過剰なルッキズム

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

病院など一定の条件はありますが、“マスク必須!”がなくなり、アフターコロナに舵を切ってもう半年弱が経ちますね。と同時に、以前よりもルッキズムという言葉をよく聞くようになりました。

長く続いたマスク生活で、隠していた素顔(?)を他者に晒すことに抵抗を感じる人は、案外多いのかもしれませんね。

女性なら、メイクが適当でもマスクでバレない、目元さえどうにかしていれば後はマスクで隠せる!・・・とお手入れを怠っていたツケが回ってきて焦っている人もいるでしょう。

何も理由はそれだけではありません。

今はスマホで撮影した後に、さまざまな加工ができるアプリが多くあります。そのおかげでいくらでも自分の顔を理想に近づけるために、イジることができるようになりました。そのまま素の自分を加工せず(盛らず?)、画像をSNSなどに上げる潔い人はほぼいないように思えます。

実際、「え〜、そんなに盛ってないよ〜」と言いながら、目は二まわり大きく、肌は美白でツルツル、目の下にはクマもなく目袋プックリ、不自然な人中の短さ、どう見ても「自然の人間というより2.5次元?」みたいな画像をよく見かけます。

私はいくらよいスマホを使っていたとしても、画像加工に興味がないのに加え、そのスキルもありません。「どうせ会ったらバレるし」という考えがあるので盛ったことはありません。そもそもSNSをやっておらず、“盛った”画像を載せる場所も機会もないので加工する意味もありませんが(笑)

自己肯定感が低く自分自身を肯定的に受け入れられていないと、他者からどう見られているか、どう思われているのか?を過剰に気にしてしまいます。他者からの評価がなくては自分で自分を認めることができないのです。SNSで必死に『いいね!』の数を競い、『いいなー、羨ましい!』と羨んでもらうことで危うい足下を保っていられる承認欲求オバケとあまり変わりません。

美/醜の基準は百人百通りのはずなのに、揃いも揃って“目は大きく二重”、“目と目の間は狭く”、“鼻筋が通った鼻の穴が見えない鼻”、“顎は突き刺さりそうなほど尖らせて”、“肌に一点の曇りもなく”・・・と揃いも揃って加工アプリで同じように盛りまくった結果、美肌だし目も大きいし人中も短いけど・・・みんな似たり寄ったりで生身の人間らしくないバランスのオカシイ顔が並んでいます。いつもやり過ぎていると、整形を止められない整形依存のように、加工が止められなくなるみたいで、繰り返しているうちに“盛り盛り盛っても気付かない自分”になってしまいます。

見た目が大事ではない、とは言いません。

目の下のクマをなかったかのように加工、の前に寝不足にならないように質のよい睡眠を取ること、目を二まわり大きく見せる加工をする前に、肌を不自然なほどツルリン加工する前に、生活を見直し、肌のためによい食生活を心がけるなど、自分の“見た目”を気にする人ができることがあります。

そして何より大切なのは、人中の短さより“清潔感”ではないかと思うのです。盛りまくってるけどあまり歯を磨かない人、盛りまくってるけどバッグの中はグシャグシャの人、盛りまくってるけど肩にフケが乗ってる人、盛りまくってるけど目やにがついている人・・・。

何だかとても残念な気がしてなりません。自分をよく見せようと“盛る”のですから、盛りまくるその前に“盛る”土台にも目を向けてみてほしいと思う、今日この頃でした。

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他者に必要とされる必要

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

突然何やらこんがらがりそうなタイトルですが・・・今回はまたしても【共依存】についてお話ししようと思います。

このコラムでも以前に自己肯定感・自己有用性・承認欲求については書いています。

今回の“他者に必要とされる必要”ですが、一歩間違うと底なし沼に足を踏み入れたかのようなズブズブな共依存を生み出す、ということをお話しします。

ご主人(奥さん)にモラハラを繰り返され、心身ズタボロに傷つけられても「あんな人(妻)だけど、あの人(彼女)をわかってあげられるのはワタシしかいないから」と側を離れない奥さん(ご主人)。アルコールで他者に迷惑をかけたり、警察沙汰にまでなっているのに「彼(彼女)はワタシ(オレ)を必要としているから」と別れないカップル。「いつまでも子供で、ワタシがいないとダメなんですよ、ウチの息子(娘)」と50歳を超えた中年息子(娘)に目を細める年老いた母親(父親)。

同じ構図です。どんなにズタボロに傷ついても、ご主人(奥さん)に必要とされていることで、自分の価値を見出そうとする奥さん(ご主人)。自分が彼(彼女)の支えにならなければ、に見せかけて、彼(彼女)から必要とされることで自分を保ち、自己肯定感を上げようとするパートナー。「困った、困った」と言いながら世話を焼き、50歳の中年息子(娘)から離れられなくしている(無意識)母親(父親)。

  • 必要とされたい。
  • 必要とされなければ、自分で自分を肯定的に認めることができない。
  • 必要とされることでのみ、自己有用感や承認欲求が満たされ満足する。
  • 必要とされなければ、自分を価値がない人間だと思い込む。

共依存とは歪な支配関係だと以前お話ししました。

また、相手を過剰にサポートし相手の言うことを聞き、言いなりになる側を“共依存”イネイブラーと呼びます。イネイブラーの心理には特徴があります。

不安が強く自己肯定感が低い。自己の過小評価により他者に認められることでしか満足を得られず、好意を繋ぎ止めようと必死になり、自己犠牲を伴い、献身的に支えようとする。

自分にポジティブなこと(自己有用感や承認欲求を満たされる“満足感”)を与えてくれる人に嫌われないように、過剰に献身的になるのです。

一見、イネイブラー(過剰支援する側)が支配されているように見えますが、被共依存者(前記だとモラハラなご主人(奥さん)、アルコール依存のパートナー、中年息子(娘)溺愛で世話焼きの母親(父親))は献身的に支えるイネイブラーがいなければ、生きられなくなってしまい、結果、被共依存者もイネイブラーに依存していくことになります。

イネイブラーが先回りして過度な支援をし助けるため、被共依存者は居心地がよく、問題解決に向かうどころか望まない行動が続いたり、増加していく傾向があります。

共存は共に助け合い、支え合う健全な関係ですが、共依存は歪で病的な関係です。

自分と他者との関わり、関係性を一歩退いたところから眺め、【共依存になっていないか】を確認してみるのもよいでしょう。

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自己肯定感と自己有用感

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

“自尊感情”とは自己に対して肯定的な評価を抱いている状態で、心理学ではSelfesteemといいます。

現在は日本でも広く“自己肯定感”として使われ、一般的な言葉になっています。

『自己有用感』とは・・・?

『自己有用感』とは、他者の役に立った、他者に喜んでもらえた・・・など、自分以外の他者が存在しなければ生まれてこない感情で、『自尊感情』や『自己肯定感』とは多少異なります。

自分に対する他者からの評価が中心で、最終的には自己評価があるにせよ、他者評価を強く感じた上で生まれる感情だという点がポイントになります。

単に「部内で営業成績が一番だ」という自信からくるものではなく、「部内で営業成績が良かったので、全国営業コンテストに推薦された。この営業所のためにぜひ頑張りたい」という自信です。

そういう意味では「部内で営業成績が一番」かどうかは、さほど重要ではなくなっていると思いませんか?

『自己有用感』の獲得が『自尊感情』に繋がるであろうことは容易に想像できますよね。しかし、『自尊感情』が高いことが必ずしも『自己有用感』の高さと一致するとは限りません。

他者の存在を前提としない自己評価は社会性に結びつくとは限らず、社会性を前提とした場合、『自己有用感』に裏付けられた『自尊感情』が大切になります。もちろん、自分自身が自分を肯定的に認めることは、とても大切なことですが。

【褒めること】と【認めること】

両者の違いをよくわかっていない人は案外多いのではないでしょうか。

結果に対し望んでいたことに達していた、結果が良ければ評価する、これが褒めるです。「認めてあげようと思って褒めている」「褒めることは、そのまま認めること」という感覚なのではないでしょうか。

また多くの人たちもそのように受け止めているでしょう。誰しも自分を「褒めてほしい」と思っていて、それは承認欲求という形で表れます。一般に一定の水準に達した、水準を超えたと評価するのが「褒める」という行為と言えます。反対に言えば、水準に達しない場合には「頑張りましょう」と激励することはあっても“褒める”ことは稀ではないでしょうか。

子供が「認めてもらいたい」時というのは子供の基準や水準で「褒められたい」ことがほとんどで、子供なりのこだわりで努力したり工夫したことを「認められたい」ものです。大人ですら頑張りを認めてほしいのですから、子供では尚のことです。

基準に達していなくても「褒めてほしい」と考えたり、大人の考えた水準に到達して「褒められた」場合でさえ、大人の基準とは異なる子供の基準でも「褒めてほしい」と考えたりするわけです。

なので、自分がさほど努力もしていない、自分の功績ではないことを「よく頑張りましたね」と一括りにして褒められても、さほど嬉しくもなく励みにもならないのです。

子供の実際の行動と向き合うことなく表面的にお世辞を言ったり、ちやほやしても子供の『自己有用感』はもちろん『自尊感情』すら高めないのです。

行事に取り組む、学習に取り組む際などに“子供自身”に目標や工夫する点、努力する点などを考えてもらい、その基準に沿ってどこまで達成できたのかを評価することが「認める」という行為では一番重要になります。

それが『自己有用感』を育みます。

単に良かった・悪かったことだけを評価して「褒める」では『自尊感情』を育むことはできても『自己有用感』を育むことにはなりにくいのです。

例えば、「ふりかえりシート」のようなものを用い、子供の振り返りに対し、ただ「頑張ったね」だけではなく、子供が「こだわった」「見てほしかった」点に着目し、そこに触れたフィードバックをすることが大切です。これは子供に限ったことではありません。

組織、夫婦、パートナーなどとの関係でも言えることなので、今一度【人を認める】とはどういうことかを考えながら振り返ってみる機会にしていただければと思います。

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承認欲求【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目となる今回は【一般的承認】【集団的承認】についてからスタートします。

一般的承認は自分で自分を評価する<自己承認>、集団的承認とは他者から評価される<他者承認>になります。

「あの人は承認欲求強いよね」と言われる人が欲しがるのは【集団的承認】です。SNSで「いいね!」がたくさん欲しい人、インスタグラムでせっせとリア充っぷりをアピールしたい人が良い例です。

集団的承認欲求が強い人は自己顕示欲が強く、注目を浴びたい目立ちたがりが多い反面、誰か(他者)に自分を認めて(承認)してもらわなければ不安になりやすい特徴も持ち合わせています。

他者に認めて(承認)もらいたいがために、自分を取り繕ったり我慢し過ぎるのも自分に自信がない表れと言えます。

また、自己愛が強すぎる人も承認欲求が強い傾向にあります。わざわざブランド品に囲まれた部屋や、恋人と高級レストランでの食事、貰った高級なプレゼント、高級車や海外旅行などリア充っぷりをアピールしてみたり、大昔のヤンキー時代(死語?)の犯罪紛い、もしくは思いっきり犯罪の痛々しい武勇伝を恥ずかし気もなく「昔は俺もヤンチャだった」と自慢気に語ってみたりします。

見ている側は滑稽でも「集団的承認により他者承認欲求を満たしてるんだね〜、なるほどなるほど」となま暖かく見守るのが大人な対応かもしれません。

私は「それもういいや、お腹いっぱい!」と大人気ないシオシオな塩対応をしていますが(笑)

自己承認欲求は自分を自分で認めたい(承認したい)欲求で一般的承認欲求です。“誰か(他者)”に自分を認めてほしいと思うのではなく、“自分自身”が自分を認めたい、という欲求です。

自分は自分のままで価値のある存在である、と自認できることは、自己肯定感、自尊感情、自己信頼感に繋がり人が成長する上で欠かせない重要な要素です。

自己承認欲求に対し他者から注目を浴びたい、羨ましがられたい、尊敬されたい、名誉名声がほしい、を他者承認欲求と言います。

他者承認欲求(集団的承認)が強い人は自己承認欲求が低い場合が多く、他者依存の欲求は自己承認欲求よりも低次欲求と言われています。

行き過ぎ膨らんだ他者承認欲求は問題ですが、他者承認欲求も人には必要な欲求であり、自己承認欲求と他者承認欲求が満たされることが自己肯定感へと繋がります。

自己の存在意義や価値を他者から承認されることが間接的に自己肯定にも繋がるので、自己承認欲求と他者承認欲求は切っても切り離せない関係にあるのです。

本年のコラムの掲載は2021年12月25日土曜日までとさせていただきます。来年は2022年1月10日月曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。

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生きづらさ/アタッチメント不全【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

生きづらさを感じながら生活をしている人が増えています。それは一体どのような生きづらさなのでしょうか・・・。

  • 対人関係が上手くいかない。
  • 人より劣っていると感じて苦しい。
  • 今の環境(会社/職場、家庭)に馴染めない。
  • いろんなことが気になって疲れる。
  • 他者に不安感、不信感が強い。

生きづらさを突き詰めていくと、何らかの原因があります。原因次第では認知療法の練習を重ねて生きづらさを上手く薄めていく方法や、自分らしさを取り戻していくプログラムがあったり、診断を受けて自己理解を深めると同時に自身でさまざまなライフハックを取り入れながら周りに配慮をお願いできる場合もあります。

発達障害(グレーゾーン/LD)やアタッチメント不全(愛着不全)、HSP(HSC)などがあると、生きづらさを感じる場面が増えます。

今回から2回に渡り、アタッチメント不全(愛着障害)についてお話ししていこうと思います。

アタッチメント不全、いわゆる愛着障害は幼少期の親(養育者)との関係が原因で自己肯定感が低下することで、本人の自覚はなくても心に深い傷を残しながら成長し、成人してからも人間関係を上手く築けないことから生きづらさを抱えます。

近年増加中の虐待死を考えればわかるように、虐待(身体的・精神的・性的・養育遺棄<ネグレクト>)は外から見えづらいことも多く、第三者が介入するタイミングが難しい事案です。

何より子供にとって家庭/親子関係は、一番身近で人間関係の最初の一歩を学ぶ場です。最初に学ぶ場で歪んだ愛情を与えられたり、がんじ絡めにされたり、関心を持ってもらえず心に空虚なものを抱えて成長すると“自分を尊重し大切にする”という自己肯定感が育まれません。

親に認められずダメ出しばかりで否定されて育つと『自分は何をやってもできないダメな子なんだ』と自己肯定感はどんどん下がりますし、子供に関心がなく気にもかけなければ『自分は愛されてない』『自分は大切にされる価値もない人間なんだ』と失望し、孤独になります。

親が子供の安全地帯であること、叱ることがあっても認めるべき部分にはきちんと目を向けること、まだ小さくて自分の意思を上手く伝えられなくても、人格を持つ一人の人間であると認めてコミュニケーションを取り、接していくことがとても大切です。

言うことを聞かせよう、思いどおりにさせようと威圧的に支配するような言動は少しずつ子供の心を傷つけ、抑圧と否定ばかりの中で自己肯定感と尊厳を擦り減らしていくのです。

大人でも仕事で「はぁ・・・何やらせても中途半端でロクな出来じゃないな、ダメだダメだ」と否定され続けると自信もやる気も無くしませんか?

「何やらせても出来ないんだから何もせず黙ってデスクにいるだけでいいよ(ため息)」と言われたり、そんな空気を出されて誰からも期待されず、気にもかけてもらえなければ居場所がなくなり、自分は無能だと感じて孤独になりませんか?また、大なり小なりそのような経験はありませんか?

大人ですら鬱になりそうなダメ出しや否定の嵐、まだ自分で自分の心を守る術も愚痴を吐いてリカバーする場所もなく、助けすら求める場を知らない子供たちの見えない苦しみを想像してみてください。

自己肯定感は人間関係構築に大きく影響し、幸せを感じる幸福感をも左右します。

次回はアタッチメント不全がもたらす人間関係への生きづらさが、具体的にどのような形で表れるのかについてお話しします。

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妬みの感情は他者比較から生まれる

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

妬む羨む感情は、人間関係を拗らせたり自分のメンタルを荒ませたり、生きていく上であまりプラスとして働きません。

実家がお金持ち、親族一党代議士ばかり、旦那が有名大学卒業大企業勤務で高給取り、住まいは都内タワマン(の上層階)、乗っているクルマは高級外車、子供が有名私立中学、彼女が女子アナ、イケメン彼氏とラブラブ、これも同じです。

いちいちマウンティングしてくる人は当たり前に鬱陶しいものですし、無意識にマウンティングしている人もただの無神経な疲れる人です。

今回は誰もマウンティングしていないのに「なぜアイツばっかり、、」「私ばかり酷い目に遭う」「自分だって頑張っているのに」という妬みの感情が生まれるのはなぜなのか?そんな苦しい感情が生まれる原因やその感情との付き合い方を考えてみましょう。

人間関係を拗らせる原因に職場、私生活どちらにおいてもこの“妬み”の感情が深く関わってきます。妬む感情が強い人は常に自分と他人を比べ、上下優劣ををつけたがり、執拗に勝ち負けにこだわる特徴があります。

自己肯定感の低さはもちろんですが、その根底にあるのは承認欲求です。

SNSでたくさん「いいね」が欲しい、あの人にコメント数で負けたくない・・・一番わかりやすい比較です。

妬む気持ちがあると、人に対して素直にはなれませんし、組織の中だと足を引っ張ってやろう、ちょっと困らせてやろう、意地悪しちゃおう、そんな気持ちが生まれます。生産性が下がりそうな話ですね。

誰にでも大なり小なり承認欲求という厄介でありながら、モチベーションに繋がる“他者に認められたい”という欲求があります。行き過ぎた承認欲求を拗らせて承認欲求オバケになってしまっている人もSNSではよく見かけますが(笑)

妬む感情を生むのは自分自身の問題です。自分と誰かを比べ、自分と社会の大多数と思い込んでいるものを見比べ、自分の置かれた立場を不公平だ、理不尽だと思うことから妬みが生まれます。

妬む感情は考える以上にツラく苦しい感情です。必要ないのに、いつも誰かと自分を比較し常に上だ、下だと優劣をつけているのですから。

あなたはあなたで頑張っている。誰とも比べる必要はないのだから、たとえ上手くいかないことがあっても、あなたはあなた自身の頑張りを認め、セルフハグしてあげてください。

できなかったことの数を数えるより、できなかったけど頑張ったことに目を向けて自分を褒めてみてください。失敗すれば反省は必要ですが、それ以上に頑張った自分を認め、褒めるクセを身に付けると自己肯定感を育むことに繋がっていきます。

ちなみに私は昨夜、寝る前の自分褒めタイムに、「(思春期の生意気な)息子に暴言を吐かなかった」「面倒な書類を書き上げた」をベタ褒めしました(笑)

ぜひ、些細な“頑張ったこと”を見つけて、寝る前の『褒め褒めタイム』を作ってみてください。

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よく聞くけど意味はまったく違う【自己肯定感】と【自己正当化】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

皆さんは【自己肯定感】【自己正当化】と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?今回は混同されがちで、わかっているようでイマイチよくわかっていない自己肯定感と自己正当化についてお話ししたいと思います。

最近は子育てから企業研修、カウンセリングや学校カウンセリングの場面でも【自己肯定感】という言葉をよく聞くようになりました。

自己肯定感とは・・・自分の長所も短所も認めて、それを肯定的に受容することです。

「失敗したっていいんだもーん!」なんて軽くチャラいノリや開き直りではなく、プレゼンで失敗しても「自分は今の自分にできる精一杯で頑張った、結果は惨敗だったけど自分お疲れさま!」と思えること、これが自己肯定感です。つまり、

失敗してしまった自分、カッコ悪い自分、認めたくないドロドロした感情を燻らせる自分。そんな自分も「これも私の一部分」として、そのまま受容していく、これが【自己肯定感】です。

自己肯定感の高い人は、自分のマイナス面よりもプラス面に目を向けることができるという特徴もあります。自己肯定感は高過ぎても厄介ですが、低過ぎるとそれ以上に厄介です。

自己正当化とは・・・他者から否定されないように自分の行動などに正しいと(無理矢理にでも)理論付けをし、自分を受け入れられようとする行為です。

自己正当化をする人は他者からの否定を恐れ、嫌います。否定されることを避けるために、自分の意見は正しいのだと無理にでも理由付けをしたがります。

わかりやすい例だとセクハラ/パワハラがあります。

「今日のスカートはもっと短いほうが可愛いよ」という発言がセクハラに当たると訴えがあった時に「親しみを込めたつもりだった」「場を和ませようとして言った」という上司、いますよね。あくまでも親しみを込めた、あくまでも場を和ませようとした、ここには自分を正当化する気持ちがあり、非を認めていません。

わざわざ皆の前で失敗を挙げ、激しく叱咤するなども「パワハラに当たるのでは」と訴えがあった時に「彼のためを思って敢えて」「恥ずかしさをバネに成長してもらいたかった」などと非を認めず自己正当化します。

どちらもが“自己受容”という点では同じように見えますが、自己肯定感には自分の意思や意見がある自分視点なのに対し、自己正当化は他者視点のため自分の意見はありません。

前記のセクハラではスカートの短さと可愛さには何の根拠もなく業務にも関係ないはずです。場を和ませようとした、親しみを込めた、という“セクハラやらかした”理由を周囲に認めてもらうための勝手な自己正当化しかしていない、ということです。

先ほどの自己肯定感が低い人に特徴があったように、自己正当化する人にも特徴があります。

自己正当化する人は他者の評価を気にするので、自分が否定されることがないように自己正当化した意見を押し通そうとします。自己肯定感の高い人は他者の意見を受け止めながら自分の意見を伝えることができますが、自己正当化する人は他者の意見を受け入れられません。

話をしていて、自分正当化したがる人は自己肯定感が低い人に多いように感じます。

「屁理屈ばかり」「身勝手」な言い訳ばかりする人が周りにいると、かなり疲れますようね。否定されるかもしれない、と思うと怖くなって傷付かないために予防策として自己正当化してしまう人がいるのも事実です。

自他の認知の違いや自他境界を理解し、アサーションスキルやアンガーマネジメントを身につけることで気持ちよくコミュニケーションができるようになります。

企業研修や勉強会でもアサーション、アンガーマネジメントは人気があります。ただ人によって習得していくスピードは違います。

一生もののスキルですから途中で投げ出さず、ひとりひとりに合ったやり方とペースでじっくり取り組んでいけるよう、いつもプログラムを考えています。

もっとあたたかな人間関係を築いていきたいという表れなんだろうと私は受け取っています。

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