今年最初のASDグレーゾーン交流会に参加してきました

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年が明けてまだ半月ですが、早くも標題にあるように、今年最初の交流会に参加してきました。

その交流会には過去に何度かパートナーとも参加したことがあります。主催者自身も当事者の、とあるASDグレーゾーン(診断の有無は関係なく、生きづらさを感じている人を対象にしている)の交流会です。

今回はその様子や感想を書きたいと思います。

いろんな交流会に時折参加していますが、主催者の人柄や意向が反映されているのか、今回のように何度も参加したいと思える交流会もあれば、やたらと居心地の悪い交流会もあります(その場合、二度と参加しませんが)。

今回は、海外の大学で“発達障害グレーゾーンの研究”をしている当事者だという学生がいたり、福祉現場から研究をしている人も参加されており、いつもとは違う面白さがあったように思いました。

受付でのお手伝いの人はいても、主催者はひとりで、敢えてファシリテーターを置かずテーブル毎にテーマを決めて、自分の話したいことや聞きたいことで何度か席替えがおこなわれる方式です。

私は交流会参加が初めてという知人と参加したので、彼女の興味関心からテーマを選び、最初はフリートーク→孤独、気持ちについて→特性理解、とテーブルを移動しながら他の参加者の話を聞きました。

発達障害の特性を持ちながら、診断を下すには特性が薄く決定打がなかったり(さまざまな心理検査の結果も含まれる)、親への聞き取りができない(生育歴を聞き取りしますが当事者が大人だと諸事情から親の聞き取りができないことが多い)とグレーゾーンと言われることがあります。グレーと聞くと「発達障害でも軽めなのかな?」と思いがちですが、社会生活上の生きづらさは同じでも公的支援や福祉資源の活用に雲泥の差があり、社会生活上の生きづらさとはまた違う生きづらさを感じることが増えます。

受診して診断がつかなければ、役所の福祉課(名称は自治体により異なり、障害福祉と表記されている場合もあります)から通所受給証やそれに代わるものが発行されづらく、 実際の公的支援に繋がりづらかったり、手帳(発達障害のみ、知的障害の有無、精神障害の有無)が発行されるかどうかでも受けられる支援に違いが出てくるので、“わからないことの重ね着”状態になり、「困っているのに、どうしたらいいかわからない」になる可能性も高くなってしまうのです。

発達障害にあまり詳しくない医療機関にかかり、適応障害〜鬱〜双極性障害〜愛着障害、と診断名がその度に変わり、無駄にドクターショッピングを繰り返してきた人や、受給証が発行され就労支援(からの定着支援)を受け、障害者雇用で何年も落ち着いて働けている人まで、異なる状況にありながら対人関係に悩む当事者が多い印象でした。

共感の場を求めて、課題解決のヒントになれば、自分探しのために、などなど参加者の思いは多様です。

コロナ禍では対面が叶わず、リモート開催ばかりだった交流会がようやく対面開催になり、他者との交流を待ち侘びていた人が多く参加していた印象でした。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

カサンドラ愛情剥奪症候群とアスペルガーについての交流会を兼ねた勉強会にパートナーと参加してきました【後篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は前回に引き続き標題にあるとおり、ASD当事者であるパートナーがどう感じたのかをインタビュー形式で聞き取ってみたので、それを書きたいと思います。

質問は全部で4つです。

1)私以外とはカサンドラ当事者のいる勉強会や交流会に参加したことはなかったと思うが、実際に参加してみてどうだったか?

最初は“ASDバッシングの連中の集まり”と思っていたから警戒感しかなかったが、今回の勉強会の参加者の人たちに限っては、バッシングするような人たちではなかったので、徐々に警戒感がなくなり最終的に安心感があった。それから、参加していたカサンドラ当事者の人たちは、ASDを理解したい気持ちはあるものの、それができないもどかしさと、いつの間にか自分基準の考えや感情を押し付け、それに応えてくれない相手に苛立つ気持ちが同居している印象を受けた。常にそれらが彼らの中で二律背反しているんだろうな、と思った。

2)今回ASD(ほとんどはADHDと重複)当事者とも話をする機会があったが、自分以外の当事者と話をしてみて思ったこと、考えたことは?

率直に思ったのは、こういうASDもいるのか、ということ。ASDというベースは同じだからか、彼らの話の中で共感や理解できる部分、自分にも思い当たる部分はあった。ただ決定的に自分とは違うなと思ったのは、今までの人間関係や恋愛関係で自分が思い至らないせいで相手の気持ちを理解できず、結果として相手を傷つけてしまったと悩み、自信喪失すらなっているように見えたことだ。自分は孤立型のせいか、そういうふうには考えないから、その点で悩んだこともなければ自信喪失になったことがないだけに、それはそれでツラいだろうなと思った。

3)途中でワークがあって定型(たぶん)と思われるカサンドラ側の意見も聞いたと思うが、重複のないASD孤立型としてどう感じたのかを聞きたい。

面倒くさいな、が第一印象。言っていることは理解できる。同時にカサンドラ側の思考回路とは明らかに違うことを実感した。自分の思考回路はというと、どうしようもないことに対しては諦め、少しでもそれを癒すような、あるいは和らげるような解決策を考える思考回路。対してカサンドラ側のそれは、どうしようもないものに対して何か抗いたい気持ちがあると感じた。ASD的思考はその部分がない。だからその抗いたい気持ちに共感しにくいのかもしれない。カサンドラ側の抗いたい気持ちの言動に、一度共感することがどこか“手続き”のような気がしたから、面倒くさいと思ったのかもしれない。

4)私も元カサンドラだが、現在私と上手くいっているのはなぜだと思うか?

君がカサンドラ状態の時は、あたかもこっちが加害者だと言われているようで不愉快だった。そんな時期を経て思うのは、基本的にはお互い様なことだけれども、あえて言えば、君がカサンドラを脱して以降、適度な距離感を体得したからなのか、それとも適度な距離感を体得したからカサンドラを脱したのか、いずれにしても『適度な距離感の体得』なしでは今はないと想像する。それと結果論になるが、ASDにもいろいろなタイプがいる中で、自分はたまたま君の受容範囲内のASDであったこともあるかもしれない。同じASDでも君の受容範囲を逸脱したASDも存在するだろうから。その他の要因としては、互いにネコを飼っているというのも意外と大きいと思料される。

一緒に参加した勉強会&交流会のパートナーへのインタビューでしたが、「カサンドラ脱却のヒントは両者共が(ここ非常に重要)認知の違いを理解し、受け止めていこうとする努力と、何より深い愛情が必要で、それがなければASDと定型の間に横たわる乗り越えなきゃ(上手く)いかない深くて暗い河は乗り越えられないんだろうな」という感想を持ちました。

深刻なカサンドラ状態は脱しても、日々の暮らしの中でモヤモヤイライラを積み重ね、心的疲労が重なってしまいがちな大切な友人もいます。私にできるのは、その友人の愚痴袋がパンパンに重たくなる前に話を聴くことしかできないのがもどかしいところです。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

カサンドラ愛情剥奪症候群とアスペルガーについての交流会を兼ねた勉強会にパートナーと参加してきました【前篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達障害、カサンドラという言葉もずいぶん市民権を得てきましたね。

今は完全に離脱していますが、私自身も過去カサンドラ状態に陥った経験があります。コラムでも何度か書いているとおり、息子はADHDがある重複、パートナーは重複なしのASD孤立型です。

紆余曲折ありましたが、確定診断はなくともパートナー自身ASD孤立型であることを自覚していますから、今回の会に一緒に参加しました。

ご自身もグレーゾーンでカサンドラ状態に陥った経験もある方が主催者で、当日ASD当事者、カサンドラ当事者が15人ほど集まりました。私が参加したのはカサンドラ状態真っ只中の人に対し、数少ないカサンドラ完全脱却組で且つ専門家であり、支援者という特殊な立場から微力ながら力になることができるのではないか?という理由からです。

カサンドラ、ASDどちらも当事者会というのは星の数ほど存在するのですが、“互いを理解し合い、尊重しながら共存を目指す”ことを目的に両者とも参加を認めて開催される会は少ないのが実情です。

情緒的な交わりが難しく、独特の認知やコミュニケーションスタイルを持つASDに振り回され傷つけられていると感じているカサンドラ側は、最初のうちはその苦しさから攻撃的になる人も多く、そのような場にASD本人を参加させればどうなるのか火を見るより明らかです。

理解したいのに理解できない、理解しようと頑張っているのは自分だけ、いつも一人ぼっちで孤独、誰にもわかってもらえない、パートナーが自分勝手過ぎる・・・そんな思いを抱えて一人で苦しんでいれば苦しみのあまり、初めは攻撃的になる人がいても仕方ありません。

今回参加した会は攻撃的な段階を過ぎ、次のステップに行くために悩んでいたり、より理解を深めたいカサンドラの人ばかりが参加していたせいか、感情を爆発させ攻撃的な言動を発する人は誰もおらず、終始穏やかな時間でした。

カサンドラテーブル×2、ASD当事者テーブル(私はこちらにいました)×1で、私のいたテーブルはパートナーを含め4人がASD当事者でした。

ASDやカサンドラについてのミニ勉強会のあと、フリーテーマで交流をしミニワーク、そしてテーマを決めてテーブルを移動しフリートークという流れでした。

ざっくりASDと言ってもさまざまなタイプがあり、その人それぞれの性格まで考えると十人十色、特性に共通項があっても濃淡もあることから誰一人として同じASDの人はいません。おまけにほとんどのASDの人はADHDやLDなども重複しているので、ますます問題が複雑化しています。

タイプが違えばアプローチも違い、特性の濃淡でもずいぶん変わってきます。

同じようにカサンドラ状態に陥っている人にもツラさは同じでも、性格+幾つかのタイプがあるように感じています。

ASDで日本人に多いのは受動型重複ですが、パートナーは極めて少ないASD孤立型でADHD要素はまったくありません。重複していると「それASDの特性だよね、そっちはADHDの衝動性からきているもの」のようにあちこちに散らばる困り感への対応が変わってくるため、ひと言で「この人アスペ」と言えないケースがほとんどです。

多くの発達障害を持つ人と関わってきましたが、重複なしの純粋(?)ASDはパートナーを含め2人だけでした。

孤立型は自身で困り感を感じていない(他者への関心が極めて薄く、積極的に関わりを持ちたい欲求はほとんどありません)ので、交流会に自分から参加することはまずありません。パートナーも私がいなければ絶対に出向かないそうです(笑)

次回は参加したパートナーがどのように感じたのかを話してもらいたいと思っています。

<運営会社:Jiyuuku Inc.