今年最初のASDグレーゾーン交流会に参加してきました

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

新年明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年が明けてまだ半月ですが、早くも標題にあるように、今年最初の交流会に参加してきました。

その交流会には過去に何度かパートナーとも参加したことがあります。主催者自身も当事者の、とあるASDグレーゾーン(診断の有無は関係なく、生きづらさを感じている人を対象にしている)の交流会です。

今回はその様子や感想を書きたいと思います。

いろんな交流会に時折参加していますが、主催者の人柄や意向が反映されているのか、今回のように何度も参加したいと思える交流会もあれば、やたらと居心地の悪い交流会もあります(その場合、二度と参加しませんが)。

今回は、海外の大学で“発達障害グレーゾーンの研究”をしている当事者だという学生がいたり、福祉現場から研究をしている人も参加されており、いつもとは違う面白さがあったように思いました。

受付でのお手伝いの人はいても、主催者はひとりで、敢えてファシリテーターを置かずテーブル毎にテーマを決めて、自分の話したいことや聞きたいことで何度か席替えがおこなわれる方式です。

私は交流会参加が初めてという知人と参加したので、彼女の興味関心からテーマを選び、最初はフリートーク→孤独、気持ちについて→特性理解、とテーブルを移動しながら他の参加者の話を聞きました。

発達障害の特性を持ちながら、診断を下すには特性が薄く決定打がなかったり(さまざまな心理検査の結果も含まれる)、親への聞き取りができない(生育歴を聞き取りしますが当事者が大人だと諸事情から親の聞き取りができないことが多い)とグレーゾーンと言われることがあります。グレーと聞くと「発達障害でも軽めなのかな?」と思いがちですが、社会生活上の生きづらさは同じでも公的支援や福祉資源の活用に雲泥の差があり、社会生活上の生きづらさとはまた違う生きづらさを感じることが増えます。

受診して診断がつかなければ、役所の福祉課(名称は自治体により異なり、障害福祉と表記されている場合もあります)から通所受給証やそれに代わるものが発行されづらく、 実際の公的支援に繋がりづらかったり、手帳(発達障害のみ、知的障害の有無、精神障害の有無)が発行されるかどうかでも受けられる支援に違いが出てくるので、“わからないことの重ね着”状態になり、「困っているのに、どうしたらいいかわからない」になる可能性も高くなってしまうのです。

発達障害にあまり詳しくない医療機関にかかり、適応障害〜鬱〜双極性障害〜愛着障害、と診断名がその度に変わり、無駄にドクターショッピングを繰り返してきた人や、受給証が発行され就労支援(からの定着支援)を受け、障害者雇用で何年も落ち着いて働けている人まで、異なる状況にありながら対人関係に悩む当事者が多い印象でした。

共感の場を求めて、課題解決のヒントになれば、自分探しのために、などなど参加者の思いは多様です。

コロナ禍では対面が叶わず、リモート開催ばかりだった交流会がようやく対面開催になり、他者との交流を待ち侘びていた人が多く参加していた印象でした。

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メディアが取り上げる発達障がい

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

最近、テレビ(主にNHK)が発達障がいについて取り上げることを目にすることが多くなりました。そのこと自体は、とても意義のあることだと思います。

一般に広く発達障がいが認知されることは、社会の発達障がい者への理解が進み、配慮された環境が整う可能性があるからです。市民権を得られつつあると言ってもいいかもしれません。

人の見る目が否定的から肯定的に変わる、人が無知から博識になる、この意義は非常に大きい。もちろん、まだまだ現実は厳しいものがありますが・・・。

一方で、メディアの発達障がいの“取り上げ方”に目を向けて見ると、いささか疑問と危惧を感じざるを得ません。

ADHDとASDに限れば、メディアの取り上げ方はどちらか一方だけと言ってもいいでしょう。そのため、発達障がいの特性もどちらか一方の特性を取り上げます。

これは間違ったメッセージになりかねません。

というのも現実は重複、つまりADHDとASDの両方を持っている人がほとんどで、したがって表れる特性もADHDの特性なのか、ASDの特性なのか、一般にはわかりにくいのが現状です。

ASDの場合、さらに大きく3つのタイプがあります。積極奇異型、受動型、孤立型です。この中でADHDとASD積極奇異型はその特性が似ている場合があるので、判別は困難です。

メディアが『わかりやすい内容』を重視するのは理解できますが、ADHDとASDを完全に分けて取り上げる、というのは乱暴でそれこそ配慮がない気がします。せめて『実際は重複の人がほとんどなので、その特性がADHDとASDのどちらなのか、見極める必要がある』ぐらいはアナウンスしてほしいと思っています。

重複の人がほとんど、ということをメディアは知らないことはないと推察します。事前に当事者や専門家に取材し、リサーチしているはずですから。それでも別々に扱っていることから推測できるのは、複雑になりわかりにくくなる、面倒なイメージが先行して、社会が(企業が)受容しづらい方向へ向かってしまう、などと考えたからでしょうか。本当のところはわかりません。

私たち視聴者に大切なことは、メディアが取り上げることは本当のことである一方、全部ではなく一部である、ということを意識することだろうと思います。関心があれば、自身で調べて理解を深めていけばいい。あくまでもメディアは知るキッカケに過ぎないもの、と思ったほうがいいかもしれません。

ここ数年、私たち視聴者もメディアの言っていることを鵜呑みにせず、自身で調べ自身の見解なり考えを持つ、という姿勢が問われています。発達障がいを取り上げる番組も例外ではありません。メディアで取り上げられている発達障がいの人たちは、あくまでも“例”に過ぎず、それで『発達障がいを知った気になる』のは極めて危険であり軽率であることを、ここで付記しておきたいと思います。

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ASD積極型/受動型【3】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

大人になってから社会、家庭での違和感や生きづらさから、精神科やメンタルクリニックを受診し(連れて来られるも含む)診断がおりる発達障害(グレー含む)の人が増えています。

発達に凸凹が大きいとライフステージによって、さまざまな不安や困り感(本人/周り)が表れます。

落ち着きがない、遅刻ばかりする、忘れ物・失くし物が多い、ケアレスミスが多過ぎる、というわかりやすい表れ方とは違い“人間関係”はわかりづらく、言葉としても表現しづらい悩みとして積み重なっていきます。

周りから「何か違う」「ちょっと変」「人の気持ちがわからないのでは?」「無責任」「無神経」、本人は「他者と上手く関われない」「誰も自分の気持ちをわかってくれない」「いつも自分が悪者になってしまう」「わからないのに教えてくれない」「なぜか嫌われる」「すごく疲れる」といった訴えを聞きます。

前回、前々回で2つのタイプについてお話ししましたが、今回取り上げる受動型は“仕事ができるかどうか”はともかく、空気は読めなくても表立って他者を批判したり攻撃的な言動がないので穏やかに見えます。おっとりとしているように見える人も多く、物腰も柔らかいので第一印象は良いはずです。

受動型の一番の特徴は“自分の考えや意見を言わない”ではないでしょうか。もちろん彼らには彼らの考えはあるようですが、他者の意見や考えに反対意見をあまり述べず、否定しないので「何でも任せてくれる」「否定されない」「受け止めてくれる(ように見える)」と、最初の人物評価は概ね良です。

社会(会社/組織)と家庭では他者との関係も距離も違い、また求められる役割も違います。組織も家庭も“チーム”だと考えていますが、どうも同居家族(夫・父親、妻・母親)の役割において周りの困り感が爆増するように思えます。

  • 言えばやってくれる→言わないことはやってくれない(想像できない、気付かない)
  • 何でも任せてくれる→自ら考え動かない(責任を負わない)

受動型が表立ってトラブルが少なく感じるのはその“受け身姿勢”にあります。前回も書いていますが、基本が受け身なので積極型のように他者都合を無視して、バウンダリーオーバーしてグイグイいくことはありません。バウンダリーだけを考えれば良識的で大人に感じるでしょう。

この“受け身姿勢”は何もない平常時は「私の気持ちや考えを尊重してくれているのね」と思われるため問題ないのですが、困るのは何らかのトラブルが持ち上がり、家族協力しなくてはいけない有事です。他者任せの受動型は自らトラブル解決に動きません(動けません?)。これは自分が困っていなければ家族が困っていても気にしない、という他者への興味関心の薄さもあります。「何とかなるだろう」という見通しの甘さに加え、「何とかしてくれる(だろう)」という他者任せの受け身な考えからくるものです。

家族が知らない間に借金を繰り返し、何度も話し合っても改善されず(話が噛み合わず奥さん側が感情的になってしまう、もセット)、生活が立ちいかなくなって離婚、夫婦で子供のことを考えようとしても「任せるよ」「それでいいんじゃない」と話し合いにならず、結局相手任せの丸投げ、よく聞くあるある話です。

自分視点が強く他者視点で物事を考えられないのはASDの特徴でもありますから、相手の気持ちがわかりません。気持ちがわからないので、なぜ有事なのか理解できません。やってもらうことに対し従属的であっても、解決しなければならないことに対して能動的にならない(なれない)のが受動型です。

ライフステージでさまざまな困り感が表れる発達障害、受診(診断を受ける)の目安を聞かれることがあります。

  • 本人に違和感や生きづらさを感じている。
  • 職場や家族など周りから勧められる←周りの人たちには違和感や困り感があるということです。

本人が困っていなければしなくてもよいと聞くことがあり、確かにそうなのですが・・・。本人に困り感がなく、周りも困り感がないのであれば受診の必要はないと思っています。障害(脳のクセ)ですから、診断を受けたからといって治療をすれば完治するものではありません。私は本人が「自分を知り、自分(&周りと)とどう付き合っていくか」を考えるきっかけと、周りが「こう接していけばいいのか」を知る最初の一歩にするのがよいのではないかと考えています。

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ASD積極型/受動型【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

三つ組の特性があるASDにはさまざまなタイプがあります(ADHDにも3つのタイプがあります)。何度も書いていますが、三つ組の特性にも人により濃淡があります。こだわりの種類も違えば、こだわりの強さも違う、他者への共感が低いASDでもADHDを重複していると共感力を持ち合わせていたり・・・。

  • 一人が好きで他者との関わりをできるだけ避けようとする故に、ミステリアスで“変わり者”と見られやすい孤立型
  • 自分から積極的に社会や人と関わるのは苦手だが、基本受け身で誘いがあれば交流するので、一見何の問題もないように見える受動型
  • 他者と積極的に関わりを持とうとするが、空気を読めず失礼な発言、場違いな言動が多く、「ちょっと、ヘン?」と遠巻きにされがちな積極奇異型。

息子はADHD(不注意/衝動性/多動混合型)強めのASD積極奇異型で、人が大好きで他者と関わりたい、コミュニケーションを取り仲良くなりたいタイプです。彼のさまざまな特性をわかってはいても、共に生活をしている親としては、しょっちゅう小地雷を踏まれ傷ついたりモヤモヤしています。

「母さんの唐揚げ美味しいよね」と言ってくれれば素直に喜べるものを「母さんの唐揚げは○○(スーパーや店)よりマシだよね」という言い方をニコニコしながらするので、モヤったりイラッとします。彼としてはきっと褒めているつもり、感謝しているつもりなのでしょう。

ある時は「○○って知ってる?」と聞くので「知らないなぁ」と言うと、「知らないの!?」と、さも知らないことが信じられないという返し方をしてきます。「そうなんだ、○○というのはね・・・」と繋がればモヤらないものを「そんなことも知らないんだ」ニュアンスで返してくるので微カチンです。親がそう感じるのですから、真っ赤な他人や他者はどう感じるのか言わずもがなです。

毎回毎度「言い方考えなさいよっ!」です。

この“微妙さ”は他者を微カチンさせるのに十分で、これが繰り返されると「なんかあの人と話してるとイライラするんだよね」「楽しくない」になります。もちろん彼らにまったく悪気はないのをわかっていますが、悪気がなければ他者の気分を害してよいわけでも、発達障害があったとしてもそれが免罪符にもなりません。裏を返せば、百歩譲って正直で素直という言い方ができなくもありませんが、やはり他者を不快にしやすいことに変わりはありません。

積極奇異型はバウンダリーオーバーしがちなので、それを不快と感じる人も出てきやすい気がします。知り合ってから関係を築いていくには、それなりの時間が必要だと思いますが、積極奇異型にADHDもあると人見知りをせず人懐っこいので、他者ペースを考えずグイグイ行きがちで、時としてそれは無神経で無礼に映ります。無邪気なのですが「関わって大丈夫な人かな?」と不安になる人、疎ましく思う人もいるでしょう。

これはどちらのタイプにも言えることですが、言ったことはやってくれるのですが(息子はADHDもあるのでマッハで抜け落ちますが)、「えっ!?そこまで言わなきゃわからない?」「考えればわかるよね?」も日常的に多くあります。ASDがイマジネーションの障害と言われる所以です。

ずいぶん前ですが「食べ終わったらお皿、洗っておいてね」と言ったところ、お皿しか洗ってなかったことがありました(笑)お茶碗は?お椀は??と思いましたが、字義どおりにしか受け取れず、その先にまで考えが及ばないASDの息子に、私は「食べ終わったら使った食器類を全部洗ってね、お皿の裏も忘れずに」と言わなければいけなかったのです。←定着するまでそれを毎回毎回言うのはかなり面倒に感じます。

同じように受動型と思われるパートナーを持つ友人も、「指示を出せばそのとおりに動いてくれるけど、なぜその指示を出したのかその意図、意味までは考えられないから、少しでも指示が足りないと物の見事に抜け落ちる」と話していました。

また、ASDには抽象的/概念の理解は難しい人が多く「適当に」「そのあたりを」「なるはやで」などはまず伝わりません。「3ページまで」「一番上の引き出しと本棚の二段目まで」「午後までに」のように具体的な指示が必要です。

抽象的な概念といえば、例えば“反省”を例に出します。

何かしでかしたり間違った時に言葉として(形として?)、“謝罪”はできますが「何について叱られた」のか、わかっていないことが多いので、謝罪→反省(どこが悪かったのか)→振り返り(自分はこうやってしまってたな)→行動変容(次はこうしよう)に繋がらず、同じ過ちを繰り返しやすい傾向にあります。もちろん、そこには先の見通しを立てることが苦手、イマジネーションの障害、独特の捉え方をする認知の歪みなど、特性からくるものもあるので、互いの認知を出し合い、擦り合わせや打開策を考えなければ「いつも口ばかり」で使えない人と映ってしまいます。

ワーキングメモリーが少なくキャパシティも小さいため、幾つもの事案が重なって叱責されていると、一体何について言われているのかわからなくなります。『遅刻が多く朝礼に間に合わないため業務連絡が行き届かない!』と叱責されると“何について”叱られているのかわからなくなります。要は『遅刻するな』ですが、文節が多く長いと理解しにくい特徴があるのです。

最終回となる次回は、受動型にフォーカスしてお話ししたいと思います。

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ASD孤立型重複なし【3】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

このシリーズの最終回です。

私たちは何かあったり何もなくても、ふと人恋しくなったり寂しさを感じます。わかってほしいのにわかってもらえない時やショックなことがあった時、気持ちが荒んだり落ち込んでいる時にも、孤独感や絶望感を感じます。

孤立型も寂しさや絶望感を感じることはあるそうですが、特に寂しさについてパートナーの場合、“行きつけの店がなくなってしまった”“桜が散ってしまった”、“夏の夕暮れ時にヒグラシの鳴き声を聞いた時”のように、愛着や風情に対してが主で、人恋しい寂しさではありません。基本的に人が好きではないですしね(笑)

長く一緒にいて信頼してくれているのか、私にはバウンダリーがほとんどないので弱音や愚痴を吐くこともありますし(ありがたいです)、孤独感や絶望感に苛まれている場面も見ていますが、それも私たち定型が感じる孤独や絶望とは種類が違います。

元より他者に興味がありませんし「相互理解なんてできないのが当たり前、できない努力をするのはナンセンス」という考えの持ち主ですから、【2】でパートナー自身が言っているように、他者に自分をわかってほしいとも他人を理解しようとする気持ちもなく、わかってもらえないからという理由で孤独や絶望を感じることはありません。

「人はわかり合えないものだ」とある意味達観していますから、そこにわかってもらえないもどかしさや、わからない不安を感じない、というところでしょうか。ただ、わかってくれたことに対しては「ありがたいな」と思うそうです。パートナー曰く、文字どおりの『(他者が自分をわかってくれることなど)“有り難きこと”』だからだそうです。

一人が心地よく、一人でいても孤独や寂しさを一切感じず、むしろそれを望む孤立型は、一体どのような場面で“孤独”と感じるのでしょうか。ネガティブな感情や気持ちに折り合いをつける過程もその一つでしょう。ただ人恋しさのような孤独を感じるのは、どんな場面なのか、パートナーに聞いてみました。

「そうだな・・・強いて言えば自分が信頼している人がこの世に誰もいない、と感じた時かな。その時は孤独を感じるかなぁ。あくまでも“オレが信頼している人が”、ね。つまり、その人がオレをどう思っているかは関係なくて、だから必ずしもお互い信頼し合っている必要はないんだよね。平たく言うと、オレがオレの味方だと“勝手に”思う人。友人とはまた質が違う。他者に興味や関心が極めて薄いのは確かなんだけど、自分が信頼する他者、あるいは自分が味方だと思う他者が身近にいてはじめて一人が心地いいと思えるという・・・アイロニーだね。オレは孤立型であっても世捨て人ではないから『無人島がパラダイス』ではないんだよな。そこは誤解しないでね。『港があるから航海できる』みたいなイメージ。まぁ大なり小なり矛盾を抱えた生き物が人間かもしれないけど。そう思うと自分も人間であり、その人間という生き物の性(サガ)をまざまざと思い知らされるね。ある意味人類最強なのは、カネ持ちでも権力者でもなく、世捨て人かもしれないと思うよ。」

私たち定型とは感じ方や感性がずいぶん違うことがわかるでしょうか。

こうやって見ると、発達障がいは重複しやすいと言われても、孤立型はADHDと対極にあり、重複しづらいことがわかると思います。何しろ、自分から他者と関わらない絶滅危惧種の孤立型に出会うこと自体が稀(奇跡といってもいいぐらいです)なので、データなど取れませんが、好奇心旺盛で気になることがあると次々とあちこちに興味が移る、失くしもの、忘れ物が多い、時間にルーズなADHD要素は微塵もありません。ASDしかないパートナーは超がつく慎重派で持ち物管理はキッチリしているし、逆算して遅刻しないように行動するので自己管理もバッチリです。ある意味定型よりもシッカリしている気がします。

私はアスペホイホイと言われてしまうほど、周りにASD(重複含む)が多くいます。アスペルガーのすべてのタイプ(積極奇異/受動/孤立)が勢揃いしているので、見えない部分のわずかな違いをつぶさに感じることができるのが実は楽しみでもあります。

発達障がい続きになりますが、次回から孤立型以外のASDタイプについて、カサンドラも絡めながらお話ししようと思います。

ひと言でASDと言ってもタイプによって(重複を考えないといけませんが)、すいぶん違うことがわかるコラムになると思います。

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ASD孤立型重複なし【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回からの続きで、私が感じる特性(特徴)とパートナーに聞き取りをしながら書いている【2】になります。それでは実像に迫ってみましょう。

『ASD孤立型重複なし』はASD三つ組の特性の中でも、特に人間関係の考え方や築き方に特徴があるようです。

基本はASDなので特性に濃淡はあっても強いこだわりやマイルールは当然ありますし(私は気にしておらず、そのこだわりを尊重しています)、自分のペースを乱されたり先の見通しが立たないことや、いきなりの予定変更には私たちが考えられないくらいの強いストレスを感じるそうです。例えば、今日からこうしてください、今日からこうします、と言われた時、表面上は了解し従うものの、内心では拒絶反応があるようです。つまり、拒絶しながらも従っている、という矛盾を抱えた状態になるようです。表面上はまったくわかりませんね。

またネガティブな感情や気持ちを整理したり、折り合いをつけるにも結構時間がかかります。『寝たら忘れる』などお気楽さはないようで、パートナー自身の問題として時間という薬が必要です。長い時は1週間から2週間かかるそうです。その間、折り合いをつける過程で、内心で起きているのは自暴自棄であり、絶望であり、怒りであり、負のスパイラルに陥って極論まで含めた相当な葛藤があるようです。

そのような時は少し話すとわかるので、そっと見守るという放置タイムになります。ここで「何で?」「どうかした?」「どうしたの?」を繰り出すと、あまりのウザさに心のシャッターをピシャリと閉め“閉店”あるいは“閉鎖”、下手をすると強制終了(別れる)になる可能性大です。

普段からこっちに来るなオーラが無意識に出まくってしまうのと、見た目も怖いので(人当たりは抜群に悪い)、人混みを歩いていると自然とパートナーの前には道が開け、誰にもぶつからずに早足で歩いています(まるで海を割るモーゼの十戒のような?)。歩きやすくて羨ましい限りですが、一緒にいる私はなぜかガンガンぶつかられます。一緒に歩いていても、その恩恵は受けられません・・・残念です(泣)

「友人はいない」「いらない」と言い切っていますが、一緒に食事を楽しむ“知り合い以上友人未満”のような人はいるようで、孤立型で他者に無関心ではあるものの、人嫌いという訳ではなく引きこもりでもないので、お酒も飲む彼は歓楽街へ飲みにも行きます。ただし必ず決まって一人で行きます。誰かを誘って飲みに行こうとは決して思わないそうです。

行動“だけ”を見れば、とてもASD孤立型には思えませんが、やはりそこは孤立型、「たまには誰かと食事へ行くし、ホステスさんがいるお店に飲みにも行くけど、いつも内心は『独り』の感覚」だそう。

それはどういうことか尋ねたところ、

「物理的には一緒に飲み食いしながら何かしら話しているけど、精神的には一緒にいる感覚はない。分離している感じ。交流しているようで実はしていない感じ」

よくわからないので、さらに説明を求めたところ、

「例えとしてどうかわからないけど、同じコップに入っている水と油みたいなイメージ。そもそも同じコップに入りたくないのが基本スタンスだから、同じコップ(一緒に飲み食いしている)に入っている時点で自分としては十分なんだよね。だから入っているからといって、わざわざ混ざり合うことはないかな、と。相手が水でオレが油だとしたら、水と油は決して混ざり合わないで分離するでしょ?話が合わないという意味では決してなくて、それなりに楽しいんだけど、たぶん共感という界面活性剤がない状態だから、感情の部分で交流できていないんだろうね。水と油が入った瓶を振ると混ざったようになるけど、振るのを止めたらすぐ分離するでしょ、あんな感じ。会話している時は瓶を振っている時と思ってもらうといいかも。ドレッシングなコミュニケーションだな(笑)」

独特な例えだなと思いながら、なるほど共感力が乏しい故に内心では独り、と感じるのは頷けます。だからといって、孤独感に陥って落ち込んだり寂しくならないのは、孤立型特有の『他者に興味・関心がほぼないことが基本スタンスであり、そもそも一人がいい』という特性の成せる技なのだろうと思われます。

私はつまらないほど定型なので、仲のよい友人とはくだらないやり取りをしょっちゅうしていますし、バウンダリーも当然近いと思っています。そのため間違いなく互いに友人と認識し、存在に感謝し合っている(だろう)と思っていて、その感覚とパートナーのそれはまったく違うものに感じます。

パートナーの場合、私のように互いに友人と認識し、存在に感謝し合う関係になるまで、相当な時間を要するだろうと想像します。いや、最初からそんな関係は望んでいないかもしれません。会うのは年に2〜3回、連絡は会う際の段取りを決める時だけ、会っても交流しているようで実はしていないとなれば、私が私の友人達に対して思っている感覚に至るのは、現実的には正直難しいだろうなと思います(笑)下手をすれば自然消滅することが濃厚です。

その点をあえて聞いたところ、

「自然消滅した人?、うーん、自然消滅したかどうかわからないけど、長いこと連絡を取り合っていない人は何人かいるよ。」・・・やはり(笑)

さらに、もしそういう人から久しぶりに連絡があったらどうするの?と聞くと、

「普通に話すし、会おうとなれば会うよ。別に嫌いな人じゃないから。」

逆にずっと連絡がなかったら?と聞くと、

「それはそれで構わない。だいたい自然消滅はお互い確認のしようがないから、個々人の時間軸で計って、自然消滅したと思ったほうが勝手にピリオドを打つんだよ。」

でした。パートナーの中では自然消滅している感覚はないようで、たまたま長い間会っていないだけ、に過ぎないようです。仮に自然消滅していたとしても構わないと言い切ってしまうあたり、まるで一期一会のような人間関係の構築ですね(笑)

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ASD孤立型重複なし【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです

タイトルの『ASD孤立型重複なし』とは、長くお付き合いしている私のパートナーのことです。コラムにも時々書いていますが、数々の修羅場や私のカサンドラ沼を越えて安定した今があります。

今回は圧倒的少数派、レッドリスト“CITES1”(※)間違いなしの絶滅危惧種で、ドクターですら滅多に出会えない希少種『ASD孤立型重複なし』について、パトーナーを通じて深掘りしようと思います。

※CITES:ワシントン条約のことで附属書があり、そこには動植物や加工品、剥製が記載されている。付属書は1〜3まであり、1に記載された動植物などは、すでに絶滅の恐れがあるため 『取引禁止』とされている。

私自身、多くの発達障がいの方とお会いしていますが、パートナー以外で『ASD孤立型重複なし』と出会ったことはありません。書籍はもちろん、インターネットですら『ASD孤立型重複なし』について詳細に書いてあるものはごく僅かで、三つ組の特性は持ちながらも、その実態は謎のベールに包まれています。“アスペ受動型のダンナあるある”や“アスペ積極型の特徴”は、たくさんあるのに、です。

なぜ出会わないのか??

考えるに、パートナーの場合、知的に高くアスペでありながら、本人は過大なストレスを感じながらも、社会生活を送る上での高い擬態スキルが備わっていることが挙げられると思います。この高い擬態スキルにより、仕事など社会生活を送る上での困り感を解消し、ある程度適応できていると考えられます。実際にパートナー曰く、

「心が病むほど社会生活に別段困り感もないから、心療内科とかそれ関係の病院へ行くこともない。過去一度も行ったことがない。だいたい自分の思うとおりにならないのが世の常でしょ?」ということです。なるほど、だから出会わないのかと思いました。

そもそも『ASD孤立型重複なし』は人に興味・関心が極めて薄い(定型からは興味・関心がないに見える)ことに加え、他者とのバウンダリーが向こう岸が見えないくらい広く(アマゾン川くらい)、時間をかけてもおいそれホイホイと心を開いてくれません。

この点をなぜかと問うてみると、

「他者への姿勢は基本“性悪説”だから」

というユニークな返答でした(笑)

そもそも自分を理解してほしいとも、他者を理解しよう、したいという気持ちがありません。パートナー曰く、

「話したいとも仲良くなりたいとも思わないし、むしろ関わって来てほしくない。当然自分のことをわかってもらいたいなんて考えたことがない。だから当事者会みたいな場所に自ら進んで行くことはまずないし、行く必要性も感じない。知らない人がたくさんいるパーティーとかも苦手。」らしいです。

なかなかの徹底ぶりですが、他者に関心がないとはいえ、家族はもちろん、一部の自分に深い関わりがある信頼している人はいるようです(いるからといって、積極的に会いたいとはあまり思わないらしい)。それ以外の、いわゆる“真っ赤な他人”(通りすがり/行きがかり上、関わらなくてはいけない)に対しては、非情ともいえる無関心なのだそうです。人嫌い以前のところですね(笑)

その非情ともいえる無関心の度合いとは、人に道を聞かれる、観光地で写真を撮ってくれますか?と頼まれる程度のことが相当面倒で軽いストレスすら感じるようです。いわんやその逆、自分が人に道を聞く、人に写真を撮ってもらうなど論外で、自分から真っ赤な他人に関わりにいくなど、余程の事情でもない限り発想しないそうです。

とはいえ無関心で興味がないからといって、他者に失礼な態度を取ったり、暴言を吐いたりすることはまったくありませんし、むしろ義理堅く、とても律儀で礼儀正しい一面もあります。この点に問題はなく、むしろ極めて常識人です。ただ、

  • 近寄り難く隙がない。
  • 話しても答えるのみで返しがない。「ご出身は?」「東京です」で終わってしまう。
  • 見た目がとにかく怖い(笑)←スーツ姿は会社員(カタギ)に見えない(笑)

これが初対面の人のパートナーに対する印象のようです。なんか最悪な印象ですよね(笑)

次回は【2】として、さらに『ASD孤立型重複なし』の実像を垣間見ていきたいと思います。

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ASDはなぜ攻撃的と言われるのか【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の続きで、今回はASDの脳機能や特性から考える、“なぜ感情コントロールが難しいのか?”をお話しします。

発達障害(グレー含む)があると、脳の前頭葉の一部で神経活動が低下していると言われています。前頭葉は感情をコントロールしたり、思考やさまざまな注意、情報処理や実行機能を司っています。この部分の働きが弱いと感情コントロールが難しく怒りっぽくなってしまうのです。

また、ワーキングメモリー(作業記憶/短期記憶)の問題もあります。ワーキングメモリーは、一時的に記憶を保持したまま複数のタスクを実行していくための必要不可欠な機能ですが、発達障害があるとワーキングメモリーの容量が少ないことがわかっています。

16歳の息子を例に出すと、一度にひとつの指示なら問題なく入りますが、指示が2つになるとひとつは怪しくなり、3つになると2つは抜け落ちます。記憶の保持が得意ではないので「食べ終わったら食器は下げて洗い、ポン酢は冷蔵庫にしまって、残った小鉢はラップをかけて冷蔵庫、忘れずにクスリも飲んでね」←こんな指示を出そうものなら、あちこち抜け落ちてグダグダになります(笑)

一斉指示が通りにくいと言われる理由はここにあります。

学校では「次の時間は体育だから、体操服に着替えたらハチマキを準備し、今日使うボールを体育館に取りに行ってから校庭に集合、班ごとに並んで待っていてください」などと指示されますが、抜けまくりです。ただ、周りを見て他のクラスメイトたちの真似をすることで、上手くいくこともあります。

横道に外れましたが、このワーキングメモリーは、不安や心配事があったりストレスフルになるとあっという間に容量がいっぱいになります。キャパシティーオーバーの状態です。

こうなると、他のことを考えたり感情をセルフコントロールすることまで脳の手(?)が回りません。誰でも思いどおりにならないとイライラしてしまうものですが、発達障害がある人は余計に負荷がかかり、イライラしやすくなるため、怒りっぽい/キレやすい、と思われてしまうようです。

ASDには、あちこちに本人にしかわからない“こだわり”があるのですが、そのこだわりの強さからイライラしやすく攻撃的に見えてしまう人もいます。

息子が通院している精神科は発達障害を専門に診ている数少ないクリニックなので、突き抜けて個性的な患者も多く、時折、こだわりを曲げられず折り合いもつけられず、受付でブチギレている人を見かけます。実際にこんなことがありました。

患者:あそこにある時計が5秒遅れている!予約の時間がもう15秒過ぎているが、時計が5秒遅れているせいで、自分は20秒も待っている!一体何秒待てばいいんだ!(怒)」←この人は両腕合わせて4個も腕時計をつけていました。

数や時間、決まった手順でのやり方などにこだわりがある発達障害の人は多いですが、秒単位で強いこだわりをみせる人に出会ったことがなかったので、『クリニックも大変だろうけど、何より本人が生きづらいだろうな・・・』と思いながら眺めていました。

こだわりの内容や強さは人によってまったく違います。一方で“こだわりは強いけど場面に応じてこだわりの順位を入れ替え”たり、自分なりの折り合いの付け方を身につけている人もいます。こういう人は順応力、適応力が高いため、ASDであるけれども周囲からはASDとは気づかれない傾向にあります。

このように、特性からくるあれこれで定型と言われている人たちに比べると、不快になったり怒りっぽくなってしまうのは事実です。

理由もなくブチギレているわけではないので、一旦クールダウンしたり、時間をかけて丁寧に聴き取る、などを試し、互いに良い関係を築けるよう心がけてみたいものですね。

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ASDはなぜ攻撃的と言われるのか【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

時として「ASDは攻撃的だ」と捉えられてしまうことがあります。

これは特性だけではなく、脳機能や本来その人が持っている気質も深く関係してくるので、一概に『ASD“だから”攻撃的』とは言い切れないということを注意した上で、さまざまな特性があるという側面からASDを理解すると何となくわかるかもしれません。

定型と言われる人たちと比べ、社会性/イマジネーション/コミュニケーションに弱さや違いがあるASDですが、独特のコミュニケーショスタイル以外にも多くの特性があります。

もちろんASDだからといって、皆が皆、同じ濃さで特性を持ち合わせているわけではなく、濃淡があります。これはASDに限らず、発達障害を考える上で重要なポイントです。

ある程度共通する特性としては、次に示すようなものがあります。『ある程度』というのは特性の濃淡により、強く出る特性とそうでない特性が人によってバラバラだからです。しかし、総じて次のような特性自体は持ち合わせていると言っていいでしょう。

思ったことをそのまま言ってしまう。

興味関心があることへの強い探究心。

空気を読むことが苦手。

急な予定変更や先の見通しが立ちづらいことに対し、強い不安・不快感情を持つ。

日常生活のルーティン化。

暗黙の了解や言語化されていないことを読み取ることが苦手。

他者の気持ちや感情を汲み取ったり、想像することが苦手。

マイルールが強い。

こだわりが強い。

(主に初対面の人との)雑談が苦手(特に意味のない雑談)。

気持ちの切り替えに時間を要し、ネガティブな感情をしばらく引きずる。

などなど。

これらの特性は意識的に見れば認識できることがありますが、目に見えないことが多いだけに、通常認識することは困難です。また、ADHDのように“忘れっぽい”“片付けられない”などとまったく違う特性も多くあります。

発達にアンバランスがあるとストレス耐性が低いためストレスを感じやすく、また、生きてきた中で否定されてきた過去からレジリエンス力(※)も低いので、リカバリーにも時間がかかります。切り替えが苦手な彼らはこの時間、とても苦しい(苦痛・不快・苦悶・無気力・絶望・自暴自棄などなど)時間を過ごしています。

※レジリエンス力:落ち込んだ後など、気持ちが乱れた後に立ち直る力。

次回はASDの脳機能や特性から考える、“なぜ感情コントロールが難しいのか?”をお話しします。

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注意機能【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人には触覚をはじめ全身に多くの感覚器官があり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚からも膨大な量の感覚情報が大脳に送られます。

しかし、脳の情報処理には限界があるため入力された一部の感覚情報を取捨選択しています。今重要な情報にフォーカスし意識を向け集中するというのが注意機能の役割になります。

人の意識には無意識(潜在意識)/意識(顕在意識)があるのはご存知だと思います。生活する上で今必要な情報を抜き出し意識に上げ(顕在化)、大部分の情報は意識に上げない(潜在化)フィルターを持っています。

定型(もしくは健常者)と言われるタイプの人は、五感から入る多くの情報から無意識に今必要(重要)な情報を拾い上げ(選択・集中)顕在化しています。

スマートフォンで行き先を確認しながら歩いていて横断歩道に差し掛かった、と想像してみてください。目の前の信号を確認するのはもちろん、対向車が右左折しようとしていないか、スピードを出した車がこちらに向かって来ていないか、点滅する黄信号で向こうに渡り切れるか、自転車やバイクはいないか、渡ったらどちらの方向か、などさまざまな情報を無意識に感覚器官から受け取っていますよね。

定型(もしくは健常者)が意図せず無意識にやっている作業でも、発達障害/高次機能障害/認知症などがあると、多くの情報から特定の情報を拾い上げる注意の集中・選択が苦手だったり、できないことで日常生活に支障が出ることも多くあります。

ASDなどで感覚過敏があったりADHDがあると、感覚情報が多すぎて押し潰れそうに感じたり、脳内整理ができずパニックになったり、思考がフリーズしてしまう場合もあるのです。

自分ができることは誰でもできるだろうと思ってしまいがちですが、目に見えない特性から不得手だったり、できない人もいる、ということを知るのは大切なことだと思っています。

4月のコラムは5日水曜日は春季休業のため休載し、10日月曜日より掲載します。

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