上げない(潜在化)フィルターを持っています。

定型(もしくは健常者)と言われるタイプの人は、五感から入る多くの情報から無意識に今必要(重要)な情報を拾い上げ(選択・集中)顕在化しています。

スマートフォンで行き先を確認しながら歩いていて横断歩道に差し掛かった、と想像してみてください。目の前の信号を確認するのはもちろん、対向車が右左折しようとしていないか、スピードを出した車がこちらに向かって来ていないか、点滅する黄信号で向こうに渡り切れるか、自転車やバイクはいないか、渡ったらどちらの方向か、などさまざまな情報を無意識に感覚器官から受け取っていますよね。

定型(もしくは健常者)が意図せず無意識にやっている作業でも、発達障害/高次機能障害/認知症などがあると、多くの情報から特定の情報を拾い上げる注意の集中・選択が苦手だったり、できないことで日常生活に支障が出ることも多くあります。

ASDなどで感覚過敏があったりADHDがあると、感覚情報が多すぎて押し潰れそうに感じたり、脳内整理ができずパニックになったり、思考がフリーズしてしまう場合もあるのです。

自分ができることは誰でもできるだろうと思ってしまいがちですが、目に見えない特性から不得手だったり、できない人もいる、ということを知るのは大切なことだと思っています。

4月のコラムは5日水曜日は春季休業のため休載し、10日月曜日より掲載します。

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注意機能【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前このコラムにも書きましたが、認知心理学で使う『注意』は、一般的に使われる“頭上注意”や“大雨注意報”とは意味が異なるという話をしました。

2020.6.5コラムより

私たちは『注意』をさまざまな認知機能のベースになるものと考えています。

注意の定義はなかなか難しいのですが、日常に溢れ返る多くの情報から自分に必要/大切な情報を選択する、選択/処理機能、それが『注意』であるといえます。

『注意』には大きく分けて【全般性注意】【方向性注意】がありますが、今回は私たちが日常的によく使う機能、全般性注意をお話ししようと思います。

全般性注意には、【持続性注意】【選択性注意】【転換性注意】【分配性注意】があります。持続“的”、選択“的”という表現もしますが意味は同じです。それぞれについて説明します。

【持続性注意】
持続する、繰り返しおこなわれる活動/作業の間(話を聞く/読書/勉強/運転など)、その行動を持続させる力。 ← 最も低次で基本的な注意。
読書/書類整理/勉強/運転などの作業を例にとると、注意集中を妨げる要因がない静かな環境で、一定時間集中して作業や行動を継続する能力のことをいいます。
【選択性注意】
複数の刺激がある状態(テレビ/他人の会話/外部の騒音など)がある環境で、これらの外部刺激を無視し、本来の目的作業、行動のみに専念する力。
アナウンスや音楽が流れ、人出も多い雑踏の中を歩きながら友人の話に耳を傾けるような状況で発揮される力です。
【転換性注意】
複数の情報処理を交互におこなう力のことで、例えば勉強中に電話がかかってきた時に電話対応中は勉強の手を止め中断し、電話を切った後にすぐまた勉強を再開する、などです。
この力が弱いと、止めなくてはいけないのにゲームを止められず、どんどん風呂に入る時間が遅くなってしまう/部屋の片付け中に出てきた雑誌を読み耽ってしまい、部屋が片付かない、などが起こりやすくなります。
【分配性注意】
電話をしながら要点をメモする/資料をまとめながらスケジュール確認をする/料理をしながら洗い物を片付けていくなど、複数の作業/行動を中断せずに継続し同時処理する力。 ← 最も高次で複雑な注意機能になります。
実際には二つ以上のことを並行して作業していくのでマルチタスクといえます。わかりやすい最たる例は料理で、究極のマルチタスクですね。

次回は注意機能を情報フィルターという視点からお話しします。

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『多様性』どこまで認める?【組織】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『社会としてどこまで多様性を認めるか』ということを書きました。今回は【組織】、つまり企業の中において、どこまで多様性を認めるかを書こうと思います。私どもが考えるひとつの提示であって、決してこうあるべきという意味ではありません。

組織は社会と違い、狭い世界になりますが、社会篇の中で書いた『個人の権利を侵害しない範囲内』であることは、組織にももちろん当てはまることは言うまでもありません。

その上で、どこまで多様性を組織(企業)として認めるかを考えます。

組織の場合、より社員個々人の価値観をいかに理解し、あるいは説得していくかが問われると思うので、社会としてよりも複雑な問題を孕みそうです。学校でも同じかもしれません。

例えば、結婚。今の時代、結婚観は人それぞれです。今の団塊の世代の人たち辺りまでは専業主婦が多かったように思います。つまり男性は働き、女性は家庭を守るという長年日本を覆っていた結婚観です。当時女性は就職して結婚したら退職することが一般的でした。寿退社という言葉があったぐらいです。

今は違います。経済的な事情もありますが、それとは関係なく女性もキャリアを積み、働き続けたいと考える割合が当時と比して増えています。しかし、そこで今問題となっているのは、昔の結婚観と今の結婚観の狭間で、仕事(女性)・家庭(妻)・育児(母)の1人3役の重圧を背負わされた女性たちの存在です。

これは今最もホットな問題でもあります。組織の育児に対するフォローをどう構築していくかが問われていることでもあるからです。国ができることは限界があります。男女問わず、育児しやすい労働環境を創出するかは個々の組織で考え、取り組まなければなりません。社員個々人に合った具体的な施策は難しいかもしれませんが、組織に最も大事なことは、育児しやすい職場環境であることを社員に実感し安心してもらうことではないでしょうか。

恐らく、組織にとって多様性をどこまで認めるかの必要条件は、さまざまな価値観を持つ社員に、最大公約数的安心感を与えること、ではないかと思います。心理的安全性はそのひとつの解であり手法だと思います。

一方で、組織には社風という企業文化・企業風土があります。組織規模が小さくなればなるほど、トップの考えがダイレクトに企業文化となり企業風土になります。大企業であれば、長年培われた伝統がそれに該当すると思います。いろいろな組織があって当然だと思いますが、どんな組織であれ、これからの組織に求められるのは、社員の多様性をいかに認めることができる企業文化へと進化(深化)させることができるか、だと思います。自治体も例外ではありません。

思うに今組織が直面している課題は、社員の多様性と企業文化の間にある溝をどう埋めていくか、ということだろうと思います。

例えば産休・育休を考えてみると、制度は組織にあっても取得しにくい社風であれば、その制度はお題目に過ぎず、ポーズに過ぎません。活用されてはじめて制度が活きるというものです。

もっと言えば組織にそのような制度があるにも関わらず、直属の上司がいい顔をしない、あるいは取得しないように圧力をかけてくることもあるでしょう。そのような企業文化が蔓延ったままだと、社員の多様性など到底認められることはないと推察できます。

組織としてどこまで社員の多様性を認めていくかという問題は、即ち、溝を埋めていくかは組織の文化をアップデートさせる必要があると言えます。これにはトップをはじめとする経営層の思考回路を変える必要があります。

時代に支持される企業風土をどのように作り上げていくか、という仕事は経営層にしかできない仕事だと思います。業績や戦略を考えることも大切ですが、それを実行するのは人、社員です。その社員が能力を存分に発揮するためには、企業文化、企業風土というものがかなり心理面に影響を与えます。

とにかく行動しろ、失敗の責任は部長である私が取る。という企業文化であれば、社員は恐れることなく果敢に挑戦しようとするでしょう。失敗したら怒られる、責任を追求される、と思わせる企業文化、企業風土であれば、社員は挑戦して失敗するリスクを冒そうとは思いません。それはその企業にとって長期的な視点で見れば損失に繋がることにならないでしょうか。

ベンチャー企業が元気な傾向にあるのは、組織規模が小さくトップも若手が多いことを背景に、長年培った伝統も歴史もないため、いい意味で過去に捉われず、トップをはじめ社員の多様性の活用が一応できているからではないか、と思われます。(トップと社員の世代が近いせいか価値観を共有しやすい、あるいは立場の距離感も近いため、必然的にコミュニケーションが活発になり、制度化しなくてもよい面はある。)

このように考えてくると、組織において多様性をどこまで認めるか、という問題は、長年の伝統や歴史に培われた企業文化・企業風土をアップデートしつつ、その範囲内で社員に対して最大公約数的安心感を与えることだろうと思います。

社員の多様性をどこまでも認めべきとは思いません。やはりそこには企業ごとに一定の範囲内という制約は外せません。そうでなければ、その企業としての個性が失われることになるからです。社員もそうした制約の根拠を理解することが必要です。それにはやはり、コミュニケーションが肝になってきます。

組織として多様性をどこまで認めるかは、一人でも多くの社員にいかに気持ち良く安心して働く環境を提供していくか、という問題に言い換えられます。それにはまず、トップをはじめとした経営層の思考のアップデート、次に管理職クラスの思考のアップデート、そしてコミュニケーションスキルの向上だと考えます。

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『多様性』どこまで認める?【社会】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

つい先日、LGBTQの人たちに対して首相秘書官が失言し、更迭されたことがありました。この問題がさまざなところで語られる中で度々出てきた言葉が『多様性』でした。

今となっては『多様性』という言葉自体は新しい言葉でもなく、既に耳慣れた言葉として社会的認知を得ていると思います。

ただ、ここで考えたいのは、

では社会は『多様性』を一体どこまで認めればよいのか?

という問題です。

というのも『更迭された首相秘書官が言ったことも、多様性というならば認める、許容することが多様性というものではないのか?』という議論も散見されたからです。

つまり、ある事柄に対する一方の意見は肯定し、一方の意見は否定することは多様性に反する、という論理です。

“私たちは社会として多様性を一体どこまで認めればよいのか?”この問題に今のところ社会的コンセンサスはまだ取れていないように思います。

注意してほしいのは【社会として】どこまで多様性を認めるのか、ということです。個人としての話ではないということです。つまり、個人としてならLGBTQの人たちの存在を否定する人は、いないと言っても過言ではないでしょう。今の時代、LGBTQを否定する人はそれこそマイノリティーではないでしょうか。しかし私個人としては、否定する人がいてもいいと思います。

一方でこれが社会としてとなると、どうやら違うらしいと感じている人もいると思います。社会として多様性を認めることと、個人として多様性を認めることの間にはまだまだ溝がありそうです。

例えば制度を考えてみるとその溝はわかりやすいです。一般的な男女には婚姻制度があります。婚姻すれば法的に夫婦と認められ、独身者とは違う行政サービスを受けることができます。

しかしLGBTQの人たち、この場合とりわけ同性同士の婚姻制度はありません。これは制度がLGBTQの人たちの婚姻を認めていないと考えることができます。つまり法的な結婚ができないということを意味し、その後の行政サービスも受けられないことになります。実質的には婚姻生活であっても同棲生活と同じ扱いと見なされ、法的にはお互い独身者ということです。

社会が多様性を認める難しさは、そういうことなのだろうと思います。

これは著しく個人の権利を侵害しているという見方もできます。人権侵害というと、とても大袈裟に聞こえるかもしれませんが、当事者にしてみれば、人権侵害みたいなものと感じるかもしれません。

制度は個人の権利の侵害があってはならないことに異論はないと思います。そうであるならば、社会としては個人の権利を侵害しない範囲内において、多様性を認めるとしなければ、多様性を盾にどんなことでもやっていい、言っていい、と早計に考える人が出てきかねないと考えます。

ただ思うだけであれば、憲法で内心の自由が保障されているので、例えば“アイツを殺したい”と思うのは自由です。でも実際にSNSなどで公言する、あるいは実行すれば相手の生存権を脅かし、侵害することになるので、多様性からは大きく逸脱すると言えます。もちろん法的にも罰せられます。

多様性のある社会と言っても、闇雲に多様性を認めることは危険で、多様性のある社会の大前提となるのは、個人の権利を侵害しない範囲内、ではないかと思うのです。

最初の話に戻りますが、先の首相秘書官の彼が、例えば個人として私的な友人と居酒屋で言う分には、それは内心の自由の範囲内として、これほど問題にはならないと考えます。しかし公職の立場での発言となると、LGBTQの人へのある意味公式な差別発言となり、人権侵害(存在の否定)として多様性から著しく逸脱した発言と考えます。

いずれの機会に組織(企業)の中で多様性をどこまで認めるかを書きたいと思います。

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アサーションのさまざまな手法【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

DESC法については今回で一応終了し、まとめとして書こうと思います。

DESC法を用いるメリットは他にもあります。

他者に自分の考えや意見を正確に理解してもらい、納得感を上げ説得するDESC法を身につけるとことで、組織内の意見交換がスムーズに活発におこなわれ、やり取りの中で組織内の高いコミュニケーションスキルが培われます。

それは個人のコミュニケーションスキルアップや営業成績だけに留まらず、より風通しのよく効率的に気持ちの良い組織運営に繋がっていくことでしょう。そしてそれは心理的安全性の担保にも繋がり、企業がイノベーションを起こすベースとなって、業績アップに寄与していくだろうと考えます。

また、感情的にならず自分の考えを正確に伝えることで、信頼関係の構築にも役立ちます。信頼関係とは正確な意思疎通があってこそ生まれると考えます。

特にビジネスシーンで感情的になってプラスになることは一つもありません。人は感情の生き物ですから、考えや意見を感情を含めずその事実だけを伝える、なかなか難しいことをほとんどの人は経験済みだと思います。

社会人の必須スキルである感情マネジメント(アンガーマネジメントが有名)と一緒にDESC法はこれからの時代は特に、性別はもちろん、地位や役職を問わずビジネスに携わる者にとっては必要不可欠なスキルになっていくと考えられます。

コミュニケーションには他にもいくつかの手法があります。DESC法を身につけたから大丈夫!ではなく、さまざまなコニュニケーション技法を身につけ、相手やTPOに合わせて使い分けられると気持ちにも余裕が生まれるかもしれませんね。

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アサーションのさまざまな手法【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

早速ですが前回に引き続き、4つのステップについてお話しします。

  • Describe(描写する)

まず解決しよう、したいと考えている課題に対し、相手の現状や行動を客観的に描写した上で、“事実のみ”を相手に伝えます。事実のみを伝えるのが目的ですから、そこに自分の感情や考えを含めず、また憶測で話を進めないことが大切です。自分の感情や考え、憶測を含むと、相手に正しい情報が伝わりにくいというデメリットがあります。

  • Express(説明する)

Expressでは描写した内容に対し、自分の考えや意見、感じていることを伝えます。素直に自分の考えや感じたことを伝えていくわけですが、考えや感情を押し付けるような表現をしないことを心がけます。相手を否定したり攻撃的な表現にならないように意識し、注意することが重要になります。

  • Suggest(提案する)

ここではDescribe、Expressからの流れで、相手に対し課題解決するためのアイデアや代替案などを提案します。それと同時に、相手に対応してもらいたいことや承諾してもらいたいことを“具体的に”伝えます。あくまで提案なので、強制したり命令するようなニュアンスは絶対に含めないことが一番大切です。

  • Choose(選択する)

相手がこちら側の提案を受け入れた場合、受け入れなかった場合、それぞれの場合の結果や選択肢を伝えます。こちらの提案がすべて受け入れられるのがベストですが、ビジネスシーンにおいてそれは稀ではないでしょうか。ExpressとSuggestを何度か行ったり来たりするかもしれないことを踏まえ、プランはいくつか用意しておくと思いますが、そこにも落とし穴が存在します。

互いの思惑を擦り合わせる時に“何とか受けてほしい”側と“条件さえ合えば”の側に分かれます。よりイライラしやすいのは“受けてほしい”側なので、話をするうちにその焦りやイライラが雰囲気として伝わってしまうと(感情を含めた話し方になってしまう)、どれだけDESC法に則って話をしていても、まったく意味を成しません。

人は自分に対し“丁寧に”“誠実に”“素直に”話をしてくれている人に好感を持ちます。口に出さないノンバーバルな部分にも気を配り、相手に対し一挙手一投足向き合っていくその先に、DESC法が活かされてくるのだと考えています。

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アサーションのさまざまな手法【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

年明け最初の私のコラムはアサーションについてです。

人間関係をスムーズに構築し持続させていくため(相互理解にも役立ちます)のコミュニケーションスキルであるアサーションには、プライベートで使いやすいものからビジネスに有効なものまで、いくつかの技法があります。

今回はビジネスに有効な【DESC法】を説明していきます。

DESC法は他者を不快にせず自分の伝えたいことを伝え、相手に納得感を持たせるコミュニケーション技法で、アメリカの心理学者、ゴードン・バウワーにより提唱されました。

  • Describe:描写する
  • Express:説明する
  • Suggest:提案する
  • Choose:選択する

の頭文字を取り、DESC法と呼びます。

D→E→S→Cの順にコミュニケーションを展開させ、納得性の高い結果を導いていくスキルなので、特にビジネスにおいて有効なアサーションスキルと言えます。

【相手を思いやりながら自分の意見を伝える】というアサーションの基本があるのはもちろんです。

DESC法はアサーションスキルを体系的にまとめ、“D”“E”“S”“C”の4つのステップに分類したもので、このステップでコミュニケーションを進めることにより、有効な意思伝達をおこない相手の納得感を高めます。

次回は4つのステップからお話しします。

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自動思考【2-2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今年最終回となりました。前回に続いて“認知の歪み”について、残りの5点を書いていこうと思います。

前回までは、

  • 白黒思考
  • 自己関連づけ
  • レッテル貼り
  • 〜べき思考
  • 過小評価の誇大化

の5点でした。

それでは残り5点を記していきます。

決めつけ
根拠なく感情的に決めつけ、自分の感情を現実に反映し、まるで事実かのように認識する。

<例>
「不安だらけだからプレゼン(試験)に失敗するに違いない」
「今日は気分が乗らない、こんな日は何事も上手くいかない」

感情的な決めつけが起こる時は、ネガティブな思考や感情が前に出ていて、ポジティブな思考や感情が薄くなっている時に起こりやすい認知の歪み。独自フィルターと密接な関係がある。
結論の飛躍
何の根拠もないのに、悲観的でネガティブな結論を出してしまう。

<例>
心の読み過ぎから→特定の人物が自分を嫌ったり悪い反応をしていると思い込む。

他社に出向いて行ったプレゼンが上手くいき、上司に報告したが上司は関心なさそう。いつもよりつっけんどんにすら感じる。→「きっと上司に嫌われている」と考える。
過度の一般化
よくないことが起こると「いつも決まってこうなる」「上手くいった試しがない」と考える。

<例>
プレゼンが上手くいかなかった。「いつも自分がプレゼンするとこうだ、自分は上手くいかない」
デートを断られただけなのに「どうせ自分は誰からも愛されない」
独自フィルター
ひとつの良くないこと、気に入らないことにばかり引っ張られ(こだわり)、他のことに目がいかなくなったり考えられなくなり、くよくよ考えネガティブになる。

<例>
会議でアイデアを出し周囲の評価は上々なのに、同僚の一人から批評されたことが頭から離れず悩み、ネガティブな考えになってしまう。
マイナス思考
良いことを無視するだけでなく、なんでもないことや良い出来事も悪い出来事にすり替えてしまう。

<例>
自分は何をやってもダメな人間だ、と考えている人(自己評価が低い)が、上司から評価されたり仕事が上手くいっても「これはたまたまだ」「まぐれに違いない」と考える。
このような認知の歪みを持つ人は、たまたまのミスでも「やっぱり自分はダメなんだ」と考える。

自分の中にある自動思考/認知の歪みに目を向け、普段から自分にはどのような“思考のクセ”があるのか、一度しっかり向き合うことで、生きづらさの軽減やイライラしやすい自分に気付くヒントになります。

この年末年始にこうした部分の自分に向き合って、来年は自分の思考のクセを意識しながら過ごしてみてもいいかもしれませんね。ひょっとしたら今までの生活や人間関係にちょっとした変化があるかもしれません。

本年のコラム掲載は本日25日で終了です。本年も読んでいただき、ありがとうございました。来年は1月10日火曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。来年もよろしくお願いいたします。

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自動思考【2-1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回に続き“認知の歪み”についてお話しします。全部で10点ほどあるのですが、ここでは半分の5点を、次回に残りの5点を記していきたいと思います。

白黒思考(全か無か)
起こる問題のそのほとんどは白黒、全無のどちらかに決めることはできません。事実はグレーだったり、その中間にあるものだったりするものですから。

<例>
いつも満点だったテストで80点を取ってしまった。「満点じゃなければ何点でも同じ、自分はもうダメだ」と思う。

<例>
仕事でミスをしてしまい「もうこれで自分はおしまいだ」と思う。
自己関連づけ
何か気になると、望んでいないよくないことが起きた時に、自分には責任がないにも関わらず、自分のせいにして責任を感じてしまう。

<例>
彼が暴力を振るうのは自分が至らないからで、彼の望むことをできない自分が悪いんだ(DVにあっている人がよく陥る思考ですね)

<例>
職場でみんながよそよそしいのは、自分がみんなの足を引っ張っっているからだ。
レッテル貼り
ミスをしたり、上手くいかない時に「自分は負け犬だ」「使えないヤツ」「お荷物だ」と自分にネガティブなレッテルを貼ってしまうこと。レッテル貼りは“過度の一般化”の極端な形です。レッテル貼りをしてしまうと感情に飲み込まれ、冷静な判断ができなくなります。
〜べき思考
行動や思考に対し「〜すべき/〜すべきではない」と極端に考えます。この思考はその基準に無理に自分を合わせようとするため、自身を知らず知らずに追い詰め自己嫌悪に陥ったり暗い気分になってしまいます。また、その価値観の違う他者に「〜すべき/〜すべきではない」が向くと、イライラしやすく怒りを感じやすくなります。

<例>
「あの時自分は電話するべきではなかった」
「部下は言い訳をせず言われたことをすべきだ」
過小評価の誇大化
自分の失敗や短所を過大に受け止め、長所や成功成果を過小に自己評価してしまう。

<例>
些細なミスで「ああ、これですべて台無しだ」

とりあえずここまでとします。次回は残りの5点を書いていきます。

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