ADHDの課題【時間管理】について<2>

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目となる今回は、ADHDの時間管理/随伴性自己強化を使い、気が進まないタスクを少しでも楽しいものにする、についてお話します。

複雑な仕事や気が進まない事柄を対処しやすく分解する。

随伴性自己強化を使う。→やりたくない(不快感を伴う)ことを終わらせた後に、自分自身に報酬/ご褒美を与える計画を立てる。

自分への強化子(具体的な報酬、ご褒美)リストを作る。

この3つが今回のキーワードです。

単調な繰り返しがひたすら続く。

・興味がなく退屈な仕事。

・複雑で細かく時間がかかる仕事。

などは、ADHDを持つ人にとって完遂が特に困難です。

これらに対処するために効果的なのが、

【仕事(やらなくてはいけないこと)を大きな塊と見なさず、無理なく取り組める程度に小分け、“まとまり”に分解し、“まとまり”となった仕事が一つ完了するごとに自分に報酬(ご褒美)を与える】

というやり方です。

大きな仕事(複雑で時間がかかる、手順が面倒など)がドーン!と目の前にあると、山のようにやらなくてはならないことばかりに意識が向き、途方に暮れて、どこから手を付ければいいのかわからず、ますます手を付けるのが億劫になります。

そこで、自分がやろうと思っている仕事のボリューム、それを完了させるために費やす時間(あるいは労力)を“これなら容易に終わらせられる”と感じられる程度(のまとまり)まで小分けします。

大枠で<大掃除>を例にとると、「やることは何だかいっぱいだし大変そうメンドクサー」・・・になるので、“今日はすべての部屋の窓だけ”“トイレだけ”“バスルームだけ”と計画を立て、『他はやらない』と決め、小分けしたそのまとまりにだけ取り組む感じです。まとまりの一つである“今日はすべての部屋の窓だけ”を終わらせた後に、“好きなDVD(動画、ゲームなど)を1時間半”というふうに、随伴性自己強化のために前もって書き出していた“ご褒美リスト”から、自分に対し“強化子(ご褒美)”を与えます。

難しいのは、「ご褒美を先にもらっておいて後から頑張ればいいや」という、いつもの先送りしそうな気持ちが持ち上がることです。ADHDは極度に面倒臭がりでもあるのです。息子は毎回このパターンで、自分一人ですぐに終わりそうなことも完遂できず、鼻先にぶら下げるニンジンを先に欲しがるので(笑)、私がストッパーや柔らかい鞭になっています。

前記の“すべての部屋の窓だけ”掃除も、『うちには○枚窓があるから、だいたいこの位の時間がかかるな』と見通しを立てなくてはなりませんから、ここで必要なのが、【1】でもお話した

自分はこの(ボリュームの)仕事を終わらせるのに、どのくらいの時間が必要か

の見通しを立てられることが重要になってきます。時間を少なく見積もると焦って雑になったり抜き落ちが出てきますし、多く見積もり過ぎると、「まだ時間あるから大丈夫だし〜」とダラダラやりながら目についたテレビや雑誌などに注意が逸れてしまいます。なので、

今の自分の集中が続く時間を自分自身がわかっていないといけない

のです。

ADHDを持つ人には【手を付けられないのは最初のステップが大き過ぎる】というのがあるので、前記の“今の自分で容易に終わらせるだろう”程度の小さなまとまりにし、取り掛かるハードルを下げるのです。

より細かく大掃除を例にみてみましょう。

やる気があっても、気持ちとやる気だけが大きく、いざとなると取り組む(実行)ハードルが高いのがADHDです。

初めは【すべての部屋の窓だけ】でしたね。窓掃除に必要なものは何でしょうか。それをイチから探して準備するところからだと、ADHDにはそれだけで面倒で面白くないひと仕事になってしまい、本来の目的である窓掃除に辿り着く前に集中が途切れる可能性がありますから、前日準備という予備日を用い【窓掃除に必要な掃除用具を全部揃え、2日目にすぐに取り掛かれるように目につくところに置いておく】を目標にしてみましょうか。

バケツに雑巾、洗剤に必要ならスクレイパーや下に洗剤が垂れないように敷く新聞紙、汚れものを捨てるビニール袋など。1日目はまず、考えながら何が必要か最初に書き出し、それからひとつひとつ準備していきます。1日目は【窓掃除】はしなくていいわけですから、終わりの見通しが立てやすいですよね。集中も持続できるはずです。

2日目、もう窓掃除の準備は終わっていますから、それを見れば大掃除で窓掃除をする予定だったことは思い出しますし、すぐに作業に取り掛かれます。仮に『(今日の、今の)自分の集中は40分が限度かな』と思うなら、ひと部屋の窓だけならラクに終わらせられると考えられるので、まずは目先のひと部屋の窓を終わらせ、強化子(例えば好きなお菓子を食べて15分休憩などのご褒美、報酬)を与え、次の部屋の窓掃除をするとよいと思います。

家に何十枚も窓がある人を想定していないので、ひと部屋終わるごとにお菓子を食べて15分休憩しても、1日あればすべての窓掃除が終わります(笑)。

仕事を絶対に終わらせられる小分けの量にして、「おー!できたできた終わった!頑張ってできたよ、自分」という

小さな小さな成功体験を積み重ねていくことが重要

なのです。最初に、自分自身に報酬(強化子)を与える計画を立てると話しました。←(随伴性自己強化)これは自分の好きなことで構いません。ウォーキング、友達に電話、ネット、おやつ、散歩、テレビや動画視聴など。取り掛かることや完了させることができずに悩んでいるのなら、仕事が終わったらすぐに手に入れらるような強化子を考えてみるとよいでしょう。

時間記録、時間見積にはこのような雛型があるとすぐに書き込めると思いますので参考にしてみてください。

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ADHDの課題【時間管理】について<1>

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ADHD(重複含む)を持つほとんどの人にとって、時間管理はとても厄介な問題です。

いつの間にか時間が経っていた、時間がなくなった・・・と感じることが多いのに、やらなくてはならないことがある時に、なぜか時間が足りません。きっと時間経過に謎を感じている人も多いのではないでしょうか。忘れやすさや時間管理に衝動的な言動、衝動買い。困り感に目を向けると、ADHDには生活上困る要素がたくさんあります。

今回から数回にわたり【時間管理】についてお話していきますが、初回となる今回は、さまざまな困り感の中から【時間管理/時間を意識する、スケジュールを組む】について考えていきましょう。

①自分の中にある時間意識を改善する。

スケジュール帳を使い、あなた自身の日々の活動に必要な時間を記録していきます(起床〜身支度〜食事〜出掛けるまでなど)。

とても骨の折れる面倒な作業ですが、効率よく予定を立てるためには物事を終わらせるのに“自分は”どれくらいの時間がかかるのか見当をつける必要があるからです。常に目につくところに時計がなければ時間をうまく管理することは不可能ですから、どの部屋にも目につくところに時計を置き、支障がない範囲でできれば見やすい腕時計を身につけ、「何時かわからなかったから」という自分への甘えをなくしましょう。もちろん、置いておくだけでは時間管理はできませんから、時計を意識して見ることが大切です。

「時計なんて見なくて大丈夫」と思った途端、問題に陥ります。時間はその経過を意識して追っていかないと、知らない間に過ぎ去っていくものだからです。←結果『私の時間、どこいった?』になります。

②スケジュール帳を準備しましょう。

スケジュール帳は1冊だけにし、時間とスケジュールが書き込めるよう1マスが大きいものや、1日を時間軸で書き込めるものを選び、開くとすぐにわかるようなものにしましょう。

時間管理を身につけるために日々使うものですから、見た目や可愛さやカッコよさではなく、自分が書き込みやすく見やすいものを厳選し、その1冊に専念し途中で放り出さないようにしてください。すぐに取り出し書き込めるように、ペンホルダーをつけたり、差し込めるペンを選び、常にペンも一緒にしておきます。お気に入りの使いやすいペンや付箋を使うとモチベーションも高まると思います。

ADHDの面倒臭がりが発動すると、すぐそこにペンがなければ、わざわざペンを持ってくることや探すことすら面倒になり、結局スケジュール帳を書かなくなるか、先送り癖が出て「後で書くからいいや(本人は覚えておけるつもりでも実際忘れ去ること多→結果書かない)」になります。

今は便利なアプリもあるようですが、私は敢えてアナログな手書き、スケジュール帳を勧めています。これは『アプリは悪!』ではないので、自分に一番合ったやり方で構わないと思っています。

③やらなくてはいけないことや約束の時間など、すべてスケジュール帳に記入する。

やらなくてはいけないことや約束を書くことで、スケジュールが確約するのだと意識してみてください。

④毎日、少なくとも朝、昼、夜にスケジュール帳をチェックする。

計画なしで1日をスタートさせない癖をつけましょう。いくらスケジュール帳に書き込んでも、定期的にチェックしなければ意味がないので、チェックすることを毎日繰り返し繰り返し習慣にしてください。

夜は、翌朝にやらなくてはいけない服薬や持っていく物、提出課題、人と会う予定があるなら待ち合わせ時間や移動交通機関などの確認、朝はスケジュール帳をチェックし、やらなくてはいけないことをやり、何にどれだけ時間がかかったのかも記録します。少なくとも1日1回はスケジュール帳を更新し、完了していない項目や変更があった部分のスケジュールを立て直してください。書いて終わり、見て終わり、だと時間管理になりません。

最初はスケジュール帳をチェックするのも忘れがちかもしれないので、スケジュール帳チェックのキーワードや合図を自分の行動の中に関連付けて決めましょう。例えば・・・朝顔を洗ったら、コーヒーを淹れる時、ランチ終了後すぐ、歯磨きが終わったら、お風呂から出たら、などです。

⑤うまくスケジュールを組むコツを身につけましょう。

繰り返しおこなうこと(服薬、朝シャワーの人はシャワー、月末の請求書払い、銀行など)は毎回同じ時間に予定してください。

毎月決まった日の支払いなど、予定を立てる上でわかっていることはスケジュール帳に書き込んでおきます。難しいことや時間がかかると思われることは、最もやる気がある(疲れていない)と考えられる時に設定してください。

「自分は今とてもやる気がある、元気だ」と感じた時には、やりたいことではなく最も面倒、困難だと思われることから取り掛かりましょう。これには今まで先延ばしにしてきたことも含まれます。

面倒、困難なことに取り掛かった場合、途中で「後でまたやろう」と先延ばしにすることは止めましょう。止めたことを再開するのは、最初に取り掛かった時よりもはるかに困難だからです。

小さな事柄は“すき間時間”に組み入れます。例えば、列に並んで待っている時、バスや電車に乗っている時、お風呂に浸かっている時間やお湯を沸かしている時間、洗濯待ちをしている時間など。

スケジュールはキツキツに組まず、必ず“リラックスタイム”を挟みます。キツキツにスケジュールを組むと、焦りから抜け落ちが増えたり、息つくひまがない!という気持ちから心身疲労が高まります。

すき間時間にできる小さなことは何かを考えてみましょう。ざっくりスケジュールを立てる、郵便物を開封したり請求書を仕分ける、夕食や週末の予定を決める、読もうと思っていた本を読んだり音楽を聴く、など。

すき間時間は時間の断片です。この小さな“時間の断片”を有効活用することで時間を節約できるので、改めてこの“すき間時間”を意識し、何ができるかを考えてみましょう。スケジュール帳を見返すことで、あなたにも絶対にあるすき間時間がどこにあるのか、わかると思います。

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自己満足だけで終わらない厄介なメサイアコンプレックス

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

困っている人の力になりたい、助けたい。

社会に貢献したい、役立ちたい!

大なり小なり誰にでもある欲求ですし、それ自体はとても尊い心がけだと思います。しかし、メサイアコンプレックス(救世主妄想)の場合、少々厄介です。

他者を助けることでトラブルを引き起こすメサイアコンプレックス。

さまざまなトラブルとは“人助けをしても嫌がられる(迷惑がられる)”“自己犠牲で疲れ果てる”“不健康な人間関係になってしまう”などですが、なぜ他者を助けることでトラブルが起こるのでしょうか。

まず、メサイアコンプレックスを持つ人には幾つかの特徴があります。

●優しそうな雰囲気(優しい)
●自分を犠牲にする
●問題を抱え苦しんでいる人の側にいる
●ボランティア活動が好き
●他者からのアドバイスや意見を聞かない

それではひとつひとつ見ていきましょう。

  • 優しそうな雰囲気(優しい)

メサイアコンプレックスの人は困っている、問題を抱えている人を見過ごせません。そのような人を見つけると優しく声を掛けます。相手を助けたいという気持ちはもちろんですが、相手がこれからも自分を頼る仕組みを作ろうとする意図が無意識にあります。

  • 自分を犠牲にする

これほど頑張っている自分には大いに価値がある、と考え、今の状況に疑問があったり自己犠牲から本人も心身に疲労を感じていても、他者助けをすることでしか自分を満たすことができないので、やめたくてもやめられなくなっています。

  • 問題を抱え苦しんでいる人の側にいる

メサイアコンプレックスの根底には“人助けをすることで自分を満たしたい”欲求があるので、欲求を満たすために“助けられる他者”が必要です。そのため、問題を抱えている人を見つけて側に寄り添うのです。相手の世話(?)を続けることで『こんなに一生懸命尽くす私には価値がある』『この人には私が必要なんだ』(共依存の始まりですね)と感じ、自分の気持ちを満たすのです。問題を抱えている人は往々にして余裕がなく、普段冷静な人でも冷静さを失っていることが多いので、そのような心理状態の時にメサイアコンプレックスの人が現れると、ついすがってしまいます。これが共依存を生んでしまうケースも多くあります。

  • ボランティア活動が好き

ボランティア活動には手っ取り早く自分の中にある無意識な欲求を満たすことができる環境が整っているからです。ボランティア活動では一人一人に役割が与えられ、他者や社会に貢献することで『人の役に立っている』『自分は必要とされている』とわかりやすく感じることができるので、自分を満たすことができるのです。ただ、本当に奉仕の気持ちでボランティア活動をしている人も多くいるので“ボランティア活動をしているからメサイアコンプレックス!”では決してありません。メサイアコンプレックスの人は、自分の思いどおりにならないことが起きると急激に熱が冷め、そのボランティア活動を辞めてしまいます。

  • 他者からのアドバイスや意見を聞かない

メサイアコンプレックスの人は、“これが正しい”“これが(こうすることが)この人の(社会の)ためになる”という、自分なりの正義感や思い込みが強いので、「自分は間違っていない!」という気持ちを持っています。そのため、他者からのアドバイスや意見に耳を貸さない、受け取れない人が多いようです。今流行りの自粛警察にマスク警察、思い当たりませんか?

誰にでも『誰かに必要とされたい』という気持ちはあるものですが、メサイアコンプレックスの人は『自分には価値がない』という劣等感も持ち合わせているので“誰かに必要とされたい”という気持ちをより強く持っています。メサイアコンプレックスがあると、自分の存在を無条件に『意味がある』『価値がある』とは考えられません。そのため“誰かを助ける自分”“社会に貢献する自分”がなければ、自らに価値を見出せないので、より一層誰かに必要とされたいと強く思うのです。

ほとんどの人が何らかの人助けをした時に見返りを求めるもので、これはごく普通のことです。これは何も金銭物品のお礼という見返りではなく、「ありがとう、助かったよ」というひと言も、この場合、見返りになります。人助けをして、ありがとうと言われ気を悪くする人はいませんよね。

メサイアコンプレックスの人も人助けをした時に見返りを求めているのは同じなのですが、その見返りの“質”が違います。

人助けとは本来“相手を助ける”ことが目的です。見返りはあると嬉しい(喜んでもらえた、感謝してもらえた、ご飯をご馳走してもらえたなど含む)けど、なければ「残念だなぁ」程度ではないでしょうか。メサイアコンプレックスの人は“人助けをすることで自分を満たす”が目的ですから、自分が望む見返りがなけれは意味がないと考えます。そのため、メサイアコンプレックスの人は人助けをした後に見返りがないと過剰反応します。

お礼の言葉がなくても普通は「失礼な人だな」くらいで済むと思いますが、メサイアコンプレックスの人は「(あなたのために)こんなにやってあげたのにあり得ない!」という考えになってしまいます。人助けは同じでも、相手を助けることが目的、人助けをして自分を満たすのが目的・・・と、目的によって結果(お礼、見返り)に対する反応がまったく違うのです。

メサイアコンプレックスには、過去に劣等感を生む辛い体験や、生活環境があったことに間違いありませんが、身近にメサイアコンプレックスがいると、親切の押し売りや頼んでもいないのに勝手に暴走され、かなりウザいと感じるでしょう。

メサイアコンプレックスを持つ本人がメサイアコンプレックスの自分と向き合っていくのはもちろん大切なことですが、巻き込まれて不快な思いをしないために対処法を身につけたほうが良いこともあります。

メサイアコンプレックスは自分を必要としてくれる人を求めているので、心理的距離を取り、こちらから関わらないことが一番の対処法です。次に

「自分で考えて行動できるから大丈夫(助けはいらない)」

をはっきり主張することです。

「心配してくれてるから申し訳ない」「せっかく助けようとしてくれてるから」と思ってしまうアナタ、共依存にまっしぐらですよ。

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アスペルガーの持つこだわり〜パートナーを通して考える【後篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前篇では私のパートナーにおけるアスペルガーのこだわりを、私の視点で書いてみましたが、後篇ではアスペルガーであるパートナーから見た視点で、定型と言われる人々や、定型を基準に構成されている社会がどう見えているのか、『アスペルガー視点による定型』を聞き取ってみたので書いてみたいと思います。定型の人には耳が痛いことや辛辣な言葉もあると思います(笑)

——幼少期を振り返って、“何か違う”“なぜ、みんなそうなんだろう”と思ったことは?

幼少期より極度な人見知りだった。よく覚えているのは幼稚園児の頃は家以外のトイレには入れなかった。それは『行きたいけど行けない』ではなく、家のトイレ以外を『汚い』と感じていて強い抵抗感があり、我慢していた。幼稚園であれ学校であれ、当時の公衆トイレは和式が主流で、使い方に不慣れだったこともある。公衆トイレには和式・洋式問わず今でも抵抗感はあり、家まで我慢できるなら極力我慢している。
また、一人遊びが好きで(例えばミニカー。ここでも自分なりの規則性があり、無意識にそれに則って)いつも一人で遊んでいたが、母からは「友達と遊んできなさい」と言われて苦痛だったことを覚えている。親しい一部の人以外と関わるのが嫌だった。今思えば極度な人見知りも影響していたのかもしれない。中学生になるまで、俗に言う『おとなしい子供』で母が友達ができるか心配したほどだった。

——他者に言われて、頭ではわかるけど、自分にはどうにもこうにも納得できなかったことは?

日本人が重んじる協調性や同調圧力には納得がいかないことが多い。『察しろ文化』が苦手。見返りや貸し借りと感じることがある。組織においては、雑用などは新人や下の者がやるべき、ということが当然とされていることも納得がいかない。基本的には『気づいた人がやればいい』と思っている。それを頭ごなしに新人や下の者の役目、と言われたり強制されると『なんで?』と心の中で合理的理由を求めてしまう。

——社会に出るとさまざまな人と関わることが増えるが、どういった場面や部分で違和感があったり、理不尽と感じるか?

さっき言った、新人や下の者はこうあるべき、こうすべき、みたいなことは今でも理不尽だと感じている。大体において合理的理由を言ってくれることは、まずない。言ってくれて、その理由に納得しさえすれば素直に聞き入れられることもあるのに、言われないことのほうが多いから、理不尽と感じることも多くなる。なぜ合理的理由を言わないのか、いまだにわからない。それでも仕方なくやっていると、やる気がないだの、ちゃんとやれだのと文句を言われる。まったく理不尽だ。定型の思い上がりを感じるね(笑)

——他者と関わりを持つ中で、納得がいかないところはどんなライフハックを身につけてきたか?

ライフハックと言えるのかわからないが、就職してからは飲みに行くことで、自分一人で消化しづらい感情をリセットしていた。ただチェーン店の居酒屋で飲むことは絶対になかった。そういう所では消化どころか、逆に落ち込んだり怒りが募ってくるから、一人で行っても話せる飲み屋にこだわっていた。手っとり早いのはキャバクラとかクラブとか、オネーちゃんがいる店ね(笑)同時にバーを探していた。行きつけになれば一人で行ってもバーテンと話せるし、家でもない職場でもない第三の居場所になるかな、と思って。ライフハックという言葉は知らなかったから、当時はいい意味での『逃げ場所』という認識だった。今でもそうだが、自分にとってそういう飲み屋=再生ドック、と思っており、気持ちの重み、澱を軽くする場所になっている。

——定型と言われる人たちのどこが面倒、必要ないだろうと思うか?

言葉でちゃんと言わないくせに、ヘンな協調性を求めたり、気持ちにしろ、行動にしろ、こういうものだ、と勝手に決めつけ、無意識に押し付けてくるところがメチャクチャ面倒で迷惑。『オマエの価値観を押し付けるな』と思う。具体的には上手く言えないが、一度相手と根本的に文化が違うと思ってしまうと、話し合っても無駄だと思っている。それから、合理的ではないことを、合理的ではないとわかっていながら『そういうもんだから』と合理的にしないところは、非難を承知で、もはや『バカか』と思ってしまうね。
また、関心がない相手には聞かれたことには答えるけど、オレからは聞き返すことはないね。例えば、相手に「ご出身はどちらですか?」と聞かれれば「東京です」と答えても、「〇〇さんはどちらですか?」と聞き返さない。だから会話が続きにくい(笑)。場面によっては意識して聞き返すようにしているが、そういう時の後は尋常ではないぐらい疲れるね。『聞き返してほしいんだろうな』『聞き返したほうがいいんだろな』と思うことがもう面倒だし、そもそもこっちは答えたのだから、聞き返されなくても言え、と思う(笑)

——今まで他者に共通して何度か言われてきたこと、思い返すことはあるか?

何を考えているかわからない、地雷がわからない、ミステリアス、親からは難しい子、と言われている。急な予定変更や予定どおりにしてくれないことには怒りを覚える。定型の人もそうかもしれないが、筋が通らないことも嫌だし、そういう人は絶対に信用しない。ただちょっと違うのは、人を『性悪説』で見ているところが定型よりも徹底しているかもね。大体において言行一致であるかどうかをシビアに見ている。

——人間関係、恋愛遍歴の中で、今思うとアスペルガー特性が起因で衝突、スレ違いがあったエピソードは?

妹の披露宴の時。最初に記念撮影をするということで、予定の時間より10分前に会場に着いたのに、ホテルスタッフに「皆さんもう雛壇に整列されているのでお急ぎください」と到着早々言われ、反射的にブチギレた(笑)オレは遅刻していないのに、あたかも遅刻したかのような言い様だったから。しばらくして聞いたが、あの時はブチギレという言葉では済まない、それとは種類の違う、恐怖を抱く凄まじい激怒だったようだ。
それから、恋愛遍歴での衝突はない。アスペルガー特性がどうのこうのという域までいかないうちに終わってしまうか、終わらせてきたから。だから今までの恋人はオレがアスペルガーであったことは知らないと思う。オレ自身ここ2〜3年で自分がアスペルガーだと自覚したんだから(笑)
また、過去の失敗経験から『前は〇〇だったから』ということで、自分の中に“人間行動パターン”を持つ傾向がある。過去の失敗経験に似た場面だと思ったら徹底的に避けるし、そういう人がいたら必要最低限しか口をきかない、目も合わせないね。

——定型に対して思うことは?

もっとドライでいいと思う。美談と言われる話は辟易する。『愛は地球を救う』というテレビ番組、あれは鬱陶しいよね。あと『みんなと一緒』思考がまったくわからない。みんなと同じでないと不安になるという心理が理解できない。新卒一括採用で必死に就職活動している学生は滑稽にしか見えない。一社からも内定を得られず自殺する学生もいるらしいが、へぇー、ぐらいしか感じない。長い物に巻かれなければ上手く生きていけないのが定型社会だとしたら、オレみたいなアスペルガーはある意味最初からアウトロー、生きにくいわけだよね。だけど、そういう定型社会はもう限界に来ていると思うな。ダイバーシティとか多様性とか、ある部分で既存の定型社会では収まらない価値観が出てきているから。定型連中はそれに気づいて多様性とかダイバーシティとか言っているのか知らないけど、多分そんなことは考えずに流行りに乗って言ってるだけだろうな、実際、現場は多様性やダイバーシティなんて程遠いし、絵に描いた餅にしかなってないから。そもそも人は多種多様なんだから、今さら何言っちゃってるの?と思う・・・あのさぁ、定型ってバカなの?

——屈託のない笑顔で「定型ってバカなの?」という問いに思わず噴いてしまいました。決して彼は自分は頭がいいという意味で言っているのではなく、子供がするような、無垢な質問という感じでしょうか、車椅子の人を見て「あの人はなんで足がないの?」みたいな感じですかね(笑)

——私は(ド)定型だけど、定型に対して何か意識していることは?

そうだな、共感することかな。共感ポイントを見つけて意識的に共感するようにしている。腹の中では違うことを思っていても言葉や文字では“この場合、こう言った(書いた)ほうがいいんだろうな”と考え、パターン化している。(定型である)君を見ていて『もっと(言いたいことを強く)言えばいいのになぁ、ユルいなぁ』と思うことはある。オレから見て、そういうところは【定型障害】という定型ならではの障害なんじゃないか、と思ってしまう。あえて定型障害と表現すると、定型は一般的に「察することが善」を無条件で求め、当然のことと考えている、「“みんな”はこうしている」を当たり前に求め、それをやらない(できない)と調和を乱す異分子と受け取る傾向がある気がする。疑問があっても「みんなそうしている」という文系的な答えで合理的な答えが返ってこないのは【定型障害】の典型例だと思う。こういう中で生きていると、定型善、発達障害悪という風潮に「定型ナニ様?」と感じるね。そういうところ、定型も振り返って改善したほうがいいよ。自分達を障害と思ったことがないだろ、だからオレに【定型障害】とか言われちゃうんだよ(笑)

【定型障害】という造語には目からウロコというか、そういう視点はなかったなと思って、無意識に定型を基準に物事を考えていた自分にハッとしました。彼が「定型ナニ様?」と言うのもわかります。定型のほうがマジョリティな社会だから定型側を基準に考えがちですが、それ自体傲りで反省すべき点かもしれません。

パートナーはアスペルガーだから生きにくいと感じつつも、定型に合わせようとはせず(合わせる気がない)、場合によってはぶつかることも厭わない姿勢がここまで言えるのかな、とも思いました。どこか正々堂々としているというか、上手く言えませんが、アスペルガーだからといって卑屈ではないことは確かです。もし「どうしてそういうふうにいられるの?」と聞いたら、

「なんで定型に合わせる必要があるの?」

と、逆に聞いてくる姿が目に浮かびます(笑)

今月15日土曜日は夏季休業のため、コラムはお休みします。お盆明けは20日木曜日から掲載します。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

アスペルガーの持つこだわり〜パートナーを通して考える【前篇】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前このコラムでもパートナーがアスペルガーであることや、それが起因で数々の修羅場など、パートナーからも当時を振り返ってもらいながら聞き取りをしたことを連載しました。

パートナーはASD<アスペルガー疑惑編> パートナーはASD<カサンドラ愛情剥奪症候群編> パートナーはASD<アスペルガー受容編>

今回は、見た目にはまったくわからない彼のこだわりの部分について、少しお話しようと思います。

アスペルガーやADHD、LDといった発達障害は見た目にわかる障害ではありません。

私自身、名称に『障害』とついていても

独特の認知を持ち、得手不得手のバラツキが大きく、定型と言われる人たちとは少し違う脳の作りをした個性豊かな人たち。時として本人や周りに困り感が表れ、私生活や社会生活に影響が出てしまう人たち。

という理解をしています。

比較的わかりやすい特徴が表れ、気付かれやすいADHDとは違い、パートナーはADHD要素を1ミリも持っていない、純粋アスペルガー(笑)のようで、踏み込んだ関係にならなければわからないことが多くありました。

実際に、私のようにパートナーがアスペルガーという人もいると思いますが、付き合い始めはわからないか、小さな違和感程度だったはずです。

コミュニケーション、想像力、社会性に障害を持つと言われるアスペルガーですが、その特徴の表れ方は濃淡だけでなく千差万別で、こだわるポイントもその人ならではの個性的なこだわり方です。見た目からはまったく気付かなかったのですが、彼はかなりの鉄ちゃん(鉄道マニア)で、私が勝手に思い描いていた鉄ちゃんイメージを覆してくれました。

鉄道好きのアスペルガーの男性は本当に多く、電車そのものに留まらず時刻表も大好きです。車体にある形式記号(モハ←モーターがある車両。厳密には車両重量と車両用途を意味するらしい)など、とても熱く説明してくれるので私も詳しくなりました(笑)

電車も何でもよいわけではないようで、細かいこだわりがそこここに見られます。どこにどんなこだわりポイントがあるのかを知ることで、より一層理解を深めることができました。

食(内容だけでなく)に対するこだわりもありますが、数字や規則性へのこだわりがはるかに強いようです。

SNSへの投稿は一年の始めに彼なりの法則に則り、日付、曜日から投稿する時間を何時何分何秒まで決め、投稿前はパソコンに張り付き、時間を気にしています。さらに投稿する日も3日おきと決めており、偶数分と奇数分を交互に投稿しています。

記憶力の優れた人ですが、頭で記憶しておくだけではなく、パソコンに“〇〇の投稿は何日、何曜日で時間は△△、◇◇の投稿日は〜”と一覧にしてあり、月に一度変更するカバー画像の変更日時も決めています。

「マヨネーズはキューピーがいいな、なければ味の素でも・・・まっいいか」程度のこだわりしか持たない私からすると、そのマメさ細かさに驚きを隠せません。

私は彼の数字や時間、予定や食へのこだわりをできる限り尊重しています。こだわりもなく、臨機応変な切り替えも苦ではない私は、パートナーに対し無理をしたり我慢しているわけではなく、一緒にいることが彼の負担にならないように、という思いからくるものです。

自分のペースで過ごす一人の時間が絶対に必要な彼を深追い(笑)しませんし、なぜかご機嫌ナナメな時はひたすらそっとしておきます(放置?)。認知も消化の仕方やスピードも違うので、彼のペースを第一に考えます。

話をしていて認知の違いを感じる場面も多くありますが、「私は〇〇と感じるし考えるけど、彼は違うのか、そうかそれは実に興味深い」で、よほどのことがなければ問題にもなりません。

今は衝突することはありませんが、アスペルガー対応がわからなかった時はとにかく疑問だらけで、会えば話せば見事に地雷を踏みまくりました(笑)彼のこだわりが強く表れる“食”について面白いエピソードがあります。

一日一食(しっかり食べるのは昼食だけ)の彼が昼食にかける情熱は並大抵ではなく、大概は「今日は〇〇を食べる!」と決めて出かけますが、何となく出かけ、気に入るお店を探すこともあります。

たまたま彼の気に入るお店があればいいのですが、歩き回ってもなかなか見つからないこともあり、私は“とりあえず”を提案してみるのですが、瞬く間に却下されます(笑)

まず店構えが気に入らなければ、どんなにオナカが空いていても絶対に入りません。こだわりに妥協しない(できない?)アスペルガーらしい部分ですね。

普段歩くことは構わないのですが、如何せんオナカが減っている中での『まずは店構えから』なので、最初はかなり狼狽えました。アスペルガーでなければ、ここまで彼女を気遣い(オナカ減ってるだろうなぁ)適当なところで手を打つと思うのですが、彼は「ハルはどこか他で食べてもいいよ(自分はまだ探すから)」です(笑)

私はオナカが空いて不機嫌になることはありませんが、最初は「〇〇食べたいなー」だったものが「ココイチでもいいや、いや、コンビニでも構わない」と、どうでもよくなってきます。それを伝えると彼は

ハルは生き方が雑だな〜。

と言われます。あまり言われることがないと思います。

生き方が雑。

細かい、生真面目と言われることはあっても、雑と言われたのは生まれて初めてで、しかも【生き方が雑】ですから、「生き方が雑って、ナニ〜!?」と見事にツボにはまりました。

野生(アスペルガー?)の勘なのか、店構えを気に入り「ココだ!」と彼が選んだお店は間違いなく美味しいので、それからはお店選びは丸投げでお願いしています。

こだわりが少ない(ない)側が、こだわりが強いほうに寄り添っていくほうが上手くいくので、それを「譲った」「我慢した」「合わせてやった」と捉えるタイプの人だと絶対にうまくいかないでしょう。

させられた、と感じると、人は積み重なった時に不満を持ち、他責傾向が高くなるものです。

次回は発達障害という単語に対し嫌味も込めて【定型障害】という表現をするパートナーが、アスペルガー視点から定型と言われる人たちをどう見て感じているのかを、本人に聞き取りした内容をまとめてお話したいと思います。

定型に対して嫌味も含まれ歯に衣着せぬ本音トークだけに、辛辣な表現が予想されますが・・・(笑)定型から見たアスペルガーのブログや書籍はあっても、アスペルガーから見た定型についてのことを聞く機会は少ないので貴重でもあります。

ユニークなこだわりや独特の認知スタイル、感情コントロールが苦手で個性的な世界観を持つアスペルガー。アスペルガーのパートナーから、定型がマジョリティとされる社会や人々はどう見えているのでしょうか。

今月15日土曜日は夏季休業のため、コラムはお休みします。お盆明けは20日木曜日から掲載します。

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