バウンダリーとは?【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の続きから、なぜバウンダリーを引けなくなってしまうのか、その原因と考えられるものがあります。

親が過保護、過干渉の場合、子供自身がやらなくてはいけないこと(できるようにならなくてはいけないこと)を先回りして親がやってしまうことで、子供は自分で考え行動し、成功体験を積む(もちろん失敗もある)ことができず自信が育まれません。

とても優しく面倒見がよいように見えて、実は子供の自主性や自立を阻む“優しい虐待”になってしまっているケースもあるのです。

また暴言暴力で抑圧し養育した場合、子供は自分のバウンダリーを引けなくなってしまいます。バウンダリーを引こうにも親がズカズカ入り込み抑圧し脅すので、怒鳴られ暴力を振るわれないために、自分の気持ちを殺し親の顔色伺い仮面を被るしかなく、アイデンティティーを築けないのです。

バウンダリーが築けないと、他者との心的距離の取り方がわかりません。親しくなれない、親しくなっても自分をさらけ出せない、他者に簡単に心に入り込まれる、極端に距離を置いてしまう、また反対に他者の心の領域に踏み込んでしまう、などが起きやすく、人間関係構築がとても難しく生きづらさを感じてしまいます。

アタッチメント不全があると上手にバウンダリーを引くことができないので、人間不信に陥りやすく大人になってから人間関係に悩む場面が増えます。

幼少期の家庭環境だけが原因ではありません。

ショックなことがあったり心的に痛手を負う出来事があると、傷つきたくないために無意識に心が防衛します。何度も同じように傷つき痛い思いをしたくないのは皆同じですが、この心の防衛が過剰になると他者と距離を置き過ぎたり心を開けず、自分らしさをさらけ出すことができなくなるのです。

生きていれば他者(親は一番近い他者)との関わりを避けられず、その中では傷つくことも傷つけてしまうこともあります。傷ついた経験が多いほど、傷つかないように自分の心を守ろうと必死に防衛し、バウンダリーの引き方がわからず人間関係に苦しむことに繋がっていくのです。

【3】ではバウンダリーを引くために、どのようなことを心掛ければよいのかについてお話ししようと思います。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

バウンダリーとは?【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

バウンダリーという言葉をご存じですか?

パウンダリーとは、自分と他者の間に引く【心理的境界線】のことです。

今回は【1】【2】【3】に分けて、それぞれのためバウンダリーについてとバウンダリーを守るにできることをお話しします。

適切なバウンダリーに大切なことは、

  • 自分の問題と他者の問題を混同したり、他者の問題を自分の問題にしない。
  • 他者のやるべき役割を自分の役割にしない。
  • 他者の責任と自分の責任を分けて考える

ことです。

バウンダリーが引けていないと、さまざまな人間関係(親子/恋愛/夫婦関係/仕事)に歪みを起こしやすくなったり、自身がストレスフルになり疲弊します。

バウンダリーを引けないことで、どのようなストレスを感じるのか考えてみましょう。

本来やりたくない(断りたい)と思っていることをやらなくてはいけないストレス。

望まずして他者のサポートやケアをおこなうことになってしまうストレス。

他者領域に踏み込みやすくなることで、思いどおりにならないこと(支配できない)ストレス。

などになります。

具体的に見ていきましょう。

<親子関係>
→子供に自分の理想を押し付ける。
→親が喜ぶような良い子になろうとする。
→いつまでも口出しをし、子供の自己決定を認めない。
→子供は自分とは違う価値観があることを認められない。
→本来子供がやるべきことを親がやってしまう。
<職場>
→本来自分の仕事ではないことをやらされている。
→頼んでもいないアドバイスをされる(アドバイスをする、も含む)。
→残業が当たり前になっている。
→上司や同僚、部下の仕事をついやってしまう。
→自分とは関係ない業務担当者に仕事の口出しをする(される、も含む)。
<恋愛/夫婦関係>
→自分ばかりが我慢をしている。
→家事や仕事、育児のほとんどがどちらかに偏って担っている。
→話を聞くばかりで自分の話は聞いてもらえない。
→暴言暴力がある。
→経済的なことをどちらか片方だけで決める。
→素の自分でいられない。
→上下関係がある。
→頼まれると断れない。

心当たりありませんか?

親の過干渉はとてもわかりやすい例ですね。

次回では自分のバウンダリーを守るために心掛けたいこと、できることについてお話しします。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

境界知能/知的ボーダー

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

支援からこぼれ落ちてしまうのに、社会生活や日常生活であれこれ困り感が出る。わかりやすく知的障害でも発達障害でもない境界知能(知的ボーダー)をご存じですか?

自治体によって僅差はありますが、概ねIQ50〜70が軽度知的障害とされ境界知能と言われています。

成績が振るわないことが多く、概念の理解も難しいのですが頑張れば高校までは卒業でき、買い物(割引率や消費税などの計算)や煩雑な手続きは苦手だけど、サポートがあれば日常生活や社会生活はできる、といった感じでしょうか。

IQは知的能力を数値化して表しますが、そこで見ているのは勉強ができるできないといった能力(学力)ではなく、さまざまな適応能力も含めて見ています。

適応能力は同年齢と比較した時に、社会生活や日常生活を送るために必要な能力がどの程度備わっているのかを見ます。

適応能力とは大まかに3つの領域に分けられ、対人コミュニケーションや日常スキル、概念などで、言語理解や読字、数や時間、記憶など抽象的なものを理解する能力が概念です。

“(ホール)ケーキが切れない非行少年たち”という本にも境界知能について説明がありました。

実際に境界知能だとどのような困り感や生きづらさを感じるのでしょうか。

サポートがあれば金銭や読字など簡単な概念は理解することができるので、時間はかかりますが買い物や家事など一人でこなせるようになります。

認知面に問題を抱えているケースが多く、感情の細分化が未熟、言語化が苦手なこともあり、コミュニケーションはパターン化され幼稚なイメージを受けることもあるようです。

感情のコントロールが苦手でキレやすかったり、先を見通した計画を立てることも苦手で、行き当たりばったりな言動、行動が目立つこともあります。

発達障害と重複するケースもあることから慎重に見極めることが大切です。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

インクルーシヴ教育を過去“お世話係だった自分の経験から考える【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

昨日はちょっと蒸しましたね。

さて、前回に続きですが、学校生活でやんわり無理やり押し付けられたお世話係がなぜ悲惨なのかは【1】でおわかりいただけたと思います。

誤解のないように明記しておきますが、私は障害を持つ子供も障害を持たない子供と同じように学ぶインクルーシヴ教育の理念に賛成です。

 実際に息子は発達障害重複(ADHD、ASDの両方を持ち合わせている)ですが、小学校〜中学校と普通級に在籍しながら人間関係やコミュニケーションなどSSTは個別支援で通級(情緒級)に通いました。そして、通級という選択をしなければ、今、何の個別支援も合理的配慮も必要なく、普通高校に通学することは叶わなかったかもしれません。

文部科学省ではインクルーシヴ教育を「インクルーシヴ教育システムにおいては、同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある幼児児童生徒に対し自立と社会参加を見据えて、その時点で教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みを整備する」としています。

また混同されやすいのが、“障害を持つ人が障害のない人<同等な生活をする>ノーマライゼーション意識がベースの統合教育”であるインテグレーション教育です。まだまだ改善点はあると思っていますが、インテグレーション教育をもとに改善を重ね発展させたのがインクルーシヴ教育になります。

インテグレーション教育の失敗は“障害のある子も通常級に入らせて同じ環境で学ばせる”に重きを置いたことです。障害を持つ子供という部分を個々と考えず、ひとまとめにしてしまったことで、支援や配慮はひとり一人違うにも関わらず、“その子供が本当に必要としているニーズにまで辿りつかなかった”ことです。その結果、学力格差が浮き彫りになったり、悲しいことにいじめに繋がりやすいといった問題が発生しました。

同じ環境で学ばせる、ただそれだけではインクルーシヴ教育とは言えません。インテグレーション教育と同じ過ちを繰り返してしまうだけです。

スペシャルニーズを持つ彼らがどのようなニーズを持っているのか、保護者や第三者支援機関から細かに聞き取り、『学校側(教育委員会/自治体)が』足りないものや必要なものを人員配置も含め、環境整備できるのか?が第一に考えなくてはいけない部分です。

もちろんそこには、一緒に学ぶ障害を持たない子供たちへの“お世話係”のような過度な負担は絶対にあってはならないのです。

優しさや思いやりは、それを(やんわりでも)無理強いさせることからは生まれません。

極端な言い方になりますが、自発的ではなく押し付けされたお世話係では思いやりや優しさよりも、のびのび自由に友達と関わることも制限された学校生活しか送れず、窮屈さに息が詰まり、我慢を強く負わせられる責任の重さに逃げ出したくなるだけです。もっと言えば、障害者嫌いという負の感情を芽生えさせかねず、障害者への差別感情を植え付けかねません。

そうならないために、受け入れる側(自治体/学校側)の正しい理解と準備が今以上に進むことが求められます。幼い時からさまざまな障害を持つ人たちに接し共に学ぶことで得られる理解と経験は、ダイバーシティが叫ばれる昨今何ものにも代え難い大切な経験です。

インクルーシヴ教育はさまざまな障害を理由に排除される子供を作らず、学校生活に参加し共に学習することが基本理念です。

そのためには障害を持っていることで排除されがちな子供たちを同じ場所、同じやり方で学校生活を送らせることにこだわるのではなく、共生を目指すためにどのようなサポートが必要かの具体的なスキーム作りが必須です。

同時に「障害(重度含む)のある我が子を普通級に入れたい」と考える保護者が正しくインクルーシヴ教育を理解し、自分視点で「障害があっても平等に学ぶ権利がある!」と声高らかに叫ぶだけではなく、“障害がない子も同じように(お世話係など押し付けられず)平等に学ぶ権利がある”ことに目を向けてもらえるようにすることも必要ではないでしょうか。

普通小学校は集団生活の中で人間関係や勉強を学んでいきます。一部の医療ケアが必要な子供は除きますが、知的身体的に重度の障害がある場合、勉強や人間関係の前に身辺的自立が目標となります。身辺的自立とは、一人で着替えができる、最初は完璧に仕上がっていなくて失敗はあるかもしれませんが、排泄関係にほぼ問題がないなどです。

対処することはあっても、幼稚園や保育園ではありませんから、小学校普通級では身辺的自立への支援はありません。なぜなら、すべての教員が特別支援の専門教育を受けているわけではなく、身辺的自立を目指させるのは特別支援級や特別支援学校の役割になるからです。

障害を持つ子供を障害を持たない子供が学ぶことを前提にした環境に、ただ在籍させればインクルージョンではないのです。努力しても(各々がその能力や特性に応じた努力は必要だと思っていますが、そもそも無茶な努力をさせる自体がどうなのか?ですが)できないことがある、それが障害です。

障害には誰もがわかる身体的なものから、発達障害や軽度知的障害などわかりづらいものまで多種多様です。

一見奇異に感じる言動の裏には必ずその子(その人)の理由があり、原因があります。“困った子(人)”ではなく“困っている子(人)”だと考えるとどうでしょうか。

インクルーシヴ教育は教育現場を支える側の正しい理解と行動、環境作りの努力に加え、私たち保護者側にも正しい理解がなければワガママを垂れ流す自己都合“のみ”の権利をただ叫ぶ、それこそ困った保護者になってしまう危険があるのです。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

インクルーシヴ教育を過去“お世話係”だった自分の経験から考える【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

GWも終わりましたね。今週はあまり飛ばさず心身慣らしのつもりでいきましょう。

さて皆さんは“お世話係”という言葉を知っていますか?聞いたことがありますか?

この記事がなぜお世話係が問題になるのか、またそこから見えるインクルーシヴ教育の側面や課題を考える一端になればと思います。

一般的にお世話係で問題となるのは小学生時代です。

お世話係とは・・・

学校生活において何らかのサポートや配慮が必要な子供(児童)に対し、先生(学校サイドが?)が責任感が強かったり、優しくて面倒見のよいしっかりしている特定のクラスメイトに対し、公的(先生自身が「〇〇くん、△△さんのお手伝いをしてあげてね」とやんわりお世話係に任命)、暗黙の了解で先生が押し付ける(いつも同じ班やペアにされたり、近い席にされる)ことでお世話係が生まれます。

およそ小学生の子供に任せるには荷が重過ぎて自由を奪う役割や責任を「みんなと一緒に」「思いやりを持って」「優しさを」「助け合いの気持ちで」と、耳障りのよい納得せざるを得ない言い方や言葉でお世話係を押し付けます。先生に言われたら拒否できない子供の心理を利用しているようにすら見えます。

【1】ではお世話係がどのようなものか、押し付けられた子供の苦悩を、【2】ではインクルーシヴ教育の在り方や疑問点などを書いていきます。

私は小学4年生から6年生まで教師から暗黙の了解で押し付けられたお世話係でした。

A君は今でいう軽度知的障害と自閉症を持っており、こだわりが強く特定の音や匂いでパニックを起こしたり、気に入らないことや思いどおりにならないことがあると、物を投げたり噛みついたり髪を引っ張りました。普通級在籍で通級するレベルではなく支援級案件だったと思います。

当時の私は特別優しくも面倒見のいいほうでもなかったはずですが、責任感だけは強かった記憶があります。今思えば、その責任感のせいでお世話係をやんわり押し付けられたのではないでしょうか。

ノートを取れないA君の代わりにノートを取り、教科書を開いたり定規を押さえたり連絡帳を書いたり・・・彫刻刀を使った図工も危なくないように見守り、給食も仲良しの友達と食べることはできず、校外活動は絶対同じ班、ペアを組む時も当然ペアにさせられ、仲良しの友達と笑いながら一緒に下校したいというわずかな願いも叶いませんでした。

“助け合い”という言葉に縛られ(一方的に私が助けるだけでしたが)、「A君もクラスメイトなんだから、本城が我慢するのが優しさで思いやりだと先生は思う。A君だって困ってるんだから」と教師に刷り込まれ、暗黒の3年間を送りました。

一度は「給食を友達と食べたい」「下校は仲良しの友達と帰りたい」と訴えましたが、教師から「A君は友達じゃないとでも言うの?A君が可哀想だと思わないの?本城は優しさが足りないね」と詰め寄られ、何も言えなくなりました。

今なら声を出して言えます。

「クラスメイト全員が友達なわけあるか」と。

修学旅行がどうなるのか考えなくてもわかります。自由行動はA君と一緒、バスはもちろん隣り、寝る時以外は常に金魚のフン行動を求められることが・・・。

ハンガーストライキと登校拒否を続け、修学旅行参加を断固拒否した結果、ようやく仲良しグループでの自由行動と旅行中のお世話係免除を勝ち取り(A君には加配の教員が付きっきり)、最後の思い出を作ることができました。

が、根本的にコレ何だかオカシイと思いませんか?

  • 特定の誰かにだけお世話をお願いすること。
  • 公的でも暗黙の了解でも押し付けられた子供に拒否権はないこと。
  • 拒否しようものなら「優しくない」だの「友達思いじゃない」だの「〇〇君(〇〇さん)が可哀想じゃないか」だの語彙力の乏しい子供が絶対に反論できないようにやり込めること。<多分教師側は教育的指導と思っている>
  • 加配の教員が付きっきりで見守っていないと何をするかわからないほどの問題を抱える児童を特定の一人に丸投げでお世話させてきたこと。

卒業式の時にその教師は「A君のおかげでクラスに優しさが生まれ、まとまりのあるクラスになりました」などと宣いましたが、実態は私と一緒にお世話係を押し付けられたもう一人のクラスメイトは完全不登校になり転校、他のクラスメイトは私を遠巻き。「本城さん誘っても本城さんはA君の面倒見なきゃいけないからねー」と何にも誘ってもらえなくなりました。

学年が上がるたびにA君の保護者から「本城さんと同じクラスに」「本城さんと隣り同士に」と学校に配慮願いがあったそうで、小学生の私の逃げ場はどこにもありませんでした。

このままだと私の中学生活も暗黒の3年間になる!と考えた私は親に頼み込み、中学受験をして地元から離れました。男子児童のA君のご両親がどんなに頑張っても絶対に追って来られない“女子校”に。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

GWですね。

メンタル・イデア・ラボのAEのスミです。

昨日からGWが始まりましたね。

一応マスク着用以外の制約はなく、ちょっと開放感がありますね。

人事異動で新しい職場になった人、大学を出て社会人になった新入社員の人、新人研修でクタクタな総務・人事・労務などの部署の人、4月はいつの間にかいっぱいいっぱいになってしまう時期だったと思います。

このGWはちょっとした小休止。思い思いに過ごしたいものですね。束の間、仕事のことは忘れてボーッとするもよし、どこかへ行くもよし、ふらっとドライブ、散歩するもよし、年明けから頑張ってきた心身をとにかく労ってほしいと思います。

GW関係なく仕事の人は、本当にお疲れ様です。規制や制約がない分、人の移動と人出の種類がいつもと違うので、疲れ方も違うかもしれませんね。

リラックスタイムに今日の自分を2〜3個褒めてみてくださいね。何事もなく平凡に終われた、ランチを美味しく食べれた、頑張って残業しちゃったな、今日も元気だったな、など、そんな感じでいいのです。難しく考えないことが肝です。反省ばっかりしてると“ダメ人間かも”と思ってしまい、本当に“ダメ人間”になってしまうこともあるので、反省はほどほどに(笑)

仕事の人も仕事でない人も、とにかく風邪をひかず、事故に遭わず、元気に過ごせるGWになるといいですね!それでは、よいGWを。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

5月は5日木曜日はGWのため休載し、10日火曜日より掲載します。

昨今オフィス事情

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

先日インターネットで面白いニュース記事を読みました。

コロナによって在宅ワークやテレワークが増えたことで、オフィスの縮小傾向にあることは周知のとおりです。その結果、新たな課題が生じました。それはコミュニケーション不足や交流不足です。

実際にその記事では社員がコミュニケーション不足や交流不足を不安に思っているという内容が書かれていました。

そこで最近ではオフィスを働く場からコミュニケーションや交流の場へと変化させようとしている、というのです。もちろん、それが可能な企業や難しい企業があります。業界にもよるでしょうし、業種や職種にもよるでしょう。

テレワークや在宅ワークが一定の広がりを見せる一方で、やはりコミュニケーションや交流は人が人らしく生きていく上で必要な要素です。

まして仕事はチームでおこなうことがほとんどで、チーム内のコミュニケーションや交流が少なくなるテレワークや在宅ワークに不安を抱くことは当然で、至極まっとうな欲求だと思います。

オフィスを働く場からコミュニケーションや交流の場へ移行できる職種、企業はまだ少なく、またそれが可能な職種も限られます。コロナが生んだ新しい職場の形のひとつのトピックでしょう。これが善ということではありません。

一方、このほどパナソニックは週休3日制を試験導入するようです。これもパナソニック内でも全職種ということではないようで、人事や経理など比較的在宅ワークやテレワークと親和性のある部署やグループ会社の社員を対象にしているようです。

日本電気は週休3日制を既に導入しており、日立製作所も検討しているようです。大企業ならではの試みだと思いますが、個人的に取引先は大変かもしれないな、とふと思いました。

部署にもよるのでしょうが、急ぎの連絡を取りたくても担当者がお休みでは動けないという弊害です。代理の人が上手く引き継いでくれていればまだいいのですが、案外そうでもないケースが多く、また代理の人に判断を仰いでも判断まではできない場合がほとんどだからです。

結局休日にまで携帯電話やメールなどで追いかけることになります。実際私は土日ですら、そういう場面を体験したことがあります。月曜日が締め切り、前週の金曜日までにチェックの返事をもらわないと間に合わないということがあり、結局土日に担当者を捕まえて間に合わせたという経験は何度もあります。締め切りを延ばしてくれればいいのですが、締め切りは延ばされません。当然予めスケジュールを立てますが、そのとおりにはなかなか上手くいかないのが現実です。

週休3日制の弊害は周囲の取引先にも及ぶことを危惧していて、どういうことかというと取引先がそれに合わせて動くことになり、徹夜になったり残業の毎日になる、ということです。立場が弱い取引先の従業員の働き方が、週休3日制のスケジュールに追われて一層多忙になり疲弊してしまっては、週休3日制はその企業の独りよがりで、世間には良いイメージを与えることはできても、その実、誰かの犠牲の上に成り立っている、ということになりかねないと思われます。

週休3日制を導入しその制度を活用する側の意識(週休3日制を導入した企業の従業員の意識)が、取引先も含めた周囲の人たちに対しどこまで考えられるかが問われるなと思いました。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

大人の発達障害/キャリアガイダンス【後篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

より働きやすくするために今すぐ就労と考えず、就労支援(ハローワーク/民間事業所)をパイプにして、ソーシャルスキルを身につけながら一緒に就労を考えてもらえる機関も増えてきました。

豊富なノウハウを持つ就労支援事業所を活用し、ジョブコーチに力を借りることで、一人で不安や困り感を抱えず自分に合ったペースで就労を目指せるので、上手に活用してもらいたいと思っています。

特性から本人も周りも困り感を感じやすい発達障害ですが、簡単な接し方のコツを覚えることで双方共にラクになります。

「え、わざわざそんなこと?」と思うかもしれませんし、「そんなの甘えだろう」と考える人もいるかもしれません。こればかりは感じ方の差なので、私にはどうすることもできませんが、“あなたの大切な人”がそうだと考えてみるとどうでしょうか。

●何かあったらいつでも相談できる体制を整えておく。

●本人が感情的(キレる、パニックになる)になった時には冷静に対応し、こちらが感情的にならない(物理的距離を取り、落ち着くまで待つ=クールダウンスペースとクールダウンタイム)。

●不得手なことを無理強いせず得意なことを伸ばす(不得手なことは無理せずできる範囲に留める/工夫してその人ができるやり方を一緒に考える)。

●不機嫌になりそうだったり焦りが見られたら、一人になれる時間と場所を与える。

●一方的に指示を与えず、本人の言い分や考えを十分を聞く。

●ストレスにとても弱くリカバリーにも時間が必要なので、非難するような表現や大声で感情的に叱らない。

●先の見通しが立たないことへの不安があるので、スケジュールや予定を前もって伝えておく(メモなどで渡すと、より良い)。

●提出物などの期限があるものは期日が守れないことも多いので、こまめに進捗状況を確認し期日などは付箋を使い目に付く場所に貼ってもらい、終わったら剥がしていく。

●長い話は入らないのでいくつかに分けて話すか、メールなど記憶が残り見返すことができるものを活用する。

●本人なりのルールやこだわり、パターンがある人も多いので、尊重できるものは許容すること。

●視覚優位が多いので、視覚化できるものは視覚化する。

●耳からの情報処理に時間がかかる人も多いので、滑舌よくゆっくりめに話すことを心がける。

などです。

ちょっとした優しさや気遣いだと思いませんか?

こういう考え方があります。家や建物のバリアフリーは、高齢者や体の不自由な人に配慮した作りと言いますが、そうでない一般の人にも具合がいいですよね。それと同じ発想で、上記の接し方もココロのバリアフリーで発達障害ではない人にとっても具合のいいことではないかと思うのです。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

大人の発達障害/キャリアガイダンス【前篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

なりたいものになる。

誰にでも夢や希望はありますし、資格云々はありますが誰でもが“就きたい職業に就く自由”があります。

しかし特性があると、一般には向いていないとされる職業があるのも事実です。特性に関しては努力次第でどうにかなる問題ではない部分もあるからです。(※ASD、ADHD、LDなどひとまとめに発達障害として話をしているので、ひとつひとつの特性についての詳細は省きます)

  • 小さな見落としやケアレスミスが事故に繋がる可能性がある運輸関係
  • 複数のタスクを同時にこなす必要がある飲食業(料理人・ホール)
  • 変更に対し臨機応変さが求められる旅行業
  • 柔軟な対応が求められる顧客窓口(コールセンター・窓口業務など)
  • 管理能力や高度な協調性、スキルが求められる人事、経理

これらは一般的に発達障害を持つ人には不向きと言われています。

では、向いている職業を考えてみましょう。

  • 視覚優位で視覚的な才能が活かせるカメラマン、各種デザイナー、イラストレーター、画家、広告・映像関係(クリエイティブ系)、漫画家など
  • 人と密に関わるよりも機械などが相手の各種技師、整備士、技工士、校正校閲士、プログラマー、システムエンジニアなど
  • 変化に富み、刺激のある記者、マスコミ関係、カメラマン、警察官、プロデューサーなど
  • 専門的知識を活用する学者、研究者など

私は一時期F1レーサーに憧れたことがありましたが、オートバイ以外の運転がからっきしダメでド下手なので、周りから運転免許取得も止められたくらいです。もはやレーサー云々の話ではありません(笑)

夢と現実は違うものです。

発達障害でいわゆる【手帳】を持っている人もいます。手帳がなくても、周りに特性をカミングアウトしてのオープン就労、逆に一切伝えないクローズド就労があります。

雇用側に障がい(特性)を伝え、特性に応じた配慮をお願いして働くことをオープン就労と言い、雇用側に一切の特性を伝えず配慮も求めないで働くことをクローズド就労と言います。

クローズド就労は一般枠就労、手帳があり障害告知をし特性に応じた配慮をお願いして働くと障害者枠になります。

オープン、クローズドどちらにもメリット、デメリットがあり、特性の種類や度合いによってはオープン就労が良いケースもあります。

メリット、デメリットについて説明します。

【オープン就労メリット】
▶︎職業選択肢が広く、正規雇用が多い。
▶︎給与面で一般従業員と同等。
▶︎特別扱いされない。
▶︎理解がないなど偏見の目で見られない。

【オープン就労デメリット】
▷正規雇用枠が少なくなる。
▷障害者支援制度があっても使えない。
▷ジョブコーチが会社に訪問しても支援できない。
▷さまざまな能力を求められるので特性にマッチした仕事を探すのが難しい。
▷特性に理解のある上司や産業医がいるとは限らない。
▷医療機関への通院時間の確保が難しい。
【障害者枠メリット】
▶︎障害者支援センター、民間の就労支援事業所からジョブコーチなど支援が受けられる。
▶︎障害者雇用2%枠が使える。
▶︎ハローワークにも専門の支援部署があり相談できる。
▶︎障害程度によるが、助成金などの経済的支援が受けられる場合がある。
▶︎特性に応じ、仕事内容/職場環境/労働時間などに配慮してもらえる。
▶︎臨機応変さを求められず、決められた仕事だけをこなしていけばよい職場が多い。
▶︎医療機関受診や通院に対し理解してもらえる。

【障害者枠デメリット】
▷障害者手帳を取得しなくてはならず、大人の発達障害を診断できる医療機関を探して受診したり、場合によっては保護者からの聞き取りがあって手間も時間もかかる。
▷一般就労と比べ給与面や待遇に差がある。
▷正規雇用よりも派遣やパートタイマーが多い。
▷障害程度によるが、助成金などの経済的支援が受けられる場合がある。
▷職場で障害(特性)開示の必要があるので特別扱いされることが増え、精神的負担になる人もいる。
▷大学で専門知識を身に付けても、仕事内容は単純労働や定型作業が多く、学んだことが役に立たないことも多い。

などがあります。

後篇では周囲の人たちがどのように接していくと上手くいくのか?のコツなどをお話しします。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

大人の発達障害/キャリアガイダンス【番外篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

大人の発達障害を就労という観点から考え、番外篇→前篇後篇でお話ししようと思います。

まず、背景から説明します。

2005年の発達障害支援法に始まり、厚生労働省や文部科学省ではさまざまな法整備が進み、インクルーシブな社会に近づいてきた感があります。

発達障害という概念がなかった時代には多くが見過ごされてきましたが、グレーや軽度までを含めると今やその出現率は20%超と言われています。

見えない障害である発達障害にはさまざまな種類・程度がありますが、診断名は同じ特性に共通項があっても、実は誰一人としてまったく同じ症状ではありません。また、この“症状”が性格なのか障害特性からくるものなのかも判断が難しいところです。

そして、発達障害は発達段階やライフステージにより症状の表れ方や当事者(周りも)の困り感は大きく変化します。

発達障害を見逃し(見過ごし)早期に適切な療育などがおこなわれなかった結果、ストレス耐性の低い発達障害者は思春期以降、二次障害などの合併症状が表れることが増加し、複雑化することで根底にある発達障害がわかりづらくなり、社会生活に困り感が表れるケースが続出しています。

療育をおこなったからといって、不得手なものが得意になることはありませんが、少なくとも自分を理解することで、得手不得手を知り対策を立てられるようになったり、周りに適切にヘルプを求められるようになることで、生きづらさを軽減することができます。

何でもできて完璧なスーパーマンのような人はいないことを考えると、軽い脳機能障害や偏りといった凸凹は誰にでも多少は当てはまるものなので、発達 障害と呼ぶより

【発達アンバランス症候群】

と表現したほうが、おかしな誤解や偏見を生まないためにも良いかもしれませんね。

発達障害(グレー含)があるとストレス耐性が低いことはお話ししました。しかし、ストレス耐性の低さだけでなく、二次障害を併発しやすいリスクファクターというものがあります。

  • さまざまな依存(スマートフォン、ゲーム、インターネットなど)
  • 保護者(主に父親)の発達障害、保護者(主に母親)の精神疾患や神経症
  • 催眠サイクルの乱れ
  • 保護者や家族が障害に否定的で認めず、ネガティブ発言が多い
  • 両親不和、嫁姑問題、兄弟不和などの機能不全家族
  • 抑圧的、反対に無関心な育成態度
  • 学校生活の不安(嫌がらせやいじめ、家庭との連携不備)

などです。

自分が自分らしく安心できる安全地帯がない、というのが読み取れると思います。これでは発達障害であろうと定型であろうと関係なく何らかのメンタル不調を抱えるように思えますね。

次回【前篇】では適職不適職〜発達障害キャリアガイダンスについてお話しします。

<運営会社:Jiyuuku Inc.