プラスに言い換えて受け止め方を変えてみましょう【リフレーミング】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

リフレーミングとは・・・

物事を見る枠組み(フレーム)を変え、違う視点で捉えることで前向きに解釈できる状態になることです。

ネガティブに捉えがちな自分の短所(と思い込んでいる)を違う角度から眺めてみると、案外長所だったりするものです。

例えば、“人見知り”は“慎重である”と言い換えることができます。

探し出してリフレーミングで一般的にネガティブと思われがちないろいろな言葉をプラスに言い換える練習をしてみましょう。

愛想がない
→その人の肩書きや出会った状況に流されない。

●心配性
→感受性が鋭く慎重、真面目で責任感が強い。

●流されやすい
→柔軟性があり、臨機応変で適応力が高い。

●見栄張り
→発想力がありエネルギッシュ、向上心がある。

●目立ちたがり
→社交的で行動力がある。

●弱虫
→自制心が強く慎重、物静かで思慮深い。

●腹が立つ
→正義感が強く、自分に正直。

●優柔不断
→多角的に物事を見ていて慎重。

●気分屋
→自由で感情表現が豊か、切り替え上手。

など。

短所だと思ってコンプレックスがあったり、ネガティブな感情を持つ自分が嫌になった時こそリフレーミング。←ここがミソです。開き直ってリフレーミングすると、間違った方向へいきます。例えば『腹が立つ』の場合、開き直って<気に入らないならしょっちゅう腹を立てていい>と言っているのではありません。それは単なるわがままで、場合によっては即、パワハラ、モラハラになります。

物事は一方の方向から見るものではなく、あらゆる角度から見て判断するものです。頭でわかっていても、日常の生活や仕事に追われていると、ついついそのことを忘れて、自分の尺度や自分が考えるフツーという物差しで相手(他者)や物事を見ていませんか?

ペットボトルも、上から横から真下からと、視点を変えるといろいろな表情(形)があります。ペットボトルのシルエットを想像すればわかると思います。

あなたが短所だと思っていることが、他者からは案外魅力的に映っているかもしれません。

ちなみに私のパートナーは“超”がつく人見知りです。心のハードルが物凄く高いのですが、その分バウンダリーがしっかりしています。おいそれと内側(内面)に踏み込めないタイプです。

パートナー本人はどう感じているのかはわかりませんが、私からは慎重でリスク管理能力が高く、とても頼り甲斐があると思っています。

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『メンヘラ』と呼ばれる人たち

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【メンヘラ】

もちろん正式な心理学用語ではありませんが、この単語が市民権を得てずいぶん経ちます。今では【ファッションメンヘラ】【ツンデレ】【ヤンデレ】と種類も豊富で、どこまでも広がりをみせ、進化し続けているのがメンヘラです。

親から受け継ぐ気質的なものが多少は関係しますが、生まれつきのメンヘラはいません。ならば、なぜメンヘラになってしまうのでしょうか。

メンヘラは自分に自信がありません。

親を含め他者からダメ出しや否定ばかりされていると、「自分はダメ人間なんだ」と思い込まされ、自尊感情が育ちません。これは抑圧によっても起こります。

「お前なんか何やってもまともにできない人間なんだ」と毎日言われ続けたら、初めは「そんなことない!」と思っていても「そっか・・・そうなんだ、私なんて何やってもダメで価値のない人間なんだ・・・」と劣等感に苛まれ自信がなくなりませんか?

自分で自分を大切にしよう、自分にはいいところもたくさんある、私は大切にされる価値のある人間なんだ・・・これが自尊感情です。

自分が嫌い、自分なんて・・・と劣等感が強く自己肯定感がとことん低いのもメンヘラの特徴ですが、これだけだと落ち込んで後ろ向きなネガティブ全開の時には誰もが陥る可能性があります。

しかし、メンヘラになると「こんな私は愛してくれる人なんていない、いるはずがない、私なんか誰からも必要とされない」と勝手に思い込むので、その人を大切に想う恋人や大切にしたいと思う友人の自分に向けられる愛情や好意を彼らが納得する証拠がなければ信じることができません。

その結果、「この人は本当に私を愛しているのか」「本当に私のことを大切にしているのか」を自分の尺度で確認するために、証拠が欲しくて“試し行為”に出ます。ほとんどが無意識におこなわれるため、本人に試し行為をしている自覚はありません。

  • 本当に好きならLINEの返事をすぐくれるはず
  • 既読無視なんて絶対しないはず
  • 本当に好きなら道行く異性を見たりしない
  • 本当に好きなら言わなくても私のことをわかってくれるはず
  • 本当に好きなら死にたいなんて言ったら私を心配してすぐに来てくれるはず
  • 本当の友達なら私の言ったことを否定しないはず

など、試し行為はあらゆる場面に及び、試し行為で一度は納得しても、そもそも根底には他者を信じられないベースが出来上がっているので、繰り返し繰り返し形を変え試し行為がおこなわれます。

パートナーや友達がメンヘラだと、いくらその試し行為に応えても底の抜けたバケツに水を注ぎ続けるように、一杯になる(満足する)ことはありません。満足(信用)できないのです。

感情のコントロールができないので、良くも悪くもスリリングで不安定な付き合い方になります。最初は人懐っこく感情表現が豊かな人だと魅力的に映りますが、あまりに感情の起伏が激しいと振り回されて一緒にいることがツラくなるほど疲弊します。

すぐ怒る、すぐ泣く、すぐ責める、すぐ自虐的になる、すぐ大量に薬や酒を飲む、すぐ手首を切る、すぐ被害妄想を炸裂させる・・・でもどっぷり依存する。

生まれつきのメンヘラはいないことを考えると、すべては後天的であり親を含め他者との関わりの中で傷つき体験を重ね、大きな歪みを生じ自己肯定感より自己否定感が上回ってしまった、と考えられます。

信じたいのに信じることができない。信じるために試し行為を繰り返し、それが原因で人間関係がズタボロになり周りに人が居なくなり、ますます自信を失くし「やっぱり自分は価値のない人間」「やっぱり愛されてない」「やっぱり誰も自分をわかってくれない」「やっぱり人は裏切る」と傷つき、さらに失敗体験を重ねてしまう、まるで負のスパイラルです。

とても辛いと思います。

メンヘラの多くはパーソナリティに何らかの問題を抱えています。そしてそれは生育歴にまで遡らないと複雑に絡まった糸玉を探すことも、ほぐすこともできないことがほとんどでした。本来の自分らしさを取り戻していくその過程も想像を絶する辛さの連続になる人が多く、あまりの苦しさに途中脱落していくクライエントも多くいます。

人の心はいとも簡単に操作されますし、傷つけられ続けると簡単に認知は歪みます。思い込みや被害感情ばかりが強くなり、それが認知の歪みを引き起こしていることにすら気づけなくなります。

ファッションメンヘラは知りませんが、なりたくてメンヘラになる人はいないと思っています。

発達障害とは違う生きづらさを抱えている人たち、それがメンヘラでもあるのです。

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厄介な自己愛オバケ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

“自己愛”と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

自己愛は、自分を認めありのままを受け入れていくことで育まれていく自己肯定感のベースになります。

ただ、自己愛が強過ぎる(自分大好き過ぎ/自分大切過ぎ)とかなり厄介で、周りから疎まれる存在になってしまうのも事実です。

その自己愛オバケの特徴を見ていきましょう。

他者から賞賛されること、承認欲求が強い

→SNSで「いいね」の数、賞賛コメントが少ないと自尊感情が低下してしまう。自分が期待する反応がないと「自分はもっと評価されるはずの人間なのに」と落ち込んだり、評価されなかったことに対して怒りを覚えます。

他者から特別な配慮や敬意を持った扱いをされることを期待し(それを当たり前と考えている強者もいる)、それが叶えられないと不満・鬱憤を溜め怒りを覚えやすい。

→自分を特別扱いしてほしいかまってちゃんにありがちですね。成り金もこのタイプが多い傾向にあります。

自己愛強過ぎタイプで有能感が強い人

大昔に大企業のお偉いさんだったであろう(あるいは地区のお偉いさんとか?)今はただの人が「俺を誰だと思ってるんだ!(怒)」とコンビニで息巻いて突っ掛かりまくりなのを見たことがありますが、まさに「俺スゴイ俺エライ」と、この自己愛拗らせ倒した自己愛オバケの典型です。社会的地位の高かった男性に多い傾向にあります。なかなか滑稽ですが、カラまれる側はたまりませんね。

自分の不安や不満、感情を調整して表出コントロールしずらく、他者に感情の尻拭いを持っていきがち、あるいはぶつける。

簡単に言うと、八つ当たりですね。当たられた側は不愉快極まりないと思います。

また、自己愛の強過ぎる人はとても傷つきやすい人でもあるので、傷つかないために他者の言動に反応する心の防衛反応が過敏で攻撃的になりやすいと言えます。実際、自己愛が強過ぎる人は他者に対し「えっ?そんなことで?」「どこに地雷あった?」という場面で攻撃的な態度を取ります。ある意味、このタイプも生きづらいだろうと思います。

いろんな“生きづらさ”をテーマに、次回は【メンヘラと呼ばれる人たち】について考えてみます。

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メンタルを弱らせるもの

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

私はたまに、特に何かあったわけでもないのに、急にメンタルが弱ることがあります。

私が言うメンタルが弱るとは、ネガティブ思考になっていくことです。『病む』とはちょっと違います。ただ進行すると『病む』ほうへ行くというか、落ちるというか、そんな状態に陥りやすくなると思います。

そういう意味では、メンタルが弱るとはメンタルが病む前兆なのかもしれません。

何がそうさせているのか?

メンタルが弱っている時、努めて冷静になぜ弱っているのかを考えてみました。最初は具体的に何かあったか、そのキッカケとなる出来事を振り返りました。しかし、メンタルが弱るほどの出来事で思い当たることはありません。

では一体この状態にさせているのは何なんだろう?

そして、過去の時も含めて振り返って考えてみました。すると、ある共通点に気づきました。それは『疲れている』時にメンタルが弱ってくる傾向にあるな、ということです。

疲れている、だけではメンタルが弱すぎると思われる読者もいると思いますが、私はその『疲れ』の種類に注目しました。

疲れにも、さまざまな種類があります。例えば、ランニングなど運動をした後の気持ちいい疲れ、仲のよい仲間と飲んだ後の楽しい疲れ、恋人と旅行へ行った時の心地よい疲れ、仕事で失敗してしまった日の重い疲れ、友人と喧嘩してしまった後の苦々しい疲れ、などなど疲れにも種類があります。普段はそんな疲れの種類を考えていない人が多いと思いますが、言われてみれば何となくわかると思います。

それで、メンタルを弱らせる疲れは一体どんな種類の疲れなのか、ということですが、私の場合、『充実感がないことが続いた時の疲れ』でした。一体いつまで続くのか?終わりがあるのか?先が見えない状況への焦燥感と相まって、充実感を感じない日々が続いた時、ふと生きていることに対する疲れの感覚が、黒い雨雲のように立ち込めてくるのです。

充実感がないことが続くとメンタルは弱りやすい、ということに気づきました。

たまたま今日は充実感がなかった、だけではメンタルは弱りません。続いているかがポイントです。特にコロナ禍で制限がかかり在宅の日々が多かった時、コロナ前と同じように充実感を感じながら過ごせてきたでしょうか。店を開いても客が来ない日が続いた時、在宅が増え夫婦仲の雲行きが怪しい日が続いた時、学生なら学校へも行けずアルバイトもできず、なんとなくモヤモヤ悶々とする日が続いた時、など、読者の中にも思い当たる人がいるかもしれません。

あるいは生活のためだけに働く日々、何をやっても上手くいかない日々、夫あるいは妻から文句ばかり言われる日々、などそういう充実感とは真逆のことが続くとメンタルは蝕われ、弱っていくのではないかという結論に行きつきました。

メンタルを弱らせる正体は、充実感なき日々の連続、が私の出した解です。

そうであるなら充実感を感じられるようにすればいい、と思うかもしれませんが、現実というか現状を変えるのは簡単ではありません。例えば生活のためだけに働いている場合、その仕事を簡単に辞められるでしょうか?その後の生活は?と考えた時、簡単には辞められないのが現実です。年齢が中年にもなると再就職先は難しくなるし、給料も今より減りかねない。いろいろな不安要素が頭を巡ります。

対策と言うと大袈裟ですが、本城が書いた前回のコラムがヒントになるかもしれません。

“あるがままを受容する”

です。それでメンタルが弱らなくなるわけではありませんが、少なくとも弱っていることを自覚でき受容することで、気持ちが一旦は冷静になることがあります。私は「疲れるな、んー、なんだかメンタル(気持ち)が弱ってきてるな」と心の中で呟きます。そしてその気持ちに抗おうとはせず、どうにかしようとも考えず淡々と過ごすことに徹します。

明日は(次の休みは)、ちょっと大好物の〇〇を食べよう、など充実感のない日々を頑張っている今の自分に対して、ご褒美のようなことを考えられるくらいにはなります。実際私はそうです。明日は休みだから昼飯はお気に入りの町中華屋へ行って、餃子をつまみながらビールでも飲もうかな、といった具合です。そしたら明日が少し楽しみになり、経験的にメンタルの弱りの進行を食い止めることができます。

私は『メンタルが弱ってきたな』と思ったら、上記のように明日できる些細な楽しみを具体的に計画することを心がけています。

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番外篇:感情解放

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

良くも悪くも“感情”は、私たちをザワつかせ振り回します。

嬉しい楽しいといったポジティブな感情は解放しやすいのですが、不安やイライラ、妬み、悔しい、怒り、悲しい、孤独というネガティブな感情は、無意識に自身で恐怖や不安という堤防を作るので、解放しにくいと言われています。

解放=(誰かに)ぶつける

ではありません。

そもそも“感情”とは一体何なのでしょうか?

感情は潜在意識(無意識)と深く結びついています。自分の感情を意識し受容していくことは、自分自身を深く知ることにも繋がっていくのです。

厄介なことに潜在意識は抑え込もうとすればするほど反発する性質があります。悲しい時に我慢して泣きもせず、悲しい気持ちから目を逸らしても、いつまでも突き刺すような悲しみがそのままの形で心の底に澱(オリ)のように降り積ります。

私たちは感じたくない、受け入れたくないネガティブな感情をよくないもの、邪魔なものと考え意識の外や横に追いやろうとしたり、何とか抑え込もうとします。先ほど書いたように、感情は抑え込もうとすればするほど反発する性質があります。

感情とは形を持たない“力”であり“エネルギー”です。

見えなくても確かに存在する掴みどころのないもので、数値化も難しく視覚化もできません。それは経過と共に形を変えることもありますし(不安→不信→怒りや孤独など)、人を動かす大きな影響力もあります。以前【感情は感染する?】というコラムでも書きました。

感情は何も他者に向けるだけではありません。上手くいかないことがあると不安になりますし、プレゼン前には緊張もするでしょう。大丈夫だと思っていたのに失敗すると、そんな自分に腹が立つこともあります。

ポジティブな感情も受け入れたくないネガティブな感情も共にエネルギーで、表出しやすい/表出しにくいだけの差です。

言葉にしなくても感情は伝わりますよね。険しい表情をしていれば怒りや不快感だとわかりますし、ニコニコしていれば「いいことでもあったのかな」とわかります。

そう、感情はあなたがあなた自身を知るため、他者があなたを知るための大切なノンバーバルコミュニケーションでもあるのです。

ネガティブな感情にフタをせず、ありのままを受容していくのは怖くもあり不安でもあるものです。その恐怖から感情に抗ったり見て見ぬフリをしたり、何とか収まらないかと気を紛らわせてみたり・・・。

マインドフルネス、聞いたことがあると思います。『今ここ』に意識を集中し、あらゆることを感じ、ありのままを受け入れていく一つのストレスマネジメント方法です。

いつも口だけで有言不実行な同僚にイライラする→自分は今とてもイライラしている、を意識します(イライラの原因を追求するのではありません)。→ただただ「ああ、自分は今とてもイライラしているんだな」と自身の感情に向き合い、感情を把握するだけです。

それが“あるがまま”です。

「イライラしちゃいけない」と自分の感情を否定することも、「イライラするのは自分の心が狭くて余裕がないからだ」と分析してもいけません。

受容するというのは、そもそも“受容する”ことがどういうことかを知らなくてはできません。

どんな感情もジャッジせず、目も背けず、そのままの状態で取り出すイメージです。

今、怒っている。今、嬉しいと感じている。今、妬んでいる。今、悲しい気持ち・・・

自分を知るために、感情に振り回されないために感情を解放する練習をしてみると、少しだけ自分がラクになります。

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バウンダリーとは?【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

最終回となる今回は、バウンダリーを引くために意識したいこと、ぜひやってみてほしいことをお話しします。

難しいことではありません。

まずは自分の境界線を意識してみることです。他者とのバウンダリーはその関係性や距離でも違うものですから。

身体的なバウンダリーで考えると一番わかりやすいと思います。冷め切った間柄でなければ夫婦間や恋人同士が手を繋いだりハグし合ってもお互いに不快感や嫌悪感はありませんよね。

ならば、職場の上司から手を握られたらどうでしょうか?お隣の奥様にハグされたら?行きつけのコンビニスタッフならどうですか?

はっきり「嫌だ、やめてほしい」と感じ、ズカズカとバウンダリーオーバーでパーソナルスペースに踏み込まれたと不快になりませんか?

それが身体的バウンダリー(境界線)です。

距離のある付き合い方をしている間柄の他者にパーソナルスペースに踏み込まれると居心地の悪さや嫌悪感、不快感を感じると思います。

自分と他者との心的境界線も同じです。

会社の同僚と何十年も付き合いのある親友とも呼べる人では、個人的な話をどこまでするかを無意識に線引きしていませんか?

この無意識を意識的におこなうためには、

自分のニーズ(気持ち/感情/意思)を意識し、それを大切にすると決める。

“決める”のはあなたの意志です。自分の心的境界線を守りたい、守る!と自分に言い聞かせる覚悟でもありますし、何より自分の意思や気持ちを優先に考える(押し通す、ではありません)権利が誰にでもあるのです。

自分が望んでもいないのにバウンダリーオーバーされていても断れない人は、“自分より他者”を優先しています。

確かに仕事ではプライベート以上に空気を読むことを求められるのが日本の風潮ですが、自分の感情や意思を主張することはワガママや自分勝手ではありません。

こう書くと、拡大解釈して自分の意思や気持ちを何がなんでも押し通そうとする人が一定数出てくるのが悩ましいところなのですが・・・しかし、それが悪いわけではないのです。後に話しますが“主張の仕方”にコツがいるのです。

不安や恐れの感情を解放する→頼まれ事を断れない、他者に自分のことまで決められてしまう、良い顔をしてしまう、我慢ばかりする・・・。

これらの心理背景には、

  • 関係が悪くなる。
  • 嫌われる。
  • 怒られる。
  • 使えない、と思われる。
  • コミュニティで居心地が悪くなる。
  • 評価が下がる。
  • 相手が困る(困るだろうと思っている)。

など、いわゆる忖度する自分、空気を読む自分がいるはずです。

アサーションを身につける。

前記の“主張の仕方のコツ”の部分です。

アサーション→ https://www.m-idea-l.com/2019/10/06/

アサーションを使って自分のNOを伝えられると相手に配慮した伝え方になります。

断る理由→断る→代替案の提示

これを職場で休日出勤を頼まれた場合と居住地域の地区役員を頼まれた場合で考えてみます。

<職場>

「申し訳ありません、その日は以前から両親の病院に付き添う約束をしておりまして」→「ですので、休日出勤はできかねます」→「土曜日は難しいのですが前日の金曜日の業務後におこなう、というのはどうでしょうか?」

<地区役員>

「(例えば)体の弱い子供がいて/遠くに住む両親の介護が/出張の多い仕事で」→「お引き受けすることが難しです」→「地区役員は無理ですが、休日朝からの全体清掃や夜間見回りなど私ができることは協力させていただきたいと考えています」

闇雲に自分の主張(NO)を伝えるのではなく、代替案により歩み寄り、相手の考えも尊重する、そう考えるとNOも言いやすくなりませんか?

自分にとってのバウンダリーを知り意識を向けてみることで、少しでも人間関係のストレスが少なくなるといいですね。

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