実行機能について【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

実行機能について【1】では、実行機能の重要な要素として自動反応の制御、ワーキングメモリー、感情コントロールまでお話ししました。今回はその続きをお話しします。

実行機能の重要な要素・・・

●課題開始
先送りすることなく、予定どおりに課題を開始する力です。
計画立案、優先順位付け、感情コントロール、整理体系、メタ認知、時間管理などが課題開始には関わってきます。

わかりやすい例だと、先延ばし、後回しにしがちな行動のひとつが食器洗いではないでしょうか。面倒と感じやすい家事のひとつだと思います。そのため「面倒くさいな」という思考を制御できず、それに行動がコントロールされてしまいがちです。

ワーキングメモリーやメタ認知が機能していると、「先にやっておいたほうがいい」と気付けますし、感情コントロールができていれば「面倒くさいなぁ」と思っても、自分自身で「いやいや、そんなこと言ってないでさっさとやってしまおう」と自分にハッパをかけることができます。優先順位や目標設定がきちんとつけられて持続できていれば、「食べ終わったから、よし食器洗うぞ」となるでしょう。

●持続的注意
私たちの“注意”には4種類あり、それぞれ選択的注意、転換的注意、分配性注意、持続的注意と言います。一つのことに集中し続けることを持続的注意といいますが、飽きたり多少疲れても気が散らないように目の前の課題(タスク、やらなくてはならない作業)に注意を向け続けることでもあります。

勉強や資料作りなどで考えると理解しやすいと思います。最初に前記の課題開始が関わることがわかると思います。いざ開始しても、飽きてきたり退屈になると気が散りやすく集中できなくなります。反応制御やメタ認知、ワーキングメモリーが機能していないとすぐに気になることや目の前の違うこと、思いついたことに引っ張られ、そちらに意識が向いて集中が途切れてしまいます。同時に機能しているのが持続的注意(集中し続ける)になります。私たちは無意識に幾つもの注意機能を複雑に組み合わせながら課題遂行していることがわかると思います。

自分が勉強、作業などが持続できないのは、どの機能が弱いのかを考えてみましょう。課題開始?反応制御?メタ認知?持続的注意?・・・どの機能からくるものかで対策を取れるものもあります。

●計画立案・優先順位
なかなか複雑な機能で、課題解決のために取捨選択し目標達成に向け、手順ややり方を組み立てる能力になります。

簡単に思えますが、この優先順位をつける能力にはメタ認知(俯瞰して見る力)で今の状況を理解しながら、ワーキングメモリーで複数ある課題を検討することが必要になってきます。どのように進めるかの意思決定や計画立案には、タスクの整理や体系化もしなくてはなりません。さらに、計画立案には作業量の全体像を把握し(メタ認知フル活用)、課題遂行までのうんざりするモチベーションダダ下がりになりそうな感情をコントロールする力や、あちこちにある反応制御という注意の散りやすさを一時的に保留(隅に追いやり)、予定どおりにいかなかった場合の可能性を考え、対応できる柔軟性も必要になってきます。それに加え、同時に時間管理をおこなうことも必要になってくるでしょう。

●課題整理と体系化
インプットされた情報を整理してメモリーするシステム作りをし維持する力、と言われています。課題遂行でも発揮される能力ですが、わかりやすく説明すると、身の回りの整理整頓や脳内のさまざまな記憶を整理し必要時に必要な情報を思い出したり、インプットされた情報を保持することになります。

整理体系化を無駄なく効果的におこなうためにワーキングメモリーは必須で、俯瞰的な視点で考え理解し、また視点を切り替えていくためにはメタ認知や柔軟性も必要になってきます。うっかりや忘れ物は整理体系化だけではなく、私たちは無意識に常時、分配性注意やワーキングメモリーを働かせているので、忘れそうになった時にわざわざ注意しなくても思い出すことができるのです。うっかりや忘れ物が多い人はそのアラートが自動発動しない(しづらい)ので、能力をアテにせずトレーニングやライフハックでカバーしていくと生きづらさが軽減するのではないかと考えています。

【2】はここまでにして、【3】に続きます。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

実行機能について【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【実行機能】

実行機能とは私たちの日常生活に欠かすことのできない認知/行動機能のうちの一つで、目的(課題/作業)を遂行達成するために“思考/感情/行動”を自身で制御、抑制する機能のことで、そこには時間管理や感情コントロールなども含まれます。謂わば、“脳の管制塔”としての役割を果たしていると言えます。実行機能に弱さがあると、社会生活のさまざまな場面で困り感が表れます。

簡単なところでいえば、「部屋の片付けをするのに段取りを考える」「いくつかある作業を優先順位をつけ進める」なども実行機能に関わってきます。

実行機能には重要な要素がいつくかありますので、ひとつずつ細かく見ていきましょう。

●自動反応の制御
自分の認知行動を俯瞰する力であるメタ認知や、マルチタスクを可能にするワーキングメモリーと組み合わされて、状況に応じ不適切な振る舞いをコントロールします。反応抑制で衝動をコントロールできると、その後どのような行動が適切かを考えるための余裕が生まれます。
●ワーキングメモリー
ワーキングメモリーは作業を同時並行処理するために記憶/情報を一時保持しておく能力で、この力が弱ければ作業の抜け落ちやケアレスミスが多くなりますし、効率よく作業を進めることが難しくなります。料理や部屋の片付けはもちろんですが、実は読書もワーキングメモリーをフル活用させる作業です。

目に入ってきた文字を言葉や文章として理解するプロセスでは、入力されたそれらの情報を一旦受け止め、プールしておく必要があります。また、登場人物の特徴、登場場面などは映像として想像しているはずです。記憶/情報をただ記憶しているだけではストーリーを理解できませんので、持続的注意(注意についてのコラム参照※)を使い読書に集中し、読み進めると次々に入ってくる情報を単語から意味を理解しながら脳内でストーリーを思い描いていく情報処理をおこなっていきます。読書では想像映像、言語的視覚的情報を維持しながら知覚も働かせ意味を理解していく処理が並行しておこなわれるため、その作業をする脳の作業台がワーキングメモリーになります。

※注意についての参照コラム:注意機能【1】 注意機能【2】

●感情コントロール
課題遂行、目標達成、自己行動管理のために感情をコントロールする力になります。感情をコントロールするためには、自分の感情に気付く必要があり、そのためのベースとなるのがメタ認知になります。思考やさまざまな注意に柔軟さを持ち、切り替えることができないと感情的に混乱しやすくなり、感情コントロールは困難になります。感情コントロール(アンガーマネジメントだけではありません)ができないと、課題開始、計画立案と優先順位付け、整理と体系化、持続的注意、目標へのモチベーション、時間管理などさまざまな行動に影響を与えます。思ってもみない事態に気が動転し、オタオタして頭が真っ白になってしまう人は、感情コントロールにも目を向けてみるといいと思います。

【2】でも引き続き重要な要素についてお話しします。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

生きづらさの正体<番外編>

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『生きづらさの正体』というタイトルで本城が書きました。それは“〜すべき”であるとか“フツーこう考えるだろ”のように、自分の価値観を他者に押し付けるような思考傾向だと、生きづらくなりやすいという話だったと思います。

今回はその番外編として、もう一つの生きづらさについて考察してみたいと思います。私は昭和の後半に生まれ、平成を過ごし、令和を迎え現在に至っています。その間、時代は変わりました。物の変化や進化は当然ですが、価値観も随分変化しました。多分、今の40代以降の世代は強くその変化を感じているだろうと思います。

社会の価値観というか通念なる目には見えないが確実に存在している変化に、もう一つの生きづらさがあるように思います。喫煙はその典型と言えるでしょう。その他、共働き(というより、共働きしないと生活が成り立ちにくい事情も)、女性や子育て、LGBTQ、マナー、効率重視傾向、合理主義傾向、コミュニケーションスタイル、働き方、各種ハラスメントなどなどがそれに当たると思います。

それぞれを細かく取り上げませんが、昭和に生まれ、平成、令和と過ごしてきた中で、これらのことを気にしながら生きていかなければ、一般人であれ社会的制裁を受けやすくなりました。それを可能にしているSNSの普及、影響は無視できないでしょう。

どこか常に監視されている“ような気がする”社会。これが、もう一つの生きづらさの正体ではないか、と思うのです。飽くまでも私見です。

『寛容』という言葉はいずれ死語になってしまうのではないか、とさえ思えてくるほど、窮屈な世の中になったなという印象は否めません。時代の空気としか言いようがありませんが、必要以上に常に我慢を強いられる世の中になったように思います。これが閉塞感の一因でもあるのかな、とすら思います。

『萎縮社会』『殺伐社会』『我慢社会』『あきらめムード社会』、こんな言葉が浮かびます。社会の表(正義・健康・マナー・効率・完全性など)と裏(矛盾・感情・不健康・非効率・不完全性など)のバランスが悪くなって、表ばかりが強調され声高に叫ばれることの気持ち悪さみたいなものを感じます。社会に奥行きがなくなり平面的になったという印象でしょうか。

東海道新幹線は3月のダイヤ改正以降、喫煙ルームを廃止し災害用備蓄ルームにするとのこと。これも喫煙ルームに比べて良い活用のことのように聞こえますが、快適という点で考えると、少なくとも愛煙家にとっては快適の一つが失われることになります。

こういうちょっとしたことが、あちこちで起こっていることで『合成の誤謬』が生じ、上手く言葉にはできない『なんとなく生きづらいな、窮屈だな』という感情を抱いてしまうのかもしれません。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

生きづらさの正体

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達特性があると、こだわりやコミュニケーション、社会性、イマジネーションその他諸々から生きづらさを感じやすい人がいます。

また、特性ではなく違う意味で「生きづらいだろうな」と感じる人がいます。

それはわざわざ意識していなくても誰もが持っている【価値観】にガンジ絡めになっている人です。そもそも価値観は、他者の生命を脅かしたり反社会的なものでもない限り、善悪で判断できるものでも、判断してもいけないものだと思っています。

価値観はその人自身が生きてきた中で養われたものの捉え方、思考、人生の指標であり、誰もがどこかで自分の価値観を尊重されたいと思っています。しかし、誰がどんな価値観を持っているのかが生きづらさに関係するのではありません。

では、生きづらさに繋がってしまう価値観とはどういうことでしょうか。

自分にはどんな価値観があるのか、まず思い浮かべたり書き出してみましょう。正義?信頼?コミュニケーション?礼儀?思いやり?協調性?貞節?経済的豊かさ?努力?人間力?

立場や役割が違うと価値観は一層多様化します。

学生なら、入社したばかりの新入社員なら、結婚しているなら、子供が生まれたら、管理職なら、男なら女なら、経営者なら、孫がいる年齢なら、仕事が教師なら、医師なら・・・誰にも顧みられないと感じている絶望と孤独の縁にいる人なら・・・。

先ほども書きましたが、誰もが自分の価値観を尊重してもらいたいと思っています。しかし、他者と関わり合いながら社会生活を送っていると、価値観が似ている人とばかりは出会わないものです。

そもそも会社(組織)は共通する価値観をベースに人間関係を築いたり働く場所ではなく、会社(組織)の理念をベースに働く場所であり、個人レベルで相性が悪かろうと価値観が真逆であろうと、我慢(何とか折り合いをつけて)して社会生活を送らなくてはなりません。プライベートであれば似たような価値観の人を選んでお付き合いできる場合もあるんですけどね。

質問です。

あなたは自分とまったく違う価値観の人と出会った時、「自分とは違う考え、価値観だけど、それはそれでアリだな」「へぇ、そういう価値観に初めて出会った!面白い!」と考える人でしょうか?

それとも「あり得ない、フツーは〇〇するものだろう」「こういう時は〇〇すべきだろう」「〇〇しなくてはいけないと考えないものか」とつい考えてしまう人でしょうか?

後者は生きづらさを感じやすくなります。

「べき」思考が強いと、自分の「〜べき」「〜するものだ」から外れた人、異論を唱える人に対してモヤッとイラッとしがちになるからです。どこかで「自分のように考えるのが当たり前だ、自分のように思う人がマジョリティで正しい」という“自分は間違わない/いつも正しい”という自分視点しか持てなくなり、思いどおりにならない周りに対し、怒りを溜め込みやすくなるので、生きづらさを感じることになってしまうのです。

生きづらさは自分自身が作り出しているかもしれません。いつも周りにイライラしがちな人は、思いどおりにならない周りばかりを気にしたり、責めるのではなく、自分自身と向き合いゆっくり自分と会話してみてください。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

共感疲労

メンタル・ イデア・ラボの本城ハルです。

“共感” という言葉は知っていても、共感疲労という言葉は聞き慣れず、どのような状態なのかわかりづらいと思います。

今回はそんな『共感疲労』についてお話ししたいと思います。

悩みがあって辛い状況にある他者に対し、その人の悲しみや苦しみ(絶望感や孤独感など負の感情)に寄り添い過ぎることで自分の心が疲れてしまい、ストレスを感じている状態を“共感疲労”と言います。

以前はメディカル、コメディカル、福祉に携わる人や心理カウンセラーなど、ケアや他者支援に従事している人々に起こりやすいと考えられていました。

しかし、個人的な関わりの中でも共感疲労が起こることがわかってきています。共感力が高く、肯定的に話を聞いてくれるとホッとすると思います。仕事であっても常に肯定的に共感しながら、傾聴を続けるのはエネルギーを使うことですが、関係上共感しながら肯定的に聞かなくては関係が拗れ、面倒なことになりそうな相手でも(常に愚痴っぽい兄弟姉妹、両親、親族。口を開けば他者批判や悪口を垂れ流し同調<共感ではない>を求める友人、知人、ママ友など)共感疲労は蓄積していきます。

共感疲労になると、次のような症状が表れることがあります。

  • 個人的な達成感(プライベート/仕事)が薄くなったり感じにくくなる。
  • 喜びや楽しみが減り、さまざまな活動意欲が低下する。
  • 無気力、無力感を感じたり、イライラしやすくなったり、反対に無感覚になったりする。
  • 離れても他者の悲しみや苦しみを反芻し、その原因となる事柄や人物に怒りの感情を感じる。
  • 食欲不振や不眠、胃部不快感など身体症状が出る。

また、共感疲労になりやすい人にも特徴があると考えられています。

  • 自分の仕事や役割に使命感を持ち、責任感が強い。
  • 自己肯定感が低め。
  • ネガティブ思考。
  • 他者に対し優しく親切で気遣いし過ぎる。
  • 感受性が強く繊細(HSP)。
  • 理想が高く、現実とのギャップを感じやすい。
  • 心的境界線(バウンダリー)を引くのが苦手、わからない。

共感疲労は心の状態次第で誰でもなり得ることですが、そのような状態が続くと自分が思っている以上に心に負荷がかかり、さまざまな心の不調や体の不調を引き起こすことに繋がります。

そうならないためには、まず“共感疲労”という言葉や状態があることを知ること、自分が共感疲労に陥っていないか自分自身に目を向け(マインドフルネスが有効です)、普段から十分な休養に睡眠、趣味の時間などセルフケアを心がけていくことが大切になります。

自分の感情や思考について知ること。また、気持ちが疲れた時や辛い時、苛立ちを感じる時には専門家をはじめ、自分を受け止め話を聞いてくれる信頼できる人に話を聞いてもらいましょう。

モヤモヤを自分から出し、外に置くことで問題と距離を置くことができ、モヤモヤの整理がしやすくなったり、気持ちがラクになります。

いつもの疲れが共感疲労からくるものでなないか確認してみてくださいね。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

今年最初のASDグレーゾーン交流会に参加してきました

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年が明けてまだ半月ですが、早くも標題にあるように、今年最初の交流会に参加してきました。

その交流会には過去に何度かパートナーとも参加したことがあります。主催者自身も当事者の、とあるASDグレーゾーン(診断の有無は関係なく、生きづらさを感じている人を対象にしている)の交流会です。

今回はその様子や感想を書きたいと思います。

いろんな交流会に時折参加していますが、主催者の人柄や意向が反映されているのか、今回のように何度も参加したいと思える交流会もあれば、やたらと居心地の悪い交流会もあります(その場合、二度と参加しませんが)。

今回は、海外の大学で“発達障害グレーゾーンの研究”をしている当事者だという学生がいたり、福祉現場から研究をしている人も参加されており、いつもとは違う面白さがあったように思いました。

受付でのお手伝いの人はいても、主催者はひとりで、敢えてファシリテーターを置かずテーブル毎にテーマを決めて、自分の話したいことや聞きたいことで何度か席替えがおこなわれる方式です。

私は交流会参加が初めてという知人と参加したので、彼女の興味関心からテーマを選び、最初はフリートーク→孤独、気持ちについて→特性理解、とテーブルを移動しながら他の参加者の話を聞きました。

発達障害の特性を持ちながら、診断を下すには特性が薄く決定打がなかったり(さまざまな心理検査の結果も含まれる)、親への聞き取りができない(生育歴を聞き取りしますが当事者が大人だと諸事情から親の聞き取りができないことが多い)とグレーゾーンと言われることがあります。グレーと聞くと「発達障害でも軽めなのかな?」と思いがちですが、社会生活上の生きづらさは同じでも公的支援や福祉資源の活用に雲泥の差があり、社会生活上の生きづらさとはまた違う生きづらさを感じることが増えます。

受診して診断がつかなければ、役所の福祉課(名称は自治体により異なり、障害福祉と表記されている場合もあります)から通所受給証やそれに代わるものが発行されづらく、 実際の公的支援に繋がりづらかったり、手帳(発達障害のみ、知的障害の有無、精神障害の有無)が発行されるかどうかでも受けられる支援に違いが出てくるので、“わからないことの重ね着”状態になり、「困っているのに、どうしたらいいかわからない」になる可能性も高くなってしまうのです。

発達障害にあまり詳しくない医療機関にかかり、適応障害〜鬱〜双極性障害〜愛着障害、と診断名がその度に変わり、無駄にドクターショッピングを繰り返してきた人や、受給証が発行され就労支援(からの定着支援)を受け、障害者雇用で何年も落ち着いて働けている人まで、異なる状況にありながら対人関係に悩む当事者が多い印象でした。

共感の場を求めて、課題解決のヒントになれば、自分探しのために、などなど参加者の思いは多様です。

コロナ禍では対面が叶わず、リモート開催ばかりだった交流会がようやく対面開催になり、他者との交流を待ち侘びていた人が多く参加していた印象でした。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

セルフモニタリングと認知【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

心理学におけるセルフモニタリングでは、主に思考(捉え方、受け取り方)/感情や行動を観察していきますが、今回は思考=認知(捉え方、受け取り方)について考えていきます。

①起こった出来事、感情が動いた場面。

②その時に浮かんだ思考/どう受け取ったか捉えたか。

③結果、どのような感情が生まれたか。

④どう行動したか。

この中で②を重点的に観察します。

②ではさまざまな場面で自身の“考え方や捉え方のクセ”が表れます。繰り返し繰り返し観察し、自分の思考や捉え方のクセを見つけます。「私にはそんなクセないよ」と思う人、観察が足りません(笑)

何度も繰り返す中で、自分の思考のクセが感情にどのように影響するのかも見えてきます。感情に悪影響を及ぼすようなら、その思考/捉え方に修正を加えることを検討し、思考/受け取り方・捉え方を変化させていきます。

今回は、強いエネルギーを持つ“怒り”の感情にフォーカスし、“感情”が生まれる前にどのような思考/捉え方のクセがあったのか、例を出しながら考えてみましょう。

「理不尽な目にあった」などはわかりやすく、自分の怒りに気づくことができますが、自分の感情を観察できていないと気づかずに怒っていることがあります。不快→(知らぬ間に)怒りになった場合などがそれに当たります。

理由もなくプンプンしている人はいないと思います。

わかりやすいところでは、足を踏まれた/ぶつかられた/悪口を言われたなどでしょう。日常的に起こりやすい場面だと、気遣ってもらえなかった、頼み事を聞いてもらえなかった、自分の意見に反対された、約束を破られた、無視された、わかってもえなかった、あたりでしょうか。

<例>

❶【出来事】
インフルエンザで体調が悪くて寝ているのに、パートナーが子供の世話や家事を何ひとつやってくれない。

❷【思考/捉え方】
見たらわかるんだから、フツーはやってくれるよね!?/こんな時くらい家事やるべき!(頭に浮かんだ思考)

❸【感情】
怒り。

これを

❷【思考/捉え方】 毎日遅いのに今日は自分がインフルエンザだから早く帰って来てくれた。

と思考を変化させると、

❸【感情】 あまり怒りは生まれない。

<例>

❶【出来事】
出張から戻ったら、何より先に自分に商談内容を伝えるように言ってあるのに、今日は顔を見せてもそれすらない。

❷【浮かんだ考え/思考】
何で約束を守らなんだ!仕事やる気あるのか?ダメなヤツだ!!

❸【感情】
イライラ!!怒り。

これを

❷【浮かんだ考え/思考】いつもは真っ先に報告に来るのに、今日に限って報告に来ないとは何かトラブルがあったのかもしれない。ひょっとしてその対応を先に考えていたのかも。

と捉え方を変えると、

❸【感情】モヤモヤはするが怒りは生まれない。

怒りの感情が湧き上がった時に、自分の思考の中に「〜べき」が隠れていないか観察してみてください。

これから年末年始に突入します。イライラしやすい時期ですが、怒らず穏やかに過ごしたいものですね。それではよいお年を。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

※本年のコラム掲載は本日25日で終了です。本年もお読みいただき、ありがとうございました。来年は1月10日水曜日から掲載し、その後は5の倍数日に掲載してまいります。来年もよろしくお願いいたします。

セルフモニタリングと認知【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

セルフモニタリング

心理学/精神科領域でよく使われる言葉ですが、最近はビジネスセミナーやコーチングでも頻繁に使われるようになってきたので、耳にしたことがある人も多いかもしれません。

人間関係はもちろん、日々さまざまなストレスに晒され心身が疲弊しがちな現代人。

ストレスコーピングをはじめ、さまざまな感情マネジメントやコミュニケーションスキルが求められます。

セルフモニタリングとはその名のとおり、“自分の状態を観察する”です。

例えば、

●寒気がして頭痛がする(風邪のひき始めかな?)→温かいものを食べて早めに寝よう。●明日午後イチ提出の資料が仕上がらない→●今日残業して、明日朝早めに出社して仕上げよう・・・のように、私たちは日常的にセルフモニタリングをし対応しています。自分の今の状態(状況)がわかっていることで対応できるわけです。

自分の身体状態、自分の置かれた状況を把握できるからこそ、適切な対応が取れるのです。

これはメンタルでも同じです。

自分の心の状態、今の感情、考え方や受け取り方のクセ、それらを把握しておく。

具体的には“怒り”を感じた時に怒りを治めるためにはまず、『自分は怒っているんだ』と感情に目に向けること。アンガーマネジメントはそこからスタートします。

考えのクセを直すには“自分にある考え方のクセ”や“思い込み”を理解し把握しておくことが大切です。

以前にも平たく言えば“考え方”“受け取り方”を認知という話をしました。認知は意識的に自分の感情に目を向けることで気づくことができます。人は案外、自分の考え方のクセには気づきにくいものなので、繰り返し繰り返し観察してみてください。そこに必ず考え方のクセや思い込みがあるはずです。

  • 「子供は親の言うことを聞くべきだ」
  • 「子供は親の言うことを聞かなくてはならない」
  • 「子供は親の言うことを聞くものだ」

どれも表現は違いますが、どこに考え方のクセや思い込みがあるかおわかりでしょうか。

次回は、実際に認知〜感情〜行動をモニタリングしながら、この3つがどのように影響し合い、また周囲に影響を及ぼすのかを分析し考えていきます。

<運営会社:Jiyuuku Inc.

本年のコラムは12月25日月曜日までです。

ママ友必要か問題

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前にも書いたことがありますが、私はママ友がいません。今息子は高校生なので、いませんでした、のほうが正確かもしれません。

社会性も高く、人見知りも皆無、人当たりも良い(悪ければ人の話を聞く仕事はできないと思います)ので、さぞやママ友も友達もたくさんいるのでは?と思われがちですが、実はママ友は一人もいません(笑)友達もたくさんはいません。

戦略的ポツンなので、参観や懇親会があり学校へ出向くことがあっても独りぼっちで、おしゃべりする“ママ友”がいなくても、息子が小さな頃に公園や児童館へ行ってあちこちにグループを作っているママ達の輪に入らなくても平気です。

子供同士が遊んでいれば挨拶はしますし、本当に当たり障りのない話をその場でするくらいのことはしますが、絶対にそれ以上のプライバシーに踏み込むこともなければ、踏み込ませることもありません。また、私からそれ以上話題を広げることもしません。

もちろん、物理的に距離があり何年も会わなくても心から信頼している長い付き合いの友人もいれば、ありがたいことに大人になってから知り合い、信頼関係を築いてきて互いを思い遣る関係になった大切な友人もいます。結果、お互い子育てをするママ同士だった、でしかなく、子供の年齢はひと回り以上も離れていたりします。

なぜ自分はママ友はいらないと思うのか考えてみました。

まずママ友ですから、仕事に趣味嗜好といった共通項の前に、子供がいる(年齢、家族構成はともかく、同じ年頃の子供がいる)のは前提条件でしょう。出会う場所は、出産した産院・幼稚園・保育園・公園・児童館・学校でしょうか。育児の悩み(夫や舅姑の悪口や愚痴?)や生活の情報交換あたりが目的のように思います。

私にとってあまり面白くありません。愚痴をこぼすのが悪いのではなく、悪口を垂れ流すのを聞くのが苦痛。

察してちゃんがとても苦手なので、意見や不満をきちんと伝えずに、ただ“見てればわかるのに手伝ってくれない旦那(や舅姑)”の愚痴や悪口を垂れ流し「うちもウチも!最低」と同調(共感ではなく)しているだけの気持ち悪さ。ナチュラルに繰り広げられる子供やパートナー、住まいや生活ぶりのマウンティングが非常に面倒。

たぶん、共通項が“育児”を取り巻く“家族関係”だけが話題の中心にあるのがつまらないのではなく、腹の探り合いや「ホントは好きじゃないけど子供が同じクラスだし」「うまく付き合わないとハブられるかも」「影響力がありそうなママだし」と不安を持ち、あっさい所で当たり障りなく表面上付き合っていくことも苦手なのだと思います。

情報交換もいらない。必要な情報は自分から調べ行動するし「じゃぁ、家族ぐるみで」など考えないし、私にはやはりママ友は要らなそうです(笑)・・・というか息子が高校生の今、今さらもうできないですね(笑)

<運営会社:Jiyuuku Inc.

ウェルビーイング(Well-being)

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今回は最近耳にするようになったウェルビーイングについて考えてみたいと思います。

ウェルビーイングという言葉は最近の言葉ではなく、実は1946年に発表されたWHO憲章からで、『健康とは完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない』と記されています。

1946年が第二次世界大戦が終わった翌年のことだと考えると、決して新しい言葉ではないと言えます。

WHO憲章の『健康とは完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない』という文言は、今の時代とても重要だと思っています。

昔から現在に至るまで日本社会全体が重視しているのは、WHO憲章のほんの最初の部分『健康とは完全な肉体』までのような気がしてなりません。日本の健康はまさに完全な肉体一辺倒れと言っていい状況です。健康診断は毎年、年2回企業から強制的に受けさせられています。ランニング、スポーツジム、サプリメント、健康食品などなど肉体を意識した商品やサービスで世の中は溢れています。

しかし、WHO憲章の途中から最後の部分『精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない』については、身体の健康診断のような仕組みや制度はないと言っても過言ではありません。さらにこの部分については、個人の問題として『タブー視』されていることが、社会的理解が進まない足かせになっているとさえ思えます。

自殺者はここ10年間は2万人台で推移しており、それまでは14年連続3万人台でした。さまざまな要因がありますが、ココロのケアやメンタルヘルスを保持するような仕組みや制度が存在し機能し、且つ社会からタブー視もされていなければ、『精神的及び社会的福祉の状態』の世の中となり、自殺者数はもっと少なく済んでいるかもしれないと思わざるを得ません。

私たちメンタル・イデア・ラボは、『健康とは単に肉体的なことだけではなく、ココロも健康であって初めて“健康な状態”である』と考えていますが、そのココロの健康部分については、未だ企業の中ではタブー視されていると実感しています。メンタルクリニックを受診すると、社会保険の関係で会社にわかってしまうことを恐れている人は大勢いると推察します。またメンタルクリニックを受診することすら精神的ハードルが高いと感じている人も大勢いると推察します。

会社の福利厚生は社員食堂、産休育休、リフレッシュ休暇などさまざまあります。これらも従業員のココロのケアあるいはメンタルヘルスに資することではあります。一方で人間関係に悩んだり、家庭や家族のことで悩んだりしている場合は、休暇などの福利厚生では対応できない種類のものだと思います。医務室はあっても学校の保健室のような、気軽に相談に行ける場所がないため、ずっとその悩みを抱え込むことになります。

メンタルヘルスやココロのケアの場合、最初から医務室ではなく、その前段階である、保健室のような気軽に相談できる場所がこれからの福利厚生には必要ではないかと思っています。

私たちメンタル・イデア・ラボはその会社の保健室となり、心理士という専門家が従業員ひとりひとりの悩みを丁寧に聞き取りながら、その人その人に合ったセッションやカウンセリングをおこないます。必要と判断した場合のみ精神科やメンタルクリニックといった医療機関の受診を勧める、というやり方をしています。

特に職場の人間関係で悩みが多い企業の場合、コミュニケーションスタイルが改善されなければ、いつまでも職場の人間関係で悩む従業員が絶えず、結果離職率も一定水準から下がらない状態が続くことになります。企業としては生産性の観点からも非常に憂慮すべきことです。賃金を上げることは短期的には離職に歯止めをかけることはできますが一過性に過ぎない対処療法です。

従業員の離職率低下と求める人財の採用と定着を考えた時、従業員へのココロのケアやメンタルヘルスを目的とした福利厚生に注力することが求められるのではないでしょうか。それにはタブー視しない組織であることが最も重要であると思います。

メンタル・イデア・ラボは経営陣をはじめ従業員を含めた“組織の健康というウェルビーイングに貢献”しています。

<運営会社:Jiyuuku Inc.