生きづらさの正体<番外編>

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『生きづらさの正体』というタイトルで本城が書きました。それは“〜すべき”であるとか“フツーこう考えるだろ”のように、自分の価値観を他者に押し付けるような思考傾向だと、生きづらくなりやすいという話だったと思います。

今回はその番外編として、もう一つの生きづらさについて考察してみたいと思います。私は昭和の後半に生まれ、平成を過ごし、令和を迎え現在に至っています。その間、時代は変わりました。物の変化や進化は当然ですが、価値観も随分変化しました。多分、今の40代以降の世代は強くその変化を感じているだろうと思います。

社会の価値観というか通念なる目には見えないが確実に存在している変化に、もう一つの生きづらさがあるように思います。喫煙はその典型と言えるでしょう。その他、共働き(というより、共働きしないと生活が成り立ちにくい事情も)、女性や子育て、LGBTQ、マナー、効率重視傾向、合理主義傾向、コミュニケーションスタイル、働き方、各種ハラスメントなどなどがそれに当たると思います。

それぞれを細かく取り上げませんが、昭和に生まれ、平成、令和と過ごしてきた中で、これらのことを気にしながら生きていかなければ、一般人であれ社会的制裁を受けやすくなりました。それを可能にしているSNSの普及、影響は無視できないでしょう。

どこか常に監視されている“ような気がする”社会。これが、もう一つの生きづらさの正体ではないか、と思うのです。飽くまでも私見です。

『寛容』という言葉はいずれ死語になってしまうのではないか、とさえ思えてくるほど、窮屈な世の中になったなという印象は否めません。時代の空気としか言いようがありませんが、必要以上に常に我慢を強いられる世の中になったように思います。これが閉塞感の一因でもあるのかな、とすら思います。

『萎縮社会』『殺伐社会』『我慢社会』『あきらめムード社会』、こんな言葉が浮かびます。社会の表(正義・健康・マナー・効率・完全性など)と裏(矛盾・感情・不健康・非効率・不完全性など)のバランスが悪くなって、表ばかりが強調され声高に叫ばれることの気持ち悪さみたいなものを感じます。社会に奥行きがなくなり平面的になったという印象でしょうか。

東海道新幹線は3月のダイヤ改正以降、喫煙ルームを廃止し災害用備蓄ルームにするとのこと。これも喫煙ルームに比べて良い活用のことのように聞こえますが、快適という点で考えると、少なくとも愛煙家にとっては快適の一つが失われることになります。

こういうちょっとしたことが、あちこちで起こっていることで『合成の誤謬』が生じ、上手く言葉にはできない『なんとなく生きづらいな、窮屈だな』という感情を抱いてしまうのかもしれません。

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生きづらさの正体

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達特性があると、こだわりやコミュニケーション、社会性、イマジネーションその他諸々から生きづらさを感じやすい人がいます。

また、特性ではなく違う意味で「生きづらいだろうな」と感じる人がいます。

それはわざわざ意識していなくても誰もが持っている【価値観】にガンジ絡めになっている人です。そもそも価値観は、他者の生命を脅かしたり反社会的なものでもない限り、善悪で判断できるものでも、判断してもいけないものだと思っています。

価値観はその人自身が生きてきた中で養われたものの捉え方、思考、人生の指標であり、誰もがどこかで自分の価値観を尊重されたいと思っています。しかし、誰がどんな価値観を持っているのかが生きづらさに関係するのではありません。

では、生きづらさに繋がってしまう価値観とはどういうことでしょうか。

自分にはどんな価値観があるのか、まず思い浮かべたり書き出してみましょう。正義?信頼?コミュニケーション?礼儀?思いやり?協調性?貞節?経済的豊かさ?努力?人間力?

立場や役割が違うと価値観は一層多様化します。

学生なら、入社したばかりの新入社員なら、結婚しているなら、子供が生まれたら、管理職なら、男なら女なら、経営者なら、孫がいる年齢なら、仕事が教師なら、医師なら・・・誰にも顧みられないと感じている絶望と孤独の縁にいる人なら・・・。

先ほども書きましたが、誰もが自分の価値観を尊重してもらいたいと思っています。しかし、他者と関わり合いながら社会生活を送っていると、価値観が似ている人とばかりは出会わないものです。

そもそも会社(組織)は共通する価値観をベースに人間関係を築いたり働く場所ではなく、会社(組織)の理念をベースに働く場所であり、個人レベルで相性が悪かろうと価値観が真逆であろうと、我慢(何とか折り合いをつけて)して社会生活を送らなくてはなりません。プライベートであれば似たような価値観の人を選んでお付き合いできる場合もあるんですけどね。

質問です。

あなたは自分とまったく違う価値観の人と出会った時、「自分とは違う考え、価値観だけど、それはそれでアリだな」「へぇ、そういう価値観に初めて出会った!面白い!」と考える人でしょうか?

それとも「あり得ない、フツーは〇〇するものだろう」「こういう時は〇〇すべきだろう」「〇〇しなくてはいけないと考えないものか」とつい考えてしまう人でしょうか?

後者は生きづらさを感じやすくなります。

「べき」思考が強いと、自分の「〜べき」「〜するものだ」から外れた人、異論を唱える人に対してモヤッとイラッとしがちになるからです。どこかで「自分のように考えるのが当たり前だ、自分のように思う人がマジョリティで正しい」という“自分は間違わない/いつも正しい”という自分視点しか持てなくなり、思いどおりにならない周りに対し、怒りを溜め込みやすくなるので、生きづらさを感じることになってしまうのです。

生きづらさは自分自身が作り出しているかもしれません。いつも周りにイライラしがちな人は、思いどおりにならない周りばかりを気にしたり、責めるのではなく、自分自身と向き合いゆっくり自分と会話してみてください。

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厚かましい人がワンサカ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

  • 友人がネイリストです。
  • 友人が美容師です。
  • 友人がフォトグラファーです。
  • 友人がエスティシャンです。
  • 友人が教師です。
  • 友人が医師です。
  • 友人が獣医です。
  • 優しいママ友がいます。
  • 友人がデザイナーです。

相手は友達なんだから、「ヒマな時でいいから、ちょっと髪切ってもらえる?」「肌荒れしてるし、デート前だから軽くフェイシャルマッサージしてもらえる?」「子供がわからないことがあるらしいから、ちょっと見てあげてくれない?」「インフルエンザワクチン打って」「ネイルの練習台になってあげるから安く(タダに)して」「痛み止めちょうだい」「狂犬病ワクチン、安くして」「時間外だけど診てもらえる?」「ついでにウチの子のお迎えもお願いしていい?」

あなたはそう思う人ですか?

「わざわざ予約して高いお金を払って美容院へ行くほどじゃない、ちょっとだし」と彼らの技術や時間を“無料”または“格安”で使おうとする人ではないですか?

彼らはプロなのです。

勉強して資格を取得し、自己研鑽を積んで商品として目に見えなくても、その技術を提供してお金をもらっているプロです。

友人から「時間がある時に前髪だけ切ってもらえない?」と言われた時に「じゃぁお店に来てね」とはなかなか言えずに「いいよ(ホントは気が進まないけど)」と言ってしまう人がほとんどではないでしょうか。

「前髪だけと言ってるし、時間がある時でいいって言ってるから今回は特別に」←これが心の声ではないでしょうか。

自分の利益(願望)のために他者(他者の仕事)を軽く見ています。

人の子ですから、お付き合いの深さや関係次第では快く「いいよ」なのですが、長くお付き合いのある信頼している友人はまずそんな厚かましいことは絶対に言いません。

この違いは“価値観”にあります。

「いいじゃん、そのくらい」という自分本位な価値観。頼まれた側が「いいよ、そのくらい友達なんだから気にしないで」と言うのは良くても、頼む側が言ってはいけない言葉です。

案外ザクザクいるのでビックリします。

息子に「悩んでる友達の話を聞いてもらうことはできる?」と聞かれ、「君の話ならいくらでも聞くし力になるけど、君の友達であってもメンタル・イデア・ラボを通して予約(要するに有料)してくれれば大丈夫だよ」と答える私は人でなしでしょうか。

わざわざその人だけのために時間を空け、事前準備して対応するのですから、当たり前だと思うのですが・・・。

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セルフ認知再構成法にチャレンジしてみましょう【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回はセルフ認知再構成法の具体例を書いていきます。

私の場合で説明します。

実際に息子が小4の時にあった出来事です。

前提→確定診断が下り、主治医から診断書と意見書(WISC結果もあり)があるにも関わらず、当時通学していた校長がなかなか教育委員会の判定員に繋がないことで通級が叶わず、面談の度にイライラしていました。

※通級へ通わせるためには、公立の場合、在学している学校長がその必要性を認め、教育委員会の判定員に打診することが制度となっている。したがって、保護者は学校長と相談し交渉することが必須となる。

(1)状況
何度目かの校長面談で、またしても「大丈夫ですよ、私たちは教育のプロですし、みんな無事に卒業して中学に進学してますから」「意見書とテスト結果持参してるので見ていただけますか?」「いやテスト結果なんて見てもわからないし(ハッハッハッ!)お母さん気にし過ぎじゃないですか」と、話しが通じていないトンチンカンなことを言われた。

(2)気分
イライラMAXで最悪、怒りと、自分で教育のプロなんて言っちゃうことに驚愕・・・。
怒り:98
イライラ:80
驚愕:100

(3)自動思考
時間の無駄。
どれだけ自信過剰なのだろう・・・ありえない。
人の話を聞けない人。
校長なんて児童一人一人見てないでしょ。
教育者なのに発達障害について知らないなんてプロ名乗っちゃダメでしょ。

(4)根拠
○持参した主治医からの診断書、意見書もテスト結果もテーブルにほったらかしで見ない。
○そもそも会話が噛み合っていない。

(5)反証
息子からはいつも校庭で一緒に遊び、全校児童の名前を覚えていると聞いている。 

(6)適応的思考
判定員にはまだ繋がっていないが、何度も個人面談には応じてくれている。
せっかちなタイプで人の話を最後まで聞くのが苦手なのかもしれない。
発達障害をまだ躾や個性と思ってるのだろう。

(7)今の気分
モヤモヤ:75
怒り:50
呆れ:80

このように、(7)では(2)の時の気持ちや数値が違うのがわかります。
イライラは消え、代わりに無知に対する呆れの気持ちが表れています。

次に上司から理不尽に叱責を受けたという場面で考えてみましょう。

(1)出来事(状況)
上司から大丈夫だと言われていたから見積書類を確認しなかったのに、今日当日になって取引先から「頼んでいた見積書と違う」と言われ、帰りに同行していた上司から「あれほど確認しろと言ってただろう!何やらせても君は中途半端だな」と叱られた。

(2)気分
ムカムカ:90
苛立ち:100
絶望:50
情けなさ:70

(3)自動思考
え、マジ?オレのせい?
大丈夫って言ったの覚えてないの?!
いくら何でも言いすぎでしょ!

(4)根拠
上司に確認しようとしても大丈夫だと言われた。

(5)反証
今まではちゃんと確認してくれてたし、あんな言い方したことないよな。

(6)適応的思考
上司も余裕なかったのかも。
新プロジェクト抱えて毎日残業してるしな。

(7)今の気分
モヤモヤ:65
絶望:22
情けなさ:0

視点を変えて考えてみると感情やその数値が変化するのをおわかりいただけたでしょうか

自分の思考や感情を一歩退いて見てみるのは、意識しなければついついいつもの自動思考に引っ張られてしまいます。

一度じっくりコラム法に取り組んでみると、ストレスマネジメントやアンガーマネジメントにはもちろん、今まで気づかなかった自分の価値観や認知、思考のクセに出会えると思います。

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『多様性』どこまで認める?【組織】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『社会としてどこまで多様性を認めるか』ということを書きました。今回は【組織】、つまり企業の中において、どこまで多様性を認めるかを書こうと思います。私どもが考えるひとつの提示であって、決してこうあるべきという意味ではありません。

組織は社会と違い、狭い世界になりますが、社会篇の中で書いた『個人の権利を侵害しない範囲内』であることは、組織にももちろん当てはまることは言うまでもありません。

その上で、どこまで多様性を組織(企業)として認めるかを考えます。

組織の場合、より社員個々人の価値観をいかに理解し、あるいは説得していくかが問われると思うので、社会としてよりも複雑な問題を孕みそうです。学校でも同じかもしれません。

例えば、結婚。今の時代、結婚観は人それぞれです。今の団塊の世代の人たち辺りまでは専業主婦が多かったように思います。つまり男性は働き、女性は家庭を守るという長年日本を覆っていた結婚観です。当時女性は就職して結婚したら退職することが一般的でした。寿退社という言葉があったぐらいです。

今は違います。経済的な事情もありますが、それとは関係なく女性もキャリアを積み、働き続けたいと考える割合が当時と比して増えています。しかし、そこで今問題となっているのは、昔の結婚観と今の結婚観の狭間で、仕事(女性)・家庭(妻)・育児(母)の1人3役の重圧を背負わされた女性たちの存在です。

これは今最もホットな問題でもあります。組織の育児に対するフォローをどう構築していくかが問われていることでもあるからです。国ができることは限界があります。男女問わず、育児しやすい労働環境を創出するかは個々の組織で考え、取り組まなければなりません。社員個々人に合った具体的な施策は難しいかもしれませんが、組織に最も大事なことは、育児しやすい職場環境であることを社員に実感し安心してもらうことではないでしょうか。

恐らく、組織にとって多様性をどこまで認めるかの必要条件は、さまざまな価値観を持つ社員に、最大公約数的安心感を与えること、ではないかと思います。心理的安全性はそのひとつの解であり手法だと思います。

一方で、組織には社風という企業文化・企業風土があります。組織規模が小さくなればなるほど、トップの考えがダイレクトに企業文化となり企業風土になります。大企業であれば、長年培われた伝統がそれに該当すると思います。いろいろな組織があって当然だと思いますが、どんな組織であれ、これからの組織に求められるのは、社員の多様性をいかに認めることができる企業文化へと進化(深化)させることができるか、だと思います。自治体も例外ではありません。

思うに今組織が直面している課題は、社員の多様性と企業文化の間にある溝をどう埋めていくか、ということだろうと思います。

例えば産休・育休を考えてみると、制度は組織にあっても取得しにくい社風であれば、その制度はお題目に過ぎず、ポーズに過ぎません。活用されてはじめて制度が活きるというものです。

もっと言えば組織にそのような制度があるにも関わらず、直属の上司がいい顔をしない、あるいは取得しないように圧力をかけてくることもあるでしょう。そのような企業文化が蔓延ったままだと、社員の多様性など到底認められることはないと推察できます。

組織としてどこまで社員の多様性を認めていくかという問題は、即ち、溝を埋めていくかは組織の文化をアップデートさせる必要があると言えます。これにはトップをはじめとする経営層の思考回路を変える必要があります。

時代に支持される企業風土をどのように作り上げていくか、という仕事は経営層にしかできない仕事だと思います。業績や戦略を考えることも大切ですが、それを実行するのは人、社員です。その社員が能力を存分に発揮するためには、企業文化、企業風土というものがかなり心理面に影響を与えます。

とにかく行動しろ、失敗の責任は部長である私が取る。という企業文化であれば、社員は恐れることなく果敢に挑戦しようとするでしょう。失敗したら怒られる、責任を追求される、と思わせる企業文化、企業風土であれば、社員は挑戦して失敗するリスクを冒そうとは思いません。それはその企業にとって長期的な視点で見れば損失に繋がることにならないでしょうか。

ベンチャー企業が元気な傾向にあるのは、組織規模が小さくトップも若手が多いことを背景に、長年培った伝統も歴史もないため、いい意味で過去に捉われず、トップをはじめ社員の多様性の活用が一応できているからではないか、と思われます。(トップと社員の世代が近いせいか価値観を共有しやすい、あるいは立場の距離感も近いため、必然的にコミュニケーションが活発になり、制度化しなくてもよい面はある。)

このように考えてくると、組織において多様性をどこまで認めるか、という問題は、長年の伝統や歴史に培われた企業文化・企業風土をアップデートしつつ、その範囲内で社員に対して最大公約数的安心感を与えることだろうと思います。

社員の多様性をどこまでも認めべきとは思いません。やはりそこには企業ごとに一定の範囲内という制約は外せません。そうでなければ、その企業としての個性が失われることになるからです。社員もそうした制約の根拠を理解することが必要です。それにはやはり、コミュニケーションが肝になってきます。

組織として多様性をどこまで認めるかは、一人でも多くの社員にいかに気持ち良く安心して働く環境を提供していくか、という問題に言い換えられます。それにはまず、トップをはじめとした経営層の思考のアップデート、次に管理職クラスの思考のアップデート、そしてコミュニケーションスキルの向上だと考えます。

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価値観【4】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

土曜日あたりから天気が悪い3連休となってしまいましたが、如何お過ごしでしょうか。

さて価値観も最終回となりました。前回の価値観の例をピックアップして、あるいはご自分で付け足しなどして、ご自分の人生のガイドラインを確認することはできたでしょうか。

今回は価値観が合わない人とのコミュニケーションについて書きたいと思います。いろいろなところで書かれているとは思いますが、ここに書くこともご参考にしていただければ幸いです。

以前のコラムで、自分以外は親子であっても血の繋がった“他者”だとお話ししてきました。

ぶつかり合いながらも、なかなか離れられないのが親子ですが、血の繋がりもない真っ赤な他者は、いとも簡単に縁が切れてしまうものです。どうやっても受け入れられない価値観を前に、意識的に相手と縁を切ることもあると思います。私はつい最近そういうことがあったばかりなのでよくわかります(笑)

ですが、仕事上の関わりや婚家など関係上(しがらみ上?)疎遠にすることも縁を切ることも現実的に難しい場合もありますし、わかり合いたい縁を切りたくない人もいると思います。

そのような時に思い出してほしいこと、意識してみるとよいことがあります。

価値観が同じ人はこの世に存在しないことを理解する

→血の繋がった家族ですら価値観が合わず衝突することもあるのですから、生まれ育った環境がまったく違う他者と価値観が合わないのは自然なこと。そう理解することで、自分とは違う価値観を受け入れやすくなります。いつもは理解しているつもりでも、親しくなった相手とは、つい同じ価値観を求めてしまいがちではないでしょうか。

違う価値観を知る機会と考える

→自分の価値観を基準にし、その中だけで生きていると柔軟性がなくなり生きづらさを感じたり、怒りも感じやすくなります。「この人とは気が合わない」と感じたら「自分と違う価値観を知る機会(だから認めろ、受け入れろではありません)だ」と捉えてみてください。さまざまな人と関わっていくことで、さまざまな価値観を知り、関わることになり、結果自分の視野を広げていくことに繋がっていきます。文化が違う外国人と接すると価値観の大きな違いに驚きますが、同時に自分の視野も広がった感覚がありますよね。

当然私にもありますが、

どうしても認められない価値観を、自分が苦しい思いをしてまで無理やり認めたり、受け入れたりする必要はまったくありません。

心の中で『なるほどね、でも無理!』で構いません。心の中で、がポイントです(笑)

職場など、どうにもならない時は別ですが、他者と関わる距離(バウンダリー)は自分が決めてよいのですから。

時々面白い価値観に出会うこともあるので、“他者の価値観を知る機会”という柔軟性を持っているとよいし、少し日常のスパイスになって日々は楽しくなるかもしれませんよ(笑)

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価値観【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

10月になりましたね。今年もあと3ヶ月となりました。早いですね。

さて、前回の続きです。価値観の具体例を挙げてみます、と書いて終わりました。

その価値観の具体例を思いつく範囲で挙げてみますので、この中から自分にとって大切にしたい価値観を5つほど選び出し、なぜその価値観が大切なのか、理由まで考えてみましょう。それらはつまり、あなたの人生の指針、ガイドラインという意味でもあります。

もちろん自分で考えた価値観を書き足してもかまいません。

<価値観の具体例>

・余暇(心身の休養や気晴らし)・創造性(独創的なアイデアを持つ)・勤勉(自分の課題についてよく学び働く)・コミュニケーション(わかり合うための心を開いた対話)・交渉(話し合いにより、すれ違いを解消したり擦り合わせ)・情熱(人や信念、活動に対しポジティブな強い感情を持つ)・勇気(不安や恐れを克服する勇気を持つ)・貢献(人の世に長く残るような実績を残す)・秩序(整理が行き届いた生活を送る)・人気(多くの人に慕われ好かれること)・自立(心身ともに責任を持ち、自分一人で生きていけること)・見た目(見た目がいい、身なりがいいこと)

・チャレンジ(限界に挑戦し困難に立ち向かう力)・チームワーク(他者と協力し合い共通のゴールを目指す)・競争(人より上手くできること、他者に勝つこと)・誠実(自分、他者に対し正直である)・名声(人に認められ有名になること)・自律(自ら規範に則り行動する)・健康(身体が健康で不安がないこと)・自己受容(自分のあるがままを受け入れること)・所属(社会やコミュニティから孤立せず人と繋がっていること)・権力(他者を意のままにコントロールできる力を持つ)・合理性/整合性(理論的で道理にかなっていること)

・礼儀(他者に対し思いやり深く丁寧であること)・親密(他者と感情的精神的に深く結びつきたい)・メンタルの成長(今より人間的に努力、道徳的な人間でありたい)・援助/支援(人を助けたり人のためになること)・正当性(努力の成果を正当に認められること)・思いやり(他者の悩みや苦しみに寄り添い労わる)・お金(欲しいものを我慢せずに買える)・公平(すべての人が公平/平等であること)・安定的(予測可能で確実であること)・愛情(人を愛し人に愛されること)・面白さ(日々面白おかしく暮らすこと)・家族(幸せで安心できる家族と共に暮らすこと)

・友情(理解し合った仲の良い友人)・寛容(他者の過ちを許せる広い心)・忍耐(決めたことを最後までやりとおす)・興奮(刺激に満ちたスリルのある人生)・自由(いろいろな柵やルールから解き放たれる)・寛大/楽観的(細かいことを気にせず、大らかであること)・知識(有意義な知識を学びたい) などなど。

最終回となる次回は価値観が合わない人とのコミュニケーションについてお話しします。

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価値観【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2回目の今回は、価値観の習得段階についてです。

価値観の習得段階は、段階が進むにつれ抽象度が上がり、より高い視点の価値観を形成していくことになります。

Level1<生存目的レベル>
生存のための欲求が最優先されるレベルで、生理的欲求を満たすために価値観を持ちます。

Level2<集団形成レベル>
家族や友人の中で集団を形成するレベルで、安全性を求め自己犠牲概念が生まれます。また集団の長に従うことを望みます。

Level3<自己中心レベル>
自己中心的なレベルに満たされ、自分の欲求に赴くまま行動します。自分の論理が世界の論理という価値観ですが、この価値観はいずれ行き詰まります。

Level4<社会システム形成レベル>
自分の欲求をやみくもに追求するだけはなく、社会のルールに従い、その中で自分の欲求を満たす方法論を学びます。

Level5<実例主義レベル>
自己利益のためにルールの中で自分の欲求を追求します。企業活動や社会活動など実利活動の中の価値観を形成し、社会的地位を得ていきますが、周囲から疎まれたり疎外されることがあり行き詰まりを感じます。

Level6<社会的レベル>
自己犠牲で他者に役立ったり尽くすことで自分の価値を見出します。レベル5の価値観とは真逆の価値観で、全体の調和を大切にしますが、実利と繋がらず組織として機能することが困難になる場合もあります。

Level7<存在超越レベル>
他者を犠牲にすることなく自己実現を優先する方法を模索しながら価値観を形成します。その中で、自分は社会に良い変化をもたらす存在でなければいけないと考えるようになります。

人は“価値がある”と感じるものに対し【接近行動/その価値に近づこうとする】行動を、“価値がない”と感じているものに対し【回避行動/その価値を遠ざけようとする】行動を取ります。

【3】では価値観の具体例を挙げてみます。その中には必ず自分の価値観を知るヒントがありますので、いくつか順位をつけ、その価値観が大切な理由を考えてみてください。

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価値観【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

早いもので9月もいよいよ終盤ですね。シルバーウィークはどう過ごされましたか?

今回は日常的によく言うよく聞く【価値観】について、これまた4回にわたって書こうと思います。

『今さら価値観?』と思う人もいるかもしれませんが、価値観とは、その名のとおり自分が何に対して価値を認めるか?ですが、改めてこの【価値観】を深掘りしていこうと思います。

価値観は、好ましいこと好ましくないこと/善悪を自分の物差しで評価、判断する際に基準となっていることが多く、物事の捉え方(認知)や優先度も加わり、その人が“何を大切にしているのか”の指標になります。いわば価値観は“どう生きるか/生きたいか”の大切な人生のガイドラインになっていると言えます。

生まれ落ちた時には価値観など抽象的な概念は誰も持ち合わせていませんから、価値観は育った環境や今までの経験、関わってきた人たちなど、さまざまな後天的要因で形成されていきます。

そう考えると、自分とまったく同じ環境で育ち同じ経験を重ね、同じ人と関わることは絶対にあり得ないわけで、ゆえに自分とまったく同じ価値観を持つ人など存在しないことがわかりますよね。

どのような人間関係でも上手くいかなくなる根本には“価値観の違い”があると言っても過言ではなく、対人関係において価値観は最重要ファクターになってきます。

価値観の形成には時期と段階があります。

<刷り込み期> 〜7歳
人生の中で基礎となる考え方を形成する時期で、周りの知識をどんどん吸収しながらベースとなる価値/信念が形成されていきます。
一番身近にいる“親(養育者)”を無意識にモニタリングしていくので、ここでの親(養育者)の関わりは非常に重要になります。

<モデリング期> 〜13歳
周りの人達の真似を始める時期で、身近な親(養育者)や大人から始まり、テレビや漫画の世界からヒーロー、ヒロインなどにも影響を受け、自分の中のヒーロー像を形成します。それは現在の自分の行動指針にも繋がっていきます。

<社会化> 〜21歳
社会における人間関係など実利に結びつく価値観が形成される時期です。人間関係や社会との関わり方や距離で悩み、自分なりの価値観を形成していく時期でもあります。

次回は価値観の習得段階からスタートします。

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終わりの始まり

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

友人関係でも夫婦関係でもなく、当たり前に親子関係でもない恋愛関係。その中で恋愛は一番不安定な人間関係ではないでしょうか。

恋愛関係も友人関係も物理的距離“だけ”が原因で壊れることはあまりないと思っています。不安不満不信など原因はともかく、自分の中で相手に対し“どう感じたら”、“どんな感情を持ったら”終わりの始まり・・・なのかはわざわざ意識しないだけで誰もが薄々気づいているのではないか?と思うのです。

ウキウキルンルンなスタートしたばかりの恋人同士は相手に多少「?」を感じても、目の前にいる恋人の“存分に自分フィルターがかかった状態”で都合の良い部分しか見えていません。

人間関係を持続するために擦り合わせたり乗り越えていかなくてはいけない、目の前の立ちはだかる“価値観”という壁に、まだ本格的に向き合う機会がないからとも言えます。あるいは本格的に向き合うだけの関係にまだ成熟していないと言えるかもしれません。

よく3週間3ヶ月3年と言われますが、3週間はともかく、この“3ヶ月”説は3ヶ月3年過ごす中では、二人の間で何らかのトラブルが起きたり、“譲れない”価値観の違いが露呈していくからではないでしょうか。

  • トラブル回避の手段を講じる。
  • トラブルが起きた時に、どのように解決するか。
  • 価値観を擦り合わせ、互いの納得に近い着地点を模索する。

どれも高いソーシャルスキルとコミュニケーションスキルを必要とします。しかも、いちいち言葉にせず“察する”ことも要求されるという高難度です。

どちらか一方がこの能力が高くても残念ながら長続きしません。恋愛は一人では絶対に不可能だからです。我慢に我慢を重ねての長続き、はあり得ますが・・・。

最良なのは、二人ともがスキルを持ち合わせていることですが、世の中、そうそう上手くいかないものです。

どちらかが、もしくは両者が「自分は間違っていない!悪いのは全部相手だ!」という気持ちを持つと、どんな小さなことでもそこから綻びが生まれ、同時に不満も生まれます。これはあらゆる人間関係に言えることだと思います。

コラムでも何度か書いていますが、人はいきなり不信にはならないもので、不安→不満→不信という過程を辿ります。

パートナーと「相手の気に入らないところの数を数えるようになったら終わりに近いだろうね」と話をしていました。もちろん細〜い見えない糸でのみ繋がっていた修羅場三昧の危うい氷河期が私たちにもあり、その時はお互いに気に入らないところだらけ(むしろ嫌なところしかない)だったと思いますが(笑)、今は「気に入らないところは特にないな」なので、なんとか無事に危機を脱したと言えます。

不満を不満のまま不信になるまで放置(逃避)した結果、相手の“気に入らない”数を数えるようになったら、どんな関係も終わりの始まりではないかと思うのです。

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