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ママ友必要か問題

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前にも書いたことがありますが、私はママ友がいません。今息子は高校生なので、いませんでした、のほうが正確かもしれません。

社会性も高く、人見知りも皆無、人当たりも良い(悪ければ人の話を聞く仕事はできないと思います)ので、さぞやママ友も友達もたくさんいるのでは?と思われがちですが、実はママ友は一人もいません(笑)友達もたくさんはいません。

戦略的ポツンなので、参観や懇親会があり学校へ出向くことがあっても独りぼっちで、おしゃべりする“ママ友”がいなくても、息子が小さな頃に公園や児童館へ行ってあちこちにグループを作っているママ達の輪に入らなくても平気です。

子供同士が遊んでいれば挨拶はしますし、本当に当たり障りのない話をその場でするくらいのことはしますが、絶対にそれ以上のプライバシーに踏み込むこともなければ、踏み込ませることもありません。また、私からそれ以上話題を広げることもしません。

もちろん、物理的に距離があり何年も会わなくても心から信頼している長い付き合いの友人もいれば、ありがたいことに大人になってから知り合い、信頼関係を築いてきて互いを思い遣る関係になった大切な友人もいます。結果、お互い子育てをするママ同士だった、でしかなく、子供の年齢はひと回り以上も離れていたりします。

なぜ自分はママ友はいらないと思うのか考えてみました。

まずママ友ですから、仕事に趣味嗜好といった共通項の前に、子供がいる(年齢、家族構成はともかく、同じ年頃の子供がいる)のは前提条件でしょう。出会う場所は、出産した産院・幼稚園・保育園・公園・児童館・学校でしょうか。育児の悩み(夫や舅姑の悪口や愚痴?)や生活の情報交換あたりが目的のように思います。

私にとってあまり面白くありません。愚痴をこぼすのが悪いのではなく、悪口を垂れ流すのを聞くのが苦痛。

察してちゃんがとても苦手なので、意見や不満をきちんと伝えずに、ただ“見てればわかるのに手伝ってくれない旦那(や舅姑)”の愚痴や悪口を垂れ流し「うちもウチも!最低」と同調(共感ではなく)しているだけの気持ち悪さ。ナチュラルに繰り広げられる子供やパートナー、住まいや生活ぶりのマウンティングが非常に面倒。

たぶん、共通項が“育児”を取り巻く“家族関係”だけが話題の中心にあるのがつまらないのではなく、腹の探り合いや「ホントは好きじゃないけど子供が同じクラスだし」「うまく付き合わないとハブられるかも」「影響力がありそうなママだし」と不安を持ち、あっさい所で当たり障りなく表面上付き合っていくことも苦手なのだと思います。

情報交換もいらない。必要な情報は自分から調べ行動するし「じゃぁ、家族ぐるみで」など考えないし、私にはやはりママ友は要らなそうです(笑)・・・というか息子が高校生の今、今さらもうできないですね(笑)

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ウェルビーイング(Well-being)

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今回は最近耳にするようになったウェルビーイングについて考えてみたいと思います。

ウェルビーイングという言葉は最近の言葉ではなく、実は1946年に発表されたWHO憲章からで、『健康とは完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない』と記されています。

1946年が第二次世界大戦が終わった翌年のことだと考えると、決して新しい言葉ではないと言えます。

WHO憲章の『健康とは完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない』という文言は、今の時代とても重要だと思っています。

昔から現在に至るまで日本社会全体が重視しているのは、WHO憲章のほんの最初の部分『健康とは完全な肉体』までのような気がしてなりません。日本の健康はまさに完全な肉体一辺倒れと言っていい状況です。健康診断は毎年、年2回企業から強制的に受けさせられています。ランニング、スポーツジム、サプリメント、健康食品などなど肉体を意識した商品やサービスで世の中は溢れています。

しかし、WHO憲章の途中から最後の部分『精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱が存在しないことではない』については、身体の健康診断のような仕組みや制度はないと言っても過言ではありません。さらにこの部分については、個人の問題として『タブー視』されていることが、社会的理解が進まない足かせになっているとさえ思えます。

自殺者はここ10年間は2万人台で推移しており、それまでは14年連続3万人台でした。さまざまな要因がありますが、ココロのケアやメンタルヘルスを保持するような仕組みや制度が存在し機能し、且つ社会からタブー視もされていなければ、『精神的及び社会的福祉の状態』の世の中となり、自殺者数はもっと少なく済んでいるかもしれないと思わざるを得ません。

私たちメンタル・イデア・ラボは、『健康とは単に肉体的なことだけではなく、ココロも健康であって初めて“健康な状態”である』と考えていますが、そのココロの健康部分については、未だ企業の中ではタブー視されていると実感しています。メンタルクリニックを受診すると、社会保険の関係で会社にわかってしまうことを恐れている人は大勢いると推察します。またメンタルクリニックを受診することすら精神的ハードルが高いと感じている人も大勢いると推察します。

会社の福利厚生は社員食堂、産休育休、リフレッシュ休暇などさまざまあります。これらも従業員のココロのケアあるいはメンタルヘルスに資することではあります。一方で人間関係に悩んだり、家庭や家族のことで悩んだりしている場合は、休暇などの福利厚生では対応できない種類のものだと思います。医務室はあっても学校の保健室のような、気軽に相談に行ける場所がないため、ずっとその悩みを抱え込むことになります。

メンタルヘルスやココロのケアの場合、最初から医務室ではなく、その前段階である、保健室のような気軽に相談できる場所がこれからの福利厚生には必要ではないかと思っています。

私たちメンタル・イデア・ラボはその会社の保健室となり、心理士という専門家が従業員ひとりひとりの悩みを丁寧に聞き取りながら、その人その人に合ったセッションやカウンセリングをおこないます。必要と判断した場合のみ精神科やメンタルクリニックといった医療機関の受診を勧める、というやり方をしています。

特に職場の人間関係で悩みが多い企業の場合、コミュニケーションスタイルが改善されなければ、いつまでも職場の人間関係で悩む従業員が絶えず、結果離職率も一定水準から下がらない状態が続くことになります。企業としては生産性の観点からも非常に憂慮すべきことです。賃金を上げることは短期的には離職に歯止めをかけることはできますが一過性に過ぎない対処療法です。

従業員の離職率低下と求める人財の採用と定着を考えた時、従業員へのココロのケアやメンタルヘルスを目的とした福利厚生に注力することが求められるのではないでしょうか。それにはタブー視しない組織であることが最も重要であると思います。

メンタル・イデア・ラボは経営陣をはじめ従業員を含めた“組織の健康というウェルビーイングに貢献”しています。

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“ブレる”という自分軸(相対性視点)

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

秋らしく、というより冬らしくなってきましたが、体調はいかがですか。寒暖差が激しいので、体調を壊しやすくなるので気をつけたいものです。

さて今回は、認知心理学からは遠く離れますが、今回「アイツは自分がないよな」「あの人は自分軸持ってないのかな」「彼(彼女)は芯がブレブレだ」「彼女は(人/流行)流されやすい」などと誰かを評価する時に言われがちな表現について深掘りしてみたいと思います。

自分がない、芯が弱い、自分軸がない。人を褒める言葉ではないように感じます。

自分がない/ブレブレ/流されやすい、には水面に漂う根無草(根はあるのですが、地に根付いていないだけ)“浮草”のようなイメージを、自分軸がある/ブレない、には地に根を張った揺らがない意思の強さをイメージするのではないでしょうか。

つい最近ボスと話しをしていて、実はすべての人は“ブレていない”のではないか?という答えに辿り着きました。

初志貫徹、確かにブレない感があります。一方、言うことがコロコロ変わり、その度に誰かを振り回す結果になっていると、何だか自分がなくて自分軸がない感じです。

自分軸とはしっかり地に根付いているとは限らないのでは?のようなやり取りから、【ブレっブレなのが自分軸】【人の影響を受けまくってすぐに自分を見失うのが自分軸】【どんな流行りにもとりあえず乗らなきゃ気が済まないのが自分軸】【(無自覚ではあるものの)自分がないのが自分軸】ではないか?と。

根無草のようにあっちにふら〜り、こっちにフラ〜り・・・が、そのままその人の自分軸。他者に影響を受けまくり、他者の評価ばかり気にしていつもオタオタ、それが自分軸。

つまり、『根無草であることが自分軸』という見解です。それもひとつの自分軸の形だとすれば、先の“実はすべての人は“ブレていない”のではない”という見方ができるというわけです。

想像してみてください。背景が一切ない白壁だけの中にいるとします。目の錯覚で、実際は動いているのに、自分と一緒に動いているものを見ると止まっているように見える現象があります。一般にブレていると言われている人の視点はこういうイメージなのではないか、ということです。つまり一緒に動いているものに流行や人を当てはめれば、本人は動いていない(流されていない)という主張が可能になることを意味します。

止まっている人からすれば、動きまくっている(流されまくっている)ように“見える”だけで、双方の言い分はどちらも正しいことになる、というわけです。

流行や人の意見・考えを止まって見るか、一緒に動いて見るか、の違いに過ぎないということです。

相対的なことで、流行などに流されまくっている人だけの集団にいると、自分は流されていないという錯覚を抱き、流されない人だけの集団にいると、自分は流されているという錯覚を抱く、と言えます。すべては錯覚ということです。

自分の考えを持っている(自分の物差しがある)=流されていない、という錯覚。自分の考えを持っていない(自分の物差しがない)=流されている、という錯覚。

周りに自分の視点から見て、流されていると“見える”人がいた場合、バカにしたり蔑むのではなく、あれもその人の自分軸だと思えば、不快感を抱いたり、バカにすることなく、フラットな気持ちで相手を見ることができるのではないかと思うのです。ただし重要なことがあります。それは、その人の自分軸に巻き込まれない場合に限る、ということです(笑)

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息子のWAISを取ってみました【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の続きで、ワーキングメモリーの説明からスタートします。

ワーキングメモリー(WM)
聴覚情報を一時的に保持したり、その情報を元に考えたりアウトプットする能力
実行機能の凸凹を表している指標でもあるため、ADHDやLDでは特徴が表れやすくなります。この指標が低いと、話の途中で何を話していたのかわからなくなったり、本を読んでいても内容がわかならくなるなどが起こります。ワーキングメモリーに課題があると生きづらさを感じやすい場面が増えることが予想されます。

息子の苦手さはこのWMとPSI(処理速度:この後に説明します)に顕著に表れているのですが、WMの弱さがあるとどのようなことが起きるのか?

学校や職場で与えられる指示は一度に一つずつとは限りません。WMが弱いと記憶の一時保持に苦手が出るので「次の時間は理科です、画版を片付け一旦教室に戻って教科書、ノートを持ち、理科室に集合してください」などいくつもの指示が含まれるものは、入ったそばから抜け落ちます。残るのは「理科室に集合してください」になるわけです。学校の場合、周りの生徒の動きを見ながら行動できるので、ワンテンポ遅れることはあっても何となくできてしまい、本人も周りも気付かない、できているように見えることもあります。学校生活で一斉指示が入りにくいのはWMの低さからくる場合もあるのです。息子も小学生のうちは一斉指示+息子個人に対し、一つずつ個別指示してもらっていました。

しかし、社会人になるとそうもいかないので、いきなり“できない人”、“話を聞いてない人”になってしまいます。発達障害特性がある人はWMが低い人が多いので、「指示は一つずつ」が鉄則です。

処理速度(PSI)
単純作業を正確に早くおこなう能力
計算、見て覚えたことを素早く書き出す、示された図を数ある中から早く正確に探し出す、などになります。

いわゆる作業能力で、情報処理のスピードと言うとわかりやすいでしょうか。PSIが低いと、集中が続かず作業効率が悪く、一度覚えた作業(学習)でも遅くなります。スピードを求めるとかえってミスが増えるという悪循環に陥ります。

この指標に弱さがある子供にスピードで競わせるドリルや100マス計算はキツイです。社会人では急いで資料をまとめるなどにミスが増えやすくなるので「ゆっくりでもいいから丁寧に」になると思います。

自分の得手不得手がわかると苦手なことに対策を立てやすくなります。「みんなと同じことができないなんて自分は劣っている・・・」などと自己肯定感がダダ下がる前に、一度WAISやWISCを取り、自分の特性を客観的に知るとよいかもしれません。

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息子のWAISを取ってみました【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

息子は9歳から発達具合や課題洗い出しのために2年に一度、WISCを取ってきましたが、年齢的(17歳)にも微妙だったので、今回からWISCではなくWAISを取ることにしました。

それぞれの数値は息子のプライバシーに関わることなので割愛しますが、そこから読み解ける彼の得手不得手(凸凹)、日常生活でどのような困り感として表れているかなど、お話ししたいと思います。

コラムでも何度かWAISやWISCについては書いていますが、改めておさらいしておきます。

WAISではそれぞれ

  • 言語理解(VCI)
  • 知覚推理(PRI)
  • ワーキングメモリー(WM)
  • 処理速度(PSI)

という4種類の指標得点を算出し、この指標により得手不得手(凸凹)を見ています。また、4つの指標の総得点であるFSIQ(IQ)も表されますが、これは前述の4つの指標がほぼ同レベルの人と4つの指標間で大きな差がある人では、学習面や社会生活を送る上で能力にかなりの差があります。FSIQが高いから優秀(成績が良い/仕事ができる)、FSIQが高いから生きやすい、とは限らないということです。

【1】では言語理解(VCI)と知覚推理(PRI)の2つの指標について少し詳しくお話しします。

言語理解(VCI)
一般的な知識や社会ルールの理解力も含め、言語を理解したり言葉で説明する能力
学校で教わる教科の学習の出来不出来というより、言葉を使って物事を理解し、また表現するために持っている潜在能力と言ったほうがわかりやすいかもしれません。

●知覚推理(PRI)
視覚情報から物事を理解したり、視覚情報をもとに推理思考する能力
論理的思考や状況理解力も見ることができます。この指数が低い人は、目の前の状況を理解、推理しパターン化したり分類することに苦手があります。

学園祭実行委員を例に説明します。 学園祭のために多くの人がさまざまな役割を担い、あるグループはアーチやポスターなど美術関係、あるグループはサークルごとの催し物について、あるグループは屋台など食べ物関係と分担しながら動いています。知覚推理(PRI)が低い人はこの状況を各々が何をしようとしているのか、どのグループが人手が足りていないのか、どう手伝えばいいのかが理解できません。状況理解が苦手とはこのような場面でも表れます。

企業でいえば、プロジェクトチームをイメージするとわかりやすいかもしれません。プロジェクトチームもメンバーが少人数あるいは個々で仕事を分担していると思います。誰が何を担当しているのか、誰が担当している仕事で遅延やトラブルが発生しているのか、誰が担当している仕事に変更が生じ、それがプロジェクト全体にどう影響するのか、などの状況理解が苦手として表れます。

【2】ではワーキングメモリー(WM)と処理速度(PSI)からお話ししていきます。

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東海道新幹線車内販売廃止

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

東海道新幹線に乗った時の楽しみと言えば、駅弁にスプーンが入らないスジャータのガッチガチのアイスクリーム。そんな人も多いのではないでしょうか。私だけでしょうか(笑)

2023年10月末日で車内販売が廃止され、一部人気商品(アイスクリームやコーヒーなど)は自動販売機で販売されることになったようです。正確には『のぞみ号』が停車する駅のホーム上に設置されるようですから、『のぞみ号』が停車する駅以外では買うことすら叶わない、ということになりました。

もう二度とスジャータのガチガチアイスクリームが食べられない!わけではないのは不幸中の幸いかもしれません。

しかしながら、「新幹線車内で、あのアイスクリームを食べたい!」と思って自動販売機でアイスクリームを買って新幹線に乗るか、というと、どうもしっくりきません。

しっくりこない理由が、車内ワゴンサービスか自動販売機の違い、どうもそれだけではない気がするので、人の行動心理を考えながら「なぜ?」を考えてみました。

乗車する時間や目的にもよるとは思いますが、仮に東京〜名古屋・新大阪くらいで(もっと先でもいい)考えると、乗車するなりコーヒーやお茶という人はいても、アイスクリーム!という人は少ないように思います。

アイスクリームはいわば“おやつ”、“間食”扱いになるので、車内で駅弁を食べたい人であれば先に駅で買い、乗車して間もなく食べようとする人が多いはずです。旅行者やビジネスの出張帰りであれば『まずビール』かもしれません。子供でもない限り、なかなか『まずアイスクリーム』にはならないのではないでしょうか。

上手くできたもので、東京など始発駅から乗車した途端、車内販売はやって来ないものです。もちろん準備など車内販売側の都合もあるでしょう。実は若い頃、アルバイトで山陽新幹線と在来線の特急列車で車内販売をしていたことがあるので、何となくそのあたりは想像がつきます。

荷物を棚に上げて座席につき、上着を脱いで周りを見回したり車窓を確認して落ち着き、駅弁を広げるあたりにグッドタイミングでやってくる感じでしょうか。ワゴンサービスは往復しますから、駅弁を広げる時間なら、最初は「ビール買うか」「お茶をもう1本買っておこうかな」で、ワゴンサービスが長い車両を往復する間に駅弁タイムは終わります。

アイスクリームの車内販売は駅弁や飲み物とは違い、ワゴンサービスではやってきません。

食べ終わってのんびり車窓を楽しんだり、旅行計画を再確認したりと、すっかり車内が落ち着いて馴染みきった頃にやって来るのがガチガチアイスクリームです。「時間もまだあるし、車窓を眺めながら(おしゃべりしながら)アイスクリームでも食べようかな」と考えるタイミングを見計らったようにやって来るので、ついつい触手が伸びてしまうのですね。人の心理を突いた良い作戦です。

これが自動販売機で買って乗車となると、のんびり駅弁タイムを楽しんでいると、いくらガチガチアイスクリームでも溶けてくるわけです。まして、ホームの自動販売機で買うということは、まだ乗車する前ということを意味します。こだわりのある人は、駅の売店で買えるビールでさえも、乗車前に買うとぬるまってしまうのを嫌い、わざわざ車内販売で買う、という人もいます。

普段からデザートは先派ならまったく問題はないと思いますが、甘いものは後という人が多いだろうことを考えると、「食べたいタイミングでガチガチアイスクリームを食べる」ことは難しいように思います。

何より、時間にも余裕がありリラックスしている状態だからこそ、あんな挑戦的にガチガチなスプーンすら入らないアイスクリームを、上にあたたかい缶コーヒーを乗せたり、手で包んで温めて溶かしてみたりとチマチマ時間を楽しむことができるのです。

じわじわ溶けるアイスクリームの味を想像しながら車窓に目をやり、隣の友人と「美味しいけどホントカッタいよね」とおしゃべりに花が咲くのではないでしょうか。

自動販売機で買って乗車する、がしっくりこない理由はここらへんにありそうです。

皆さんはいかがですか?

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厚かましい人がワンサカ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

  • 友人がネイリストです。
  • 友人が美容師です。
  • 友人がフォトグラファーです。
  • 友人がエスティシャンです。
  • 友人が教師です。
  • 友人が医師です。
  • 友人が獣医です。
  • 優しいママ友がいます。
  • 友人がデザイナーです。

相手は友達なんだから、「ヒマな時でいいから、ちょっと髪切ってもらえる?」「肌荒れしてるし、デート前だから軽くフェイシャルマッサージしてもらえる?」「子供がわからないことがあるらしいから、ちょっと見てあげてくれない?」「インフルエンザワクチン打って」「ネイルの練習台になってあげるから安く(タダに)して」「痛み止めちょうだい」「狂犬病ワクチン、安くして」「時間外だけど診てもらえる?」「ついでにウチの子のお迎えもお願いしていい?」

あなたはそう思う人ですか?

「わざわざ予約して高いお金を払って美容院へ行くほどじゃない、ちょっとだし」と彼らの技術や時間を“無料”または“格安”で使おうとする人ではないですか?

彼らはプロなのです。

勉強して資格を取得し、自己研鑽を積んで商品として目に見えなくても、その技術を提供してお金をもらっているプロです。

友人から「時間がある時に前髪だけ切ってもらえない?」と言われた時に「じゃぁお店に来てね」とはなかなか言えずに「いいよ(ホントは気が進まないけど)」と言ってしまう人がほとんどではないでしょうか。

「前髪だけと言ってるし、時間がある時でいいって言ってるから今回は特別に」←これが心の声ではないでしょうか。

自分の利益(願望)のために他者(他者の仕事)を軽く見ています。

人の子ですから、お付き合いの深さや関係次第では快く「いいよ」なのですが、長くお付き合いのある信頼している友人はまずそんな厚かましいことは絶対に言いません。

この違いは“価値観”にあります。

「いいじゃん、そのくらい」という自分本位な価値観。頼まれた側が「いいよ、そのくらい友達なんだから気にしないで」と言うのは良くても、頼む側が言ってはいけない言葉です。

案外ザクザクいるのでビックリします。

息子に「悩んでる友達の話を聞いてもらうことはできる?」と聞かれ、「君の話ならいくらでも聞くし力になるけど、君の友達であってもメンタル・イデア・ラボを通して予約(要するに有料)してくれれば大丈夫だよ」と答える私は人でなしでしょうか。

わざわざその人だけのために時間を空け、事前準備して対応するのですから、当たり前だと思うのですが・・・。

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過剰なルッキズム

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

病院など一定の条件はありますが、“マスク必須!”がなくなり、アフターコロナに舵を切ってもう半年弱が経ちますね。と同時に、以前よりもルッキズムという言葉をよく聞くようになりました。

長く続いたマスク生活で、隠していた素顔(?)を他者に晒すことに抵抗を感じる人は、案外多いのかもしれませんね。

女性なら、メイクが適当でもマスクでバレない、目元さえどうにかしていれば後はマスクで隠せる!・・・とお手入れを怠っていたツケが回ってきて焦っている人もいるでしょう。

何も理由はそれだけではありません。

今はスマホで撮影した後に、さまざまな加工ができるアプリが多くあります。そのおかげでいくらでも自分の顔を理想に近づけるために、イジることができるようになりました。そのまま素の自分を加工せず(盛らず?)、画像をSNSなどに上げる潔い人はほぼいないように思えます。

実際、「え〜、そんなに盛ってないよ〜」と言いながら、目は二まわり大きく、肌は美白でツルツル、目の下にはクマもなく目袋プックリ、不自然な人中の短さ、どう見ても「自然の人間というより2.5次元?」みたいな画像をよく見かけます。

私はいくらよいスマホを使っていたとしても、画像加工に興味がないのに加え、そのスキルもありません。「どうせ会ったらバレるし」という考えがあるので盛ったことはありません。そもそもSNSをやっておらず、“盛った”画像を載せる場所も機会もないので加工する意味もありませんが(笑)

自己肯定感が低く自分自身を肯定的に受け入れられていないと、他者からどう見られているか、どう思われているのか?を過剰に気にしてしまいます。他者からの評価がなくては自分で自分を認めることができないのです。SNSで必死に『いいね!』の数を競い、『いいなー、羨ましい!』と羨んでもらうことで危うい足下を保っていられる承認欲求オバケとあまり変わりません。

美/醜の基準は百人百通りのはずなのに、揃いも揃って“目は大きく二重”、“目と目の間は狭く”、“鼻筋が通った鼻の穴が見えない鼻”、“顎は突き刺さりそうなほど尖らせて”、“肌に一点の曇りもなく”・・・と揃いも揃って加工アプリで同じように盛りまくった結果、美肌だし目も大きいし人中も短いけど・・・みんな似たり寄ったりで生身の人間らしくないバランスのオカシイ顔が並んでいます。いつもやり過ぎていると、整形を止められない整形依存のように、加工が止められなくなるみたいで、繰り返しているうちに“盛り盛り盛っても気付かない自分”になってしまいます。

見た目が大事ではない、とは言いません。

目の下のクマをなかったかのように加工、の前に寝不足にならないように質のよい睡眠を取ること、目を二まわり大きく見せる加工をする前に、肌を不自然なほどツルリン加工する前に、生活を見直し、肌のためによい食生活を心がけるなど、自分の“見た目”を気にする人ができることがあります。

そして何より大切なのは、人中の短さより“清潔感”ではないかと思うのです。盛りまくってるけどあまり歯を磨かない人、盛りまくってるけどバッグの中はグシャグシャの人、盛りまくってるけど肩にフケが乗ってる人、盛りまくってるけど目やにがついている人・・・。

何だかとても残念な気がしてなりません。自分をよく見せようと“盛る”のですから、盛りまくるその前に“盛る”土台にも目を向けてみてほしいと思う、今日この頃でした。

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組織内パワハラ【番外編】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今回は組織内パワハラ【番外編】として書きたいと思います。ここ数ヶ月の報道を見聞きしていて、ある言葉が自分の中で生まれました。ちょうど組織内パワハラについて本城が書いていたので、番外編としてついでに書いてみました。風刺として読んでいただければ幸いです。

それは、

ガバハラ

これは私の思いつきの言葉です。世の中でまだ流通していない言葉だと思います。略さずに正確に記すと、

ガバメントハラスメント

ガバメント、つまり政府です。政府による国民へのハラスメント、ということです。国は究極の組織であると考えた時、政府を構成している内閣は企業でいうところの経営陣、国民はさながら社員ということになると考えてみました(国民は有権者だから株主という見方も可能)。

国を“日本株式会社”とイメージしてみました(『日本株式会社』という言葉は昔よくメディアでも登場した言葉です。それを現代に蘇らせてみます)。

そうすると総理大臣は社長ということになり、他の閣僚諸氏は副社長、専務、常務という役員となります。与野党問わず国会議員はヒラの取締役または執行役員のような存在でしょうか。官僚は企業で言えば、現場の部長級の幹部。ざっくりとした例えですが(笑)

政府による国民へのハラスメント、と書きましたが、一体どういうことかというと、飽くまでも個人的見解ですが、

ガソリン税のトリガー条項を凍結したまま発動しない、日本経済団体連合会(経団連)や関西経済連合会というロビイストたちによる消費税増税の提言、防衛費増額のため法人税・たばこ税・所得税の増税、少子化対策として社会保険料の負担増案、物価高による電気・ガス料金高騰への補助金縮小、インボイス制度開始などなど。

一方で実質賃金は17ヶ月(1年半弱)連続の減少、また直近ではイスラエルとハマスの戦闘開始で、政府のチャーター便でイスラエルからドバイへ退避した邦人8名に3万円を請求。大阪・関西万博工事遅延のため、この工事に従事する労働者に限り、労働時間の上限を特別に撤廃し、残業させまくって開催に間に合わせようと言ってみたり。これなどはハラスメントを超えてブラックです。『蟹工船か!?』とツッコミを入れたくなるぐらいのブラック発言です。このご時世に平気でそんなことが言える神経が理解不能です。

これらを見聞きして、もはや政府による国民へのハラスメントではないか?と思ってしまうのです。1億総ガバハラ被害者・・・そんな言葉が脳裏をよぎります。

なんだかなぁ・・・、という言葉しか思い浮かびません。ふと日本を辞めたくなる気分になったりします・・・。社員はまだ退職して逃げるという手段が残っていますが、国民は日本株式会社という組織を辞めることはできません。しかし仮に辞められたとしても、海外の国の中にはブラック企業ならぬブラック国が存在するので、相対的にまだ日本のほうがマシかとも思えなくもないのですが・・・。

政権の支持率が発足以来最低と報道されるや、今度は減税という言葉が政府から出てきました。その途端、与党の口から時限的に消費税率を5%に、食料品の消費税率は0%に、というにわかには信じ難い発言まで飛び出る始末。6割の国民は今の政府与党にそんな減税などできるわけがないとして経済政策には期待していないようです。私もそんな大胆な減税が今の政府与党にできるとは到底思いません(笑|結局自民党の提言には減税項目は何一つ盛り込まれませんでした)。やる気もないくせにあからさまに減税を叫ぶなど、選挙目当てというのが見え見えで辟易します。今や選挙公約は投票してもらうための方便に過ぎず詐欺にすら感じています(そのくせ国際公約、要は米国との約束はがっちり守り、増税や何か負担させる時の口実に使われる)。

一方で国の税収は2022年より約10兆円増えて71兆円、その他、外国為替特別会計(外為特会)の含み益、年金運用益、日本銀行買付ETFの含み益などを合わせると税収以外で国は180兆円以上の利益を上げているそうです。どうりで海外へ気前よくスピーディーにポンポンポンポンとバラ撒けるわけですね、と言いたくもなります。

それでいて上記のように、国民へはスズメの涙程度の微々たる還元で済ませ、負担増ばかりのことをやろうと決め込んでいます。

こうしたことを受けて『私たち国民は、今まさに政府からハラスメントを受けている!』という視点で捉えると危機感を覚えます。そして国民は茹でガエル状態にあるとすら思えます。

このガバハラから逃れるためには選挙しかないのですが、悲しいかな衆議院解散は社長である総理大臣の専権事項であるため、国民から能動的具体的に動くことは叶わず、八方塞がりの逃げ場のない状態にあると思ってしまうのでした・・・これは究極のハラスメントかもしれない、はぁ〜〜・・・(ため息)。

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組織内パワハラ【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです

今回はパワハラから自分を守るために知っておきたい知識や対策についてお話しします。

大きく4つあります。

①過剰適応しない
ここでいう過剰適応とは自分を抑え込み、押し殺して相手や環境に必要以上に無理して合わせようとする状態の心理学用語です。

パワハラ(モラハラも)が常態化していくと、ほとんどのパワハラ被害者は無意識に過剰適応しています。自分の意見が言えない、自分より他者を(他者の気持ちを)優先しがち、理不尽で無理な要求にも応えてしまう(応えようとしてしまうも含む)、責任感が強すぎる傾向にある人は注意が必要です。

最初は何ともなくても、そもそも適応が“過ぎる”のが過剰ですから、メンタルには過大な負担がかかっています。ここぞという時に、自分を奮い立たせ頑張るのは構いませんが、毎日がここぞ状態で過剰適応して頑張り続けるのは、心身ともにとても苦しいものです。それは、ある意味不健康です。メンタルバランスを崩し、鬱になる可能性も高くなります。自分が過剰適応していないかをセルフチェックしてみるクセをつけましょう。

※過剰適応については、後日またお話ししようと思います。

②記録を録る
会社のコンプライアンス部門や外部機関に相談するにせよ、いざとなった時に診断書を取るためにも、“被害の証拠”となる記録が役に立ちます。日記のように記録しても構わないのですが、下記の項目を記録してほしいと思います。

○いつ
○どこで
○誰に
○どのようなことを言われたのか(されたのか)
○見ていた(聞いていた)人はいるのか

今はスマホもありますし、より鮮明に長時間録音できるボイスレコーダーもあるので、そのような物を活用し、言い逃れできないように証拠を記録しておきましょう。多くのパワハラは暴言など言葉でおこなわれることが多く、カタチとして残らないため、いかようにも言い逃れができるからです。どれだけ立場が上であっても、他者の尊厳を傷つけたり、人格を否定してよい免罪符にはなりません。
③アサーティブとは何かを知り、アサーションスキルを身につける
このアサーティブとは何かについては、過去のコラムを参照してください。
アサーション:自己表現
連載:アサーション【導入】
連載:アサーション【1】
連載:アサーション【2】
連載:アサーション【3】
連載:アサーション【4】
アサーションのさまざまな手法【1】
アサーションのさまざまな手法【2】
アサーションのさまざまな手法【3】
④第三者に相談する/第三者を交えて話し合う
組織の中でパワハラ被害に遭った場合、一人で立ち向かうのはお勧めできません。信頼できる同僚、先輩、上司はいませんか?会社にコンプライアンスを取り扱う部署はありませんか?
信頼できる人がいない、コンプライアンス部門がない場合は、自分の心身を守るために転職や異動など環境そのものを変える、あるいは外部の専門家のカウンセリングを受け、メンタルのダメージを少しでも緩和するなどし、一人で悩み、抱え込まない環境を用意することもよいかもしれません。根本的な解決にならなくとも、その方法を見い出すまでの対処法としては有効かもしれません。

パワハラ、モラハラ(DV)被害者になると、心は深く傷つき、疲れ果てています。鬱状態、希死念慮、フラッシュバック、トラウマによる社会不安や人間不信など、ハラスメントは大きな傷痕を残します。

その時は是非、迷わず専門家によるケアを受けてください。一人で我慢して抱え込んだり、一人で頑張って回復を目指さなくてよいのです。

あなたが これからも 一度きりの大切な人生を 歩むためにも。

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