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ココロはいとも簡単に操作され、気づかないうちにアレコレ思い込まされたり勘違いしている【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

社会生活を送る中で人は些細なことから人生を左右する大きなことまで、あらゆる選択の日々を送っています。

「お昼は何を食べようか」「晩ご飯は何を作ろうか」「シャンプー変えてみようかな」といった小さな選択→決定から、「クルマはどのタイプがいいか」「病院に行くか行かないか」「家を買うか借りるか、マンションか戸建か」「転職するかしないか」など比較的大きな選択→決定まで、どんな選択もまったくしない日は一日もありません。

意思決定を『すべて自分一人で決めている』『誰のどんな影響も受けてないもんね』なんて思っているアナタ・・・そんなアナタに今回はいろいろな認知バイアス詰め合わせセットをお届けしたいと思います。

脳科学や社会学、心理学だけでなく、学校でも個人的には中学生あたりから認知バイアスについて教えてもいいと思っています。例えば道徳や総合の科目あたりで。

思い込みや思考の偏りはなぜ生まれるのか?認知バイアスにはどんな種類があるのか?などなかなか面白い授業ができそうです。

以前、“錯覚”という記事でバーナム効果などサラッと書いたので記憶にある人もいるかもしれません。企業広告に政治的プロパガンダ、SNS、と私たちは気付かぬうちに実に多くの無作為、作為的なバイアスに影響を受けながら意思決定をしています(誘導されている?)

認知バイアスは誰にでもある思考の偏り/思い込みです。いくら「自分はちゃんと物事を客観的に見れている」と思っていても、実は誰もが自分を客観的に見ることは苦手なものなのです。“自分を客観的に”、これこそが前回、前々回で話をしたメタ認知に当たります。

【自己奉仕バイアス】

同じ失敗でも他者の時は「その人に原因がある」と感じ、自分の時には「外的要因があった」と感じることです。

例)Aさんが忘れ物をした時には「出かける前にちゃんと確認しないから、いつもドジだからもう!」と感じ、自分が忘れ物をしてしまった時には「出かける前に宅配便が来たから/昨夜彼女(彼氏)が遅くに来たから・・・」などと忘れ物をした原因を外的要因に関連づけて考えます。

この自己奉仕バイアス、めちゃくちゃ厄介です。なぜなら、他者からは“自分のことは棚に上げて偉そうに”と映るからです。

【確証バイアス】

自分の仮説や根拠のないジンクスを信じてしまい、反証する意見や情報を無視するのが確証バイアスです。

例)AB型の人って二面性があって付き合いにくい/A型は神経質だ←人は誰でも多面性を持ってますし、几帳面であることに血液型は無関係です。

アイツは雨男だから←たまたま雨が続いただけで雨男と思い込む。黒猫は不吉だ←大昔、魔女狩りがあった時代から悪魔の使いと言われていますが、黒猫はただ毛の色が黒いだけで不吉でも何でもありません。黒が不吉と考えるバイアスですね。黒猫にとっては迷惑以外の何ものでもないでしょう。

確証バイアスは誰にでも見られるかなり強力なバイアスですので、心当たりがある人も多いのではないでしょうか。

長くなりましたので2回に分けます。次回は認知バイアス三昧でお届けしようと思います。

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集団心理【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回、群衆心理についてお話ししました。2回目となる今回は、組織で当たり前のようにパワハラ・モラハラが横行し、メンタルを病む人が増加の一途を辿り、痛ましいいじめが原因で自殺も後を絶たないことから、パワハラ・モラハラ、いじめ問題を群衆心理から考えてみようと思います。

いじめ問題というと子供の間のこととイメージされやすいですが、2019年秋に神戸の小学校で教員が教員をいじめるという事件が起きています。

パワハラやモラハラ、嫌がらせやいじめを目にしても、

「いい加減にすればいいのに」

「誰も止めないの?」

「さすがにやり過ぎじゃないか」

と思っても誰も止めず、なるべくなら関わらないように見て見ぬフリをする・・・通りすがりの道端でなくても学校や組織でもよくあることではないでしょうか。

関わることで自分にとばっちりが来たり、巻き込まれて面倒なことになるのを避けるために無視する(見なかったことにする)、これは自分の身を守るための合理的な行動で、心理学ではそれを【傍観者効果】と言います。

わかりやすく説明すると、事故や事件、災害や傷病者がいるなど何らかのトラブルがある状況において、自分以外にも多くの他者がいる時に自分からは積極的に行動を起こさなくなることを傍観者効果と言います。

傍観者効果が起こるにはいくつかの原因があります。

○責任の希薄、分散化

人は集団の中の一人になることで、一人の時より自分の責任が多数に分散され軽くなります。責任が分散されることで、自分からは行動を起こしにくくなったり、責任感を感じにくくなるのです。

また見て見ぬフリをしている人がいる状況では「自分だけが見て見ぬフリをしているわけではない」と自らを正当化することで、自分が何も行動を起こさなかった罪悪感や、ひょっとしたら向けられるかもしれない非難を意図的に軽減しようとする無意識な心理も働きます。

○無知の多元化

自分以外の多くの他者が積極的行動を起こしていないことから、目の前にあるトラブルは早急に対処するような問題でもないと考えてしまいます。パワハラや嫌がらせ、いじめに遭っている人がいても、皆が見て見ぬフリをしているのを見ると「別に自分がわざわざ上(あるいは先生)に報告しなくてもいっか」「きっと誰かが報告してくれるんじゃないか」と他の人の行動を見て判断してしまったりもします。

○評価懸念

自分以外は様子見をしたり見て見ぬフリをしている中で、もし自分が積極的に行動したことを他者に否定的に捉えられたら(いい格好しやがって/偽善者ぶっちゃって/次のターゲットはアイツだな)、という恐れや不安のことを言います。

良かれと思っての行動を『面倒なヤツだ』などとマイナス評価されるのを恐れることが評価懸念です。評価懸念は群衆心理で群衆抑制とも言われます。

面倒なことになるかもしれない(ならないかもしれないけど)ことにはなるべく関わらない、自分自身や家族を守るために必要な時もありますよね。気ままな一人暮らしではなく、守らなくてはいけない子供もいるので当然ですが私にもあります。

群衆心理や傍観者効果という言葉があり、それにはどんな意味があり何が原因になっているのかということをお話ししたかったので、“見て見ぬフリ”は良くない、やめるべきだ、という話ではありません。

私たち一人ひとりには生活があります。職場において孤立しかねないリスクを自ら背負い、大切な生活に悪影響が出る可能性があることは誰でもしたくありません。見て見ぬフリも大切とは言いませんが、仕方ない時もあります。そこで自分のこととして何を思うか、考えるか・・・それが大切な気がします。無関心や他人事として思考停止にならないようにしたいものです。

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集団心理【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人が一人ではなく大勢集まり【集団】【群衆】になると、一人の時とは違う独特の心理が働くようになります。

良くも悪くにも働くのが群衆心理ですが、今回はマイナスと働きやすい特徴的な心理についてお話ししようと思います。

○感情の伝播

以前にも感情の伝播についてお話ししましたが、その中でも特に“怒り”(ネガティブな強い感情)の感情が伝播しやすいことを書きました。

感情的になると当たり前ですが、論理的に考えることはできなくなります。『自分は冷静だ』と思うのは勝手ですが、怒りという不快感情の中でいつも以上に冷静でいられる人などまずいません。それでも『自分は冷静だ』と言えるなら・・・、

メタ認知、大丈夫ですか?

○無名性、無責任性が生まれる

自分一人の時と違い、群衆の中の一人になることで自己の言動に対する責任感が弱くなります。それは私たちが普段感じている“自分”という意識が、集団の中では“大勢の中の一人”になってしまい薄くなることで起こります。

わかりやすいのが“赤信号みんなで渡れば怖くない”です。渋谷のスクランブル交差点で誰一人信号無視をしていないのに、自分一人が渡ったとしましょう。なんだか後ろめたさというか居心地の悪さを感じませんか?でも、多くの人が小走りに次々と渡る中で自分が一緒になって渡っても、『私だけじゃない、みんな渡ってるし』という意識が生まれませんか?

同じ信号無視でも一人と集団では違う心理が生まれているのがおわかりいただけたでしょうか。

○被暗示性

これは暗示にかかりやすさのことです。一人より集団の中にいるほうが被暗示性が高まり、暗示にかかりやすくなります。

その場の空気に呑まれ流されやすくなり、ハッキリと意思表示をする人や大きな声(身振り手振り)の人に、つい従いやすくなったり、共通意識を持ちやすくなってしまうのです。

良い例が、よく公民館あたりでおこなわれている「健康器具無料体験」などと謳い、参加すると心地良いマッサージチェアに座りながら手土産にラップやお掃除シート、ティッシュなどが配られ、「あー、得した!」と思っていると「ご参加いただいた皆さまだけに特別価格でご案内です、残り○点しかありません」と高額(に見える)な羽毛布団が出てきたりするわけです。

「特別価格」「残り○点」なんて言われると、それが必要ないものでも「え!」「お得!」となるのが大多数の人の心理、そこで数人のサクラが「私、買うわ!」なんて名乗りをあげらたらもう後は言わずもがなです。

まんまと定価5千円のフェザーケットを5万円の羽毛布団のように思い込まされ、訳がわからないうちにホイホイ契約書にサインしてしまうのです。

集団心理を身近に感じてみるために参加してみました、私(笑)

もちろん羽毛布団は要らないので買っていませんし、「こんなにお土産ももらっちゃったし」と心の呵責を感じないためにお土産も辞退です。そもそも友人でもない人が勝手にくれるものに何の呵責も感じないタイプではありますが(笑)。

混じってみたのはただの実験であり、ただの野次馬根性だけです。何人ものご老人が毒牙にかかっていらっしゃいました・・・。

多くの人が行き交う雑踏で誰かが倒れても「自分が119番(あるいは110番)しなくても、誰かがやってくれるだろう」と考える人が多いのが現実だと思います。でも、周りに誰もおらず自分一人しか居なければ、そのまま放ったらかしにしてはいかないのではないでしょうか。

個人が集まり集団になる。見て見ぬふりは組織でも至るところに存在しているように思います。

次回では群衆心理〜傍観者効果についてお話しします。

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メタ認知【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

メタ認知【2】では、メタ認知的についてお話します。

その前に、『認知』について少し触れておきましょう。

自己認知という言葉を聞いたことがありますか?自己認知とは、自分自身が自分の長所や短所、価値観を把握することを言います。臨床心理学や哲学では広く使われる言葉でもあります。

この自己認知、自分の強み弱みや価値観を知ることで、実は仕事にも関わりが出てくるのです。

【価値観】:これはとても抽象的な概念です。価値観を形成する要素はおおよそ100前後あるとされており、列挙した価値観に優先順位をつけていくことで自分が大切にしている価値観の優先度を知り、自分の価値観にマッチした仕事を選択することができます。

【長所(強み)短所(弱み)】:これもまた抽象的な概念です。ただ、大学で就職活動を始めると絶対に繰り返しやらされるのが“自己分析”で、あまり真面目に自己と向き合ってこなかったウェ〜イ♪な学生たちも、自己の長所短所をざっくりでも把握できるようになります。

自己認知と関係する用語に【他者認知】【対人認知】があります。心理学では他者認知を対人認知と呼びます。

自己認知が自分自身の価値観や長所短所を把握することに対し、対人認知は他者を把握するためにさまざまな情報に基づき、その心理や内面特性を把握しようと推測する行為、と言えます。

本題のメタ認知に入ります。

前回メタ認知には二つの種類があり、その一つであるメタ認知的知識についてお話しました。今回はもう一つの役割【メタ認知的技能】についてお話しようと思います。

認知についてどのような知識があるのかをメタ認知的知識というのに対し、認知を調整、制御する機能がメタ認知的技能になります。認知をコントロールするチカラと言えばわかりやすいでしょうか。

例を出しながらメタ認知的技能を説明していきましょう。

  • 自分は方向音痴だ(方向音痴であることを自分でわかっている←メタ認知的知識)。
  • 前もって入念にアクセス方法を調べ、時間よりかなり早めに到着できるようにする。←メタ認知的知識をもとにメタ認知的技能を使っています。

自分は忘れっぽいというメタ認知的知識が備わっていれば、対策としてメモやリマインダーを使うという対策を取ると思います。

この『自分は忘れっぽい』を自覚していること(わかっている)がメタ認知的知識、その対策にメモやリマインダーを使うこと、これがメタ認知的技能になります。

少しズレますが、パートナーに聞いたところ、なかなか面白い答えだったので載せておきます。

「自分は性悪説だ」←メタ認知的知識

「だから基本的に人は信じない」←メタ認知的技能

だそうです(笑)

案外自分のことは自分で思っているほどわからないものです。「私は思い込みが強くて他者の話を聞かないことがある」なんて、自分で認めたくないメタ認知的知識にはなかなか気付きませんし、気付こうとしないのが人という生き物です。メタ認知に目を向け、改めて自分を知ってみてはどうでしょうか。そうすれば気持ちがラクになることもあるかもしれません。

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この夏、蝉に思う

メタ認知のシリーズの途中ですが、ちょっとブレイク。メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

8月も終盤になってきました。学校は今週から2学期が始まるところが多いようです。私が子供の頃はちゃんと9月からでしたが、いつの間にか8月下旬からになっていたのは少々驚きでした。

世の中は未だにコロナに翻弄されています。私もこの時期一番美味いビールが店で飲めなくなって難儀している一人です。収束の目処が立たないのがツラいですね。何事もそうだと思うのですが、先が見えれば、ある程度我慢できるというものです。今月で終わる、とか、期限がわかるとむしろモチベーションは上がったりします。

現状はその期限の見通しがまったく立っていない・・・これはかなりキツい状況です。不満と不安だけが募ります。私もその一人です。なんとか生きている、という感覚です。不要不急な外出は控えろ、県境を跨ぐ移動は控えろ、去年に続き今年も帰省を控えろと言われている今、気分転換すらままなりません。

かなりメンタルがやられますね・・・。

この夏は個人的にこの状況をどういう心持ちでいたらいいのか、いろいろと模索していました。そして一つの解を得ました。飽くまでも個人的な解です。読者にお勧めするものではありません。

それは、

メンタル、というよりも『心』が丈夫になっている“過程”だ

ということです。

先日夜中に、羽化したばかりの蝉に遭遇しました。抜け殻の上でじっとしていました。体全体は白く、薄く緑がかっていました。羽は透明でとても神秘的でした。羽化したばかりなので、柔らかそうで新鮮さはあるものの逞しさはありません。

それを見てふと思いました。今、自分もこの羽化したばかりの蝉と同じなのかもしれない、と。私の場合、生まれて既に数十年も生きているので、脱皮と言ったほうが正確かもしれませんね。海老や蟹も脱皮したては甲羅は柔らかく最も弱々しい状態です。

今自分は古い心の殻を脱いで、メンタルが弱々しく壊れやすい状態であるのかもしれない、と思ったのでした。蝉は殻を脱いでしばらくはじっとしています。体が整うまでじっとしています。蝉に教えられたように思います。心の殻が整うまでじっとしていようと。そうすれば蝉の丈夫な羽や鎧のような体のように、自分のメンタル、心もさらに丈夫になるだろうと思いました。

強くなる、というより『丈夫になる』と言ったほうがいいですね。強くなるというと、物凄い我慢とか努力が必要だと感じてしまうからです。丈夫になる、というと、そういう我慢とか努力というよりは、目に見えない力に任せることのように感じます。つまり自分の努力とか我慢とは別次元の大きな力に委ねる、という感覚です。

“今を乗り切る”、それだけで精一杯の毎日。そんな毎日だってかなりの努力が必要だし、何もしていないわけではありません。それを続けつつ、後は目に見えない大きな力に任せていこう、そうすればいつの間にか無意識にも、メンタルや心は丈夫になっているだろう、と思うようにしました。

この夏も時々エアコンを切り、夕方に蚊取り線香を焚き、その香りに夏を想っています。そんなノスタルジーに浸りながら、憂鬱な気分を誤魔化しています(笑)

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メタ認知【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

お盆はいかがお過ごしでしたか?コロナ禍でもあるので、私は自宅でのんびりしていました。まぁ普通に生活していただけですね(笑)

さて本題です。メタ認知、聞いたことがある人もいるかもしれません。メタ認知はアメリカのフラベルという心理学者が提唱した概念で認知心理学用語ですが、その概念自体はとても古く、遡るとギリシャの哲学者ソクラテスにまで行き着きます。

「彼らは何も知らないのに知っていると思い込んでいる。だが私は何も知らないということを知っている。」

有名はソクラテスの言葉、“無知の知”です。知っている人も多いのではないでしょうか。ここからもソクラテスのメタ認知能力がとても高かったことが窺い知れます。

最近では認知心理学だけではなく、教育現場や組織でも広く【メタ認知の重要性/メタ認知を鍛える】など聞くようになりました。あまり拡げると訳がわからなくなるので今回は割愛しますが、

この【メタ認知】、実は人間関係やコミュニケーション能力とも深く関わりがあるのです。

イマイチわからないメタ認知だと思いますので、【1】【2】で理解していきましょう。

【メタ認知】
自分が認知していることを客観的に把握し、制御すること。→認知していることを認知する。

何やらますます何のことやら・・・?ですよね。限りなく平たく言うと、“自分の思考の矛盾に気付く”、“自分なりにやりやすいように方法を考え実践する”、“頭を整理するために書き出し視覚化する”などもメタ認知になります。

メタとは『より高次な』という意味で、メタ認知は自分自身を高い所から見ている自分、という感じでイメージしてみてください。メタ認知は概念で思考活動ですから体を動かしておこなう活動ではなく、語弊はありますが、思考の幽体離脱みたいな感じかもしれません(笑)

自分が認知している【感情】【思考】【学習】【記憶】などを高次な視点から俯瞰する、ということがメタ認知です。

メタ認知が高いと、自分自身の認知活動(感情/思考/学習/記憶)を客観的、冷静に見ることができ、それを見直したり調整することで高い目標設定〜達成する力(実行/遂行)や問題解決の向上に繋がるといった大きなメリットがあります。組織が求めるのはこの辺りの能力だと考えられます。もっと具体的に言えば、管理職や経営層になればなるほど、このメタ認知能力が求められる、と言ってもいいかもしれません。

“自分の思考について思考している”ような場面で発揮されている能力がメタ認知で、こうなるともうガッツリ哲学領域ですが・・・。

このメタ認知には二つの種類があり、それぞれ【メタ認知的知識】【メタ認知的技能】と呼びます。

【メタ認知的知識】
自分についてわかっていること → 自分は人見知りで初めて会う人と話すことや大勢の人の前は苦手だ、自分は短気で怒りっぽいところがあり、すぐに機嫌が悪くなる、自分は繊細過ぎて傷つきやすい、自分は無神経なところがあって意図しないのに人を不快にしてしまうところがあるようだ・・・などなど、自分を理解し自分について知っていること(自分は何者か、自分は何を知っているのか、知らないのか)です。

例を挙げると、『今、自分は怒っている』←怒っている自分をわかっている、あるいは『嫌な汗をかいている』←道に迷い、その焦りから嫌な汗をかいている自分をわかっている、などがわかりやすいでしょう。

難しい話が長くなってしまいましたので【1】はおしまいです。【2】ではメタ認知的技能についてスタートします。

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綺麗事では生きていけない

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

生きづらさを感じ「なぜ僕はこんなにポンコツなの?生きてるのがつらい」と泣くこともある、発達障害重複持ちの息子を育てている一人の母親として、“発達障害はハンデにならない”、“個性的なことは素晴らしいこと”などと聞くと、正直なところ「なに無責任に綺麗事言っているんだか」と思ってしまいます。

多様性を叫んでもイマイチ理解が進まない日本ですが、百歩譲って“個性的なことは素晴らしい”は良しとするにしても、日常生活でかなり困り感があり、時間管理がガバガバで先の見通しが立てられず、狭い範囲ですらしょっちゅう物がなくなり、ヤル気が起きないことは先送りして結果忘却の彼方へ追いやられ、自室やバッグはカオス。実行機能の弱さから、計画立案は得意でも途中で放り出すか、そもそも実行すらしなかったり、独特の認知から傷つきやすさを常に抱え、冗談も通じない・・・感情的になりやすく人間関係に問題を抱えがちです。

これのどこが『ハンデにならない』なんて無責任なことを言えるのでしょうか?

特別支援や個別配慮をしなくてはならない発達障害特別支援法があっても、現実の教育現場では教師の仕事量は増加の一途を辿り疲弊、正しい知識や理解が足りず圧倒的に人員も足りていません。増え続ける発達障害児やグレーゾーンに対し支援級は足りておらず、授業を抜けて校区を跨いで支援級に通級しなくてはいけない現実。

社会に出ると言わずもがな手帳がなければなかなか個別配慮には繋がりません。たまたま職場や人に恵まれ配慮してもらえることもありますが、それは幸運なケースだと言えます。自分の特性を理解し受け入れていなければ、口頭や文書でも配慮をお願いすることすらハードルが高く、コミュニケーションに課題があるとそれを上手く伝えることも難しいのです。

抽象的な理解が苦手でマルチタスクに対応できないので指示は具体的に一つずつお願いします、と伝えなければ、当たり前に大多数の人が出来るであろう抽象的な伝え方でマルチタスクを活用しなくてはできない仕事の指示を与えられます。それで何度言われても出来なければ、残酷にも「使えない」「使いにくい」「だらしない」「無能」と陰口を叩かれ、パワハラ体質な上司や組織だと面と向かって言われるかもしれません。退職へと追いやられることも考えられます。

常に生きづらさがある息子は「ハンデにはならない」なんて「何の慰めにもならない、余計惨めになる」と怒りを爆発させていました。

根拠のない自信には満ち溢れているので自己評価は高いくせに自己肯定感は低めの息子に、普段から否定的なダメ出しはしておらず「頑張っても出来ないことがあるのが発達障害、でも苦手なことでもやらなきゃいけないことはたくさんあるよね。じゃぁどう工夫すれば出来るか、やりやすいか一緒に考えようか」と話し、一緒に考えています。

15日日曜日はお盆のためコラムは休載します。次回は20日金曜日からの掲載となります。

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今、思うこと

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今、思うこと・・・

同調圧力がなんとも気持ち悪い

オリンピック開催における話です。

オリンピックについては国民感情がどうであれ、どうせ強行するだろうと思っていたので、何も感じていません。

オリンピックが始まり、日本人アスリートがメダルを取るたびにテレビメディアがこぞって「日本中が泣いた」「日本中を感動の渦に云々」「日本の悲願が云々」「暗い話題の中で明るい話題が云々」・・・これを気持ち悪く感じたり、押し付けと感じるのは私だけでしょうか・・・。大抵のことは聞き流すことができるのですが、この場合だけは言いようのない違和感に包まれるのです。

アスリートがオリンピックを目指し、死ぬ気で頑張ってきたのは想像に難しくないし、アスリートの立場だと本音では『オリンピックが開催できてよかった』だと思います。始まれば一部ではそれなりに盛り上がっている、のかもしれません。

これがコロナ禍でなければ興味が薄いにしろ、ここまで冷めてはいなかったでしょう。

私の周りにはメディカル、コ・メディカルが多くいて、感染リスクと闘いながら日常業務を日々粛々とこなしていますが、その周りでは感染し亡くなった人も多くいるのが現実で、身近な人を亡くした知り合いも一人や二人ではありません。そんな悲しむ暇もない人たちに、テレビメディアの言葉はどう映るのでしょうか。

なにも、一切報道するな、などとは思いません。

でも「日本中が泣いた」「日本中を感動の渦に云々」の言葉の中に“日本で開催されている東京オリンピック、日本人がメダル取った(健闘してる)んだから感動するよね?みんな感動するに決まってるよね?”とゆるゆる同調圧力をかけられているように感じてしまうのです。

「じゃ、テレビなんか見なければいいじゃないか」という意見があることも知っています。しかしそれは、一方への我慢の押し付けで排除の論理です。そんな単純な話ではありません。テレビメディアは公共の電波(国民の財産)を使っている以上、このコロナ禍においては配慮ある報道がされて当然だと思うし、無邪気に歓喜の言葉を並び立てる姿勢を問わなくてよいとは思いません。裏を返せばテレビ局が所有する自前の電波であれば、どんな報道をしようが勝手です。

なぜ同調圧力を生みかねない言葉を無邪気に使うのか?お涙頂戴が大好きな日本のテレビメディアはその体質は依然変わっていません。多分これからも変わらない気がします。それに乗じて『感動しないなんておかしい』『なんでオリンピック観ないの?』と感動しない(興味ない)人を非難したり、おかしいと言わんばかりの人々こそむしろ深刻で、旧態依然とした思考のままアップデートされていないと言わざるを得ません。

オリンピック開催が皮肉にも、同調圧力をこんなにもわかりやすく感じさせてくれています。社会全体が『五輪礼賛』という同調圧力に晒されているように感じます。その急先鋒がテレビメディアであり、私たちが試されているようでもあります。

私たち一人ひとりがオリンピックやワールドカップのような国際イベントに興じない人々が必ず一定数存在することをそろそろ理解し、感動の押し付けは止めませんか。職場や学校などで、そういうものを観ていない人や興味がない人を『冷めたヤツ』と言ったり非国民扱いするのはもう止めませんか。一部ではそれをオリンピックハラスメント、オリハラと言うそうです。また7月27日にはこんな記事もありました。お時間がある時に読んでみてください。

時代はもう多様性にシフトしています。今はまだ企業だけが取り組むイメージが強い多様性ですが、そろそろ個人レベルでも多様性を理解し実践していく時代です。コロナ禍でのオリンピックとその報道を通して、日本は本当の意味で多様性な社会ではないこと、ダイバーシティなんてまだまだ絵に描いた餅で、インクルージョンなんて程遠いということを痛感しました。

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パウンダリーという概念【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

パウンダリー(境界線)について【2】では、例を友人、パートナー、親子、上司と部下と挙げながら境界線を守られていない時の要注意サインや、境界線を守る方法について話を進めます。前回示した図2を参照しながら読んでみてください。

  • 大切にしている本(持ち物)を本当は貸したくないのに友人に貸してしまった。

これは嫌われたくないという気持ちから相手に合わせ過ぎています。自分の気持ちや考えを伝えられず、我慢していることもわかります。それにより、【所持品】、【感情】の境界線が守られていません。

  • LINEやSNSで気付かずレスを忘れた時や飛ばしてしまった時に「無視したでしょ!」と言われた。

それからスマホが気になるようになって着信音を大きくしたり、しょっちゅう確認するようになった。これは【時間/空間】、【感情】の境界線が守られなくなり、自分の生活に影響が出てしまっています。また、すぐにレスが来なかったことに「無視したでしょ!」と責めるメッセージを送った人は、受け取った人の【時間/空間】、【感情】の境界線に踏み込み過ぎています。

  • 「あの子はお母さん好きじゃないから付き合っちゃダメ」

親の考えや価値観を押し付けていることから、【考えや価値観】の境界線を守っていません。「こんな本は読んじゃダメ、捨てたから!」これも断りもなく持ち物を捨ててしまうのは明らかに【所持品】の境界線を踏み越えています。

  • 「日曜は用事があるから会えない」と言ったら、彼から「普通は彼氏を優先させるものだろう」と言われた。

「夫婦なんだからどこで何をしているのか知る権利がある」と勝手にスマホを見られたり、持ち物を調べられる。好きだから嫌われたくない、好きだから怒らせたくない。そのような気持ちになるのは理解はできますが、前者では【時間/空間】、【考えや価値観】の境界線を無視した考え方です。後者は【所持品】、【感情】の境界線を踏み越えた行動・言動です。

  • 「お前は何もできないバカだ」「居なくても誰も困らない」「忙しいんだから残業するのは当たり前だろ」「こんなことで怒るなんておかしい」「(産休)育休取るの?」

これらは【尊厳】、【時間/空間】、【感情】、【考えや価値観】・・・あらゆる境界線をバンバン踏み越えてしまってますね。組織においては、上司などが言葉に言わないまでも企業風土や企業文化そのものが境界線を踏み越えた空気感に満たされている場合もあり得ます。

以下のように感じることがあったら境界線を守られていない要注意サインかもしれません。

  • バカにされる。
  • いつも相手の感覚や意見が優先。
  • 理不尽な命令、パワハラ・モラハラに近い命令をされる。
  • 言動や行動で脅かされる。
  • 相手と違う考えや意見があっても言いづらい。
  • 無視されたり、傷付くようなことを平気で言われる。

境界線を守る工夫として覚えておいてもらいたいことがあります。

踏み込んでほしくないことには自分でルールを決めておく。
▷○時までに帰る、○円以上は使わない、プライベートは仕事関係者には話さない、など。

●同じ言葉をリピートする。
▷何を言っても相手が自分の境界線に踏み込んで来ようとしたり、何を言われても理由を聞かれても「嫌です」「止めてください」「無理です」「できません/やりません」。

●宣言する。
▷それでも境界線に入り込んで来ようとしたら「次同じことを言ったら帰ります」「まだ言うなら警察に行きます」「大きな声を出します」をはっきり意思表示する。

●その場を離れる。
▷帰る宣言をして帰る。知らん顔してその場を去る。

●時間を置く。
▷自分の気持ちが落ち着く、考えがまとまるまで「少し時間をください」と保留し、時間を作る。

●メッセージを『I』(アイメッセージ)で発信する。
▷主語を「私は〜と感じる」「(私は)そんな言い方をされると悲しい」「(私は)〜だと嬉しい」など。

企業など組織においては、【自分でルールを決めておく】【時間を置く】【アイメッセージで発信する】などが現実的かもしれませんね。

自分の大切なスペース(エリア)に他者が踏み込んできたり、相手の大切なスペース(エリア)に入り込んでしまっている場合は、境界線を意識することが大切です。

境界線は自分自身が傷付かないことはもちろん、相手を傷付けてしまわないためにも守らなくては(守ってもらう必要がある)いけない重要な概念です。

境界線が守られているかどうかは前記の『自分の気持ち/感情』と『相手との関係』に目を向けてみることです。

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歪んだ関係:支配という名の共依存【2】〜パウンダリーという概念【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【1】に続き、共依存の話になります。

共依存と自己愛、アダルトチルドレン(アタッチメント不全)には深い関係がありますが、自己愛やアタッチメントについては近いうちに書きたいと思います。

共依存に陥りやすい人の特徴の続きです。

●コミュニケーションスキルが低い
→自分の意思を相手に伝えるスキルが低い、ノーと言えない、自分の行動・言動の責任を引き受けることができないのに、相手のせいにしたり(責任転嫁)批判する。

●被害者意識が強い
→相手のために何かしてあげたい気持ちは強いが、うまくいかない時に「私はあなたのためを思って云々・・・」と相手を責めがち。

●自分と他者のパウンダリー(境界線)が明確でない
→最後に境界線について説明〜パウンダリーという概念【1】に続きます。

●忍耐力に欠ける
→相手の言葉に過敏に反応して反射的に行動したり、必要以上に焦って取り越し苦労的な心配をする。

●自罰的である
→相手に問題がある時にも自分が悪いのではないか?と過剰に自分を責め、努力すれば相手が変わるのではないかと必死になる。

●極端な思考
→黒/白、0/100思考で自分が正しければ絶対に相手が間違っている、相手が正しければ全部悪いのは自分のせいだと決めつけがちで、“ほどほど”のバランスが取れない。

これから先は共依存の話を離れ、パウンダリー(境界線)【1】へと続きます。

これは人間関係において疲れやすかったり、ストレスフルになりやすいHSPやASDの人に気付いてもらいたい概念です。

図を見ながら考えてみます。

これはパーソナルスペースという概念です。

そして境界線には、

このように個人を取り巻くパウンダリー(境界線)には幾つも種類があるのがわかります。

また境界線にはパターンがあります。

●境界線がない
→自分の気持ちや感情など自分で守れず、他者から踏み込まれ過ぎて疲れたり傷ついたりしてしまう。また、他者の境界線もわからないので、踏み込み過ぎて嫌がられたり傷つけてしまう。

●境界線がハードルになっている
→他者を近づけず、自ら他者に近づくこともしないので、本人が孤独を感じていても周囲から孤立しやすい。自分の中だけで怒りや傷つきを抱え込み、感情のやり場がなく発散することができない。

●柔軟性のある理想的な境界線
→自分の気持ちや感情、その時の状況や相手により自由に境界線も変えられる。しなやかな強さがあるので、疲れたり傷ついても回復力(レジリエンス)があり、自分も他者も大切にしたアサーティブなコミュニケーションを取ることができる。

●混在した境界線
→ほとんどの人は上記3つの境界線を組み合わせて持っており、自分の気持ちや感情、状況、他者との関係で無意識に境界線を使い分けている。

パウンダリーという概念【2】では、例を挙げながら境界線の種類の説明、なぜ境界線が大切なのか、境界線を守られていない時の要注意サイン/境界線を守る方法についてお話します。

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