全3回:息子を例に発達障害を考える【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

コラムにも何度か出ていますが、中学1年の息子は発達障害のASD+ADHDの重複ケースです。

今回は息子を例に、ASD、ADHD単体で語られがちな発達障害ですが、発達障害の半数が重複だと言われている中で、重複だとどのようなことが起こってきたのかを、生育歴ベースの【1】、家庭生活・学校生活の【2】、困り感を生んでいる要因の【3】に分けてお話ししようと思います。

2歳前後、クレーン現象(※)と思われる動作やミニカーをやたら並べたがるところから私の違和感が始まりました。息子は普通の保育園、幼稚園ではなく、インターナショナルスクールから集団生活をスタートしてから普通の保育園だったのですが、一度も後追いすることなく、親子とも日本語禁止のかなり特殊な環境からスタートしたにも関わらず、集団生活にもすぐに馴染み、食べ物の好き嫌いはまったくなく、友達関係でトラブルを起こすこともありませんでした。連れ去られるのでは?と思うほど人懐っこく、まったく人見知りしなかったことも違和感でした。

※クレーン現象:子供が何かしてほしい時、相手の手を持って、その何かを達成しようとする動作。

日本語より先に英語が出ましたが、乳児〜追視できるようになってからはベビーサインを使っていたことも理由か、日本語発音は多少遅かったようです。出始めると怒涛の煩しさになりましたが・・・。

生後すぐから4歳になる前までに済ませる数々の健康診査、その度に保健師や小児科医に上手く伝わらない違和感と不器用さを訴えてきましたが、「お母さん気にし過ぎ」「初めてのお子さんだから神経質になってませんか、もっとおおらかにいきましょう」とスルーされてきました。

今思えば、4歳の時点でWPPSI-III(ウィプシ・スリー)をお願いすればよかったと思っています。もちろん就学前検診でも一応訴えてはみたのですが、やはり予想どおりスルーされました。

そして無事に小学校入学、その後転校するもすぐに馴染み、幸い成績もとても良かったこともあり「あの違和感は気のせいだったのか?」と思い始めた3年生の時、私から見える子供の困り感が、家庭より先に学校生活で表れるようになってきました。

まず気付いたのは、並外れた不器用さや動作の雑さ、字の汚さ、服のボタン掛けに時間が掛かり嫌がる、折り紙は角を合わせて上手く折ることができない、線に沿ってハサミで切れない、糊が手につく(手が汚れる)ことを異常に嫌がる、蝶結びができない、ランドセルの中が常にカオス・・・でした。

2年生までは時間割を見ながら一緒に学校の準備をし、やり方を教えていたのですが、3年生になって見守り側になった途端、忘れ物も増えランドセルの中はカオスです。

学校から配布されるあらゆるプリントは蛇腹状になり、ランドセルの底に追いやられ、家や学校に毎日何か忘れていました。挙げ句、忘れ物キングというありがたくない称号までもらってくる始末です。

画像はイメージです。

そして恐れていた友達関係のトラブルが起きるようになったのが4年生です。苗字をもじったあだ名にネガティブな反応をした息子が泣きながら帰宅、それ以降似たことが続き、スクールカウンセラーに話をしても埒があかないので、発達障害専門の児童精神科に育児観察日誌と本人を連れて駆け込み、育児生育歴を聞き取り、CBCL、WISC Ⅳ、数度にわたる行動観察などから、ASD、ADHDの発達障害重複と確定診断が下りました。

この時ほどホッとしたことはありません。

ほとんどの保護者は、最初「子供に発達の偏りがある、障害があるかもしれない、障害児です」という現実を受け入れるどころか受け止めることすら出来ず、気持ちが荒れることがほとんどだそうです。長く違和感を抱えてきた私にはまるで天の声で、点と点だったあらゆる違和感が線で繋がり、心から安心しました。

もとより、発達“障害”はバランスの問題で

“個々の違い”

という認識を持っていたことも大きいかもしれません。

苦手がわかれば対策が取れる、私が子供をしっかり理解すれば二次障害を防ぎ適切な対応ができる、私で足りない知識や経験は今から勉強すればいい、あとは専門機関の助けを借りよう、そう考え、周辺支援や環境整備など何もわからないゼロから児童相談所や教育相談所、自治体の支援課や保健所と連携を取り始めました。

成績は良く、他害行動や癇癪がまったくない息子は通常クラスに在籍、情緒級への通級が適切ではないかと考え、主治医の診断書に意見書と心理所見まで添えて学校側と話をすることにしたのですが、これがまた長い苦難の幕開けとなりました。

専門医による十分な資料が揃っているにも関わらず、当時の校長が「お母さん、男の子なんてみんなそんなもんです。そんな子供たちも無事に卒業して、ちゃんと中学校へ行けてるんだから大丈夫!小さいことは気にしない、気にしない!え?心理所見?検査データ?いやぁ、わからないなぁ、専門家じゃないし」という、まさに無知からくる無理解のズレっズレな考えの持ち主だったことで、スムーズに行けば年に二回ある教育委員会支援判定員による学校生活観察、教育委員会での通級適不適会議に上げ、最短で通級に繋げられるはずが、まったく進まない事態に陥りました。

画像はイメージです。

早ければ早いほうが良い療育、成長著しい子供にとって1年を無駄にしないために、また冒頭にも書いた二次障害を防ぐために、児童相談所を巻き込みパイプとなってもらい、何度も何度も校長面談を重ね交渉にあたり、時には激しいやり取りもおこなわれました。

通級するには保護者側からの通級希望申し出→校長承認の後、校長が教育委員会との窓口になり教育委員会から判定員来校し、判定会議に上げられ、適不適が判定されます。

年二回しかない判定会議なので、なかなか長い道のりです。実際、ようやく校内情緒級に通級できるようになったのは、子供が6年生になってから(校長が定年退職し後任の校長に変わってからで、それがなければ小学生のうちに情緒級には通級できなかったかもしれません)。既に5年生からは登校渋りが出始め、不登校に移行するのは時間の問題と思われました。その時は相談のため私が毎日学校に“登校”している状態でした。

当時の通級担任は長い経験があり、今までの困り感や生きづらさに悩む子供と、それを一人で支える私への理解が早かったことと、常時校内にいるため学校生活で起こるツラさや困り感があると、すぐに子供ともども対応してもらえたので、学業不振にも完全不登校にもならず、無事に卒業にこぎ着けました。

進学した中学校には情緒級がないため、今は近隣の他校にある情緒級に通級しながら普通級在籍です(中学校すべてに情緒級があるわけではない)。少しでも多い療育の機会を、と各関係機関にも密に関わってもらい表面化する課題に対応しながらSST(ソーシャルスキル・トレーニング)に取り組んでいます。

現在、県立、都立高校への支援級設置の積極的な動きがあるので、子供が高校生になる頃には公立高校すべてとまでいかないにしろ、今より支援級が設置されていると思います。

次回【2】では、複雑に表れる発達障害重複について、家庭生活、学校生活でどのようなことが、何が原因で起こっているのかをお話したいと思います。

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発達障害【ADHD】の困り感〜大人編〜

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

子供編に続きADHDを持つ人が成長し、大人になった時に、どのような困り感が表れやすいのか“生活”と“仕事”から見ていきます。

【多動性】【不注意】【衝動性】のうち、行動としての多動は貧乏揺すり程度に落ち着く人が多いのですが、個人差はあるものの、不注意、衝動性は残ります。

行動面の多動性は落ち着いても、頭の中にいろいろな考えが次々に浮かび、忙しなく落ち着かないという、脳内の多動や散らかりは残る人が多いようです。

【生活面での困り感】

  • うっかりが多い。
  • ゴミを出せない。
  • 公共料金を払い忘れる。
  • 忘れ物が多く、すぐに物を失くす。
  • 段取りが悪く、部屋が片付かない。
  • 約束の時間を忘れたり、しょっちゅう遅刻してトラブルになる。
  • 人の話を聞かない。
  • 人の話を遮って話をしてしまう。
  • 待つことが苦手でイライライしやすい。
  • 衝動買いが止められない。
  • 欲求が我慢できないのでいろいろな依存症に陥りやすい(実際、ギャンブル依存症やインターネット・ゲーム依存はとても多い)。
  • 目先の興味関心がコロコロ変わり、どれも長続きしない。
画像はイメージです。

【仕事面での困り感】

  • 提出書類が間に合わない。
  • 遅刻が多い。
  • 忘れ物が多く、重要な物を忘れたり失くしたりする。
  • 仕事に集中できず、指示を聞き漏らす。
  • ミスが多い。
  • ぼんやりする。
  • いくつもの指示だと忘れる。
  • 机やロッカーが片付けられない。
  • 電話を受けながらメモが取れない。
  • アポイントなどを忘れる。
  • 最後まで話を聞かず、取り掛かりミスをする。
  • メモを取っても忘れる。メモを取ったことすらも忘れる。
  • 焦ると余計にミスが増える。
  • 勝手にやり方を変える。
  • 思ったことをすぐに口に出す。
  • 誤字脱字が多い。
  • 仕事の優先順位がつけられない。
  • 単純作業に集中が続かない。
  • 計画を立てて仕事ができない。
  • 報告・連絡・相談ができない。
  • アドバイスなのか指示なのかがわからない。
  • 時間の使い方がわからない。
画像はイメージです。

子供の頃とは違い、シングルタスクや独特の時間感覚で困り感が増えてきます。

まずは自分の苦手(不得手)はどこなのかを知ることからがスタートです。知ることでできる対策も多くあります。

ADHD当事者ができる対策、職場ができる対策は後日改めて書きたいと思います。

2019年のコラムはこれで終わります。今年の夏から書き始めたコラムですが、ご愛読いただきましてありがとうございました。

来年は1月10日金曜日から毎月5の倍数日にコラムを掲載していきますので、引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。それでは良いお年を。

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発達障害【ADHD】の困り感〜子供編〜

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

何度かシリーズでもお話している【発達障害】ですが、今回はADHDについて、主に学校生活で表れる困り感についてお話したいと思います。

足が不自由で引き摺りがある、目が見えないから白杖を持つ、などいわゆる目で見てわかる肢体不自由の人に比べ、パッと見てすぐにわからないのが発達障害です。

それゆえ、多動で立ち歩きがあり教室から脱走する、片付けられない、癇癪を起こすなどわかりやすい行動が表れていなければ、本人はもちろん、保護者や学校側もわかりづらいことが多く、中には強引に「何がなんでも全部個性」と言い張る保護者もいます。脳の偏りもまた個性と言えなくもないのでそれはいいのですが、いずれ本人が困り感を自覚した時に苦しむのは子供自身です。

まず以前コラムにも書いたことをおさらいします。ADHDの主な特徴は、

【多動性】【不注意】【衝動性】

の3つです。

●多動性:落ち着きがなく、じっとしていることができない。

●不注意:自分の興味関心がない物事に集中できず、忘れやすい。

●衝動性:唐突に思いつきの行動をとる、順番待ちが苦手。

などですが、これらの特徴とその程度は個人差が大きく、環境や関わりを持つ相手によっても差が見られるので、家庭と学校では様子が異なることもあります。

また、ADHD、ASDに共通する特性や行動もあるので、次に示す行動があるからといってADHDとは限りませんし、ADHDとASDを重複しているケースも多いことを先にお断りしておきます。

ADHDの行動には“気付かれやすい行動”と“気付かれにくい行動”があります。

<気付かれやすい行動>
【多動性】【衝動性】からくる行動で、友人関係のトラブルが中心、周囲を巻き込み大きな問題へ発展することがあるので気付かれやすい。

<気付かれにくい行動>
【不注意】からくる行動で、忘れ物が多く成績不振など、本人や保護者だけが困ることが多く、周囲に迷惑をかけることが比較的少ないため見過ごされやすい。

この、<気付かれやすい行動><気付かれにくい行動>が学校生活でどのような形で見受けられるのかを具体的に見てみましょう。

=気付かれやすいADHDの行動=

【多動性による行動例】

  • 席にじっと座っていられず、常にそわそわしている。
  • おしゃべりが止められない。
  • 意味もなく手足を動かす。
  • 静かにしていなければいけない場面で走り回ったり騒ぐ。
  • 集団行動ができない。

【衝動性による行動例】

  • 感情のコントロールができない。
  • 順番を持てず列に割り込む。
  • 些細なことで大声を出したり暴れる。
  • 勝手に話を始めたり、他の子への質問に答えてしまう。
  • 他の子の邪魔をしたり、ちょっかいを出してケンカになる。
  • 他の子の持ち物に勝手に触ったり、持って行ってしまいトラブルになる。

=気付かれにくいADHDの行動=

【不注意からくる行動例】

  • 学習用具などを机から落としやすい。
  • 興味関心が低いことは忘れてしまう。
  • 忘れ物が多い。
  • 字が汚い。
  • 机の中やランドセル、身の回りの整理整頓ができない。
  • 他の子より、よく怪我をする。
  • 教科により集中できない。
  • 文章を飛ばして読んだり、自分の思い込みで読む。
  • 指示の聞き漏らしがあるので行動が遅れる。
  • 好きな教科と嫌いな教科で意欲の差が激しい。
  • 課題や活動を順序立てておこなうことが困難。
  • テストで似た問題でも点数のバラつきが激しい。
  • 友達との約束を忘れたり約束が重複してしまう。
  • 話しかけても上の空に見える。

【その他の行動例】

  • 姿勢が崩れやすい。
  • 一人で遊んでいることが多い。
  • 友達に避けられている。
  • 日中眠そうにしている。
  • 後回しにするクセ(先送りグセ)がある。
  • 手先が極端に不器用。
  • 気持ちの切り替えがうまくいかない。
  • 知的な遅れはないのに成績が悪い。
  • 好きなことには時間をかけて取り組める。
  • 複雑な運動が苦手で、鉄棒や縄跳び、跳び箱などの上達に時間がかかる。

などがあります。

それでは不注意優勢(気付かれにくいADHDの行動)の場合、子供の学校生活ではさまざまな困り感がどのような場面で、どのように起こるのかを一日の時系列で具体的に見ていきます。

登校時:目にするいろいろなものに意識がいくため、集団の列から外れやすい、周りに注意を払わず歩くため、自転車や人と接触しがち、転びやすい。

朝会:遅刻が多い、眠そう、先生が来る前に他の子とトラブルを起こしている。

授業中:よく物を落とす、教科書や必要なものを頻繁に忘れる。座姿勢が悪い、関係ないおしゃべりが止められず注意される、指示を聞き漏らし行動が遅れ、周りの様子を見てから行動する、単純な計算は得意だがケアレスミスが多い、文章を読んで解く教科は苦手、板書に時間がかかる。

給食:おしゃべりが止められないかボーッとしていて時間内に食べ終わらない。

休み時間:休み時間が終わっても教室にいない、次の授業の準備ができていない。

体育や図工など身体を動かしたり作業する授業:説明を聞いていないため、怪我や失敗が度々起こる、計画を立てて作業ができないため最後まで終わらない、好きなことには集中して取り組むので時間がきても止められない。

掃除:掃除道具を振り回してふざけたり、いろんな場面で雑なので物を壊したりする。

友人関係:他者の話をよく聞いていないため、思いつきで関係ない話をしたり行動する、集団行動ができず孤立しがち、約束を忘れてトラブルになる。

不注意だけでも学校生活がかなり大変そうに見えます。3つの特徴(多動性・不注意・衝動性)をそれぞれの割合で併せ持っているケースがほとんどなので、年齢に沿って至るところでさまざまな困り感が表れてきます。また、行動の多動性は大人になると薄くなる傾向にありますが、行動に表れない見えない脳内での多動は残る人も多いようです。

本人に悪気はなく、気をつけよう、頑張ろうと思ってもできないことがあるのが“障害”で、他者との違いに気付き比較する年齢になった時に、困り感や生きづらさを本人が感じるようになります。

ちなみに、中学1年の息子が確定診断を受けたのは小学4年ですが、それまでは私の違和感や困り感はあっても本人の困り感はあまりなかったようで、息子本人が『何かいろいろうまくいかない』と気付いたのは小学5年、そこからさまざまな場面で学校生活に生きづらさを感じることが多くなったそうです。

このさまざまな場面に表れる行動特性は、人により表れ方も濃さも違い、また、視覚認知に問題を抱えるケースもあるため、対策の取り方も少しずつ変わってきます。

息子を例にとると、書字の苦手さや字のバランスの悪さは、不注意と同時に視知覚認知機能の“目と手の協応”と、眼球運動が大きく関わっており、わかりやすい不注意部分だけの対策を取っても、本人の困り感解決にあまり有効的ではありませんでした。

視知覚認知や眼球運動に問題があると、学習効果が思ったように表れず成績が振るわない・・・ということが起こります。視知覚認知や眼球運動とはどのようなもので、それにより何がわかるのかなどは、視覚認知でお話ししたいと思います。

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大好きな人、苦手な人のこんなところに注目してみませんか?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は自分、他者を理解する上で頭に入れておくと、どこかで参考になる【言語優性・感覚優性】【視覚優位・聴覚優位】という機能についてお話しようと思います。

人には言葉、文字といった

言語による情報が脳内情報処理→理解→記憶しやすい【言語優性】

映像や絵、音といった

感覚器官の情報が脳内情報処理→理解→記憶しやすい【感覚優性】

の二通りのタイプがあります。

絶対にどっち!というものでも、どちらかに偏ることが

優劣を決めるものでもない

ことを念頭に置いてください。人はどうしても優↔︎劣と考えると、優れている、劣っているという一般的な意味に取りがちですが、わかりやすく【優性遺伝】【劣性遺伝】で考えると、その“性質”が表れやすいかどうかの違いということになることはお分かりいただけると思います。ただ、言葉のニュアンスからどうも誤解されがちです。

一重まぶた、直毛、エクボができないなどは劣性遺伝、二重まぶたは優性遺伝ですが、一重が二重より劣っている、直毛より天然パーマが優れているという意味ではありませんよね(笑)

遺伝的性質が表れやすいかどうか?

です。

話が大きく逸れてしまいました(笑)

さて、この【言語優性・感覚優性】【視覚優位・聴覚優位】もどちらかに大きく偏る人もいれば、比較的バランスが良い人もいます。その“性質傾向”の割合とでも考えてください。

また、目から入った<視覚>情報が脳内情報処理しやすい視覚優位、耳から入った<聴覚>情報が脳内情報処理しやすい聴覚優位というタイプに分かれます。

【りんご】と言われて『りんご』『リンゴ』『林檎』など最初に文字が頭に浮かぶ人は言語優位、最初にイラストや写真、映像としてりんごが頭に浮かぶ&味として浮かぶ人は感覚優位と言えます。

完全に分かれなくても“どちらかの傾向が高いアンバランスな作り”になっているのが人間で、見た目の違いだけではなく、細かいさまざまな性質、傾向の違いがその人の個性というものを形作っているとも言えますね。もちろん、ここには生育環境も大きく影響してきます。

ちなみに私は【言語優性・聴覚優位】で、絶対音感を持っていますが、どちらもそれなりの(?)バランスのようです。記憶力は良いほうですが、自他ともに認める方向音痴で、感覚的なセンスはどうやら壊滅的なようです(泣)

聴覚優位の人は耳からの情報処理が優れているので、絶対音感を持っていたり、会話からの情報処理がスムーズです。視覚優位の人には話だけで理解してもらおうとするより、口頭+メモ(+イラストや写真)を使いながら説明をしたほうが当然理解しやすく、脳内情報処理や記憶もスムーズです。

どちらが優れているという能力としての優劣ではなく、『絵を描くことが得意、文章を書くほうが得意』『見て理解することが得意、聞いて理解するほうが得意』・・・という違いだと理解してもらうとわかりやすいかもしれません。

クリエイターやデザイナー、カメラマンなどアートに関わる人は感覚優性が圧倒的に多いですし、物書きや分析を仕事にしている人は言語優性が多いようです。

以前コラムにも書いた私のパートナーはクリエイターです。私が逆立ちしても出てこないような独特な視点、表現するセンスを持っているので、認知面だけではなく『人ってこんなに違うものなのね』をとても身近に感じて感心すること然りです。

多少話がズレますが、発達障害を持つ人は【感覚優性・視覚優位】のタイプが比較的多いので、特に“聞いたそばから抜け落ちていく”覚えることがとても苦手なADHD(や、その傾向)を持つ人には、何度も言い聞かせて覚えてもらおうとするのは残念ながらあまり効果がありません。

ただでさえワーキングメモリーの容量が少なく、自分の興味関心があること以外抜け落ちやすい特性もあるので、『いくら言っても覚えない(覚えられない)』が起こります。

この<覚える、覚えない(覚えられない)>と実際に<出来る、出来ない>はまた違うので、脳機能について書く時にでも説明しようと思います。

さて、視覚優位の人には話して覚えてもらうだけでなく、視覚化するためにメモを取ることが効果的です。とにかく視覚化できるものは視覚化する、です。

ADHDの人に対しては、シンプルにわかりやすく手順をまとめ、イラストなどを添えて視覚化→口頭説明するのが入りやすいと言われています。

17歳までは『WISC Ⅳ(ウィスク・フォー)』、それ以降は『WAIS Ⅳ(ウェイス・フォー)』という検査で、言語理解や記憶、聴覚理解や記憶など、あんなことやそんなことまで案外いろんなことがわかりますので(笑)、機会があれば受けて自分の特徴を知っておくとよいかもしれませんね。

パートナーはASD<連載③>:【アスペルガー受容編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

連載①ではパートナーがアスペルガーである疑惑から、違和感を膨らませていく中でのエピソードや繰り返されるバトルを書き、連載②ではパートナーがアスペルガーであることから感情の交わし合いができず、カサンドラ状態に陥っていったことをエピソードを交えて書きました。

連載最終回となる今回は、パートナー本人に聞き取りをしながら、当時の荒れた気持ちからどのような経過を辿り、受容に至ったのかを書いていきたいと思います。

今だから聞けること、聞いてみたい当時の気持ちの移り変わりなど、本人に確認しながら書いていきたいと思います。

私がいきなりASDの書籍を送り付けたことから、パートナーの激しい拒絶が始まりました。以下は私がパートナーに聞き取った内容です。

——まずはその時(本を送った時)の感情や気持ちから聞いてみたい。

あれはまったく意味がわからなかった。嫌がらせかと。自分は健常者として当たり前のように生きてきたところに、突然『障害者』扱いされた。もう嫌悪感と拒絶感から憎悪一色になった。百歩譲って自分だけに対する“悪口”ならまだいいが、それを超え間接的に親への侮辱とも感じ、殺意すら覚えた。

——それで連絡を取り合えていなかった間、どうしていたか、その時の心境は?

親にはもちろん、友人にも話すには憎悪があまりにも激しく、しばらくうまく言葉にできない状態が続いた。自分の中で君への憎悪と殺意、ASDへの嫌悪と拒絶がグチャグチャになって、とても整理できる状態ではなかったから。
ある程度落ち着いた段階で、気晴らしによく飲みにいく店に行き、そこのコに話してみたら、あっけらかんと自分もASDだと言ってきた。拍子抜けしつつも、少し安心感を覚えた。そのコからはASDに対し肯定的な話を少し聞いたが、それでもまだ拒否感のほうが強かった。

——そのコと話した後も何も変化はないと?

とりあえず君への憎悪と殺意が少し和らいだ程度。受容なんてまったく考えられず、まだ程遠い状態。ただ店のコが言っていたことを確認するつもりで、君から送り付けられた本をパラパラ適当にめくり、“障害ではなく個性”という表現を見つけ『ふ〜ん』という印象はあった。
この時期は君からの電話はもちろんメールも一切返さず、ノーリアクションを貫いた。憎悪と殺意が再燃しかねないから。
2ヶ月ほど経つ頃には君からの連絡も来なくなり、自分の中では君との関係は終わっていて、少しホッとしていた。

——確かに途中から私も連絡をしないようにしていた。でもある時電話したら出てくれたのは?

メールではなく唐突に電話があったことと今までかかってきたことのない時間だったことから、どうもイヤな予感がした。別れ話とか、そういう類ではなくて、緊急事態のほうのイヤな予感。それでも電話に出るか躊躇したが、もし緊急事態なら人として無視するのはどうかという良心の呵責があって仕方なく出た。

——それからまた連絡が取れるようになった。

ただそれは二人の関係の修復ではなく、その緊急事態の対応策について飽くまでも“人として”話し合っている感覚。だから“元カノ”感覚で慈善事業みたいなものだった。その時には憎悪と殺意はもうなくなっていた。そのせいか『そういえば、こんなの送り付けてきたっけな』と、送り付けられた本を他人事のように軽く立ち読みする感覚で読んでみたりしていた。

——パラパラ読みから立ち読み程度でも読んでみたわけね。

雑誌感覚で他人事として。読んでみるとその中に書かれていた特性に自分に思い当たる部分があった。それを踏まえて、以前話をしていた店のコに改めて話をした。その時は愚痴としてではなく時事ネタのように話し、実際ASDでもあるそのコから肯定的なことをいろいろ聞けたことで、ASDについて考え方や見方が軟化した気がした。

——その後はどういう変化を辿った?

日が経つにつれ、誰がどうではなく、なにより親には一切責任がないことが最大の安心材料となり、ある意味冷静に自分がASDであるかどうかを自問自答するようになった。店のコとはその後もASDについてのやり取りは数回続き、いろいろと話す中で、気持ちに余裕ができたと言っていいかわからないが、ようやくASDについて詳しく知ってみるか・・・と思えるようになった。

それまでは私は『ASD』『アスペルガー』『発達障害』というワードはパートナーに対してNGにしており(自主規制)、会話の主たるものは緊急事態に対する対応策のままだった。

——2年以上経ってから、あなたからASDというワードを出してきた。思ってもみなかっただけに思わず耳を疑った。

そうだろう、自分でも自分から口にする時が来るなんて思ってもみなかった。ただ、たまたま君が素人ではなく臨床心理士という専門家だったことが大きい。身近な専門家として、ASDについて自分のどこを観て定型と言われる人と違うと思ったのかを聞いてみたくなった。

——私がもし臨床心理士でなかったら?

もちろん聞いてない。その場合、よく知っているのかもしれないが所詮素人だから。ましてや、そのへんにいる“ハッピーなんちゃらカウンセラー”とか、よくわからない認定証をいくつも並べ立てている“自称心理カウンセラー”なんて論外。エビデンスが極めて怪しく、胡散臭過ぎる。中途半端な知識で専門家風を装ったタチの悪い素人に過ぎない。だからASDがどういうものかなんて絶対わかりっこないだろうと・・・。
そういう点で客観的に考えた時、国立の研究機関にいて科学的なエビデンスと学問的・専門的知見があり、医療機関での実務経験もある臨床心理士という人が君だったことはラッキーだったと思う。

——なるほど(笑)それで定型と違うところを聞いて思ったことは?

確かに『なるほど』と思うところはあった。ただ、生きづらさを感じている人が多い、ということについては自分にはピンと来なかった。なぜなら、思い通りの生き方をしている人なんてほぼいないと思っているし、そもそも生きること自体が生きづらいもの、と思っていたから。
世の中は世知辛い、とか、人生は修行だ、という話も耳にするし・・・また仏教(特に浄土真宗)に興味を持ったことも重なって、自分だけが生きづらいのではなく、皆大なり小なり何らかの悩みを抱えながら生きづらさを感じて生きているものだろうと思っていた。

——なるほど。それで、そうした思いから受容したのはどのタイミングだった?

その前に今までと、今なお自分の身に起きる独特の現象について、改めて思い返してみた。それは、
▷窮地に陥った時の、動悸と同時に吹き出る汗、目眩を伴う発作的なパニック状態。
▷極度な憂鬱感や焦燥感からの激しい落ち込み。
▷深刻な不安からの無気力状態と強烈な喪失感。
▷子供の頃から初対面の人と接することへの抵抗感と憂鬱感。
▷怒りや強い不愉快の感情を消化するまで時間を要する。
などは性格ではなく、ASDの特性がそうさせていたとわかり腑に落ちた。
なにより受容の決定打となったのは、意外にも数字へのこだわりだった。昔から数字には人と比べて『なんかヘンなこだわりがあるな』と自覚はしていたが、それは単に、趣味が数学だった中高生時代の名残としか思っていなかった。それだけに、実際にはそれはASDのこだわりという部分の典型的な特性だ、と知った時は『これはもう受け入れざるを得ないな・・・』と思った。

——受け入れざるを得ない(笑)、それで受け入れた後の気持ちは?例えばラクになったとか苦しくなったとか・・・

ラクになったという意味では、人格的に欠陥があるとか、性格的なものではない部分からの現象があると知り、開き直れるようになったかもしれない。例えば『初対面の人と接することは大の苦手だけど克服しなければ』と長年悩んでいたが、悩むことを止めた。だからと言って、今でもそういう場所に行くとなると憂鬱になるし、初対面の人とばかり接すると気が滅入るぐらい消耗して、とてつもなく疲れて毎回途中で帰りたくなることは変わらない。
受け入れて改めて苦しくなったことはない。ただASDの特性がなくなって、いわゆる定型になったわけではないから、定型を基準にした世の中はある意味窮屈だし、定型的な人達の考え方にイラっとしたり、もどかしさを感じる時はある。ダイバーシティーと言うなら、発達障害とか定型とか関係なく、生きやすい世の中になってほしいものだ。

以上が、パートナーが受容に至った気持ちの変遷でした。最後は降参(笑)するように受容したようでしたが、ラクになった点があったことは意味があったと思います。余談として「定型は共感が必要だの空気読めだの面倒くさいことばっかり求めて、俺から見れば定型こそ定型障害だ(笑)」と言っていました。言われてみればASDの視点で定型(あるいは定型を基準とした社会)がどう見えるかをあまり考えたことはなかったな、とちょっぴり反省(笑)

数年の中でパートナーの私に対する私が起こした行動への嫌悪から拒絶、憎悪・殺意、空白、変容、軟化、関心、受容という変化を遂げながら、今の私とパートナーの関係があります。

感情的な行き違いが完全になくなったとは言えない中で、以前より格段に良い関係が築けている理由として、パートナーにあるASDの特性や特徴を人なら誰もが持つ得手、不得手に過ぎない、と肯定的に捉えていること、

【ショウ“ガイ”(障害)】という認識はまったくなく、個々人の【チ“ガイ”(違い)】と考えている

ことにあります。まだまだ理解に至らない部分も、時間をかけて理解に繋げたいと思っている自分がいます。

もうバトルになることはありませんし、カサンドラに戻ることもありません。これは私だけの努力ではなく、意識はしていないのかもしれませんが、パートナー自身の努力もとても大きかったと感じています。

パートナーはASD<連載②>:【カサンドラ愛情剥奪症候群編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

連載2回目は<カサンドラ愛情剥奪症候群>についてお話します。

まず最初に、

私は日常起こるさまざまな負の感情に折り合いをつけることや気持ちの着地点を見つけることも時間が掛からず、ストレス状態からのリカバーも、イライラすることも少ないメンタル状態が安定しているタイプです。それだけに

まさか、そんな自分がカサンドラ愛情剥奪症候群になるとは思いもしませんでした。

さて、カサンドラ愛情剥奪症候群ですが、症候群と付いていても、実際にカサンドラ愛情剥奪症候群という医学的な正式名称はありません。カサンドラ愛情剥奪症候群とは病名ではなく、共感されず感情的な交わし合いができないことにより起こるさまざまな表れ方の【症状】をまとめたものと言えます。

私に表れた症状は、

<身体的>
不眠・過食・激しい体重変動・胃潰瘍

<精神的>
絶望感と強い孤独感・自己否定感情の増加・認知の歪み・解離

です。

私の場合、パートナーが【ASD孤立型】ということもあり、【人よりモノ(あるいは事象)に対して関心がある】【共感がなく感情の交流や気持ちに寄り添ってもらえない】【白黒思考で極端な認知の偏りがあり、行き違いが起こりやすい】という特徴から表れた症状でした。

しかし、必ずしもパートナーがアスペルガーでなくてもカサンドラ症状は起こるのです。認知の違いやコミュニケーションのズレ、スムーズにコミュニケーションが取れないため、誤解を生みやすい。また【感情の交わし合いや寄り添い、共感が得られないこと】が大きな原因です。

それはパートナー関係だけでなく、親子間、場所が職場なら同僚や上司部下の関係であっても起こり得るものなのです。

私のパートナーは繊細で傷つきやすい反面、とても頭が切れる人で聡明です。問題解決力も突き抜けて高く、そして正直。曲がったことが大嫌いで嘘をつきません。見た目は怖いのですが(第一印象はマフィアです(笑))。ひと言で言い表すと【孤高の人】です。

マフィアはともかく、前記の部分だけを見ると誠実で何の問題もないように思えます。ただ、アスペルガーの特性から『今の相手の気持ちを考えたら、この言い方(内容)だと嫌な気分になってしまうかも → だから気持ちを考えて思っていることそのままじゃなくて、配慮した言い方(内容に変えよう)にしよう』の部分が薄かったり、そもそもなかったりするので(想像力の欠如)、思ったことを思ったままの言葉で表出します。

言っていることがいくら正しいことであっても、これは時としてとても無神経で相手を傷つけ、まるで気遣いがないかのように映ります。実際「そんなこと言わなくても・・・悲しくなる」と話をしたところ、返ってきた言葉は

「俺は思ったことも言っちゃいけないのか、何も言えなくなる」「俺はそうは思わないし、みんなそんなもんじゃないの?」「俺が悪いのか」

でした。私はパートナーを否定する気や、ましてや攻撃しているつもりはまったくなく“今こう感じている”(だから、そんな言い方(内容)はやめてね)を伝えようとしただけです。

一つ、かなり特徴的なエピソードがあります。何年か前に、離れて暮らす実家の母が突然亡くなりました。あまりに突然だったこともあり、うまく悲しみの感情(現実)を受け止めることができず、泣きたくても涙が出ないという、自分に違和感を抱えたまま数日を過ごした後、帰宅しました。

パートナーに母が亡くなって悲しくてたまらないことなどを話しました。返ってきた言葉は、

「一般的に親は子より早く死ぬものだし、生きていれば皆いずれ死ぬものだ、なのにそんなに悲しむのはナンセンス」

でした。間違っていません・・・。むしろ正しいです、感情的な部分を考えなければ。

医学が発達していても今のところ人類の死亡率は100%ですし、一般的に子よりも親が先にお迎えがくるものでしょうから間違いではないのです。しかし、現実に照らし合わせた時、間違っていなくても肉親を亡くしたパートナーに対して掛ける言葉としては不適切です。何故なら、その言葉には“思いやりや気遣い”という共感や寄り添いが感じられないからです。

自分に肉親を亡くした経験がなくても『突然肉親を亡くしたら自分ならどんな気持ちになるだろう?きっととても悲しい気持ちになるだろう』と“想像”し、無意識にその気持ちや悲しみの感情に寄り添おうとし、労わりの言葉を掛けるのが一般的です。

あれは彼なりの励まし方だったのだろうか・・・と今なら少しわかるような気がします。でも当時はトドメを食らったように感じ、悲しい気持ちに寄り添ってもらえなかったことで「そう・・・だよね」と返すことしかできず、独りでズタズタになっていました。(母を亡くした悲しみと、その悲しみをわかってもらえなかった悲しみから孤独感倍増)

その頃には

『彼は共感することや気持ちに寄り添うのが苦手なんだから、それを求めてはダメなんだ』とわかってはいたはずなのに、

です。どこかで『この悲しみはわかってくれるだろう』という一般尺度での思い込みがあったからに他になりません。

これは最大の出来事ですが、ここまで至らない些細な出来事は日常的に起こりました。

徐々に心が擦り減り削られ乾いていき、自分の感情や気持ちを表すことが怖くてビクビクするようになり、周りには多くの人がいるのに、一番わかってもらいたい人にまったく伝わらない、わかってもらえない悲しみやもどかしさ、自分の伝達能力の無さを感じ、孤独感と絶望感を募らせていきました。

知人に〇〇なことがあってツラかった、と話をしても「男の人ってそういうデリカシーがないとこあるよねー、ウチの旦那だってさ・・・」に持ち込まれ、どこかで『いや、根本的に違う』と思っても、理解されないことを痛感しました。唯一、アスペルガーのパートナーがいる、過去にアスペルガーとお付き合いしていたという友人二人だけがわかってくれ、精一杯寄り添ってくれたことで本当に救われました。彼女たちがいなければ今の私は当然なく、完全に自分を見失い、自信を失くし、アイデンティティーの崩壊にまで行き着いていたかもしれません。

アスペルガーの特性である【共感がない】【感情に裏付けされた情動的な関わりが難しい】【無神経な言動で傷つけられる】などから、それらをまとめて表す言い方で“心の目が見えない”と言われることもあります。自分の中でなんだかストンと落ちた気がします。

パートナーがアスペルガーであること、そしてその特性は簡単に“理解する”“納得する”などと言えない面があると思っています。自分の中の今まで当たり前だと思っていたことがいとも簡単に崩れ去り、自分にまったく自信が持てなくなりますし、答えのない問いが常に頭の中にあることで疲弊していきます。

実際、私は現実感を感じられず、普段見慣れているはずの何気ない風景がモノクロにしか見えなくなったり、希死念慮(死にたくなる気持ち)なんてこれっぽちもないのに、気がつくとホームから足を踏み出していて(離人感)、しかも覚えていない・・・自分を自分と感じられず、自分の存在が透明になってしまったかのように感じたり、を経験しました。

あの頃の記憶の詳細を思い出そうとすると、しばらくは強い目眩や頭痛を覚えていました。今でも記憶が曖昧で靄がかかっているような感覚があります。

こうして自分のカサンドラを振り返るのは初めてです。

パートナーには「君は物好きだ、そんなんじゃ普通は面倒になるもんじゃないの?」と笑われますが、どうしてか悲しくなることはあっても嫌いになることはありませんでした。

自分の感情の出どころを「これは依存なのか恋愛なのか?」と客観視し、依存ならば互いのためにならないので私自身の気持ちの折り合いをつけ、離れていかなくてはいけないとひたすら自身と向き合いましたが、“パートナーと別れる”ことで私の中に引き裂かれるような痛みと悲しみ(要するに失恋)の感情は生まれても、“不安”はまったく生まれないことに気付き、これは依存ではないと判断しました。

何より、私はパートナーを大切に思っており、どんなことがあっても変わらぬ位置で変わらぬ想いで寄り添って共に生きていきたい、という気持ちが強かったので、必死でアスペルガーという摩訶不思議で厄介だけど魅力的な生き物(笑)を理解しようと努め始めました。

なぜそのような認知になるのかを考えること、コミュニケーションのコツや言葉ではなく行動に目を向けること、人より数倍脳が疲れやすいことから、一人っきりで過ごす時間が絶対に必要なこと、曖昧な表現は避けること、いきなりの予定変更など負担をかけることを減らすこと、理解できない妙なこだわりがあってもなるべく尊重する、あるいは見守ること・・・。

私自身、切り替えも消化も早く、比較的ポジティブ寄りなことと友人たちの助けもあって、折り合いをつけてからのカサンドラ状態からの回復はとても早かったように思います。

正直今でも時々、自分が弱り気味の時はフラフラ〜っとカサンドラに引っ張られそうになることはあります。

でも、もう大丈夫。

自分を見失いそうになる不安や、絶望して孤独感に苛まれることはありません。ひたすら堕ちていきそうな時でも、自分の気持ちを自分で立て直すレジリエンス力が備わってきたようです。

カサンドラ状態の時は、はっきり言ってとても辛かったです。二度とあのような思いはしたくありませんし、絶対にあの状態に戻りたくありません。

カサンドラ状態を脱出することは難しいと思っていますが、一人で抱え込みがちなカサンドラの人は、理解者と寄り添ってくれる誰かがいないと心が干からびていくことになり、孤独感を募らせますます辛くなってしまいます。

この本は私もボロボロになるくらい読み込みました(笑)定型と言われる女性(共感や寄り添いを求める)が読むと、かなり理不尽に感じる内容だと思いますし、気持ちの折り合いを付けるのに却って時間がかかるかもしれません。

【アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得】ルディ・シモン著/スペクトラム出版社

この本ではパートナーが男性という設定で書かれていますが、反対に置き換えても十分に『ははーん、なるほどね・・・』と腑に落ちる内容だと思うので、参考にしてみてください。

次回の連載最終回は、私のパートナーにじっくり聞き取りをしながら、当時の荒れた気持ちや拒否感情から、今現在アスペルガーの受容に至るまでの彼の心の変化を書いていきたいと思います。(10月21日月曜日予定)

パートナーはASD<連載①>:【アスペルガー疑惑編】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回から3回の連載コラムとして、

【私自身の実体験】

を元に、<パートナーのアスペルガー疑惑>、<カサンドラ愛情剥奪症候群>、<パートナーのアスペルガー受容>という順で、その一連の出来事を書いていこうと思います。

彼本人からの「書いてみたら?」がなければ、このコラムに掲載することはなかったと思います。

ではその初回として<パートナーのアスペルガー疑惑>についてです。

紆余曲折ありながらも6年の付き合いになる私のパートナーは知的にとても高い【ASD孤立型】です。もちろん、アスペルガーの“三つ組の特性”は持ち合わせていますが、色濃く表れている特徴と比較的薄い特徴があります。

宿泊先で“ジャケットから持ち物をデスクに出す”時に、毎回同じ並びできちんと揃えられていることが最初のほんの小さな違和感でした。

普段から人の行動や言動を細かく観察する職業癖がなければ『几帳面でキレイ好きなんだな』としか映らなかったと思います。当時を振り返ると『よくあの数々の修羅場を越えて今があるな〜』と思うほど、自分が心理士にもかかわらず、それはそれは壮絶なバトルが繰り返されていました。

付き合いが長くなるにつれ、私の違和感が増えると同時に彼の地雷(笑)を踏むことが多くなり、その時思ったのが『この人、どこに地雷があるかわからない。というか、地雷原?の地雷に常に足を載せている感じ?』という凄まじい緊張感でした。

何か気持ちの行き違いが起こるような出来事があった時、『なぜわからないの?わかってくれないの?なぜ?どうして伝わらない?』という感情的なスレ違いが起こると、考えや気持ちを互いに出し合ったり、擦り合わせをすることで相互理解を深めていきたいと思う私と、「そもそも他人と理解し合うことは不可能(ある意味正しい)なんだから、そんな努力は無駄でありナンセンス」と言う彼との間には当然軋轢が生まれるわけです。

真っ向から対立し感情的なぶつかり合いが発生し、私はひたすら気持ちの交わし合いがないことで心を削られ疲れ果て、彼は彼で「思ってもみないことを言われた」ことで、自らを責められている、否定されたと理不尽を感じ、激怒状態になり、険悪ムードが漂うことになります。

また、これも特徴ですが『感情的にまくし立てられたと(彼自身が)感じると、脳が言い返す言葉を探すためフル回転状態になるか、言い返す気すらすっかり失くしてしまう』ので、一切何も話さなくなるのです。表情は固定され、まるで能面のように、何を話しかけてもまるで届いていない(無視とはまた違う空気)感じです。

結果、最悪な空気からパッタリ連絡が取れなくなる・・・を何度も繰り返してきました。これは彼なりに乱れた心や気持ちを落ち着けるための、俗に言われる“クールダウン”の時間だったようです。その時間は数ヶ月に及ぶこともありました。

もとより、不快感情以外はあまり表に出さず、表情豊かなほうでもなく且つ眼光鋭い彼は“拒絶モード”に入ると、息をするのも憚れるほどピリピリの緊張感を醸し出し、「話すな、触れるな、近寄るな」全開で、何度も起こる感情の衝突で「君とは相性が悪い、別れよう」と話されたこと数え切れず・・・。

ひとつのエピソードですが、ある日鯉のいる池で一緒に餌をあげていたことがありました。離れた場所で鯉に餌をあげている彼の表情は、眉間にシワを寄せ、物凄く不快そうに見えました。『本当は嫌だったのかな、やりたくなかったんじゃないかな』と少し後悔だったのですが、実もとても楽しかったようなのです。

あの表情の裏にある思いを聞いてみると『子供の頃、おばあちゃんに近くの工場の中にある池によく連れて行ってもらって、鯉に麩をあげてたなぁ、あの頃は楽しかったな。池を作って毎日鯉に餌をあげる生活もいいなぁ』と、懐古しながらとても穏やかな気持ちだったそうです。

表情と感情(内面)が伴わないことがある、とされるアスペルガーらしいエピソードです。

さて、そもそも“相性”とは何だろう、価値観や人生観とは違う?と、私は負のスパイラルに突入し、答えのない問いに悩みました。猫をとても大切に飼い、一見他者に対しても優しくないわけではないのに、共感性が低く、感情や気持ちに寄り添えない彼を、そして感情を表現するのが苦手な彼をどうしても理解できず、当時の私は「どうして?」「なぜ?」をひたすら彼にぶつけていた記憶があります。

出会ってからのさまざまな違和感や、何かが起きた時の彼の認知の仕方や行動を総合し、自分のアンコンシャスバイアス(思い込み・自動思考)ではないか?と重ね重ね慎重に確認したところ、ひとつの結論に辿り着きました。

しかし、また私はここで、決定的な間違いを犯します。

ただでさえ拒絶モードに入りやすくなっていて、二人を取り巻く状況が良くないことをわかっていながら、私は彼に

アスペルガー関係の書籍と手紙を送り付けた

のです。

当然彼からすれば青天の霹靂で、激怒を通り越して憤怒の様相で「何を根拠に人を障害者呼ばわりするんだ」「親からも誰からも言われたことがないのに勝手に障害者扱いしやがって一体何なんだ、この野郎」と、それはそれは恐ろしい剣幕で取りつく島もなく一切話ができない状態に陥りました。思い出すと今でも背中に冷や汗が流れます。

最悪なタイミングで最悪な特大地雷を踏み抜いてしまった

のですから当たり前ですよね。

なぜそんな行動に出たのかを思い返すと、二人がうまくいかないのは、認知の違いがあるアスペルガーが原因ではないか?ということを何とか彼に知らせたかったのだろう、と思います(←小さな親切、大きなお世話)。と同時に無意識に『もうどうなってもいいや』という気持ちもどこかにあったのかもしれません。

その後、辛うじて細々と付き合いは続いていましたが「どうせ一緒にいても君は俺を“アスペルガー”として見ていくんだろ」とも言われましたし、心身ともに強く拒絶されているのがありありとわかり、まるで薄氷を踏むような時期でした。

私の小さな違和感からパートナーのアスペルガーを疑い始めたのは、出会ってお付き合いを始めて1年が経つ頃、感情的な交わし合いができないことから不安を募らせ、行き違いから衝突が増えたのは2年経った頃でした。

そして決定的な出来事である、書籍送り付け事件が起こります。

次回は、感情的な交わし合いがうまくいかないことから私に起こった、カサンドラ愛情剥奪症候群について書いていきます。(10月16日水曜日予定)

発達障害:ADHDとASDの共通点と相違点

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

今回はADHDとASD(自閉症スペクトラム)の両発達障害を“共通点”と“相違点”からみていきたいと思います。

ここでは<こだわり><不注意><衝動性><パニック行動><整理整頓>の5つの項目でみてみます。

         <こだわり>
【共通点】
興味関心があることには熱中(過集中)し、時間が経つのも忘れてのめり込む。

【相違点】
ASDは同じ動作を繰り返す、決められた手順が安心する、匂いや肌触りなど特定の感覚刺激に強いこだわりを持つが、ADHDにはない。
          <不注意>
【共通点】
忘れ物をしやすい、物を失くす、気が散りやすいといった不注意の表れ方が似ている。

【相違点】
ADHDは忘れっぽい特性から忘れ物をするが、ASDは一つのことに捉われ、その他が抜け落ちやすいことから忘れ物をする。
          <衝動性>
【共通点】
TPOにそぐわない失礼な行動、言動をする、大声を出す、話に割り込む、会話に被せて自分の話をするなどがある。

【相違点】
ADHDはわかっているけど衝動的に言ったり、行動に移してしまうのに対し、ASDは「他者に失礼なことをした、言った」という認識がなかったり、あっても薄い。不安や恐怖を感じるとパニック(脳内大混乱でも行動として表に表れない人、言葉にすることができず、ただただ無言になってしまう人もいる)に陥りやすい。
        <パニック行動>
【共通点】
自分の思い通りにならなかったり、予想外の出来事に対してパニックや癇癪を起こす。

【相違点】
ADHDはすぐにキレることや癇癪を起こし、感情をストレートにぶつけてくることが多いのに対し、ASDは言われた内容や特定の音、強い光、騒がしさなどに瞬間的に反応したり、急な予定変更や想定外の出来事に対処できず(脳内キャパシティーオーバー)パニックを起こす。
         <整理整頓>
【共通点】
他者から見てどちらも一見散らかっているように見える。

【相違点】
ADHDは無秩序に散らかっているので、どこに何があるのか自分ですら把握しておらず、しょっちゅう物が行方不明になっては物を失くし、脳内もさまざまな情報が散らかっている。ASDは、一見無秩序に見えても“自分だけがわかる”秩序の中で散らかっているので、その中にある必要な物の場所はしっかり把握している。

また、ADHDとASDを重複して持っている発達障害の人も多いので、“〇〇はADHD、△△はASDから”のように、人によって多種多様で複雑な表れ方をします。片付けられないからASD、すぐにキレるからADHDとは限らないのです。

どちらからの特性が表れているのかによって取れる対策も周りの対応策も変わってくるので、気になる人はきちんと【大人の発達障害】を診ることができる専門病院やクリニックで相談、心理検査(成人はWAIS Ⅳ、17歳ぐらいまではWISC Ⅳ)を受けてみることをお勧めします。あるいは国立障害者リハビリテーションセンターの【発達障害情報・支援センター】で相談窓口を検索できます。

幾つかの共通する特徴を持つ『自閉症』『高機能自閉症』『アスペルガー症候群』を【広汎性発達障害】と呼び、同一線上にある“連続体”という捉え方から、昨今『自閉症スペクトラム』という呼び方をしています。一方で“自閉症”という単語が含まれていることから「わかりづらい」「誤解を招きやすい」「説明しにくい」「違和感がある」という声もよく聞かれます。こうしたことから、今後このコラムでは自閉症スペクトラムという表記ではなく、【アスペルガー(ASD)】という表記に統一したいと思います。

全3回:『なぜできないんだろう?』の正体 ③

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

前回に引き続き、発達障害全3回の最終回、今回はASD<自閉症スペクトラム(アスペルガー)>についてです。

ASDは次の3点が特性として表れ、“三つ組みの特性”とも言われています。

【社会性/対人相互性】
人との関わり方に特徴が表れやすい。

【コミュニケーション/意思伝達】
認知面から他者との間にズレが生まれやすい。

【想像力の障害、反復的で常同的な行動様式】
他者の思いや感情を自分に置き換えて考えることが苦手で共感が困難、こだわりが強い。

また同じASDでも、①積極奇異型、②受動型、 ③孤立型、 ④尊大型、という4タイプに分かれ、ベースには前記の三つ組の特性は持ちながら、一見まったく違うように見えます。

よく聞かれるのが『浮いている』『変わった人』『つかみどころがない』『何を考えているのかわからない(ミステリアス?)』『話し合いができない』『キレやすい』『すぐに黙る』『こだわりが強い』『他者視点がない』『融通が利かず面倒くさい』などです。

<得意なこと>

  • 興味関心のあることへのズバ抜けた集中力(過集中)。
  • 感情に流されない論理的思考。
  • 粘り強く取り組む姿勢。
  • 芯を曲げない強さ など。

<苦手なこと>

  • 臨機応変。
  • 他者感情に寄り添うこと。
  • マルチタスクが求められること。
  • 場の空気に見合った言動、他者視点を持ちづらい など。

社会生活において起こりやすいトラブルとしては、認知(感情の持ち方、考え方、物事の捉え方)の偏りからと社会性の障害から、他者の表情や視線、身振りといったノンバーバル・コミュニケーションが苦手、他者視点を持ちづらいので、空気が読めない、無礼不躾な人、と誤解を受けやすいようです。また、共感を持ちづらい人も多いので、人間関係に躓きを起こしやすいようです。

認知の偏りが人間関係に及ぼすケースが多く、ADHDのように“忘れっぽいからメモ”、“気が散りやすいからパーテーション”といった具体的な対応策が当事者、周りの人たちが共に取りづらいのが現状です。

その中でも対応しやすいと思われることを幾つか記します。

ちゃんと、きちんと、適当に、しっかり・・・といったファジーな言い回しは避け、具体的に明確にひとつずつ指示を出す。

場に相応しくない言動があった時は、闇雲に責めたり、間違いを指摘するのではなく、『君自身はそう感じなくても他者は君の発言(行動)を◯◯のように感じてしまうものだから、誤解を避け、印象を悪くしないために◯◯という言い方(行動)が好ましい』などと感情的にならずに伝えることが大切です。

 イヤーマフ
   デジタル耳栓

多くの情報の中から不必要な情報にフィルターをかけ、自分に必要な情報だけを取り出す能力を選択的注意と言いますが、ASDの人はガヤガヤした環境にあるとすべての音が同じように耳に入ってきてしまうため、必要な情報に集中することが難しくなります。ADHDの項でも書きましたが、イヤーマフやデジタル耳栓がとても役立ちます。

安定したものや規則性に安心感を覚えるASDは、素早い発想の転換や急な予定変更はとても苦手です。前もって予定を伝えるのはもちろん、予定が変更になりそうな時にもできる限り早めに伝えることや、先の見通しが立ち、予測しやすいような状況を整えておくことが安心に繋がります。

自らのルールやコモンセンスを持ち行動している人が多いASD、気難しく頑固者に見える反面、独特の認知を持つ人が多いこと、突き抜けたセンス(芸術面、運動など)を持つ人も多いことから、興味関心のあることにはズバ抜けた能力を発揮し、カリスマ経営者、学者、スポーツ選手などにもASDが多くいます。

今回はADHDとASDについて簡単に書きましたが、これだけでは到底語り尽くせず、発達障害はこれだけでもありません。機会を作り、発達障害についてはより詳しく書いていこうと思います。

全3回:『なぜできないんだろう?』の正体 ②

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

全3回の2回目はADHDについて書きますが、その前に、 発達障害全般について無用な偏見や誤解を避けるため下記のことを念頭に置いてください。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

それでは本題です。ADHDの得意なことや苦手なこと、そして対処例を記したいと思います。あなたの周り、あるいはあなた自身に思い当たる時は参考にしてみてください。

【ADHDとは】多動性注意欠陥障害
特長:多動、注意欠陥、衝動性

多動:行動面の多動は大人になると薄くなるが、いろいろな考えが次から次に浮かんでまとまらないなど、頭の中の多動(散らかり)は残り、話を始めると止まらない、話が跳ぶなどの症状として現れる。

注意欠陥:集中力散漫、ひとつのことに注意を向け続けることが難しい、忘れっぽい。

衝動性:感情や行動をコントロールできず、衝動的に行動したり、後先を考えない言動をしたりする。

<得意なこと>

  • 興味関心があることには集中力を発揮する。
  • 固定観念に縛られず発想が柔軟。
  • 行動力がある。
  • いきなり閃いたりする。
  • 独特の発想や感性を持ち、考えることができる。

<苦手なこと>

  • 単純作業の繰り返し。
  • 集中力の持続を要する興味関心のない作業。
  • さまざまなルールが課されること。例)〆切など厳格な期限を求められることなど。
  • マルチタスクを求められる作業。例)調理や電話応対など。
  • 物事の優先順位がつけづらい。

以下はADHDの人が現実に職場などで直面しやすい代表的な事例です。多動、注意欠陥、衝動性からどのようなことが起こっているか具体的に挙げ、対処例を記します。

▶︎段取りが上手くいかない:優先順位がつけづらく、マルチタスクが備わっていないため、複数の仕事を同時進行で取り組もうとすると、すべてが中途半端になってしまう。

  • やらなくてはいけない仕事を明確化、付箋などに優先順位を書き出し(自分だけでなく先輩や上司にも確認してもらう)見やすい場所に貼る。終わったら消す(剥がす)。
  • パターン化できる仕事内容はパターン化する。

▶︎整理整頓が苦手でモノを失くす:注意欠陥からくる忘れっぽいことに起因。整理整頓した場所自体を忘れてしまうこともある。

  • しまう場所を決め、目印をつけてわかりやすくする。→しまった場所の見える化。
  • 保管場所を一覧化し、わかりやすい場所に貼る。→保管場所の見える化。
  • 定期的に整理してモノを増やさない。
  • 書類やメモはデータとしても残しておく。

▶︎報・連・相のタイミングがわからない。

  • 報告、連絡、相談の内容をメモして相手のデスクに置いておく。
  • 報告、相談をするタイミングを予め定期的に決めておく。

▶︎集中力が途切れやすい:多動と注意欠陥からくる特性。

  • パーソナルパーテーションでデスクを取り囲む。
 デジタル耳栓
イヤーマフ
  • イヤーマフやデジタル耳栓などで外界音をソフトにシャットアウトする。イヤーマフなどは特定の周波数をカットするので、多少こもるが人の声は聞き取りやすくなる。
  • 40分仕事をしたら5分休憩など、仕事のスケジュールにはメリハリのある組み方を考える。

▶︎話を被せてくる、脱線する:衝動性と多動からくる特性。

  • 「話し終わるまで◯分待って下さい」「話を元に戻します」などわかりやすい言葉で注意を促す。

まだ語り尽くせていませんが、一旦終わります。またの機会により詳しく書いていきたいと思います。

次回はASD<自閉症スペクトラム(アスペルガー)>について書こうと思います。