ちょっと様子が変な17歳息子

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

4月から高校3年(受験生)になる17歳の息子の様子が『ちょっとおかしいなー』と思いながら半月。

重複の発達障害で特性のほとんどはADHDでASD(積極奇異型)特性は少なめの息子は、良く言えば明るく天真爛漫、悪く言えば超面倒くさがりのノーテンキ。気が向かないことは、やらなくてはいけないこと(本人もわかっている)でも自分に言い訳をして何とか後回しにします。←実行機能ヨワヨワ・・・。

認知の違いから齟齬が生まれやすくぶつかる時はありますが、このところ些細な出来事に過敏に反応しての衝突が爆増していました。普段ならお互いに笑って済ませられる冗談に過剰反応して、結構な勢いで食ってかかってくる、感情的にならず穏やかに話していてもブチ切れモードで怒鳴り返してくる、など。

アンビバレントな思春期、それだけではないようです。

自分で自分を持て余している感じでしょうか。上手く立ち回れない自分、感情コントロールができない自分に。キャパシティの問題でもなさそう。

どのような場面でのどんな発言、行動を指して言われたのかわかりませんが、学校で「変わってる」「ズレてる」と言われることがあるらしく(実際、親の私ですら、「変わった認知してるなー(認知歪んでるなー)」「なんかズレっズレだなー」と感じること多々)、本人はとても気にしている様子。

誰にも責任はなく自分だけの問題だったとしても、感情の振れ幅が大きいと振り回されるのは確かで、ストレスや疲れ(心身脳みそ)は、持ち合わせる特性をより一層強くします。

彼なりにストレスコーピングを考えているそうですが、その結果、ただでさえいつも人の倍以上時間がかかる“風呂に入る準備”や“出かける準備”、“勉強に取り掛かるための準備”、“食事”、“就寝するまで”、“どこへいったかわからないモノ探し”に凄まじく時間がかかるようになっています。

そうなると、二人で生活しているので私にも多大な影響が出てくるわけで・・・

私は俗にド定型と言われるタイプでマルチタスクも得意なので、家事全般や仕事、生き物の世話などを一つの流れとして捉え、常時タスクを入れ替え(他に興味や関心があっても引っ張られることなく)無意識に時間配分を考えながら『2時間以内に全部終わらせよう』『買い物に出るから午前中にここまで』とストレスなく行動しています。途中で予期せぬ予定が入っても、瞬時にタスクを入れ替え対応することにストレスはありません。

が、いつまでも風呂に入る準備が終わらず、風呂に入らない息子を前に「22時半くらいまでには洗濯を終わらせたいんだけどなー(集合住宅で周りへの配慮)」とか「弁当箱を先に洗ってくれないとシンクが使えないんだけどなー」とモヤモヤするわけです。

のっけから感情的に声かけはせず、かなり優しく促しの声かけでスタートしますが、まあまず動きません(笑)想定内です。

しかし、しかしですね・・・「そろそろ風呂に入ってほしいなぁ」と思い声かけし、「今から入る」から2時間半は長過ぎです。もはや“風呂入る入る詐欺”です。“ご飯食べる食べる詐欺”もあります。

本人もどうすればいいのかわからずイライラモヤモヤしているのはわかります。なので「自分でも何にモヤモヤイライラしているのかよくわからない時もあるよね。だけどそれで人に八つ当たりするような態度はよくないよ。声かけたらいきなりブチギレるんじゃなくて『ちょっと余裕ないから(疲れてるから)1時間以内には風呂に入るよ』と伝えてほしいし、自分で言ったことを最大限守れるように努力はしてね」と伝えました。

それでハイ解決!とはいきませんし、同じことを何度も繰り返しますが、面倒だけど面倒がらず丁寧に対応していく力を求められるんでしょうね、親は。

つくづく“子育ては忍耐力と理不尽を底上げし、コミュニケーションスキルを高める人間力トレーニング”だと思う今日この頃です。

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生きづらさの正体

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達特性があると、こだわりやコミュニケーション、社会性、イマジネーションその他諸々から生きづらさを感じやすい人がいます。

また、特性ではなく違う意味で「生きづらいだろうな」と感じる人がいます。

それはわざわざ意識していなくても誰もが持っている【価値観】にガンジ絡めになっている人です。そもそも価値観は、他者の生命を脅かしたり反社会的なものでもない限り、善悪で判断できるものでも、判断してもいけないものだと思っています。

価値観はその人自身が生きてきた中で養われたものの捉え方、思考、人生の指標であり、誰もがどこかで自分の価値観を尊重されたいと思っています。しかし、誰がどんな価値観を持っているのかが生きづらさに関係するのではありません。

では、生きづらさに繋がってしまう価値観とはどういうことでしょうか。

自分にはどんな価値観があるのか、まず思い浮かべたり書き出してみましょう。正義?信頼?コミュニケーション?礼儀?思いやり?協調性?貞節?経済的豊かさ?努力?人間力?

立場や役割が違うと価値観は一層多様化します。

学生なら、入社したばかりの新入社員なら、結婚しているなら、子供が生まれたら、管理職なら、男なら女なら、経営者なら、孫がいる年齢なら、仕事が教師なら、医師なら・・・誰にも顧みられないと感じている絶望と孤独の縁にいる人なら・・・。

先ほども書きましたが、誰もが自分の価値観を尊重してもらいたいと思っています。しかし、他者と関わり合いながら社会生活を送っていると、価値観が似ている人とばかりは出会わないものです。

そもそも会社(組織)は共通する価値観をベースに人間関係を築いたり働く場所ではなく、会社(組織)の理念をベースに働く場所であり、個人レベルで相性が悪かろうと価値観が真逆であろうと、我慢(何とか折り合いをつけて)して社会生活を送らなくてはなりません。プライベートであれば似たような価値観の人を選んでお付き合いできる場合もあるんですけどね。

質問です。

あなたは自分とまったく違う価値観の人と出会った時、「自分とは違う考え、価値観だけど、それはそれでアリだな」「へぇ、そういう価値観に初めて出会った!面白い!」と考える人でしょうか?

それとも「あり得ない、フツーは〇〇するものだろう」「こういう時は〇〇すべきだろう」「〇〇しなくてはいけないと考えないものか」とつい考えてしまう人でしょうか?

後者は生きづらさを感じやすくなります。

「べき」思考が強いと、自分の「〜べき」「〜するものだ」から外れた人、異論を唱える人に対してモヤッとイラッとしがちになるからです。どこかで「自分のように考えるのが当たり前だ、自分のように思う人がマジョリティで正しい」という“自分は間違わない/いつも正しい”という自分視点しか持てなくなり、思いどおりにならない周りに対し、怒りを溜め込みやすくなるので、生きづらさを感じることになってしまうのです。

生きづらさは自分自身が作り出しているかもしれません。いつも周りにイライラしがちな人は、思いどおりにならない周りばかりを気にしたり、責めるのではなく、自分自身と向き合いゆっくり自分と会話してみてください。

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親子でも他者間でも大切、親子だからこそ大切にしたいこと

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

私は現在進行形で発達障害重複を持つ思春期真っ盛りの、面倒くさい息子を養育するシングルマザーです。

修羅場の峠は越えたように思いますが、定型と言われる子供を養育している親に比べると、やはりぶつかり合いは多いのではないかと思います。

WAISで言語は高い息子。でも、特性による認知の歪みから他者間コミュニケーションにズレを生じやすく、また障害特性ゆえに行動に親はモヤモヤイライラしてしまうのが日常です。

さすがにもう血の雨は降りませんが(笑)、減ったとはいえ言い合いになるにもこれまた日常でです。そんな時、息子は自分の部屋に私はリビングで物理的距離を取り、クールダウンします。その後は必ず「さっきは嫌な言い方をしてごめん」「私こそキツイ言い方してごめんね」「実は学校で嫌なことがあって・・・」という流れです。

思春期真っ盛りのこの時期は親に反発しまくる反面、甘えたいというアンビバレント(相反する感情などを持ち葛藤する)な時期でもあります。「母さんの言うことは正論過ぎてムカつく」と言われたことがあります(笑)可愛いさと悪魔が同居していて「ツンデレか!?」と思う毎日ですが、ふと「あー、大人の階段を上ってる最中だもんね」と思ったり。

多少落ち着いたとはいえ、壮絶な親子バトルを繰り広げていた過去を持つ我が家ですが、今の私と息子の関係はかなり良好と言えます。言い合いになる時はあっても、ほとんどは落ち着いて話ができるようになりました。時々ヘンなテンションになり、いきなりタコ踊りを披露してくれる息子に対抗して、私も息子が「お、おう・・・(汗)」な反応をするような返しをしますし、買い物には嫌がらずに荷物持ちとして同行してくれます。外食にもホイホイついて来ます。

何より、「何か困ったことがあれば、かーちゃんはちゃんと話を聞いてくれる、力になってくれる」と思ってくれているようです。ありがたいですね。

その信頼関係のベースにあるものは何なのか?を考えた時に、小さなことでも家庭内に「ありがとう」が当たり前にあること、ちょっと時間はかかっても(クールダウンする)、お互いに「ごめんね」がこれまた当たり前にあることもあるのではないかと思いました。

家族だから言わなくてもわかってくれるはず←家族は血の繋がっただけの(夫婦なんて血も繋がっていない他者)他者ですし、そもそも自分以外、世界中の人は皆他者なのですから「言わなくてもわかる」なんてあり得ません。自分以外、エスパーならわかるかもしれませんが(笑)「言わなくてもわかってくれる」なんて、傲慢以外の何ものでもありません。

家族にいちいちお礼や謝罪なんて照れくさい←恋人に面と向かって「愛してる」と伝えるわけでもないのに、何だか照れくさいの使い方は間違ってますし、大人としてはイマイチカッコ悪い考えに思えます。歳を重ねたよい大人だからこそ、他者の小さな好意や厚意に対し、意識的に「ありがとう」「すみません(ごめんね)」が言えるのではないでしょうか。

「ありがとう」も「ごめんね」も人間関係を柔らかく、他者の気持ちも柔らかくする言葉です。

これからもパートナーに、子供に、友人に。もちろん親に対しても素直に言える自分でありたいと改めて思いました。

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メンタルヘルスと語彙力の関係

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は標題のとおり、ちょっと違った視点で書きたいと思います。

「メンタルヘルスと語彙力なんて、関係あるの??」と思う人も多いのではないでしょうか。

私たちは日常的に日本語を使い、意思伝達/意思確認などをしながら生活を送っていますが、普段使っている表現や語彙はどのくらいあるでしょうか?改めて考えてみてください。

美味しくても「ヤバっ!美味しい!」、寒くても「ヤバい寒い!」、叱られたり注意を受けたら「ヤバ!怒られた」と、貧相な表現になっていませんか?もちろん友達同士で話す分には、それでも十分楽しく過ごすことができ、困ることはないと思います。

言語はコミュニケーションという形で他者と理解し合うためのツールであると同時に、自分の感情を視覚化するツールでもあります。

自分に責任はないのに理不尽なことで上司に(パートナーに、親に)叱られたとしましょう。語彙力がなければ「超ムカつく!」という表現しかできなくても、語彙力があれば「頭が真っ白になった後に、怒りの感情が沸々と湧き上がった」と“怒り”一つ取っても具体的に、自分の感情に一番近い表現ができます。

語彙力があることで、自分の気持ちや感情をより的確、詳細に表現でき伝えることができるということです。これはセルフモニタリングにも大いに役立ちます。

「子供が言うことを聞かなくてムカついた」

「子供が言うことを聞かなくて頭に血が上り我を忘れそうになった」

どちらがより詳細にその時の自分の怒り具合や気持ちを表しているかわかりますよね。

セルフモニタリングに情動ラベリングは感情マネジメント(アンガーマネジメントと言えます)に取り組む上で必須ですが、より細かく感情に目を向けていくために語彙力、表現力があるほうが“今の気持ち”、“その時の気持ち”に一番ピッタリくる言葉を探しやすくなるのです。

語彙力や表現力を増やしていきたいと思った時に取り掛かりやすいのは読書でしょう。興味がある分野、好きな作家、詩集など。ただハウツー本は、あまりお勧めしません。

心情を上手に歌い上げているアーティストもいますね。どっぷり歌詞にハマりながら聴くのもよいでしょう。

そして日記。

ほとんどの人は日記に“〜があった”とその日の出来事を記します。それだけでは日記ではなく備忘録です。一緒にその時の気持ちをなるべくたくさん書き出してみましょう。「ムカついた」「超ムカついた」「死ねばいいと思った」←これらだけではいけません(笑)

「怒りの感情で手が震えた」「手足が冷たくなるほどだった」「一瞬、時が止まったかのように感じた」「一瞬、何が起きたのかわからなかった」などでしょうか。小説は主人公の心情が書いてあるので、表現力の参考になりますね。

語彙力と表現力に自信が持てると、より一層他者とのコミュニケーションを楽しむこともできるかもしれません。ただ『ムカつく』だけでは、どの程度のムカつきなのか相手はわかりません。『そこまで傷つけてしまったのか』とまで思い至ることもなく、心の傷の度合いがわからず、無用な溝が広がっていきかねません。特に夫婦関係、恋人関係、親子関係、友人関係などプライベートでの関係の相手とは注意したいところです。

自分のために、そして他者との豊かなコミュニケーションのために、今一度“語彙力”に目を向けてみませんか。

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機能不全家族【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

7月最後のコラムからの続きで、機能不全家族の具体的な例をお話しします。

その前に機能不全家族の主な特徴はというと、

  • 食事や睡眠など、生きるために必要な欲求を満たせない。
  • 物理的/精神的に常に安心して過ごせない(心理的安全性が担保されていない)。
  • 人格/存在を否定される。
  • 周囲(子供の場合は養育者)から意に沿わない過剰な期待がある。

などなど、書いているだけで胸が痛くなる話です。

思春期反抗期で、私に対し自分の意思を通そうと真っ向からぶつかってきて、しかも理不尽に親に八つ当たりしまくれる息子は、少なくとも抑圧され親にコントロールされていないことだけは確かです。

それでは細かく見ていきましょう。

●親の期待に沿った時だけ褒めますが、親に一貫性がなくその時の感情次第で同じことをしても(例えばテストで良い点を取った、嫌いなおかずを頑張って食べたなど)褒める時と褒めない時がある。

●同級生、兄弟姉妹と比較する(親の言うことをきく/成績やできること・できないことなど)。→「あなたは何をやっても下手」「どうせまた失敗する」「○○さんはできるのに(ため息)」「こんなことくらいできないクズ」

●子供の前で日常的に互いを否定するような暴言、また怒鳴ったり暴力を伴う夫婦喧嘩をする。

●子供を思いどおりにコントロールしようとする(友人関係への口出し/子供の意思や考えを尊重せず、親が何でも決める)。

●過干渉:友人関係や学校生活のことを何でも逐一知りたがり、把握していなくては気が済まず、口出し/指図、命令したがる。口癖は「あなたのためを思って」です。

●人格や存在そのものを否定するような暴言がある。→「あなたなんかいなくなればいい」「いる意味ない」「あなたなんか産まなければよかった」「死ね(死んでいいよ)」「生きている価値ない」など。

あらゆるハラスメントに言えることですが、特に家庭内でおこなわれる子供やパートナーに対するハラスメントは内側から声を上げなければ表面化することすらなく、当事者だけでは解決が難しいケースがほとんどです。

立場(役職)が上だから、働いているから、給料が高いから、年上だから、親だから、男だから・・・どのような場合でも他者の人権を尊重せず、人格を否定し踏みにじることは許されることではありません。普段はこのようなことは誰もが理解していると思いますが、現実は案外横行しています。

特に家庭内においては赤の他人ではない関係性だけに何も意識せず、無邪気に(夫・妻・子供の)人格を否定し踏みにじる言動を言いたい放題なのではないでしょうか。

意思や感情、行動を尊重されること(オールイエスという意味ではありません)で、自己肯定感は育ちます。

何をしても叱らず褒めるだけの育児も、自己肯定感が尊大化したり妙な自己万能感を持つ自己愛を拗らせた人(自己愛性パーソナリティ障害)に成長してしまうことがあります。

本当に養育者の役割、正常に機能する家族の役割は重要で大切なのだと思います。

8月15日火曜日のコラムは夏季休業のため休載します。8月20日日曜日より掲載します。

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機能不全家族【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

読んで字の如く“家族として正常に機能していない家族”のことです。

機能不全家族の中で育つと、親から離れてもさまざまな場面で生きづらさを抱え、人間関係で困難さを持ち続ける人が少なくありません。

それは学業や対人関係、仕事や結婚生活、育児までその人の人生に深いトラウマを刻みつけるのです。

“親と離れたから自分らしく生きられる”

実はそう簡単なことではないのです。

本コラムでも何度か毒親や愛着について書いていますので、参照していただければと思います。

毒親〜前編:大きく4タイプ 毒親〜後編:子供は別人格の他者 生きづらさ/アタッチメント不全【1】 生きづらさ/アタッチメント不全【2】 生きづらさ/アタッチメント不全【3】愛着スタイル回避型

具体的にどのような家庭が機能不全家族、毒親と言われるのか?

家庭内で身体的・心理的な虐待・ネグレクト(育児放棄)があるなどして、家族として機能を十分に果たしていないと考えられる家庭のことを指します。

より具体的には親が子供の尊厳を無視し、まるで自分の所有物かのように思いどおりにしようと暴言、暴力を振るうケースもみられます。

過干渉で子供に意思決定を任せず、親の考えでコントロールし支配しようとするケースでは、親子共依存関係にある特徴もあります。

親の気分次第で無視したり暴言を吐いたり、普段は無関心なのにやたら過干渉になったりと親子関係が不安定なので、家庭内はいつも緊張感が漂っています。

パートナーに対して威圧的/高圧的になる人や、反対に先回りして怒らせないように自分を押し殺す人もいます。

機能不全家族で育つと主に次の2つの特徴があるように思います。

1)他者と信頼関係に裏付けられた持続した人間関係を築けない。

2)自分の感情や気持ちを素直に表現できない。

パーソナリティ障害の境界性パーソナリティ障害にも共通します。

次回はより具体的な例を挙げながら、機能不全家族について考えていきます。

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組織における心理的安全性とは

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【心理的安全性】
最近よく聞くようになりましたね。

今回は心理的安全性を組織という視点から考えてみます。

“心理的安全性”という言葉にどのようなイメージを持っていますか?

優しさや思いやりなど何となく心地良く耳障りが良いイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。
組織だと“提案が通りやすい”、“皆が話をちゃんと聞いてくれる”あたりをイメージする人が多いと思います。

イメージ先行で組織における心理的安全性の本当の意味を誤解している人もいるようなので今回改めて話をしようと思います。

改めて聞きます。

あなたが考える心理的安全性とはどのようなものですか?

何でも肯定的に受け止めてくれる居心地の良い環境、風通しが良く、皆が仲良く気持ち良く仕事ができる環境・・・。

どちらも正しい認識ではありません。

確かに、“気持ち良く仕事ができる”ことは大切だと思いますが、会社(組織)は仲良しクラブではありません。
もっと言えば、みんなで仲良く仕事をすることが目的ではありません。

心理的安全性が高い組織とは、“他者と意見や考えが違う時でも、誰に忖度することなく率直に意見が述べられる場”と定義できます。

実際、組織にはさまざまな年齢のさまざまな立場の人がいます。
現実で考えてみましょう。

あなたがやる気はあってもまだキャリアも浅く若手の立場だとして、自分よりも遥かに年齢もキャリアも上の人に対し「それは良い判断ではないと思います。なぜならば~」と、何の躊躇もなく自分の考えを発言できるでしょうか。

仲の良い先輩、可愛がってくれている上司が相手ではなく、あなたに対し批判的な人が相手であったとしても。

また、あなたが逆の立場であった時にそれを言われて嫌な気持ちになったり、その場が居心地悪くなるようなことはありませんか?
抵抗なくナチュラルに他者の意見に耳を傾けることができますか。

このように、心理的安全性が高く、自分の考えを率直に発言できる場が誰にとってもいつでも居心地が良い場であるとは限らないのです。

むしろ、心理的安全性が高く誰もが率直な意見を交わしやすい場というのは、居心地が悪くなる可能性もある手厳しい場でもあるということです。

馴れ合いと対極にあると言ってもいいかもしれませんね。

反対意見を述べる時にこそ考えなくてはいけないのが、“アサーティブである”というとです。反対意見≠喧嘩なので、喧嘩を売るではありません(笑)

アサーションスキルを身につけている組織では意見のぶつかり合いがあってもヒヤヒヤせずに見ていられますが、アサーションスキルがないと一気に場が硬直し空気が凍りつく場面を見てきました。

心理的安全性を担保するために、組織全体でアサーションに取り組んでいくことも重要だと考えています。

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認知を歪ませるもの【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

連日暑い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか。

さて前回の続きとなります。【1】でもお話ししましたが、認知は後天的に育まれていくその人の“物事の受け取り方”です。

機能不全家族の中で育つと認知は歪みやすいこともお話ししました。

では、それ以外ではどのような原因で認知は歪んでしまうのでしょうか?

生きていく中で、何の出来事も起きずに誰とも関わらなければ、良くも悪くも体験は生まれません。

失敗体験は誰にでもあることですし、失敗体験自体が悪でもありません。しかし、モラハラ上司(あるいはパートナー)に、小さな失敗や間違いをいちいち「何をやらせてもダメだ!」「君のように無能な人間は見たことがない」「見捨てないのは私だけだよ」「何度言ってもこれくらいできないなんて辞めてもらうしかない」「そんなことじゃ、もう別れる」・・・などと否定、ダメ出しばかり言われ続けたとしたらどうでしょう。

もちろん最初は「もう少し頑張ろう」「頑張ればできるかな」と思っていても、度重なる否定やダメ出しに心は削られていき、失敗ばかりの自分、何度やってもダメな無能な自分(思い込みですが)に自己肯定感はダダ下がります。

「どうせ何やっても私(オレ)なんてダメなんだ」と自分に諦めてしまします。

何かにチャレンジする機会があってもツラい経験の積み重ねから「自分なんかどうせまた失敗するに決まってる、自分はクズだ」と考えてしまい、踏み出すことができなくなるのです。

失敗する/間違う=自分は無能なんだ、という認知の歪みに繋がっているのがおわかりでしょうか。

他者を信じられない人は、信じられない根底に“裏切られる怖さ”を抱えているケースも多く見られます。誰でも傷つくのは嫌ですし、裏切られるのはもっと嫌なものです。

お付き合いする度にパートナーに裏切られてきた過去があると、無意識に「どうせまた裏切るんだろう」と思ってしまい、連絡がつかない、LINEに返事がないだけで「浮気しているに違いない」「嫌われたんじゃないか」と考えます。

自分の不安や認知の歪みを客観視できないことで、相手の都合を考えられず鬼電鬼LINEをし、本当に嫌われて終わります。←やっぱり私は嫌われるんだ/裏切られるんだ、という負の経験を積む結果になる。

パートナーだけではなく交友関係にも当てはまりますね。

過去、プライベートで自分のタイミングで連絡がつかない、と鬼電鬼メールしてくる人がいました。

「本当は私のこと、どうでもいいと思ってるでしょ?」

「メールくらいすぐ返せるのにメールくれないなんて私のこと嫌いでしょ?」

「私のこと、心配じゃないんでしょ?」

と、こちらの都合はマルっと無視です。

「きっと忙しいだな」「手が空いたら連絡来るだろう」という認知だったら、こうはならなかったはずです。

対面カウンセリングやセッション中には、それが誰でもどんな用件でも一切レスはできませんし(携帯を見ません)、寝ている時にも当たり前にレスはできません。仕事中などはすぐにレスを返せないことは多くの人が経験していると思います。

付き合いきれなくなり“お付き合い終了”となったわけですが、最後に言われたのが「結局ハルちゃんも私のこと裏切るんだ・・・」でした。

寝込むほどげんなり疲れたのは言うまでもありません。

認知の歪みは自分を縛りつけ、苦しめるだけでなく、人間関係も破壊しかねません。時々「この受け取り方って、一方向からの思い込みになってないかな」と意識してみるとよいかもしれませんね。

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認知を歪ませるもの【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

コラムでもしつこいくらい“認知”について書いていますが、今回はその認知を歪ませる要因について考えていきたいと思います。

認知とは限りなく平たく言えば、その人のものの受け止め方です。気質的な遺伝はともかく、生まれ落ちた時は誰もが価値観どころか認知など育まれていません。ということは、認知は先天的なものではなく、後天的要因によりその人の中で育まれていくものだと言えます。価値観ともよく似ていますね。

認知が偏る、歪んでいるとどのような生きづらさが生まれるのでしょうか。

【朝、社内で前から同僚が歩いて来たので挨拶をしたが無視された】

○歪んだ認知
何か気に入らないことをしたかな?(不安)
アイツ、無視しやがった!(不快/怒り)

○歪んでいない認知
何か考え事していて気づかなかったのかな?
声が小さくて聞こえなかったのかな?

不安や怒りといった感情は生まれない。

【パートナーからLINEの返事が来ない/電話に出ない】

○歪んだ認知
何か気に入らないことを言ったかしたかな(不安)。
浮気してるに違いない(決めつけ)。
別れたがっているんじゃないか(思い込み)。

○歪んでいない認知
スマホの近くにいないのかな。
手が離せない用事中かも。
仕事、忙しいのかな。

【人と会っている時に、その人がチラッと時計を見た】

○歪んだ認知
私、何か気に障ることを言ったかな(不安)。
話してても楽しくないに違いない(想像の飛躍)
退屈で早く帰りたがってるんだ(決めつけ)

○歪んでいない認知
この後、用事があるのかな(時間大丈夫か聞いてみよう)。

受け取り方次第で気持ちや感情が違うのをおわかりいただけましたか?

発達障害特性/HSP/パーソナリティ障害なども関係してきますが、認知は生育環境/失敗経験や成功体験から積み重ねられ、その中に形作られていきます。

日常的に否定/抑圧が多く時には暴力。このようにアタッチメント不全になりやすい環境の中ではのびのびと生きられず健全な認知は育まれません。以前にもコラムで認知の歪みについて書いていますので、参考にしてみてください。

・2020年3月15日コラム

流行りの毒親

精神的/肉体的/性的な虐待はもちろん「あなたのためを思って」「お母さん(お父さん)に任せておけば大丈夫」「お母さん(お父さん)の言うとおりにしなさいね」は耳障りよく聞こえても実は“押しつけ”“抑圧”がぎゅうぎゅうに詰まっています。

手取り足取り子供の面倒を見、危なくないように進む道をならす。障害など特別な配慮が必要な場合を除き、それらをやっていいのは小学校低学年までではないでしょうか。

次回は私が経験した実例を挙げながら、どれほど認知の歪みが本人の生きづらさはもちろん、周りを振り回すことになりかねないのかお話ししたいと思います。

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ASD積極型/受動型【3】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、周囲の無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

大人になってから社会、家庭での違和感や生きづらさから、精神科やメンタルクリニックを受診し(連れて来られるも含む)診断がおりる発達障害(グレー含む)の人が増えています。

発達に凸凹が大きいとライフステージによって、さまざまな不安や困り感(本人/周り)が表れます。

落ち着きがない、遅刻ばかりする、忘れ物・失くし物が多い、ケアレスミスが多過ぎる、というわかりやすい表れ方とは違い“人間関係”はわかりづらく、言葉としても表現しづらい悩みとして積み重なっていきます。

周りから「何か違う」「ちょっと変」「人の気持ちがわからないのでは?」「無責任」「無神経」、本人は「他者と上手く関われない」「誰も自分の気持ちをわかってくれない」「いつも自分が悪者になってしまう」「わからないのに教えてくれない」「なぜか嫌われる」「すごく疲れる」といった訴えを聞きます。

前回、前々回で2つのタイプについてお話ししましたが、今回取り上げる受動型は“仕事ができるかどうか”はともかく、空気は読めなくても表立って他者を批判したり攻撃的な言動がないので穏やかに見えます。おっとりとしているように見える人も多く、物腰も柔らかいので第一印象は良いはずです。

受動型の一番の特徴は“自分の考えや意見を言わない”ではないでしょうか。もちろん彼らには彼らの考えはあるようですが、他者の意見や考えに反対意見をあまり述べず、否定しないので「何でも任せてくれる」「否定されない」「受け止めてくれる(ように見える)」と、最初の人物評価は概ね良です。

社会(会社/組織)と家庭では他者との関係も距離も違い、また求められる役割も違います。組織も家庭も“チーム”だと考えていますが、どうも同居家族(夫・父親、妻・母親)の役割において周りの困り感が爆増するように思えます。

  • 言えばやってくれる→言わないことはやってくれない(想像できない、気付かない)
  • 何でも任せてくれる→自ら考え動かない(責任を負わない)

受動型が表立ってトラブルが少なく感じるのはその“受け身姿勢”にあります。前回も書いていますが、基本が受け身なので積極型のように他者都合を無視して、バウンダリーオーバーしてグイグイいくことはありません。バウンダリーだけを考えれば良識的で大人に感じるでしょう。

この“受け身姿勢”は何もない平常時は「私の気持ちや考えを尊重してくれているのね」と思われるため問題ないのですが、困るのは何らかのトラブルが持ち上がり、家族協力しなくてはいけない有事です。他者任せの受動型は自らトラブル解決に動きません(動けません?)。これは自分が困っていなければ家族が困っていても気にしない、という他者への興味関心の薄さもあります。「何とかなるだろう」という見通しの甘さに加え、「何とかしてくれる(だろう)」という他者任せの受け身な考えからくるものです。

家族が知らない間に借金を繰り返し、何度も話し合っても改善されず(話が噛み合わず奥さん側が感情的になってしまう、もセット)、生活が立ちいかなくなって離婚、夫婦で子供のことを考えようとしても「任せるよ」「それでいいんじゃない」と話し合いにならず、結局相手任せの丸投げ、よく聞くあるある話です。

自分視点が強く他者視点で物事を考えられないのはASDの特徴でもありますから、相手の気持ちがわかりません。気持ちがわからないので、なぜ有事なのか理解できません。やってもらうことに対し従属的であっても、解決しなければならないことに対して能動的にならない(なれない)のが受動型です。

ライフステージでさまざまな困り感が表れる発達障害、受診(診断を受ける)の目安を聞かれることがあります。

  • 本人に違和感や生きづらさを感じている。
  • 職場や家族など周りから勧められる←周りの人たちには違和感や困り感があるということです。

本人が困っていなければしなくてもよいと聞くことがあり、確かにそうなのですが・・・。本人に困り感がなく、周りも困り感がないのであれば受診の必要はないと思っています。障害(脳のクセ)ですから、診断を受けたからといって治療をすれば完治するものではありません。私は本人が「自分を知り、自分(&周りと)とどう付き合っていくか」を考えるきっかけと、周りが「こう接していけばいいのか」を知る最初の一歩にするのがよいのではないかと考えています。

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