注意機能【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人には触覚をはじめ全身に多くの感覚器官があり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚からも膨大な量の感覚情報が大脳に送られます。

しかし、脳の情報処理には限界があるため入力された一部の感覚情報を取捨選択しています。今重要な情報にフォーカスし意識を向け集中するというのが注意機能の役割になります。

人の意識には無意識(潜在意識)/意識(顕在意識)があるのはご存知だと思います。生活する上で今必要な情報を抜き出し意識に上げ(顕在化)、大部分の情報は意識に上げない(潜在化)フィルターを持っています。

定型(もしくは健常者)と言われるタイプの人は、五感から入る多くの情報から無意識に今必要(重要)な情報を拾い上げ(選択・集中)顕在化しています。

スマートフォンで行き先を確認しながら歩いていて横断歩道に差し掛かった、と想像してみてください。目の前の信号を確認するのはもちろん、対向車が右左折しようとしていないか、スピードを出した車がこちらに向かって来ていないか、点滅する黄信号で向こうに渡り切れるか、自転車やバイクはいないか、渡ったらどちらの方向か、などさまざまな情報を無意識に感覚器官から受け取っていますよね。

定型(もしくは健常者)が意図せず無意識にやっている作業でも、発達障害/高次機能障害/認知症などがあると、多くの情報から特定の情報を拾い上げる注意の集中・選択が苦手だったり、できないことで日常生活に支障が出ることも多くあります。

ASDなどで感覚過敏があったりADHDがあると、感覚情報が多すぎて押し潰れそうに感じたり、脳内整理ができずパニックになったり、思考がフリーズしてしまう場合もあるのです。

自分ができることは誰でもできるだろうと思ってしまいがちですが、目に見えない特性から不得手だったり、できない人もいる、ということを知るのは大切なことだと思っています。

4月のコラムは5日水曜日は春季休業のため休載し、10日月曜日より掲載します。

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親/当事者が発達障害と向き合うということ【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいではありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

2月になりました。寒さが厳しく、またほとんどの都道府県にまん延防止重点措置が発令されていますが、如何お過ごしでしょうか。

前回からの続きで、親/当事者が発達障害と向き合う【2】として、向き合う上での重要なステップとしての具体例を書こうと思います。

それは、親は【我が子トリセツ】を、本人は【自分トリセツ】を作ることが挙げられます。

私が住む自治体は希望者に対し、特性がある子供を持つ保護者向けに【うるおいファイル】なるものが配布されます。知らない人がほとんどだと思うので、周知不足だと思っていますが・・・。

このうるおいファイル、生育歴から通院服薬歴、集団生活や家庭生活など多岐に渡り細かく記載できる仕様で、私も息子が8歳からチマチマと書き込んでいます。これは我が子トリセツ&本人が自分トリセツを作成する際の貴重なデータベースとなるのです。

出来ない(苦手)ことがあるのが発達障害(グレー含む)です。出来たほうが本人も周りもラクなのは確かです。ですが、やり方を変えてみる、これぐらいでいいかと望むレベルを少し下げる、協力してもらう、などやれることはあるものです。

究極の面倒くさがりで、早起きしてもなぜかダラダラして毎朝遅刻寸前で飛び出す息子は、“お風呂から上がったら制服の下に着る体操服をパジャマの下に着て寝る”という、自分なりの時短を考えたようです。親としては『?』ですが、自分で考えた末のハックなら仕方ないか、と。

まだまだ改善の余地はありますが、忘れっぽいことを減らすためにスマホのリマインダーを使い、集金袋は玄関扉のノブ部分真上にマグネットで貼る、など工夫しているようです。「もっとこうすればいいのに」と思うこともありますが、不自由を感じ自分で対策を編み出さないと意味がなくダメなので生ぬるく見守っています。つい口を出したくなるところを、生ぬるく見守ることが重要です。

障害を(特性)を認めるとラクになります。苦手だからこそ「どうすればできるか/ラクできるか/効率良いか」を考えられます。苦手なことを正攻法だけでやらせようとすると親はイライラ、子供反発→衝突します。このあたりは一般的なことかもしれませんね。

頂上を目指す登山で考えてみましょう。頂きは一つでもいろんなルートがありますよね。私の考える頂上(目標)は、息子が社会的に自立生活できることです。

Aという険しいルートが最短でAを選択する人が大多数だとしても、Bという多少なだらかで時間がかかるルートや、Cというさらになだらかで手摺もあるが時間はもっとかかるルートもあります。あるいはDという時間はCよりも相当かかるけど景色がとても良いルートもあるかもしれません。Bが合っているようならBを選択、Cでのんびりが合ってるならCを選択、その子のペースで。

こう思えるとイライラがなくならないまでも、ほんの少し余裕が生まれるものです。

できないことや苦手なことがあっても、そんなことであなたの価値は変わりません。

頑張っているお母さん、お父さん、頑張っている子供たち。頑張っているすべての人たち。頑張っている自分をもっと認めて褒めてあげてくださいね。

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親/当事者が発達障害と向き合うということ【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいではありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

現在15歳の息子は小3の終わりに、今も継続通院中の児童精神科でさまざまなテストを受け、発達障害(ADHD・ASD)の確定診断が下りました。

私は早くから違和感を感じあちこちの窓口に相談していましたが、発達障害は見た目や短時間過ごしただけではわからないことが多く、「子供なんてそんなものなのに、親が気にし過ぎで障害を作り出しているんじゃないの?」←これ、子供がいない夫婦に実際に言われました。「そんなに子供を障害児にしたいなんてどこかオカシイ」など、無理解と無知な知り合いから凄まじい言われ方をされた過去もあります。

腹が立つより、あまりの無知さと自分はなんでも知っていると思っている傲慢さを憐れに思ったのを覚えています。

障害を認める。

そこには親も子も高いハードルがあることを知っています。それは偏り「障害は“害”と付くくらいだし人より劣っているなんて恥ずかしい」という思いがあるからではないでしょうか。

“ち害(違い)”くらいにしか考えていなかった私は、確定診断に心からホッとしたのを憶えています。「あー、だから〇〇だったのね」「だから〇〇ができなかったのか」と行き場がなく掌に余っていたパズルがピッタリ嵌った瞬間でした。

そんな息子は小学校高学年で登校渋りから不登校にもなりました。発達障害(グレーも)があると、大多数の定型児(※)向きにカリキュラムを組まれた学習・授業、定型児だらけの学校生活に息苦しさや生きづらさを感じ、登校渋りや不登校になる確率が高いのです。

※定型:発達障害ではない人のことを『定型』と言い、定型児とは発達障害ではない児童の意。

「行けないもんは仕方ないよ、行きたいけど行けないんだもんね」・・・これは息子が絞り出すように「行きたいけど行きたくない(←行けない、ではなく行きたくないという表現により深い苦悩を感じます)」と泣きながら言った時、私が返した言葉です。

今以上に日々修羅場でしたが、二人でおにぎりを持ってピクニックしたり、部屋キャンプしてみたり好きな具を乗せまくったピザを一緒に作ったり、博物館へ行ったことは今となっては良い思い出です。現在進行形で尖りまくりの思春期真っ最中なので、思い出にしてしまうのは早いかもしれませんが(笑)

中学校では本人の希望もあり、一部の先生方を除き学校生活はクローズド(障害をカミングアウトしないこと)で中学生活を送りながら、他校の情緒級(通級)に通っています(入学した中学校には情緒級がなかったため)。

どんなに頑張ってもできないこと、工夫しても苦手なことは多々あります。面倒臭がりで忘れっぽいのと、タスク管理のガバガバさ、思い込みの強さや見通しの立てられなさからいつも何かを探していますし、意味不明なマイルールを振りかざしてはみるものの、本人が頭『???』になっていることもあります。

何かを探しているうちに何を探していたのかわからなくなり、良くも悪くも楽観的なADHD「ま、いっか〜」になることも多々あります(←良くない、困るのは本人)。好奇心旺盛で衝動性に抗えないADHDですから、本人はできるつもり(やりたい気持ちもあり)で自分の脳のキャパシティを考えず、いろいろなことに手を付けますが、そのほとんどは途中で興味を失うか忘れ去られるか得意の「ま、いっか」で、結果放ったらかしになります。

学校生活で周りに特性で迷惑をかけないように必死で頑張っている(らしい)分、家ではあり得ないADHDっぷりを発揮し、これが親子間衝突を引き起こします。脳のキャパシティが少ないのが発達障害で、多くの情報を同時進行で処理(マルチタスク)するのが苦手ですが、見た目にわからない障害だけに、“当たり前に”できる大多数と同じように“当たり前に”できるだろうと思われます。

本人が自分の脳のクセやキャパシティを知り、優先順位を付け、出来ること出来ないことの振り分けができて、苦手なことを上手に他者にお願い(助けてもらう/頼る)できるようになることが必要です。そのためには自分の特性を受け止め、受け入れ、理解していくことはとても重要なステップになります。

今回はここまでとします。次回は続きとして、特性を受け止め、受け入れ、理解していく重要なステップの参考として具体的に書こう思います。

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毎日何かに困っている、困らない日はない

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

よく言えば『おっちょこちょい』『天然』『好奇心旺盛』でムードメーカー。悪く言えば『時間や約束を守れなくてルーズ』『片付けられなくてだらしない』『面倒くさがりで怠惰』と周りから困り感がわかりやすいADHD。

よく言えば『ミステリアスでマイペース』『自分に正直』。悪く言えば『空気を読めない』『共感がなく直球過ぎる物言いが人を傷付けたり不愉快にさせる』『字面どおり受け取り冗談が通じなくて面倒くさい』『マイルールがあり、理解不能なこだわりがある』というASDでは、同じ発達障害でもひと言では括れません。

本人はもちろんですが、周りの戸惑いや困り感の“種類”がまったく違うので、

何より大切なのは確定診断ではなく、【自分の脳のクセを知る】ことです。

本人が脳のクセを知り理解することは、どのような困り感がどんな場面で表れるのかがわかり、工夫対処しやすくなると同時に周りの人たちに協力や配慮をお願いしやすくなります。

発達障害は“ASD”だけ、“ADHD”だけ、のような単体は実は極めて少なく、LDや協調運動障害を持ち合わせていたり、ADHDにASDが加わって重複しているケースがほとんどです。

そして忘れてならないのが、強く表れている特性もあれば“風味”程度にしか表れない特性もあるということです(だからといって“特性がない”わけではありません)。同じ診断名でもグレーでも人の数だけ多様な表れ方をするのが発達障害です。

本コラムでも何度かお話しているように、表面だけを見て“片付けなくて散らかっている”でも、ADHDからくる特性かASDからくる特性かでは、その理由も対策も変わってきます。

要領が悪く並外れて不器用、究極に面倒くさがりで生きていくのが大変そうな息子を見ていると、興味関心がある物事以外はどれほど自分にとって重要であっても、取り掛かるハードル自体がとても高いように見えます。

その一端を紹介すると、使った食器を洗うために茶碗、お椀、グラス、最後に皿と箸と食べ終わる度にキッチンを忙しなく何度も行き来して運びます。いつも大きなトレイに載せて食べているので(いろんなものをひっくり返すので被害を最小限に止める目的と対策)、食べ終わったらすべての食器をトレイごと下げれば合理的で一度で済むのですが・・・。

行動すべてが雑で不注意が服を着て歩いているような息子は、動く度に躓く、何かを引っ掛けて落とす、ひっくり返すことが日常です。気の進まない、やりたくないこと、やっている何かを途中で中断しなくてはいけないこと、楽しくないことは本人にメリットデメリット関係なく、漏れなく『面倒くさい』に分類されます。それでもその面倒をやるうちに、今度はそれまでやっていた作業や、やらなくてはいけない作業を忘れてしまいます(読みかけの本をしまう、畳んだ洗濯物を片付けるなど)。

日々やることをルーチン化しよとしても、それが本人にとってどうでもいいことだったり面倒さを伴い、気が進まないことだと定着しません。その典型的な例が薬の服用です。もう小学生からずっと服用しているので、習慣になっていてもおかしくないのですが、未だに定着していません。なので、服薬管理は今でも100%私がしています。服薬させるためにいろいろと試行錯誤した結果、今は朝の小皿と夕方の小皿を用意し、服用する薬を1日分ずつ出しておくこと、でした。にもかかわらず、毎回数度の声かけと「間違わずに飲んでね」は必須です。

1日にしている数え切れない声かけを減らし、自分で気付いてできることを増やしていかなくてはいつまでも他者頼みのままです。しかし、服薬管理だけは飲み忘れから副作用が出やすく体調悪化に繋がるのと「できないんだからお母さんがやってあげるしかないでしょ?」という主治医の言葉で“仕方なく渋々”やっている状態です・・・。

大人になるまでに、どれくらいできることが増えるでしょうか・・・。

言わなくては定着しない、繋がらない。言い続けても定着するかどうかわからない。

要するに“当たるかもしれない宝くじ”みたいなものですね。常に脳の活性化ができてボケなくて済みそうです(笑)

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中学生ADHD息子我が家対策

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

中学生の息子はADHDであることは度々書いてきました。今回は我が家ではどう対策しているのかを書こうと思います。気付けば随時アップしていきたいと思います。

《できないこと》

●ゴミをゴミ箱に入れらない
→ 対策とにかくゴミ箱を大きく。
『いつもアナタのお側に計画』で、ダンボールにビニール袋をかけ、行儀悪いけれど、どこから投げても入るように工夫。何を食べる時も専用トレイを使用。(ゴミはトレイに、トレイを片付ける時に側にゴミ箱)

●ないない、いつも何かを探し中
 対策:とにかくボックスとキーファインダー導入。
帰宅したら、とにかくボックスに何でも放り込む。そこを探れば必要なものは大概出てくるはず。スマホ、自宅鍵、自転車鍵、定期入れ、メガネケース、財布にはキーファインダー(受信機)を貼り付けor装着。リモコンを押せばどこかで鳴る(光ってバイブ機能も有り)。リモコンは失くさないためにドアノブに吊るしておく。

●時間管理ができない
→ 対策:減っていく時間を視覚化。
減っていく時間を視覚的に確認できる“ドリテックアナログキッチンタイマー”や“タイムタイマー”を冷蔵庫に貼り付けも含め、いくつも配備。デジタルですが、普通のキッチンタイマー以外にスケジュールに応じて時間や日をカウントアップ・ダウンが設定できる多機能タイマーを活用。今は学校の中間や期末の試験日や受験日をメモリーし、カウントダウン(残り◯日)を設定して使用中。

●使ったタオル・バスタオルを広げて干せない
→ 対策:手間の少ないピンチハンガーを活用。
両端にピンチがあるピンチハンガーに止めるだけ。

●洗濯物をたためない
→ 対策:ハンガーやフックを活用。
掛けられるものはすべて掛けてパイプハンガーに。肌着類はたたまずそのまま大きなカゴにぶちこみ、S字フックで吊り下げ。

●しまった(見えなくなった)途端、失くなる
→ 対策見える化収納が基本。
一度しまったり、何かの下になって見えなくなった途端、対象物は“失くなった”ことになることが多々。例えば、文房具。ハサミ、のり、テープ、コンパス、定規、ペン類などは、分類してもぐちゃぐちゃになるので、透明ボックスにこれまたぶち込んでおく。そこを探せば見つかる状態に。

●服薬管理
→ 対策:見やすい場所に出しておく。
我が家ではお茶を飲む冷蔵庫前の棚に1日分づつ朝・夕と小皿に出しておく(「クスリ飲んで!」の声がけが必須ですが)

中学生なのでこんなものですが、社会人ともなればさまざまな手続き書類や請求書、大事な仕事の資料に通勤服、通勤バッグの中の管理、ゴミの分別や収集日のゴミ出し、選別洗濯や日用品の管理などが加わり、将来を考えただけでも卒倒しそうになります。

卒倒してても何も変わらないので、日常的に今できることを増やしていきつつ、何をどう工夫しているのか、彼のライフハック帳に記録し続け、いずれ【母からの思いやりノート】として押し付けてやろうと思っています(笑)。

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メディアは時に間違う

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今月20日まで東京では緊急事態宣言が延長され、未だ不自由な生活が続いています。コロナ疲れでは済まない生活危機に直面し、メンタルが弱っている人も多いと思います。

そんな時、某テレビ番組で女性ボーカルグループのメンバーの一人が、活動を休養しているとのことで、このほどご本人が所属する事務所の公式サイトで、『双極性障害』と『ADHD』であることが発表されました。

本コラムでも何度か取り上げている『ADHD』と聞き、関心を抱いているところですが、ここで気になったのがメディアの取り上げ方でした。

『双極性障害』は精神疾患の一つで、これは病気です。治療で完治する可能性がありますし、何らかの処方薬もあるでしょう。所謂、身体的な病気と同様、“心の病気”と言ってもいいと思います。

問題は『ADHD』の取り上げ方です。双極性障害と一緒に“病気”と表現されていることは大いに問題で間違いです。『ADHD』は発達障害で、肉体でいうところの身体障害と同じです。生まれつき視力がない、聴力がない、足がない、腕がないなどの身体障害を“病気”と言うでしょうか?言いませんね。何らかの病気が原因で腕、足を切断した、視力や聴力を失った、などを除けば、生まれつきそのような身体で生まれた人のそれを“病気”とは言いません。

『ADHD』も生まれながらの特性で、決して病気ではないのに、双極性障害と同じように病気として取り上げるのは問題で明らかな誤報です。

これで「発達障害=精神疾患(病気)」と間違った認識が広がってしまうことを危惧します。発達障害は病気ではないため、完治のための治療法や処方薬はそもそもありません。『ADHD』の特性である多動性、衝動性などを抑制する薬は存在しますが、根本的に『ADHD』を治す薬は存在しません。同じ発達障害である『ASD』(アスペルガー)に至っては、対処する薬すら存在しません。メンタルクリニックや病院の精神科にかかったとしても、その医師が発達障害に明るくない場合が多々あります。何故なら発達障害は精神疾患ではないからです。精神科医師の多くが診ているのは、そのような発達障害が原因で誘発される二次障害を診ている場合が多いのが現状でしょう。ここでいう二次障害というのは、うつ病などの精神疾患です。発達障害は二次障害を誘発しやすいのは確かですが、発達障害自体は病気ではないため治療法はありません。つまり精神科医師(心療内科医師も含め)は二次障害であるうつ病などへの治療を施し、薬を処方するに過ぎず、根本原因である発達障害のことに目を向け、対処することはほぼない(あるいはできない)のが現状です。

※精神科医と心療内科医の違い:簡単に言うと、精神科医はうつ病など精神疾患の専門家であり、心療内科医はストレスなどで誘発された身体疾患(胃痛、頭痛、下痢など)の専門家。発達障害の知識はあるかもしれないが決して専門家ではない。そもそも疾患として認められていない発達障害には対応しないことが多い。

発達障害は治療すものではなく緩和・低減するもの、と考えています。そのためには子供であれば早期の療育、大人であれば自身がまず特性を受容し、その上でどう自分自身で対策できるか、周囲の理解と配慮を得ることができるかと言っても過言ではありません。

今回の報道にあるボーカルグループの女性の双極性障害はきちんと治療すれば完治の可能性、あるいは緩和が期待できるものですが、『ADHD』は完治しません。そもそも病気ではないからです。メディアは本来、『双極性障害』と『ADHD』を分けて取り上げるべきでした。『ADHD』は身体障害者と同じように、自分自身の工夫と周囲の配慮を必要とする性格のものです。周囲に理解されず、配慮に恵まれない人の多くが生きづらさを感じ、二次障害であるうつ病などを引き起こしやすいのです。発達障害者は身体障害者のように見た目では全然わからず、そのため発達障害者自らがカミングアウトしなければ周囲にはわかりません。しかし、カミングアウトした後、会社でどういう待遇になるか全く予測ができないだけにカミングアウトしにくいのが現状です。ひょっとしたら担当を外されるかもしれない、部署異動させられるかもしれない、最悪な場合リストラ要員にされるかもしれない、などさまざまな不安要素が、発達障害者のカミングアウトを阻害しています。言わないとわからないけど、言えば不利な扱いを受けるかもしれないから言えない、というジレンマに陥っているのです。

組織にカミングアウトできる土壌がなければ、発達障害者は自分が発達障害であることを言えず、そのため過度なストレスに晒され続け、結果二次障害を誘発し、結局退職に追い込まれてしまう・・・これが日本の企業の多くで起きている現実です。今回のボーカルグループの女性も会社員ではなく芸能人という特殊な職業というだけで、本質的には多くの企業で働く発達障害者と同じく、人の何倍も生きづらさを感じ、過度なストレスに晒されていたのだろうと想像します。

もし今回のボーカルグループの女性が復帰しようとすれば、『ADHD』の点は持って生まれた個性として受け止め、周囲の理解と配慮が必要でしょう。医療でなんとかなる問題ではありません。そうでなければ、この女性は復帰した後、二次障害により再び双極性障害など精神疾患を誘発する可能性があります。それをメディアはまた“病気”として安易に取り上げることがないようにしてほしいと思います。

メディアは時に間違う

今回はこのことを痛感しました。メディア関係者には今回のボーカルグループの女性における『ADHD』の報道は明らかに誤報であることを知っていただきたいと思います。

『ADHD』を含めた発達障害は【精神疾患ではない】【病気ではない】

そのことを改めて強調しておきたいと思います。

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学習障害(LD)について深掘りする【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回はなぜディスレクシアだと困るのかと、実際の“苦手”とは?についてお話します。

前回、ディスレクシアだと読んだり書いたりすることが苦手だとお話しました。ただこれは、脳の機能不全からくる目につきやすい症状の一つであり、実際の生活では他にもさまざまな課題が持ち上がっています。

  • 鏡文字(反転文字)を書いてしまう。
  • 無意識に文字を入れ替えてしまう。
  • とっさに名詞が出てこない。
  • 耳慣れず見慣れない単語を読み間違えたり発音を間違える。
  • 人名や地名を間違える。
  • 長文に集中が続かず、読み飛ばしや読み間違え、何が書いてあったかわからなくなる。
  • 似た音を聞き間違える(カギ→カキなど)
  • 日本語の特殊音節や助詞を使うのが苦手(デパートがデーパートになったり、デーパト、デパトになったりする)。
  • 空間認知が弱いので、よく物にぶつかる、落とす落ちるなど怪我が多い、また、よく物をひっくり返したり壊す、など。

実生活でもいろいろ困りそうですよね。おっちょこちょい、慌てん坊、これももしかしたら脳の機能不全からくるのかもしれません。

ここまでで気付いたことはありませんか?

そうです、

ADHDに表れる特徴と被っているのです。ADHDだとディスレクシアも重複しやすかったり、苦手部分が被ったりしています。

ディスレクシアという視点から“聞いて理解、見て理解”を少しお話します。

【音を聞き】取る。とてもザックリしていますし、「耳は悪くないよ、聴力検査でも異常なしだったし」と思う人もいるでしょう。音がしているかどうか気付くこと、これは耳が機能しているか(ちゃんと聞こえているか)どうか知覚的にわかるかどうかですが、ディスレクシアがあると『ぼうし(帽子/防止)』や『チョコレート』『りょこう(旅行)』『サッカー』など伸ばす音や、『ちゃ』『りょ』『ッ』『パ』などの特殊音や破裂音を正しく聞き取ることが苦手で、聞き間違い、聞き漏れが出ることがあります。

知覚的に音がするかどうかに気付くと、次にどんな音が出ているかという“言葉”の聞き取り、聞き分けになります。言葉の聞き分けとは似ている言葉(はし/かし、ろば/おば)を聞き間違えないかどうかです。

そして、次に周りにある関係のない音の中から自分に必要な聞きたい音だけを選択して聞き取れるかどうかです。以前のコラム【さまざまな注意】でもお話しましたが、選択的注意のことです。

知覚的に聞き取りが苦手だと、周りにある関係のない音も同じ大きさで一緒に拾ってしまい、必要な音だけを選択して聞き取ることも苦手です。

音に気付くことができ、聞き取りもできて、選択的に自分に必要なことを拾い聞くことができても、最後にある“言葉の意味が理解できない”という課題があると、『音は聞こえる、音の聞き取り聞き分けもできる、単語も拾える、でも文章としての意味がわからない』ということが起こります。最近注目されるようになった【聴覚情報処理障害/APD】です。

次回以降は【見て理解】するから、言語理解〜流暢性についてお話しようと思います。

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発達障害/思春期の面倒臭さや現状支援を息子を通して考える

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達障害は、早期療育(支援級通級、支援クラス)や青年期になってからもSST(ソーシャルスキルトレーニング)、自己理解やさまざまな工夫により生きづらさを軽減できる対策が取れる場合もありますが、生きづらさを薄めることができたとしても生涯にわたり抱えていく“特徴”や“特性”です。

当事者の生きづらさや困り感、また、関わりを持つ周りの戸惑いや困り感は、生涯にわたり同じ表れ方ではなく、学校、職場、家庭を持つなど、ライフステージの変化でかなり違った表れ方をします。

性差や環境によっても違いますし、二次障害を併発していると表面化した二次障害の症状にばかり目が向き、根底にあるかもしれない生きづらさの原因に発達障害が関わっているかもしれないことを見逃しています。

中学2年の息子を見ていくと、集団生活が始まる3〜4歳から小学校2年生までは、“やたらミニカーを並べる”“数字に対するこだわり”“電車に対する興味”や、言語明瞭意味不明瞭と、私の感じる違和感以外、特筆すべき問題はなく、人見知りゼロ、友達関係良好、成績優秀、生活に影響あるこだわりなし、メンタル安定、生活習慣問題なしでした。

小学校3年生以降、徐々に特徴が目立つようになり、次々と特性が表面化、同時に友達関係が拗れやすくなっていきます。相変わらず成績は優秀でしたし、すべてに積極性があることから、私がさまざまなエピソードで訴えても、児童精神科に育児観察日誌を持ち駆け込むまで、遅れや何らかの障害を一度も疑われることなく、「お母さんの気にし過ぎ」「もっとおおらかに見てあげないと」と、まるで私が神経質で育児ノイローゼ気味かのように(笑)、取り合ってもらえませんでした。

小学校では提出物も少なく、低学年では何かと保護者を巻き込み確認していくプリントなどが多いのですが、学年が進み持ち物や提出物の準備、管理を自己責任で負っていく高学年〜中学生になると、小学校とは比べ物にならないくらいあちこちに困り感が増していきます。

提出物の期限が守れない→忘れやすいこと、気が進まないことを先延ばしする、「ま、いっか、なんとかなるだろう」と軽く他人事のように考えるADHD特性があらゆる場面で爆増。時間の逆算ができなかったり、時間感覚が現実と違うので、「まだ大丈夫」とのんびりまったりしてしまい、出かける寸前で慌てる、遅刻する・・・が激増。

提出物を提出しないので評価が悪くなり、テストで点数が良くても成績はダダ下がりますし、忘れ物も改善されないので、テスト以外の評価もやはり下がり気味です。“計画を立て遂行する機能”が弱いので、復習やコツコツとテスト勉強をするのは難しくなります。見ていて気付くのは、遂行/実行機能が弱くても、計画を立てることは何故か好きで、やたら綿密に細かく予定を立てます。ですが、実行機能に弱さがあるのがADHDなので、結局は“予定立てただけ”に終わります。また、やたらと高くに目標設定するクセもあるため、ここでもメタ認知(認知を認知する力)の弱さを感じます。

本人は“できる”と思って頑張るつもりで予定を立てているので、できない予定を立てているつもりはありません。

人間関係では、思い込みの強さや、他者の考えや気持ち、意見を聞いて柔軟に自分の認知や思考に修正を加えることが苦手で、独特の認知からくるコミュニケーションスタイルや、メタ認知の弱さ、共感力の低さというASDの特性から躓きが起こり、拗れを生みやすくなっていきました。

【思ったことをそのまま口に出して他者を不快にしたり傷つけてしまう】は、ASDにもADHDにもあることですが、人間関係に躓きが起きる原因では、どちらの特性が強めに表れているのかで対策が変わってきます。

息子のように重複だと複雑なのですが、ADHDの特性として強く表れると、

▶︎思い付いたこと、思い出したこと、話をしていて引っ掛かった(気になった)キーワードから「今すぐ話したい」という気持ちが抑えられなくなり、他者を不快、怒らせてしまう言い方を“わかっているのに”話したい気持ちを我慢できずそのまま衝動的に口に出してしまいます。

ASDの特性として強く表れると、

▶︎共感力とメタ認知が弱く「今これを言うと場にそぐわないかも」「この言い方だと傷つけてしまうかもしれない」「この人に失礼にあたるだろうな」を考えられません。もちろん、パターン化して学習していく力はあるので、上手く「こういう場ではこう言うのが正解だろう」と学ぶと、よほどパターンが違わなければそれなりにやっていけるようになります。

「思ったことは何でも(他者感情を考慮できず)口に出す」素直さが、時として他者を愕然とさせたり、周りを凍りつかせることになるのですが、本人は「間違ったことは言っていないんだけど」と思っているケースが多く、何故指摘されたり叱られるのかわからず、理不尽を感じて不満を募らせていきます。

他者の見えない感情や思考まで考えて、相手のことを慮ったタイミングや言葉を選びましょう・・・は、とても難しいものですし、「何故そんなことまで考えて話さなきゃいけないの?」とも思うのでしょう。

人間は言語を意思疎通のコミュニケーションツールとして使い(仕草や視線、表情などノンバーバルコミュニケーション含む)、そこに共感(と感じる)や寄り添い(と感じる)を感じ取ることで、親しみを持ったり信頼を築く土台になっていくものです。言いたいことを思ったまま口に出すことを一概にいけないこととは言いませんが、『自分勝手』『思いやりがない』『ワガママ』と誤解を受けやすくなるので、社会生活をする上で自分にとってはプラスに働きません。

小学校6年生から今も通級に通う思春期真っ只中の息子は、定型思春期でも面倒臭いのに、発達障害のややこしさがプラスされてなかなか一筋にはいきません。

家庭ではまだまだ課題山積のように見えても、あれほど学校生活で問題が起きていたことが中学2年になるとメッキリ減りました。本人の成長があるのはもちろんですが(発達障害は発達しないのではなく、発達がゆっくり、言えます)、通級という形で個別指導を何年も受けていることも他なりません。

ASDでは特に弱いさまざまな認知機能やコミュニケーション(アサーションにも取り組んでいます)、ADHDでは思考の整理の仕方や忘れ物対策というライフハックを個別指導してもらっています。

発達障害がなくても大変な思春期、発達障害があると思春期はかなり大変です。二次障害を併発してしまうのも多くはこの時期です。

ようやく思春期の大きな山を一つ越えたところですが、まだ次の険しい山が見えています。特別支援を受けられるのはほとんど中学3年、つまり義務教育まで。中学校卒業まで残り1年と少し。どんなにぶつかり合っても、丁寧にしっかり息子に寄り添いながら、家庭療育にも取り組んでいきたいものです。

11月25日水曜日はコラム掲載日ですが、所用のため休載します。次回掲載は11月30日月曜日です。よろしくお願いします。

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ADHDの課題【時間管理】について<5>:心理的抵抗に対処する。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

本連載最後となる5回目は、ADHDの人の【心理的に集中を妨げるもの】や【集中力のコントロール】についてお話を進めます。

ADHDを持つ人は、引っ張られやすい不安感情や抑うつに加え、何かしら他者に対してイライラと不満を持ちやすい(面倒、難しい要求ややりたいことへの制限など)ことを自覚し、“怒っている自分、これまでずっと変えたいと思いつつ、自分には絶対無理だと感じる自分”、【変容に反抗している自分】に気付き、自分の認知(思考)を同定し反論してみる練習をしてみましょう。

今までの連載<1>〜<4>でお話したことの振り返りになりますが、おさらいしてみます。

  • 達成できる小さな、簡単なことからスタート。
  • 難しく面倒なことは、達成できるであろう大きさに分解(分割)。
  • スケジュールを組む時には対処しやすい“まとまり”に分解し、まとまりを終了できた時には“強化”(自分へのご褒美を計画)。
  • 完了と同時にTO DOリストの項目に完了印をつける(視覚的に“できた”を感じるモチベーションが維持しやすくなります)。
  • 強化(ご褒美)は随伴的であり、やらなくてはいけないことを完了していなければ、自分にご褒美を与えてはいけません。←「後でやるから先にご褒美」はダメ!

自分にとって集中を妨げるものには何があるのか考えてみます。

ADHDの人は、刺激に敏感に反応し集中が分散してしまうので、そうならないために、目や耳に余計な情報が入らないよう先に対策を取っておくのは有効です。

●携帯電話は遠くに置くか、留守電にしてサイレントモードに設定。
●本や雑誌は目につかない場所に。
●テレビ、パソコンなどは消す。
●家族にも上記を宣言し協力してもらう。

外部からの音を柔らかく遮断するイヤーマフデジタル耳栓、集中しやすいリラックス状態を保つために、ホワイトノイズ発生装置(レクトロファンマイクロ)も役立つと思います。もちろん音量は耳障りにならない音量で、ですが。

ADHDの人は、目の前の自分にとって楽しい報酬を、遠い先のより自分にとっては大きな報酬より選ぶ誘惑に駆り立てられがちです。ここで自分との闘いになると思います。実際に、闘っては毎回負けている息子を毎日見ています(笑)。この重要な岐路に、目先の楽しさを取ることと、課題をやった後の報酬、達成感、自信、他者からの評価といった現実的な報酬を書き出してみましょう。

△明日提出のやらなくてはいけない課題があるのに、見たいテレビがあり、我慢できずに見る。→取り組むのが億劫になり、お風呂から上がったら・・・ご飯食べたら・・・と先送り癖が出現。→「うーん、明日、早起きしてやればいっか」→早起きできない、もしくは早起きしてもいつもの「まだ時間があるから大丈夫」癖が出て、結局巻きに巻いて雑な仕上がりか、まったく手をつけていないことになる。→当然叱られる、呆れられる、信用を無くす・・・結果評価が下がる。→自己嫌悪から自己評価も下がり、「ダメな自分」から自己肯定感も下がる。

こうならないために

○見たいテレビは録画にして、明日提出の課題に取り組む。→終わった後に「完了させた!」という満足感と達成感。→ご褒美の動画を観る(気持ちを引っ張るものがないので動画を楽しむことに集中できる)。→次の日に胸を張って提出(できなかった(やらなかった?)言い訳をしなくていいので気が重くない)。→完了させたことへのそれなりの評価。→やり遂げた自分への自己評価アップ。

これを自分に当てはめて視覚化してみてください。

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ADHDの課題【時間管理】について<4>:認知面の気付きと対策を考える。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

4回目、次回5回目は、ADHDの時間管理/認知面の気付きと対策について考えていきます。

認知(思考)の歪みには、不安や抑うつを生む自動思考と呼ばれるものも多く含まれますが、あまりにも普段の思考に密接であることから、なかなか気付きにくいものです。

自動思考とは、起こった出来事に対する咄嗟の評価

で、その評価が正しいこともあれば、そうでもない時もあります。

ASDやADHDを持つ人は、“失敗”から自動思考が知らないうちに徐々に歪んでいくので、不安や抑うつに引き込まれやすい傾向にあります。

自分の【自動思考の中にある認知の歪み】に気付くことが第一歩になります。

克服するための第二歩が、

【歪んだ自動思考に気付き、その思考に自ら反論し、それに代わる合理的反応を自身で持てるようになる】ことです。

起こった出来事に対する【認知】が【感情】を生み出すのですが、この“認知(思考)”は、出来事が起こった瞬時に自動的に生み出されるものなので(だから自動思考)、その結果生まれる感情にばかり目を向けがちで、【認知】そのものはほったらかし、意識しないことがほとんどです。

認知の歪みを引き起こす自動思考にはさまざまな出どころがあるのですが、本題から外れるので認知について掘り下げてお話する機会に取っておきます。

自動思考、認知の歪みに気付くためには、感情そのものではなく、感情が生まれた出来事に対し、自分が“どのように受け取ったか”に意識を向ける練習が必要になります。

“不快”“辛い”“不安”“怒り”という感情の変化が起こった時にメモを取り、その感情にラベル付けしてみます。←毎回やるのは大変ですから、やれる環境にある時に意識的にやってみましょう。

前提)明日の大切なプレゼン用資料作りを任され、それを今夜中に仕上げなくてはいけないので徹夜になりそうです。資料作りに取り掛かろうとした時に憂鬱な気持ちに襲われるかもしれませんし、想像しただけで強い感情に襲われるかもしれません。

自動思考は何らかの感情と直接関係しています。今回、具体的にどのような自動思考が表れやすいのか見ていきましょう。

●それが【不安】からの場合
「どうしよう、もし失敗したらどうすればいいんだ・・・」「もうプロジェクトから外されるかもしれない」

●それが【抑うつ】からの場合
「あーダメだダメだ、こんなんじゃダメに決まってる!」「自分はなぜこんなことも満足にできないんだ」

●それが【怒り】からの場合
「自分一人にこんな膨大な資料を作らせるなんて上司は酷すぎる!」「要求レベルが高すぎる!きっと私に失敗させようとしてるんだ」

このように、起こった出来事(明日までに作成しなければならないプレゼン資料)により湧き上がってきた自分の感情(不安、抑うつ、怒り)を俯瞰し、じっくり観察してみることで、感情や行動(完璧主義や回避傾向)のトリガーとなる自動思考を同定していきます。

【認知の歪み】の具体例

●二分割思考(0か100か)完璧主義
物事を白か黒か、0か100かの両極端でしか捉えられない。
例:「もしこれで契約が取れなければ、もう自分は終わりだ」

●過度な一般化
一つのネガティブな出来事だけを根拠に、すべて悪いほうに捉える。
例:「自分は何一つまともにできない」「自分は幸せになんかなれない」

●“すべき”思考
過度に「〜すべき」「〜しなければならない」と考え過ぎ、それが実現できないと罪悪感や自罰傾向が高まる。自分の中の“べき”に則った行動をしてしまう。
例:「良くないおこないをする人には、どう思われてもその人のために注意すべきだ」「自分はクズなんだから、何を言われても黙って甘受しなくてはならない」

●レッテル貼り
たった一度の出来事で、自分や他者にネガティブなレッテル貼りイメージを固定してしまう。
例:「どんな綺麗事を言ったってどうせ裏切られる」「所詮女(男)はこういうものだ」

●結論の飛躍
結論が正確かもわからないのに(そのような事実はないのに)、ネガティブな解釈をする。<心の読み過ぎ、空気の読み過ぎ>と<根拠があるわけでもなく相手に確認もしていないのに、相手は自分に対しネガティブな反応をしていると思い込む>という二通りのタイプがある。
例:「自分が話をしていたのにスマホを見た、きっと話が面白くないに違いない」

●先読みの誤り
起きてもいないのに、悪い結果になると勝手に予想し、その予想が確立した事実と思い込む。
例:「同窓会で嫌な思いをするに決まってる、だから行くものか」

●選択的注意(以前お話した“選択的注意”とは違います)
小さな一つのネガティブな側面だけを取り出し、他を無視してそのことだけを考える。
例:「その髪型似合うね、髪の色はもう少し暗いほうがいいかも」に対し「どうせ似合わないと思ってるんだろう」

●自分への関連付け
実際に自分に責任がないことでも、ネガティブな出来事をすべて自分のせいだと考えてしまう。
例:「私が発表しているのにあの人が出て行ったのは、私の話が退屈だったからだ」←たまたま電車の時間だったかも、具合が悪く席を立ったのかも、と思わない。

●破滅思考
もし○○が起こったら、もしくは、〇〇が起こらなかったら破滅だ、と決めつけて考えてしまう。
例:「もし面接に落ちたらおしまいだ、自分は耐えられないだろう」「彼がいなくなったらもう生きていけない」

認知の歪みは極端な思考を呼び、不快感や不安、怒りといった強い感情を生み出しやすくなります。認知→感情、の感情にだけ目を向けるのではなく、感情の出どころ(認知)に意識を向ける練習を続けると、自分の自動思考に気付けるようになります。

自分の自動思考における認知の歪みを同定できたら、合理的な反論で、その歪みに自分で反論してみます。自動思考→認知の歪み→その認知に反論した合理的反応・・・の例を一つ出して考えてみましょう。

<例:やっとこぎ着けた就職の三次面接前夜>

  • 自動思考:次こそ面接で上手くやらなくては。はぁ、ちゃんとやれるのか本当に心配だ。毎回こんな時は神経質になってしまって、本来の自分が見せられたことが一度もない。もう10回目の面接だ・・・でも、こんな好条件な仕事は二度と私には巡ってこない。
  • 認知の歪み:破滅化、過度の一般化、先読みの誤り
  • 合理的反応:「いかんいかん、自分は少し神経質になってるのかも。でも、面接なんて誰でも緊張したり神経質になるものだよな。緊張するなんて面接する側もわかってるはずだし。よし!履歴書も職務経歴書も丁寧によく出来てる、緊張して多少上手く話せなくてもこれで自分をわかってもらえるだろう。」

もう一つ例を出します。

<何日も前から親に「片付けるように」と言われていた散らかった部屋、「そういえば片付けたの?」と聞かれました。>

  • 自動思考:「あっ、何もやってないや。はぁ、つくづく自分って怠け者でダメダメな人間なんだろうな」
  • 認知の歪み:過度な一般化
  • 合理的反応:「確かに自分を片付けは苦手で時間もかかる。でも、だからといってすべてにおいて怠け者というわけではないよな。まとめては難しいけど、今日はタンスだけ明日は机と机周り、というふうにやれば自分でもできるぞ!」

合理的反応を目指すためには、まず【認知の歪み】やそこからくる【自動思考】に気付かなくては始まりません。

ちょっと自己分析してみませんか?

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