ファシリテーション【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ちょっとご無沙汰しておりました(笑)最近気温がこの時期にしては低いな、と感じています。体調は大丈夫でしょうか?

さて、ファシリテーター、ファシリテーションという言葉を聞いたことがあると思います。

リーダー、司会進行、議長などとは違い、もちろんカウンセリング、メンターやコーチングとも違う・・・ファシリテーションって何?ファシリテーターって一体何をする人?

今回はファシリテーター、ファシリテーションについてお話ししようと思います。

ファシリテーションとは、ワークショップやプロジェクト、会議などにおいて、相互理解を深め、自律的に課題解決に向け合意形成のもと、業務遂行し問題解決に向かうことを言います。

ファシリテーションにはチームに対し“場作り”“対話力”“合意形成”という手法を使うため、この3つはファシリテーターの必須スキルになります。

解決を促しサポートしていく立場から、支援者という位置付けが一番適切かもしれません。

コーチングもファシリテーションも課題に対し“自律的な解決を目指す”ことに変わりはありませんが、2つには明確な違いがあります。

コーチングは個人に対しておこなわれますが、ファシリテーションはチーム、集団に対しておこないます。もう一つの違いは、カウンセリング/セッション/コーチングでは個人に対して“自身の認知/行動をより深くフィードバックしていくことから得られる気づき”により問題解決を促すのに対して、ファシリテーションでは他者(その場に集うメンバー)と関わる相互作用からの気づきにより、問題解決の糸口を模索します。

ファシリテーションでは他者との関わり合い、協力や意見交換をする中で互いの違いを知り、生まれるシナジー効果を狙います。

この『相互成長』が一番の違いだと考えます。

次回はファシリテーターの役割についてお話しします。

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マスク、どうしてる?

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたか?仕事だった人、帰省した人、レジャーへ行った人、さまざまだったと思います。コロナ5類移行直前だったこともあり、ほぼ気兼ねなく過ごせたゴールデンウィークだったのではないでしょうか。

東京は外国人観光客が増えたと実感します。私が住む地域では普段見かけない欧米系の外国人やファミリーらしきグループが、大きなキャリーケースを引っ張る姿を見かけるようになりました。電車や駅ではそんな外国人を多く目にします。

日本も今週から5類に移行し、マスクや手指消毒も不要になりました。マスクをする自由はあっていいと思う一方で、“いつまでもマスクをする日本人”として、一部非難めいた論調があるのも事実です。だからとて『外せ』と強要するのは明確に違います。

全体としては様子見のように思いますが、マスクをしていることにいちいち目くじらを立てる必要もないと思っています。

個人的には公共交通機関を利用する時はマスクをしてしまいます。してしまう、という心理が働くのは、やはりまだコロナに感染している人がいるということ、飛沫感染するということ、有効な薬も治療法も確立されていないということ、この3点がどうしても引っかかって、電車内ではマスクをしてしまいます。

両親が高齢であること、身近に基礎疾患のある友人がいること、こうした理由もあります。

特に夜の帰宅時間帯の電車は、アルコールも入って機嫌よく話している乗客もいるので、予防というより気休めにマスクをしています。医学的に有効なのか有効でないのか、ということを考えても両論あるようですし、素人の私が有効性の有無を知る術もなく、だったらマスクをして、それでもし感染したら諦めがつくかな、という感じです。免責と自責の念を抱かないためですね(笑)

ただ街を歩いている時はマスクは外しています。これはもう屋外では外してもよい、となってからそうしています。だからマスクを持ち歩いて過ごしています。

企業へ行くことがありますが、大体どこの企業でもマスクをしている人、していない人、半々の印象です。表情がわかりにくいという欠点はありますが今さらという感もありますし、私はマスクをする自由はあって然るべきだと思います。また、マスクをする事情がある人も一定数存在しているはずです。

接客業で働く人たちは概ねマスクを着用している印象です。しばらくは外さないように会社から言われていると想像します。

一方で、ルッキズムによってマスクを外せない、という問題もあるようです。これは本城が後日どこかでコラムに書くと思いますが、これは感染予防ということではなく質が違う問題で、メンタルに関わってくるデリケートな問題だと認識しています。

ルッキズムについて、ここでは顔に限定しますが、コロナ以降に出会った人はマスクをしている顔しか知りません。顔全体を見た時、心の中で一瞬『ん?誰だっけ?→あぁ!◯◯さんだ!→そんな顔してたんだ!』という感想を抱くと思います。

マスクだけの印象で可愛い、カッコいい、綺麗、シブいなど勝手に無意識にイメージを膨らませていたことが原因だと思いますが、それは仕方のないことです。

大事なのは、実際に相手の顔全体を見た時に、差別的感情や感想を持たないことだろうと思います。例えば『案外ブスだな』とか『えっ!?そんな顔だったの!?(ガッカリ)』という感想です。顔を全体を見て抱く感想はお互い様ですから、むしろ新鮮な気持ちを抱いてほしいと思います。

同じ人ですが新たに出会ったみたいな感覚ですね。途中で調味料を加えると味変して二度美味しい思いをしたことはありませんか?そんなイメージです。

同じ相手に二度出会える、新しい出会いとは違った新鮮さを感じると思います。これはコロナでマスク生活を強いられた副産物ですが、人生でそう経験できるものではありません。

ただ気をつけなければいけないのは、そのことを下手に口にすると褒めたつもりでもハラスメントや差別発言と捉えられるご時世なので、何も言わずにスルーすることが肝心になります・・・。気心知れた関係の相手限定で褒めましょう(笑)

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サバサバ系女子

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

東京は桜が開花しましたね。平年より10日早いそうです。

さて、今回はサバサバ系女子について書こうと思います。

いますよね、自称サバサバ女子。

私は今まで何人か出会ってきました。まがい物のサバサバ女子ということで、私は“偽サバサバ女子”、略して“偽サバ”と命名します。

小さなことを気にしなくて大らか?同性同士のお付き合いが苦手で友人は異性ばかり?趣味がアクティブなサバゲーや海釣り?他者のバウンダリー(自他境界)をマルっと無視してズカズカ踏み込んでくる人?

偽サバ女子には特徴があります。

まず、本当にサバサバしている人はわざわざ自分から「私、サバサバしてるから」など言いません(笑)他者にサバサバしていると捉えられようと捉えられまいと、どうでもいいからです。

偽サバは自分の発言や行動で誰かが気を悪くしたり不快になる、傷つけることがあっても反省したり謝ったりしません。

「ほらぁ、私ってサバサバしてるから何でも思ってること言っちゃうの〜(だから悪気ないの、(´∀`*)テヘ)」と、自分が考えるサバサバした性格を免罪符に自己正当化して謝りません。

それは気遣いできないただの無神経な人だということがわからない残念な人なんですけどね。心で静かに合掌してあげてください(笑)

次によくいるのが「私ってサバサバしているから女の子より男友達が多くてー(男友達といるほうがラクでー)」と男友達が多い(モテる?)アピールする場面。

微妙にマウンティングしている感も否めません。このタイプは「映えスポットなんて、そんな女子らしいこと苦手だな〜、SNSやらないしぃ」と言いながら、異性との飲み会はシレッとアップします。

“男性に囲まれてる私”“男友達いっぱい”でモテるんだをマイルドにアピールしたい裏返しですが、なかなかの承認欲求です。

わざわざ男っぽい言葉を使ったり、多少乱暴な行動(飲み物の入ったグラスを適当に置くなど)を取ってみたりします。

整理整頓せず机が散らかっている様子を「私ってサバサバして男っぽいから(だから細かいことは気にしない (´∀`*)テヘ)」と、時間にルーズなことを、ただのいい加減でガサツ、デリカシーがなく下品なだけを“サバサバしてるから”と勘違いで免罪符にしようとしてきます。

勇気のある人は「それ、サバサバじゃなくて、ただガサツなだけじゃないの?」「それ、サバサバじゃなくてズボラでいい加減なだけだよね」と鋭くツッコムと面白いかもしれません。

私も「サバサバって、モノは言いよう、よね〜」と心の声がダダ漏れてしまったことはあります。

思っていることを我慢せず、思ったままに何でも言うのを“サバサバしてる”と勘違いしている人は一定数いますよね。言いたいことを言うなとは思いませんが、いい大人が相手に何の配慮や気遣いもなく、傷つけたり不快になるかもしれないことを考えもせず、ズバズバものを言うのは・・・。

ただのデリカシーのない無神経な人に他なりません。

わざと敢えてそのような言い方をすることは私にもあります。それは、相手が無神経でデリカシーのないバウンダリーオーバーな話し方をしてくる場合に、です。目には目を、歯には歯を、のような感じでしょうか。

「嫌われることを恐れず何でも思ったことを口にする私は裏表のないからサバサバした性格!(カッコいい〜)」とセルフイメージを作り上げる人もいますが・・・。それはただのデリカシーのカケラもない、ただの無神経な人なのです。

本人がどういう意図であれ無意識であれ、周りからは「いちいち否定してくる不愉快な人」「他人に気を遣えない幼稚な人」「話してても面倒な人」「一緒にいても全然楽しくない人」「突っかかってくるから話したくない」と思われているものですが、残念ながら気付けないんですよね・・・。

言いたいことを何でも我慢しなくてはいけない、ではありません。

他者に配慮した話し方ができるほうが素敵な大人ですよ、なのです。本人に悪気はなく、思ったことをそのまま口にする(してる)だけだと思いますが、時々【口撃】になってしまっている人も見かけます。

ズバズバ歯に衣を着せない物言いが「カッコいい」ではなく、他者感情に配慮して言葉を選び、わざわざ他者を不愉快にしないコミュニケーションを取れる人が“カッコいい”のではないでしょうか。

偽サバで評価が下がるのは、とても損なことだと思いますし、わざわざ好かれなくてもわざわざ嫌われるキャラを作り上げる必要もないと考えています。

自分は偽サバになっていないか、一歩退いて自分の全体像を眺めてみるといいかもしれません。

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「〜してあげる」の心理

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

他者に対し不平不満の多い人にはなぜか「〜してあげたのに」「〜してあげてるのに」というワードがよく出てきます。心の声の場合もあるでしょう。

これは自分でも気づいていないところで“見返り”を求めている場合によく見られます。

親切 気遣い 好意 厚意・・・

見返りは必ずしも金銭や返礼品とは限りません。“感謝”という目に見えない、しかし『恩』という厄介な見返り。

「私は〜してあげたのに、彼女は◯◯もしてくれない」
「疲れているだろうと思うからいつも家事をやってるのに、私が具合が悪くても(忙しくしているのに)何もやってくれない」

その考え、ちょっと待ってください。

大切な人、大事にしたい人に対して、なぜ「〜して“あげる”」という意識が生まれてしまうのでしょうか。

それは日々の生活の中で生まれる気持ちの余裕のなさかもしれませんし、やってもらって当たり前、わかってくれるはず、かもしれません。

一度自分とじっくり向き合い、なぜそんな気持ちになってしまうのか考えてみるといいと思います。

最初にあったはずの相手に対しての“感謝”の気持ちが薄くなったり、忘れてしまっていませんか?

自分がやりたくてやっていることであれば「〜してあげた」とは感じません。自分が“勝手に”やっているので見返りがなくても平気です。もちろん「ありがとう」「助かったよ」と感謝の言葉があると気持ちがほっこりしますが。

一緒に過ごす時間が長くなると忘れがちになってしまう“感謝”の気持ちを、出会った頃に立ち返って思い出してみませんか。些細なことも嬉しくて「ありがとう」と思い、伝えていませんでしたか?

口に出すのが恥ずかしい、言わなくてもわかってくれている(はず)・・・そんな照れや見栄、捨てましょう。

「ありがとう」

言われて嫌な気持ちになる人はいません。「ありがとう」の気持ちは人をまろやかにしてくれます。

自分の感情や気持ちを上手に表現することが不得手で不器用な人もいることをわかっていますが、人間関係を円滑に築き持続していくために勇気を出して「ありがとう」を伝えてみませんか?

ただ「感謝してる」←この言い方は感心しません。

「ごめんね」を「悪いと思ってる/済まないと思ってる」という言い方で誤魔化されるくらい後味が悪い感じがしますよね。「ごめんなさい」を謝意を伝えていますが、「悪いと思ってる/済まないと思ってる」は、その人の“気持ち”に過ぎません。これは特に男性に多い傾向にあるように思います(笑)

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解は既に決まっていて強制されるものなのか?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

突然ですが、

「私って頭悪いから」「私ってバカだから」

きっと「そんなことないよ/大丈夫だよ」「そんなこと言わないで」を求めているんでしょう・・・わかります。

ですが、毎度毎回あまりにも話に「私って頭悪いから」「私ってバカだから」が出ると、かなり鬱陶しい。なので「そうだね〜」と言ってみました。

案の定「そんなこと言わなくてもいいじゃん!」←いや、先に振ったのはアナタです。

「そう思ってたんだ!ヒドイ!」とキレられました(笑)

だったらそんな振り方するな、と言いたいのです。同じような経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。

要するに、これっぽっちも自分を頭悪いともバカだとも思っていないということですよね。ホントのことだと思って言っていて共感を求めているなら、共感したことに不快になる必要はないはずです。

なぜ「いやぁ、知らなくてお恥ずかしい」「教えてくれてありがと!」ではダメなのでしょうか。

自ら(思ってもみないくせに)自己卑下して、それを他者に否定してもらわないとアイデンティティを保てないなんて、めっちゃくちゃ面倒クサイ人です。

それは確かに誰にでもありますよね。何だかやることすべてが上手くいかなくて、「私ってダメだなー」と思うことも弱音を吐くことも。

でも、他者を使って自己肯定感を上げようとするのはちょっと違うと感じませんか?

仕事であればクライエントに対し「そうですね」とはもちろん言いませんが(そんなことはありませんと否定もしません)、いつもいつも(プライベートの時まで)セラピストモードで生活しているわけではないので正直面倒です。

一種の“察してちゃん”の応用モードな気がします。

「はぁ〜」「う〜ん、」とため息をつきながら「どうしたの?何かあった?」と切り出してもらいたい“察してちゃん”。ツンツンケンケンした態度で「何か怒ってる?」「別に!(察してほしい)」のやり取りと似ていますね。

「ちょっと聞いてほしいことがあるんだ」

「今不快な気持ちになってるんだけど、話してもいいかな」

察する力は十分ありますが、言葉で伝えましょうよ。

「言わなくてもわかるでしょ」

「言わなくてもわかってほしい」

長い付き合いの中で言わなくてもわかることは当然ありますが、自分以外はパートナーはもちろん親でも子でも“他者”で、自分とは違うものの見方、考え方、受け取り方をするのが当たり前です。

“察してちゃん”は「自分をわかってほしい」気持ちが人一倍強い人種ですが、ジブンガー!の前に自他境界(バウンダリー※)や人間理解に目を向けてもらいたいと思った一件でした。

※バウンダリー:本コラム2022年5月25日2022年5月30日2022年6月5日参照

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アサーションのさまざまな手法【3】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

DESC法については今回で一応終了し、まとめとして書こうと思います。

DESC法を用いるメリットは他にもあります。

他者に自分の考えや意見を正確に理解してもらい、納得感を上げ説得するDESC法を身につけるとことで、組織内の意見交換がスムーズに活発におこなわれ、やり取りの中で組織内の高いコミュニケーションスキルが培われます。

それは個人のコミュニケーションスキルアップや営業成績だけに留まらず、より風通しのよく効率的に気持ちの良い組織運営に繋がっていくことでしょう。そしてそれは心理的安全性の担保にも繋がり、企業がイノベーションを起こすベースとなって、業績アップに寄与していくだろうと考えます。

また、感情的にならず自分の考えを正確に伝えることで、信頼関係の構築にも役立ちます。信頼関係とは正確な意思疎通があってこそ生まれると考えます。

特にビジネスシーンで感情的になってプラスになることは一つもありません。人は感情の生き物ですから、考えや意見を感情を含めずその事実だけを伝える、なかなか難しいことをほとんどの人は経験済みだと思います。

社会人の必須スキルである感情マネジメント(アンガーマネジメントが有名)と一緒にDESC法はこれからの時代は特に、性別はもちろん、地位や役職を問わずビジネスに携わる者にとっては必要不可欠なスキルになっていくと考えられます。

コミュニケーションには他にもいくつかの手法があります。DESC法を身につけたから大丈夫!ではなく、さまざまなコニュニケーション技法を身につけ、相手やTPOに合わせて使い分けられると気持ちにも余裕が生まれるかもしれませんね。

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アサーションのさまざまな手法【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

早速ですが前回に引き続き、4つのステップについてお話しします。

  • Describe(描写する)

まず解決しよう、したいと考えている課題に対し、相手の現状や行動を客観的に描写した上で、“事実のみ”を相手に伝えます。事実のみを伝えるのが目的ですから、そこに自分の感情や考えを含めず、また憶測で話を進めないことが大切です。自分の感情や考え、憶測を含むと、相手に正しい情報が伝わりにくいというデメリットがあります。

  • Express(説明する)

Expressでは描写した内容に対し、自分の考えや意見、感じていることを伝えます。素直に自分の考えや感じたことを伝えていくわけですが、考えや感情を押し付けるような表現をしないことを心がけます。相手を否定したり攻撃的な表現にならないように意識し、注意することが重要になります。

  • Suggest(提案する)

ここではDescribe、Expressからの流れで、相手に対し課題解決するためのアイデアや代替案などを提案します。それと同時に、相手に対応してもらいたいことや承諾してもらいたいことを“具体的に”伝えます。あくまで提案なので、強制したり命令するようなニュアンスは絶対に含めないことが一番大切です。

  • Choose(選択する)

相手がこちら側の提案を受け入れた場合、受け入れなかった場合、それぞれの場合の結果や選択肢を伝えます。こちらの提案がすべて受け入れられるのがベストですが、ビジネスシーンにおいてそれは稀ではないでしょうか。ExpressとSuggestを何度か行ったり来たりするかもしれないことを踏まえ、プランはいくつか用意しておくと思いますが、そこにも落とし穴が存在します。

互いの思惑を擦り合わせる時に“何とか受けてほしい”側と“条件さえ合えば”の側に分かれます。よりイライラしやすいのは“受けてほしい”側なので、話をするうちにその焦りやイライラが雰囲気として伝わってしまうと(感情を含めた話し方になってしまう)、どれだけDESC法に則って話をしていても、まったく意味を成しません。

人は自分に対し“丁寧に”“誠実に”“素直に”話をしてくれている人に好感を持ちます。口に出さないノンバーバルな部分にも気を配り、相手に対し一挙手一投足向き合っていくその先に、DESC法が活かされてくるのだと考えています。

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アサーションのさまざまな手法【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

年明け最初の私のコラムはアサーションについてです。

人間関係をスムーズに構築し持続させていくため(相互理解にも役立ちます)のコミュニケーションスキルであるアサーションには、プライベートで使いやすいものからビジネスに有効なものまで、いくつかの技法があります。

今回はビジネスに有効な【DESC法】を説明していきます。

DESC法は他者を不快にせず自分の伝えたいことを伝え、相手に納得感を持たせるコミュニケーション技法で、アメリカの心理学者、ゴードン・バウワーにより提唱されました。

  • Describe:描写する
  • Express:説明する
  • Suggest:提案する
  • Choose:選択する

の頭文字を取り、DESC法と呼びます。

D→E→S→Cの順にコミュニケーションを展開させ、納得性の高い結果を導いていくスキルなので、特にビジネスにおいて有効なアサーションスキルと言えます。

【相手を思いやりながら自分の意見を伝える】というアサーションの基本があるのはもちろんです。

DESC法はアサーションスキルを体系的にまとめ、“D”“E”“S”“C”の4つのステップに分類したもので、このステップでコミュニケーションを進めることにより、有効な意思伝達をおこない相手の納得感を高めます。

次回は4つのステップからお話しします。

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個の力・・・“個ぢから”の時代

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

最近、面白い記事を読みました。

コロナ禍に入社した新入社員についての記事でした。

コロナ禍になって丸3年。未だにこれといった治療薬はできず、メディアでもほぼ連日、感染者数の増減を伝えています。まだまだ収束する兆しはありません。

とはいえ、世間はマスク着用以外ではコロナ前のような様相を呈しています。コロナと共存する術を得たのか、それとも麻痺してしまったのか、あるいは慣れてしまったのかはわかりません。

そんなコロナ真っ最中の時に大学生で、学生生活も満足に謳歌できなかった人達が、今まさに続々と社会人になっています。そんな彼らについての記事でした。

職場がゆるい

私個人は耳慣れない言葉でしたが、『職場が学生時代のような雰囲気』や『上司に詰められもしなければ、怒られもしない』ような職場を“職場がゆるい”と言うようです。

その背景にはブラック企業の問題やそうでなくても長時間労働、モラハラ、パワハラあるいはセクハラなどが社会問題化し、それに応えるようにここ数年で法改正や新しく法律が施行されたことがあるでしょう。こうした企業を取り巻く職場環境の変化があることは間違いないと思われます。

職場環境や労働環境が改善された部分もあるので、これはこれで歓迎すべきことです。一方で特にこれから仕事を通して人間としての成長やスキルアップを目指そうとしているモチベーションの高い新入社員や若手社員には、物足りなさを感じさせてしまう側面もあるようです。

ただ企業は新入社員や若手社員だけを考えて意思決定することはありません。企業としては全社的な『心理的安全性』を考えた意思決定をすることになります。

ここで企業の意思決定である『心理的安全性』に、新入社員や若手社員が持つギャップがあります。それは『ここで働いても成長できないのではないか』という不安です。

『心理的安全性』がもたらす副作用とでも言うべき新入・若手社員が抱く成長できない不安をどう解消するか、今これが企業内における見えざる課題だと考えます。

新入・若手社員だけに限ったことではなく、社員側もこれからの職場は成長できる場と思わず、成長したければ自分自身でアクションを起こす時代になったと思います。副業もその一つでしょう。副業でなくとも部署を横断した取り組みを模索し、他部署の人たちとの交流を通じて刺激を受けたり、切磋琢磨することも成長に繋がります。

自ら動くまさに『個の力・・・個ぢから』が求められているのではないでしょうか。

企業側もそんな彼らの個の力を発揮できるような組織作りをする必要があります。その一つが『心理的安全性』なのですが、単に『ゆるい職場』にならないために、彼らのモチベーションを維持向上できるような組織になるためには、『個の力・・・個ぢから』を発揮してもいいんだと思わせる企業風土の醸成が必須と言えます。

それにはコミュニケーションスキルが重要だと考えます。特に経営層や幹部社員のコミュニケーションスキルは重要となります。自分の成功体験や物差しではない視点でのコミュニケーションができなければならず、それにはスキルが必要になります。

今までの人生経験によって、知らず知らずのうちに人は考え方の癖を持っています。プライベートでは特に問題にならなくても、職場では問題になる自分自身の考え方の癖を客観的に自覚している人は案外少ないのが現状です。職場におけるコミュニケーションでは、そこに相応しいコミュニケーションを意識することが重要です。

個人ではなく組織人としてのコミュニケーションといえばわかりやすいでしょうか。家庭では恐らく無意識に家庭人としてのコミュニケーションをしているはずです。例えば夫あるいは妻の前では ひとりの男性あるいは女性として、そして子供の前では父あるいは母としてのように。

職場も同じです。上司と部下、先輩と後輩、いずれの立場でも組織人としての振る舞いがあるはずで、これからは一定の主従関係に加えて話せる関係(あるいは話し合える関係)としての『交流関係』が求められる時代になったのではないでしょうか。それには上司であれ部下であれ、先輩であれ後輩であれ、そのベースとなるのは『個の力・・・個ぢから』ではないかと思うのです。

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他者理解/他者尊重のために意識してみましょう。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

11月になり今年も残り2ヶ月となってしまいましたね、如何お過ごしでしょうか。

何度かコラムでも書いていますが、人はわざわざ意識しなければさまざまなバイアス(無意識な歪んだ捉えからのクセ)に影響を受けまくって生活している生き物です。

例えば、

  • 男性は浮気をする生き物。←しない人もいますし実際に知っています。
  • 女性は甘いものやフルーツが好きだよね。←私は果物が大嫌いです。
  • 普通はみんな〇〇するよね(〇〇しないでしょ)。
  • 普通は〇〇なんて考えないでしょ。
  • 普通言わないよね。
  • みんなスポーツ好きでしょ。
  • オリンピック(ワールドカップ)見ないなんて(興味がないなんて)信じられない・・・。 

などなど。

“普通”・・・何を基準に普通と言っているのでしょうか?

“みんな”・・・どこにいる誰を指して“みんな”と言っているのでしょうか?

“普通”“みんな”は全部あなたの中にある歪んだ考え方、一方方向からの見方や価値観に基づいていませんか?

現代社会の常識に照らし合わせた時に、あまりに非常識である場合は私も「普通わかるよね」と使う場合がありますが。

例えば、誰かの連絡先を本人に確認/了承を取らずに他者に教える、本人の了承を取らずにSN Sなどに画像をアップする、どう使われるかわからないのに顔写真やプライバシーに関わることをよく知りもしない他者に漏らす、などがあります。自他を守るために意識しなくてはいけないネットリテラシーと言われる部分でもありますね。

上記でもない限り、“普通”はあなたの中にある普通であり、“みんな”はあなたが知る範囲でのみんなということになります。

倒れている人が居たら助けるのは当たり前だよね。

その考えは当たり前ですか?義務ではありませんが人道的に考えれば助けたほうがいいでしょう。では、具体的に“助ける”とはどこまでを助けると考えていますか?

  • 助け起こしてできる処置があればする(AEDなど救命処置)。
  • 意識があれば連絡先を聞き、そこに連絡する。
  • 警察を呼ぶ。
  • 救急車を呼ぶ(必要かわからないが倒れてたから)

このどれもが“助ける”行為に繋がっています。

倒れている人がいれば駆け寄って助ける←これがあなたの常識だったとしましょう。

どのようなトラブル(感染症なども含む)に巻き込まれるかわからないので、さまざまなリスクを考え、一旦退き警察や救急車に連絡する“だけ”の人に対して「普通助けるでしょ!」と考えるでしょうか。

知識のあるメディカル/コメディカルであれば、バイタルを確認して外傷など調べ骨折部位があれば添え木をして固定するくらいはやるかもしれません。

しかし、ほとんどの人は足がすくみ動けなくなってしまうか、救急車を呼ぶぐらいしかできないと思います。

このように“助ける”行為ひとつとっても人それぞれの考え方があり、人それぞれの行動があるものです。

あなたのバイアスはどこにありますか?その捉え方や考え方は“あなたの考える普通”ではありませんか?

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