『多様性』どこまで認める?【組織】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『社会としてどこまで多様性を認めるか』ということを書きました。今回は【組織】、つまり企業の中において、どこまで多様性を認めるかを書こうと思います。私どもが考えるひとつの提示であって、決してこうあるべきという意味ではありません。

組織は社会と違い、狭い世界になりますが、社会篇の中で書いた『個人の権利を侵害しない範囲内』であることは、組織にももちろん当てはまることは言うまでもありません。

その上で、どこまで多様性を組織(企業)として認めるかを考えます。

組織の場合、より社員個々人の価値観をいかに理解し、あるいは説得していくかが問われると思うので、社会としてよりも複雑な問題を孕みそうです。学校でも同じかもしれません。

例えば、結婚。今の時代、結婚観は人それぞれです。今の団塊の世代の人たち辺りまでは専業主婦が多かったように思います。つまり男性は働き、女性は家庭を守るという長年日本を覆っていた結婚観です。当時女性は就職して結婚したら退職することが一般的でした。寿退社という言葉があったぐらいです。

今は違います。経済的な事情もありますが、それとは関係なく女性もキャリアを積み、働き続けたいと考える割合が当時と比して増えています。しかし、そこで今問題となっているのは、昔の結婚観と今の結婚観の狭間で、仕事(女性)・家庭(妻)・育児(母)の1人3役の重圧を背負わされた女性たちの存在です。

これは今最もホットな問題でもあります。組織の育児に対するフォローをどう構築していくかが問われていることでもあるからです。国ができることは限界があります。男女問わず、育児しやすい労働環境を創出するかは個々の組織で考え、取り組まなければなりません。社員個々人に合った具体的な施策は難しいかもしれませんが、組織に最も大事なことは、育児しやすい職場環境であることを社員に実感し安心してもらうことではないでしょうか。

恐らく、組織にとって多様性をどこまで認めるかの必要条件は、さまざまな価値観を持つ社員に、最大公約数的安心感を与えること、ではないかと思います。心理的安全性はそのひとつの解であり手法だと思います。

一方で、組織には社風という企業文化・企業風土があります。組織規模が小さくなればなるほど、トップの考えがダイレクトに企業文化となり企業風土になります。大企業であれば、長年培われた伝統がそれに該当すると思います。いろいろな組織があって当然だと思いますが、どんな組織であれ、これからの組織に求められるのは、社員の多様性をいかに認めることができる企業文化へと進化(深化)させることができるか、だと思います。自治体も例外ではありません。

思うに今組織が直面している課題は、社員の多様性と企業文化の間にある溝をどう埋めていくか、ということだろうと思います。

例えば産休・育休を考えてみると、制度は組織にあっても取得しにくい社風であれば、その制度はお題目に過ぎず、ポーズに過ぎません。活用されてはじめて制度が活きるというものです。

もっと言えば組織にそのような制度があるにも関わらず、直属の上司がいい顔をしない、あるいは取得しないように圧力をかけてくることもあるでしょう。そのような企業文化が蔓延ったままだと、社員の多様性など到底認められることはないと推察できます。

組織としてどこまで社員の多様性を認めていくかという問題は、即ち、溝を埋めていくかは組織の文化をアップデートさせる必要があると言えます。これにはトップをはじめとする経営層の思考回路を変える必要があります。

時代に支持される企業風土をどのように作り上げていくか、という仕事は経営層にしかできない仕事だと思います。業績や戦略を考えることも大切ですが、それを実行するのは人、社員です。その社員が能力を存分に発揮するためには、企業文化、企業風土というものがかなり心理面に影響を与えます。

とにかく行動しろ、失敗の責任は部長である私が取る。という企業文化であれば、社員は恐れることなく果敢に挑戦しようとするでしょう。失敗したら怒られる、責任を追求される、と思わせる企業文化、企業風土であれば、社員は挑戦して失敗するリスクを冒そうとは思いません。それはその企業にとって長期的な視点で見れば損失に繋がることにならないでしょうか。

ベンチャー企業が元気な傾向にあるのは、組織規模が小さくトップも若手が多いことを背景に、長年培った伝統も歴史もないため、いい意味で過去に捉われず、トップをはじめ社員の多様性の活用が一応できているからではないか、と思われます。(トップと社員の世代が近いせいか価値観を共有しやすい、あるいは立場の距離感も近いため、必然的にコミュニケーションが活発になり、制度化しなくてもよい面はある。)

このように考えてくると、組織において多様性をどこまで認めるか、という問題は、長年の伝統や歴史に培われた企業文化・企業風土をアップデートしつつ、その範囲内で社員に対して最大公約数的安心感を与えることだろうと思います。

社員の多様性をどこまでも認めべきとは思いません。やはりそこには企業ごとに一定の範囲内という制約は外せません。そうでなければ、その企業としての個性が失われることになるからです。社員もそうした制約の根拠を理解することが必要です。それにはやはり、コミュニケーションが肝になってきます。

組織として多様性をどこまで認めるかは、一人でも多くの社員にいかに気持ち良く安心して働く環境を提供していくか、という問題に言い換えられます。それにはまず、トップをはじめとした経営層の思考のアップデート、次に管理職クラスの思考のアップデート、そしてコミュニケーションスキルの向上だと考えます。

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価値観【4】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

土曜日あたりから天気が悪い3連休となってしまいましたが、如何お過ごしでしょうか。

さて価値観も最終回となりました。前回の価値観の例をピックアップして、あるいはご自分で付け足しなどして、ご自分の人生のガイドラインを確認することはできたでしょうか。

今回は価値観が合わない人とのコミュニケーションについて書きたいと思います。いろいろなところで書かれているとは思いますが、ここに書くこともご参考にしていただければ幸いです。

以前のコラムで、自分以外は親子であっても血の繋がった“他者”だとお話ししてきました。

ぶつかり合いながらも、なかなか離れられないのが親子ですが、血の繋がりもない真っ赤な他者は、いとも簡単に縁が切れてしまうものです。どうやっても受け入れられない価値観を前に、意識的に相手と縁を切ることもあると思います。私はつい最近そういうことがあったばかりなのでよくわかります(笑)

ですが、仕事上の関わりや婚家など関係上(しがらみ上?)疎遠にすることも縁を切ることも現実的に難しい場合もありますし、わかり合いたい縁を切りたくない人もいると思います。

そのような時に思い出してほしいこと、意識してみるとよいことがあります。

価値観が同じ人はこの世に存在しないことを理解する

→血の繋がった家族ですら価値観が合わず衝突することもあるのですから、生まれ育った環境がまったく違う他者と価値観が合わないのは自然なこと。そう理解することで、自分とは違う価値観を受け入れやすくなります。いつもは理解しているつもりでも、親しくなった相手とは、つい同じ価値観を求めてしまいがちではないでしょうか。

違う価値観を知る機会と考える

→自分の価値観を基準にし、その中だけで生きていると柔軟性がなくなり生きづらさを感じたり、怒りも感じやすくなります。「この人とは気が合わない」と感じたら「自分と違う価値観を知る機会(だから認めろ、受け入れろではありません)だ」と捉えてみてください。さまざまな人と関わっていくことで、さまざまな価値観を知り、関わることになり、結果自分の視野を広げていくことに繋がっていきます。文化が違う外国人と接すると価値観の大きな違いに驚きますが、同時に自分の視野も広がった感覚がありますよね。

当然私にもありますが、

どうしても認められない価値観を、自分が苦しい思いをしてまで無理やり認めたり、受け入れたりする必要はまったくありません。

心の中で『なるほどね、でも無理!』で構いません。心の中で、がポイントです(笑)

職場など、どうにもならない時は別ですが、他者と関わる距離(バウンダリー)は自分が決めてよいのですから。

時々面白い価値観に出会うこともあるので、“他者の価値観を知る機会”という柔軟性を持っているとよいし、少し日常のスパイスになって日々は楽しくなるかもしれませんよ(笑)

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価値観【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

10月になりましたね。今年もあと3ヶ月となりました。早いですね。

さて、前回の続きです。価値観の具体例を挙げてみます、と書いて終わりました。

その価値観の具体例を思いつく範囲で挙げてみますので、この中から自分にとって大切にしたい価値観を5つほど選び出し、なぜその価値観が大切なのか、理由まで考えてみましょう。それらはつまり、あなたの人生の指針、ガイドラインという意味でもあります。

もちろん自分で考えた価値観を書き足してもかまいません。

<価値観の具体例>

・余暇(心身の休養や気晴らし)・創造性(独創的なアイデアを持つ)・勤勉(自分の課題についてよく学び働く)・コミュニケーション(わかり合うための心を開いた対話)・交渉(話し合いにより、すれ違いを解消したり擦り合わせ)・情熱(人や信念、活動に対しポジティブな強い感情を持つ)・勇気(不安や恐れを克服する勇気を持つ)・貢献(人の世に長く残るような実績を残す)・秩序(整理が行き届いた生活を送る)・人気(多くの人に慕われ好かれること)・自立(心身ともに責任を持ち、自分一人で生きていけること)・見た目(見た目がいい、身なりがいいこと)

・チャレンジ(限界に挑戦し困難に立ち向かう力)・チームワーク(他者と協力し合い共通のゴールを目指す)・競争(人より上手くできること、他者に勝つこと)・誠実(自分、他者に対し正直である)・名声(人に認められ有名になること)・自律(自ら規範に則り行動する)・健康(身体が健康で不安がないこと)・自己受容(自分のあるがままを受け入れること)・所属(社会やコミュニティから孤立せず人と繋がっていること)・権力(他者を意のままにコントロールできる力を持つ)・合理性/整合性(理論的で道理にかなっていること)

・礼儀(他者に対し思いやり深く丁寧であること)・親密(他者と感情的精神的に深く結びつきたい)・メンタルの成長(今より人間的に努力、道徳的な人間でありたい)・援助/支援(人を助けたり人のためになること)・正当性(努力の成果を正当に認められること)・思いやり(他者の悩みや苦しみに寄り添い労わる)・お金(欲しいものを我慢せずに買える)・公平(すべての人が公平/平等であること)・安定的(予測可能で確実であること)・愛情(人を愛し人に愛されること)・面白さ(日々面白おかしく暮らすこと)・家族(幸せで安心できる家族と共に暮らすこと)

・友情(理解し合った仲の良い友人)・寛容(他者の過ちを許せる広い心)・忍耐(決めたことを最後までやりとおす)・興奮(刺激に満ちたスリルのある人生)・自由(いろいろな柵やルールから解き放たれる)・寛大/楽観的(細かいことを気にせず、大らかであること)・知識(有意義な知識を学びたい) などなど。

最終回となる次回は価値観が合わない人とのコミュニケーションについてお話しします。

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価値観【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目の今回は、価値観の習得段階についてです。

価値観の習得段階は、段階が進むにつれ抽象度が上がり、より高い視点の価値観を形成していくことになります。

Level1<生存目的レベル>
生存のための欲求が最優先されるレベルで、生理的欲求を満たすために価値観を持ちます。

Level2<集団形成レベル>
家族や友人の中で集団を形成するレベルで、安全性を求め自己犠牲概念が生まれます。また集団の長に従うことを望みます。

Level3<自己中心レベル>
自己中心的なレベルに満たされ、自分の欲求に赴くまま行動します。自分の論理が世界の論理という価値観ですが、この価値観はいずれ行き詰まります。

Level4<社会システム形成レベル>
自分の欲求をやみくもに追求するだけはなく、社会のルールに従い、その中で自分の欲求を満たす方法論を学びます。

Level5<実例主義レベル>
自己利益のためにルールの中で自分の欲求を追求します。企業活動や社会活動など実利活動の中の価値観を形成し、社会的地位を得ていきますが、周囲から疎まれたり疎外されることがあり行き詰まりを感じます。

Level6<社会的レベル>
自己犠牲で他者に役立ったり尽くすことで自分の価値を見出します。レベル5の価値観とは真逆の価値観で、全体の調和を大切にしますが、実利と繋がらず組織として機能することが困難になる場合もあります。

Level7<存在超越レベル>
他者を犠牲にすることなく自己実現を優先する方法を模索しながら価値観を形成します。その中で、自分は社会に良い変化をもたらす存在でなければいけないと考えるようになります。

人は“価値がある”と感じるものに対し【接近行動/その価値に近づこうとする】行動を、“価値がない”と感じているものに対し【回避行動/その価値を遠ざけようとする】行動を取ります。

【3】では価値観の具体例を挙げてみます。その中には必ず自分の価値観を知るヒントがありますので、いくつか順位をつけ、その価値観が大切な理由を考えてみてください。

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価値観【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

早いもので9月もいよいよ終盤ですね。シルバーウィークはどう過ごされましたか?

今回は日常的によく言うよく聞く【価値観】について、これまた4回にわたって書こうと思います。

『今さら価値観?』と思う人もいるかもしれませんが、価値観とは、その名のとおり自分が何に対して価値を認めるか?ですが、改めてこの【価値観】を深掘りしていこうと思います。

価値観は、好ましいこと好ましくないこと/善悪を自分の物差しで評価、判断する際に基準となっていることが多く、物事の捉え方(認知)や優先度も加わり、その人が“何を大切にしているのか”の指標になります。いわば価値観は“どう生きるか/生きたいか”の大切な人生のガイドラインになっていると言えます。

生まれ落ちた時には価値観など抽象的な概念は誰も持ち合わせていませんから、価値観は育った環境や今までの経験、関わってきた人たちなど、さまざまな後天的要因で形成されていきます。

そう考えると、自分とまったく同じ環境で育ち同じ経験を重ね、同じ人と関わることは絶対にあり得ないわけで、ゆえに自分とまったく同じ価値観を持つ人など存在しないことがわかりますよね。

どのような人間関係でも上手くいかなくなる根本には“価値観の違い”があると言っても過言ではなく、対人関係において価値観は最重要ファクターになってきます。

価値観の形成には時期と段階があります。

<刷り込み期> 〜7歳
人生の中で基礎となる考え方を形成する時期で、周りの知識をどんどん吸収しながらベースとなる価値/信念が形成されていきます。
一番身近にいる“親(養育者)”を無意識にモニタリングしていくので、ここでの親(養育者)の関わりは非常に重要になります。

<モデリング期> 〜13歳
周りの人達の真似を始める時期で、身近な親(養育者)や大人から始まり、テレビや漫画の世界からヒーロー、ヒロインなどにも影響を受け、自分の中のヒーロー像を形成します。それは現在の自分の行動指針にも繋がっていきます。

<社会化> 〜21歳
社会における人間関係など実利に結びつく価値観が形成される時期です。人間関係や社会との関わり方や距離で悩み、自分なりの価値観を形成していく時期でもあります。

次回は価値観の習得段階からスタートします。

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終わりの始まり

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

友人関係でも夫婦関係でもなく、当たり前に親子関係でもない恋愛関係。その中で恋愛は一番不安定な人間関係ではないでしょうか。

恋愛関係も友人関係も物理的距離“だけ”が原因で壊れることはあまりないと思っています。不安不満不信など原因はともかく、自分の中で相手に対し“どう感じたら”、“どんな感情を持ったら”終わりの始まり・・・なのかはわざわざ意識しないだけで誰もが薄々気づいているのではないか?と思うのです。

ウキウキルンルンなスタートしたばかりの恋人同士は相手に多少「?」を感じても、目の前にいる恋人の“存分に自分フィルターがかかった状態”で都合の良い部分しか見えていません。

人間関係を持続するために擦り合わせたり乗り越えていかなくてはいけない、目の前の立ちはだかる“価値観”という壁に、まだ本格的に向き合う機会がないからとも言えます。あるいは本格的に向き合うだけの関係にまだ成熟していないと言えるかもしれません。

よく3週間3ヶ月3年と言われますが、3週間はともかく、この“3ヶ月”説は3ヶ月3年過ごす中では、二人の間で何らかのトラブルが起きたり、“譲れない”価値観の違いが露呈していくからではないでしょうか。

  • トラブル回避の手段を講じる。
  • トラブルが起きた時に、どのように解決するか。
  • 価値観を擦り合わせ、互いの納得に近い着地点を模索する。

どれも高いソーシャルスキルとコミュニケーションスキルを必要とします。しかも、いちいち言葉にせず“察する”ことも要求されるという高難度です。

どちらか一方がこの能力が高くても残念ながら長続きしません。恋愛は一人では絶対に不可能だからです。我慢に我慢を重ねての長続き、はあり得ますが・・・。

最良なのは、二人ともがスキルを持ち合わせていることですが、世の中、そうそう上手くいかないものです。

どちらかが、もしくは両者が「自分は間違っていない!悪いのは全部相手だ!」という気持ちを持つと、どんな小さなことでもそこから綻びが生まれ、同時に不満も生まれます。これはあらゆる人間関係に言えることだと思います。

コラムでも何度か書いていますが、人はいきなり不信にはならないもので、不安→不満→不信という過程を辿ります。

パートナーと「相手の気に入らないところの数を数えるようになったら終わりに近いだろうね」と話をしていました。もちろん細〜い見えない糸でのみ繋がっていた修羅場三昧の危うい氷河期が私たちにもあり、その時はお互いに気に入らないところだらけ(むしろ嫌なところしかない)だったと思いますが(笑)、今は「気に入らないところは特にないな」なので、なんとか無事に危機を脱したと言えます。

不満を不満のまま不信になるまで放置(逃避)した結果、相手の“気に入らない”数を数えるようになったら、どんな関係も終わりの始まりではないかと思うのです。

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柔軟性のないガチガチな正義を振り回す人

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

突然ですが読者の皆さんは“正義感”と言われるものの根幹にあるものは何か、ご存知でしょうか。

それは良くも悪くも、長く生きてきた中で培われた“価値観”に他なりません。

価値観は人の数だけ存在します。

コロナが本格的に流行り始めた時、『マスク警察』という言葉が流行りました。そのベースにあるのは『感染したくなければマスクをつける』『人に感染させないように(人を不安不快にしないように)マスクをつける』ですが、マスク警察にかかると『感染したくなければマスクをつける“べき”』『人に感染させないように(人を不安不快にしないように)マスクをつける“べき”』と、“べき”思考が先歩きし“べき”に縛られてしまいます。

酷い皮膚炎やアレルギーなどで本当はマスクを付けたくても付けられない人もいますし、周囲に誰もいなくて人とすれ違わない場所だから苦しくてたまたま一時的に外していたという場合もあります。それぞれ人には事情がある(かもしれない/場合がある)ということですが、物事を一方向からしか見ていないと「マスクしてない、けしからん!」になるわけです。

混んだ店内やバス、電車内でマスク未着用で注意を受けるならまだしも、誰もいないことを確認した上で“たまたま”一時的に顎マスクにしていた時に、いないと思っていたトイレから人が出てきて「なぜマスクをしないんだ?(マスクを付けるべきだろう!)」と突然絡まれたら・・・

そこにいるのはたまたますれ違った二人だけ、話さなければ飛沫も飛ばないのですから、サッと通り過ぎればいいだけのこと。いちいち呼び止めてマスク未着用を咎めるほうが感染リスクを上げ、言い合いになってしまうかもしれない(それ以上かもしれません)トラブルになる可能性を上げているように思えます。

実際に大阪で事件が起きています。報道によると無人だった路地をマスクをせずに歩いていた男性が、たまたま現れた高齢男性にいきなり「マスクしろ」と言われ逆上し、高齢男性に怪我を負わせた、という事件です。もちろん怪我をさせた男性は逮捕されましたが、マスクをしろと言った高齢男性は怪我が元で、下半身不随になり車椅子生活になってしまったそうです。その高齢男性は「何も言わなければよかった」とテレビの取材に答えていました。

“べき”思考は自分を縛り付け、息苦しく生きづらくなってしまうだけでなく、他者にその思考が向いた時には思わぬトラブルを引き起こします。大阪の事件のように下半身不随という後悔しても後悔し切れない事態になりかねません。

「(バスや電車の)車内でお年寄りに席を譲る“べき”」→自分一人がその考えで行動するのはまったく問題ありません。でも、お年寄りでなく元気に見えて座っていても持病があり、立っているのが辛い人だったり、まだお腹は目立たなくても妊婦さんかもしれない、辛い治療をした病院帰りの人かもしれません。内部疾患は身体の不自由とは違い、パッと見はわかりません。これも、“わからなくても人にはそれぞれ事情があるかもしれない”ことなのです。

この「自分はこう思うし考えているけど、他者には他者の考えがあるし、自分にはわからない事情があるのかもしれない」と考えること、それは【想像力】です。気持ちの余裕のなさも多少は関係しますが、白黒思考と想像力が乏しい結果が自分の正義を他者に押し付け、「自分は間違ってない!」と身勝手な正義を振りかざす〇〇警察になってしまうのだろうと思っています。

〇〇警察でなくても周囲にいませんか?

「子育てはこうあるべき」

「仕事はこうするべき」

などなど、やたら“べき思考”で考えを押し付けてくるような人たち。

「それいいね、他にもこんなやり方があるよ」ならカチンとこないものを、「それよりこのやり方でやるべきだって」と、いちいちマイルドに否定してわざわざカチンカチンとくる言い方をする人。

単に言い方のクセなのか、物事を自分本位に一方向からしか見られない人なのか、これだけはわかりませんが、相手をするのはなかなか面倒で疲れるのは確かですよね。

【行き過ぎた正義】これは他者都合や事情をまったく考えていない、正義の名のもとに自分都合でのみ人を傷つける、もはや凶器です。

振りかざす正義感同様、意思疎通に便利な言葉というツールを、できれば凶器として使わないようにしていきたいものです。

見えない価値観、見えない他者の都合や事情。見えないけれど、確かに存在するものだと頭の隅に入れておくだけで変わるのではないでしょうか。

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メタ認知【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

メタ認知【2】では、メタ認知的技能についてお話します。

その前に、『認知』について少し触れておきましょう。

自己認知という言葉を聞いたことがありますか?自己認知とは、自分自身が自分の長所や短所、価値観を把握することを言います。臨床心理学や哲学では広く使われる言葉でもあります。

この自己認知、自分の強み弱みや価値観を知ることで、実は仕事にも関わりが出てくるのです。

【価値観】:これはとても抽象的な概念です。価値観を形成する要素はおおよそ100前後あるとされており、列挙した価値観に優先順位をつけていくことで自分が大切にしている価値観の優先度を知り、自分の価値観にマッチした仕事を選択することができます。

【長所(強み)短所(弱み)】:これもまた抽象的な概念です。ただ、大学で就職活動を始めると絶対に繰り返しやらされるのが“自己分析”で、あまり真面目に自己と向き合ってこなかったウェ〜イ♪な学生たちも、自己の長所短所をざっくりでも把握できるようになります。

自己認知と関係する用語に【他者認知】【対人認知】があります。心理学では他者認知を対人認知と呼びます。

自己認知が自分自身の価値観や長所短所を把握することに対し、対人認知は他者を把握するためにさまざまな情報に基づき、その心理や内面特性を把握しようと推測する行為、と言えます。

本題のメタ認知に入ります。

前回メタ認知には二つの種類があり、その一つであるメタ認知的知識についてお話しました。今回はもう一つの役割【メタ認知的技能】についてお話しようと思います。

認知についてどのような知識があるのかをメタ認知的知識というのに対し、認知を調整、制御する機能がメタ認知的技能になります。認知をコントロールするチカラと言えばわかりやすいでしょうか。

例を出しながらメタ認知的技能を説明していきましょう。

  • 自分は方向音痴だ(方向音痴であることを自分でわかっている←メタ認知的知識)。
  • 前もって入念にアクセス方法を調べ、時間よりかなり早めに到着できるようにする。←メタ認知的知識をもとにメタ認知的技能を使っています。

自分は忘れっぽいというメタ認知的知識が備わっていれば、対策としてメモやリマインダーを使うという対策を取ると思います。

この『自分は忘れっぽい』を自覚していること(わかっている)がメタ認知的知識、その対策にメモやリマインダーを使うこと、これがメタ認知的技能になります。

少しズレますが、パートナーに聞いたところ、なかなか面白い答えだったので載せておきます。

「自分は性悪説だ」←メタ認知的知識

「だから基本的に人は信じない」←メタ認知的技能

だそうです(笑)

案外自分のことは自分で思っているほどわからないものです。「私は思い込みが強くて他者の話を聞かないことがある」なんて、自分で認めたくないメタ認知的知識にはなかなか気付きませんし、気付こうとしないのが人という生き物です。メタ認知に目を向け、改めて自分を知ってみてはどうでしょうか。そうすれば気持ちがラクになることもあるかもしれません。

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アンガーマネジメント【5】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

シリーズ最後となる今回は怒りを感じた場面でどう考えて(行動して)いくのかを具体的にトレーニングしていきます。

私たちが普段行動している根幹には

【その人自身の信念、善悪の判断をしているもの=コアビリーフ】

があり、コアビリーフはその人の“価値観そのもの”と言えます。

このコアビリーフが「〜であるべき」を引き起こす(コア)ので、人それぞれにあるコアビリーフが怒りをコントロールする重要なカギになります。

困ったことに、このコアビリーフには一般常識や他者の理屈は通用しません。人の数だけ存在するのがコアビリーフなのです。

わかりやすいコアビリーフの例を挙げてみます。

<例>
「子供は親に言うことを聞くものだ」というコアビリーフを持っていると、「子供は親の言うことを聞かなくてはいけない」から「子供は親の言うことを聞く“べき”だ」が生まれやすくなります。

子供は親の所有物ではなく、親とは違う考えや感情、意思を持ち、親とは違う人生を送る血の繋がりはあるけれど“別人格の他者”という現実が薄くなってしまい、“頭で”わかっていても(わかっていない人もいますが)、思いどおりにならず言うことを聞かない子供に対し、「あなたのためを思って←(これすら押し付けで虐待ですが)」と怒りを感じやすくなります。

私も発達障害を持つ手強い中学2年男子の母親なのでイライラする気持ちは物凄くわかりますし、課題が多くオレ様論をぶちかます息子に怒りを覚えます。

ただ、アンガーマネジメントを知らなかった以前とアンガーマネジメントに取り組んでいる今は、コアビリーフを知り、怒りを客観視できるようになり、一層感情マネジメントができるようになりました。それは、気持ちの折り合いがつけやすくなったことや、いつまでもイライラしなくなったこと、なかなか話の通じない息子ですが、コミュニケーションを積極的に取る時間を作るようになったことで、相互理解に繋がったのではないかと感じます。

アンガーマネジメントを身につけていく上で重要なのは、

  • 最初の6秒。
  • 自身がどのようなコアビリーフに持っているのかを知る。
  • 私たちを怒らせるものの“正体”を知る(図2)。
  • 課題の修正/行動の修正(図1)。

です。

  • コアビリーフを知るためには、怒りを感じた時にアンガーログという記録を取っていきます(図3)。
  • アンガーログを記録する時に、イライラ/怒りの点数を一緒に計りましょう(スケールテクニック)(図4)。

面倒なことだと思いますか?では、あなたはどのようになりたいのかを想像してみてください。

“怒りに任せて行動して失敗したくない”、“売り言葉に買い言葉で人間関係を悪くしたくない”、“自分の意見や考えに対し反対意見があっても、感情的にならず冷静に対処できるようになりたい”、“ぶちギレた後に自己嫌悪に陥ったり後悔したくない”、大体このような感じではないでしょうか。

怒りを感じた時の自分を、“紙に書く”ことで、感情を客観的に認識するのが目的なので、最初のうちは図3のようなアンガーログを付けていくことが必要です。

私は“パートナーを大切にしたい、無駄な強い怒りで心を荒ませたくない、感情的なやり取りで子供の心を傷つけたくない”が最初のモチベーションでした。すぐに記録できるように小さなメモ帳を持ち歩き、すぐに書くことがコツです。スマホ使用に問題がない場所なら、スマホ記録でも構いません。

わかりやすく図を書きましたが、必要な項目は

  • 日時
  • 出来事(怒りを感じた状況を簡単に)
  • 思ったこと(その状況をどう思ったか)
  • 感情(その時にどのような感情を持ったか)
  • 感情の強さ
  • 行動(自分がどんな行動を取ったのか)
  • 結果(あなたの行動の結果、どのような結果になったか)
  • 違う考え方(他の視点から考えることはできなかったのかを書く)

です。

「いちいち書き出すなんて面倒くさい」「そんなことしなくたって自分はアンガーマネジメントできる」「怒っても周りに迷惑なんかかけないし(無人島でもなければ誰かを不快にしているものなので、自分を客観視できていないただの勘違い)」「自分を怒らせるほうが悪い(オレ様何様殿様気質でスペシャル身勝手ですね)」などと思う人は、途中で放り出す可能性が高いので、アンガーマネジメントには不向きかもしれません。そういう人は、

ハッキリ言います、やるだけ無駄です。

誰でも簡単に身につけられるアンガーマネジメントですが、多少の面倒くささは伴います。何かを身につける、覚えて応用していくにはそれなりの【努力】をしてきたことを思い出してください。

何度もおはじきを数えて数を覚え、学校で漢字小テストのためにノートにひたすら漢字を書き、九九はお風呂でのぼせるほど繰り返し、語呂合わせで歴史年表を覚えてきませんでしたか?資格試験のために参考書に線を引き、ノートで問題を解きませんでしたか?仕事も覚えるまでは【多少の面倒くささと努力(あるいは忍耐)】を伴ったはずです。何かを身につけることは口で言うほど簡単なことではありません。

アンガーマネジメント自体は簡単です。ただ、身につけるまでには今まで気にも留めなかったことに目を向けたり、意識し考えていくステップがあるので面倒に感じます。企業で働いていれば、多かれ少なかれ部下なり後輩は必ずいると思います。彼らとの相互理解を短時間で深める、あるいは信頼関係を短時間で築いていく【スキル】である、と考えたらどうでしょう。アンガーマネジメントも仕事の一部となれば話は違ってくるのではないでしょうか。

他者を変えることは困難です。でも、自分自身の認識をほんの少し変えるだけで、あなたに対する周りの見方や評価、あなたへの接し方にも変化が表れます。

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