解がないのもまた解

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ゴーデンウィークは緊急事態宣言などで、旅行はもちろん、大した外出すらできなかった人も多かったのではないでしょうか。

今回は『解がないのもまた解』ということで、数学のような標題ですが、生きていると解があることのほうが少なく、解がないことのほうが多い気がします(笑)人の数だけ解があり、また立場によっても解は異なりますね。

会社だけではなく、パートナーに友人、親子関係と身近には距離や関係性の違う多くの人間関係が存在し、私たちはそれらの人間関係に取り巻かれて生活しています。

今回は親になれば誰もが直面する“親子関係”について考えてみました。

コラムでも何度か書いていますが、どんな名家でも子沢山家庭でもシングル子育て中であっても、共通することが、“子供は親の持ち物”ではない、ということです。もちろん親の夢を叶える“道具”でもありません。

どんなに外見や気質が似ていても、親とは違う人生を歩む(歩む自由と権利がある)、認知も感情も違う、血の繋がりが(しかない)ある別人格の他者だからです。この“血の繋がり”というものが厄介なところでもありますが。

私自身、子を持つ一人の母親ですから「〇〇のように育ってくれたらいいな」くらいの漠然とした子供に対する期待はあります。私の子育てのベースにあるのは【自由を主張するなら自由に伴う大いなる責任を知ること。義務と権利は対であること。努力は自分がするもの、評価は他者がするもの。】を教えることです。

発達障害である息子は、定型と言われる子供とは違う苦労がありますが、心掛けていることがあります。“どんな激しい喧嘩をしてもクールダウンしたら親もきちんと謝る”ことと、忙しくても手を休め時間を作り、“丁寧に話を聴く”“子供の意思確認をし尊重する”です。

現在中学生で思春期真っ只中の息子とはぶつかり合いも多く、掴み合い寸前の激しいバトルを繰り返していますが、困った時や苦しい時は私に話をし、頼ります。普段は“返事はまずNOで”が基本のようですが、どうやら「何かあったら母は力になってくれる。話をちゃんと聞いてくれる、母は自分の味方だ」とわかっているようです。

親として「〇〇すればいいのに」と思うことは多々あるのですが、親の経験値から話をすると「母さんの言ってることは正論過ぎてムカつく」と食って掛かられるので(笑)、今はゆるく傾聴しながら「君はどう思うの?」「なぜそう思うの?」「だったらどうしたい?/どうしたらいいと思う?」と、とにかくアウトプットさせることで一旦外に置き、なるべく冷静に思考が整理できるように、を心掛けています。

育てたように子は育つと言われますが、この接し方が【解】なのかわかるのは、まだまだ先だと思います。

巷で話題の“毒親”にはネグレクトやわかりやすいさまざまな虐待はもちろんですが、「いつまでも子供は子供のまま」と手取り足取り過干渉で、無意識に子供の自立を阻む“優しい虐待”タイプの親もいます。

それを愛情と勘違いし、無意識に優しい虐待を続けていると、子供は思考することを学べず、決定を他者任せにする“自己決定”ができないまま成長し、自己表現ができないと同時に責任を負うことを学べないまま成長します。

泣くことでしか意思表示ができない何もできない赤ん坊から、自我が芽生え泣く以外の意思表示ができるようになり、言語習得が進むと反論し、可愛げなく猛烈に反発するようになります。人生経験値の浅い子供の自己決定は時として大失敗します。当然まだ責任など負えませんから、取れる責任ならば親がその責任を負い、子供はしでかした失敗で傷つき落ち込みます。

親が道をならし怪我をしないように平坦に整えるのも愛情なら、本人が歩きたいなら敢えて凸凹の道を歩ませ、転んで傷ついて落ち込んだ時に手を差し出すのも愛情だと思うのです。

失敗してもできることを増やしていくために、いつまでも同じ手の差し伸べ方ではなく、少しずつ手を放していく。糸の切れた凧にならないように“見守る”ことの大切さ、“信じる”ことの難しさを改めて感じながら、毎朝新しい気持ちで息子と向き合っています。『手は放しても目は離すな』と誰かが言っていたことを思い出します。

・・・ときれいにまとめたいところですが、新しい気持ちで朝を迎え顔を合わせた途端、相変わらず「スマホを取る前に薬飲んでね」「後で!」「君の忘れっぽさで後は二度と来ないから今飲んで!」と言い合いをしているのが日常です(笑)

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来年4月から施行される改正児童虐待防止法についての私見

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は近年激増する児童虐待に、とうとう厚生労働省がガイドラインを設け指針案を発表したことについて、私見を書いてみようと思います。

罪のない子供の命を守る、子供の人権を守り個人を尊重するという観点からそれ自体は大賛成ですし、虐待問題は社会全体として重く考えるべき課題だと思っています。イギリスやカナダには公的なアドボケイト制度があります。

アドボケイトとは子供(当事者)の意向に寄り添い、聞き取り、その権利を擁護代弁していくことで、その擁護代弁していく人のことをアドボケイターと言います。海外では弁護士がその役割を担うケースも多く見られますが、日本ではこの取り組み自体が新しく、ようやくアドボケイターの養成に着手したところです。

しかし一方で、今回の指針案の内容を読んで違和感を覚え、考えさせられたのも事実です。

自分の職業云々の前に、私も思春期男子の母親であり、今まで散々子供の教育、躾に悩んできましたし、今もその最中にいます。そして、まだしばらく続くであろうことでもあり、ゲンナリもしています。

実際罰則はないとはいえ、今回の指針案を見ると、かなりの“ダメ”が明記されており、仮にこれを家庭できっちり守り、やり切ろうとすると相当な無理が生じるような気がします。親を辞めたくなる人が続出しそうです。

厚生労働省指針案による

今までは家庭の考えや方針のもと、教育や躾は個々の家庭に委ねられてきました。アメとムチ、という言葉があるように、そのアメやムチをどう使い分け、我が子を躾けていくのか?だった気がします。虐待のガイドラインが設定されたことで、今回『ムチは全面禁止』となるわけです。

我が家ではどうだったのか?を考えてみました。子供に正座をさせたこともありますし、お尻ペンペンもやりました。頭ゴンッ!とゲンコツを喰らわせたことも、結果晩ご飯抜きになってしまった・・・もあります。でも、こぼしながらご飯を食べた、言うことを聞かなかった(広義ではそうなりますが)などの理由ではありません。

自分(子供自身)や他者を重大な危険にさらす可能性のある行為、公序良俗に反したり、他者に重大な不利益や迷惑をかけるかもしれない行為に対しては『じっくりしっかり言い聞かせる』は後に回し、とにかく今すぐに“手をピシャリ”、“頭ゴンッ!”で理解させなくてはいけない場面もあるのではないでしょうか。

親側が不快になる、大変な思いをする、思い通りにならない・・・などの理由で感情をぶつける意味での殴る蹴る、ひっぱたくは明らかに虐待と言えますが、日常的に起こるさまざまなことに対峙し、その場その場で対応していくのは保護者、今はまだもっぱら母親がその役割を担うことが多く、それゆえに追い詰められやすいのも母親です。

虐待したくてする親はいない、私はそう思っています。ならば、実現不可能に近い虐待のガイドラインを作り、あれダメこれダメを設定するよりも、

虐待しそうになるとても苦しく孤立を感じた時に適切な支援をおこなう、毎日必死でいっぱいいっぱいになっている保護者の小さな訴えに24時間いつでも話を聞いてもらえる窓口が、もっともっと身近に必要ではないか

と考えます。一応民間を含めいろいろな電話相談窓口はありますが、とにかく繋がりません。本当に何回、何十回かけても繋がらないのです。

余談ですが、中学1年の息子は重複の発達障害を持っていて、発達性協調運動や眼球運動、微細運動や粗大運動にも問題を抱えています。とても見落とされやすく、表面だけを見ると障害があることさえわかりません。「あなたが発達障害を作ったんじゃないの?」「そんなふうに見えないんだけど・・・。普通じゃない?神経質過ぎ」などなど、無知からくる無理解極まりない人たちにゴリゴリと心を削られてきました。

学校はもちろん、考えうるすべての支援機関と繋がり、専門家の支援やアドバイスをもらっている私でさえ、一歩間違えれば取り返しのつかないことをしてしまったであろう場面が幾度となくありました。それを支えてくれているのは、私自身を取り巻く状況を誰よりも知るパートナー、そして長い付き合いの大切な友人たちです。彼らがいなければ、母子心中してもおかしくなかったと思います。

わからないことはすぐに調べ上げてフットワーク軽くどこへでも出向き、必要とあらば発達障害に関する資格をいくつも取得する私でも、学校や支援機関、行政機関の窓口と手続きの複雑さや煩雑さ、細かな申し送りがなされなかった時の不便さ、もどかしさを知っています。

必要なのは虐待の細かい指針を決め『これを守りましょう』『これはやってはダメです』と親を執拗に縛ることではなく、追い詰められてもいろんな事情で助けの声を上げられない、上げ方がわからない、訴える場所もわからない、ゆえに孤立していく(かもしれない)

育児難民(予備軍)を生まない枠組み

を考えることではないか、と私は思います。

<運営会社:Jiyuuku Inc. ESSAY

毒親 〜 後編:子供は別人格の他者

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回に引き続き、毒親についての後編として【毒親に育てられた人の特徴】についてです。その前に、

発達障害やパーソナリティー障害にも重複する特徴があるので、すべての特徴を持ち合わせているからといって“毒親育ち”とは限りません。その傾向が高いと理解してください。

では本題に戻ります。毒親に育てられた人の主な特徴は次のとおりです。

・感情を出さない(出せない)。

・そもそも自分の感情がよくわからない。

・自分に自信がなく自尊心が低い。

・安定した人間関係がうまく築けない。

・緊張状態が続きリラックスできない。

・物事に白黒つけたがる。

・情緒不安定。

・人間不信が強い。

・批判されること、挫折に弱い。

・誰かと関わることを恐れる。

・周りの評価を気にして周囲の期待に応えようとする。

・自分を大切にできない。

・そもそも自分を大切にするということがわからない。

・自己犠牲精神が強い。

・思ったとおりに行動することに罪悪感がある。

・責任転嫁しやすい場合もある。

・自分より親の価値観や意見が絶対、または最優先。

・他者の顔色を窺いすぎる。

・責任感が強すぎる。

・自分で決定ができず他者頼みになりがち。

当たりが柔らかくても毒親という人はいます。例えば「あなたのためを思って」「お母さん(お父さん)にすべてを任せておけばいいのよ」「大丈夫、全部わかってるから」と耳障りのよい言葉を使い、先回りします。それが、子供の意思や考えを尊重しない『やさしい虐待』と呼ばれる毒親です。

血が繋がっていてどんなに濃い間柄であっても、

子供は親とは違う人生を歩む別人格の他者。

心配のあまり、子供のすべてに口出しし制限を設け、親の思ったとおりに道を歩ませるのは、伸びていく子供の自主性を阻み、自己決定のできない他人頼り、他者任せに成長させてしまいかねません。

転ばないようにデコボコ道を平らにし、失敗しないように先回りして環境を整えるなど、親には今までの生きてきたノウハウが備わっているので当たり前といえば当たり前です。もちろん自他共に大ケガや命の危険がある行為は別です。

大事なことは転んだり失敗をした時に、失敗体験になってしまった子供の心に寄り添い、大丈夫という声がけと、「次はこうしてみよう」という気持ちを立て直すためのヒントを与えることです。

一度の失敗で物事の繋がりを理解し、先の見通しが立てられる驚異的な能力を持つ子供(大人でも?)はいません。失敗しないように道を平らにならすことばかりに目を向けず、むしろ失敗して傷つき戻ってきた時に「ほら、言うことを聞かなかったから!」と否定したり「こんなこともできないの?」と跳ね除けるのではなく、「そうかそうか、うまくいかなかったか、悔しかったか(悲しかった、痛かった)ね。大丈夫、次はこうしてみよう(こう気をつけてみよう)」と言ってみてください。

世の中にはピーナッツ親子、一卵性親子と言われる状態の親子が存在します。実際に無意識に子供の思考や行動を縛りつけ、指示を出し、子離れ親離れできない一見仲良し親子。第三者から見るとどっぷり共依存というケースがあります。当人同士がよければいいのでは?と思われがちですが、家から一歩も出ない完全引きこもりで人間大嫌い!でもない限り、人は誰かしらと関わりを持ちながら社会生活を送ることになります。当然本人が生きづらさを抱えたり、関わりを持つ他者に戸惑いや不安を与えてしまう場面に出くわすこともあるでしょう。

もし、親子関係に違和感を覚えたり、自分自身に先に書いた特徴にいくつか心当たりがあり、生きづらさを感じている場合、住んでいる自治体の相談窓口を活用することや保健所または医療機関でカウンセリングを受けることもできます。例えば東京都であれば福祉保健局に相談窓口の一覧が掲載されています。

あなたは、あなた自身で、あなたの人生を歩めていますか?

毒親 〜 前編:大きく4タイプ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は前編、後編に分けて【毒親】について書きたいと思います。毒婦という言葉は昔からありますね。

どこかで目にしたことがあるかもしれませんが、なかなか強烈だと思いませんか?この【毒親】という表現。まず、毒親とは一体何なのか?

読んで字のごとく

<子供の成長に悪影響を与える親>

のことです。

どんな親も子供の幸せを願い、“◯◯のように育ってほしい”“◯◯のようにはならないでほしい”と、正解のない子育てに日々奮闘中だと思いますし、実際私もその真っ只中にいるわけです。

この毒親、いくつかのタイプに分かれます。

無関心・無視タイプ
仕事第一主義、自分第一(誤解してほしくないのは、自分を愛し第一に考えることそのものは絶対悪というわけではない)。子供の要求や願望に関心がなく、その気持ちに寄り添おうとしない。

●病的タイプ
思い込みや妄想、認知の偏りからパーソナリティーに問題を抱えている。

●過干渉・やさしい虐待タイプ
過保護という見方もできる。子供の行動に何でも先回りし、いちいち口を出し、子供に『こうすべき』と指示、命令、自分の思い通りの方向へ向かわせようとする。転ばぬ先の杖とは言うが、転ぶかどうかもわかりもしないのに、『転ばないように折れない杖を持っときなさい、それも折れたら困るからより丈夫な杖をスペアで持ちない。万が一転んだ時のために消毒薬と絆創膏も持っときなさい』あるいは『転ばないためにそもそも家から出ないほうがいいよ』のようにオール指示をし自立を阻む。

●アグレッシヴタイプ(高圧的支配)
すぐに感情的になり暴言暴力、思い通りにならないことを力業(ちからわざ)で支配しようとする。過干渉タイプと似ているように見えるが、過干渉タイプが【心配・不安】が行き過ぎた結果の行動であるのに対し、アグレッシヴタイプは【思い通りにならない苛立ちや怒り】がベースになっている。

次回はこうした毒親に育てられた場合、子供の心の発達にどのような影響を及ぼすのかを考えていきたいと思います。