共感疲労

メンタル・ イデア・ラボの本城ハルです。

“共感” という言葉は知っていても、共感疲労という言葉は聞き慣れず、どのような状態なのかわかりづらいと思います。

今回はそんな『共感疲労』についてお話ししたいと思います。

悩みがあって辛い状況にある他者に対し、その人の悲しみや苦しみ(絶望感や孤独感など負の感情)に寄り添い過ぎることで自分の心が疲れてしまい、ストレスを感じている状態を“共感疲労”と言います。

以前はメディカル、コメディカル、福祉に携わる人や心理カウンセラーなど、ケアや他者支援に従事している人々に起こりやすいと考えられていました。

しかし、個人的な関わりの中でも共感疲労が起こることがわかってきています。共感力が高く、肯定的に話を聞いてくれるとホッとすると思います。仕事であっても常に肯定的に共感しながら、傾聴を続けるのはエネルギーを使うことですが、関係上共感しながら肯定的に聞かなくては関係が拗れ、面倒なことになりそうな相手でも(常に愚痴っぽい兄弟姉妹、両親、親族。口を開けば他者批判や悪口を垂れ流し同調<共感ではない>を求める友人、知人、ママ友など)共感疲労は蓄積していきます。

共感疲労になると、次のような症状が表れることがあります。

  • 個人的な達成感(プライベート/仕事)が薄くなったり感じにくくなる。
  • 喜びや楽しみが減り、さまざまな活動意欲が低下する。
  • 無気力、無力感を感じたり、イライラしやすくなったり、反対に無感覚になったりする。
  • 離れても他者の悲しみや苦しみを反芻し、その原因となる事柄や人物に怒りの感情を感じる。
  • 食欲不振や不眠、胃部不快感など身体症状が出る。

また、共感疲労になりやすい人にも特徴があると考えられています。

  • 自分の仕事や役割に使命感を持ち、責任感が強い。
  • 自己肯定感が低め。
  • ネガティブ思考。
  • 他者に対し優しく親切で気遣いし過ぎる。
  • 感受性が強く繊細(HSP)。
  • 理想が高く、現実とのギャップを感じやすい。
  • 心的境界線(バウンダリー)を引くのが苦手、わからない。

共感疲労は心の状態次第で誰でもなり得ることですが、そのような状態が続くと自分が思っている以上に心に負荷がかかり、さまざまな心の不調や体の不調を引き起こすことに繋がります。

そうならないためには、まず“共感疲労”という言葉や状態があることを知ること、自分が共感疲労に陥っていないか自分自身に目を向け(マインドフルネスが有効です)、普段から十分な休養に睡眠、趣味の時間などセルフケアを心がけていくことが大切になります。

自分の感情や思考について知ること。また、気持ちが疲れた時や辛い時、苛立ちを感じる時には専門家をはじめ、自分を受け止め話を聞いてくれる信頼できる人に話を聞いてもらいましょう。

モヤモヤを自分から出し、外に置くことで問題と距離を置くことができ、モヤモヤの整理がしやすくなったり、気持ちがラクになります。

いつもの疲れが共感疲労からくるものでなないか確認してみてくださいね。

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メンタルと心の違いを考える

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

私は広告制作の仕事もしているせいか、言葉に敏感なところがあります。広告はキャッチコピーをはじめ、コピーを考えることも仕事の一つです。商品やサービス、あるいは企業そのものについて、わかりやすく表現する言葉がコピーです。コピーライターという職種が専門にあります。

標題にも書いたように、私たちは『メンタルと心』を同じように使っていますが、果たして同じだろうか?という素朴な疑問が私の中でふと湧きました。

メンタルは英語、心は日本語であることは誰もが納得するところだと思います。そこで、日本語の『心』に近いは英語は何だろうと考えた時、それは『ハート(Heart)』あるいは『エモーション(Emotion)』ではないか?と。一方英語の『メンタル』に近い日本語は何だろうと考えた時、心というより『気分』『気持ち』あるいは『精神』『心理』ではないかと思いました。

私たち日本人は日常において、心が弱る、精神的に滅入る、気分が滅入る、気持ちが落ちる、などと、メンタルと心という言葉をいちいち考えて使い分けることなく、無邪気に使用していると思います。直感的に、と言ってもいいかもしれません。

心とは何か、を少し深く考えた時、それは想いだったり、感情だったり、情緒だったり、いわゆる英語で言うところのエモーショナルなことではないかと思いました。

若者の間で“エモい”という表現が使われています。エモーショナルな事象を“エモい”と彼らは言うらしいのですが、具体的に表現できない、言葉にしにくいことに遭遇した時の気持ちを表すこととして使われるようです。これは何を意味するかというと、思うに、『心が何らかの反応をした』ということではないでしょうか。精神や心理(あるいは気分・気持ち)が何らかの反応をした、と言い換えてみると、どこか違和感を感じます。やはり『心が何らかの反応をした』=『エモい』のほうがしっくりくる気がします。

このように考えてくると、日本語の言う『心』とは、感性(センシティブ)にまつわることと言ってもいいかもしれません。

それに対してメンタルはというと、精神的、心理的な部分のことと言えるのかもしれません。心に理が付くと、途端に感性やエモーショナルなことではなく、脳との関連を想起させます。『理』つまり『ことわり』ですから、思考と密接に関係しているのではないか?つまり脳です。また心理は思考に影響されるところが大きいと言えます。人間関係で悩むことを例にすると、悩むこと自体が既に思考です。さらに精神とは一歩踏み込んだもので、その人の自分軸、支柱、存在意義というか、その中には当然思考も含まれ、現時点でその人をその人たらしめているものが精神ではないかと思うのです。

このように考えるてくると、英語の言う『メンタル』とは、思考(シンキング)にまつわることと言ってもいいかもしれません。

以上のように考えてくると、『メンタル』≒『思考』、『心』≒『感性』となり、即ちメンタルと心は似て非なるものだと言うことができます。なるほど、心理学と脳科学が密接に関係してくるわけです。あくまでも私見ですが。

だとすれば、メンタルヘルスは一般に『こころの健康』と言われていますが、『思考の健康』となります。考え方の健康ということです。ネガティブや悲観的など負の思考に引っ張られたり陥った時を思い起こすと、それに呼応するかのように気持ちに作用し、イライラが募ったり、自暴自棄になったり、体調不良、不眠、食欲不振などが生じます。思考の仕方がそもそもの発端であることがわかります。しかし現実には、そもそもの発端である負の思考は見落とされ、二次的とも言える表面に出ている気持ちや気分にばかり目がいっています。これでは対症療法的なことを繰り返すばかりで、根本解決にはなりません。

仕事が思うようにできない、向いてないのかな・・・と悩む(考える)。今日も上司に叱られた、私は(俺は)ダメな人間だ・・・と悩む(考える)。経済的に苦しい、どうしたらいいんだ・・・と悩む(考える)。などなど、自分の存在、自分の存亡に関わることで悩むこと(考えること)が、メンタルに悪い影響を及ぼしていることがわかります。なるべくメンタルに悪影響を及ぼさないためには、悩み方(考え方)を工夫することが案外有効であり、悪影響を回避できるのではないか、と思うのです。

ここまで考えてくると、性格や生来性はあまり関係がなく、ましてやそれらを変えることではなく(変えることは至難の業)、思考の仕方の選択肢を多く持つと言えばいいのか、『変える』のではなく『拡げる』ことがカギとなりそうです。その結果が心の安定へと繋がっていくのではないか、と思います。思考の仕方を拡げると言われれば何とかできそうな気がします。

最後に、ルネ・デカルトの“我思う故に我あり”という有名な言葉があります。簡単に言い換えると“私は考えている、だから私は存在している”となります。つまり、『私』の存在は『考える』ことで成り立っているということです。メンタルが思考にまつわるものだとすると、ハートやエモーションといった感性にまつわる『心』とは明らかに異なるものと言えそうです。

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認知を制する者は感情(行動)を制す<3>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

3回目となる今回は、ネガティブな人に見られがちな自動思考と、例を挙げてワークシートでその妥当性を検証してみましょう。

ネガティブが人(鬱になっている人にも)に見られがちな自動思考。

  • 私は誰からも必要とされない。
  • 私の人生は何もかも上手くいかない。
  • 私は取り柄のない人間だ。
  • 私は負け犬だ。
  • 私には価値がない。
  • 誰も私のことをわかってくれない。
  • 楽しいことなんか一つもない。
  • 私はもう終わりだ。
  • 何をやっても上手くいかないに決まっている。
  • 生きていても良いことなんかない。
  • 我慢するなんて耐えられない。
  • 自分が嫌で仕方ない。
  • 消えてなくなりたい。

例を挙げますので、それが正しいのか誤りかを検証するための<4つのプロセス>で自動思考が及ぼす影響を書き出してみます。

●自動思考の例

食事中に夫に話しかけたのに返事がそっけなかった。
私をもう嫌いになったのかも、私の話なんてどうでもいいに違いない。→心の読み過ぎによる決め付け。

記入例を参考に自分でも記入してみてください。

<4つのプロセス>自動思考の妥当性を検証するために『自分に質問する』。

①→自分がそう考えている根拠は何か?

▶︎自分の考えていることと事実を混同していないか?(事実ではない“かも”しれない)
▶︎確かめていないのに早合点したり思い込みはないか?
②→何か他に別の見方はないか?

▶︎自分の考えやモノの見方だけがすべて正しいと言えるのか?
③→そう考えることでどのような影響がある?

▶︎そう考えることが自分の役に立つか?邪魔になるか?
▶︎そう考えることで、自分にとってどのような利益(良い面)と不利益(望まない面)があるか?
▶︎答えの出ない(ない)質問になっていないか?
④→どこかに思考の誤りはないか?

▶︎0ー100思考、自動思考、全無的な思考に陥っていないか?
▶︎思考の中に極端な表現はないか?
▶︎望まない/悪い面だけに目を向け過ぎていないか?
▶︎たった一つのことだけに気を取られ、自分だけに非があるように思っていないか?
▶︎自分と関係ないことまで自分と関連づけて考えていないか?
▶︎自分の責任とは限らないのに、自分に責任があると思い込んでいないか?
▶︎物事をあるがままに受け止めず、“こうでなければ”“〜すべき”と対処法を考えていないか?
▶︎確認もせず自分一人で先走り、勝手に予想していないか?

次に【考え(思考)と気分(感情)の記録シート】のワークシートを使用しながら、普段の自分の考え方の癖を見つけ、考え方から生まれる気分(感情)がどのようなものなのかを改めて意識してみましょう。

少し横道に逸れますが、「今の気分は?(感情は?)」を聞いても、考え(思考)と混同して答え方がわからなくなる人も多いので、気分(感情)の例を挙げてみます。感情表現が苦手な人ほど、気分(感情)と考え(思考)を混同しやすい傾向があるようです。

<気分(感情)の例>

不安、悲しみ、困惑、寂しい、同情、傷心、義務感、恨み、虚しい、焦燥感、批判的、無気力、絶望感、混乱、心配、劣等感、孤独感、恥ずかしい、イライラ、悲哀、憂鬱、猜疑心、見捨てられ感、距離感、恐怖、落胆、モヤモヤ、憐憫、不全感、万能感、敗北感、後悔などなど。

ほんの一部を抜き出してみましたが、まだまだたくさんの気分(感情)があるのです。なかなか目を向ける機会がない気分(感情)に、一番適切な“名前”は何か、を考えてみるのもよいかもしれませんね。

自分の考え方の癖を見つけて、“それが正しい根拠”は簡単に見つけられても、“それが正しくない根拠”はなかなか見つけにくいものです。そんな時は、

  • 自分の一番の友人や大切な家族、大好きな人がそう考えていたら、自分は何と声をかけるだろうか?
  • 過去に同じこと、似たような状況はなかったか?それはいつだっただろうか?今回と似ていても、以前との違いは何がある?
  • 今の考えが“完全に正しい”と言えなかった経験はない?
  • 今から10年後に今の状況を振り返った時に、今とはどのように違って見えるだろうか?
  • 自分でコントロールできないことまで自分でコントロールしようとしていないか?

これも自問自答して【考え(思考)と気分(感情)の記録シート】のワークシートと共に検証する際のヒントにしてみてください。

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思考について考えてみる【前篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

いきなりですが“考える力”を育むために必要な要素とは何だと思いますか?

それは、

知識力と思考力

です。今回は知識力や思考力、また思考方法などを前篇・後篇で書きたいと思います。

知識力とは、その人自身が持っている知識の量ですが、暗記が得意で知識だけが溢れるほどあっても、思考力が伴っていなければ考える力が高いとは言えません。

知識力と思考力をマスク製作を例に出して考えてみましょう。

マスクを作るために必要な道具(ミシン、縫い針、ハサミなど)や材料(さまざまな布やゴムひもなど)が考えられます。

●道具の使い方やさまざまな布やゴムひもの性質をどれくらい知っているか?

↑これに該当するのが知識力になります。

●どの素材(夏だから接触冷感にしよう、冬は暖かな肌触り。ゴムひもは耳が痛くならないニット製、それとも耐久性のどちらを選ぼうかな)を使い、どんな形のマスク(立体型?プリーツ型?など)を、何を使って(手縫いだけにしようか、ミシンを使おうか)どのような手順で作るのか(先にまとめて裁断しようか、ゴムひもから取り掛かろうか)?

↑これに該当するのが思考力になります。

道具や材料が揃っていても、

  • 何のために
  • どのようなマスクを

をイメージできなければ実際の行動に移すことはできません。取り掛かれても、途中でグダグダになることが目に見えています。

私たちは、

無意識に知識を使い、知識を発展させたり応用するという思考がセットになって行動に繋がっている

ことが分かってもらえたと思います。

一度自分の行動を振り返り、

どのような知識を使い、それを発展、応用しているのかを意識してみる

とわかりやすいと思います。

料理、買い物といった家事、営業や接客、指示されたものを作り上げるといった仕事、そこには蓄えた知識を柔軟に発展、応用しているあなたがいるはずです。

後篇では思考法について考えてみます。

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全5回:感情と表現【5】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【感情マネジメント】の最終回となる今回は、感情ABC分析のB(ビリーフ/思考)と、不快、怒りなどの不健康な感情を引き起こし、悪化させてしまうイラショナル・ビリーフ(歪んだ思考)/イラショナル・セルフトークについてと、自分の感情や考え方のクセを知るために、習慣にしておくと自分を客観的に見る材料となる

ABC分析

気分日記

についてお話します。

まず、私たちが持っているラショナル・ビリーフ/ラショナル・セルフトーク、イラショナル・ビリーフ(イラショナル・セルフトーク)は、幼少期からすでに始まっていて、身近な親兄弟、同年代の友人や知り合い、徐々に広がっていく社会の中で関わりを持つ人、そしてメディアから無意識に学んでいます。

  • ラショナル・ビリーフ:整理されたロジカルな思考
  • イラショナル・ビリーフ:歪んだ思考

と考えてください。

他者からイラショナル・ビリーフを受け取ることはあまりなく、経験やトラウマから自分の中にある無意識なビリーフ(認知/思考)が、イラショナル・ビリーフやイラショナル・セルフトークを私たち自身の中で作り出していきます。

一度作り出されたイラショナル・ビリーフは、私たち自身が気付き、意識して積極的に変えていこうと取り組まない限り、無意識下に存続していきます。

感情マネジメントに取り組むことで、自分にどのようなイラショナル・ビリーフ/イラショナル・セルフトークがあるのかに気付くことができるのです。

私たちは自分のラショナル・ビリーフやイラショナル・ビリーフにより、自分や他者、社会を肯定的、否定的に評価しています。ラショナル・ビリーフ、イラショナル・ビリーフというビリーフが私たちの感情や行動を決定していると言えますね。

長い時間をかけ蓄積されてきたイラショナル・ビリーフには、どのように気付けばいいのでしょうか。

次に幾つか例を出しますので、その中でどれが整理されたラショナルな思考か、イラショナルで歪んだ思考になっているのかを見つけてみてください。

a:友達が言ったことでムカついた。

b:ドラッグストアの店員の言動が自分を不快にさせた。

c:彼が私をぶちギレさせた。彼のしたことを考えれば考えるほど、ますます腹が立った。

d:祖母が話した過去の酷い体験が、その日一日中私を落ち込ませた。

e:一昨日、買い物中に別れた夫に出くわしてから嫌な気分に陥った。

f:改札前でSuicaを忘れたことに気付き、とてもマヌケな思いをした。

ABC分析と気分日記についてお話するのを読み進めていきながら、一番最後にある答えと照らし合わせてみてくださいね。

まず、気分日記をつけることの意味ですが、毎日あるいは1日を通しての気分のベースにあるものを整理できます。『正確に』『記録しなきゃ』というものではなく、“おおよその”で緩く考えてもらって大丈夫です。

自分の感情を意識、注意して見ていくことが、振り返り(フィードバック)、後でそれを修正し改善していくことに役立つのでとても重要です。下記に気分日記の例を出します。

各項目ごとに1日の平均的気分を、1〜10段階評価で表します。備考は身体症状や一番ポイントが高かった項目について内容をサラッと書いてもいいと思います。使っているうちに『ちょっとこれを足そうかな』『うつはいらないかも』になると思いますから、気がかりで注目したい感情を選び、気持ちの項目を自分仕様に変えていき、一番自分に合う形を見つけてくださいね。

ちなみに私は【イライラ】【モヤモヤ】【落ち込み】【怒り】という4項目と、備考に身体症状を書き込んでいます。

気分日記イメージ

自分の感情をよりよく理解するために、思考、行動、睡眠パターンや食事、人間関係や身体感覚(胃痛や頭痛、筋肉の強張りの起こり始め)にもっと目を向ける必要があります。

ABC分析は気分日記をより細かく見ていくことにフォーカスします。

ABC分析図

わかりやすく13歳の息子の私によるABC分析をしてみます。

A → 部活に行ったら無視された。

B → 腹が立った。

C → やってらんねー!と帰宅した。

このBには『せっかく頑張って部活に来たのに』という怒りの気持ちの裏に、イラショナル・ビリーフ/イラショナル・セルフトークの『休んでて久しぶりに来たんだから、みんな優しくするべき』という5つの危険な連鎖だったり、『声くらいかけてくれてもいいのに』という不安や不満が隠れているのがわかりますか?その結果、彼は部活を放り出して帰宅しました(笑)

ABC感情分析は、気分日記よりも詳細な分、記憶を辿らなくてはいけなかったり、嫌な気持ちを再想起しなくてはいけないので、落ち着いて考えられる時でないと感情分析ではなく感情散乱怒りの大爆発になってしまう可能性があるので注意が必要です。

このシートもただの感情のA-B-Cという分析手順を可視化し、記録するためのガイドですから、手順をメモできて見返せるのなら、スマホ、家計簿、手帳・・・何でもいいのです。慣れてくるとシートなんて要らなくなります。

私はイライラモヤモヤした時に脳内分析シートに記録し、即時分析することで自分の認知と行動に向き合うことにしています。

さて、ラショナル・ビリーフ、イラショナル・ビリーフはどれかという問題の答えです。

ラショナル・ビリーフ:b・e

イラショナル・ビリーフ:a・c・d・f

でした。

感情マネジメント、感情分析ABCは、感情と行動について知ることで行動変容に繋げていけるツールなので、またの機会にシリーズでお話しようと思います。

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同調圧力とKY、思考

新年明けまして、おめでとうございます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

本年よりコラムの掲載は毎月5の倍数日

5・10・15・20・25・30日

を基本に掲載していく予定です。

本年もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

2020年 子年

2020年最初のコラムは、日本人なら誰もが一度は経験したことのある同調圧力とKYについて書こうと思います。

同調とは他者に“調子を合わせる(本意、不本意に関係なく)”であり、【同調圧力】や【同調行動】は環境や関係、感情によって生まれます。似ているように思われがちですが、

同調】と【協調】はまったく違うもの

です。

同調が他者に(自分の考えや意見を飲み込む、または自分の考えや意思を持たず、無意識的、意識的に関わらず)調子を合わせることに対し、協調は他者と考えや意見、また立場が違っても“互いに”譲り合ったり、擦り合わせをし協力することを言います。

深く考えずに適当に「そうそう、そうだよね〜、あるあるー!」と言っているそこのアナタ、それは共感や協調ではなく、ただの同調です。

協調は互いに助け合い、協力し合うことで調和を目指す前向きなものなのですが、同調はその裏側に不安や恐怖、忖度に面倒くささもあったりするので、“見せかけの調和”と言えるのかもしれませんね。

人は自分と同じ行動(考えや意見)をする人に対し、親近感を持ち安心感を覚えます。これは同調効果と呼ばれます。似た行動にミラーリング効果がありますが、これをわざとらしくない程度に意図的に行動に織り込むことで、相手との心的距離を縮める効果があります。

話を戻しますが、日本は古くから単一民族であったため海外ほど“互いに違う文化や考え方を尊重し合い、認め合っていく”機会に恵まれてきませんでした。

まだまだ絵に描いた餅でしかないダイバーシティという考え方ですが、真の意味でなかなか浸透しない背景には“皆同じ行動”や“多数派が正しいかも?”という考え方が、集団としての“まとまり”として良しとされてきたこと、何より幼少期から飛び出す個性より足並みを揃えること、協調性を求められながら育てられることで、集団の中で浮かないことや長いものに巻かれることが生きやすいことと学んでいます。学校教育がその典型でしょう。

こと日本社会においては一概に間違いとは言えないと思いますが、“他者(の評価、考えや思考)”を“気にし過ぎるあまり、自分を上手く主張できない”ため、海外では“自己主張できない、自分の意見を言えない、ノーと言えない日本人”と映ることも多いようです。

日本では多数派の意見に異論を唱えると「それはオカシイ」という空気になり(もちろんオカシイ時は少数多数関係なくオカシイのですが)、挙げ句「空気が読めない」と思われ、略して【KY】という新語が生まれたほどです(笑)

人間関係において軋轢を生まないコツは、アサーションなどコミュニケーションスキルを身につけておくことはもちろんのこと、

事と次第によっては同感するし共感もするけれど、自分の意思があるので異論があれば同調はしない。でも、他者の意見や考えは尊重し、擦り合わせが必要な場面では互いに歩み寄ることで、なるべく納得のいく着地点を探る努力は惜しまない

といったところでしょうか。

実際問題、立場が違う人間と意見交換をしたり、人が集まり意見を出し合う場面では多少なり同調効果は表れるので、そこにゆる〜い同調圧力は働くものです。

同調は自分の考えや意見を表明しなくてもいいので、一見とても楽チンに思えます。しかしそれは恐ろしいことに

自分に問う、思考する、を麻痺させていく

側面も持っています。長いものに巻かれることは、ラクで間違いないこともあるので、処世術の一つと考えるとあながち間違いとも言えないかもしれません。ただそれが行き過ぎると、今の官僚組織のように忖度、KYばかりが常態化して本来の役割や目的を忘れてしまいます。

しかし、近年“思考する”ことができない(わからない、不得手)人が増えてきていると感じる背景には、“ラクだから(嫌われたくないから)同調しておく”もあるように思えてなりません。

フランスの哲学者であり、また数学者でもあったブレーズ・パスカルは『人は考える葦である』と表現しました。「葦はか弱いものである。だが、人間は宇宙より偉大だ。なぜならば考えることができるからだ」と。

【考える】は、とても面倒なプロセスで、考えても考えても、頭から湯気が出そうになるほど考えても解がないことは多くあります。解を求めたがるのは人間のサガかもしれませんが、

解を求めることが目的ではなく【思考すること】こそが目的

と言い表すとわかりやすいでしょうか。

人間が考える葦ならば、思考しなくなった人間はただの葦ということになります。

考えても解がないから無駄だ、とは思わないでください。解がないこともまた解なのですから。

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