アンガーマネジメント【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

インターネットや雑誌、テレビでもアンガーマネジメント、アンガーコントロールという言葉を聞くようになりました。

本来、アメリカのエグゼクティブがマイナスになりやすい感情に冷静に対処できるように考えられたプログラムですが、トレーニングで誰もが身につけられる技術です。

人間関係を円滑にする上でアサーション同様、社会人の必須スキルではないかと考えています。特に雇用する立場の経営層、幹部の人には必須と考えます。

キレやすい思春期の子供たちを相手に息子が通う公立中学校では、人間関係教育で大切なアサーションやアンガーマネジメントを取り入れており、一定の効果は上がっているようです。残念ながら、発達障害のある息子はストレス耐性も低く衝動性もあるので、感情マネジメントはなかなか上手くいきませんが・・・。

怒りを感情的にぶつけて言い合いをしても解決に繋がることは少ないもので、自分自身はもちろん相手にもイライラと嫌な感情だけを残し、何より人間関係に決定的なヒビを入れてしまうかもしれません。

“怒り”の感情自体が悪いわけではありません。『適切な怒り』は相互理解に繋がる場合もありますし、怒りがモチベーションとなり、やる気に結びつくこともあるからです。例えば新しい事業のキッカケが『怒り』ということがあります。ある問題にただ文句や不満を言うことを超え、その不満などを解決する方向に怒りのエネルギーを転嫁させ、新しい事業を立ち上げる、といった具合です。そのような経験がある経営者もいるのではないでしょうか。

では、『適切に怒る』とはどういうことでしょうか?

その前に怒りという感情が生まれる仕組みについて理解しましょう。怒りに仕組みがあることにちょっとした驚きを持つ人もいるかもしれませんね。

怒りは不快感情に分類されるので、どんなに怒りっぽい人でも怒るのが好きな人はまずいないと思います。他者に向ける怒りの多くは、自分も含め誰もハッピーにはなりませんから、マイナスになりやすい感情と言えます。怒りを感じるような状況でも、自分のその時の状況で怒りは怒りでも、その度合いが変わります。『虫の居所が悪い』という諺もあるぐらいです。

次のような時の例を挙げます。

  • 大好きな人にプロポーズされ、嬉しくてたまらないウキウキな時。
  • 大きな商談をまとめた手腕が社内で評価され昇進が決まった時。
  • ビッグプロジェクトのプレゼンで他社に競り勝った時。
  • 念願叶って第一志望校に合格した、あるいは第一希望の企業に内定をもらった時。

そんな時に、前から歩きスマホをしてきた人にぶつかられたとしましょう。歩きスマホで前方不注意、相手に落ち度があってぶつかられたのですから、多少ムッとするのは当たり前です。

では、あなたの状況が、

  • 指輪も準備してプロポーズしようと待ち合わせ場所に向かっている途中、恋人が他の人と手を繋ぎ親密そうに歩いている場面を見た。
  • 自分が頑張って準備をし臨んだ商談がうまくいった。なのに何故か同僚の手柄になってしまい、まったく評価されなかった。
  • 第一志望どころか、行きたくもないけど仕方なく受けた滑り止めの学校も全部不合格だった。あるいは、どんなに就職活動しても内定がもらえない、採用されない。
  • プレゼンは実は茶番で、裏の政治力で既に他社に決まっていたことを知った。

こうした状況で同じように歩きスマホの人にぶつかられたら、上手くいった時と怒りの度合いはまったく同じでしょうか。

同じ状況なのに、感情や怒りの度合いは違いますよね(ムッとする程度は怒りではなく、“不快だな”くらいではないでしょうか)。置かれた状況が違えば、同じ出来事に遭遇してもまったく違う感情(あるいは度合い)を持つことにお気付きいただけたと思います。

さらに考えてみると、

出来事そのものはあなたを怒らせることはできない、

にも気付けませんか?例を思い出してください。歩きスマホでぶつかられた時・・・。好ましい状況に自分が置かれている時と、不快不愉快な状況に自分が置かれている時では、自分の反応が違ったはずです。

ここまででわかった人もいるかもしれませんが・・・

あなたを怒らせているものの正体は、実はあなた自身

だとも言えるのです。

次回から、何故イライラや怒りが生まれてしまうのか、そもそも怒りとは何か、怒りが生まれるステップについてお話していこうと思います。

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ADHDの課題【時間管理】について<4>:認知面の気付きと対策を考える。

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

4回目、次回5回目は、ADHDの時間管理/認知面の気付きと対策について考えていきます。

認知(思考)の歪みには、不安や抑うつを生む自動思考と呼ばれるものも多く含まれますが、あまりにも普段の思考に密接であることから、なかなか気付きにくいものです。

自動思考とは、起こった出来事に対する咄嗟の評価

で、その評価が正しいこともあれば、そうでもない時もあります。

ASDやADHDを持つ人は、“失敗”から自動思考が知らないうちに徐々に歪んでいくので、不安や抑うつに引き込まれやすい傾向にあります。

自分の【自動思考の中にある認知の歪み】に気付くことが第一歩になります。

克服するための第二歩が、

【歪んだ自動思考に気付き、その思考に自ら反論し、それに代わる合理的反応を自身で持てるようになる】ことです。

起こった出来事に対する【認知】が【感情】を生み出すのですが、この“認知(思考)”は、出来事が起こった瞬時に自動的に生み出されるものなので(だから自動思考)、その結果生まれる感情にばかり目を向けがちで、【認知】そのものはほったらかし、意識しないことがほとんどです。

認知の歪みを引き起こす自動思考にはさまざまな出どころがあるのですが、本題から外れるので認知について掘り下げてお話する機会に取っておきます。

自動思考、認知の歪みに気付くためには、感情そのものではなく、感情が生まれた出来事に対し、自分が“どのように受け取ったか”に意識を向ける練習が必要になります。

“不快”“辛い”“不安”“怒り”という感情の変化が起こった時にメモを取り、その感情にラベル付けしてみます。←毎回やるのは大変ですから、やれる環境にある時に意識的にやってみましょう。

前提)明日の大切なプレゼン用資料作りを任され、それを今夜中に仕上げなくてはいけないので徹夜になりそうです。資料作りに取り掛かろうとした時に憂鬱な気持ちに襲われるかもしれませんし、想像しただけで強い感情に襲われるかもしれません。

自動思考は何らかの感情と直接関係しています。今回、具体的にどのような自動思考が表れやすいのか見ていきましょう。

●それが【不安】からの場合
「どうしよう、もし失敗したらどうすればいいんだ・・・」「もうプロジェクトから外されるかもしれない」

●それが【抑うつ】からの場合
「あーダメだダメだ、こんなんじゃダメに決まってる!」「自分はなぜこんなことも満足にできないんだ」

●それが【怒り】からの場合
「自分一人にこんな膨大な資料を作らせるなんて上司は酷すぎる!」「要求レベルが高すぎる!きっと私に失敗させようとしてるんだ」

このように、起こった出来事(明日までに作成しなければならないプレゼン資料)により湧き上がってきた自分の感情(不安、抑うつ、怒り)を俯瞰し、じっくり観察してみることで、感情や行動(完璧主義や回避傾向)のトリガーとなる自動思考を同定していきます。

【認知の歪み】の具体例

●二分割思考(0か100か)完璧主義
物事を白か黒か、0か100かの両極端でしか捉えられない。
例:「もしこれで契約が取れなければ、もう自分は終わりだ」

●過度な一般化
一つのネガティブな出来事だけを根拠に、すべて悪いほうに捉える。
例:「自分は何一つまともにできない」「自分は幸せになんかなれない」

●“すべき”思考
過度に「〜すべき」「〜しなければならない」と考え過ぎ、それが実現できないと罪悪感や自罰傾向が高まる。自分の中の“べき”に則った行動をしてしまう。
例:「良くないおこないをする人には、どう思われてもその人のために注意すべきだ」「自分はクズなんだから、何を言われても黙って甘受しなくてはならない」

●レッテル貼り
たった一度の出来事で、自分や他者にネガティブなレッテル貼りイメージを固定してしまう。
例:「どんな綺麗事を言ったってどうせ裏切られる」「所詮女(男)はこういうものだ」

●結論の飛躍
結論が正確かもわからないのに(そのような事実はないのに)、ネガティブな解釈をする。<心の読み過ぎ、空気の読み過ぎ>と<根拠があるわけでもなく相手に確認もしていないのに、相手は自分に対しネガティブな反応をしていると思い込む>という二通りのタイプがある。
例:「自分が話をしていたのにスマホを見た、きっと話が面白くないに違いない」

●先読みの誤り
起きてもいないのに、悪い結果になると勝手に予想し、その予想が確立した事実と思い込む。
例:「同窓会で嫌な思いをするに決まってる、だから行くものか」

●選択的注意(以前お話した“選択的注意”とは違います)
小さな一つのネガティブな側面だけを取り出し、他を無視してそのことだけを考える。
例:「その髪型似合うね、髪の色はもう少し暗いほうがいいかも」に対し「どうせ似合わないと思ってるんだろう」

●自分への関連付け
実際に自分に責任がないことでも、ネガティブな出来事をすべて自分のせいだと考えてしまう。
例:「私が発表しているのにあの人が出て行ったのは、私の話が退屈だったからだ」←たまたま電車の時間だったかも、具合が悪く席を立ったのかも、と思わない。

●破滅思考
もし○○が起こったら、もしくは、〇〇が起こらなかったら破滅だ、と決めつけて考えてしまう。
例:「もし面接に落ちたらおしまいだ、自分は耐えられないだろう」「彼がいなくなったらもう生きていけない」

認知の歪みは極端な思考を呼び、不快感や不安、怒りといった強い感情を生み出しやすくなります。認知→感情、の感情にだけ目を向けるのではなく、感情の出どころ(認知)に意識を向ける練習を続けると、自分の自動思考に気付けるようになります。

自分の自動思考における認知の歪みを同定できたら、合理的な反論で、その歪みに自分で反論してみます。自動思考→認知の歪み→その認知に反論した合理的反応・・・の例を一つ出して考えてみましょう。

<例:やっとこぎ着けた就職の三次面接前夜>

  • 自動思考:次こそ面接で上手くやらなくては。はぁ、ちゃんとやれるのか本当に心配だ。毎回こんな時は神経質になってしまって、本来の自分が見せられたことが一度もない。もう10回目の面接だ・・・でも、こんな好条件な仕事は二度と私には巡ってこない。
  • 認知の歪み:破滅化、過度の一般化、先読みの誤り
  • 合理的反応:「いかんいかん、自分は少し神経質になってるのかも。でも、面接なんて誰でも緊張したり神経質になるものだよな。緊張するなんて面接する側もわかってるはずだし。よし!履歴書も職務経歴書も丁寧によく出来てる、緊張して多少上手く話せなくてもこれで自分をわかってもらえるだろう。」

もう一つ例を出します。

<何日も前から親に「片付けるように」と言われていた散らかった部屋、「そういえば片付けたの?」と聞かれました。>

  • 自動思考:「あっ、何もやってないや。はぁ、つくづく自分って怠け者でダメダメな人間なんだろうな」
  • 認知の歪み:過度な一般化
  • 合理的反応:「確かに自分を片付けは苦手で時間もかかる。でも、だからといってすべてにおいて怠け者というわけではないよな。まとめては難しいけど、今日はタンスだけ明日は机と机周り、というふうにやれば自分でもできるぞ!」

合理的反応を目指すためには、まず【認知の歪み】やそこからくる【自動思考】に気付かなくては始まりません。

ちょっと自己分析してみませんか?

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coffee break:角に【足の小指をぶつける】という現象について

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前々回から<ADHDの課題【時間管理】について>と題して書いてきましたが、今回は息抜きを兼ねて、誰もが日常的に経験する、いろいろな角に

なぜか足の小指をぶつけるという現象

を、ぶつけられた小指の立場で考えたり、なぜか生まれる小指の持ち主である自分のやり場のない怒りという感情を勝手に考察していきたいと思います(笑)。なお、何のエビデンスもなく、極めて私的なくだらないことを先をお断りしておきます。

生きていれば誰もが一度以上は経験する“角に足の小指をぶつける”という現象について、インターネットではさまざまな意見が散見されます。

  • 身体の末端に位置するため、その存在を忘れやすくぶつけやすい。
  • 神から人間に与えられた乗り越えねばならない一つの試練。
  • 水や空気のように重要でも、その存在は無意識の外側に追いやられやすい存在(足の小指)を、わざわざ意識させることで、生命の根源、生きる意味を哲学的に問うため。

など、いろいろな分野のいろいろな人たちが持論を展開しています。

まず、“なぜ、足の小指をぶつけやすいのか”を私なりに考察してみます。

そもそも、小指に限らずぶつけようとして(ぶつけたくて)ぶつける人はいないはずなので、うっかりぶつけやすい場所に、わざわざぶつけやすい形状で存在している。

同じ足の端に存在しており小指よりはるかに大きいのに、親指をぶつけてその痛みからやり場のない怒りで八つ当たり・・・というのは聞きません。それは小指が足の一番外側に存在しているから、という単純な問題ではないように思うのです。

神は、ある種の怒りスイッチを足の小指の外側に作ったのではないか?と。無差別に八つ当たりしたくなるほど(もちろんしませんが)の、あの理不尽なレベルの痛みと沸き上がる怒りは、うっかりぶつけただけにしては分に合わないように思いませんか?

痛み(怒り)>>>>>>>>ぶつけた衝撃、に思えてなりません。

なので、小指の外側にはある種の普段意識することのない怒りの感情スイッチがあるのでは?と考えました。小指の持ち主も思わず七転八起、頭の周りをヒヨコがピヨピヨ回ってしまうぐらいの痛みに襲われますが、小指本人(?)はもっと腹立たしいと思うのです。

親指のように主張せず、場所こそ外側とはいえ、ひっそり引っ込み気味に小さく存在しているだけなのに、なぜかうっかりぶつけられやすい位置に存在する小指。小指の立場になって考えると、腹も立つでしょう。

親指にさえ生まれていれば、ただそこに存在しているだけで、何の落ち度もないのにうっかり角にぶつけられなくても済むのですから。ぶつけられやすい位置にぶつけられやすい形状で存在している小指ですが、そこに“親指としてではなく小指”として存在している意味は何でしょうか。

小指はあくまで小指サイズでひっそり存在し、親指と同サイズの小指は存在しません。もしかすると、小指が親指サイズだと、うっかりぶつけた時に持ち主が受ける心身のダメージがあまりにも大きいと考え、ダメージを最小限に抑えるために、そのこじんまりしたサイズなのかもしれません。神様の配慮と言えるでしょう。

机の脚にぶつけた時に「・・・っった!!」と声にならない呻きと、机の脚が自分からぶつかってきたわけでもないのに、なぜか机の脚に腹が立つ私は、人としてまだまだだなぁ、と後から振り返り反省するばかりです。

考えれば考えるほど“勝手にぶつけたのは自分じゃん”なのに、ぶつけた対象物に腹が立つのが不思議です。人が相手ならばまだ説明がつきますが、無機物ですよ?ついでに記憶が吹っ飛びそうになるあの痛みも・・・。

くだらないことを真面目に一生懸命考える無駄時間が心の潤いである私は、人生の研究テーマが二つになりました。

オオケマイマイ(毛の生えたカタツムリ)に毛がある意味と、その発毛メカニズムを解明し、世の悩める薄毛の方々の役に立てないか?

足の小指をぶつけた際の当たり散らしたくなる(悪いのは自分なのに)痛みの意味と、なぜ小指が人体のあの位置にあの形状で存在するのか?

です(笑)。

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