綺麗事では生きていけない

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

生きづらさを感じ「なぜ僕はこんなにポンコツなの?生きてるのがつらい」と泣くこともある、発達障害重複持ちの息子を育てている一人の母親として、“発達障害はハンデにならない”、“個性的なことは素晴らしいこと”などと聞くと、正直なところ「なに無責任に綺麗事言っているんだか」と思ってしまいます。

多様性を叫んでもイマイチ理解が進まない日本ですが、百歩譲って“個性的なことは素晴らしい”は良しとするにしても、日常生活でかなり困り感があり、時間管理がガバガバで先の見通しが立てられず、狭い範囲ですらしょっちゅう物がなくなり、ヤル気が起きないことは先送りして結果忘却の彼方へ追いやられ、自室やバッグはカオス。実行機能の弱さから、計画立案は得意でも途中で放り出すか、そもそも実行すらしなかったり、独特の認知から傷つきやすさを常に抱え、冗談も通じない・・・感情的になりやすく人間関係に問題を抱えがちです。

これのどこが『ハンデにならない』なんて無責任なことを言えるのでしょうか?

特別支援や個別配慮をしなくてはならない発達障害特別支援法があっても、現実の教育現場では教師の仕事量は増加の一途を辿り疲弊、正しい知識や理解が足りず圧倒的に人員も足りていません。増え続ける発達障害児やグレーゾーンに対し支援級は足りておらず、授業を抜けて校区を跨いで支援級に通級しなくてはいけない現実。

社会に出ると言わずもがな手帳がなければなかなか個別配慮には繋がりません。たまたま職場や人に恵まれ配慮してもらえることもありますが、それは幸運なケースだと言えます。自分の特性を理解し受け入れていなければ、口頭や文書でも配慮をお願いすることすらハードルが高く、コミュニケーションに課題があるとそれを上手く伝えることも難しいのです。

抽象的な理解が苦手でマルチタスクに対応できないので指示は具体的に一つずつお願いします、と伝えなければ、当たり前に大多数の人が出来るであろう抽象的な伝え方でマルチタスクを活用しなくてはできない仕事の指示を与えられます。それで何度言われても出来なければ、残酷にも「使えない」「使いにくい」「だらしない」「無能」と陰口を叩かれ、パワハラ体質な上司や組織だと面と向かって言われるかもしれません。退職へと追いやられることも考えられます。

常に生きづらさがある息子は「ハンデにはならない」なんて「何の慰めにもならない、余計惨めになる」と怒りを爆発させていました。

根拠のない自信には満ち溢れているので自己評価は高いくせに自己肯定感は低めの息子に、普段から否定的なダメ出しはしておらず「頑張っても出来ないことがあるのが発達障害、でも苦手なことでもやらなきゃいけないことはたくさんあるよね。じゃぁどう工夫すれば出来るか、やりやすいか一緒に考えようか」と話し、一緒に考えています。

15日日曜日はお盆のためコラムは休載します。次回は20日金曜日からの掲載となります。

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毎日何かに困っている、困らない日はない

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

よく言えば『おっちょこちょい』『天然』『好奇心旺盛』でムードメーカー。悪く言えば『時間や約束を守れなくてルーズ』『片付けられなくてだらしない』『面倒くさがりで怠惰』と周りから困り感がわかりやすいADHD。

よく言えば『ミステリアスでマイペース』『自分に正直』。悪く言えば『空気を読めない』『共感がなく直球過ぎる物言いが人を傷付けたり不愉快にさせる』『字面どおり受け取り冗談が通じなくて面倒くさい』『マイルールがあり、理解不能なこだわりがある』というASDでは、同じ発達障害でもひと言では括れません。

本人はもちろんですが、周りの戸惑いや困り感の“種類”がまったく違うので、

何より大切なのは確定診断ではなく、【自分の脳のクセを知る】ことです。

本人が脳のクセを知り理解することは、どのような困り感がどんな場面で表れるのかがわかり、工夫対処しやすくなると同時に周りの人たちに協力や配慮をお願いしやすくなります。

発達障害は“ASD”だけ、“ADHD”だけ、のような単体は実は極めて少なく、LDや協調運動障害を持ち合わせていたり、ADHDにASDが加わって重複しているケースがほとんどです。

そして忘れてならないのが、強く表れている特性もあれば“風味”程度にしか表れない特性もあるということです(だからといって“特性がない”わけではありません)。同じ診断名でもグレーでも人の数だけ多様な表れ方をするのが発達障害です。

本コラムでも何度かお話しているように、表面だけを見て“片付けなくて散らかっている”でも、ADHDからくる特性かASDからくる特性かでは、その理由も対策も変わってきます。

要領が悪く並外れて不器用、究極に面倒くさがりで生きていくのが大変そうな息子を見ていると、興味関心がある物事以外はどれほど自分にとって重要であっても、取り掛かるハードル自体がとても高いように見えます。

その一端を紹介すると、使った食器を洗うために茶碗、お椀、グラス、最後に皿と箸と食べ終わる度にキッチンを忙しなく何度も行き来して運びます。いつも大きなトレイに載せて食べているので(いろんなものをひっくり返すので被害を最小限に止める目的と対策)、食べ終わったらすべての食器をトレイごと下げれば合理的で一度で済むのですが・・・。

行動すべてが雑で不注意が服を着て歩いているような息子は、動く度に躓く、何かを引っ掛けて落とす、ひっくり返すことが日常です。気の進まない、やりたくないこと、やっている何かを途中で中断しなくてはいけないこと、楽しくないことは本人にメリットデメリット関係なく、漏れなく『面倒くさい』に分類されます。それでもその面倒をやるうちに、今度はそれまでやっていた作業や、やらなくてはいけない作業を忘れてしまいます(読みかけの本をしまう、畳んだ洗濯物を片付けるなど)。

日々やることをルーチン化しよとしても、それが本人にとってどうでもいいことだったり面倒さを伴い、気が進まないことだと定着しません。その典型的な例が薬の服用です。もう小学生からずっと服用しているので、習慣になっていてもおかしくないのですが、未だに定着していません。なので、服薬管理は今でも100%私がしています。服薬させるためにいろいろと試行錯誤した結果、今は朝の小皿と夕方の小皿を用意し、服用する薬を1日分ずつ出しておくこと、でした。にもかかわらず、毎回数度の声かけと「間違わずに飲んでね」は必須です。

1日にしている数え切れない声かけを減らし、自分で気付いてできることを増やしていかなくてはいつまでも他者頼みのままです。しかし、服薬管理だけは飲み忘れから副作用が出やすく体調悪化に繋がるのと「できないんだからお母さんがやってあげるしかないでしょ?」という主治医の言葉で“仕方なく渋々”やっている状態です・・・。

大人になるまでに、どれくらいできることが増えるでしょうか・・・。

言わなくては定着しない、繋がらない。言い続けても定着するかどうかわからない。

要するに“当たるかもしれない宝くじ”みたいなものですね。常に脳の活性化ができてボケなくて済みそうです(笑)

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中学生ADHD息子我が家対策

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

中学生の息子はADHDであることは度々書いてきました。今回は我が家ではどう対策しているのかを書こうと思います。気付けば随時アップしていきたいと思います。

《できないこと》

●ゴミをゴミ箱に入れらない
→ 対策とにかくゴミ箱を大きく。
『いつもアナタのお側に計画』で、ダンボールにビニール袋をかけ、行儀悪いけれど、どこから投げても入るように工夫。何を食べる時も専用トレイを使用。(ゴミはトレイに、トレイを片付ける時に側にゴミ箱)

●ないない、いつも何かを探し中
 対策:とにかくボックスとキーファインダー導入。
帰宅したら、とにかくボックスに何でも放り込む。そこを探れば必要なものは大概出てくるはず。スマホ、自宅鍵、自転車鍵、定期入れ、メガネケース、財布にはキーファインダー(受信機)を貼り付けor装着。リモコンを押せばどこかで鳴る(光ってバイブ機能も有り)。リモコンは失くさないためにドアノブに吊るしておく。

●時間管理ができない
→ 対策:減っていく時間を視覚化。
減っていく時間を視覚的に確認できる“ドリテックアナログキッチンタイマー”や“タイムタイマー”を冷蔵庫に貼り付けも含め、いくつも配備。デジタルですが、普通のキッチンタイマー以外にスケジュールに応じて時間や日をカウントアップ・ダウンが設定できる多機能タイマーを活用。今は学校の中間や期末の試験日や受験日をメモリーし、カウントダウン(残り◯日)を設定して使用中。

●使ったタオル・バスタオルを広げて干せない
→ 対策:手間の少ないピンチハンガーを活用。
両端にピンチがあるピンチハンガーに止めるだけ。

●洗濯物をたためない
→ 対策:ハンガーやフックを活用。
掛けられるものはすべて掛けてパイプハンガーに。肌着類はたたまずそのまま大きなカゴにぶちこみ、S字フックで吊り下げ。

●しまった(見えなくなった)途端、失くなる
→ 対策見える化収納が基本。
一度しまったり、何かの下になって見えなくなった途端、対象物は“失くなった”ことになることが多々。例えば、文房具。ハサミ、のり、テープ、コンパス、定規、ペン類などは、分類してもぐちゃぐちゃになるので、透明ボックスにこれまたぶち込んでおく。そこを探せば見つかる状態に。

●服薬管理
→ 対策:見やすい場所に出しておく。
我が家ではお茶を飲む冷蔵庫前の棚に1日分づつ朝・夕と小皿に出しておく(「クスリ飲んで!」の声がけが必須ですが)

中学生なのでこんなものですが、社会人ともなればさまざまな手続き書類や請求書、大事な仕事の資料に通勤服、通勤バッグの中の管理、ゴミの分別や収集日のゴミ出し、選別洗濯や日用品の管理などが加わり、将来を考えただけでも卒倒しそうになります。

卒倒してても何も変わらないので、日常的に今できることを増やしていきつつ、何をどう工夫しているのか、彼のライフハック帳に記録し続け、いずれ【母からの思いやりノート】として押し付けてやろうと思っています(笑)。

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障害を免罪符にしてはいけない

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

重たいタイトルですが、そのままです。

(発達)障害を持つ子供の親として日常生活を送る中で、黒い点だったものがいつしか私の胸にモヤモヤと広がっていき、その出所を辿っていった先にあったのがタイトルの【障害を免罪符にしてはいけない】という思いでした。

重複発達障害を持つ息子は、いずれ自分に合ったライフハックを見つけ、社会生活を営むために自身や工夫しながら生活スタイルを整えていく必要がありますが、今はまだ中学生なので日常生活のあらゆる場面で声がけや配慮が必要です。

何でもできるスーパーマンみたいな人間はこの世に存在しませんが、障害故にできないこと、苦手なことが人よりも多くあり、誰かの手や声がけ(今はもっぱら親の手と声がけ)を必要としなくてはいけない場面がこの先もあると思います。

息子には早い段階で障害告知をしていて、段階的に特性を伝え、理解に繋げていっている最中です。どう頑張ってもできないことがあるのは仕方ないことですが、「そのくらいやってくれたっていいじゃん!」「僕にはADHDがあるんだからやってくれて当たり前じゃん」という言葉が出た時には思いっきり叱り飛ばしました。

サポートしてもらうのは“当たり前”ではないのです。

「配慮やサポートはやってもらって当然」この考えは(定型、身体障害、発達障害問わず)とても危険です。サポートする側が『困っている人を助けるのは人として当たり前』と考えるのと、サポートをしてもらう側が『やってくれて当たり前』と考えるのは大きな違いがあります。

「気をつけてメモを取るように心掛けていますが、忘れっぽいところや他の作業に取り組んでいる時には、他に注意が向きにくいのでひと声かけてくれたら助かります」が本来の気の持ち方だと思っているのです。これが「忘れっぽいって言ったんだから声かけてくれてもいいじゃない(声かけてくれるのが“当たり前”)」だと、誰も協力したり力になろうという気は起きません。障害があろうとなかろうとだと思います。

障害がない人でも、誰かの手やサポートを必要とすることがあります。例えば、外国人と接する時、英語を話せない場合。身近に英語を話せる人がいれば力を借りようとしませんか?その時『俺は(私は)英語が話せないんだから、話せるあなたが相手をするのは当たり前!』と思うでしょうか。大概は「英語を話せないので、ちょっとお願いしてもいいですか?」に自然と態度がなっているはずです。障害があってもこの心持ちが大切だと思うのです。

【やってもらって当たり前】

とても傲慢な考えに思えませんか?少なくとも私にはその姿勢が傲慢で偉そうに感じます。そんな態度をされたら、とても不愉快になると思います。

【共生社会】

とても良い言葉ですし、理念も素晴らしいと思います。それには障害があろうとなかろうと「お手間お掛けします」「いえいえお互い様ですから」「ありがとうございます、助かります」「何かあったら声をかけてくださいね」・・・支援や配慮を何もしたくない、と言っているわけではありません。お互いに気持ちよく社会生活を送る上で、この姿勢が何より大切なのではないか?と考えているのです。どちらかが不愉快な思いをしたり、我慢を強いられる社会は共生とは言えません。

不必要に腰を低く「申し訳ありません」「すみません、ごめんなさい」と生きろなんて、これっぽっちも思いません。

「ごめんなさい/申し訳ありません」も「ありがとう/ありがとうございます」も魔法の言葉ですが、支援や配慮に対しては「ありがとう/ありがとうございます/助かります」の気持ちが何より大切な気がするのです。所謂、【謙虚な姿勢】ですね。

恥ずかしながら私は並外れた方向音痴で、いつもパートナーには手間をかけさせていますが「方向音痴でごめんね」ではなく「いつもありがとう、助かる!」です。これが「方向音痴って知ってるんだから教えてくれたっていいじゃない/教えてくれるのが当たり前だよね」だと、わかっていてもパートナーはカチン!とくるはずです。(実際パートナーに、もし私がそういう態度だったらどう思う?と聞いたことがありますが、「方向音痴以前に人としてダメだ」と言われました)

何が違うのかというと【感謝】の気持ちを常に持っていることです。

「わかってくれて当然」「やってくれて当たり前」

どんなに関係や距離が近くても自分以外この世は全部他者です。あなたを気遣ってくれるのは、気遣ってくれる人のあなたへの“好意”や“愛情”で、それは当たり前ではない、とわかると感謝の気持ちが生まれるのではないでしょうか。夫婦関係にも通じるかもしれませんね。

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メディアは時に間違う

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今月20日まで東京では緊急事態宣言が延長され、未だ不自由な生活が続いています。コロナ疲れでは済まない生活危機に直面し、メンタルが弱っている人も多いと思います。

そんな時、某テレビ番組で女性ボーカルグループのメンバーの一人が、活動を休養しているとのことで、このほどご本人が所属する事務所の公式サイトで、『双極性障害』と『ADHD』であることが発表されました。

本コラムでも何度か取り上げている『ADHD』と聞き、関心を抱いているところですが、ここで気になったのがメディアの取り上げ方でした。

『双極性障害』は精神疾患の一つで、これは病気です。治療で完治する可能性がありますし、何らかの処方薬もあるでしょう。所謂、身体的な病気と同様、“心の病気”と言ってもいいと思います。

問題は『ADHD』の取り上げ方です。双極性障害と一緒に“病気”と表現されていることは大いに問題で間違いです。『ADHD』は発達障害で、肉体でいうところの身体障害と同じです。生まれつき視力がない、聴力がない、足がない、腕がないなどの身体障害を“病気”と言うでしょうか?言いませんね。何らかの病気が原因で腕、足を切断した、視力や聴力を失った、などを除けば、生まれつきそのような身体で生まれた人のそれを“病気”とは言いません。

『ADHD』も生まれながらの特性で、決して病気ではないのに、双極性障害と同じように病気として取り上げるのは問題で明らかな誤報です。

これで「発達障害=精神疾患(病気)」と間違った認識が広がってしまうことを危惧します。発達障害は病気ではないため、完治のための治療法や処方薬はそもそもありません。『ADHD』の特性である多動性、衝動性などを抑制する薬は存在しますが、根本的に『ADHD』を治す薬は存在しません。同じ発達障害である『ASD』(アスペルガー)に至っては、対処する薬すら存在しません。メンタルクリニックや病院の精神科にかかったとしても、その医師が発達障害に明るくない場合が多々あります。何故なら発達障害は精神疾患ではないからです。精神科医師の多くが診ているのは、そのような発達障害が原因で誘発される二次障害を診ている場合が多いのが現状でしょう。ここでいう二次障害というのは、うつ病などの精神疾患です。発達障害は二次障害を誘発しやすいのは確かですが、発達障害自体は病気ではないため治療法はありません。つまり精神科医師(心療内科医師も含め)は二次障害であるうつ病などへの治療を施し、薬を処方するに過ぎず、根本原因である発達障害のことに目を向け、対処することはほぼない(あるいはできない)のが現状です。

※精神科医と心療内科医の違い:簡単に言うと、精神科医はうつ病など精神疾患の専門家であり、心療内科医はストレスなどで誘発された身体疾患(胃痛、頭痛、下痢など)の専門家。発達障害の知識はあるかもしれないが決して専門家ではない。そもそも疾患として認められていない発達障害には対応しないことが多い。

発達障害は治療すものではなく緩和・低減するもの、と考えています。そのためには子供であれば早期の療育、大人であれば自身がまず特性を受容し、その上でどう自分自身で対策できるか、周囲の理解と配慮を得ることができるかと言っても過言ではありません。

今回の報道にあるボーカルグループの女性の双極性障害はきちんと治療すれば完治の可能性、あるいは緩和が期待できるものですが、『ADHD』は完治しません。そもそも病気ではないからです。メディアは本来、『双極性障害』と『ADHD』を分けて取り上げるべきでした。『ADHD』は身体障害者と同じように、自分自身の工夫と周囲の配慮を必要とする性格のものです。周囲に理解されず、配慮に恵まれない人の多くが生きづらさを感じ、二次障害であるうつ病などを引き起こしやすいのです。発達障害者は身体障害者のように見た目では全然わからず、そのため発達障害者自らがカミングアウトしなければ周囲にはわかりません。しかし、カミングアウトした後、会社でどういう待遇になるか全く予測ができないだけにカミングアウトしにくいのが現状です。ひょっとしたら担当を外されるかもしれない、部署異動させられるかもしれない、最悪な場合リストラ要員にされるかもしれない、などさまざまな不安要素が、発達障害者のカミングアウトを阻害しています。言わないとわからないけど、言えば不利な扱いを受けるかもしれないから言えない、というジレンマに陥っているのです。

組織にカミングアウトできる土壌がなければ、発達障害者は自分が発達障害であることを言えず、そのため過度なストレスに晒され続け、結果二次障害を誘発し、結局退職に追い込まれてしまう・・・これが日本の企業の多くで起きている現実です。今回のボーカルグループの女性も会社員ではなく芸能人という特殊な職業というだけで、本質的には多くの企業で働く発達障害者と同じく、人の何倍も生きづらさを感じ、過度なストレスに晒されていたのだろうと想像します。

もし今回のボーカルグループの女性が復帰しようとすれば、『ADHD』の点は持って生まれた個性として受け止め、周囲の理解と配慮が必要でしょう。医療でなんとかなる問題ではありません。そうでなければ、この女性は復帰した後、二次障害により再び双極性障害など精神疾患を誘発する可能性があります。それをメディアはまた“病気”として安易に取り上げることがないようにしてほしいと思います。

メディアは時に間違う

今回はこのことを痛感しました。メディア関係者には今回のボーカルグループの女性における『ADHD』の報道は明らかに誤報であることを知っていただきたいと思います。

『ADHD』を含めた発達障害は【精神疾患ではない】【病気ではない】

そのことを改めて強調しておきたいと思います。

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見過ごされる発達障害:後篇

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

後篇の今回は、前篇で見過ごされてきた子供達が大人になってどう感じたかを、成人発達障害当事者会にも出向き、聞き取り調査をしたことがあります。

  • 学校でも家でも叱られてばかりで、どこにも居場所がなかった。
  • もっと「こうすればいいんじゃない?」と(親に)一緒に考えてほしかった。
  • できないのは頑張りが足りないからだと責められて苦しかった。
  • 学校での弱音を吐きたかったのに「みんなそんなものだから」と聞いてもらえなくて寂しかった。
  • (親に)普通はできる、みんなできているのになぜアナタはできないの?と比べられてばかりで死にたくなった。
  • 普通は普通は、と親の基準で普通を押し付けられて、親の言う『普通』ができない自分はダメなんだ、価値がないと思って絶望した。
  • うまく関われないのはアナタが悪い、と言われ続けて辛かった。なぜ通級に行かせてくれなかったのか・・・

などなど、堰を切ったように苦しかった子供時代の話が出ました。

個別支援を受けても埋められない凸凹はあります。頑張ってもできないことがあるのがグレー、発達障害です。頑張る努力は必要ですが、頑張らせるだけ、頑張る努力だけを求めるのではなく、

“その子が生きやすく過ごしやすく力を発揮しやすい環境を整えたり工夫すること”を考えて、「こうしたら出来るようになった!」という小さな小さな成功体験を積ませていく、これが何よりも大切

なことです。

取り出した凸凹の一つはその子の個性だと考えますが、いくつも本人や周りに困り感がある中では「発達障害は個性」なんて耳障りの良い十把一絡げなことは言えません。

早期療育の必要性が叫ばれています。それは子供が成長し、いずれ社会に出る時のための“今できる支援”で、子供本人の生きづらさを薄めることに繋がります。

わざわざ胸を張って宣言する必要はありませんが、親が“障害”という言葉に引っ張られ、「障害があるなんて恥ずかしい」「誰にも言えない」などと思わないことです。遺伝もあると言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。

発達障害は本人のせいではなく、もちろん親の育て方のせいでもありません。

“〇〇が(も)できない人”ではなく、“〇〇をするために⬜︎⬜︎という工夫やサポートがあると助かる人”と考えるのはどうでしょうか。

誰も目が悪い人に「頑張って見るように!」とは言いません。「眼鏡やコンタクトがあれば見やすくなるよ」です。それでも見づらければ前の席に。この“眼鏡やコンタクト”が工夫で、席を前にというのが個別支援や合理的配慮と同じです。

例えば『集中が途切れやすく興味があちこちに飛んで落ち着いて授業が受けられない』という場合、掲示物が目に入りやすい廊下側の席は避ける、校庭や外の様子が気になりやすい窓側の席は避ける、そして教卓に近い真ん中あたりにその子の席を配置することが考えらます。

掲示物を整理して貼る、これが先ほどの眼鏡やコンタクトのような“工夫”になり、前記の席の配置についてが個別支援や合理的配慮になります。

今は少しずつ本当に少しずつですが、自分なりに工夫しながら頑張っているので使用していませんが、書くことが苦手がある息子は小学校高学年〜中学校1年までは板書や連絡帳はデジカメとポメラを使用していました。

子供の得手不得手からくる学校での困り感に気付き、一緒に考えながら工夫してみる、これは実に良い親子コミュニケーションになります。

成人してからグレー、発達障害の診断を受ける人が増えています。学校生活や普段の生活では見えずらかった生きづらさが、社会に出て働き始めたことや、結婚し他者と生活を送るなど、環境の変化や生活スタイルの変化の中で顕在化するようになった、からです。

5月のコラムは、5日水曜日はゴールデンウィークのため休載し、10日月曜日から掲載します。

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見過ごされる発達障害:前篇

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

母親業を14年やっているので子供の学校生活も10年近くになります。

小学6年から通級に通っていることで担任やスクールカウンセラーとのやり取りもあり、通級の授業参観や保護者会にも出向くので、他の保護者より学校に行く機会は多いかもしれません。

観察していると、クラスに3〜4人は発達グレーorバッチリ発達障害だとわかるお子さんがいるように見えます。「わかりやすい子が随分増えたな」という印象です。実際は学校不適応で不登校になっているお子さんが中学校では格段に増えているので、あくまで見てわかる範囲の話ですが。

発達障害者支援法が制定されたことで、今は特別支援体制が“言葉の学級”、“情緒級(通級)”、“特別支援級”などと学校によって名称は違うものの、校内か近郊の学校に設置されています。その結果、以前より個別支援に積極的に取り組んでいるのがわかります。

これは小学校ですが、授業中に隣の子とおしゃべりがやめられない子、机の上の物をガサガサと落ち着きなく動かしている子、まったく授業についていけておらず教科書も開いていない子、教師の質問が終わらないうちから挙手もせず話し始める子、外をボーッと夢見心地に眺めている子、キョロキョロしてまったく集中できない子、消しゴムを小さくちぎったり紙を丸めて他の子に投げてみたりする子、挙句に教室から出て行ってしまう子などがいます。

そして授業参観時、後ろでおしゃべりを止められず、担任や副担任に注意される母親や我が子の代わりに質問に答えてしまう親・・・。

保護者会では我が子がどんな子なのかを添えて挨拶と一緒に自己紹介することが多いのですが、「やんちゃで落ち着きがなく元気だけが取り柄です!」と話す母親自身が、おしゃべりに夢中で担任にも何度も注意を受けた人で、保護者会でも担任がまだ話をしている途中にしょっちゅう話を被せ、「お母さん、最後まで聞いてください、その後質問を受け付けますから」と注意を受ける・・・という場面がありました。それを見て「親子で(発達障害の)何か持ってるんだろうな」と思ったり。

親にグレーや何らかの発達障害があったり「子供はこんなものだ」というアンコンシャスバイアスが強く働けば子供の言動の違和感に気付かない場合もあるでしょう。“人の話が終わらないのに話を被せてくる”“急に話に横入りしてくる”はADHDの衝動性からよく見られる特徴です。

息子は動作の多動や衝動性からくる他害はまったくありませんが、感情コントロールの下手さ、シングルタスク、集中と不注意に課題があり、後先考えられないその場の衝動性で話を被せてくること、整理整頓ができず部屋もリュックも頭の中も散らかるタイプです。

教室から飛び出て行き授業中断、副担任が追いかける、おしゃべりが止められないなどは、学級崩壊に繋がる問題でやんちゃや落ち着きがないというレベルではないと思っています。

「子供は落ち着きなく当たり前」「子供はやんちゃなくらいがちょうどいい」と軽く考えている保護者がいる一方で、些細なやり取りから「うちの子を障害者扱いするのか!」と逆ギレする保護者もいるそうで、教師の経験値から「本人も困っているんじゃないか」と思っても迂闊に「一度発達相談を・・・」とは口が裂けても言えないそうです。これだけ“何らかの困り感”を持つお子さんが増えている中で教師の皆さんの苦労が垣間見えます。

デリケートな問題ではあるのですが、“その子に合った適切な支援”を受けることは、何より子供のためです。

「うちの子、ちょっとやんちゃなだけ!ちょっとおふざけが過ぎるだけ!おっちょこちょいなだけ、それがこの子の個性!」と思いたいのは親の勝手ですが、困り感を持ちながら学校生活を送っている子供にとって、それは親のエゴ以外の何物でもありません。体調不良であれば子供の様子や異変から早期発見し、親が率先して医療機関に連れて行くことはできますが、発達障害の場合、病気ではないのでその違和感はわかりづらく、それ故、親次第であり親の対応によって、その子の将来に多大な影響を及ぼします。親に発達障害の知識があるか、知識がなくても教師や周囲の言葉に真摯に耳を傾ける気持ちさえあれば、その子に適切な支援を受けさせることができるかもしれません。

学校への必死の働きかけで息子は小学6年生になってようやく週1回の通級(支援級)に通えるようになりましたが、通級での丁寧な個別支援がなければ今頃は今より本人の生きづらさは大きくなり、友達からも遠巻きにされクラスで孤立し不登校になっていたと思います。

“教室から飛び出して行く子”、“上の空で集中できない子”、“忘れ物ばかりで机の中がカオスな子”など、周りから見ると問題があるように見えます。問題がまったくないわけではありませんが、

問題となるのはその子にはその子の『なぜ自分は他の子のようにできないんだろう』という漠然とした困り感があったり、褒められるよりも注意されたり叱られることが多いので、『自分はダメなんだ』と自己肯定感が低くなってしまう“見えない苦しみ”があることです。

そんな子供の見えない苦しみや困り感に寄り添いながら、今のその子の持つ課題に一緒に取り組んでいってくれるのが特別支援(個別支援)です。育てにくい子を持つ親の折れそうな心にも寄り添い、子育てのエンドレスな愚痴も丁寧に聞いてくれるという“オマケ”付きです。

今月15日にこんなニュースがありました。福岡で実際に起きたことで、考えさせられました。西日本新聞記事

後篇ではどう対処していくかなどを書いていきたいと思います。

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発達障害/思春期の面倒臭さや現状支援を息子を通して考える

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

発達障害は、早期療育(支援級通級、支援クラス)や青年期になってからもSST(ソーシャルスキルトレーニング)、自己理解やさまざまな工夫により生きづらさを軽減できる対策が取れる場合もありますが、生きづらさを薄めることができたとしても生涯にわたり抱えていく“特徴”や“特性”です。

当事者の生きづらさや困り感、また、関わりを持つ周りの戸惑いや困り感は、生涯にわたり同じ表れ方ではなく、学校、職場、家庭を持つなど、ライフステージの変化でかなり違った表れ方をします。

性差や環境によっても違いますし、二次障害を併発していると表面化した二次障害の症状にばかり目が向き、根底にあるかもしれない生きづらさの原因に発達障害が関わっているかもしれないことを見逃しています。

中学2年の息子を見ていくと、集団生活が始まる3〜4歳から小学校2年生までは、“やたらミニカーを並べる”“数字に対するこだわり”“電車に対する興味”や、言語明瞭意味不明瞭と、私の感じる違和感以外、特筆すべき問題はなく、人見知りゼロ、友達関係良好、成績優秀、生活に影響あるこだわりなし、メンタル安定、生活習慣問題なしでした。

小学校3年生以降、徐々に特徴が目立つようになり、次々と特性が表面化、同時に友達関係が拗れやすくなっていきます。相変わらず成績は優秀でしたし、すべてに積極性があることから、私がさまざまなエピソードで訴えても、児童精神科に育児観察日誌を持ち駆け込むまで、遅れや何らかの障害を一度も疑われることなく、「お母さんの気にし過ぎ」「もっとおおらかに見てあげないと」と、まるで私が神経質で育児ノイローゼ気味かのように(笑)、取り合ってもらえませんでした。

小学校では提出物も少なく、低学年では何かと保護者を巻き込み確認していくプリントなどが多いのですが、学年が進み持ち物や提出物の準備、管理を自己責任で負っていく高学年〜中学生になると、小学校とは比べ物にならないくらいあちこちに困り感が増していきます。

提出物の期限が守れない→忘れやすいこと、気が進まないことを先延ばしする、「ま、いっか、なんとかなるだろう」と軽く他人事のように考えるADHD特性があらゆる場面で爆増。時間の逆算ができなかったり、時間感覚が現実と違うので、「まだ大丈夫」とのんびりまったりしてしまい、出かける寸前で慌てる、遅刻する・・・が激増。

提出物を提出しないので評価が悪くなり、テストで点数が良くても成績はダダ下がりますし、忘れ物も改善されないので、テスト以外の評価もやはり下がり気味です。“計画を立て遂行する機能”が弱いので、復習やコツコツとテスト勉強をするのは難しくなります。見ていて気付くのは、遂行/実行機能が弱くても、計画を立てることは何故か好きで、やたら綿密に細かく予定を立てます。ですが、実行機能に弱さがあるのがADHDなので、結局は“予定立てただけ”に終わります。また、やたらと高くに目標設定するクセもあるため、ここでもメタ認知(認知を認知する力)の弱さを感じます。

本人は“できる”と思って頑張るつもりで予定を立てているので、できない予定を立てているつもりはありません。

人間関係では、思い込みの強さや、他者の考えや気持ち、意見を聞いて柔軟に自分の認知や思考に修正を加えることが苦手で、独特の認知からくるコミュニケーションスタイルや、メタ認知の弱さ、共感力の低さというASDの特性から躓きが起こり、拗れを生みやすくなっていきました。

【思ったことをそのまま口に出して他者を不快にしたり傷つけてしまう】は、ASDにもADHDにもあることですが、人間関係に躓きが起きる原因では、どちらの特性が強めに表れているのかで対策が変わってきます。

息子のように重複だと複雑なのですが、ADHDの特性として強く表れると、

▶︎思い付いたこと、思い出したこと、話をしていて引っ掛かった(気になった)キーワードから「今すぐ話したい」という気持ちが抑えられなくなり、他者を不快、怒らせてしまう言い方を“わかっているのに”話したい気持ちを我慢できずそのまま衝動的に口に出してしまいます。

ASDの特性として強く表れると、

▶︎共感力とメタ認知が弱く「今これを言うと場にそぐわないかも」「この言い方だと傷つけてしまうかもしれない」「この人に失礼にあたるだろうな」を考えられません。もちろん、パターン化して学習していく力はあるので、上手く「こういう場ではこう言うのが正解だろう」と学ぶと、よほどパターンが違わなければそれなりにやっていけるようになります。

「思ったことは何でも(他者感情を考慮できず)口に出す」素直さが、時として他者を愕然とさせたり、周りを凍りつかせることになるのですが、本人は「間違ったことは言っていないんだけど」と思っているケースが多く、何故指摘されたり叱られるのかわからず、理不尽を感じて不満を募らせていきます。

他者の見えない感情や思考まで考えて、相手のことを慮ったタイミングや言葉を選びましょう・・・は、とても難しいものですし、「何故そんなことまで考えて話さなきゃいけないの?」とも思うのでしょう。

人間は言語を意思疎通のコミュニケーションツールとして使い(仕草や視線、表情などノンバーバルコミュニケーション含む)、そこに共感(と感じる)や寄り添い(と感じる)を感じ取ることで、親しみを持ったり信頼を築く土台になっていくものです。言いたいことを思ったまま口に出すことを一概にいけないこととは言いませんが、『自分勝手』『思いやりがない』『ワガママ』と誤解を受けやすくなるので、社会生活をする上で自分にとってはプラスに働きません。

小学校6年生から今も通級に通う思春期真っ只中の息子は、定型思春期でも面倒臭いのに、発達障害のややこしさがプラスされてなかなか一筋にはいきません。

家庭ではまだまだ課題山積のように見えても、あれほど学校生活で問題が起きていたことが中学2年になるとメッキリ減りました。本人の成長があるのはもちろんですが(発達障害は発達しないのではなく、発達がゆっくり、言えます)、通級という形で個別指導を何年も受けていることも他なりません。

ASDでは特に弱いさまざまな認知機能やコミュニケーション(アサーションにも取り組んでいます)、ADHDでは思考の整理の仕方や忘れ物対策というライフハックを個別指導してもらっています。

発達障害がなくても大変な思春期、発達障害があると思春期はかなり大変です。二次障害を併発してしまうのも多くはこの時期です。

ようやく思春期の大きな山を一つ越えたところですが、まだ次の険しい山が見えています。特別支援を受けられるのはほとんど中学3年、つまり義務教育まで。中学校卒業まで残り1年と少し。どんなにぶつかり合っても、丁寧にしっかり息子に寄り添いながら、家庭療育にも取り組んでいきたいものです。

11月25日水曜日はコラム掲載日ですが、所用のため休載します。次回掲載は11月30日月曜日です。よろしくお願いします。

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視点を変え、ASDから見た定型を分類してみる

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回はタイトルどおり、視点を変えてASD側から見た定型はどう映っているのか、ASDのパートナーの協力を得て、パートナーは定型をどう見ているのかを書いてみようと思います。ASDの人が全部が全部パートナーのように見えるとは言えませんが、定型側からのASDの特性はよく耳にしても、ASDの視点からの定型の『特性』はほとんど耳にしないので、興味深く、参考になるのではないでしょうか。もちろん、科学的、学術的なエビデンスはなく、ASDのパートナーの主観なので、飽くまでも参考です。

パートナーはASDの孤立型で、ADHDの重複はありません。そんなパートナーから見ると、定型の私はもちろん、社会を構成していると言われている定型(と言われるマジョリティー)は、『定型障害なんじゃないの?』と映るようです。

彼によると、この【定型障害】には、ASDやADHDにも特性からいろいろなタイプがあるように、いくつかに分類できると言います。実際“定型障害”などDSM(精神疾患の分類と診断)にはありませんが(笑)、今回はASDのパートナーが定型“障害”をどのように独自に分類し、見ているのかを聞き取ってみました。

定型障害:『発達障害』に対するアイロニーとして、パートナーが創作した造語。

まず、定型“障害”は4つのタイプに分類できるらしく、どの定型“障害”にも共通している特性が【共感を求める】ということだそうです。彼によると、この『共感を求める』定型が、思うように共感を得られない時、4つのタイプに分かれていくようです。その4つのタイプとは、

共感強要型

受容自立型

憎悪否定型

無関心型

だそうです。それでは、それぞれについて説明していきます。

1)共感強要型
過度に共感を求め、自分と同じように感じたり、思うことを求める傾向が高く、それが叶わなかった場合、「何でわかってくれないの?」とヒステリックに感情を爆発させる、あるいは溜め込む。カサンドラ症候群に陥りやすい。

パートナー曰く、キーワードは「何でわかってくれないの?」「なんで?なんで?」で、その言葉が出たら共感強要型だと分類するそうです。
2)受容自立型
共感強要型から派生し、ASDの認知や感じ方を尊重(多少の諦めも含む)するようになり、「彼(彼女)は自分とは違う認知や感じ方をするんだな」と受け止められるようになった状態(受容)。共感強要型を経由しなくても、最初から受容自立型というケースも稀にある。

パートナー曰く、キーワードは『尊重』のようで、共感強要型を経由して受容自立型へ移行できる人は極めて少ないそうです。
3)憎悪否定型
共感されず自分の気持ちに寄り添ってもらえないことで、鬱状態になるタイプではなく、相手をこき下ろし、人格からすべて否定し、憎しみを募らせていく。

パートナー曰く、カサンドラ症候群の交流会などで、相手がいないところで罵詈雑言を吐いている人がこれに該当するそうです。
4)無関心型
認知や感じ方の違いについて、最初のうちは共感を求めていても、それが叶わないとわかると、理解しようとすることも、擦り合わせようとすることもなく、どうでもよくなる(夫婦でいえば仮面夫婦、ただの給料を運ぶ人間ATMと見なす)。

パートナー曰く、単なる同居人、今風に言えばシェアハウス夫婦だそうです。

それを端的に表せば、下の図のようになるそうで、パートナーが整理しました。

定型から見たASDは、その独特の認知(からくる言動、行動)から、わけがわからないことだらけで“!?”の嵐ですが、同じようにASD側から見ても定型(と言われる人)の認知はわからないことだらけのようです。

発達障害だと確定診断をされていなくても、生きづらさを抱えているグレーゾーンの人は多くいます。

保険請求上、仕方ないこととはいえ(診断名がないとレセプト請求できませんから)、“〇〇障害”と名が付くと、『普通の人より劣っている』『普通の人とは違う』と思いがちです。

“普通”って一体何なのでしょうか?

今回、敢えて“定型障害”という表現を使いましたが、この“障害”という単語は、良くも悪くも一人歩きしやすいもので、時として当事者や当事者の家族に暗い影を落とす重たい響きなのだと感じ、改めて、普段当たり前に使っている【普通】って、何を基準で言っているのだろうか?と深く考えるきっかけにもなりました。

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ADHDの課題【時間管理】について<5>:心理的抵抗に対処する。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

本連載最後となる5回目は、ADHDの人の【心理的に集中を妨げるもの】や【集中力のコントロール】についてお話を進めます。

ADHDを持つ人は、引っ張られやすい不安感情や抑うつに加え、何かしら他者に対してイライラと不満を持ちやすい(面倒、難しい要求ややりたいことへの制限など)ことを自覚し、“怒っている自分、これまでずっと変えたいと思いつつ、自分には絶対無理だと感じる自分”、【変容に反抗している自分】に気付き、自分の認知(思考)を同定し反論してみる練習をしてみましょう。

今までの連載<1>〜<4>でお話したことの振り返りになりますが、おさらいしてみます。

  • 達成できる小さな、簡単なことからスタート。
  • 難しく面倒なことは、達成できるであろう大きさに分解(分割)。
  • スケジュールを組む時には対処しやすい“まとまり”に分解し、まとまりを終了できた時には“強化”(自分へのご褒美を計画)。
  • 完了と同時にTO DOリストの項目に完了印をつける(視覚的に“できた”を感じるモチベーションが維持しやすくなります)。
  • 強化(ご褒美)は随伴的であり、やらなくてはいけないことを完了していなければ、自分にご褒美を与えてはいけません。←「後でやるから先にご褒美」はダメ!

自分にとって集中を妨げるものには何があるのか考えてみます。

ADHDの人は、刺激に敏感に反応し集中が分散してしまうので、そうならないために、目や耳に余計な情報が入らないよう先に対策を取っておくのは有効です。

●携帯電話は遠くに置くか、留守電にしてサイレントモードに設定。
●本や雑誌は目につかない場所に。
●テレビ、パソコンなどは消す。
●家族にも上記を宣言し協力してもらう。

外部からの音を柔らかく遮断するイヤーマフデジタル耳栓、集中しやすいリラックス状態を保つために、ホワイトノイズ発生装置(レクトロファンマイクロ)も役立つと思います。もちろん音量は耳障りにならない音量で、ですが。

ADHDの人は、目の前の自分にとって楽しい報酬を、遠い先のより自分にとっては大きな報酬より選ぶ誘惑に駆り立てられがちです。ここで自分との闘いになると思います。実際に、闘っては毎回負けている息子を毎日見ています(笑)。この重要な岐路に、目先の楽しさを取ることと、課題をやった後の報酬、達成感、自信、他者からの評価といった現実的な報酬を書き出してみましょう。

△明日提出のやらなくてはいけない課題があるのに、見たいテレビがあり、我慢できずに見る。→取り組むのが億劫になり、お風呂から上がったら・・・ご飯食べたら・・・と先送り癖が出現。→「うーん、明日、早起きしてやればいっか」→早起きできない、もしくは早起きしてもいつもの「まだ時間があるから大丈夫」癖が出て、結局巻きに巻いて雑な仕上がりか、まったく手をつけていないことになる。→当然叱られる、呆れられる、信用を無くす・・・結果評価が下がる。→自己嫌悪から自己評価も下がり、「ダメな自分」から自己肯定感も下がる。

こうならないために

○見たいテレビは録画にして、明日提出の課題に取り組む。→終わった後に「完了させた!」という満足感と達成感。→ご褒美の動画を観る(気持ちを引っ張るものがないので動画を楽しむことに集中できる)。→次の日に胸を張って提出(できなかった(やらなかった?)言い訳をしなくていいので気が重くない)。→完了させたことへのそれなりの評価。→やり遂げた自分への自己評価アップ。

これを自分に当てはめて視覚化してみてください。

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