学習障害(LD)について深掘りする【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回はなぜディスレクシアだと困るのかと、実際の“苦手”とは?についてお話します。

前回、ディスレクシアだと読んだり書いたりすることが苦手だとお話しました。ただこれは、脳の機能不全からくる目につきやすい症状の一つであり、実際の生活では他にもさまざまな課題が持ち上がっています。

  • 鏡文字(反転文字)を書いてしまう。
  • 無意識に文字を入れ替えてしまう。
  • とっさに名詞が出てこない。
  • 耳慣れず見慣れない単語を読み間違えたり発音を間違える。
  • 人名や地名を間違える。
  • 長文に集中が続かず、読み飛ばしや読み間違え、何が書いてあったかわからなくなる。
  • 似た音を聞き間違える(カギ→カキなど)
  • 日本語の特殊音節や助詞を使うのが苦手(デパートがデーパートになったり、デーパト、デパトになったりする)。
  • 空間認知が弱いので、よく物にぶつかる、落とす落ちるなど怪我が多い、また、よく物をひっくり返したり壊す、など。

実生活でもいろいろ困りそうですよね。おっちょこちょい、慌てん坊、これももしかしたら脳の機能不全からくるのかもしれません。

ここまでで気付いたことはありませんか?

そうです、

ADHDに表れる特徴と被っているのです。ADHDだとディスレクシアも重複しやすかったり、苦手部分が被ったりしています。

ディスレクシアという視点から“聞いて理解、見て理解”を少しお話します。

【音を聞き】取る。とてもザックリしていますし、「耳は悪くないよ、聴力検査でも異常なしだったし」と思う人もいるでしょう。音がしているかどうか気付くこと、これは耳が機能しているか(ちゃんと聞こえているか)どうか知覚的にわかるかどうかですが、ディスレクシアがあると『ぼうし(帽子/防止)』や『チョコレート』『りょこう(旅行)』『サッカー』など伸ばす音や、『ちゃ』『りょ』『ッ』『パ』などの特殊音や破裂音を正しく聞き取ることが苦手で、聞き間違い、聞き漏れが出ることがあります。

知覚的に音がするかどうかに気付くと、次にどんな音が出ているかという“言葉”の聞き取り、聞き分けになります。言葉の聞き分けとは似ている言葉(はし/かし、ろば/おば)を聞き間違えないかどうかです。

そして、次に周りにある関係のない音の中から自分に必要な聞きたい音だけを選択して聞き取れるかどうかです。以前のコラム【さまざまな注意】でもお話しましたが、選択的注意のことです。

知覚的に聞き取りが苦手だと、周りにある関係のない音も同じ大きさで一緒に拾ってしまい、必要な音だけを選択して聞き取ることも苦手です。

音に気付くことができ、聞き取りもできて、選択的に自分に必要なことを拾い聞くことができても、最後にある“言葉の意味が理解できない”という課題があると、『音は聞こえる、音の聞き取り聞き分けもできる、単語も拾える、でも文章としての意味がわからない』ということが起こります。最近注目されるようになった【聴覚情報処理障害/APD】です。

次回以降は【見て理解】するから、言語理解〜流暢性についてお話しようと思います。

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学習障害(LD)について深掘りする【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

本年最初のコラムは学習障害(LD)についてです。何回かに分けて学習障害(LD)の特性や自宅でもできるトレーニングについてお話していきたいと思います。

今回取り上げる読み書きのLDはディスレクシアとも言います。視力や聴力に問題はなく、知的な遅れもないのに中枢神経に機能不全があることで、文字(記号)と言葉(音)が結びつきづらく、読み書きに関して躓きや学習面での困り感が出てしまう“機能障害”です。知的障害ではないので注意してください。

発達障害と併発することも多く比較的気付かれやすいのですが、LDだけだと気付かれにくく“知能が低い”“勉強ができない”と思われがちです。

ディスレクシアの特性として、

知能の高さに比べ、読むこと書くことや記憶に特徴的な困難さがありますが、論理的能力は問題なく、話し言葉は高いレベルで理解できます。

  • 視力(視る力)に問題はありませんが、視覚情報処理(図、地を見たり、見たものを理解する力)や、見たことを一時的に記憶として保持する力が弱いので、左右がわからない、板書や書き写しが苦手、文字の見間違いが起こります。
  • 聴力(聴く力)に問題はありませんが、聴覚情報処理(聞いたことを一時的に記憶として保持する力や聞いたことを理解する力)に弱さがあるので、聞き間違い、聞き漏らしが多く(聞き直しも多い)、電話対応は苦手です。

文字(記号)と言葉(音)が結びつきにくい、とはどのようなことでしょうか。例えば、

【ま】← “記号”は【m+a】← “音”

ということがわからないので、読むことや書くことに時間がかかります。

文字を読む、ということは【音声化】と【理解】がセットになって情報処理されるのですが、ディスレクシアは音韻理解の力が弱く、音声化に問題を生じると言われています。

ここで課題になるのが、普通の速さで滑らかに読める(流暢性)で、一文字一音節の平仮名、カタカナは読めても、漢字の読みが苦手などが起きます。声に出しての音読をしなければ、字面を拾いながら書かれている意味はそれなりに理解できるので、本人は読みが苦手という意識を持ちづらいのです。

書くことに困り感があると、字のバランスが悪くマス目や罫線からはみ出したり、字が汚く読めない(時には書いた本人すら読めない)ということが起こります。息子はこのタイプで、丁寧に観ていくと視力に問題はなくても“視覚機能の跳躍”に弱さを抱えていることがわかりました。

また、文章構成が苦手で正しい文法で文章が書けないという困り感や、視空間認知や記憶に弱さがあると、目で見たとおりに書けない、字の細部まで覚えられないので正しく書けない(れ/ね/る、や、鏡文字になるなど)という問題が生じます。

ディスレクシアがあると作業記憶(ワーキングメモリ<一時的に記憶を保持しておく力>)にも弱さがある人が多いので、指示行動が苦手だったり、電話の要件を聞き取りメモすることや、次にやろうと思っていても他に注意を移した途端にやろうとしていたことを忘れたりと、日常生活いたる場面で失敗を繰り返すなどが出てきます。

次回は、ディスレクシアだと学校ではなぜ困り感が出るのか、社会に出た時にどのような困り感に繋がるのかをお話します。

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年頭のご挨拶

新年、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

メンタル・イデア・ラボ代表のスミです。旧年中はコラムをお読みいただき、誠にありがとうございました。本年も引き続きお読みいただければ幸甚に存じます。

さて、年が明けて早速、東京、埼玉、神奈川、千葉に緊急事態宣言が発令されることになりました。それだけで気分は滅入り気味です。昨年の春に緊急事態宣言が発令され、リモートワークが叫ばれました。今ではリモートワークも一定程度の定着をみせているようです。しかし、その弊害も生まれました。

その弊害は報道されることは滅多にないのでわかりにくいですが、よく聞くのはプライベートと仕事の切り替えが上手くできない、長時間労働になって疲れる、など人それぞれですが、弊害は確実に発生しています。

そしてまた緊急事態宣言の発令・・・メンタルがますます不安に包まれやすい環境になります。疲弊と言ってもいいかもしれません。ちょっと深刻な様相を呈してきています。よく『心が折れる』と言われますが、その前になんとかできないか、という思いで2019年にメンタル・イデア・ラボを立ち上げました。経営陣はじめ社員のメンタルを少しでもケアし、ストレス緩和、低減のヒントを一人ひとりに合った方法で提供しています。

ぜひ企業の人事・労務ご担当者の方は、社員のメンタルに今こそ目を向けてもらいたいと思います。社員の『心が折れてしまった』後では、組織にとってもいいことはありません。リモートワークを推奨するということは社員の顔が見えなくなる、ということなので、メンタルケアの体制を同時に確立する時期だと思います。急速なストレスに個人で対処するにはあまりにも負担が大きいと推察します。その急速なストレスの緩和・低減をサポートする環境の整備が必要な時にきているのではないか、と思わずにはいられません。

どうか本年も経営者、社員が“心身ともに”元気で過ごし、貴社の今後のますますの発展のためにも、メンタル・イデア・ラボをどうぞよろしくお願いいたします。

2021年 丑

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セクシャルマイノリティーへの理解を深める【3/3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

最終回となる今回は、LGBTQの『Q』になります。

複雑で一番理解が難しいと感じるであろう部分についてお話しようと思います。現実にあなたが出会う確率は低いか、知らないままだろうと思いますが、知識として知っておくと、SDGsが叫ばれている昨今において有益かもしれません。

『Q』はQueer(クィア)、Questioning(クエスチョニング)で、多様な性自認、性指向があります。前回、前々回をおさらいしつつ整理しましょう。

大きく分類すると、

身体的性別(sex:セックス)
身体的性別とは、生まれ持った性染色体、性線、性ホルモンや生殖器などの身体上の男女の区別。これはわかりやすいですね。

●社会的性別(gender:ジェンダー)
身体的性別に対し、文化的、社会的に形作られた“女らしさ”“男らしさ”の区別。宝塚歌劇団の世界を想像するとわかりやすいかもしれません。役者の身体的性別は全員女性ですが、役となると男役、女役とわかれますね。

●性自認(gender-identity:ジェンダーアイデンティティ)
自分が認識している自分自身の性別。心で感じている性と言えます。

●セクシャリティー(sexuality)
性指向、恋愛指向と考えるとわかりやすいです。

『Q』と呼ばれる中のクエスチョニングには、

性自認をどちらかに決めたくない人。
●どちらも持ち合わせている人。
●場面によりどちらかの性を行き来する人。
●まだどちらか決めかねている人。
●わからない、が一番しっくりくる人。

など、いろいろな人が含まれます。最初の4つの身体的性別、社会的性別、性自認、セクシャリティーを確定できない、確定したくない人々ということです。

また『Q』のクィアには、

Asexual:アセクシャル=他者に性的欲求や恋愛感情を持たないセクシャリティーを持つ人。
さらに分類すると、
▷“他者に性的魅力を感じない人”はアセクシャル。
▷“他者に恋愛感情を抱かない人”はアロマンティック。
▷“他者に恋愛感情を抱くが性的魅力は感じない人”はノンセクシャル。
と分けているようです。

Intersex】:インターセックス=身体的な構造が一般的な男性、女性どちらも一致しない状態の人になりますが、インターセックスという表現を使いたくないという人も増えてきたことから、DSD(性分化疾患)と表現されることが多くなりました。

Xgender】:エックスジェンダー=男性、女性どちらにも当てはまらないと感じている人や、性自認が男性、女性の間で揺れている人の性自認です。

Polyamory:ポリアモリー=関係者全員の合意の上で複数のパートナーと関係を持つ恋愛スタイルで、そこに性的関係がある場合も性的関係がない場合もあります。

日本では珍しい一夫多妻(二妻/日本は重婚が認められていないので、それぞれの女性と結婚→離婚されており、名字は同じでも戸籍上は独身)、実際に3人+子供達で暮らしている家族が九州にいますが、わかりやすいポリアモリーかもしれません。

合意の元、複数と関係を築くポリアモリーの反対が、一夫一婦のモノガミー(monogamy)で、ご存知のとおり、日本はこの恋愛スタイルや結婚スタイルが主流です。

こうして見ると、性自認から性指向に恋愛指向と多様であることがわかります。まだまだ多くの分類があるのですが、ザックリ大きく分けて説明してみました。人類の性は実に奥が深いですね。

本年もご愛読いただき、ありがとうございました。本年はこれで終了です。2020年はコロナで本当に大変な1年でした。多くの人々のメンタルにも甚大な影響を及ぼしました。来年は少しでもコロナ前のような生活に戻ることを祈るばかりです。

来年のコラムは1月10日日曜日から掲載を始めます。原則毎月5の倍数の日に掲載していきます。来年もよろしくお願いいたします。それでは良いお年を。

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セクシャルマイノリティーへの理解を深める【2/3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

LGBTQのLGBは、“性的指向”の三要素であり、トランスジェンダーやトランスセクシャルの『T』は“性自認”により決定されるものです。

改めて整理してみましょう。

  • 性的指向→どんな性別の人を好きになるか。
  • 性自認→自分の性をどう認識しているか。

マジョリティーでは、性自認(気持ち/心の性)が女性の場合、身体の性も女性。性自認が男性の場合、身体の性も男性と言われています。

上記が一致していても、

性的指向(性的対象)がマジョリティーではない、または、身体の性と性自認(心の性)が一致せず違和感を持つ人がLGBTに該当します。

この先なるべくわかりやすく、私が自分(女性)とパートナー(男性)を例にさまざまなパターンを考えてみましょう。現実の私とパートナーは次のようになります。

【私】身体:女性性自認:女性
▷性指向:女性・男性→両性なのでバイセクシャルということでセクシャルマイノリティー。

※これが、男性/女性だけでなくトランスセクシャルやトランスジェンダー、Xジェンダーなど、まだまだある性自認の人たちすべてが性指向となる人のことを“全人愛”<バンセクシャル>と呼びます。
【パートナー】身体:男性性自認:男性
▷性指向:女性→セクシャルマジョリティー。

※医学的性別(身体の性)、性自認が一致していることをシスジェンダーと呼び、異性愛者をヘテロセクシャルと呼び、これが一般的にセクシャルマジョリティーと言われていて、パートナーはそのまんまセクシャルマジョリティーですね。

それではさまざまなパターンを例として列挙してみます。

【私】身体:女性/性自認:男性
【パートナー】身体:男性性自認:男性
▷私の身体の性が女性でも、性自認が男性でパートナーが性自認・身体共に男性の場合、私は“男性として男性が好き”なので『ゲイ』になります。

一般的な男女のカップルに見えても、実はゲイカップル、ということになります。
【私】身体:女性性自認:女性
【パートナー】身体:男性性自認:女性
▷パートナーの身体が男性であっても、性自認が女性で性指向も女性の場合、身体・性自認共に女性である私を好きなのでレズビアンになります。

一般的な男女のカップルに見えても、実はレズビアンカップル、ということになります。

大丈夫ですか?こんがらがってませんか?

また、身体の性が私(女性)、パートナー(男性)であっても、私たちの性自認が私(男性)、パートナー(女性)である場合、FTMヘテロセクシャルが私で、MTFヘテロセクシャルがパートナーということになります。

※FTM:フィメール・トゥ・メールの略(女性の身体でありながら性自認は男性)

※MTF:メール・トゥ・フィメールの略(男性の身体でありながら性自認は女性)

図で表すと以下のようになります。

一度パートナーに聞いたことがあります。「黙っててごめん。私、見た目は女だけど、実は心は男で、男として男のあなたが好きなんだ、って言ったらどうする?」と。

こんがらがっていました(笑)その後に「ゲイやレズビアンは当然認めてるけど、自分事となるとオレはノンケ(ヘテロセクシャル)だから、パートナーには身体はもちろん、性自認も女性の人に、オレのことは男性として愛してほしい・・・かな」ということでした。

最終回となる次回は、さまざまな性自認、性指向ということでLGBTQの『Q』部分についてお話しようと思います。

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セクシャルマイノリティーへの理解を深める【1/3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

個性的であることより協調性があることを幼少期より求められ、出る杭(個性的、少数派)は打たれやすく、異端(?)と思われると差別や偏見、排除の対象として弾かれやすいのが日本ではないか?と感じているのは私だけではないと思います。

今回は多様性を叫びながら、なかなか理解が進まないセクシャルマイノリティーについてお話しようと思います。

私の周りにはパートナーを始め、マイノリティーと言われる人も多く、当然セクシャルマイノリティーの友人も多くいます。LGBTQという表現が社会認知されてから随分経ちますが、言葉だけが先歩きして本当に理解できている人はひと握り、わかるようなわからないような・・・が現実ではないでしょうか。

今回から3回にわたり、性の多様性を理解する上で避けられないさまざまな【性自認】【性指向】についてお話したいと思います。

  • 身体的性と自認する性別が一致している。
  • 異性愛(男性×女性)。

をセクシャルマジョリティーと考えるならば、それ以外のすべてがセクシャルマイノリティーになります。

誰もが最初に思い浮かべるのが“同性愛”だと思いますが、本来、男女の関係なく同性愛者は“ゲイ”と呼ばれますが、わかりやすくするために女性の同性愛者を“レズビアン”、男性の同性愛者を“ゲイ”と呼んでいます。

LGBTQはレズビアンの『L』、Gはゲイの『G』です。Bはバイセクシャルの『B』、Tは身体的性と性自認が一致しないトランスジェンダー(トランスセクシャル)の『T』、Qはクエスチョニング、クィアの『Q』、となります。

間違って理解している人も多いようですが、バイセクシャル=異性とも同性とも“肉体関係を持てる人”、ではありません。肉体関係を伴わなくとも恋愛関係は成立するので、肉体関係云々は関係なく、異性も同性も“同じように恋愛対象になる人”のことをバイセクシャルと言います。

たまたま酔った勢いや好奇心から「あたし、女の子とエッチしちゃった!キャハ!」はバイセクシャルではありませんし、学生のノリで女子が「(同性の)友達とキスしちゃったもんね」も、バイセクシャルやレズビアンではありません。

なぜLGBTからLGBTQという表記になっていったかというと、

自分の性自認や性指向を決めたくない。
●まだ定まっていない。
●どのセクシャリティにも違和感がある。

・・・というクエスチョニングのQと、数多いセクシャルマイノリティーの総称として使われるクィアを追加したことによります。

実は以前、このクィアという表現はダイレクトに“変態”のような意味で差別的に使われていたのですが、多様性が叫ばれる中、近年は良い意味での開き直り(?)のように使われているようです。

▷性自認が女性で性指向が女性である人をレズビアン。
性自認が男性で性指向が男性である人をゲイ。
●性自認が女性(男性)で性指向が自分と異なる性の人をヘテロセクシャル←セクシャルマジョリティー。
身体的性が女性で性自認が男性である人をトランスジェンダーFTM(フィメール・トゥ・メール)。
身体的性が男性で性自認が女性である人をトランスジェンダーMTF(メール・トゥ・フィメール)。

となりますが、ややこしいことに、身体的性は男性<見た目が男性、中性っぽい、性別再適合手術(SRS)を受けていない、でも“その人の性自認が女性”で、それに加え、性指向が女性の場合、見た目が男性であってもレズビアン(MTFレズビアン)>になるのです。

性自認とは、

自分が自覚している性別(「私は男(女)である」ということ)

性指向とは、

性自認とは関係なく誰が性愛対象になっているか、

になります。間違いなくこんがらがるので、次回はそれらをわかりやすく整理してみます。

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カースト制がないこの国に存在する謎のカースト

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。少し間が空いてしまいました(笑)。

タイトルの謎のカースト・・・ママ友カースト、スクールカースト、本来の使われ方とは違う意味で、○○カーストというものを見かけます。

自分がどの立ち位置にいるのかを無意識下で常に意識し、上層カーストは下を見下し、カースト落ちしないように必死で、中間層カーストは上層カーストの様子(ご機嫌?)を伺いつつ、下層カーストでなくて良かったと胸を撫で下ろし、下層カーストは大人しくしながら、その外側に位置する(ような)アンタッチャブルにはなりたくないと下を見る。・・・というのが私が知る、カースト制のない国にある謎のカーストの認識です。

息子に「スクールカーストってわかる?」と聞いてみたところ「うん、わかるよ」とのこと。今回は息子にスクールカーストの実態を聞き取りしてみました。飽くまでも息子の通う中学校の、息子が感じるスクールカーストになります。

当時はよくわからなかったみたいですが、小学校高学年ぐらいからはあったと言います。それが中学になると顕著になってきた、と。スクールカーストはどのような子供たちがどこのカーストに位置するのでしょうか。

息子の通う中学校は普通の公立ですが、近隣の中学校に比べ礼儀作法や校則が厳しく、そのせいが学校訪問するとどの生徒たちも立ち止まって頭を下げ、元気よく挨拶をしてくれます。少しでも制服を着崩していたり、髪を染めてるようなヤサグレてしまった生徒は一人も見かけたことがありません。見かけだけ、ですが。

飽くまでも息子が通う中学校、息子の主観になりますが、トップカーストにいるのは“成績が良い”“スポーツ万能”もしくはその両方を兼ね備えている子供たちらしく、クラス委員や体育委員、生徒会の主要役員をやっていたり、声も大きく、クラスの雰囲気をガラッと変える力(?)がある目立つ子供たちだそうです。ヤンチャと言われる子供がいない中学校だからでしょうか。ちなみに女子にそのような生徒はいないそうです。

息子が1年生の時は登校渋りが出かけてヤキモキしましたが、2年生になって一人一人を丁寧に見てくれる担任になったことと、たまにふざけることがあっても、まとまりのあるクラスでクラス全体が仲が良く、イジメもなく居心地がとても良いそうです。・・・なのにスクールカーストがある不思議。

息子自身は中間層カーストの、そのまた真ん中ぐらいと自覚していて、クラスのほとんどがこの中間層カーストに位置するそうで、その中に“班”のような仲良しグループが幾つもあり、その中を行き来している子ばかり、クラスではおとなし過ぎず悪目立ちし過ぎない、平均的な子供たちが集まっている、と。

仲が良いらしいクラスに存在する下層カースト、そこにいるのは“ふざけ過ぎる子”“面倒くさい子”“面白くない子”“暗い子”“クラス対抗で協力しない子”たち。こんなくだらないことが理由で下層カーストとは随分と乱暴で理不尽です。

下層カーストの子供たちが何か発言しても周りの空気がシラっとしたり(アクションが薄い)、給食のおかわりは一番最後にされたりするらしいのですが、無視されたりイジメがあったりはないという。

誰がどことはっきり明記されてはいないものの、暗黙の空気みたいなものがあって、誰もがそれを意識しながら学校生活を送っているように見えるらしいのです。休み時間を過ごす場所もカーストにより違うらしく、上層カーストの生徒たちは教室の後ろに溜まり、中間層カーストの生徒たちは自分の席周りやグループの生徒たちの席、下層カーストの生徒たちは廊下や教室の端、図書館にいることが多いとか。私が知るイジメがあったりクラスが荒れたりするスクールカーストとは違い、随分ほのぼのとしたカースト。

どの社会にも“おとなしい子(人)”はいるもので、それがただただ声が小さいとか人見知り、どうでもいいことは自己主張しない、自己主張をするのが苦手な子、他者にあまり関心がない・・・など理由はいろいろあるもので、時間をかけると仲良くなれる子、ということも多いですよね。

5人に1人がHSP、HSE(HSS型HSP、HSEという社交性があるHSPもいます)と言われる時代、当然子供たちの中にもいるわけですが、子供はHSCと呼ばれます(C=Childの「C」)。しかし、

HSPという医学的な診断名はなく、心理学的には“気質”として扱われます。つまりHSPは精神疾患でもなく、発達障害でもないのが現状です。

私はHSPについては部分肯定派なのでそれについてはまたの機会に。

息子が話していて気になった言葉があります。

「普通にしてたら中間層にはいられるんだよ」

普通、普通・・・。普通って何なのでしょうか?

中央値、平均値みたいなもの?普通というからには何らかの基準があるのでは?その基準はどこにあるの?誰が作ったの?

普通から外れたら中間層(大多数、マジョリティーと理解)には入らないの?普通じゃなきゃダメなの?

・・・と沸き上がる疑問が・・・。成績は良くも悪くもありませんし、最近は友人関係のトラブルもありませんが、発達障害重複を持ち、さまざまな生きづらさを感じている息子は、間違いなくマイノリティーに分類されるはずで、そうなると“普通”とは外れるのでは?普通から外れたら中間層にいられないんじゃ?だとしたら息子は“必死に”中間層から外れないようにしているとか?

やはり疑問だらけです。

疑問だらけついでに、次回はジェンダー、セクシャリティーを考えてみたいと思います。

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サラリーマンは実は偉人

メンタル・イデア・ラボ代表のスミです。本城に無理を言って、今回は私がコラムを書きます(笑)。

【サラリーマンは実は偉人】、今では会社員、ビジネスマン、ビジネスパーソンという言い方が主流かもしれませんね。サラリーマンは男性的なイメージがあるし、古い表現というイメージがあると思います。また英語ではなく和製英語であることも、グローバルな今の時代に相応しくなく、また仕事のキャリアを積む女性が増えたこともあると思います。一方で、

新橋と言えばサラリーマンの聖地

と言われています。ビジネスマンの聖地、会社員の聖地という表現は、ほとんど耳にしません。女性の街というイメージは昔からなく、いわゆる『オジサン』が集う街という特殊なイメージが強いゆえに、新橋はあえて『サラリーマンの聖地』と言われているのだろうと、勝手に思っています。確かに新橋はオジサンが多いです(笑)。

ここで、あえてサラリーマン(女性会社員も含む)という表現を使うのは、今も世間に根強く<サラリーマン=凡人>というイメージがあるのではないか、と思うからです。私も若い頃は凡人がなるもの、と勝手に思っていました。しかし、年齢を重ねるにつれ、また社会に出て経験を積むにつれ、どうやらサラリーマンほど凄い人達はいないのではないか?と思えてきたのです。

今でこそ若くして起業し、成功を収めている人もいて、彼らも確かに凄いと思います。しかし、彼らは特権があります。それはその組織の中で『経営者』という権力者である、ということです。権力者はある程度自分で物事を判断し、決定することができます。つまり、組織の中では誰の顔色も気にする必要はないのです(大企業となるとそうも言ってられないかもしれませんが)。これは組織人として物凄い特権です。社長がオーナーでもある企業の意思決定が早いのは、社長がその特権をフル活用できる立場だから、とも言えます。

しかし、サラリーマンは真逆の立ち位置にいます。上司はもちろん、同僚や部下にまでいちいち顔色というか、気にかけなくてはいけません。自分の一存で決定できるのは少なく且つ限られています。つまり、

サラリーマンは人間関係に神経を使いまくる人達、

と言っても過言ではありません。人間関係に神経を使いまくる、というだけでストレスは相当なものだろうと容易に想像できます。その中で日々晒されていると思うと、それだけで凄いと思います。

忍耐力、コミュニケーション力があってもなくてもサラリーマンをしなければならないという立場。息苦しそうです・・・。それでも彼らは日々曲がりなりにも仕事をし、生きています。私の父は70代後半で既に定年退職していますが、年功序列、終身雇用という日本型経営にどっぷり浸かり、その恩恵も受け、時に清濁併せ吞み、家族のためを思いながら、一度も転職することなく大学を卒業して定年まで勤め上げました。今の私からすれば頭が下がる思いです。これはもう一種の才能ではないか、と思うほどです。

私の父のように現在70代くらいの人にとっては、それが当たり前の時代でした。日本で転職が当たり前になったのは、ここ20年くらいの話だろうと思います。転職はできる環境になったとはいえ、組織で働く以上どこに就職しようとサラリーマンです。人間関係に神経を使いまくることに変わりはありません。それを続けることは

経営者とはまた次元の違う物凄い才能ではなかろうか、

と思うのです。私からすればもはや凡人ではないということです。メンタルを病み、残念ながら休職、退職してしまっている人は才能がない、ということではありません。そういう人達は、たまたま才能を上手く活かし切れていないに過ぎず、才能自体は持ち合わせていると思っています。才能は自分ではわからないものです。(あなたには)こういう才能がある、と言えるのは他者であり自分ではありません。才能があると言われている人は内心では迷い、もがき、悩み、時に苦しんでいることが多いのではないでしょうか。

そう考えると、あれこれ迷ったり、悩んだりすることは生きている以上付いて回るもので、才能があるゆえ、とも言えると思います。ロボットは機械なので悩んだり、迷ったりしないので才能はないと言えます。一方でそういう才能はないものの高性能なロボットを作っているのは、他ならぬサラリーマン達だ、という事実に目を向けたいと思うのです。

経営者も経営者としての才能があることは認めます。しかし、その下で働くサラリーマンがいなければ事業は成り立たないことも事実です。つまり、どちらかが偉い、凄いということはなく、立場の差こそあれ、お互いさまな存在だと思うのです。サラリーマンだからといって、自らを卑下することもなければ、凄いと思うこともないし、経営者も経営者だからといって特別凄いも何もないのではないかと思います。むしろ経営者側に成金趣味を露骨に出し、メディアに出たりしている人がいて民度、人格を疑います。サラリーマンにそういう人達はいません。せいぜい飲み屋や後輩、親しい友人に対して自慢し、他者からは器が小さいと囁かれるのが関の山です。そういう人達に才能はないとは言いませんが、サラリーマンでも民度や人格、人望は成金趣味の経営者と同根な残念な人達も確かいにいます。

ストレスに晒されながら組織でいかなる地位に就こうとも決して驕らず、日々粛々と仕事をし、真面目に日常を生きているサラリーマンこそ、よっぽど人格者ではないだろうかと思います。特に飛び抜けたこともなく、別段高給取りでもない、しかし、きちんと仕事をこなし、人間関係に気を遣って毎日を生きているサラリーマン。こうして書いてみると、愛しささえ覚えます。そういうサラリーマンが日本経済の一端を担い、この国が成り立っていると思うと、本当に偉人だと思わずにはいられません。

そういう意味では、私はサラリーマンの才能は持ち合わせていないのかもしれません。過去に二度、会社をクビになったことがあります。しかし食べていかなけれななりません。あるご縁で独立という道を選んで今に至っている次第ですが、なかなか茨の道ですね(笑)。しかしこれも何か意味があると思い、歩んでいこうと思っています。

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不機嫌にならないコツ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は“すぐにできる不機嫌にならないコツ”をお話しします。

すぐにできることですが、簡単にできるかどうかはその人次第です。意識して心掛けてみるだけでも随分違うものなので、ぜひやってみていただきたいと思います。

【1】勝ち負けにこだわらない。
【2】一人だけで抱え込まない。
【3】他者との距離を近づけ過ぎない。
【4】“察してちゃん”をやめる。
【5】ウワサ話や悪口に混じらない。

それでは【1】から順に説明していきます。

【1】勝ち負けにこだわらない。

勝ち負けでしか物事を捉えられない人は、「負けた」と感じた時に不満が募り、負けた気持ちになります。そもそも誰もあなたに勝負を挑んでいないので(笑)、あなたが勝手に一方的に負けたと思い込んでいるだけです。幸せの尺度は誰でもない“あなた自身”が決めることで、社会的な勝ち負け(と思い込んでいるもの)とはまったく別のものです。くだらない勝ち負けにこだわり、意味のないイライラを募らせるのはやめましょう。

ビジネスシーンの会話でよく『WINーWINの関係』というフレーズを聞くことがありますが、これも勝ち負けの発想から来るものだと思います。これからの時代のビジネスは、『WINーWINの関係』ではなく『JOYーJOYの関係』に発想を転換したほうが、働く人にワクワク感が芽生え、結果社会に新しい価値を提供できるのではないでしょうか。
【2】一人だけで抱え込まない。

確かめもせずに、他者の気持ちや感情を勝手に先回りして推測、解釈すると不安や不機嫌になりやすく、一人で抱え込みがちになります。プライベートな悩みでも仕事の悩みでも、一人で抱え込もうとするには限界がありますよね。ええ格好や決め付けをせずに「それってこういう意味で言ったの?」と確認したり、「キツいから話を聞いて」「いっぱいいっぱいだから手伝ってもらえますか?」と助けを求めましょう。

これは個人の努力もさることながら、一人で抱え込ませないためにコミュニケーションが円滑な職場環境になっているか、組織にそんな土壌があるか、ということも問われています。
【3】他者との距離を近づけ過ぎない。

どんなに仲良しでも四六時中一緒にいると、些細なスレ違いからお互いの嫌な面が目に付きイライラモヤモヤするものです。自分以外は親でも他者なのですから、お互いが心地好い距離感でお付き合いしましょう。人間関係を良い状態で維持していくために、この“距離感”を意識するのはとても大切なことです。離れ過ぎずベッタリくっつかず・・・、一番心地好い距離はどこらへんなのかを考えてみましょう。

ビジネスでも顧客との距離感が程よいほうが、お互いに信頼関係を醸成でき、健全な関係を長く築けるのではないでしょうか。
【4】“察してちゃん”をやめる。

どんなに愛し合うカップルでも、長い付き合いの親友でも、互いの気持ちを100%理解し合うことは無理です。あなたはあなたで、決してパートナー本人や親友本人(の気持ち)にはなれないのですから。何かがあってイライラしたり落ち込んでいても、他者はそのイライラや落ち込んでいる原因は知りません。「こんなにイライラしているのに(落ち込んでるのに)何でわからないんだ?」←空気読めってこと?・・・それは無茶ぶりです。プレゼンがうまくいかなくてイライラ。それはどんな理由でどんな感情になっているのか?を伝えなければわからなくて当たり前です。“察してちゃん”は、普段から自分が周りにいる人たちの思惑を気にしながら生きていて、「自分は察することができるのに(先回りし過ぎの勘違いの場合あり)なぜ相手はこの思いに気付いてくれないんだろう?」と不機嫌になるのです。言葉にしなければ何もわかりません、他者なのですから。せっかく言語という互いを理解し合うための有効なツールがあるのですから、察してもらおうなんて傲慢な気持ちを捨てて、素直に言葉に出して伝えてみましょう。

時々、こういう上司や社長を見かけます。社員はヒラメ状態になり、顧客を見ていませんね。このような組織は風通しも悪く、社員の離職率も高いです。ブラック企業だと言われかねません。
【5】ウワサ話や悪口に混じらない。

感情は伝播する、と以前コラムでも書きました。人のマイナス感情(特に怒り)はプラス感情よりも伝播しやすい特徴があります。また、プラス感情よりもマイナス感情のほうがパワーがあるので、悪口やウワサ話には巻き込まれやすいのです。不機嫌は“感染る”ので、そんな場面に居合わせてしまったらサラッと去るか、意見を求められても「そうなんだぁ、ふーん」で、相手のマイナス感情を受け取らないようにしましょう。

職場では時にウワサ話や悪口に足を引っ張られたり、強いストレスになる場合もあると思います。やはりここでもコミュニケーションが上手く取れている組織であるかが問われていると思います。モラルハラスメントの温床をなくすことも、これからの企業の責務かもしれません。

如何でしたか?頭でわかっていても、それをいざ実行しようとすると案外難しいと感じるのではないでしょうか。

“実行”しようとするから難しくなるのです。

意識すらしなかったことを“意識してみる”

これです。

前回の3Dになってしまわないように、まずは“意識してみる”からやってみてくださいね。

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地味にイラッとする話し方

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は、話をしていると相手を地味に不愉快にし、イライラさせてしまう残念な人のお話です。皆さんは

イライラ3D

をご存知でしょうか?

会話をしている時に、いちいち「でも(DEMO)」「だけど(DAKEDO)」「だって(DATTE)」を付けて話をする人のことですが、案外口癖になっている人が多いことに気付きます。

「最近あんまり彼から電話がなくって・・・」←友達に寂しい気持ちや不安を聞いてほしい。

○「だけど彼も仕事で疲れてるんじゃないの?」←彼女の寂しい気持ちや不安をガン無視。

●「普段はいいんだけど、デートとか旅行とか大事なこと決める時は話したいし、ライン送ってるんだけどね」←ちょっと不安な気持ち。

○「だって、ライン返せないくらい忙しいかもしれないじゃん」←最初の不安や寂しさをガン無視した挙げ句、不満な気持ちもスルー。

これだと「私の気持ち、伝わらないなぁ」と、ここでも寂しくなったりつまらなくなってしまいます。

当たり前ですが、この3Dを頭に持ってくると、

すべて相手が言った話の内容をはね付け“否定”する言葉になります。

●「土曜の映画、待ち合わせ時間や場所、どうする?」
○「渋谷駅前に9時は?」
●「でも渋谷駅前だとわかりづらくない?」
○「じゃぁ、パルコ前に9時15分は?」
●「う〜ん、だけど9時15分だと早くない?」
○「映画が9時半スタートだから、ちょうどいいと思うよ」
●「だって朝早く起きなきゃいけなくなるじゃん」

モヤモヤしませんか?

●「何を食べたい?」
○「何でもいいよ」
●「じゃぁ、中華にしよっか」
○「でも中華はちょっと・・・」
●「そっか、じゃぁパスタは?」
○「あ、でもパスタは昨日食べたし・・・」
●「天ぷらはどう?」
○「うーん、だけど天ぷらは胃もたれしそうだし」

これはイライラしますが、3D以前に“何でもいいと言いながら、ダメなものがあるなら自分で提案しましょうよ”かもしれませんね(笑)

違う意見や考え、想いがあって当然ですし、それを伝えるのも構わないと思います。ただ、相手の考えや言っていることを否定する前に、まずは話を受け取る相づちがあると不愉快にはならないものです。

彼があまり電話くれない、の最初のケースでは、「そっか、それは気になるよね」と話を受けた後、「でも、それは仕事で疲れてるのかもよ」と繋げれば“でも”があってもモヤッとしません。

ミラーリングで相手の話を受けて返すと傾聴姿勢も伝わります。

「彼があまり連絡をくれないんだ」

「そっか、彼があまり連絡をくれないんだね、それは寂しいよね」からの「でも疲れてるのかもよ」という具合です。

これは相手との関係がパートナーでも友人でも、同僚や後輩、部下でも同じです。

“デモデモダッテデモダケド”を繰り出されて気分よく会話が続けられるわけがありません。

コミュニケーションは双方が“話を投げる”“受け取り返す”を繰り返しながら広げていき成立するものなので、一方が“受け取らず(避けて)自分の考え(思い)だけを返す”だと、一方にはモヤモヤが残ってしまうのです。

「でも」「だけど」「だって」を口に出す前に、

【ミラーリング+受け取り】

を意識して、爽やかなコミュニケーションを楽しみませんか?

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