解は既に決まっていて強制されるものなのか?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

突然ですが、

「私って頭悪いから」「私ってバカだから」

きっと「そんなことないよ/大丈夫だよ」「そんなこと言わないで」を求めているんでしょう・・・わかります。

ですが、毎度毎回あまりにも話に「私って頭悪いから」「私ってバカだから」が出ると、かなり鬱陶しい。なので「そうだね〜」と言ってみました。

案の定「そんなこと言わなくてもいいじゃん!」←いや、先に振ったのはアナタです。

「そう思ってたんだ!ヒドイ!」とキレられました(笑)

だったらそんな振り方するな、と言いたいのです。同じような経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。

要するに、これっぽっちも自分を頭悪いともバカだとも思っていないということですよね。ホントのことだと思って言っていて共感を求めているなら、共感したことに不快になる必要はないはずです。

なぜ「いやぁ、知らなくてお恥ずかしい」「教えてくれてありがと!」ではダメなのでしょうか。

自ら(思ってもみないくせに)自己卑下して、それを他者に否定してもらわないとアイデンティティを保てないなんて、めっちゃくちゃ面倒クサイ人です。

それは確かに誰にでもありますよね。何だかやることすべてが上手くいかなくて、「私ってダメだなー」と思うことも弱音を吐くことも。

でも、他者を使って自己肯定感を上げようとするのはちょっと違うと感じませんか?

仕事であればクライエントに対し「そうですね」とはもちろん言いませんが(そんなことはありませんと否定もしません)、いつもいつも(プライベートの時まで)セラピストモードで生活しているわけではないので正直面倒です。

一種の“察してちゃん”の応用モードな気がします。

「はぁ〜」「う〜ん、」とため息をつきながら「どうしたの?何かあった?」と切り出してもらいたい“察してちゃん”。ツンツンケンケンした態度で「何か怒ってる?」「別に!(察してほしい)」のやり取りと似ていますね。

「ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」

「今不快な気持ちになってるんだけど、話してもいいかな」

察する力は十分ありますが、言葉で伝えましょうよ。

「言わなくてもわかるでしょ」

「言わなくてもわかってほしい」

長い付き合いの中で言わなくてもわかることは当然ありますが、自分以外はパートナーはもちろん親でも子でも“他者”で、自分とは違うものの見方、考え方、受け取り方をするのが当たり前です。

“察してちゃん”は「自分をわかってほしい」気持ちが人一倍強い人種ですが、ジブンガー!の前に自他境界(バウンダリー※)や人間理解に目を向けてもらいたいと思った一件でした。

※バウンダリー:本コラム2022年5月25日2022年5月30日2022年6月5日参照

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