ADHDについて【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【1】でADHDが後回し・先送りしてしまうのは報酬系機能の弱さからくると書きました。また、それが報酬系機能の弱さからだけでもないとも書きました。

今やるべきこと(その時やらなくてはならないこと)ではなく、違う行動を優先してしまう理由には、特性からくる衝動性も関係してきます。

本人は「やらなくてはいけないこと」を理解していても、自分がやりたいこと(興味関心のあることや目についた気になること)をしたい衝動を我慢できない、ということです。

例えば、テスト前だから勉強しなきゃ、明日のプレゼン資料を見直ししてくるように言われたからやらなきゃ、などなどの状況であっても自分の“やりたい”を優先してしまうのです。

毎日息子を見ていると、よーくわかります(笑)

ADHDには実行機能(計画立案、それを実行するために段取る力)にも弱さがあることから、報酬系機能の弱さ/衝動性/実行機能の弱さ/ワーキングメモリーの弱さ、が複雑に関わっています。ワーキングメモリーが少ないと、やらなくてはいけないことが目の前にあっても、他の刺激(片づけしている最中に見つけたマンガ、勉強中に目の前に置いたスマホ)で注意が逸れ、結果やらなくてはいけないことが後回しになってしまいます。

後回し・先送りだけでもこれだけの特性が関係してきますから、タスク遂行しなくてはならないことが目の前にあっても、特性の掛け合わせから自分の努力だけで抗うのが相当難しいことがわかります。

ADHDによく見られる特徴は他にも、

  • 忘れ物、失くし物が多い。
  • ケアレスミスが多い。
  • 落ち着きがない。
  • 人の話しに被せる(話しを最後まで聞けない)。
  • 同じ資料や勉強を続けられない。
  • 部屋の片付け、物を探すことが苦手。
  • 計画は立てられても予定どおりに進めたり、期日〆切を守れない。
  • 思ったことを後先考えずに口に出す。
  • 約束や予定を忘れる。
  • 遅刻を繰り返す。
  • 計画性がなく衝動買いをする。
  • 大事な場面で眠くなる、寝てしまう。

などがあります。

番外編では、なぜそのようなことが起こるのかを脳機能から、また、自分の周りができる工夫や対策などに軽く触れてADHDについてを終わりにしたいと思います。

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ADHDについて【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ASDについて深掘りする機会が多かったので、今回から2回にわたりADHDについて深掘りしていきたいと思います。

ADHDと聞いて私生活/社会生活において困り感が出やすい特性の筆頭に、後回し・先送り癖があります。もちろんADHDでなくても、程度の差こそあれ気が進まないことに対して、誰でも先延ばししてしまうことはあります。

しかし、報酬系機能の弱さからくるADHDの先送り癖は、そうではない人の先送りとはまったく違うと言えます。

有名な報酬系機能の実験にマシュマロテストというものがあります。マシュマロではなくチョコレートでも飴でも構いません。

子供に「目の前にあるチョコレートを15分我慢したらチョコレートを2個あげます。でも、15分待てなかったらチョコレートは1個だけです」と話し、先の大きな報酬(長期的報酬/この場合15分待てたらチョコレート2個)のために、今すぐの報酬(短期的報酬/この場合今もらえるチョコレート1個)を我慢できるかどうかを観ます。

報酬系機能が弱い子供は我慢できずに食べてしまうんですね。

報酬系機能は満足感や達成感を司る神経系なのですが、ADHDの特性から目の前の報酬(チョコレート1個)に飛びつき、長期的報酬(15分後のチョコレート2個)のための我慢ができません。

わかりやすく言うと、欲に忠実とでも言うのでしょうか(笑)当事者の話でも聞きますし、我が子を見ていても非常によくわかります。

ただ、先延ばし・後回し癖は何も報酬系機能の弱さからくるものだけではありません。

ワーキングメモリーの低さや衝動性も関わってくると「これ終わったらアレしよう」と思っていても、あちこちに情報があるとそれが刺激となり、注意が逸れたり(集中できない)、興味関心にグイグイ引っ張られて、そもそも何をしようとしていたかを忘れます。

ワーキングメモリーは脳内にある“情報を載せておくお盆”をイメージしてみるとわかりやすいと思います。

そのお盆が小さいと情報(例えばハサミ/洗濯物をしまうなど)をひとつ載せたらお盆はいっぱいになり、他の情報(提出予定の書類/回覧板を回すなど)は載せきれず、情報の上に重ねて置く(重なって下になってしまった情報はなくなったと感じ見つけられなくなるか忘れる)になってしまいます。下になったタスク自体が忘れ去られてしまうので、結果“先延ばし”になってしまうのです。この点がADHDではない人の先送りとはまったく違う点だと言えます。

次回【2】ではADHDの先延ばし癖を衝動性や実行機能から見ていきます。

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失言を失礼/無神経だと思わない人(某政治家を思い浮かべながら)

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

長く生きていれば誰でも一度や二度は「あ!マズイこと言っちゃった」という間違いはあるものです。が、何かと失言を取り上げられる政治家の中でも失言オンパレード、無神経が服を着て歩いてる人といえば・・・(自主規制)

名前を間違えただけでも相手に対しかなり失礼にあたりますが(ビジネスシーンで取引先の名前を間違うなど命取りになる可能性大)某大臣への「あのおばさん」「あまり美しいとはいえない」というビックリ発言。

もうね・・・

「あなたは思ったことを思ったまま口に出しちゃう園児ですか?」

毎回毎度ウケ狙いで(場を和ませようとか?)氷点下に冷え冷えなバカ丸出し発言を繰り出す氏に「ちょっとYGとかMMPIやってもらえば」と思う今日この頃です。

野放ししてていいんですかね(笑)明らかに時代に付いていけていないのがわかります。なぜこのような人が当選してしまうのか、当該選挙区の有権者の良識を疑いたくなります。

そもそも、総理大臣当時から政権支持率は低く、挙げ句に政権を野党に奪われ下野させてしまった元総理総裁が、今だに表舞台に立って、影響力を誇示していること自体が気持ち悪い。

民間企業ならそんな社長は辞任し、表舞台から姿を消しますが、永田町では違うようです。総理総裁を経験したことのみが評価され、国民から支持されたかどうかは関係ないようです。

どこかの国のT氏もビックリ発言が多いことを考えると、国を動かす立場になろう(なりたい?)とする人には失言スキルと無神経力が高くないといけないのか?と・・・。

ちょっと考えればわかるだろうことがわからず(我慢できず?)全国民の前で“うっかり”“つい”言っちゃうなんて、ADHD特性の衝動性かASD特性のイマジネーションの障害じゃなければ、

「人としてどうなの!?」

特性ならばある程度は仕方ない部分はあるので(だからといって免罪符にもならなければ許されることでもありませんが)、無神経な失言大臣はまとめてWAIS取って、必要ならSSTに取り組ませるのが良いと思ったりします(笑)

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ちょっと様子が変な17歳息子

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

4月から高校3年(受験生)になる17歳の息子の様子が『ちょっとおかしいなー』と思いながら半月。

重複の発達障害で特性のほとんどはADHDでASD(積極奇異型)特性は少なめの息子は、良く言えば明るく天真爛漫、悪く言えば超面倒くさがりのノーテンキ。気が向かないことは、やらなくてはいけないこと(本人もわかっている)でも自分に言い訳をして何とか後回しにします。←実行機能ヨワヨワ・・・。

認知の違いから齟齬が生まれやすくぶつかる時はありますが、このところ些細な出来事に過敏に反応しての衝突が爆増していました。普段ならお互いに笑って済ませられる冗談に過剰反応して、結構な勢いで食ってかかってくる、感情的にならず穏やかに話していてもブチ切れモードで怒鳴り返してくる、など。

アンビバレントな思春期、それだけではないようです。

自分で自分を持て余している感じでしょうか。上手く立ち回れない自分、感情コントロールができない自分に。キャパシティの問題でもなさそう。

どのような場面でのどんな発言、行動を指して言われたのかわかりませんが、学校で「変わってる」「ズレてる」と言われることがあるらしく(実際、親の私ですら、「変わった認知してるなー(認知歪んでるなー)」「なんかズレっズレだなー」と感じること多々)、本人はとても気にしている様子。

誰にも責任はなく自分だけの問題だったとしても、感情の振れ幅が大きいと振り回されるのは確かで、ストレスや疲れ(心身脳みそ)は、持ち合わせる特性をより一層強くします。

彼なりにストレスコーピングを考えているそうですが、その結果、ただでさえいつも人の倍以上時間がかかる“風呂に入る準備”や“出かける準備”、“勉強に取り掛かるための準備”、“食事”、“就寝するまで”、“どこへいったかわからないモノ探し”に凄まじく時間がかかるようになっています。

そうなると、二人で生活しているので私にも多大な影響が出てくるわけで・・・

私は俗にド定型と言われるタイプでマルチタスクも得意なので、家事全般や仕事、生き物の世話などを一つの流れとして捉え、常時タスクを入れ替え(他に興味や関心があっても引っ張られることなく)無意識に時間配分を考えながら『2時間以内に全部終わらせよう』『買い物に出るから午前中にここまで』とストレスなく行動しています。途中で予期せぬ予定が入っても、瞬時にタスクを入れ替え対応することにストレスはありません。

が、いつまでも風呂に入る準備が終わらず、風呂に入らない息子を前に「22時半くらいまでには洗濯を終わらせたいんだけどなー(集合住宅で周りへの配慮)」とか「弁当箱を先に洗ってくれないとシンクが使えないんだけどなー」とモヤモヤするわけです。

のっけから感情的に声かけはせず、かなり優しく促しの声かけでスタートしますが、まあまず動きません(笑)想定内です。

しかし、しかしですね・・・「そろそろ風呂に入ってほしいなぁ」と思い声かけし、「今から入る」から2時間半は長過ぎです。もはや“風呂入る入る詐欺”です。“ご飯食べる食べる詐欺”もあります。

本人もどうすればいいのかわからずイライラモヤモヤしているのはわかります。なので「自分でも何にモヤモヤイライラしているのかよくわからない時もあるよね。だけどそれで人に八つ当たりするような態度はよくないよ。声かけたらいきなりブチギレるんじゃなくて『ちょっと余裕ないから(疲れてるから)1時間以内には風呂に入るよ』と伝えてほしいし、自分で言ったことを最大限守れるように努力はしてね」と伝えました。

それでハイ解決!とはいきませんし、同じことを何度も繰り返しますが、面倒だけど面倒がらず丁寧に対応していく力を求められるんでしょうね、親は。

つくづく“子育ては忍耐力と理不尽を底上げし、コミュニケーションスキルを高める人間力トレーニング”だと思う今日この頃です。

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とある日の、よくわからない一件

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

コロナ禍も一応終わり、リモートからリアルの場も増えてきました。そこで、ある勉強会に参加しようと、参加するにあたり疑問点を団体事務局に送りました。

疑問点とは、

  • 今はリタイアしている当団体代表の書籍を読み、当日持参すること。
  • 勉強会は無料だが義援金をお願いしている件。

この2点です。

関心があって参加するのは事実ですが、いきなり書籍を買わせる必要があるのか、当日持参する理由は?義援金とは何に対して?宗教も特定の変な主張する活動団体に対しても義援金/募金なんてまっぴらお断りなんですけど・・・。

事務局からは丁寧なメールをいただきましたが、「書籍の件は義務ではありません。念のため改めて当日担当するカウンセラーに確認して貰えますか」とのことで、何度かメールしたもののなしのつぶて。

日も近いことから仕方なく電話連絡してみると、

第一声が物凄ーく感じ悪い。

私:「勉強会に申し込みしている◯◯ですが、疑問点を事務局にお聞きしたところ、担当カウンセラーに確認をと話がありました。今お電話大丈夫でしょうか」←に対し、

「ああ、ああ。で、何すか?」

あ、これ完全にダメなやつ・・・。

私:「書籍購入、当日持参は義務ではないと事務局から聞きましたが担当カウンセラーに確認をと言われました。初心者で現段階では書籍購入予定はないのですが、書籍は当日テキストになるのでしょうか?なくても参加して大丈夫なのでしょうか?」

「初心者いいですよ。テキストじゃないし書籍購入は義務じゃないです。専門用語使うから本読んでないと難しいと思うけど。うちの考え方(その療法を提唱している信念みたいな?)をしっかりわかって参加しないと意味ないと思うので買わなくても読んで来て下さい」

私:「買わなくても読んでくるとは、図書館や本屋で立読みするという事でしょうか?」

「立読みでいいです」

私:「その場合、(書籍は)持参できませんが大丈夫でしょうか?」

「あ、、、じゃ参加はちょっと」

・・・なんなんだ一体・・・。結局購入して持参が義務、と。勉強していきたいと思えば強制されなくても購入しますよ。

電話での感じ悪~い話し方で参加する気持ちが氷点下に冷え冷えになってしまったのでやめました(笑)

結局義援金よくわからず。怪しい活動団体兼ねてたのだろうか。どんな怪しい主張してる団体への義援金なのか確認すれば良かった。

皆さんも、どうぞお気をつけくださいね。

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生きづらさの正体<番外編>

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『生きづらさの正体』というタイトルで本城が書きました。それは“〜すべき”であるとか“フツーこう考えるだろ”のように、自分の価値観を他者に押し付けるような思考傾向だと、生きづらくなりやすいという話だったと思います。

今回はその番外編として、もう一つの生きづらさについて考察してみたいと思います。私は昭和の後半に生まれ、平成を過ごし、令和を迎え現在に至っています。その間、時代は変わりました。物の変化や進化は当然ですが、価値観も随分変化しました。多分、今の40代以降の世代は強くその変化を感じているだろうと思います。

社会の価値観というか通念なる目には見えないが確実に存在している変化に、もう一つの生きづらさがあるように思います。喫煙はその典型と言えるでしょう。その他、共働き(というより、共働きしないと生活が成り立ちにくい事情も)、女性や子育て、LGBTQ、マナー、効率重視傾向、合理主義傾向、コミュニケーションスタイル、働き方、各種ハラスメントなどなどがそれに当たると思います。

それぞれを細かく取り上げませんが、昭和に生まれ、平成、令和と過ごしてきた中で、これらのことを気にしながら生きていかなければ、一般人であれ社会的制裁を受けやすくなりました。それを可能にしているSNSの普及、影響は無視できないでしょう。

どこか常に監視されている“ような気がする”社会。これが、もう一つの生きづらさの正体ではないか、と思うのです。飽くまでも私見です。

『寛容』という言葉はいずれ死語になってしまうのではないか、とさえ思えてくるほど、窮屈な世の中になったなという印象は否めません。時代の空気としか言いようがありませんが、必要以上に常に我慢を強いられる世の中になったように思います。これが閉塞感の一因でもあるのかな、とすら思います。

『萎縮社会』『殺伐社会』『我慢社会』『あきらめムード社会』、こんな言葉が浮かびます。社会の表(正義・健康・マナー・効率・完全性など)と裏(矛盾・感情・不健康・非効率・不完全性など)のバランスが悪くなって、表ばかりが強調され声高に叫ばれることの気持ち悪さみたいなものを感じます。社会に奥行きがなくなり平面的になったという印象でしょうか。

東海道新幹線は3月のダイヤ改正以降、喫煙ルームを廃止し災害用備蓄ルームにするとのこと。これも喫煙ルームに比べて良い活用のことのように聞こえますが、快適という点で考えると、少なくとも愛煙家にとっては快適の一つが失われることになります。

こういうちょっとしたことが、あちこちで起こっていることで『合成の誤謬』が生じ、上手く言葉にはできない『なんとなく生きづらいな、窮屈だな』という感情を抱いてしまうのかもしれません。

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生きづらさの正体

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達特性があると、こだわりやコミュニケーション、社会性、イマジネーションその他諸々から生きづらさを感じやすい人がいます。

また、特性ではなく違う意味で「生きづらいだろうな」と感じる人がいます。

それはわざわざ意識していなくても誰もが持っている【価値観】にガンジ絡めになっている人です。そもそも価値観は、他者の生命を脅かしたり反社会的なものでもない限り、善悪で判断できるものでも、判断してもいけないものだと思っています。

価値観はその人自身が生きてきた中で養われたものの捉え方、思考、人生の指標であり、誰もがどこかで自分の価値観を尊重されたいと思っています。しかし、誰がどんな価値観を持っているのかが生きづらさに関係するのではありません。

では、生きづらさに繋がってしまう価値観とはどういうことでしょうか。

自分にはどんな価値観があるのか、まず思い浮かべたり書き出してみましょう。正義?信頼?コミュニケーション?礼儀?思いやり?協調性?貞節?経済的豊かさ?努力?人間力?

立場や役割が違うと価値観は一層多様化します。

学生なら、入社したばかりの新入社員なら、結婚しているなら、子供が生まれたら、管理職なら、男なら女なら、経営者なら、孫がいる年齢なら、仕事が教師なら、医師なら・・・誰にも顧みられないと感じている絶望と孤独の縁にいる人なら・・・。

先ほども書きましたが、誰もが自分の価値観を尊重してもらいたいと思っています。しかし、他者と関わり合いながら社会生活を送っていると、価値観が似ている人とばかりは出会わないものです。

そもそも会社(組織)は共通する価値観をベースに人間関係を築いたり働く場所ではなく、会社(組織)の理念をベースに働く場所であり、個人レベルで相性が悪かろうと価値観が真逆であろうと、我慢(何とか折り合いをつけて)して社会生活を送らなくてはなりません。プライベートであれば似たような価値観の人を選んでお付き合いできる場合もあるんですけどね。

質問です。

あなたは自分とまったく違う価値観の人と出会った時、「自分とは違う考え、価値観だけど、それはそれでアリだな」「へぇ、そういう価値観に初めて出会った!面白い!」と考える人でしょうか?

それとも「あり得ない、フツーは〇〇するものだろう」「こういう時は〇〇すべきだろう」「〇〇しなくてはいけないと考えないものか」とつい考えてしまう人でしょうか?

後者は生きづらさを感じやすくなります。

「べき」思考が強いと、自分の「〜べき」「〜するものだ」から外れた人、異論を唱える人に対してモヤッとイラッとしがちになるからです。どこかで「自分のように考えるのが当たり前だ、自分のように思う人がマジョリティで正しい」という“自分は間違わない/いつも正しい”という自分視点しか持てなくなり、思いどおりにならない周りに対し、怒りを溜め込みやすくなるので、生きづらさを感じることになってしまうのです。

生きづらさは自分自身が作り出しているかもしれません。いつも周りにイライラしがちな人は、思いどおりにならない周りばかりを気にしたり、責めるのではなく、自分自身と向き合いゆっくり自分と会話してみてください。

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親子でも他者間でも大切、親子だからこそ大切にしたいこと

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

私は現在進行形で発達障害重複を持つ思春期真っ盛りの、面倒くさい息子を養育するシングルマザーです。

修羅場の峠は越えたように思いますが、定型と言われる子供を養育している親に比べると、やはりぶつかり合いは多いのではないかと思います。

WAISで言語は高い息子。でも、特性による認知の歪みから他者間コミュニケーションにズレを生じやすく、また障害特性ゆえに行動に親はモヤモヤイライラしてしまうのが日常です。

さすがにもう血の雨は降りませんが(笑)、減ったとはいえ言い合いになるにもこれまた日常でです。そんな時、息子は自分の部屋に私はリビングで物理的距離を取り、クールダウンします。その後は必ず「さっきは嫌な言い方をしてごめん」「私こそキツイ言い方してごめんね」「実は学校で嫌なことがあって・・・」という流れです。

思春期真っ盛りのこの時期は親に反発しまくる反面、甘えたいというアンビバレント(相反する感情などを持ち葛藤する)な時期でもあります。「母さんの言うことは正論過ぎてムカつく」と言われたことがあります(笑)可愛いさと悪魔が同居していて「ツンデレか!?」と思う毎日ですが、ふと「あー、大人の階段を上ってる最中だもんね」と思ったり。

多少落ち着いたとはいえ、壮絶な親子バトルを繰り広げていた過去を持つ我が家ですが、今の私と息子の関係はかなり良好と言えます。言い合いになる時はあっても、ほとんどは落ち着いて話ができるようになりました。時々ヘンなテンションになり、いきなりタコ踊りを披露してくれる息子に対抗して、私も息子が「お、おう・・・(汗)」な反応をするような返しをしますし、買い物には嫌がらずに荷物持ちとして同行してくれます。外食にもホイホイついて来ます。

何より、「何か困ったことがあれば、かーちゃんはちゃんと話を聞いてくれる、力になってくれる」と思ってくれているようです。ありがたいですね。

その信頼関係のベースにあるものは何なのか?を考えた時に、小さなことでも家庭内に「ありがとう」が当たり前にあること、ちょっと時間はかかっても(クールダウンする)、お互いに「ごめんね」がこれまた当たり前にあることもあるのではないかと思いました。

家族だから言わなくてもわかってくれるはず←家族は血の繋がっただけの(夫婦なんて血も繋がっていない他者)他者ですし、そもそも自分以外、世界中の人は皆他者なのですから「言わなくてもわかる」なんてあり得ません。自分以外、エスパーならわかるかもしれませんが(笑)「言わなくてもわかってくれる」なんて、傲慢以外の何ものでもありません。

家族にいちいちお礼や謝罪なんて照れくさい←恋人に面と向かって「愛してる」と伝えるわけでもないのに、何だか照れくさいの使い方は間違ってますし、大人としてはイマイチカッコ悪い考えに思えます。歳を重ねたよい大人だからこそ、他者の小さな好意や厚意に対し、意識的に「ありがとう」「すみません(ごめんね)」が言えるのではないでしょうか。

「ありがとう」も「ごめんね」も人間関係を柔らかく、他者の気持ちも柔らかくする言葉です。

これからもパートナーに、子供に、友人に。もちろん親に対しても素直に言える自分でありたいと改めて思いました。

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共感疲労

メンタル・ イデア・ラボの本城ハルです。

“共感” という言葉は知っていても、共感疲労という言葉は聞き慣れず、どのような状態なのかわかりづらいと思います。

今回はそんな『共感疲労』についてお話ししたいと思います。

悩みがあって辛い状況にある他者に対し、その人の悲しみや苦しみ(絶望感や孤独感など負の感情)に寄り添い過ぎることで自分の心が疲れてしまい、ストレスを感じている状態を“共感疲労”と言います。

以前はメディカル、コメディカル、福祉に携わる人や心理カウンセラーなど、ケアや他者支援に従事している人々に起こりやすいと考えられていました。

しかし、個人的な関わりの中でも共感疲労が起こることがわかってきています。共感力が高く、肯定的に話を聞いてくれるとホッとすると思います。仕事であっても常に肯定的に共感しながら、傾聴を続けるのはエネルギーを使うことですが、関係上共感しながら肯定的に聞かなくては関係が拗れ、面倒なことになりそうな相手でも(常に愚痴っぽい兄弟姉妹、両親、親族。口を開けば他者批判や悪口を垂れ流し同調<共感ではない>を求める友人、知人、ママ友など)共感疲労は蓄積していきます。

共感疲労になると、次のような症状が表れることがあります。

  • 個人的な達成感(プライベート/仕事)が薄くなったり感じにくくなる。
  • 喜びや楽しみが減り、さまざまな活動意欲が低下する。
  • 無気力、無力感を感じたり、イライラしやすくなったり、反対に無感覚になったりする。
  • 離れても他者の悲しみや苦しみを反芻し、その原因となる事柄や人物に怒りの感情を感じる。
  • 食欲不振や不眠、胃部不快感など身体症状が出る。

また、共感疲労になりやすい人にも特徴があると考えられています。

  • 自分の仕事や役割に使命感を持ち、責任感が強い。
  • 自己肯定感が低め。
  • ネガティブ思考。
  • 他者に対し優しく親切で気遣いし過ぎる。
  • 感受性が強く繊細(HSP)。
  • 理想が高く、現実とのギャップを感じやすい。
  • 心的境界線(バウンダリー)を引くのが苦手、わからない。

共感疲労は心の状態次第で誰でもなり得ることですが、そのような状態が続くと自分が思っている以上に心に負荷がかかり、さまざまな心の不調や体の不調を引き起こすことに繋がります。

そうならないためには、まず“共感疲労”という言葉や状態があることを知ること、自分が共感疲労に陥っていないか自分自身に目を向け(マインドフルネスが有効です)、普段から十分な休養に睡眠、趣味の時間などセルフケアを心がけていくことが大切になります。

自分の感情や思考について知ること。また、気持ちが疲れた時や辛い時、苛立ちを感じる時には専門家をはじめ、自分を受け止め話を聞いてくれる信頼できる人に話を聞いてもらいましょう。

モヤモヤを自分から出し、外に置くことで問題と距離を置くことができ、モヤモヤの整理がしやすくなったり、気持ちがラクになります。

いつもの疲れが共感疲労からくるものでなないか確認してみてくださいね。

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メンタルヘルスと語彙力の関係

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は標題のとおり、ちょっと違った視点で書きたいと思います。

「メンタルヘルスと語彙力なんて、関係あるの??」と思う人も多いのではないでしょうか。

私たちは日常的に日本語を使い、意思伝達/意思確認などをしながら生活を送っていますが、普段使っている表現や語彙はどのくらいあるでしょうか?改めて考えてみてください。

美味しくても「ヤバっ!美味しい!」、寒くても「ヤバい寒い!」、叱られたり注意を受けたら「ヤバ!怒られた」と、貧相な表現になっていませんか?もちろん友達同士で話す分には、それでも十分楽しく過ごすことができ、困ることはないと思います。

言語はコミュニケーションという形で他者と理解し合うためのツールであると同時に、自分の感情を視覚化するツールでもあります。

自分に責任はないのに理不尽なことで上司に(パートナーに、親に)叱られたとしましょう。語彙力がなければ「超ムカつく!」という表現しかできなくても、語彙力があれば「頭が真っ白になった後に、怒りの感情が沸々と湧き上がった」と“怒り”一つ取っても具体的に、自分の感情に一番近い表現ができます。

語彙力があることで、自分の気持ちや感情をより的確、詳細に表現でき伝えることができるということです。これはセルフモニタリングにも大いに役立ちます。

「子供が言うことを聞かなくてムカついた」

「子供が言うことを聞かなくて頭に血が上り我を忘れそうになった」

どちらがより詳細にその時の自分の怒り具合や気持ちを表しているかわかりますよね。

セルフモニタリングに情動ラベリングは感情マネジメント(アンガーマネジメントと言えます)に取り組む上で必須ですが、より細かく感情に目を向けていくために語彙力、表現力があるほうが“今の気持ち”、“その時の気持ち”に一番ピッタリくる言葉を探しやすくなるのです。

語彙力や表現力を増やしていきたいと思った時に取り掛かりやすいのは読書でしょう。興味がある分野、好きな作家、詩集など。ただハウツー本は、あまりお勧めしません。

心情を上手に歌い上げているアーティストもいますね。どっぷり歌詞にハマりながら聴くのもよいでしょう。

そして日記。

ほとんどの人は日記に“〜があった”とその日の出来事を記します。それだけでは日記ではなく備忘録です。一緒にその時の気持ちをなるべくたくさん書き出してみましょう。「ムカついた」「超ムカついた」「死ねばいいと思った」←これらだけではいけません(笑)

「怒りの感情で手が震えた」「手足が冷たくなるほどだった」「一瞬、時が止まったかのように感じた」「一瞬、何が起きたのかわからなかった」などでしょうか。小説は主人公の心情が書いてあるので、表現力の参考になりますね。

語彙力と表現力に自信が持てると、より一層他者とのコミュニケーションを楽しむこともできるかもしれません。ただ『ムカつく』だけでは、どの程度のムカつきなのか相手はわかりません。『そこまで傷つけてしまったのか』とまで思い至ることもなく、心の傷の度合いがわからず、無用な溝が広がっていきかねません。特に夫婦関係、恋人関係、親子関係、友人関係などプライベートでの関係の相手とは注意したいところです。

自分のために、そして他者との豊かなコミュニケーションのために、今一度“語彙力”に目を向けてみませんか。

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