茶を飲んで思ったこと

メンタル・イデア・ラボのスミです。

首都圏では緊急事態宣言が引き続き延長されました。7日日曜日が最終日で、今頃はある程度通常に戻っているはずでした。特に私は食事は外食が多いため、飲食店の20時閉店、アルコールに至っては19時まで、という縛りにうんざりしていました。夜はどこへも行けないのが現実です。21日までそれが続くことになりましたが、果たして解除されるのか疑問です。

しかし、自分が何かできる問題でもないので、仕方なく窮屈を感じながらも過ごしていますが、先日、宇治の老舗の茶舗で茶葉を直接取り寄せました。実際に店にも行ったことがあるので、どんな店かは知っています。和菓子なんかを用意したりして、飲んでみました。

美味いですね、やっぱり。

煎茶だったのですが、少し角があるというか渋味があって和菓子の甘さをサラッと流してくれるような美味さでした。単純にニッポン人でよかったな、と思いました。20代の頃は何故こうしたことに興味がなかったのか不思議です。

湯を沸かし、急須に茶葉を入れ、湯を急須に注ぐ、こうした一連の行為は何の変哲もない日常のことですが、ゆっくりした時間が流れ、茶を飲みながら和菓子を食べることでどこか贅沢な気分になりました。ほっこりした幸福を感じました。緊急事態宣言中のさまざまな都合の悪さや不便さに、無意識に鬱積した心の澱みたいなものが、茶を淹れ飲むまでの一連の行為により、洗い流されたような感覚になりました。酒とはちょっと違う感覚でしたね。

私の場合は茶でしたが、それが珈琲や紅茶の人もいるかもしれません。まだ寒さが残るので、温かい飲み物もよかったのかなと思っています。飲むまでのプロセスも心には重要な効果があるように思いました。当然ですがペットボトルのそれや大量生産された、いわゆる『お茶っ葉』では絶対に感じられないな、と思いました。

ただ飲んで美味しかった、だけではなく、茶葉を摘み、職人によって手間暇かけて仕上げられた茶葉だと思うと、いつもとは違う気分になりました。今まであまり気にしていなかったことに、あえて意識を向けてみると、ほんの少しかもしれませんが案外心は潤うものかもしれません。

手間暇をかけると愛着が湧く、と言いますね。便利過ぎると愛着が湧きにくくなる、これはメンタルには、例えばイライラしやすくなるリスクかもしれないと思いました。メンタルにとって不便過ぎてもいけませんが、便利過ぎてもいけない、便利な生活の中で、いかにあえて不便さを残すか、茶を飲みながらふとそんなことを思ったのでした。

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