ちょっと様子が変な17歳息子

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

4月から高校3年(受験生)になる17歳の息子の様子が『ちょっとおかしいなー』と思いながら半月。

重複の発達障害で特性のほとんどはADHDでASD(積極奇異型)特性は少なめの息子は、良く言えば明るく天真爛漫、悪く言えば超面倒くさがりのノーテンキ。気が向かないことは、やらなくてはいけないこと(本人もわかっている)でも自分に言い訳をして何とか後回しにします。←実行機能ヨワヨワ・・・。

認知の違いから齟齬が生まれやすくぶつかる時はありますが、このところ些細な出来事に過敏に反応しての衝突が爆増していました。普段ならお互いに笑って済ませられる冗談に過剰反応して、結構な勢いで食ってかかってくる、感情的にならず穏やかに話していてもブチ切れモードで怒鳴り返してくる、など。

アンビバレントな思春期、それだけではないようです。

自分で自分を持て余している感じでしょうか。上手く立ち回れない自分、感情コントロールができない自分に。キャパシティの問題でもなさそう。

どのような場面でのどんな発言、行動を指して言われたのかわかりませんが、学校で「変わってる」「ズレてる」と言われることがあるらしく(実際、親の私ですら、「変わった認知してるなー(認知歪んでるなー)」「なんかズレっズレだなー」と感じること多々)、本人はとても気にしている様子。

誰にも責任はなく自分だけの問題だったとしても、感情の振れ幅が大きいと振り回されるのは確かで、ストレスや疲れ(心身脳みそ)は、持ち合わせる特性をより一層強くします。

彼なりにストレスコーピングを考えているそうですが、その結果、ただでさえいつも人の倍以上時間がかかる“風呂に入る準備”や“出かける準備”、“勉強に取り掛かるための準備”、“食事”、“就寝するまで”、“どこへいったかわからないモノ探し”に凄まじく時間がかかるようになっています。

そうなると、二人で生活しているので私にも多大な影響が出てくるわけで・・・

私は俗にド定型と言われるタイプでマルチタスクも得意なので、家事全般や仕事、生き物の世話などを一つの流れとして捉え、常時タスクを入れ替え(他に興味や関心があっても引っ張られることなく)無意識に時間配分を考えながら『2時間以内に全部終わらせよう』『買い物に出るから午前中にここまで』とストレスなく行動しています。途中で予期せぬ予定が入っても、瞬時にタスクを入れ替え対応することにストレスはありません。

が、いつまでも風呂に入る準備が終わらず、風呂に入らない息子を前に「22時半くらいまでには洗濯を終わらせたいんだけどなー(集合住宅で周りへの配慮)」とか「弁当箱を先に洗ってくれないとシンクが使えないんだけどなー」とモヤモヤするわけです。

のっけから感情的に声かけはせず、かなり優しく促しの声かけでスタートしますが、まあまず動きません(笑)想定内です。

しかし、しかしですね・・・「そろそろ風呂に入ってほしいなぁ」と思い声かけし、「今から入る」から2時間半は長過ぎです。もはや“風呂入る入る詐欺”です。“ご飯食べる食べる詐欺”もあります。

本人もどうすればいいのかわからずイライラモヤモヤしているのはわかります。なので「自分でも何にモヤモヤイライラしているのかよくわからない時もあるよね。だけどそれで人に八つ当たりするような態度はよくないよ。声かけたらいきなりブチギレるんじゃなくて『ちょっと余裕ないから(疲れてるから)1時間以内には風呂に入るよ』と伝えてほしいし、自分で言ったことを最大限守れるように努力はしてね」と伝えました。

それでハイ解決!とはいきませんし、同じことを何度も繰り返しますが、面倒だけど面倒がらず丁寧に対応していく力を求められるんでしょうね、親は。

つくづく“子育ては忍耐力と理不尽を底上げし、コミュニケーションスキルを高める人間力トレーニング”だと思う今日この頃です。

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親子でも他者間でも大切、親子だからこそ大切にしたいこと

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

私は現在進行形で発達障害重複を持つ思春期真っ盛りの、面倒くさい息子を養育するシングルマザーです。

修羅場の峠は越えたように思いますが、定型と言われる子供を養育している親に比べると、やはりぶつかり合いは多いのではないかと思います。

WAISで言語は高い息子。でも、特性による認知の歪みから他者間コミュニケーションにズレを生じやすく、また障害特性ゆえに行動に親はモヤモヤイライラしてしまうのが日常です。

さすがにもう血の雨は降りませんが(笑)、減ったとはいえ言い合いになるにもこれまた日常でです。そんな時、息子は自分の部屋に私はリビングで物理的距離を取り、クールダウンします。その後は必ず「さっきは嫌な言い方をしてごめん」「私こそキツイ言い方してごめんね」「実は学校で嫌なことがあって・・・」という流れです。

思春期真っ盛りのこの時期は親に反発しまくる反面、甘えたいというアンビバレント(相反する感情などを持ち葛藤する)な時期でもあります。「母さんの言うことは正論過ぎてムカつく」と言われたことがあります(笑)可愛いさと悪魔が同居していて「ツンデレか!?」と思う毎日ですが、ふと「あー、大人の階段を上ってる最中だもんね」と思ったり。

多少落ち着いたとはいえ、壮絶な親子バトルを繰り広げていた過去を持つ我が家ですが、今の私と息子の関係はかなり良好と言えます。言い合いになる時はあっても、ほとんどは落ち着いて話ができるようになりました。時々ヘンなテンションになり、いきなりタコ踊りを披露してくれる息子に対抗して、私も息子が「お、おう・・・(汗)」な反応をするような返しをしますし、買い物には嫌がらずに荷物持ちとして同行してくれます。外食にもホイホイついて来ます。

何より、「何か困ったことがあれば、かーちゃんはちゃんと話を聞いてくれる、力になってくれる」と思ってくれているようです。ありがたいですね。

その信頼関係のベースにあるものは何なのか?を考えた時に、小さなことでも家庭内に「ありがとう」が当たり前にあること、ちょっと時間はかかっても(クールダウンする)、お互いに「ごめんね」がこれまた当たり前にあることもあるのではないかと思いました。

家族だから言わなくてもわかってくれるはず←家族は血の繋がっただけの(夫婦なんて血も繋がっていない他者)他者ですし、そもそも自分以外、世界中の人は皆他者なのですから「言わなくてもわかる」なんてあり得ません。自分以外、エスパーならわかるかもしれませんが(笑)「言わなくてもわかってくれる」なんて、傲慢以外の何ものでもありません。

家族にいちいちお礼や謝罪なんて照れくさい←恋人に面と向かって「愛してる」と伝えるわけでもないのに、何だか照れくさいの使い方は間違ってますし、大人としてはイマイチカッコ悪い考えに思えます。歳を重ねたよい大人だからこそ、他者の小さな好意や厚意に対し、意識的に「ありがとう」「すみません(ごめんね)」が言えるのではないでしょうか。

「ありがとう」も「ごめんね」も人間関係を柔らかく、他者の気持ちも柔らかくする言葉です。

これからもパートナーに、子供に、友人に。もちろん親に対しても素直に言える自分でありたいと改めて思いました。

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いつもにも増してイライラが募る夏休み

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

明日からお盆休みの人も多いのではないでしょうか。余談ですが、お盆は全国的には8月中旬、まさに今ごろですが、東京などは7月中旬だそうです。明治維新で旧暦から新暦に変わった時、東京は旧暦のお盆をそのまま新暦に当てはめたことから7月中旬になったようです。7月中旬だとまだ梅雨が明けていない年もありそうですね。

さて、学齢期のお子さんがいるご家庭にとって、今まさに夏休み。学校が長期休みになる夏休みや冬休み、春休みはイライラが増すのではないでしょうか。

我が家もご多聞に漏れず、弁当作りからは解放されるものの、朝から「かーちゃん腹減ったー」「暑いよ、アイス買って」と16歳がめちゃくちゃウザいです(笑)

「やる事やってからスマホ触れ」と口が酸っぱくなるほど何年も言い続けても、起きたらスマホ・・・。「薬飲もうよ」「わかってる!」のリピート合戦。

言わなければできず(やらず)、声を掛けても後回しにしようとする・・・約束を守れないのがADHDだと頭でわかっていても、多少はイライラするものです。我が家のスマホ&ゲームルールは、私が勝手に決めず、息子と話し合って決めているのですが、それでもまったく守れません・・・。

目先の興味関心にグイグイ引っ張られ、約束なんて遥か忘却の彼方。こればかりは脳の特性なんだと諦め・・・るわけにはいきません。

もちろん、これから先、本人も困る周りも困惑(迷惑)する特性は幾つもありますが、社会人になって困る事ダントツ1位だからです。

少しでも、ひとつでもできること(自分にあったライフハックを見つけられ、自分で対処できるようになる)を増やして大学→社会へと送り出したいと考えている私は、必死に頭を振り絞って考えています。

今年の夏休み、息子は『じぶん研究合宿』に参加するので、同じような特性を持つ同年代と交流することで自己受容や特性理解が進めばいいな、と思っています。

夏休み、頑張って乗り切りましょう!

8月15日火曜日のコラムは夏季休業のため休載します。8月20日日曜日より掲載します。

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解がないのもまた解

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ゴーデンウィークは緊急事態宣言などで、旅行はもちろん、大した外出すらできなかった人も多かったのではないでしょうか。

今回は『解がないのもまた解』ということで、数学のような標題ですが、生きていると解があることのほうが少なく、解がないことのほうが多い気がします(笑)人の数だけ解があり、また立場によっても解は異なりますね。

会社だけではなく、パートナーに友人、親子関係と身近には距離や関係性の違う多くの人間関係が存在し、私たちはそれらの人間関係に取り巻かれて生活しています。

今回は親になれば誰もが直面する“親子関係”について考えてみました。

コラムでも何度か書いていますが、どんな名家でも子沢山家庭でもシングル子育て中であっても、共通することが、“子供は親の持ち物”ではない、ということです。もちろん親の夢を叶える“道具”でもありません。

どんなに外見や気質が似ていても、親とは違う人生を歩む(歩む自由と権利がある)、認知も感情も違う、血の繋がりが(しかない)ある別人格の他者だからです。この“血の繋がり”というものが厄介なところでもありますが。

私自身、子を持つ一人の母親ですから「〇〇のように育ってくれたらいいな」くらいの漠然とした子供に対する期待はあります。私の子育てのベースにあるのは【自由を主張するなら自由に伴う大いなる責任を知ること。義務と権利は対であること。努力は自分がするもの、評価は他者がするもの。】を教えることです。

発達障害である息子は、定型と言われる子供とは違う苦労がありますが、心掛けていることがあります。“どんな激しい喧嘩をしてもクールダウンしたら親もきちんと謝る”ことと、忙しくても手を休め時間を作り、“丁寧に話を聴く”“子供の意思確認をし尊重する”です。

現在中学生で思春期真っ只中の息子とはぶつかり合いも多く、掴み合い寸前の激しいバトルを繰り返していますが、困った時や苦しい時は私に話をし、頼ります。普段は“返事はまずNOで”が基本のようですが、どうやら「何かあったら母は力になってくれる。話をちゃんと聞いてくれる、母は自分の味方だ」とわかっているようです。

親として「〇〇すればいいのに」と思うことは多々あるのですが、親の経験値から話をすると「母さんの言ってることは正論過ぎてムカつく」と食って掛かられるので(笑)、今はゆるく傾聴しながら「君はどう思うの?」「なぜそう思うの?」「だったらどうしたい?/どうしたらいいと思う?」と、とにかくアウトプットさせることで一旦外に置き、なるべく冷静に思考が整理できるように、を心掛けています。

育てたように子は育つと言われますが、この接し方が【解】なのかわかるのは、まだまだ先だと思います。

巷で話題の“毒親”にはネグレクトやわかりやすいさまざまな虐待はもちろんですが、「いつまでも子供は子供のまま」と手取り足取り過干渉で、無意識に子供の自立を阻む“優しい虐待”タイプの親もいます。

それを愛情と勘違いし、無意識に優しい虐待を続けていると、子供は思考することを学べず、決定を他者任せにする“自己決定”ができないまま成長し、自己表現ができないと同時に責任を負うことを学べないまま成長します。

泣くことでしか意思表示ができない何もできない赤ん坊から、自我が芽生え泣く以外の意思表示ができるようになり、言語習得が進むと反論し、可愛げなく猛烈に反発するようになります。人生経験値の浅い子供の自己決定は時として大失敗します。当然まだ責任など負えませんから、取れる責任ならば親がその責任を負い、子供はしでかした失敗で傷つき落ち込みます。

親が道をならし怪我をしないように平坦に整えるのも愛情なら、本人が歩きたいなら敢えて凸凹の道を歩ませ、転んで傷ついて落ち込んだ時に手を差し出すのも愛情だと思うのです。

失敗してもできることを増やしていくために、いつまでも同じ手の差し伸べ方ではなく、少しずつ手を放していく。糸の切れた凧にならないように“見守る”ことの大切さ、“信じる”ことの難しさを改めて感じながら、毎朝新しい気持ちで息子と向き合っています。『手は放しても目は離すな』と誰かが言っていたことを思い出します。

・・・ときれいにまとめたいところですが、新しい気持ちで朝を迎え顔を合わせた途端、相変わらず「スマホを取る前に薬飲んでね」「後で!」「君の忘れっぽさで後は二度と来ないから今飲んで!」と言い合いをしているのが日常です(笑)

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ポツンママ(ぼっちママ)を知っていますか?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は入学式シーズンということで、少し軽い話題で。

タイトルのポツン(ぼっち)ママ、まさに私のことです。

ポツン(ぼっち)ママとは、ご想像のとおりママ友がいない、一人でいるママのこと、ですね。

普段は誰にでも友好的で人見知りもありませんが、私自身がママ友というものに関心がなく、繋がりがなくても必要情報は自ら積極的に動くので、不自由を感じたことが一度もありません。常に“一匹狼”(笑)の一人行動で授業参観や保護者会に出席しています。そして、我が子観察はもちろんですが、保護者や子供たちも観察しています。

当たり前ですが、おしゃべり目的で行くわけではないので話す人がいなくても平気ですし、「あのママ、ポツンママだ」と思われても、陰で「ママ友いなくてぼっち、かわいそう」と言われても、積極的ポツンの私はまったくのノーダメージです。

何とかママ友を作ろうと必死な保護者もいるようです。

観察していると、ボスママのような立場(?)の人がいて、場をとりまとめたり保護者会後のお茶会、誰の家に集まるか、ママランチなどを仕切っているようです。身振り手振りも声も大きなママさんや、お子さんが何人かいて学校をよく知るママさん、出たがりママさんが多いように見えます。

いつも一人でいるのが可哀想だと思われるのか何度かお誘いを受けたことがありますが、仕事でもないのに自ら“必要と感じない面倒そうな人間関係”をわざわざ作らなくてはいけないコミュニティに関わるのは苦手なので、笑顔で爽やかに辞退しています。

多分これも陰で何か言われていると思います。

疑問や意見があれば学校に聞いたり伝えればいいですし、学校では手に余るようなら教育相談や教育委員会もありますから。

ママさん同士が集まって家庭内不満をウダウダ(もっぱらご主人や生活の愚痴)、他者の家庭事情への立ち入り、トンチンカンなアドバイス、マウンティング合戦は性に合いませんし、それほど暇でもありません。

いや、いいんです。その“ママ友コミュニティ”が居心地よく楽しくて、無理のないストレスフリーなお付き合いができる人であれば。中にはサッカー団の保護者付き合いなどもあると思いますし。

ただ知っておいてほしいことがあります。

ママ友ワールド、ママカーストの中で誰かの顔色をうかがったり、同調圧力にモヤモヤしたり、『子供のため』と無理して付き合う苦痛と無駄時間を。

私はシングルマザーなので、ママカースト内ではなぜか最下層に位置するようです(笑)くだらないです・・・。

ママ友コミュニティに属していなくても子供の学校生活は問題なく送れますし、もしそれが原因でいじめがあったとしたら、それはそれで学校が対処すべき問題だと思います。もちろん、必要な委員や役員を逃げ回っているわけではなく、関わらないのは学外“ママ友(保護者)同士のお付き合い”だけです。

図太いのでそう思うのかもしれませんが【戦略的ポツン】、ものすごくラクです。空気を読めないのではなく、自分にとって不必要な空気は敢えて読まない・・・というスタンスです。

帰属意識が高く何かと群れたがる(安心するから)、良くも悪くも日本人気質の一部で、それをまざまざと感じるのがママ友ワールドです。

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発達障害【ADHD】の困り感〜子供編〜

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

何度かシリーズでもお話している【発達障害】ですが、今回はADHDについて、主に学校生活で表れる困り感についてお話したいと思います。

足が不自由で引き摺りがある、目が見えないから白杖を持つ、などいわゆる目で見てわかる肢体不自由の人に比べ、パッと見てすぐにわからないのが発達障害です。

それゆえ、多動で立ち歩きがあり教室から脱走する、片付けられない、癇癪を起こすなどわかりやすい行動が表れていなければ、本人はもちろん、保護者や学校側もわかりづらいことが多く、中には強引に「何がなんでも全部個性」と言い張る保護者もいます。脳の偏りもまた個性と言えなくもないのでそれはいいのですが、いずれ本人が困り感を自覚した時に苦しむのは子供自身です。

まず以前コラムにも書いたことをおさらいします。ADHDの主な特徴は、

【多動性】【不注意】【衝動性】

の3つです。

●多動性:落ち着きがなく、じっとしていることができない。

●不注意:自分の興味関心がない物事に集中できず、忘れやすい。

●衝動性:唐突に思いつきの行動をとる、順番待ちが苦手。

などですが、これらの特徴とその程度は個人差が大きく、環境や関わりを持つ相手によっても差が見られるので、家庭と学校では様子が異なることもあります。

また、ADHD、ASDに共通する特性や行動もあるので、次に示す行動があるからといってADHDとは限りませんし、ADHDとASDを重複しているケースも多いことを先にお断りしておきます。

ADHDの行動には“気付かれやすい行動”と“気付かれにくい行動”があります。

<気付かれやすい行動>
【多動性】【衝動性】からくる行動で、友人関係のトラブルが中心、周囲を巻き込み大きな問題へ発展することがあるので気付かれやすい。

<気付かれにくい行動>
【不注意】からくる行動で、忘れ物が多く成績不振など、本人や保護者だけが困ることが多く、周囲に迷惑をかけることが比較的少ないため見過ごされやすい。

この、<気付かれやすい行動><気付かれにくい行動>が学校生活でどのような形で見受けられるのかを具体的に見てみましょう。

=気付かれやすいADHDの行動=

【多動性による行動例】

  • 席にじっと座っていられず、常にそわそわしている。
  • おしゃべりが止められない。
  • 意味もなく手足を動かす。
  • 静かにしていなければいけない場面で走り回ったり騒ぐ。
  • 集団行動ができない。

【衝動性による行動例】

  • 感情のコントロールができない。
  • 順番を持てず列に割り込む。
  • 些細なことで大声を出したり暴れる。
  • 勝手に話を始めたり、他の子への質問に答えてしまう。
  • 他の子の邪魔をしたり、ちょっかいを出してケンカになる。
  • 他の子の持ち物に勝手に触ったり、持って行ってしまいトラブルになる。

=気付かれにくいADHDの行動=

【不注意からくる行動例】

  • 学習用具などを机から落としやすい。
  • 興味関心が低いことは忘れてしまう。
  • 忘れ物が多い。
  • 字が汚い。
  • 机の中やランドセル、身の回りの整理整頓ができない。
  • 他の子より、よく怪我をする。
  • 教科により集中できない。
  • 文章を飛ばして読んだり、自分の思い込みで読む。
  • 指示の聞き漏らしがあるので行動が遅れる。
  • 好きな教科と嫌いな教科で意欲の差が激しい。
  • 課題や活動を順序立てておこなうことが困難。
  • テストで似た問題でも点数のバラつきが激しい。
  • 友達との約束を忘れたり約束が重複してしまう。
  • 話しかけても上の空に見える。

【その他の行動例】

  • 姿勢が崩れやすい。
  • 一人で遊んでいることが多い。
  • 友達に避けられている。
  • 日中眠そうにしている。
  • 後回しにするクセ(先送りグセ)がある。
  • 手先が極端に不器用。
  • 気持ちの切り替えがうまくいかない。
  • 知的な遅れはないのに成績が悪い。
  • 好きなことには時間をかけて取り組める。
  • 複雑な運動が苦手で、鉄棒や縄跳び、跳び箱などの上達に時間がかかる。

などがあります。

それでは不注意優勢(気付かれにくいADHDの行動)の場合、子供の学校生活ではさまざまな困り感がどのような場面で、どのように起こるのかを一日の時系列で具体的に見ていきます。

登校時:目にするいろいろなものに意識がいくため、集団の列から外れやすい、周りに注意を払わず歩くため、自転車や人と接触しがち、転びやすい。

朝会:遅刻が多い、眠そう、先生が来る前に他の子とトラブルを起こしている。

授業中:よく物を落とす、教科書や必要なものを頻繁に忘れる。座姿勢が悪い、関係ないおしゃべりが止められず注意される、指示を聞き漏らし行動が遅れ、周りの様子を見てから行動する、単純な計算は得意だがケアレスミスが多い、文章を読んで解く教科は苦手、板書に時間がかかる。

給食:おしゃべりが止められないかボーッとしていて時間内に食べ終わらない。

休み時間:休み時間が終わっても教室にいない、次の授業の準備ができていない。

体育や図工など身体を動かしたり作業する授業:説明を聞いていないため、怪我や失敗が度々起こる、計画を立てて作業ができないため最後まで終わらない、好きなことには集中して取り組むので時間がきても止められない。

掃除:掃除道具を振り回してふざけたり、いろんな場面で雑なので物を壊したりする。

友人関係:他者の話をよく聞いていないため、思いつきで関係ない話をしたり行動する、集団行動ができず孤立しがち、約束を忘れてトラブルになる。

不注意だけでも学校生活がかなり大変そうに見えます。3つの特徴(多動性・不注意・衝動性)をそれぞれの割合で併せ持っているケースがほとんどなので、年齢に沿って至るところでさまざまな困り感が表れてきます。また、行動の多動性は大人になると薄くなる傾向にありますが、行動に表れない見えない脳内での多動は残る人も多いようです。

本人に悪気はなく、気をつけよう、頑張ろうと思ってもできないことがあるのが“障害”で、他者との違いに気付き比較する年齢になった時に、困り感や生きづらさを本人が感じるようになります。

ちなみに、中学1年の息子が確定診断を受けたのは小学4年ですが、それまでは私の違和感や困り感はあっても本人の困り感はあまりなかったようで、息子本人が『何かいろいろうまくいかない』と気付いたのは小学5年、そこからさまざまな場面で学校生活に生きづらさを感じることが多くなったそうです。

このさまざまな場面に表れる行動特性は、人により表れ方も濃さも違い、また、視覚認知に問題を抱えるケースもあるため、対策の取り方も少しずつ変わってきます。

息子を例にとると、書字の苦手さや字のバランスの悪さは、不注意と同時に視知覚認知機能の“目と手の協応”と、眼球運動が大きく関わっており、わかりやすい不注意部分だけの対策を取っても、本人の困り感解決にあまり有効的ではありませんでした。

視知覚認知や眼球運動に問題があると、学習効果が思ったように表れず成績が振るわない・・・ということが起こります。視知覚認知や眼球運動とはどのようなもので、それにより何がわかるのかなどは、視覚認知でお話ししたいと思います。

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来年4月から施行される改正児童虐待防止法についての私見

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は近年激増する児童虐待に、とうとう厚生労働省がガイドラインを設け指針案を発表したことについて、私見を書いてみようと思います。

罪のない子供の命を守る、子供の人権を守り個人を尊重するという観点からそれ自体は大賛成ですし、虐待問題は社会全体として重く考えるべき課題だと思っています。イギリスやカナダには公的なアドボケイト制度があります。

アドボケイトとは子供(当事者)の意向に寄り添い、聞き取り、その権利を擁護代弁していくことで、その擁護代弁していく人のことをアドボケイターと言います。海外では弁護士がその役割を担うケースも多く見られますが、日本ではこの取り組み自体が新しく、ようやくアドボケイターの養成に着手したところです。

しかし一方で、今回の指針案の内容を読んで違和感を覚え、考えさせられたのも事実です。

自分の職業云々の前に、私も思春期男子の母親であり、今まで散々子供の教育、躾に悩んできましたし、今もその最中にいます。そして、まだしばらく続くであろうことでもあり、ゲンナリもしています。

実際罰則はないとはいえ、今回の指針案を見ると、かなりの“ダメ”が明記されており、仮にこれを家庭できっちり守り、やり切ろうとすると相当な無理が生じるような気がします。親を辞めたくなる人が続出しそうです。

厚生労働省指針案による

今までは家庭の考えや方針のもと、教育や躾は個々の家庭に委ねられてきました。アメとムチ、という言葉があるように、そのアメやムチをどう使い分け、我が子を躾けていくのか?だった気がします。虐待のガイドラインが設定されたことで、今回『ムチは全面禁止』となるわけです。

我が家ではどうだったのか?を考えてみました。子供に正座をさせたこともありますし、お尻ペンペンもやりました。頭ゴンッ!とゲンコツを喰らわせたことも、結果晩ご飯抜きになってしまった・・・もあります。でも、こぼしながらご飯を食べた、言うことを聞かなかった(広義ではそうなりますが)などの理由ではありません。

自分(子供自身)や他者を重大な危険にさらす可能性のある行為、公序良俗に反したり、他者に重大な不利益や迷惑をかけるかもしれない行為に対しては『じっくりしっかり言い聞かせる』は後に回し、とにかく今すぐに“手をピシャリ”、“頭ゴンッ!”で理解させなくてはいけない場面もあるのではないでしょうか。

親側が不快になる、大変な思いをする、思い通りにならない・・・などの理由で感情をぶつける意味での殴る蹴る、ひっぱたくは明らかに虐待と言えますが、日常的に起こるさまざまなことに対峙し、その場その場で対応していくのは保護者、今はまだもっぱら母親がその役割を担うことが多く、それゆえに追い詰められやすいのも母親です。

虐待したくてする親はいない、私はそう思っています。ならば、実現不可能に近い虐待のガイドラインを作り、あれダメこれダメを設定するよりも、

虐待しそうになるとても苦しく孤立を感じた時に適切な支援をおこなう、毎日必死でいっぱいいっぱいになっている保護者の小さな訴えに24時間いつでも話を聞いてもらえる窓口が、もっともっと身近に必要ではないか

と考えます。一応民間を含めいろいろな電話相談窓口はありますが、とにかく繋がりません。本当に何回、何十回かけても繋がらないのです。

余談ですが、中学1年の息子は重複の発達障害を持っていて、発達性協調運動や眼球運動、微細運動や粗大運動にも問題を抱えています。とても見落とされやすく、表面だけを見ると障害があることさえわかりません。「あなたが発達障害を作ったんじゃないの?」「そんなふうに見えないんだけど・・・。普通じゃない?神経質過ぎ」などなど、無知からくる無理解極まりない人たちにゴリゴリと心を削られてきました。

学校はもちろん、考えうるすべての支援機関と繋がり、専門家の支援やアドバイスをもらっている私でさえ、一歩間違えれば取り返しのつかないことをしてしまったであろう場面が幾度となくありました。それを支えてくれているのは、私自身を取り巻く状況を誰よりも知るパートナー、そして長い付き合いの大切な友人たちです。彼らがいなければ、母子心中してもおかしくなかったと思います。

わからないことはすぐに調べ上げてフットワーク軽くどこへでも出向き、必要とあらば発達障害に関する資格をいくつも取得する私でも、学校や支援機関、行政機関の窓口と手続きの複雑さや煩雑さ、細かな申し送りがなされなかった時の不便さ、もどかしさを知っています。

必要なのは虐待の細かい指針を決め『これを守りましょう』『これはやってはダメです』と親を執拗に縛ることではなく、追い詰められてもいろんな事情で助けの声を上げられない、上げ方がわからない、訴える場所もわからない、ゆえに孤立していく(かもしれない)

育児難民(予備軍)を生まない枠組み

を考えることではないか、と私は思います。

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毒親 〜 後編:子供は別人格の他者

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回に引き続き、毒親についての後編として【毒親に育てられた人の特徴】についてです。その前に、

発達障害やパーソナリティー障害にも重複する特徴があるので、すべての特徴を持ち合わせているからといって“毒親育ち”とは限りません。その傾向が高いと理解してください。

では本題に戻ります。毒親に育てられた人の主な特徴は次のとおりです。

・感情を出さない(出せない)。

・そもそも自分の感情がよくわからない。

・自分に自信がなく自尊心が低い。

・安定した人間関係がうまく築けない。

・緊張状態が続きリラックスできない。

・物事に白黒つけたがる。

・情緒不安定。

・人間不信が強い。

・批判されること、挫折に弱い。

・誰かと関わることを恐れる。

・周りの評価を気にして周囲の期待に応えようとする。

・自分を大切にできない。

・そもそも自分を大切にするということがわからない。

・自己犠牲精神が強い。

・思ったとおりに行動することに罪悪感がある。

・責任転嫁しやすい場合もある。

・自分より親の価値観や意見が絶対、または最優先。

・他者の顔色を窺いすぎる。

・責任感が強すぎる。

・自分で決定ができず他者頼みになりがち。

当たりが柔らかくても毒親という人はいます。例えば「あなたのためを思って」「お母さん(お父さん)にすべてを任せておけばいいのよ」「大丈夫、全部わかってるから」と耳障りのよい言葉を使い、先回りします。それが、子供の意思や考えを尊重しない『やさしい虐待』と呼ばれる毒親です。

血が繋がっていてどんなに濃い間柄であっても、

子供は親とは違う人生を歩む別人格の他者。

心配のあまり、子供のすべてに口出しし制限を設け、親の思ったとおりに道を歩ませるのは、伸びていく子供の自主性を阻み、自己決定のできない他人頼り、他者任せに成長させてしまいかねません。

転ばないようにデコボコ道を平らにし、失敗しないように先回りして環境を整えるなど、親には今までの生きてきたノウハウが備わっているので当たり前といえば当たり前です。もちろん自他共に大ケガや命の危険がある行為は別です。

大事なことは転んだり失敗をした時に、失敗体験になってしまった子供の心に寄り添い、大丈夫という声がけと、「次はこうしてみよう」という気持ちを立て直すためのヒントを与えることです。

一度の失敗で物事の繋がりを理解し、先の見通しが立てられる驚異的な能力を持つ子供(大人でも?)はいません。失敗しないように道を平らにならすことばかりに目を向けず、むしろ失敗して傷つき戻ってきた時に「ほら、言うことを聞かなかったから!」と否定したり「こんなこともできないの?」と跳ね除けるのではなく、「そうかそうか、うまくいかなかったか、悔しかったか(悲しかった、痛かった)ね。大丈夫、次はこうしてみよう(こう気をつけてみよう)」と言ってみてください。

世の中にはピーナッツ親子、一卵性親子と言われる状態の親子が存在します。実際に無意識に子供の思考や行動を縛りつけ、指示を出し、子離れ親離れできない一見仲良し親子。第三者から見るとどっぷり共依存というケースがあります。当人同士がよければいいのでは?と思われがちですが、家から一歩も出ない完全引きこもりで人間大嫌い!でもない限り、人は誰かしらと関わりを持ちながら社会生活を送ることになります。当然本人が生きづらさを抱えたり、関わりを持つ他者に戸惑いや不安を与えてしまう場面に出くわすこともあるでしょう。

もし、親子関係に違和感を覚えたり、自分自身に先に書いた特徴にいくつか心当たりがあり、生きづらさを感じている場合、住んでいる自治体の相談窓口を活用することや保健所または医療機関でカウンセリングを受けることもできます。例えば東京都であれば福祉保健局に相談窓口の一覧が掲載されています。

あなたは、あなた自身で、あなたの人生を歩めていますか?

毒親 〜 前編:大きく4タイプ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は前編、後編に分けて【毒親】について書きたいと思います。毒婦という言葉は昔からありますね。

どこかで目にしたことがあるかもしれませんが、なかなか強烈だと思いませんか?この【毒親】という表現。まず、毒親とは一体何なのか?

読んで字のごとく

<子供の成長に悪影響を与える親>

のことです。

どんな親も子供の幸せを願い、“◯◯のように育ってほしい”“◯◯のようにはならないでほしい”と、正解のない子育てに日々奮闘中だと思いますし、実際私もその真っ只中にいるわけです。

この毒親、いくつかのタイプに分かれます。

無関心・無視タイプ
仕事第一主義、自分第一(誤解してほしくないのは、自分を愛し第一に考えることそのものは絶対悪というわけではない)。子供の要求や願望に関心がなく、その気持ちに寄り添おうとしない。

●病的タイプ
思い込みや妄想、認知の偏りからパーソナリティーに問題を抱えている。

●過干渉・やさしい虐待タイプ
過保護という見方もできる。子供の行動に何でも先回りし、いちいち口を出し、子供に『こうすべき』と指示、命令、自分の思い通りの方向へ向かわせようとする。転ばぬ先の杖とは言うが、転ぶかどうかもわかりもしないのに、『転ばないように折れない杖を持っときなさい、それも折れたら困るからより丈夫な杖をスペアで持ちない。万が一転んだ時のために消毒薬と絆創膏も持っときなさい』あるいは『転ばないためにそもそも家から出ないほうがいいよ』のようにオール指示をし自立を阻む。

●アグレッシヴタイプ(高圧的支配)
すぐに感情的になり暴言暴力、思い通りにならないことを力業(ちからわざ)で支配しようとする。過干渉タイプと似ているように見えるが、過干渉タイプが【心配・不安】が行き過ぎた結果の行動であるのに対し、アグレッシヴタイプは【思い通りにならない苛立ちや怒り】がベースになっている。

次回はこうした毒親に育てられた場合、子供の心の発達にどのような影響を及ぼすのかを考えていきたいと思います。