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生きづらさの正体<番外編>

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『生きづらさの正体』というタイトルで本城が書きました。それは“〜すべき”であるとか“フツーこう考えるだろ”のように、自分の価値観を他者に押し付けるような思考傾向だと、生きづらくなりやすいという話だったと思います。

今回はその番外編として、もう一つの生きづらさについて考察してみたいと思います。私は昭和の後半に生まれ、平成を過ごし、令和を迎え現在に至っています。その間、時代は変わりました。物の変化や進化は当然ですが、価値観も随分変化しました。多分、今の40代以降の世代は強くその変化を感じているだろうと思います。

社会の価値観というか通念なる目には見えないが確実に存在している変化に、もう一つの生きづらさがあるように思います。喫煙はその典型と言えるでしょう。その他、共働き(というより、共働きしないと生活が成り立ちにくい事情も)、女性や子育て、LGBTQ、マナー、効率重視傾向、合理主義傾向、コミュニケーションスタイル、働き方、各種ハラスメントなどなどがそれに当たると思います。

それぞれを細かく取り上げませんが、昭和に生まれ、平成、令和と過ごしてきた中で、これらのことを気にしながら生きていかなければ、一般人であれ社会的制裁を受けやすくなりました。それを可能にしているSNSの普及、影響は無視できないでしょう。

どこか常に監視されている“ような気がする”社会。これが、もう一つの生きづらさの正体ではないか、と思うのです。飽くまでも私見です。

『寛容』という言葉はいずれ死語になってしまうのではないか、とさえ思えてくるほど、窮屈な世の中になったなという印象は否めません。時代の空気としか言いようがありませんが、必要以上に常に我慢を強いられる世の中になったように思います。これが閉塞感の一因でもあるのかな、とすら思います。

『萎縮社会』『殺伐社会』『我慢社会』『あきらめムード社会』、こんな言葉が浮かびます。社会の表(正義・健康・マナー・効率・完全性など)と裏(矛盾・感情・不健康・非効率・不完全性など)のバランスが悪くなって、表ばかりが強調され声高に叫ばれることの気持ち悪さみたいなものを感じます。社会に奥行きがなくなり平面的になったという印象でしょうか。

東海道新幹線は3月のダイヤ改正以降、喫煙ルームを廃止し災害用備蓄ルームにするとのこと。これも喫煙ルームに比べて良い活用のことのように聞こえますが、快適という点で考えると、少なくとも愛煙家にとっては快適の一つが失われることになります。

こういうちょっとしたことが、あちこちで起こっていることで『合成の誤謬』が生じ、上手く言葉にはできない『なんとなく生きづらいな、窮屈だな』という感情を抱いてしまうのかもしれません。

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生きづらさの正体

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達特性があると、こだわりやコミュニケーション、社会性、イマジネーションその他諸々から生きづらさを感じやすい人がいます。

また、特性ではなく違う意味で「生きづらいだろうな」と感じる人がいます。

それはわざわざ意識していなくても誰もが持っている【価値観】にガンジ絡めになっている人です。そもそも価値観は、他者の生命を脅かしたり反社会的なものでもない限り、善悪で判断できるものでも、判断してもいけないものだと思っています。

価値観はその人自身が生きてきた中で養われたものの捉え方、思考、人生の指標であり、誰もがどこかで自分の価値観を尊重されたいと思っています。しかし、誰がどんな価値観を持っているのかが生きづらさに関係するのではありません。

では、生きづらさに繋がってしまう価値観とはどういうことでしょうか。

自分にはどんな価値観があるのか、まず思い浮かべたり書き出してみましょう。正義?信頼?コミュニケーション?礼儀?思いやり?協調性?貞節?経済的豊かさ?努力?人間力?

立場や役割が違うと価値観は一層多様化します。

学生なら、入社したばかりの新入社員なら、結婚しているなら、子供が生まれたら、管理職なら、男なら女なら、経営者なら、孫がいる年齢なら、仕事が教師なら、医師なら・・・誰にも顧みられないと感じている絶望と孤独の縁にいる人なら・・・。

先ほども書きましたが、誰もが自分の価値観を尊重してもらいたいと思っています。しかし、他者と関わり合いながら社会生活を送っていると、価値観が似ている人とばかりは出会わないものです。

そもそも会社(組織)は共通する価値観をベースに人間関係を築いたり働く場所ではなく、会社(組織)の理念をベースに働く場所であり、個人レベルで相性が悪かろうと価値観が真逆であろうと、我慢(何とか折り合いをつけて)して社会生活を送らなくてはなりません。プライベートであれば似たような価値観の人を選んでお付き合いできる場合もあるんですけどね。

質問です。

あなたは自分とまったく違う価値観の人と出会った時、「自分とは違う考え、価値観だけど、それはそれでアリだな」「へぇ、そういう価値観に初めて出会った!面白い!」と考える人でしょうか?

それとも「あり得ない、フツーは〇〇するものだろう」「こういう時は〇〇すべきだろう」「〇〇しなくてはいけないと考えないものか」とつい考えてしまう人でしょうか?

後者は生きづらさを感じやすくなります。

「べき」思考が強いと、自分の「〜べき」「〜するものだ」から外れた人、異論を唱える人に対してモヤッとイラッとしがちになるからです。どこかで「自分のように考えるのが当たり前だ、自分のように思う人がマジョリティで正しい」という“自分は間違わない/いつも正しい”という自分視点しか持てなくなり、思いどおりにならない周りに対し、怒りを溜め込みやすくなるので、生きづらさを感じることになってしまうのです。

生きづらさは自分自身が作り出しているかもしれません。いつも周りにイライラしがちな人は、思いどおりにならない周りばかりを気にしたり、責めるのではなく、自分自身と向き合いゆっくり自分と会話してみてください。

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親子でも他者間でも大切、親子だからこそ大切にしたいこと

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

私は現在進行形で発達障害重複を持つ思春期真っ盛りの、面倒くさい息子を養育するシングルマザーです。

修羅場の峠は越えたように思いますが、定型と言われる子供を養育している親に比べると、やはりぶつかり合いは多いのではないかと思います。

WAISで言語は高い息子。でも、特性による認知の歪みから他者間コミュニケーションにズレを生じやすく、また障害特性ゆえに行動に親はモヤモヤイライラしてしまうのが日常です。

さすがにもう血の雨は降りませんが(笑)、減ったとはいえ言い合いになるにもこれまた日常でです。そんな時、息子は自分の部屋に私はリビングで物理的距離を取り、クールダウンします。その後は必ず「さっきは嫌な言い方をしてごめん」「私こそキツイ言い方してごめんね」「実は学校で嫌なことがあって・・・」という流れです。

思春期真っ盛りのこの時期は親に反発しまくる反面、甘えたいというアンビバレント(相反する感情などを持ち葛藤する)な時期でもあります。「母さんの言うことは正論過ぎてムカつく」と言われたことがあります(笑)可愛いさと悪魔が同居していて「ツンデレか!?」と思う毎日ですが、ふと「あー、大人の階段を上ってる最中だもんね」と思ったり。

多少落ち着いたとはいえ、壮絶な親子バトルを繰り広げていた過去を持つ我が家ですが、今の私と息子の関係はかなり良好と言えます。言い合いになる時はあっても、ほとんどは落ち着いて話ができるようになりました。時々ヘンなテンションになり、いきなりタコ踊りを披露してくれる息子に対抗して、私も息子が「お、おう・・・(汗)」な反応をするような返しをしますし、買い物には嫌がらずに荷物持ちとして同行してくれます。外食にもホイホイついて来ます。

何より、「何か困ったことがあれば、かーちゃんはちゃんと話を聞いてくれる、力になってくれる」と思ってくれているようです。ありがたいですね。

その信頼関係のベースにあるものは何なのか?を考えた時に、小さなことでも家庭内に「ありがとう」が当たり前にあること、ちょっと時間はかかっても(クールダウンする)、お互いに「ごめんね」がこれまた当たり前にあることもあるのではないかと思いました。

家族だから言わなくてもわかってくれるはず←家族は血の繋がっただけの(夫婦なんて血も繋がっていない他者)他者ですし、そもそも自分以外、世界中の人は皆他者なのですから「言わなくてもわかる」なんてあり得ません。自分以外、エスパーならわかるかもしれませんが(笑)「言わなくてもわかってくれる」なんて、傲慢以外の何ものでもありません。

家族にいちいちお礼や謝罪なんて照れくさい←恋人に面と向かって「愛してる」と伝えるわけでもないのに、何だか照れくさいの使い方は間違ってますし、大人としてはイマイチカッコ悪い考えに思えます。歳を重ねたよい大人だからこそ、他者の小さな好意や厚意に対し、意識的に「ありがとう」「すみません(ごめんね)」が言えるのではないでしょうか。

「ありがとう」も「ごめんね」も人間関係を柔らかく、他者の気持ちも柔らかくする言葉です。

これからもパートナーに、子供に、友人に。もちろん親に対しても素直に言える自分でありたいと改めて思いました。

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共感疲労

メンタル・ イデア・ラボの本城ハルです。

“共感” という言葉は知っていても、共感疲労という言葉は聞き慣れず、どのような状態なのかわかりづらいと思います。

今回はそんな『共感疲労』についてお話ししたいと思います。

悩みがあって辛い状況にある他者に対し、その人の悲しみや苦しみ(絶望感や孤独感など負の感情)に寄り添い過ぎることで自分の心が疲れてしまい、ストレスを感じている状態を“共感疲労”と言います。

以前はメディカル、コメディカル、福祉に携わる人や心理カウンセラーなど、ケアや他者支援に従事している人々に起こりやすいと考えられていました。

しかし、個人的な関わりの中でも共感疲労が起こることがわかってきています。共感力が高く、肯定的に話を聞いてくれるとホッとすると思います。仕事であっても常に肯定的に共感しながら、傾聴を続けるのはエネルギーを使うことですが、関係上共感しながら肯定的に聞かなくては関係が拗れ、面倒なことになりそうな相手でも(常に愚痴っぽい兄弟姉妹、両親、親族。口を開けば他者批判や悪口を垂れ流し同調<共感ではない>を求める友人、知人、ママ友など)共感疲労は蓄積していきます。

共感疲労になると、次のような症状が表れることがあります。

  • 個人的な達成感(プライベート/仕事)が薄くなったり感じにくくなる。
  • 喜びや楽しみが減り、さまざまな活動意欲が低下する。
  • 無気力、無力感を感じたり、イライラしやすくなったり、反対に無感覚になったりする。
  • 離れても他者の悲しみや苦しみを反芻し、その原因となる事柄や人物に怒りの感情を感じる。
  • 食欲不振や不眠、胃部不快感など身体症状が出る。

また、共感疲労になりやすい人にも特徴があると考えられています。

  • 自分の仕事や役割に使命感を持ち、責任感が強い。
  • 自己肯定感が低め。
  • ネガティブ思考。
  • 他者に対し優しく親切で気遣いし過ぎる。
  • 感受性が強く繊細(HSP)。
  • 理想が高く、現実とのギャップを感じやすい。
  • 心的境界線(バウンダリー)を引くのが苦手、わからない。

共感疲労は心の状態次第で誰でもなり得ることですが、そのような状態が続くと自分が思っている以上に心に負荷がかかり、さまざまな心の不調や体の不調を引き起こすことに繋がります。

そうならないためには、まず“共感疲労”という言葉や状態があることを知ること、自分が共感疲労に陥っていないか自分自身に目を向け(マインドフルネスが有効です)、普段から十分な休養に睡眠、趣味の時間などセルフケアを心がけていくことが大切になります。

自分の感情や思考について知ること。また、気持ちが疲れた時や辛い時、苛立ちを感じる時には専門家をはじめ、自分を受け止め話を聞いてくれる信頼できる人に話を聞いてもらいましょう。

モヤモヤを自分から出し、外に置くことで問題と距離を置くことができ、モヤモヤの整理がしやすくなったり、気持ちがラクになります。

いつもの疲れが共感疲労からくるものでなないか確認してみてくださいね。

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メンタルヘルスと語彙力の関係

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は標題のとおり、ちょっと違った視点で書きたいと思います。

「メンタルヘルスと語彙力なんて、関係あるの??」と思う人も多いのではないでしょうか。

私たちは日常的に日本語を使い、意思伝達/意思確認などをしながら生活を送っていますが、普段使っている表現や語彙はどのくらいあるでしょうか?改めて考えてみてください。

美味しくても「ヤバっ!美味しい!」、寒くても「ヤバい寒い!」、叱られたり注意を受けたら「ヤバ!怒られた」と、貧相な表現になっていませんか?もちろん友達同士で話す分には、それでも十分楽しく過ごすことができ、困ることはないと思います。

言語はコミュニケーションという形で他者と理解し合うためのツールであると同時に、自分の感情を視覚化するツールでもあります。

自分に責任はないのに理不尽なことで上司に(パートナーに、親に)叱られたとしましょう。語彙力がなければ「超ムカつく!」という表現しかできなくても、語彙力があれば「頭が真っ白になった後に、怒りの感情が沸々と湧き上がった」と“怒り”一つ取っても具体的に、自分の感情に一番近い表現ができます。

語彙力があることで、自分の気持ちや感情をより的確、詳細に表現でき伝えることができるということです。これはセルフモニタリングにも大いに役立ちます。

「子供が言うことを聞かなくてムカついた」

「子供が言うことを聞かなくて頭に血が上り我を忘れそうになった」

どちらがより詳細にその時の自分の怒り具合や気持ちを表しているかわかりますよね。

セルフモニタリングに情動ラベリングは感情マネジメント(アンガーマネジメントと言えます)に取り組む上で必須ですが、より細かく感情に目を向けていくために語彙力、表現力があるほうが“今の気持ち”、“その時の気持ち”に一番ピッタリくる言葉を探しやすくなるのです。

語彙力や表現力を増やしていきたいと思った時に取り掛かりやすいのは読書でしょう。興味がある分野、好きな作家、詩集など。ただハウツー本は、あまりお勧めしません。

心情を上手に歌い上げているアーティストもいますね。どっぷり歌詞にハマりながら聴くのもよいでしょう。

そして日記。

ほとんどの人は日記に“〜があった”とその日の出来事を記します。それだけでは日記ではなく備忘録です。一緒にその時の気持ちをなるべくたくさん書き出してみましょう。「ムカついた」「超ムカついた」「死ねばいいと思った」←これらだけではいけません(笑)

「怒りの感情で手が震えた」「手足が冷たくなるほどだった」「一瞬、時が止まったかのように感じた」「一瞬、何が起きたのかわからなかった」などでしょうか。小説は主人公の心情が書いてあるので、表現力の参考になりますね。

語彙力と表現力に自信が持てると、より一層他者とのコミュニケーションを楽しむこともできるかもしれません。ただ『ムカつく』だけでは、どの程度のムカつきなのか相手はわかりません。『そこまで傷つけてしまったのか』とまで思い至ることもなく、心の傷の度合いがわからず、無用な溝が広がっていきかねません。特に夫婦関係、恋人関係、親子関係、友人関係などプライベートでの関係の相手とは注意したいところです。

自分のために、そして他者との豊かなコミュニケーションのために、今一度“語彙力”に目を向けてみませんか。

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今年最初のASDグレーゾーン交流会に参加してきました

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年が明けてまだ半月ですが、早くも標題にあるように、今年最初の交流会に参加してきました。

その交流会には過去に何度かパートナーとも参加したことがあります。主催者自身も当事者の、とあるASDグレーゾーン(診断の有無は関係なく、生きづらさを感じている人を対象にしている)の交流会です。

今回はその様子や感想を書きたいと思います。

いろんな交流会に時折参加していますが、主催者の人柄や意向が反映されているのか、今回のように何度も参加したいと思える交流会もあれば、やたらと居心地の悪い交流会もあります(その場合、二度と参加しませんが)。

今回は、海外の大学で“発達障害グレーゾーンの研究”をしている当事者だという学生がいたり、福祉現場から研究をしている人も参加されており、いつもとは違う面白さがあったように思いました。

受付でのお手伝いの人はいても、主催者はひとりで、敢えてファシリテーターを置かずテーブル毎にテーマを決めて、自分の話したいことや聞きたいことで何度か席替えがおこなわれる方式です。

私は交流会参加が初めてという知人と参加したので、彼女の興味関心からテーマを選び、最初はフリートーク→孤独、気持ちについて→特性理解、とテーブルを移動しながら他の参加者の話を聞きました。

発達障害の特性を持ちながら、診断を下すには特性が薄く決定打がなかったり(さまざまな心理検査の結果も含まれる)、親への聞き取りができない(生育歴を聞き取りしますが当事者が大人だと諸事情から親の聞き取りができないことが多い)とグレーゾーンと言われることがあります。グレーと聞くと「発達障害でも軽めなのかな?」と思いがちですが、社会生活上の生きづらさは同じでも公的支援や福祉資源の活用に雲泥の差があり、社会生活上の生きづらさとはまた違う生きづらさを感じることが増えます。

受診して診断がつかなければ、役所の福祉課(名称は自治体により異なり、障害福祉と表記されている場合もあります)から通所受給証やそれに代わるものが発行されづらく、 実際の公的支援に繋がりづらかったり、手帳(発達障害のみ、知的障害の有無、精神障害の有無)が発行されるかどうかでも受けられる支援に違いが出てくるので、“わからないことの重ね着”状態になり、「困っているのに、どうしたらいいかわからない」になる可能性も高くなってしまうのです。

発達障害にあまり詳しくない医療機関にかかり、適応障害〜鬱〜双極性障害〜愛着障害、と診断名がその度に変わり、無駄にドクターショッピングを繰り返してきた人や、受給証が発行され就労支援(からの定着支援)を受け、障害者雇用で何年も落ち着いて働けている人まで、異なる状況にありながら対人関係に悩む当事者が多い印象でした。

共感の場を求めて、課題解決のヒントになれば、自分探しのために、などなど参加者の思いは多様です。

コロナ禍では対面が叶わず、リモート開催ばかりだった交流会がようやく対面開催になり、他者との交流を待ち侘びていた人が多く参加していた印象でした。

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謹賀新年

2024年になり、9日火曜日から本格的に世間が動き出しましたね。

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今年は元旦と2日、ご承知のとおり、いきなりの年明けになりました。

元旦の夕方になろうとした時間、令和6年能登半島地震がありました。スマートフォンのアラームが鳴りました。コロナの規制も解除された初めての年末年始でもあり、家族や親戚が久しぶりに集まり、一番賑やかな時間だったと思います。言葉は悪いですが、元旦の夕方なんて、酒も入り一番ダラーっとしている時だったと思います。そこに地震です。本当にびっくりしました。

2日には羽田空港での海上保安庁機とJAL機の衝突事故。折りしも海上保安庁機は元旦に発生した地震の被災地に物資を輸送するためだったようで、普段は滑走路にいない飛行機でした。いろいろな要因が重なり、事故に繋がったようですが、職員の方々が犠牲になってしまいました。

この度の地震に遭われた被災者、事故に遭遇した被害者のメンタルヘルスが心配です。無事であることはよかったのですが、副作用としての孤独感や無気力、不安感、フラッシュバックなどに襲われやすくなります。強いストレスによる鬱やPTSDも心配です。

こういう年明けは生まれて初めてです。地震は自然現象なので人間の暦など一切考慮しませんから、どうしようもありません。津波も発生し、東日本大震災の記憶が鮮明に蘇りました。

上越地方に帰省していた私の知人も被災したようです。幸い家屋は無事でインフラも大丈夫だったようですが、大きく揺れて、津波を警戒して一時避難所へ避難したそうです。それだけでもかなりのストレスだったと思います。

ショッキングな年明けになりましたが、これも何かの戒め、啓示として受け止めているところです。インフルエンザも流行しているようですし、寒さも厳しくなった気がします。体調に気をつけて過ごしていきたいと思います。

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セルフモニタリングと認知【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

心理学におけるセルフモニタリングでは、主に思考(捉え方、受け取り方)/感情や行動を観察していきますが、今回は思考=認知(捉え方、受け取り方)について考えていきます。

①起こった出来事、感情が動いた場面。

②その時に浮かんだ思考/どう受け取ったか捉えたか。

③結果、どのような感情が生まれたか。

④どう行動したか。

この中で②を重点的に観察します。

②ではさまざまな場面で自身の“考え方や捉え方のクセ”が表れます。繰り返し繰り返し観察し、自分の思考や捉え方のクセを見つけます。「私にはそんなクセないよ」と思う人、観察が足りません(笑)

何度も繰り返す中で、自分の思考のクセが感情にどのように影響するのかも見えてきます。感情に悪影響を及ぼすようなら、その思考/捉え方に修正を加えることを検討し、思考/受け取り方・捉え方を変化させていきます。

今回は、強いエネルギーを持つ“怒り”の感情にフォーカスし、“感情”が生まれる前にどのような思考/捉え方のクセがあったのか、例を出しながら考えてみましょう。

「理不尽な目にあった」などはわかりやすく、自分の怒りに気づくことができますが、自分の感情を観察できていないと気づかずに怒っていることがあります。不快→(知らぬ間に)怒りになった場合などがそれに当たります。

理由もなくプンプンしている人はいないと思います。

わかりやすいところでは、足を踏まれた/ぶつかられた/悪口を言われたなどでしょう。日常的に起こりやすい場面だと、気遣ってもらえなかった、頼み事を聞いてもらえなかった、自分の意見に反対された、約束を破られた、無視された、わかってもえなかった、あたりでしょうか。

<例>

❶【出来事】
インフルエンザで体調が悪くて寝ているのに、パートナーが子供の世話や家事を何ひとつやってくれない。

❷【思考/捉え方】
見たらわかるんだから、フツーはやってくれるよね!?/こんな時くらい家事やるべき!(頭に浮かんだ思考)

❸【感情】
怒り。

これを

❷【思考/捉え方】 毎日遅いのに今日は自分がインフルエンザだから早く帰って来てくれた。

と思考を変化させると、

❸【感情】 あまり怒りは生まれない。

<例>

❶【出来事】
出張から戻ったら、何より先に自分に商談内容を伝えるように言ってあるのに、今日は顔を見せてもそれすらない。

❷【浮かんだ考え/思考】
何で約束を守らなんだ!仕事やる気あるのか?ダメなヤツだ!!

❸【感情】
イライラ!!怒り。

これを

❷【浮かんだ考え/思考】いつもは真っ先に報告に来るのに、今日に限って報告に来ないとは何かトラブルがあったのかもしれない。ひょっとしてその対応を先に考えていたのかも。

と捉え方を変えると、

❸【感情】モヤモヤはするが怒りは生まれない。

怒りの感情が湧き上がった時に、自分の思考の中に「〜べき」が隠れていないか観察してみてください。

これから年末年始に突入します。イライラしやすい時期ですが、怒らず穏やかに過ごしたいものですね。それではよいお年を。

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※本年のコラム掲載は本日25日で終了です。本年もお読みいただき、ありがとうございました。来年は1月10日水曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。来年もよろしくお願いいたします。

セルフモニタリングと認知【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

セルフモニタリング

心理学/精神科領域でよく使われる言葉ですが、最近はビジネスセミナーやコーチングでも頻繁に使われるようになってきたので、耳にしたことがある人も多いかもしれません。

人間関係はもちろん、日々さまざまなストレスに晒され心身が疲弊しがちな現代人。

ストレスコーピングをはじめ、さまざまな感情マネジメントやコミュニケーションスキルが求められます。

セルフモニタリングとはその名のとおり、“自分の状態を観察する”です。

例えば、

●寒気がして頭痛がする(風邪のひき始めかな?)→温かいものを食べて早めに寝よう。●明日午後イチ提出の資料が仕上がらない→●今日残業して、明日朝早めに出社して仕上げよう・・・のように、私たちは日常的にセルフモニタリングをし対応しています。自分の今の状態(状況)がわかっていることで対応できるわけです。

自分の身体状態、自分の置かれた状況を把握できるからこそ、適切な対応が取れるのです。

これはメンタルでも同じです。

自分の心の状態、今の感情、考え方や受け取り方のクセ、それらを把握しておく。

具体的には“怒り”を感じた時に怒りを治めるためにはまず、『自分は怒っているんだ』と感情に目に向けること。アンガーマネジメントはそこからスタートします。

考えのクセを直すには“自分にある考え方のクセ”や“思い込み”を理解し把握しておくことが大切です。

以前にも平たく言えば“考え方”“受け取り方”を認知という話をしました。認知は意識的に自分の感情に目を向けることで気づくことができます。人は案外、自分の考え方のクセには気づきにくいものなので、繰り返し繰り返し観察してみてください。そこに必ず考え方のクセや思い込みがあるはずです。

  • 「子供は親の言うことを聞くべきだ」
  • 「子供は親の言うことを聞かなくてはならない」
  • 「子供は親の言うことを聞くものだ」

どれも表現は違いますが、どこに考え方のクセや思い込みがあるかおわかりでしょうか。

次回は、実際に認知〜感情〜行動をモニタリングしながら、この3つがどのように影響し合い、また周囲に影響を及ぼすのかを分析し考えていきます。

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本年のコラムは12月25日月曜日までです。

最近のSNSに思うこと

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

最近のSNSに思うこと、と題して気になったことを書こうと思います。ひとことで感想を言うとしたら、

素人番組の宝庫

であるということです。

その中でも、私がよく目にするものは、“語り系”、“自己啓発系”、“男女の恋愛心理系”、“講座案内系”の4ジャンルです。

“語り系”は、主に経営者らしき人物が登場して、経営のノウハウを語るもの、インタビュー形式を演出し、部下らしき人物が「社長!質問が来ています!」と言い、その質問に対して社長が語る、というもの。いずれにせよ『イケてる社長』感、クダけて言えば『イケイケブイブイ感』が全面に出ていて、『オレ(ワタシ)、スゲー』が滲み出てしまっているのですが、共通しているのは、イマイチ何をやっている会社の社長なのかわからないことです。

“自己啓発系”は、主に名言格言らしき言葉が羅列してあります。貧乏な人と金持ちな人の思考の違い、成功する人は宝くじを買わない、成功する人と成功しない人の違い、有名な投資家や芸能人などの言葉などが見受けられます。わかったようなことが書いてあることが特徴です。

“男女の恋愛心理系”は、昔からあると思いますが、大体『モテるおじさんとモテないおじさんはここが違う!』みたいな内容です。『モテるおじさんになるには!』とか『若い女子はこんなおじさんが好き』など。思わずハナで笑ってしまうこともありますが、いずれにせよ、おじさんをターゲットにしていることです。

“講座案内系”は、一流の人の振る舞い、2,000円の使い方でその人の価値観がわかる、シガナイただの主婦だったワタシが今や億超えの会社社長に、そのノウハウ教えます、スマートな振る舞いをするには・・・大体これらは、ズタボロだった昔の自分と今のリッチな自分のギャップを演出することが多いです。高級車の車内や見晴らしのよいオフィス、あるいはタワーマンション、ラグジュアリーな部屋で決まって一人で成功者然とした雰囲気で語っていますが、メッキ感が否めないことがほとんどです。そして最後に「いいね!してくださーい」「フォローしてくださいね」で終わります。

結局、カネとオンナとジマンの話が大半な気がしたのでした(笑)

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本年のコラムは12月25日月曜日までです。