心境〜なんとなくモラトリアム

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今回はここ何日かの心境について書こうと思います。独りよがりに思われるかもしれません。ご容赦ください。

ここ何日か、心に力が入らないという感覚があります。体は至って元気なのですが、心に力が入らない感じがします。落ち込むでもなく無気力とも違います。ましてや『鬱』とも違います。

似たような感覚は、若い頃もあったような記憶があります。当時は目標を失い、何をして生きていけばいいのか、わからなくなったと記憶しています。それをモラトリアムと言うのかもしれませんが、今まさにそんな感覚に包まれている感じがします。

モラトリアムとは『猶予』という意味だそうです。私は人生における猶予と解釈しています。学生時代のそれは通過儀礼のようなもので本人は苦しい思いをしますが、社会人になるために必要なことだと自らを納得させることができます。

しかし私の年齢は学生とは違い、一定の社会経験を積んでいるので、学生の時とは質の違うモラトリアムなのだろうと思っています。

ここで今までを振り返り、今まで生きてきたことを一旦総括せよ、という暗示なのかなと思ったりもします。

思えばいろいろなことがありました。ここでいちいち書きませんが、おしなべて運がよかったと思います。もっと言えば、運だけでここまで生きてこれた、と言っても過言ではないかもしれません。

いいことも嫌なことも、すべて必要なことというのは理解しています。困難、苦難の連続だったように思いますが、そう感じてこなかったなら『無難』ということになります。しかしながら、あいにく困難、苦難の連続だったと感じているので『有難』ということになります。訓読みすれば『有り難し』になります。つまり、私は有り難い連続を生きてこれた、ということになります。

そうであるならば、これからも有り難く生きていくためには、どうして生きていけばよいのだろう、という問題が芽生えているのが今の状態と言っていいかもしれません。

これからも困難、苦難が続くとすれば、それらの中に『生』を感じたいと思います。それを『充実感』というのかもしれません。いかに充実感を得られる困難や苦難と向き合っていくか、が問われているのだろうと思います。

今までも充実感を感じてこなかったわけではありません。多分、年齢的なこともあるのでしょうが、今までとは違う充実感を欲するようになったのかもしれません。

今、それを模索する時期に来たのかな、とぼんやり思っているところです。奇しくもゴールデンウィークに入りました。この短期間でそれを見つけられるとは思いませんが、模索し始めるにはいいタイミングだと思っています。

それでは楽しいゴールデンウィークをお過ごしください。

※5月のコラムは5日金曜日はゴールデンウィークのため休載し、10日水曜日より掲載します。

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メンタルを弱らせるもの

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

私はたまに、特に何かあったわけでもないのに、急にメンタルが弱ることがあります。

私が言うメンタルが弱るとは、ネガティブ思考になっていくことです。『病む』とはちょっと違います。ただ進行すると『病む』ほうへ行くというか、落ちるというか、そんな状態に陥りやすくなると思います。

そういう意味では、メンタルが弱るとはメンタルが病む前兆なのかもしれません。

何がそうさせているのか?

メンタルが弱っている時、努めて冷静になぜ弱っているのかを考えてみました。最初は具体的に何かあったか、そのキッカケとなる出来事を振り返りました。しかし、メンタルが弱るほどの出来事で思い当たることはありません。

では一体この状態にさせているのは何なんだろう?

そして、過去の時も含めて振り返って考えてみました。すると、ある共通点に気づきました。それは『疲れている』時にメンタルが弱ってくる傾向にあるな、ということです。

疲れている、だけではメンタルが弱すぎると思われる読者もいると思いますが、私はその『疲れ』の種類に注目しました。

疲れにも、さまざまな種類があります。例えば、ランニングなど運動をした後の気持ちいい疲れ、仲のよい仲間と飲んだ後の楽しい疲れ、恋人と旅行へ行った時の心地よい疲れ、仕事で失敗してしまった日の重い疲れ、友人と喧嘩してしまった後の苦々しい疲れ、などなど疲れにも種類があります。普段はそんな疲れの種類を考えていない人が多いと思いますが、言われてみれば何となくわかると思います。

それで、メンタルを弱らせる疲れは一体どんな種類の疲れなのか、ということですが、私の場合、『充実感がないことが続いた時の疲れ』でした。一体いつまで続くのか?終わりがあるのか?先が見えない状況への焦燥感と相まって、充実感を感じない日々が続いた時、ふと生きていることに対する疲れの感覚が、黒い雨雲のように立ち込めてくるのです。

充実感がないことが続くとメンタルは弱りやすい、ということに気づきました。

たまたま今日は充実感がなかった、だけではメンタルは弱りません。続いているかがポイントです。特にコロナ禍で制限がかかり在宅の日々が多かった時、コロナ前と同じように充実感を感じながら過ごせてきたでしょうか。店を開いても客が来ない日が続いた時、在宅が増え夫婦仲の雲行きが怪しい日が続いた時、学生なら学校へも行けずアルバイトもできず、なんとなくモヤモヤ悶々とする日が続いた時、など、読者の中にも思い当たる人がいるかもしれません。

あるいは生活のためだけに働く日々、何をやっても上手くいかない日々、夫あるいは妻から文句ばかり言われる日々、などそういう充実感とは真逆のことが続くとメンタルは蝕われ、弱っていくのではないかという結論に行きつきました。

メンタルを弱らせる正体は、充実感なき日々の連続、が私の出した解です。

そうであるなら充実感を感じられるようにすればいい、と思うかもしれませんが、現実というか現状を変えるのは簡単ではありません。例えば生活のためだけに働いている場合、その仕事を簡単に辞められるでしょうか?その後の生活は?と考えた時、簡単には辞められないのが現実です。年齢が中年にもなると再就職先は難しくなるし、給料も今より減りかねない。いろいろな不安要素が頭を巡ります。

対策と言うと大袈裟ですが、本城が書いた前回のコラムがヒントになるかもしれません。

“あるがままを受容する”

です。それでメンタルが弱らなくなるわけではありませんが、少なくとも弱っていることを自覚でき受容することで、気持ちが一旦は冷静になることがあります。私は「疲れるな、んー、なんだかメンタル(気持ち)が弱ってきてるな」と心の中で呟きます。そしてその気持ちに抗おうとはせず、どうにかしようとも考えず淡々と過ごすことに徹します。

明日は(次の休みは)、ちょっと大好物の〇〇を食べよう、など充実感のない日々を頑張っている今の自分に対して、ご褒美のようなことを考えられるくらいにはなります。実際私はそうです。明日は休みだから昼飯はお気に入りの町中華屋へ行って、餃子をつまみながらビールでも飲もうかな、といった具合です。そしたら明日が少し楽しみになり、経験的にメンタルの弱りの進行を食い止めることができます。

私は『メンタルが弱ってきたな』と思ったら、上記のように明日できる些細な楽しみを具体的に計画することを心がけています。

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