ポツンママ(ぼっちママ)を知っていますか?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は入学式シーズンということで、少し軽い話題で。

タイトルのポツン(ぼっち)ママ、まさに私のことです。

ポツン(ぼっち)ママとは、ご想像のとおりママ友がいない、一人でいるママのこと、ですね。

普段は誰にでも友好的で人見知りもありませんが、私自身がママ友というものに関心がなく、繋がりがなくても必要情報は自ら積極的に動くので、不自由を感じたことが一度もありません。常に“一匹狼”(笑)の一人行動で授業参観や保護者会に出席しています。そして、我が子観察はもちろんですが、保護者や子供たちも観察しています。

当たり前ですが、おしゃべり目的で行くわけではないので話す人がいなくても平気ですし、「あのママ、ポツンママだ」と思われても、陰で「ママ友いなくてぼっち、かわいそう」と言われても、積極的ポツンの私はまったくのノーダメージです。

何とかママ友を作ろうと必死な保護者もいるようです。

観察していると、ボスママのような立場(?)の人がいて、場をとりまとめたり保護者会後のお茶会、誰の家に集まるか、ママランチなどを仕切っているようです。身振り手振りも声も大きなママさんや、お子さんが何人かいて学校をよく知るママさん、出たがりママさんが多いように見えます。

いつも一人でいるのが可哀想だと思われるのか何度かお誘いを受けたことがありますが、仕事でもないのに自ら“必要と感じない面倒そうな人間関係”をわざわざ作らなくてはいけないコミュニティに関わるのは苦手なので、笑顔で爽やかに辞退しています。

多分これも陰で何か言われていると思います。

疑問や意見があれば学校に聞いたり伝えればいいですし、学校では手に余るようなら教育相談や教育委員会もありますから。

ママさん同士が集まって家庭内不満をウダウダ(もっぱらご主人や生活の愚痴)、他者の家庭事情への立ち入り、トンチンカンなアドバイス、マウンティング合戦は性に合いませんし、それほど暇でもありません。

いや、いいんです。その“ママ友コミュニティ”が居心地よく楽しくて、無理のないストレスフリーなお付き合いができる人であれば。中にはサッカー団の保護者付き合いなどもあると思いますし。

ただ知っておいてほしいことがあります。

ママ友ワールド、ママカーストの中で誰かの顔色をうかがったり、同調圧力にモヤモヤしたり、『子供のため』と無理して付き合う苦痛と無駄時間を。

私はシングルマザーなので、ママカースト内ではなぜか最下層に位置するようです(笑)くだらないです・・・。

ママ友コミュニティに属していなくても子供の学校生活は問題なく送れますし、もしそれが原因でいじめがあったとしたら、それはそれで学校が対処すべき問題だと思います。もちろん、必要な委員や役員を逃げ回っているわけではなく、関わらないのは学外“ママ友(保護者)同士のお付き合い”だけです。

図太いのでそう思うのかもしれませんが【戦略的ポツン】、ものすごくラクです。空気を読めないのではなく、自分にとって不必要な空気は敢えて読まない・・・というスタンスです。

帰属意識が高く何かと群れたがる(安心するから)、良くも悪くも日本人気質の一部で、それをまざまざと感じるのがママ友ワールドです。

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リモートの限界

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

現在メンタル・イデア・ラボではインターネットカウンセリング(以下ネットカウンセリング)やリモート面談はおこなっていませんが、それには理由があります。

お話をお聴きしている時、私は相談者の目線の動きやわずかな表情変化(マイクロジェスチャー)を細かく見ています。いかにも“観察してます!”的なガチ見はしていないので、幸い気づかれたことはありません。

どこかに不安があると必ずマイクロジェスチャーとして表れます。

大概バストアップしか映し出さないリモートでは相談者から得られる情報が少なすぎて、見落としや勘違いが起きる可能性が出てきます。

画面越しの言葉と言葉に添えられた声のニュアンスだけではその人を拾い切れないのです。

ノンバーバルコミュニケーション、聞いたことがあるのではないでしょうか。非言語コミュニケーションのことで、身振り手振りから眼差し、ため息や仕草まで私たちは言語化されていない多くの情報を頼りに、他者とコミュニケーションを取っているのです。

画面越しだと、そのノンバーバル部分に限界があります。

にこやかに話をしている人が、床に足をわずかにトントン・・・なんてまったくわかりません。ため息も拾えません。人はノンバーバル部分にこそ、その人の無意識な本音が表れると言っても過言ではありません。

コロナ禍でネットカウンセリング、リモート面談が増えています。何度もお会いして話をしてきた人とたまたまネットカウンセリング、事情が事情ですし、これは構いません。

最初から最後まで、つまり初対面から画面越しで一度も会うことなく、メールだけ、画面越しのみ、これはメンタル・イデア・ラボの考え方、理念とは少し違うのです。リモートは飽くまでも付帯的なもの、という位置付けです。

【リアルがベースにあってのリモート】、人の心、メンタルを扱うからこそ、丁寧に接していきたい、メンタル・イデア・ラボが大切にしている理念であり核心です。

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組織の中のストレス

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

会社で一番の悩みは“人間関係”だと言われており、ストレスやメンタルを病む原因、退職理由も人間関係が多くを占めます。

私生活とは違い組織では上司部下、先輩後輩、同僚同士、取引先など、実に多くの人間関係があります。学校では教師と生徒・保護者という役割・期待もあります。

組織において対人ストレスを軽減し、皆が働きやすい環境に整えるのは上司(部下を束ねる立場/管理する側にある人)の仕事でもあると考えています。もっと言えば、トップの仕事であると考えています。上司でなくともプロジェクトリーダーなども、チームのメンバーが働きやすい環境に整えることも仕事であると思います。

管理職やリーダーという、人の上に立つ立場の人は部下に命令指示し、勤怠“管理”するだけが仕事ではない、ということです。

【役割期待】は、私生活ではパートナーや子供に、学校では教師が生徒に、会社という組織では部下や後輩に対して生まれやすい概念です。自分が期待している役割(仕事・家事など)に相手が応えてくれるとストレスはありませんが、期待している役割に応えてくれなかったり、「そうじゃなくて!」と、トンチンカンなことをされたり、反発を感じるとストレスになります。

こうして見ると、私たちが抱える人間関係のストレスの多くは“役割を期待する”ことから生まれていると考えられませんか?

役割期待は対人関係で誰もが持っている概念なのです。そして、役割を果たされないことや役割期待のズレから生まれるイライラや怒りが対人ストレスの正体です。

私生活だと「僕は仕事が忙しいし家にいる時間が長い妻が家事をやってくれるだろう(やっていて欲しい)」《役割期待》→“僕”が考えるほど家事をやってくれていない、暇そうなのに家事を疎かにしてダラダラしている(ように見える)→イライラ発生。

会社だと上司が部下に「資料作成してくれと昨日言ったよな」《役割期待》→いつまでも上がってこない、報告もない、忘れているのか?どうしてこんな簡単なこともサッサとできないのか?→イライラ発生。

学校だと教師が生徒に「宿題やるように言った(だからやってくるだろう)」《役割期待》→「ほとんどがやってきているのに、どうしてこの子はいつもできないの?」→イライラ発生。

どちらも相手に(誰かに)役割を“期待”して、それに応えられなかったことがイライラに繋がっているのがわかります。期待している役割に相手が応えてくれないことで不満(ストレス)を感じているのが原因です。

そうならないためにはどうすればいいのでしょうか。

とにもかくにも“コミュニケーション”です。

前記の上司であれば「明日の会議で使う資料を○○までに上げて欲しい、今抱えている仕事もあると思うができそうか?(難しそうであればいつまでならできるのか)」と、仕事内容を伝えると同時に『○○までにできるかどうか』も確認する必要がありました。一方、部下は無理そうだなと思っても「できます」と言ってしまいます。そこで上司はもう一歩踏み込んで、助っ人になるような人に根回し「彼(彼女)に資料作成を頼んだから、ちょっと手伝ってやってくれ」と言っておくのもいいでしょう。あるいは、その部下がやっている仕事を別の人に任せて、資料作成を優先させることもいいでしょう。とにかく、一人で背負わせない、頑張らせない環境を作ってやることが大切です。

これを役割期待の擦り合わせと言います。

部下にもやっている最中の仕事があるのに、いとも簡単に「○○までにやっといて」とまったく違う仕事を丸投げする上司がいますが、急ぎで抱えている仕事があると「えっ!?いきなり?」「忙しいのにその量?」「またかよ」と不満を感じ、モチベーションが下がってしまいます。プレッシャーで不安にもなるでしょう。これが連日続いたらその部下はどうなるでしょう・・・いずれは退職していくか、あるいはメンタルを病むか、はたまた最悪の事態に発展しかねません。

命令“だけ”しかできない(しない)上司、今時どれくらいいるのかわかりませんが、悪しき昭和の常識(部下は黙って上司の言うことを聞け)をズルズル引きずっている人に多い気がします。私の勝手な想像ですが・・・。

役割期待は平たく言うと「口に出してはいないけど(言葉にしていない)考えたらわかるよね?くみ取れるでしょ?」から生まれます。期待していると(勝手に)期待に応えてくれなかった、裏切られた、理解されなかった・・・と感じた時にイライラが生まれやすいというのは、誰にでも経験があることではないでしょうか。

今は特にコロナ禍ということもあり、イライラ感情を持ちやすい社会情勢ということもあり、そこここに火種があるように感じます。

コミュニケーションには時として手間や時間がかかる時もあるのですが、そのわずかな手間を面倒だと惜しんで後々イライラするのなら、思いやりのある細やかなコミュニケーション(アサーション)を心掛けてみるほうが生産的な気がします。

自分以外は親でも子でも他者。あなたが思っていること、考えていること、そんなものは口に出して言葉にしなければ伝わりません。

察しがよく伝わる人はいるかもしれませんが、それはたまたまで幸運なことです。これは当たり前ではありません。

命令するのと的確に指示ができることは別です。期待し信じ伸ばすこと。それは言葉足らずな【役割期待】とは違うものです。

自分が誰に対しどのような役割期待があるのか、そこに意思を伝える十分なコミュニケーションはあるのか(言わなくてもわかるでしょ、このくらいわかって当然、やってくれるのが当たり前というコミュニケーションの手抜きはないか)、今一度、自分自身を振り返ってみましょう。新入社員の入社時期でもあります。改めて自己点検してみるのもいいかもしれませんね。

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アンガーマネジメント【番外編】

メンタル・イデア・ラボのスミです。本城に代わり、シリーズ途中ではありますが、番外編として今回は私が書こうと思います。

私は本城のような専門家ではないためアンガーマネジメントは語れませんが、前回本城が書いた『〜べき』思考を、リアルに体験した時を綴ることで、『〜べき』思考を受けた側の気持ちを書こうと思います。

リアルの場、つまり会社でのミーティングや会議の場のことです。私がまだ広告制作会社の社員だった時のことを思い出しながら綴ろうと思います。

広告制作は簡単に言えば、クライアント企業からの依頼を受け、クライアントの希望を聞きながらコンセプトやデザイン、コピーなど表現を考える仕事です。私はプロデューサーで制作一切を取り仕切る立場でした。スタッフは同僚に留まらず、外部のフリーランスのスタッフ(デザイナーやカメラマンなど)も起用し、クライアントの窓口となって、制作コンセプトを企画立案し、それを具体化していく仕事を担当していました。

まず企画会議があり、制作会議があります。そこで外部スタッフを交えながら方向性を決めていくのですが、その場でしばしば『〜べき』思考に遭遇します。

大体において議論が白熱してくると『〜べき』思考が頻発します。もちろん言っている側は相手を言い負かすつもりで言っているのではありません。飽くまでも、その人が考える最適なコンセプトや表現方法を主張しているのです。それはとても貴重で有り難いことですが、他の人の意見を聞き入れない姿勢が垣間見えると、いくら優秀であっても、そのスタッフとは仕事のやりにくさを感じ、活発が失われた雰囲気に包まれます。

つまり、『〜べき』思考で自分の考えが一番良いという空気を前面に出されてしまうと、

周囲にコミュニケーションを取りづらい雰囲気を醸し出す

傾向があります。その人にヘンに気を遣ってしまうあまり、その人の意向が強く働くことになりかねません。もちろんスタッフが納得しての話ならば問題は顕在化しませんが、そうでない場合は誰のために仕事をしているのか混乱し、どこかで不満が表出します。

コミュニケーションが取りづらくなることは、仕事を遂行していく上でリスクです。クライアントの意向が最優先なのに、違う方向へ向かってしまうリスクがあるからです。広告制作には変更や修正も当たり前です。一度決まってもクライアントから修正指示が飛んできます。その時に『〜べき』思考の強いスタッフに伝えることに憂鬱感を覚えます。これもリスクです。伝える側に無用なストレスを抱えさせることになるからです。それが蓄積すればどうなるか、モチベーションが下がり、いい仕事が出来なくなります。最悪の場合、退職してしまうかもしれません。

『〜べき』思考が強いと、少なくとも周囲に良い影響は決して与えないと言えます。現に私もうんざりした記憶があります。なるべくあの人とは一緒に仕事はしたくないな、と思ったものです。仕事ができるできない以前に、コミュニケーションを取りやすいかどうかが、やはり重要だと痛感しました。

それは広告制作という仕事に留まらず、広くどんな仕事にも普遍的に言えることではないでしょうか。入社試験もスキルや可能性、求める人材像かどうか、即戦力になるかどうかも重要なファクターではありますが、この人と一緒に仕事をしてみたい、と採用担当者に感じてもらうかがカギのような気がします。

映画『釣りバカ日誌』のハマちゃんは、仕事ができるできないはともかく、コミュニケーションスキルが物を言うという意味では象徴的なキャラクターではないでしょうか。

経験則から言うと、仕事にストイックな人ほど『〜べき』思考の人が多い、というのが私の印象です。仕事に対する自分にストイックなら素晴らしい姿勢ですが、その姿勢を他の人に求めたり、相手の意見や考えを否定する言動になってしまうと、いわゆる“人望”を失うことになりかねません。人望を失えば必然的に出世できない、下手をすれば今の時代、早期希望退職という美名の元、退職勧告を受けるかもしれません。仕事にストイックであればあるほど、相手の意見や考えを尊重することが本当のストイックというものではないかと思うのです。

『〜べき』と言う時は、普遍的な規範や道徳を言う時、あるいは人の背中を押す時に使うことが適当だろうと思います。例えば、猛暑には水分は摂る“べき”、せっかくここまで頑張ってきたのだから結果がどうあれ挑戦してみる“べき”、今時期なら入学試験がそうかもしれませんね。このプレゼンは絶対取る“べき”、など人を応援する時の“べき”は、その人に勇気を与えることがあるかもしれません。

多様な考え方がある世の中で、しかもダイバーシティやインクルージョンという価値観がこれからの時代の世界的潮流だと考えると、“一方的”というニュアンスのある『〜べき』思考は、自分自身を貶める可能性を孕んだリスキーな思考だと言えなくもない反面、その分シチュエーションやタイミングによっては、とても力強い応援思考でもあるかもしれませんね。

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アンガーマネジメント【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

アンガーマネジメントの【2】では、怒りが生まれる原因からスタートします。会社という組織で考えてみましょう。

“自社新商品の売上を伸ばす”というゴールを目指す時に、そこにはいろいろな部署の人たちがさまざまな関わりを持ちながらプロジェクトを進めます。それぞれ立場が違う人がいろいろな考え(意見)を出し合う場面もあります。

当然ながら立場が違う人たちが自分の考えや意見を最優先させよう(させたい)とすることで衝突が起きます。まず、

考え方や意見、立場の違いは問題ではありません。

問題となるのは、

意見や立場の違いを受け入れたり認めることができない、あなた自身の『〜すべき』という“思考”です。

自動思考になってしまっていて自分が『べき』思考になっていることにさえ気づけないこともあります。

商品開発部VS営業部、という構図で考えてみましょう。

営業部はその新商品の素晴らしさは知っています。が、操作がごちゃごちゃと分かりづらいというお客様からの声を受け、「確かにその通りだ、商品自体は素晴らしいのだから、もう少し使い勝手よくシンプルで分かりやすくなればお客様は喜ぶ。絶対に売上は伸びるはず。ここは開発部がお客様の意見に耳を傾けるべきなんじゃないか」と考え、意見を出します。

開発部は、技術のすべてを投じた商品に絶対の自信を持っており「多少の複雑さがあっても商品自体は素晴らしいのだから、その素晴らしさをもっと説明して納得してもらうような営業をするべきだろう」と考え衝突します。

クリエイティブの現場でも衝突はしばしばです。映像業界なら監督と役者、広告業界なら営業部と制作部、カメラマンとアートディレクター・・・、共通の目的は『良いものを創る』ということですが、建設的な衝突を繰り返しながら、協働で一つのものを創っていきます。まさに現場は人間臭さに溢れています。

この“べき”は正しい意見のようにも聞こえますが、実は“自分サイド”の要求(欲求)でしかないことが多くあるのです。

“新商品の売上を伸ばす”、“良いものを創る”というゴールを目指し、より良い着地点を模索するために立場や部署が違う人たちが意見や考えを出し合うわけですから、

怒りの引き金になりやすい『〜べき』思考にならないように意識しましょう。

言い換えれば、怒りに任せた感情的なぶつかり合いだけで終わらせず、共通の目的を意識して、互いの納得点や共通認識点を確認するという人間臭い作業を丁寧に繰り返し、擦り合わせていく、と言えます。その仕事に携わる誰もが気持ち良い充実感を体感できる環境を、お互いで創出していきたいものです。それができた先には、きっと立場を超えた信頼感や絆みたいなものが得られるのではないでしょうか。

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アンガーマネジメント【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

インターネットや雑誌、テレビでもアンガーマネジメント、アンガーコントロールという言葉を聞くようになりました。

本来、アメリカのエグゼクティブがマイナスになりやすい感情に冷静に対処できるように考えられたプログラムですが、トレーニングで誰もが身につけられる技術です。

人間関係を円滑にする上でアサーション同様、社会人の必須スキルではないかと考えています。特に雇用する立場の経営層、幹部の人には必須と考えます。

キレやすい思春期の子供たちを相手に息子が通う公立中学校では、人間関係教育で大切なアサーションやアンガーマネジメントを取り入れており、一定の効果は上がっているようです。残念ながら、発達障害のある息子はストレス耐性も低く衝動性もあるので、感情マネジメントはなかなか上手くいきませんが・・・。

怒りを感情的にぶつけて言い合いをしても解決に繋がることは少ないもので、自分自身はもちろん相手にもイライラと嫌な感情だけを残し、何より人間関係に決定的なヒビを入れてしまうかもしれません。

“怒り”の感情自体が悪いわけではありません。『適切な怒り』は相互理解に繋がる場合もありますし、怒りがモチベーションとなり、やる気に結びつくこともあるからです。例えば新しい事業のキッカケが『怒り』ということがあります。ある問題にただ文句や不満を言うことを超え、その不満などを解決する方向に怒りのエネルギーを転嫁させ、新しい事業を立ち上げる、といった具合です。そのような経験がある経営者もいるのではないでしょうか。

では、『適切に怒る』とはどういうことでしょうか?

その前に怒りという感情が生まれる仕組みについて理解しましょう。怒りに仕組みがあることにちょっとした驚きを持つ人もいるかもしれませんね。

怒りは不快感情に分類されるので、どんなに怒りっぽい人でも怒るのが好きな人はまずいないと思います。他者に向ける怒りの多くは、自分も含め誰もハッピーにはなりませんから、マイナスになりやすい感情と言えます。怒りを感じるような状況でも、自分のその時の状況で怒りは怒りでも、その度合いが変わります。『虫の居所が悪い』という諺もあるぐらいです。

次のような時の例を挙げます。

  • 大好きな人にプロポーズされ、嬉しくてたまらないウキウキな時。
  • 大きな商談をまとめた手腕が社内で評価され昇進が決まった時。
  • ビッグプロジェクトのプレゼンで他社に競り勝った時。
  • 念願叶って第一志望校に合格した、あるいは第一希望の企業に内定をもらった時。

そんな時に、前から歩きスマホをしてきた人にぶつかられたとしましょう。歩きスマホで前方不注意、相手に落ち度があってぶつかられたのですから、多少ムッとするのは当たり前です。

では、あなたの状況が、

  • 指輪も準備してプロポーズしようと待ち合わせ場所に向かっている途中、恋人が他の人と手を繋ぎ親密そうに歩いている場面を見た。
  • 自分が頑張って準備をし臨んだ商談がうまくいった。なのに何故か同僚の手柄になってしまい、まったく評価されなかった。
  • 第一志望どころか、行きたくもないけど仕方なく受けた滑り止めの学校も全部不合格だった。あるいは、どんなに就職活動しても内定がもらえない、採用されない。
  • プレゼンは実は茶番で、裏の政治力で既に他社に決まっていたことを知った。

こうした状況で同じように歩きスマホの人にぶつかられたら、上手くいった時と怒りの度合いはまったく同じでしょうか。

同じ状況なのに、感情や怒りの度合いは違いますよね(ムッとする程度は怒りではなく、“不快だな”くらいではないでしょうか)。置かれた状況が違えば、同じ出来事に遭遇してもまったく違う感情(あるいは度合い)を持つことにお気付きいただけたと思います。

さらに考えてみると、

出来事そのものはあなたを怒らせることはできない、

にも気付けませんか?例を思い出してください。歩きスマホでぶつかられた時・・・。好ましい状況に自分が置かれている時と、不快不愉快な状況に自分が置かれている時では、自分の反応が違ったはずです。

ここまででわかった人もいるかもしれませんが・・・

あなたを怒らせているものの正体は、実はあなた自身

だとも言えるのです。

次回から、何故イライラや怒りが生まれてしまうのか、そもそも怒りとは何か、怒りが生まれるステップについてお話していこうと思います。

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“拗らせ系自称HSP”についてモヤる私が感じていること。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

インターネットに溢れ返るHSP自己診断、やってみた人もいるのではないでしょうか。

※HSP:Highly Sensitive Personの略。高度な感覚・感受性を『気質』として持つとされる人。

今回はHSPについてですが、HSPはHSPでも“拗らせ系メンドクサイ”HSPについて書こうと思います。

HSP自己診断、あれだけの項目があるので、いくら大雑把と言われる私でも幾つか思い当たる項目はありました。よく当たると評判の占い師がバーナム効果を最大限活用しているように、一つも当てはまらない人はまずいないでしょう。

私は共感力も高く(だからと言って、人並み外れて優しいわけではありません)、雨上がりの澄んだ空気を五感で感じ、パートナーとは漂う沈丁花や金木犀の香りで季節の移り変わりや、降り始める前の雨の匂いや降り始めた土に染みる匂いについて語り、楽しみます。

でも、周りにイライラしている人や怒鳴っている人がいたり、臭いがキツくても「あらやだ、そんなに感情的に怒りを爆発させるならアンガーマネジメントやったほうがいいんじゃないの?」「クサイ。ヤダけど仕方ない。あっち行こ」と思うだけで特別ストレスを感じないので、雑と言われる非HSPのようです(笑)実際、人が叱られていても理不尽な理由で怒鳴られ、絡まれているのでなければ、まったく気になりません。

一つのものを見て、多くの情報を取り入れ深く処理する、ともありましたが・・・。

ひまわりを見て「ひまわりってどこでどう日照を認識して向きを変えるんだろう?」「そういえば、ひまわりの種はフィポナッチ数?あれ、何かの黄金比じゃなかったっけ?」「紫陽花は土壌pHで花の色が変わるけど、ひまわりは無関係なんだ」「ひまわりの種、美味しいよな〜、リス案外グルメ」「種のシマシマって植物の生存戦略的に意味あるのかな」くらいは私でも一瞬で深く考えます(どうでもいいことですが・笑)

HSPの概念自体はもちろん理解していますが、

発達障害のような“障害”ではなく、多くの精神科医同様、ただの【気質】

と捉えています。

“人一倍繊細”は“人一倍怒りっぽい”、“人一倍短気”、“人一倍心配性”、“人一倍飽きっぽい”などと同じ、気質的なもの

という考えです。

実際、ASD孤立型のパートナーは、繊細で感性豊かで感受性も強く、言葉や文字での表現は秀逸で、感動ポイントは違いますがとても感動しやすい面も持ち合わせています。そしてHSPの特徴として挙げられる、人混みやうるさい場所が苦手だったり(感覚過敏)、一度に幾つものことを並行しておこなうことは苦手ですし、周りから休みなく多くの情報を受け取り処理する脳は人一倍疲れやすいので、脳を休めるために独りになり、自分のペースで静かに過ごす時間も絶対に必要です。

またパートナーは、痛みや体のわずかな変化にはとても敏感ですし、認知スタイルの違いから傷つきやすい心の持ち主で、感情の折り合いをつけることに時間がかかるので不器用なほうです。とても人見知りで、初めての人と接する場面は凄まじく疲れるそうです。見た目がそうでなくても、他者と信頼関係を築くのに、もの凄く時間がかかりますし(私は経験者です)、時間をかけて注意深く丁寧且つ論理的に物事を考えるので、とても慎重です。

繊細でさまざまな敏感さを持っていても、パートナーはHSPではありません。

HSPとは違い、譲れないこだわりや共感力の弱さがあるのは事実ですが、前記の繊細さや敏感さ、疲れやすさやストレスの受け方はASD(あるいは他の発達障害)の人が大なり小なり持ち合わせている大きな特徴でもあります。

今現在HSPは明確な診断基準がなく、当然ガイドラインもないため、クリニックを受診しても“HSP”と診断されることはありません。

インターネットの自己診断で自認すればHSPであるようです。つまり『言った者勝ち』『あくまでも自称』ということになります。

「えっ!?あなたがHSPですか!?」と意外と思うような芸能人もHSPだと告白していますね。5人に1人がHSPと言われているそうです。これを「案外いるんだな」と捉えるか「5人に4人は違うわけね」と捉えるかはその人次第です。ちなみに私は後者です。

全員がそうとは思っていませんが、このHSP・・・いや、HSPを拗らせた“HSPを免罪符にする(無意識にでも)面倒くさい系自称HSP”とでも言いましょうか、これがかなり厄介な人になる可能性があるのです。どういうことかというと、下記のようなことが考えられます。

とても傷つきやすい 
→ だから傷付かないように言葉を選び、(私にとって)優しく穏やかに話してほしい。

●雰囲気(表情)や空気から先回りして人の感情を読み過ぎてストレスを感じやすい
→だから私の周りでは怒鳴り声や大きな声やキツイ言い方はやめて、穏やかな表情でいてほしい。

●先回りして物事を考えてしまう
→だから一度にいろんなことを言わないでほしい。

●驚きやすい
→だから大きな音を立てたり、いきなり驚かすようなことはやめてほしい。

●匂いにも敏感で気持ち悪くなったり頭が痛くなる
→だから香水や強い匂いの柔軟剤はやめてほしい・・・。

などなど、無言の過剰配慮を求めているように受け取られたり、思われてしまう危険があるからです。

確認もせず勝手に相手の気持ちを先回りして考えたり、感情を決めつけるのは危険なことで、

それでいちいち落ち込まれたり、ムッとされると“とても面倒な人”になってしまいます。空気(あるいは顔色)を読むことは悪いことではありませんし、役立つ場面も多いと思います。でも、空気(あるいは顔色)を読み過ぎてヘロヘロに疲れてしまったり、ムッとして能面のような顔になって(本人自覚なし)、勝手に決めつけた独りよがりな感情でケンケンしたつっけんどん気味な対応になるのでは、結局自分も相手も凄まじく疲弊させるストレスフルな人間関係しか築けなくなります。

「気にし過ぎ」と言われること自体「気にし過ぎな私が悪いんだろうか?」と被害的に受け取り、「気になるんだから仕方ないじゃない」と傷つくそうですが、そうではなく「今私はこの人の気持ちを決めつけて考えていないかな?聞いて確かめてないんだから本当はどう思ってるかわからないよな、ただ私には聞けないなぁ、だったら確かめようはないんだから、私はこの人の気持ちは本当はわからないんだ、機嫌悪い(ように見える)のは私とは違う問題」と諦めましょう。

確認もしていないのに、他者の気持ちや感情を勝手に深読みして決めつけられるのは・・・それがプライベートの時間であれば、私ならコミュニケーションコストがかかり過ぎるとても面倒な人と感じます。

HSPと発達障害は併発する、という見方もあるようですが、それについても私は懐疑的です。HSPにも発達障害(グレー含む)の人が持つ繊細さや敏感さに重複する特徴が多く見られますが、身近にASD孤立型のパートナー、発達障害重複で取り扱いが面倒な息子がいて、その困り感を熟知しているだけにHSPが発達障害と重複するという考えには違和感を覚えます。

発達障害特性から苦手なことや困り感があれば、医師の診断書や障害者手帳を根拠に、学校や会社である程度の合理的配慮をお願いすることも可能ですが、それが単なる“気質”だと客観的根拠となるものがないため難しいものがあります。

もし、単なる“気質”というHSPの人への配慮が認められるなら、例えば「私は人一倍怒りっぽいので、短気な私を怒らせないような言い方をしてください」や「私は人一倍飽きっぽいので、やる気が起きる飽きさせない仕事をさせてください」も気質という点で、まかり通ることになり収拾がつかなくなります。現実にそれはあり得ませんよね。

自分が短気で怒りっぽいと自覚があるなら、それはその人自身が解決しなくてはいけない“課題”ですし、飽きっぽいなら、自分で見方を変えたり取り組みを考えるという“その人自身の課題”です。そういうことに周囲や組織に配慮を求めようと思わないのが一般的ではないでしょうか。

どちらにも言えることですが、まずは“短気で怒りっぽい”“飽きっぽい”を自覚し、そんな自分を受け止めることです。“短気”はなかなか直すことが難しくても、“怒りっぽい”はアンガーマネジメントを身につけることで自分自身がラクになり、行動変容に繋がることで人間関係の軋轢を生みにくくなります。

よく“あなたはあなたのままでいい”と言いますが、それは適切でもあり不適切でもあります。

“あなたはあなたのままでいい”が、あなた自身をストレスフルに追い込み苦しめ、関わる人たちを疲れさせているようなら、“あなたのままでいい”なんて言えませんから。

イライラしやすい、怒りの沸点が低く怒りを感じやすい。そこには自分に原因があり理由があります。

次回からシリーズでアンガーマネジメントについてお話しようと思います。

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カースト制がないこの国に存在する謎のカースト

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。少し間が空いてしまいました(笑)。

タイトルの謎のカースト・・・ママ友カースト、スクールカースト、本来の使われ方とは違う意味で、○○カーストというものを見かけます。

自分がどの立ち位置にいるのかを無意識下で常に意識し、上層カーストは下を見下し、カースト落ちしないように必死で、中間層カーストは上層カーストの様子(ご機嫌?)を伺いつつ、下層カーストでなくて良かったと胸を撫で下ろし、下層カーストは大人しくしながら、その外側に位置する(ような)アンタッチャブルにはなりたくないと下を見る。・・・というのが私が知る、カースト制のない国にある謎のカーストの認識です。

息子に「スクールカーストってわかる?」と聞いてみたところ「うん、わかるよ」とのこと。今回は息子にスクールカーストの実態を聞き取りしてみました。飽くまでも息子の通う中学校の、息子が感じるスクールカーストになります。

当時はよくわからなかったみたいですが、小学校高学年ぐらいからはあったと言います。それが中学になると顕著になってきた、と。スクールカーストはどのような子供たちがどこのカーストに位置するのでしょうか。

息子の通う中学校は普通の公立ですが、近隣の中学校に比べ礼儀作法や校則が厳しく、そのせいが学校訪問するとどの生徒たちも立ち止まって頭を下げ、元気よく挨拶をしてくれます。少しでも制服を着崩していたり、髪を染めてるようなヤサグレてしまった生徒は一人も見かけたことがありません。見かけだけ、ですが。

飽くまでも息子が通う中学校、息子の主観になりますが、トップカーストにいるのは“成績が良い”“スポーツ万能”もしくはその両方を兼ね備えている子供たちらしく、クラス委員や体育委員、生徒会の主要役員をやっていたり、声も大きく、クラスの雰囲気をガラッと変える力(?)がある目立つ子供たちだそうです。ヤンチャと言われる子供がいない中学校だからでしょうか。ちなみに女子にそのような生徒はいないそうです。

息子が1年生の時は登校渋りが出かけてヤキモキしましたが、2年生になって一人一人を丁寧に見てくれる担任になったことと、たまにふざけることがあっても、まとまりのあるクラスでクラス全体が仲が良く、イジメもなく居心地がとても良いそうです。・・・なのにスクールカーストがある不思議。

息子自身は中間層カーストの、そのまた真ん中ぐらいと自覚していて、クラスのほとんどがこの中間層カーストに位置するそうで、その中に“班”のような仲良しグループが幾つもあり、その中を行き来している子ばかり、クラスではおとなし過ぎず悪目立ちし過ぎない、平均的な子供たちが集まっている、と。

仲が良いらしいクラスに存在する下層カースト、そこにいるのは“ふざけ過ぎる子”“面倒くさい子”“面白くない子”“暗い子”“クラス対抗で協力しない子”たち。こんなくだらないことが理由で下層カーストとは随分と乱暴で理不尽です。

下層カーストの子供たちが何か発言しても周りの空気がシラっとしたり(アクションが薄い)、給食のおかわりは一番最後にされたりするらしいのですが、無視されたりイジメがあったりはないという。

誰がどことはっきり明記されてはいないものの、暗黙の空気みたいなものがあって、誰もがそれを意識しながら学校生活を送っているように見えるらしいのです。休み時間を過ごす場所もカーストにより違うらしく、上層カーストの生徒たちは教室の後ろに溜まり、中間層カーストの生徒たちは自分の席周りやグループの生徒たちの席、下層カーストの生徒たちは廊下や教室の端、図書館にいることが多いとか。私が知るイジメがあったりクラスが荒れたりするスクールカーストとは違い、随分ほのぼのとしたカースト。

どの社会にも“おとなしい子(人)”はいるもので、それがただただ声が小さいとか人見知り、どうでもいいことは自己主張しない、自己主張をするのが苦手な子、他者にあまり関心がない・・・など理由はいろいろあるもので、時間をかけると仲良くなれる子、ということも多いですよね。

5人に1人がHSP、HSE(HSS型HSP、HSEという社交性があるHSPもいます)と言われる時代、当然子供たちの中にもいるわけですが、子供はHSCと呼ばれます(C=Childの「C」)。しかし、

HSPという医学的な診断名はなく、心理学的には“気質”として扱われます。つまりHSPは精神疾患でもなく、発達障害でもないのが現状です。

私はHSPについては部分肯定派なのでそれについてはまたの機会に。

息子が話していて気になった言葉があります。

「普通にしてたら中間層にはいられるんだよ」

普通、普通・・・。普通って何なのでしょうか?

中央値、平均値みたいなもの?普通というからには何らかの基準があるのでは?その基準はどこにあるの?誰が作ったの?

普通から外れたら中間層(大多数、マジョリティーと理解)には入らないの?普通じゃなきゃダメなの?

・・・と沸き上がる疑問が・・・。成績は良くも悪くもありませんし、最近は友人関係のトラブルもありませんが、発達障害重複を持ち、さまざまな生きづらさを感じている息子は、間違いなくマイノリティーに分類されるはずで、そうなると“普通”とは外れるのでは?普通から外れたら中間層にいられないんじゃ?だとしたら息子は“必死に”中間層から外れないようにしているとか?

やはり疑問だらけです。

疑問だらけついでに、次回はジェンダー、セクシャリティーを考えてみたいと思います。

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発達障害/思春期の面倒臭さや現状支援を息子を通して考える

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達障害は、早期療育(支援級通級、支援クラス)や青年期になってからもSST(ソーシャルスキルトレーニング)、自己理解やさまざまな工夫により生きづらさを軽減できる対策が取れる場合もありますが、生きづらさを薄めることができたとしても生涯にわたり抱えていく“特徴”や“特性”です。

当事者の生きづらさや困り感、また、関わりを持つ周りの戸惑いや困り感は、生涯にわたり同じ表れ方ではなく、学校、職場、家庭を持つなど、ライフステージの変化でかなり違った表れ方をします。

性差や環境によっても違いますし、二次障害を併発していると表面化した二次障害の症状にばかり目が向き、根底にあるかもしれない生きづらさの原因に発達障害が関わっているかもしれないことを見逃しています。

中学2年の息子を見ていくと、集団生活が始まる3〜4歳から小学校2年生までは、“やたらミニカーを並べる”“数字に対するこだわり”“電車に対する興味”や、言語明瞭意味不明瞭と、私の感じる違和感以外、特筆すべき問題はなく、人見知りゼロ、友達関係良好、成績優秀、生活に影響あるこだわりなし、メンタル安定、生活習慣問題なしでした。

小学校3年生以降、徐々に特徴が目立つようになり、次々と特性が表面化、同時に友達関係が拗れやすくなっていきます。相変わらず成績は優秀でしたし、すべてに積極性があることから、私がさまざまなエピソードで訴えても、児童精神科に育児観察日誌を持ち駆け込むまで、遅れや何らかの障害を一度も疑われることなく、「お母さんの気にし過ぎ」「もっとおおらかに見てあげないと」と、まるで私が神経質で育児ノイローゼ気味かのように(笑)、取り合ってもらえませんでした。

小学校では提出物も少なく、低学年では何かと保護者を巻き込み確認していくプリントなどが多いのですが、学年が進み持ち物や提出物の準備、管理を自己責任で負っていく高学年〜中学生になると、小学校とは比べ物にならないくらいあちこちに困り感が増していきます。

提出物の期限が守れない→忘れやすいこと、気が進まないことを先延ばしする、「ま、いっか、なんとかなるだろう」と軽く他人事のように考えるADHD特性があらゆる場面で爆増。時間の逆算ができなかったり、時間感覚が現実と違うので、「まだ大丈夫」とのんびりまったりしてしまい、出かける寸前で慌てる、遅刻する・・・が激増。

提出物を提出しないので評価が悪くなり、テストで点数が良くても成績はダダ下がりますし、忘れ物も改善されないので、テスト以外の評価もやはり下がり気味です。“計画を立て遂行する機能”が弱いので、復習やコツコツとテスト勉強をするのは難しくなります。見ていて気付くのは、遂行/実行機能が弱くても、計画を立てることは何故か好きで、やたら綿密に細かく予定を立てます。ですが、実行機能に弱さがあるのがADHDなので、結局は“予定立てただけ”に終わります。また、やたらと高くに目標設定するクセもあるため、ここでもメタ認知(認知を認知する力)の弱さを感じます。

本人は“できる”と思って頑張るつもりで予定を立てているので、できない予定を立てているつもりはありません。

人間関係では、思い込みの強さや、他者の考えや気持ち、意見を聞いて柔軟に自分の認知や思考に修正を加えることが苦手で、独特の認知からくるコミュニケーションスタイルや、メタ認知の弱さ、共感力の低さというASDの特性から躓きが起こり、拗れを生みやすくなっていきました。

【思ったことをそのまま口に出して他者を不快にしたり傷つけてしまう】は、ASDにもADHDにもあることですが、人間関係に躓きが起きる原因では、どちらの特性が強めに表れているのかで対策が変わってきます。

息子のように重複だと複雑なのですが、ADHDの特性として強く表れると、

▶︎思い付いたこと、思い出したこと、話をしていて引っ掛かった(気になった)キーワードから「今すぐ話したい」という気持ちが抑えられなくなり、他者を不快、怒らせてしまう言い方を“わかっているのに”話したい気持ちを我慢できずそのまま衝動的に口に出してしまいます。

ASDの特性として強く表れると、

▶︎共感力とメタ認知が弱く「今これを言うと場にそぐわないかも」「この言い方だと傷つけてしまうかもしれない」「この人に失礼にあたるだろうな」を考えられません。もちろん、パターン化して学習していく力はあるので、上手く「こういう場ではこう言うのが正解だろう」と学ぶと、よほどパターンが違わなければそれなりにやっていけるようになります。

「思ったことは何でも(他者感情を考慮できず)口に出す」素直さが、時として他者を愕然とさせたり、周りを凍りつかせることになるのですが、本人は「間違ったことは言っていないんだけど」と思っているケースが多く、何故指摘されたり叱られるのかわからず、理不尽を感じて不満を募らせていきます。

他者の見えない感情や思考まで考えて、相手のことを慮ったタイミングや言葉を選びましょう・・・は、とても難しいものですし、「何故そんなことまで考えて話さなきゃいけないの?」とも思うのでしょう。

人間は言語を意思疎通のコミュニケーションツールとして使い(仕草や視線、表情などノンバーバルコミュニケーション含む)、そこに共感(と感じる)や寄り添い(と感じる)を感じ取ることで、親しみを持ったり信頼を築く土台になっていくものです。言いたいことを思ったまま口に出すことを一概にいけないこととは言いませんが、『自分勝手』『思いやりがない』『ワガママ』と誤解を受けやすくなるので、社会生活をする上で自分にとってはプラスに働きません。

小学校6年生から今も通級に通う思春期真っ只中の息子は、定型思春期でも面倒臭いのに、発達障害のややこしさがプラスされてなかなか一筋にはいきません。

家庭ではまだまだ課題山積のように見えても、あれほど学校生活で問題が起きていたことが中学2年になるとメッキリ減りました。本人の成長があるのはもちろんですが(発達障害は発達しないのではなく、発達がゆっくり、言えます)、通級という形で個別指導を何年も受けていることも他なりません。

ASDでは特に弱いさまざまな認知機能やコミュニケーション(アサーションにも取り組んでいます)、ADHDでは思考の整理の仕方や忘れ物対策というライフハックを個別指導してもらっています。

発達障害がなくても大変な思春期、発達障害があると思春期はかなり大変です。二次障害を併発してしまうのも多くはこの時期です。

ようやく思春期の大きな山を一つ越えたところですが、まだ次の険しい山が見えています。特別支援を受けられるのはほとんど中学3年、つまり義務教育まで。中学校卒業まで残り1年と少し。どんなにぶつかり合っても、丁寧にしっかり息子に寄り添いながら、家庭療育にも取り組んでいきたいものです。

11月25日水曜日はコラム掲載日ですが、所用のため休載します。次回掲載は11月30日月曜日です。よろしくお願いします。

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不機嫌にならないコツ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は“すぐにできる不機嫌にならないコツ”をお話しします。

すぐにできることですが、簡単にできるかどうかはその人次第です。意識して心掛けてみるだけでも随分違うものなので、ぜひやってみていただきたいと思います。

【1】勝ち負けにこだわらない。
【2】一人だけで抱え込まない。
【3】他者との距離を近づけ過ぎない。
【4】“察してちゃん”をやめる。
【5】ウワサ話や悪口に混じらない。

それでは【1】から順に説明していきます。

【1】勝ち負けにこだわらない。

勝ち負けでしか物事を捉えられない人は、「負けた」と感じた時に不満が募り、負けた気持ちになります。そもそも誰もあなたに勝負を挑んでいないので(笑)、あなたが勝手に一方的に負けたと思い込んでいるだけです。幸せの尺度は誰でもない“あなた自身”が決めることで、社会的な勝ち負け(と思い込んでいるもの)とはまったく別のものです。くだらない勝ち負けにこだわり、意味のないイライラを募らせるのはやめましょう。

ビジネスシーンの会話でよく『WINーWINの関係』というフレーズを聞くことがありますが、これも勝ち負けの発想から来るものだと思います。これからの時代のビジネスは、『WINーWINの関係』ではなく『JOYーJOYの関係』に発想を転換したほうが、働く人にワクワク感が芽生え、結果社会に新しい価値を提供できるのではないでしょうか。
【2】一人だけで抱え込まない。

確かめもせずに、他者の気持ちや感情を勝手に先回りして推測、解釈すると不安や不機嫌になりやすく、一人で抱え込みがちになります。プライベートな悩みでも仕事の悩みでも、一人で抱え込もうとするには限界がありますよね。ええ格好や決め付けをせずに「それってこういう意味で言ったの?」と確認したり、「キツいから話を聞いて」「いっぱいいっぱいだから手伝ってもらえますか?」と助けを求めましょう。

これは個人の努力もさることながら、一人で抱え込ませないためにコミュニケーションが円滑な職場環境になっているか、組織にそんな土壌があるか、ということも問われています。
【3】他者との距離を近づけ過ぎない。

どんなに仲良しでも四六時中一緒にいると、些細なスレ違いからお互いの嫌な面が目に付きイライラモヤモヤするものです。自分以外は親でも他者なのですから、お互いが心地好い距離感でお付き合いしましょう。人間関係を良い状態で維持していくために、この“距離感”を意識するのはとても大切なことです。離れ過ぎずベッタリくっつかず・・・、一番心地好い距離はどこらへんなのかを考えてみましょう。

ビジネスでも顧客との距離感が程よいほうが、お互いに信頼関係を醸成でき、健全な関係を長く築けるのではないでしょうか。
【4】“察してちゃん”をやめる。

どんなに愛し合うカップルでも、長い付き合いの親友でも、互いの気持ちを100%理解し合うことは無理です。あなたはあなたで、決してパートナー本人や親友本人(の気持ち)にはなれないのですから。何かがあってイライラしたり落ち込んでいても、他者はそのイライラや落ち込んでいる原因は知りません。「こんなにイライラしているのに(落ち込んでるのに)何でわからないんだ?」←空気読めってこと?・・・それは無茶ぶりです。プレゼンがうまくいかなくてイライラ。それはどんな理由でどんな感情になっているのか?を伝えなければわからなくて当たり前です。“察してちゃん”は、普段から自分が周りにいる人たちの思惑を気にしながら生きていて、「自分は察することができるのに(先回りし過ぎの勘違いの場合あり)なぜ相手はこの思いに気付いてくれないんだろう?」と不機嫌になるのです。言葉にしなければ何もわかりません、他者なのですから。せっかく言語という互いを理解し合うための有効なツールがあるのですから、察してもらおうなんて傲慢な気持ちを捨てて、素直に言葉に出して伝えてみましょう。

時々、こういう上司や社長を見かけます。社員はヒラメ状態になり、顧客を見ていませんね。このような組織は風通しも悪く、社員の離職率も高いです。ブラック企業だと言われかねません。
【5】ウワサ話や悪口に混じらない。

感情は伝播する、と以前コラムでも書きました。人のマイナス感情(特に怒り)はプラス感情よりも伝播しやすい特徴があります。また、プラス感情よりもマイナス感情のほうがパワーがあるので、悪口やウワサ話には巻き込まれやすいのです。不機嫌は“感染る”ので、そんな場面に居合わせてしまったらサラッと去るか、意見を求められても「そうなんだぁ、ふーん」で、相手のマイナス感情を受け取らないようにしましょう。

職場では時にウワサ話や悪口に足を引っ張られたり、強いストレスになる場合もあると思います。やはりここでもコミュニケーションが上手く取れている組織であるかが問われていると思います。モラルハラスメントの温床をなくすことも、これからの企業の責務かもしれません。

如何でしたか?頭でわかっていても、それをいざ実行しようとすると案外難しいと感じるのではないでしょうか。

“実行”しようとするから難しくなるのです。

意識すらしなかったことを“意識してみる”

これです。

前回の3Dになってしまわないように、まずは“意識してみる”からやってみてくださいね。

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