サラリーマンは実は偉人

メンタル・イデア・ラボ代表のスミです。本城に無理を言って、今回は私がコラムを書きます(笑)。

【サラリーマンは実は偉人】、今では会社員、ビジネスマン、ビジネスパーソンという言い方が主流かもしれませんね。サラリーマンは男性的なイメージがあるし、古い表現というイメージがあると思います。また英語ではなく和製英語であることも、グローバルな今の時代に相応しくなく、また仕事のキャリアを積む女性が増えたこともあると思います。一方で、

新橋と言えばサラリーマンの聖地

と言われています。ビジネスマンの聖地、会社員の聖地という表現は、ほとんど耳にしません。女性の街というイメージは昔からなく、いわゆる『オジサン』が集う街という特殊なイメージが強いゆえに、新橋はあえて『サラリーマンの聖地』と言われているのだろうと、勝手に思っています。確かに新橋はオジサンが多いです(笑)。

ここで、あえてサラリーマン(女性会社員も含む)という表現を使うのは、今も世間に根強く<サラリーマン=凡人>というイメージがあるのではないか、と思うからです。私も若い頃は凡人がなるもの、と勝手に思っていました。しかし、年齢を重ねるにつれ、また社会に出て経験を積むにつれ、どうやらサラリーマンほど凄い人達はいないのではないか?と思えてきたのです。

今でこそ若くして起業し、成功を収めている人もいて、彼らも確かに凄いと思います。しかし、彼らは特権があります。それはその組織の中で『経営者』という権力者である、ということです。権力者はある程度自分で物事を判断し、決定することができます。つまり、組織の中では誰の顔色も気にする必要はないのです(大企業となるとそうも言ってられないかもしれませんが)。これは組織人として物凄い特権です。社長がオーナーでもある企業の意思決定が早いのは、社長がその特権をフル活用できる立場だから、とも言えます。

しかし、サラリーマンは真逆の立ち位置にいます。上司はもちろん、同僚や部下にまでいちいち顔色というか、気にかけなくてはいけません。自分の一存で決定できるのは少なく且つ限られています。つまり、

サラリーマンは人間関係に神経を使いまくる人達、

と言っても過言ではありません。人間関係に神経を使いまくる、というだけでストレスは相当なものだろうと容易に想像できます。その中で日々晒されていると思うと、それだけで凄いと思います。

忍耐力、コミュニケーション力があってもなくてもサラリーマンをしなければならないという立場。息苦しそうです・・・。それでも彼らは日々曲がりなりにも仕事をし、生きています。私の父は70代後半で既に定年退職していますが、年功序列、終身雇用という日本型経営にどっぷり浸かり、その恩恵も受け、時に清濁併せ吞み、家族のためを思いながら、一度も転職することなく大学を卒業して定年まで勤め上げました。今の私からすれば頭が下がる思いです。これはもう一種の才能ではないか、と思うほどです。

私の父のように現在70代くらいの人にとっては、それが当たり前の時代でした。日本で転職が当たり前になったのは、ここ20年くらいの話だろうと思います。転職はできる環境になったとはいえ、組織で働く以上どこに就職しようとサラリーマンです。人間関係に神経を使いまくることに変わりはありません。それを続けることは

経営者とはまた次元の違う物凄い才能ではなかろうか、

と思うのです。私からすればもはや凡人ではないということです。メンタルを病み、残念ながら休職、退職してしまっている人は才能がない、ということではありません。そういう人達は、たまたま才能を上手く活かし切れていないに過ぎず、才能自体は持ち合わせていると思っています。才能は自分ではわからないものです。(あなたには)こういう才能がある、と言えるのは他者であり自分ではありません。才能があると言われている人は内心では迷い、もがき、悩み、時に苦しんでいることが多いのではないでしょうか。

そう考えると、あれこれ迷ったり、悩んだりすることは生きている以上付いて回るもので、才能があるゆえ、とも言えると思います。ロボットは機械なので悩んだり、迷ったりしないので才能はないと言えます。一方でそういう才能はないものの高性能なロボットを作っているのは、他ならぬサラリーマン達だ、という事実に目を向けたいと思うのです。

経営者も経営者としての才能があることは認めます。しかし、その下で働くサラリーマンがいなければ事業は成り立たないことも事実です。つまり、どちらかが偉い、凄いということはなく、立場の差こそあれ、お互いさまな存在だと思うのです。サラリーマンだからといって、自らを卑下することもなければ、凄いと思うこともないし、経営者も経営者だからといって特別凄いも何もないのではないかと思います。むしろ経営者側に成金趣味を露骨に出し、メディアに出たりしている人がいて民度、人格を疑います。サラリーマンにそういう人達はいません。せいぜい飲み屋や後輩、親しい友人に対して自慢し、他者からは器が小さいと囁かれるのが関の山です。そういう人達に才能はないとは言いませんが、サラリーマンでも民度や人格、人望は成金趣味の経営者と同根な残念な人達も確かいにいます。

ストレスに晒されながら組織でいかなる地位に就こうとも決して驕らず、日々粛々と仕事をし、真面目に日常を生きているサラリーマンこそ、よっぽど人格者ではないだろうかと思います。特に飛び抜けたこともなく、別段高給取りでもない、しかし、きちんと仕事をこなし、人間関係に気を遣って毎日を生きているサラリーマン。こうして書いてみると、愛しささえ覚えます。そういうサラリーマンが日本経済の一端を担い、この国が成り立っていると思うと、本当に偉人だと思わずにはいられません。

そういう意味では、私はサラリーマンの才能は持ち合わせていないのかもしれません。過去に二度、会社をクビになったことがあります。しかし食べていかなけれななりません。あるご縁で独立という道を選んで今に至っている次第ですが、なかなか茨の道ですね(笑)。しかしこれも何か意味があると思い、歩んでいこうと思っています。

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発達障害/思春期の面倒臭さや現状支援を息子を通して考える

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達障害は、早期療育(支援級通級、支援クラス)や青年期になってからもSST(ソーシャルスキルトレーニング)、自己理解やさまざまな工夫により生きづらさを軽減できる対策が取れる場合もありますが、生きづらさを薄めることができたとしても生涯にわたり抱えていく“特徴”や“特性”です。

当事者の生きづらさや困り感、また、関わりを持つ周りの戸惑いや困り感は、生涯にわたり同じ表れ方ではなく、学校、職場、家庭を持つなど、ライフステージの変化でかなり違った表れ方をします。

性差や環境によっても違いますし、二次障害を併発していると表面化した二次障害の症状にばかり目が向き、根底にあるかもしれない生きづらさの原因に発達障害が関わっているかもしれないことを見逃しています。

中学2年の息子を見ていくと、集団生活が始まる3〜4歳から小学校2年生までは、“やたらミニカーを並べる”“数字に対するこだわり”“電車に対する興味”や、言語明瞭意味不明瞭と、私の感じる違和感以外、特筆すべき問題はなく、人見知りゼロ、友達関係良好、成績優秀、生活に影響あるこだわりなし、メンタル安定、生活習慣問題なしでした。

小学校3年生以降、徐々に特徴が目立つようになり、次々と特性が表面化、同時に友達関係が拗れやすくなっていきます。相変わらず成績は優秀でしたし、すべてに積極性があることから、私がさまざまなエピソードで訴えても、児童精神科に育児観察日誌を持ち駆け込むまで、遅れや何らかの障害を一度も疑われることなく、「お母さんの気にし過ぎ」「もっとおおらかに見てあげないと」と、まるで私が神経質で育児ノイローゼ気味かのように(笑)、取り合ってもらえませんでした。

小学校では提出物も少なく、低学年では何かと保護者を巻き込み確認していくプリントなどが多いのですが、学年が進み持ち物や提出物の準備、管理を自己責任で負っていく高学年〜中学生になると、小学校とは比べ物にならないくらいあちこちに困り感が増していきます。

提出物の期限が守れない→忘れやすいこと、気が進まないことを先延ばしする、「ま、いっか、なんとかなるだろう」と軽く他人事のように考えるADHD特性があらゆる場面で爆増。時間の逆算ができなかったり、時間感覚が現実と違うので、「まだ大丈夫」とのんびりまったりしてしまい、出かける寸前で慌てる、遅刻する・・・が激増。

提出物を提出しないので評価が悪くなり、テストで点数が良くても成績はダダ下がりますし、忘れ物も改善されないので、テスト以外の評価もやはり下がり気味です。“計画を立て遂行する機能”が弱いので、復習やコツコツとテスト勉強をするのは難しくなります。見ていて気付くのは、遂行/実行機能が弱くても、計画を立てることは何故か好きで、やたら綿密に細かく予定を立てます。ですが、実行機能に弱さがあるのがADHDなので、結局は“予定立てただけ”に終わります。また、やたらと高くに目標設定するクセもあるため、ここでもメタ認知(認知を認知する力)の弱さを感じます。

本人は“できる”と思って頑張るつもりで予定を立てているので、できない予定を立てているつもりはありません。

人間関係では、思い込みの強さや、他者の考えや気持ち、意見を聞いて柔軟に自分の認知や思考に修正を加えることが苦手で、独特の認知からくるコミュニケーションスタイルや、メタ認知の弱さ、共感力の低さというASDの特性から躓きが起こり、拗れを生みやすくなっていきました。

【思ったことをそのまま口に出して他者を不快にしたり傷つけてしまう】は、ASDにもADHDにもあることですが、人間関係に躓きが起きる原因では、どちらの特性が強めに表れているのかで対策が変わってきます。

息子のように重複だと複雑なのですが、ADHDの特性として強く表れると、

▶︎思い付いたこと、思い出したこと、話をしていて引っ掛かった(気になった)キーワードから「今すぐ話したい」という気持ちが抑えられなくなり、他者を不快、怒らせてしまう言い方を“わかっているのに”話したい気持ちを我慢できずそのまま衝動的に口に出してしまいます。

ASDの特性として強く表れると、

▶︎共感力とメタ認知が弱く「今これを言うと場にそぐわないかも」「この言い方だと傷つけてしまうかもしれない」「この人に失礼にあたるだろうな」を考えられません。もちろん、パターン化して学習していく力はあるので、上手く「こういう場ではこう言うのが正解だろう」と学ぶと、よほどパターンが違わなければそれなりにやっていけるようになります。

「思ったことは何でも(他者感情を考慮できず)口に出す」素直さが、時として他者を愕然とさせたり、周りを凍りつかせることになるのですが、本人は「間違ったことは言っていないんだけど」と思っているケースが多く、何故指摘されたり叱られるのかわからず、理不尽を感じて不満を募らせていきます。

他者の見えない感情や思考まで考えて、相手のことを慮ったタイミングや言葉を選びましょう・・・は、とても難しいものですし、「何故そんなことまで考えて話さなきゃいけないの?」とも思うのでしょう。

人間は言語を意思疎通のコミュニケーションツールとして使い(仕草や視線、表情などノンバーバルコミュニケーション含む)、そこに共感(と感じる)や寄り添い(と感じる)を感じ取ることで、親しみを持ったり信頼を築く土台になっていくものです。言いたいことを思ったまま口に出すことを一概にいけないこととは言いませんが、『自分勝手』『思いやりがない』『ワガママ』と誤解を受けやすくなるので、社会生活をする上で自分にとってはプラスに働きません。

小学校6年生から今も通級に通う思春期真っ只中の息子は、定型思春期でも面倒臭いのに、発達障害のややこしさがプラスされてなかなか一筋にはいきません。

家庭ではまだまだ課題山積のように見えても、あれほど学校生活で問題が起きていたことが中学2年になるとメッキリ減りました。本人の成長があるのはもちろんですが(発達障害は発達しないのではなく、発達がゆっくり、言えます)、通級という形で個別指導を何年も受けていることも他なりません。

ASDでは特に弱いさまざまな認知機能やコミュニケーション(アサーションにも取り組んでいます)、ADHDでは思考の整理の仕方や忘れ物対策というライフハックを個別指導してもらっています。

発達障害がなくても大変な思春期、発達障害があると思春期はかなり大変です。二次障害を併発してしまうのも多くはこの時期です。

ようやく思春期の大きな山を一つ越えたところですが、まだ次の険しい山が見えています。特別支援を受けられるのはほとんど中学3年、つまり義務教育まで。中学校卒業まで残り1年と少し。どんなにぶつかり合っても、丁寧にしっかり息子に寄り添いながら、家庭療育にも取り組んでいきたいものです。

11月25日水曜日はコラム掲載日ですが、所用のため休載します。次回掲載は11月30日月曜日です。よろしくお願いします。

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不機嫌にならないコツ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は“すぐにできる不機嫌にならないコツ”をお話しします。

すぐにできることですが、簡単にできるかどうかはその人次第です。意識して心掛けてみるだけでも随分違うものなので、ぜひやってみていただきたいと思います。

【1】勝ち負けにこだわらない。
【2】一人だけで抱え込まない。
【3】他者との距離を近づけ過ぎない。
【4】“察してちゃん”をやめる。
【5】ウワサ話や悪口に混じらない。

それでは【1】から順に説明していきます。

【1】勝ち負けにこだわらない。

勝ち負けでしか物事を捉えられない人は、「負けた」と感じた時に不満が募り、負けた気持ちになります。そもそも誰もあなたに勝負を挑んでいないので(笑)、あなたが勝手に一方的に負けたと思い込んでいるだけです。幸せの尺度は誰でもない“あなた自身”が決めることで、社会的な勝ち負け(と思い込んでいるもの)とはまったく別のものです。くだらない勝ち負けにこだわり、意味のないイライラを募らせるのはやめましょう。

ビジネスシーンの会話でよく『WINーWINの関係』というフレーズを聞くことがありますが、これも勝ち負けの発想から来るものだと思います。これからの時代のビジネスは、『WINーWINの関係』ではなく『JOYーJOYの関係』に発想を転換したほうが、働く人にワクワク感が芽生え、結果社会に新しい価値を提供できるのではないでしょうか。
【2】一人だけで抱え込まない。

確かめもせずに、他者の気持ちや感情を勝手に先回りして推測、解釈すると不安や不機嫌になりやすく、一人で抱え込みがちになります。プライベートな悩みでも仕事の悩みでも、一人で抱え込もうとするには限界がありますよね。ええ格好や決め付けをせずに「それってこういう意味で言ったの?」と確認したり、「キツいから話を聞いて」「いっぱいいっぱいだから手伝ってもらえますか?」と助けを求めましょう。

これは個人の努力もさることながら、一人で抱え込ませないためにコミュニケーションが円滑な職場環境になっているか、組織にそんな土壌があるか、ということも問われています。
【3】他者との距離を近づけ過ぎない。

どんなに仲良しでも四六時中一緒にいると、些細なスレ違いからお互いの嫌な面が目に付きイライラモヤモヤするものです。自分以外は親でも他者なのですから、お互いが心地好い距離感でお付き合いしましょう。人間関係を良い状態で維持していくために、この“距離感”を意識するのはとても大切なことです。離れ過ぎずベッタリくっつかず・・・、一番心地好い距離はどこらへんなのかを考えてみましょう。

ビジネスでも顧客との距離感が程よいほうが、お互いに信頼関係を醸成でき、健全な関係を長く築けるのではないでしょうか。
【4】“察してちゃん”をやめる。

どんなに愛し合うカップルでも、長い付き合いの親友でも、互いの気持ちを100%理解し合うことは無理です。あなたはあなたで、決してパートナー本人や親友本人(の気持ち)にはなれないのですから。何かがあってイライラしたり落ち込んでいても、他者はそのイライラや落ち込んでいる原因は知りません。「こんなにイライラしているのに(落ち込んでるのに)何でわからないんだ?」←空気読めってこと?・・・それは無茶ぶりです。プレゼンがうまくいかなくてイライラ。それはどんな理由でどんな感情になっているのか?を伝えなければわからなくて当たり前です。“察してちゃん”は、普段から自分が周りにいる人たちの思惑を気にしながら生きていて、「自分は察することができるのに(先回りし過ぎの勘違いの場合あり)なぜ相手はこの思いに気付いてくれないんだろう?」と不機嫌になるのです。言葉にしなければ何もわかりません、他者なのですから。せっかく言語という互いを理解し合うための有効なツールがあるのですから、察してもらおうなんて傲慢な気持ちを捨てて、素直に言葉に出して伝えてみましょう。

時々、こういう上司や社長を見かけます。社員はヒラメ状態になり、顧客を見ていませんね。このような組織は風通しも悪く、社員の離職率も高いです。ブラック企業だと言われかねません。
【5】ウワサ話や悪口に混じらない。

感情は伝播する、と以前コラムでも書きました。人のマイナス感情(特に怒り)はプラス感情よりも伝播しやすい特徴があります。また、プラス感情よりもマイナス感情のほうがパワーがあるので、悪口やウワサ話には巻き込まれやすいのです。不機嫌は“感染る”ので、そんな場面に居合わせてしまったらサラッと去るか、意見を求められても「そうなんだぁ、ふーん」で、相手のマイナス感情を受け取らないようにしましょう。

職場では時にウワサ話や悪口に足を引っ張られたり、強いストレスになる場合もあると思います。やはりここでもコミュニケーションが上手く取れている組織であるかが問われていると思います。モラルハラスメントの温床をなくすことも、これからの企業の責務かもしれません。

如何でしたか?頭でわかっていても、それをいざ実行しようとすると案外難しいと感じるのではないでしょうか。

“実行”しようとするから難しくなるのです。

意識すらしなかったことを“意識してみる”

これです。

前回の3Dになってしまわないように、まずは“意識してみる”からやってみてくださいね。

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地味にイラッとする話し方

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は、話をしていると相手を地味に不愉快にし、イライラさせてしまう残念な人のお話です。皆さんは

イライラ3D

をご存知でしょうか?

会話をしている時に、いちいち「でも(DEMO)」「だけど(DAKEDO)」「だって(DATTE)」を付けて話をする人のことですが、案外口癖になっている人が多いことに気付きます。

「最近あんまり彼から電話がなくって・・・」←友達に寂しい気持ちや不安を聞いてほしい。

○「だけど彼も仕事で疲れてるんじゃないの?」←彼女の寂しい気持ちや不安をガン無視。

●「普段はいいんだけど、デートとか旅行とか大事なこと決める時は話したいし、ライン送ってるんだけどね」←ちょっと不安な気持ち。

○「だって、ライン返せないくらい忙しいかもしれないじゃん」←最初の不安や寂しさをガン無視した挙げ句、不満な気持ちもスルー。

これだと「私の気持ち、伝わらないなぁ」と、ここでも寂しくなったりつまらなくなってしまいます。

当たり前ですが、この3Dを頭に持ってくると、

すべて相手が言った話の内容をはね付け“否定”する言葉になります。

●「土曜の映画、待ち合わせ時間や場所、どうする?」
○「渋谷駅前に9時は?」
●「でも渋谷駅前だとわかりづらくない?」
○「じゃぁ、パルコ前に9時15分は?」
●「う〜ん、だけど9時15分だと早くない?」
○「映画が9時半スタートだから、ちょうどいいと思うよ」
●「だって朝早く起きなきゃいけなくなるじゃん」

モヤモヤしませんか?

●「何を食べたい?」
○「何でもいいよ」
●「じゃぁ、中華にしよっか」
○「でも中華はちょっと・・・」
●「そっか、じゃぁパスタは?」
○「あ、でもパスタは昨日食べたし・・・」
●「天ぷらはどう?」
○「うーん、だけど天ぷらは胃もたれしそうだし」

これはイライラしますが、3D以前に“何でもいいと言いながら、ダメなものがあるなら自分で提案しましょうよ”かもしれませんね(笑)

違う意見や考え、想いがあって当然ですし、それを伝えるのも構わないと思います。ただ、相手の考えや言っていることを否定する前に、まずは話を受け取る相づちがあると不愉快にはならないものです。

彼があまり電話くれない、の最初のケースでは、「そっか、それは気になるよね」と話を受けた後、「でも、それは仕事で疲れてるのかもよ」と繋げれば“でも”があってもモヤッとしません。

ミラーリングで相手の話を受けて返すと傾聴姿勢も伝わります。

「彼があまり連絡をくれないんだ」

「そっか、彼があまり連絡をくれないんだね、それは寂しいよね」からの「でも疲れてるのかもよ」という具合です。

これは相手との関係がパートナーでも友人でも、同僚や後輩、部下でも同じです。

“デモデモダッテデモダケド”を繰り出されて気分よく会話が続けられるわけがありません。

コミュニケーションは双方が“話を投げる”“受け取り返す”を繰り返しながら広げていき成立するものなので、一方が“受け取らず(避けて)自分の考え(思い)だけを返す”だと、一方にはモヤモヤが残ってしまうのです。

「でも」「だけど」「だって」を口に出す前に、

【ミラーリング+受け取り】

を意識して、爽やかなコミュニケーションを楽しみませんか?

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認知を制する者は感情(行動)を制す<3>

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

3回目となる今回は、ネガティブな人に見られがちな自動思考と、例を挙げてワークシートでその妥当性を検証してみましょう。

ネガティブが人(鬱になっている人にも)に見られがちな自動思考。

  • 私は誰からも必要とされない。
  • 私の人生は何もかも上手くいかない。
  • 私は取り柄のない人間だ。
  • 私は負け犬だ。
  • 私には価値がない。
  • 誰も私のことをわかってくれない。
  • 楽しいことなんか一つもない。
  • 私はもう終わりだ。
  • 何をやっても上手くいかないに決まっている。
  • 生きていても良いことなんかない。
  • 我慢するなんて耐えられない。
  • 自分が嫌で仕方ない。
  • 消えてなくなりたい。

例を挙げますので、それが正しいのか誤りかを検証するための<4つのプロセス>で自動思考が及ぼす影響を書き出してみます。

●自動思考の例

食事中に夫に話しかけたのに返事がそっけなかった。
私をもう嫌いになったのかも、私の話なんてどうでもいいに違いない。→心の読み過ぎによる決め付け。

記入例を参考に自分でも記入してみてください。

<4つのプロセス>自動思考の妥当性を検証するために『自分に質問する』。

①→自分がそう考えている根拠は何か?

▶︎自分の考えていることと事実を混同していないか?(事実ではない“かも”しれない)
▶︎確かめていないのに早合点したり思い込みはないか?
②→何か他に別の見方はないか?

▶︎自分の考えやモノの見方だけがすべて正しいと言えるのか?
③→そう考えることでどのような影響がある?

▶︎そう考えることが自分の役に立つか?邪魔になるか?
▶︎そう考えることで、自分にとってどのような利益(良い面)と不利益(望まない面)があるか?
▶︎答えの出ない(ない)質問になっていないか?
④→どこかに思考の誤りはないか?

▶︎0ー100思考、自動思考、全無的な思考に陥っていないか?
▶︎思考の中に極端な表現はないか?
▶︎望まない/悪い面だけに目を向け過ぎていないか?
▶︎たった一つのことだけに気を取られ、自分だけに非があるように思っていないか?
▶︎自分と関係ないことまで自分と関連づけて考えていないか?
▶︎自分の責任とは限らないのに、自分に責任があると思い込んでいないか?
▶︎物事をあるがままに受け止めず、“こうでなければ”“〜すべき”と対処法を考えていないか?
▶︎確認もせず自分一人で先走り、勝手に予想していないか?

次に【考え(思考)と気分(感情)の記録シート】のワークシートを使用しながら、普段の自分の考え方の癖を見つけ、考え方から生まれる気分(感情)がどのようなものなのかを改めて意識してみましょう。

少し横道に逸れますが、「今の気分は?(感情は?)」を聞いても、考え(思考)と混同して答え方がわからなくなる人も多いので、気分(感情)の例を挙げてみます。感情表現が苦手な人ほど、気分(感情)と考え(思考)を混同しやすい傾向があるようです。

<気分(感情)の例>

不安、悲しみ、困惑、寂しい、同情、傷心、義務感、恨み、虚しい、焦燥感、批判的、無気力、絶望感、混乱、心配、劣等感、孤独感、恥ずかしい、イライラ、悲哀、憂鬱、猜疑心、見捨てられ感、距離感、恐怖、落胆、モヤモヤ、憐憫、不全感、万能感、敗北感、後悔などなど。

ほんの一部を抜き出してみましたが、まだまだたくさんの気分(感情)があるのです。なかなか目を向ける機会がない気分(感情)に、一番適切な“名前”は何か、を考えてみるのもよいかもしれませんね。

自分の考え方の癖を見つけて、“それが正しい根拠”は簡単に見つけられても、“それが正しくない根拠”はなかなか見つけにくいものです。そんな時は、

  • 自分の一番の友人や大切な家族、大好きな人がそう考えていたら、自分は何と声をかけるだろうか?
  • 過去に同じこと、似たような状況はなかったか?それはいつだっただろうか?今回と似ていても、以前との違いは何がある?
  • 今の考えが“完全に正しい”と言えなかった経験はない?
  • 今から10年後に今の状況を振り返った時に、今とはどのように違って見えるだろうか?
  • 自分でコントロールできないことまで自分でコントロールしようとしていないか?

これも自問自答して【考え(思考)と気分(感情)の記録シート】のワークシートと共に検証する際のヒントにしてみてください。

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