よく聞くけど意味はまったく違う【自己肯定感】と【自己正当化】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

皆さんは【自己肯定感】【自己正当化】と聞くと、どのようなイメージを持ちますか?今回は混同されがちで、わかっているようでイマイチよくわかっていない自己肯定感と自己正当化についてお話ししたいと思います。

最近は子育てから企業研修、カウンセリングや学校カウンセリングの場面でも【自己肯定感】という言葉をよく聞くようになりました。

自己肯定感とは・・・自分の長所も短所も認めて、それを肯定的に受容することです。

「失敗したっていいんだもーん!」なんて軽くチャラいノリや開き直りではなく、プレゼンで失敗しても「自分は今の自分にできる精一杯で頑張った、結果は惨敗だったけど自分お疲れさま!」と思えること、これが自己肯定感です。つまり、

失敗してしまった自分、カッコ悪い自分、認めたくないドロドロした感情を燻らせる自分。そんな自分も「これも私の一部分」として、そのまま受容していく、これが【自己肯定感】です。

自己肯定感の高い人は、自分のマイナス面よりもプラス面に目を向けることができるという特徴もあります。自己肯定感は高過ぎても厄介ですが、低過ぎるとそれ以上に厄介です。

自己正当化とは・・・他者から否定されないように自分の行動などに正しいと(無理矢理にでも)理論付けをし、自分を受け入れられようとする行為です。

自己正当化をする人は他者からの否定を恐れ、嫌います。否定されることを避けるために、自分の意見は正しいのだと無理にでも理由付けをしたがります。

わかりやすい例だとセクハラ/パワハラがあります。

「今日のスカートはもっと短いほうが可愛いよ」という発言がセクハラに当たると訴えがあった時に「親しみを込めたつもりだった」「場を和ませようとして言った」という上司、いますよね。あくまでも親しみを込めた、あくまでも場を和ませようとした、ここには自分を正当化する気持ちがあり、非を認めていません。

わざわざ皆の前で失敗を挙げ、激しく叱咤するなども「パワハラに当たるのでは」と訴えがあった時に「彼のためを思って敢えて」「恥ずかしさをバネに成長してもらいたかった」などと非を認めず自己正当化します。

どちらもが“自己受容”という点では同じように見えますが、自己肯定感には自分の意思や意見がある自分視点なのに対し、自己正当化は他者視点のため自分の意見はありません。

前記のセクハラではスカートの短さと可愛さには何の根拠もなく業務にも関係ないはずです。場を和ませようとした、親しみを込めた、という“セクハラやらかした”理由を周囲に認めてもらうための勝手な自己正当化しかしていない、ということです。

先ほどの自己肯定感が低い人に特徴があったように、自己正当化する人にも特徴があります。

自己正当化する人は他者の評価を気にするので、自分が否定されることがないように自己正当化した意見を押し通そうとします。自己肯定感の高い人は他者の意見を受け止めながら自分の意見を伝えることができますが、自己正当化する人は他者の意見を受け入れられません。

話をしていて、自分正当化したがる人は自己肯定感が低い人に多いように感じます。

「屁理屈ばかり」「身勝手」な言い訳ばかりする人が周りにいると、かなり疲れますようね。否定されるかもしれない、と思うと怖くなって傷付かないために予防策として自己正当化してしまう人がいるのも事実です。

自他の認知の違いや自他境界を理解し、アサーションスキルやアンガーマネジメントを身につけることで気持ちよくコミュニケーションができるようになります。

企業研修や勉強会でもアサーション、アンガーマネジメントは人気があります。ただ人によって習得していくスピードは違います。

一生もののスキルですから途中で投げ出さず、ひとりひとりに合ったやり方とペースでじっくり取り組んでいけるよう、いつもプログラムを考えています。

もっとあたたかな人間関係を築いていきたいという表れなんだろうと私は受け取っています。

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ココロはいとも簡単に操作され、気づかないうちにアレコレ思い込まされたり勘違いしている【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【1】に続き、バイアス詰め合わせでお送りします(笑)。

心理学の中で使われる単語で、本来の意味とは若干違う意味であったり難しい言葉があるので、先に説明しておきます。

<ヒューリスティック>:経験や先入観に基づく思考法

<アルゴリズム>:計算やエビデンスに基づき論理的な解決を目指す思考法。

では本題のバイアス詰め合わせに入ります。

【正常性バイアス】

誰もが持つ心の防衛反応の一つで、「こんなことが起こるわけがない」「自分に限ってありえない」「自分は大丈夫」と、さまざまな事態を過小評価することで誤った判断をしてしまうことです。

例1)非常ベルが鳴ってるが誰かが間違って押してしまったか、消防点検に違いない。 ← まさか火事であるわけがない。

例2)台風で避難勧告が出てるけど、ウチは大丈夫だろう、と避難が遅れる。

【イケア効果】→もちろん家具のIK E Aではありません(笑)

それがどのようなものでも、自分が手間暇をかけたものには愛着を感じ、過大評価するようになる現象のこと。

例1)よくできた買ったぬいぐるみより、多少雑でも自分が作ったぬいぐるみのほうが可愛い。

例2)高い器より土から練り、自分で作った器のほうが愛着が湧く。

自分、パートナー、母親(あるいは父親)、我が子が作った料理も同じことが言えるかもしれませんね。

【ゼロサムヒューリスティック】

誰かが得をすれば誰かが損をすると考える傾向。

【可用性ヒューリスティック】

認識→理解→決定のプロセスで、自分が思い出しやすい記憶に強くインプットされた情報だけに基づき判断する傾向。

ちょっとわかりにくいですね。例えば、あなたがワイン好きとします。若い頃、初めてフランス旅行へ行った時に飲んだワインの美味しさが忘れられず、世界の多くの国で作られているにも関わらず、フランスで作られたワインを好んで飲むということです。

【ザイオンス効果/単純接触効果】

接触する機会が増えるほど特定のモノやヒトに対して好印象を持つようになる現象のこと。

例1)毎朝コーヒーを買ういつものコンビニで気さくな店員さんに良い印象を持つようになった。

例2)ラジオでよく流れる曲が好きになる。

【心理的リアクタンス】

他者から選択を強制されると、それが自分にとってよい提案や意見であっても反発してしまう。

【舌先現象】

誰でも経験したことがあると思いますが、人と話していて聞かれたことの答えを思い出そうとしていて、喉元まで出ているのに(あるいや頭にはっきり浮かんでいるのに)出てこないこと。

例1)「金曜のドラマ、面白いよね」「面白いよねー、そういえば誰だっけ?あの途中で失踪しちゃう人!」「あー、わかるわかる、キャスターもやってるあの人だよね?名前なんだっけ?」 ←二人して舌先現象ですね(笑)

【確証バイアス】

自分に都合のよい情報ばかりが目に留まり、都合の悪い情報は目に入りにくくなること。

「ほら、言ったとおり!」「やっぱり思ったとおりだ」

これは、自己正当性を裏付ける情報ばかりを集め、自己の意思や情報と反証する情報は無視しがちなことから、仕事でも詰めの甘さが露呈し失敗しがちです。

誰にでもあるバイアス。自分にもバイアスがあることや、どんなバイアスがあるのかを知り、選択決定する場面や他者関係の見直しに役立てて本当の客観性を意識してみましょう。

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ココロはいとも簡単に操作され、気づかないうちにアレコレ思い込まされたり勘違いしている【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

社会生活を送る中で人は些細なことから人生を左右する大きなことまで、あらゆる選択の日々を送っています。

「お昼は何を食べようか」「晩ご飯は何を作ろうか」「シャンプー変えてみようかな」といった小さな選択→決定から、「クルマはどのタイプがいいか」「病院に行くか行かないか」「家を買うか借りるか、マンションか戸建か」「転職するかしないか」など比較的大きな選択→決定まで、どんな選択もまったくしない日は一日もありません。

意思決定を『すべて自分一人で決めている』『誰のどんな影響も受けてないもんね』なんて思っているアナタ・・・そんなアナタに今回はいろいろな認知バイアス詰め合わせセットをお届けしたいと思います。

脳科学や社会学、心理学だけでなく、学校でも個人的には中学生あたりから認知バイアスについて教えてもいいと思っています。例えば道徳や総合の科目あたりで。

思い込みや思考の偏りはなぜ生まれるのか?認知バイアスにはどんな種類があるのか?などなかなか面白い授業ができそうです。

以前、“錯覚”という記事でバーナム効果などサラッと書いたので記憶にある人もいるかもしれません。企業広告に政治的プロパガンダ、SNS、と私たちは気付かぬうちに実に多くの無作為、作為的なバイアスに影響を受けながら意思決定をしています(誘導されている?)

認知バイアスは誰にでもある思考の偏り/思い込みです。いくら「自分はちゃんと物事を客観的に見れている」と思っていても、実は誰もが自分を客観的に見ることは苦手なものなのです。“自分を客観的に”、これこそが前回、前々回で話をしたメタ認知に当たります。

【自己奉仕バイアス】

同じ失敗でも他者の時は「その人に原因がある」と感じ、自分の時には「外的要因があった」と感じることです。

例)Aさんが忘れ物をした時には「出かける前にちゃんと確認しないから、いつもドジだからもう!」と感じ、自分が忘れ物をしてしまった時には「出かける前に宅配便が来たから/昨夜彼女(彼氏)が遅くに来たから・・・」などと忘れ物をした原因を外的要因に関連づけて考えます。

この自己奉仕バイアス、めちゃくちゃ厄介です。なぜなら、他者からは“自分のことは棚に上げて偉そうに”と映るからです。

【確証バイアス】

自分の仮説や根拠のないジンクスを信じてしまい、反証する意見や情報を無視するのが確証バイアスです。

例)AB型の人って二面性があって付き合いにくい/A型は神経質だ←人は誰でも多面性を持ってますし、几帳面であることに血液型は無関係です。

アイツは雨男だから←たまたま雨が続いただけで雨男と思い込む。黒猫は不吉だ←大昔、魔女狩りがあった時代から悪魔の使いと言われていますが、黒猫はただ毛の色が黒いだけで不吉でも何でもありません。黒が不吉と考えるバイアスですね。黒猫にとっては迷惑以外の何ものでもないでしょう。

確証バイアスは誰にでも見られるかなり強力なバイアスですので、心当たりがある人も多いのではないでしょうか。

長くなりましたので2回に分けます。次回は認知バイアス三昧でお届けしようと思います。

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集団心理【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回、群衆心理についてお話ししました。2回目となる今回は、組織で当たり前のようにパワハラ・モラハラが横行し、メンタルを病む人が増加の一途を辿り、痛ましいいじめが原因で自殺も後を絶たないことから、パワハラ・モラハラ、いじめ問題を群衆心理から考えてみようと思います。

いじめ問題というと子供の間のこととイメージされやすいですが、2019年秋に神戸の小学校で教員が教員をいじめるという事件が起きています。

パワハラやモラハラ、嫌がらせやいじめを目にしても、

「いい加減にすればいいのに」

「誰も止めないの?」

「さすがにやり過ぎじゃないか」

と思っても誰も止めず、なるべくなら関わらないように見て見ぬフリをする・・・通りすがりの道端でなくても学校や組織でもよくあることではないでしょうか。

関わることで自分にとばっちりが来たり、巻き込まれて面倒なことになるのを避けるために無視する(見なかったことにする)、これは自分の身を守るための合理的な行動で、心理学ではそれを【傍観者効果】と言います。

わかりやすく説明すると、事故や事件、災害や傷病者がいるなど何らかのトラブルがある状況において、自分以外にも多くの他者がいる時に自分からは積極的に行動を起こさなくなることを傍観者効果と言います。

傍観者効果が起こるにはいくつかの原因があります。

○責任の希薄、分散化

人は集団の中の一人になることで、一人の時より自分の責任が多数に分散され軽くなります。責任が分散されることで、自分からは行動を起こしにくくなったり、責任感を感じにくくなるのです。

また見て見ぬフリをしている人がいる状況では「自分だけが見て見ぬフリをしているわけではない」と自らを正当化することで、自分が何も行動を起こさなかった罪悪感や、ひょっとしたら向けられるかもしれない非難を意図的に軽減しようとする無意識な心理も働きます。

○無知の多元化

自分以外の多くの他者が積極的行動を起こしていないことから、目の前にあるトラブルは早急に対処するような問題でもないと考えてしまいます。パワハラや嫌がらせ、いじめに遭っている人がいても、皆が見て見ぬフリをしているのを見ると「別に自分がわざわざ上(あるいは先生)に報告しなくてもいっか」「きっと誰かが報告してくれるんじゃないか」と他の人の行動を見て判断してしまったりもします。

○評価懸念

自分以外は様子見をしたり見て見ぬフリをしている中で、もし自分が積極的に行動したことを他者に否定的に捉えられたら(いい格好しやがって/偽善者ぶっちゃって/次のターゲットはアイツだな)、という恐れや不安のことを言います。

良かれと思っての行動を『面倒なヤツだ』などとマイナス評価されるのを恐れることが評価懸念です。評価懸念は群衆心理で群衆抑制とも言われます。

面倒なことになるかもしれない(ならないかもしれないけど)ことにはなるべく関わらない、自分自身や家族を守るために必要な時もありますよね。気ままな一人暮らしではなく、守らなくてはいけない子供もいるので当然ですが私にもあります。

群衆心理や傍観者効果という言葉があり、それにはどんな意味があり何が原因になっているのかということをお話ししたかったので、“見て見ぬフリ”は良くない、やめるべきだ、という話ではありません。

私たち一人ひとりには生活があります。職場において孤立しかねないリスクを自ら背負い、大切な生活に悪影響が出る可能性があることは誰でもしたくありません。見て見ぬフリも大切とは言いませんが、仕方ない時もあります。そこで自分のこととして何を思うか、考えるか・・・それが大切な気がします。無関心や他人事として思考停止にならないようにしたいものです。

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集団心理【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人が一人ではなく大勢集まり【集団】【群衆】になると、一人の時とは違う独特の心理が働くようになります。

良くも悪くにも働くのが群衆心理ですが、今回はマイナスと働きやすい特徴的な心理についてお話ししようと思います。

○感情の伝播

以前にも感情の伝播についてお話ししましたが、その中でも特に“怒り”(ネガティブな強い感情)の感情が伝播しやすいことを書きました。

感情的になると当たり前ですが、論理的に考えることはできなくなります。『自分は冷静だ』と思うのは勝手ですが、怒りという不快感情の中でいつも以上に冷静でいられる人などまずいません。それでも『自分は冷静だ』と言えるなら・・・、

メタ認知、大丈夫ですか?

○無名性、無責任性が生まれる

自分一人の時と違い、群衆の中の一人になることで自己の言動に対する責任感が弱くなります。それは私たちが普段感じている“自分”という意識が、集団の中では“大勢の中の一人”になってしまい薄くなることで起こります。

わかりやすいのが“赤信号みんなで渡れば怖くない”です。渋谷のスクランブル交差点で誰一人信号無視をしていないのに、自分一人が渡ったとしましょう。なんだか後ろめたさというか居心地の悪さを感じませんか?でも、多くの人が小走りに次々と渡る中で自分が一緒になって渡っても、『私だけじゃない、みんな渡ってるし』という意識が生まれませんか?

同じ信号無視でも一人と集団では違う心理が生まれているのがおわかりいただけたでしょうか。

○被暗示性

これは暗示にかかりやすさのことです。一人より集団の中にいるほうが被暗示性が高まり、暗示にかかりやすくなります。

その場の空気に呑まれ流されやすくなり、ハッキリと意思表示をする人や大きな声(身振り手振り)の人に、つい従いやすくなったり、共通意識を持ちやすくなってしまうのです。

良い例が、よく公民館あたりでおこなわれている「健康器具無料体験」などと謳い、参加すると心地良いマッサージチェアに座りながら手土産にラップやお掃除シート、ティッシュなどが配られ、「あー、得した!」と思っていると「ご参加いただいた皆さまだけに特別価格でご案内です、残り○点しかありません」と高額(に見える)な羽毛布団が出てきたりするわけです。

「特別価格」「残り○点」なんて言われると、それが必要ないものでも「え!」「お得!」となるのが大多数の人の心理、そこで数人のサクラが「私、買うわ!」なんて名乗りをあげらたらもう後は言わずもがなです。

まんまと定価5千円のフェザーケットを5万円の羽毛布団のように思い込まされ、訳がわからないうちにホイホイ契約書にサインしてしまうのです。

集団心理を身近に感じてみるために参加してみました、私(笑)

もちろん羽毛布団は要らないので買っていませんし、「こんなにお土産ももらっちゃったし」と心の呵責を感じないためにお土産も辞退です。そもそも友人でもない人が勝手にくれるものに何の呵責も感じないタイプではありますが(笑)。

混じってみたのはただの実験であり、ただの野次馬根性だけです。何人ものご老人が毒牙にかかっていらっしゃいました・・・。

多くの人が行き交う雑踏で誰かが倒れても「自分が119番(あるいは110番)しなくても、誰かがやってくれるだろう」と考える人が多いのが現実だと思います。でも、周りに誰もおらず自分一人しか居なければ、そのまま放ったらかしにしてはいかないのではないでしょうか。

個人が集まり集団になる。見て見ぬふりは組織でも至るところに存在しているように思います。

次回では群衆心理〜傍観者効果についてお話しします。

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メタ認知【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

メタ認知【2】では、メタ認知的についてお話します。

その前に、『認知』について少し触れておきましょう。

自己認知という言葉を聞いたことがありますか?自己認知とは、自分自身が自分の長所や短所、価値観を把握することを言います。臨床心理学や哲学では広く使われる言葉でもあります。

この自己認知、自分の強み弱みや価値観を知ることで、実は仕事にも関わりが出てくるのです。

【価値観】:これはとても抽象的な概念です。価値観を形成する要素はおおよそ100前後あるとされており、列挙した価値観に優先順位をつけていくことで自分が大切にしている価値観の優先度を知り、自分の価値観にマッチした仕事を選択することができます。

【長所(強み)短所(弱み)】:これもまた抽象的な概念です。ただ、大学で就職活動を始めると絶対に繰り返しやらされるのが“自己分析”で、あまり真面目に自己と向き合ってこなかったウェ〜イ♪な学生たちも、自己の長所短所をざっくりでも把握できるようになります。

自己認知と関係する用語に【他者認知】【対人認知】があります。心理学では他者認知を対人認知と呼びます。

自己認知が自分自身の価値観や長所短所を把握することに対し、対人認知は他者を把握するためにさまざまな情報に基づき、その心理や内面特性を把握しようと推測する行為、と言えます。

本題のメタ認知に入ります。

前回メタ認知には二つの種類があり、その一つであるメタ認知的知識についてお話しました。今回はもう一つの役割【メタ認知的技能】についてお話しようと思います。

認知についてどのような知識があるのかをメタ認知的知識というのに対し、認知を調整、制御する機能がメタ認知的技能になります。認知をコントロールするチカラと言えばわかりやすいでしょうか。

例を出しながらメタ認知的技能を説明していきましょう。

  • 自分は方向音痴だ(方向音痴であることを自分でわかっている←メタ認知的知識)。
  • 前もって入念にアクセス方法を調べ、時間よりかなり早めに到着できるようにする。←メタ認知的知識をもとにメタ認知的技能を使っています。

自分は忘れっぽいというメタ認知的知識が備わっていれば、対策としてメモやリマインダーを使うという対策を取ると思います。

この『自分は忘れっぽい』を自覚していること(わかっている)がメタ認知的知識、その対策にメモやリマインダーを使うこと、これがメタ認知的技能になります。

少しズレますが、パートナーに聞いたところ、なかなか面白い答えだったので載せておきます。

「自分は性悪説だ」←メタ認知的知識

「だから基本的に人は信じない」←メタ認知的技能

だそうです(笑)

案外自分のことは自分で思っているほどわからないものです。「私は思い込みが強くて他者の話を聞かないことがある」なんて、自分で認めたくないメタ認知的知識にはなかなか気付きませんし、気付こうとしないのが人という生き物です。メタ認知に目を向け、改めて自分を知ってみてはどうでしょうか。そうすれば気持ちがラクになることもあるかもしれません。

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メタ認知【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

お盆はいかがお過ごしでしたか?コロナ禍でもあるので、私は自宅でのんびりしていました。まぁ普通に生活していただけですね(笑)

さて本題です。メタ認知、聞いたことがある人もいるかもしれません。メタ認知はアメリカのフラベルという心理学者が提唱した概念で認知心理学用語ですが、その概念自体はとても古く、遡るとギリシャの哲学者ソクラテスにまで行き着きます。

「彼らは何も知らないのに知っていると思い込んでいる。だが私は何も知らないということを知っている。」

有名はソクラテスの言葉、“無知の知”です。知っている人も多いのではないでしょうか。ここからもソクラテスのメタ認知能力がとても高かったことが窺い知れます。

最近では認知心理学だけではなく、教育現場や組織でも広く【メタ認知の重要性/メタ認知を鍛える】など聞くようになりました。あまり拡げると訳がわからなくなるので今回は割愛しますが、

この【メタ認知】、実は人間関係やコミュニケーション能力とも深く関わりがあるのです。

イマイチわからないメタ認知だと思いますので、【1】【2】で理解していきましょう。

【メタ認知】
自分が認知していることを客観的に把握し、制御すること。→認知していることを認知する。

何やらますます何のことやら・・・?ですよね。限りなく平たく言うと、“自分の思考の矛盾に気付く”、“自分なりにやりやすいように方法を考え実践する”、“頭を整理するために書き出し視覚化する”などもメタ認知になります。

メタとは『より高次な』という意味で、メタ認知は自分自身を高い所から見ている自分、という感じでイメージしてみてください。メタ認知は概念で思考活動ですから体を動かしておこなう活動ではなく、語弊はありますが、思考の幽体離脱みたいな感じかもしれません(笑)

自分が認知している【感情】【思考】【学習】【記憶】などを高次な視点から俯瞰する、ということがメタ認知です。

メタ認知が高いと、自分自身の認知活動(感情/思考/学習/記憶)を客観的、冷静に見ることができ、それを見直したり調整することで高い目標設定〜達成する力(実行/遂行)や問題解決の向上に繋がるといった大きなメリットがあります。組織が求めるのはこの辺りの能力だと考えられます。もっと具体的に言えば、管理職や経営層になればなるほど、このメタ認知能力が求められる、と言ってもいいかもしれません。

“自分の思考について思考している”ような場面で発揮されている能力がメタ認知で、こうなるともうガッツリ哲学領域ですが・・・。

このメタ認知には二つの種類があり、それぞれ【メタ認知的知識】【メタ認知的技能】と呼びます。

【メタ認知的知識】
自分についてわかっていること → 自分は人見知りで初めて会う人と話すことや大勢の人の前は苦手だ、自分は短気で怒りっぽいところがあり、すぐに機嫌が悪くなる、自分は繊細過ぎて傷つきやすい、自分は無神経なところがあって意図しないのに人を不快にしてしまうところがあるようだ・・・などなど、自分を理解し自分について知っていること(自分は何者か、自分は何を知っているのか、知らないのか)です。

例を挙げると、『今、自分は怒っている』←怒っている自分をわかっている、あるいは『嫌な汗をかいている』←道に迷い、その焦りから嫌な汗をかいている自分をわかっている、などがわかりやすいでしょう。

難しい話が長くなってしまいましたので【1】はおしまいです。【2】ではメタ認知的技能についてスタートします。

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毎日何かに困っている、困らない日はない

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

よく言えば『おっちょこちょい』『天然』『好奇心旺盛』でムードメーカー。悪く言えば『時間や約束を守れなくてルーズ』『片付けられなくてだらしない』『面倒くさがりで怠惰』と周りから困り感がわかりやすいADHD。

よく言えば『ミステリアスでマイペース』『自分に正直』。悪く言えば『空気を読めない』『共感がなく直球過ぎる物言いが人を傷付けたり不愉快にさせる』『字面どおり受け取り冗談が通じなくて面倒くさい』『マイルールがあり、理解不能なこだわりがある』というASDでは、同じ発達障害でもひと言では括れません。

本人はもちろんですが、周りの戸惑いや困り感の“種類”がまったく違うので、

何より大切なのは確定診断ではなく、【自分の脳のクセを知る】ことです。

本人が脳のクセを知り理解することは、どのような困り感がどんな場面で表れるのかがわかり、工夫対処しやすくなると同時に周りの人たちに協力や配慮をお願いしやすくなります。

発達障害は“ASD”だけ、“ADHD”だけ、のような単体は実は極めて少なく、LDや協調運動障害を持ち合わせていたり、ADHDにASDが加わって重複しているケースがほとんどです。

そして忘れてならないのが、強く表れている特性もあれば“風味”程度にしか表れない特性もあるということです(だからといって“特性がない”わけではありません)。同じ診断名でもグレーでも人の数だけ多様な表れ方をするのが発達障害です。

本コラムでも何度かお話しているように、表面だけを見て“片付けなくて散らかっている”でも、ADHDからくる特性かASDからくる特性かでは、その理由も対策も変わってきます。

要領が悪く並外れて不器用、究極に面倒くさがりで生きていくのが大変そうな息子を見ていると、興味関心がある物事以外はどれほど自分にとって重要であっても、取り掛かるハードル自体がとても高いように見えます。

その一端を紹介すると、使った食器を洗うために茶碗、お椀、グラス、最後に皿と箸と食べ終わる度にキッチンを忙しなく何度も行き来して運びます。いつも大きなトレイに載せて食べているので(いろんなものをひっくり返すので被害を最小限に止める目的と対策)、食べ終わったらすべての食器をトレイごと下げれば合理的で一度で済むのですが・・・。

行動すべてが雑で不注意が服を着て歩いているような息子は、動く度に躓く、何かを引っ掛けて落とす、ひっくり返すことが日常です。気の進まない、やりたくないこと、やっている何かを途中で中断しなくてはいけないこと、楽しくないことは本人にメリットデメリット関係なく、漏れなく『面倒くさい』に分類されます。それでもその面倒をやるうちに、今度はそれまでやっていた作業や、やらなくてはいけない作業を忘れてしまいます(読みかけの本をしまう、畳んだ洗濯物を片付けるなど)。

日々やることをルーチン化しよとしても、それが本人にとってどうでもいいことだったり面倒さを伴い、気が進まないことだと定着しません。その典型的な例が薬の服用です。もう小学生からずっと服用しているので、習慣になっていてもおかしくないのですが、未だに定着していません。なので、服薬管理は今でも100%私がしています。服薬させるためにいろいろと試行錯誤した結果、今は朝の小皿と夕方の小皿を用意し、服用する薬を1日分ずつ出しておくこと、でした。にもかかわらず、毎回数度の声かけと「間違わずに飲んでね」は必須です。

1日にしている数え切れない声かけを減らし、自分で気付いてできることを増やしていかなくてはいつまでも他者頼みのままです。しかし、服薬管理だけは飲み忘れから副作用が出やすく体調悪化に繋がるのと「できないんだからお母さんがやってあげるしかないでしょ?」という主治医の言葉で“仕方なく渋々”やっている状態です・・・。

大人になるまでに、どれくらいできることが増えるでしょうか・・・。

言わなくては定着しない、繋がらない。言い続けても定着するかどうかわからない。

要するに“当たるかもしれない宝くじ”みたいなものですね。常に脳の活性化ができてボケなくて済みそうです(笑)

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拝啓 新社会人の皆さん、如何お過ごしですか?

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

この4月に晴れて社会人になった皆さん、如何お過ごしですか?

研修中の人、研修も終わりそれぞれの部署に配属された人などさまざまだと思います。社会人になる前(私も含め)、つまり小中高大においての人間関係は極めて年齢の近い人だけの関係だったと思います。

会社という組織に入ると、最初こそ同期(同年代)と一緒に研修を受け、学校時代の延長のような気分だったのではないでしょうか。それが各部署にそれぞれ配属されると、環境は一変します。同期はほぼおらず、先輩、上司しかいません。年齢もさまざまです。ほぼ自分よりも年上ばかりの環境と言っていいでしょう。

そんな環境で緊張と不安が入り混じった状態の新入社員の人もいると思います。その中で皆が皆、優しい先輩とは限りません。業務に忙しそうにしている先輩に遠慮してみたり、言うことが変わったり、単純に取っ付きにくかったり、といろいろな要素が絡み合って、新人にとっては緊張の連続でそれだけでグッタリしている時期だろうと察します。

既に怒られた、という人もいるでしょう。萎縮してしまい出社が怖くなったりする時期でもあります。私もそういう時期がありました。昼休みに一人になれる時間にホッとしたり、緊張と不安を誤魔化しながら必死に頑張っていると思います。会社から帰宅して部屋着になって座った時、どれだけホッとしたことか、あの頃の自分を思い出します。

『そんな不安や緊張なんかないよ』という人はラッキーだと思います。たまたまあなたにとって恵まれた職場環境なのでしょう。新入社員をよく観察していると、4月当初は大体希望に満ちた笑顔が多いのですが、研修が終わり部署に配属されてくると、当初の笑顔は消えています。ちょっと疲れた顔をしています。覚えることも多くわからないことばかりなため、不安げにも見えます。入社3年程度の社員の顔は、会社や業務にも慣れ、力の抜きどころの要領も覚え、ある程度余裕のある顔付きになっています。社内の人間関係の構築もある程度できているのも大きいと思います。彼らはいわゆる学生気分が完全に抜け、社会人の顔付きといった感じでしょうか。

ブラック企業でないことが大前提ですが、私も当時、入社から3年目まではかなりメンタルが不安定な時期でした。この仕事は自分に向いていないんじゃないか、辞めたい、日曜日や連休最後の日が憂鬱だな、これでいいのか、など自問自答の日々だった記憶があります。そんな思いが入れ替わり立ち替わり巡っていました。その時出した結論は、

『とりあえず明日だけ頑張ろう』

というものでした。そうやって『とりあえず明日だけ』、その日が終わればまた『とりあえず明日だけ』という感じです。こんな生活がずっと続くのかと思ったら潰れそうな気がしたので、苦肉の策として『とりあえず明日だけ』は頑張ろう、明後日のことは今考えず明日また考えよう、という感じでした。つまりは騙し騙しですね(笑)

『とりあえず明日だけ頑張ろう』というのは今でも使っています。社会人になって長いですが、いいことばかりはなくツラいこともありますから、そういう時の気持ちの持ちようの一つとして、『とりあえず明日だけ頑張ろう』と思うようにしています。自分で自分から逃げたと後ろめたい気持ちに縛られないためでもあります。

置かれた環境によって感じることは人それぞれ違うと思いますが、今言えることは、一時的なネガティブな感情に惑わされ、流されてはダメだ、ということです。ネガティブな感情になることがダメ、と言っているわけではなく、その感情とどう向き合うかということです。

弊社の心理士である本城ハルに教わったことですが、人に言えるような大したことでなくていいから、寝る前などリラックスしている時に、3つ程度『今日の自分を自分で褒めてやる』というものです。どういうことかというと、今日も遅刻せずに出社した、昨日教わったことが忘れずにできた、など些細なことでも構わないから自分で自分を褒めるということです。私は最近『今日請求書を出した』『今日洗濯した』『缶コーヒー飲むのを我慢した』自分を褒めました(笑)誰にも言う必要がないのだから、どんな小さなことでも、人には当たり前と思われることでもいいのです。こうしたことを毎日繰り返していると自己肯定感が下がりにくくなると言われています。

ネガティブな感情は生きている以上、いつでも抱く感情ですから、そういう感情を否定していてはメンタルが疲れてしまいます。ネガティブ感情を受け入れ、それとどう向き合うか、それが自分の人生を大切にすることに繋がるのかな、と思います。

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障害を免罪符にしてはいけない

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

重たいタイトルですが、そのままです。

(発達)障害を持つ子供の親として日常生活を送る中で、黒い点だったものがいつしか私の胸にモヤモヤと広がっていき、その出所を辿っていった先にあったのがタイトルの【障害を免罪符にしてはいけない】という思いでした。

重複発達障害を持つ息子は、いずれ自分に合ったライフハックを見つけ、社会生活を営むために自身や工夫しながら生活スタイルを整えていく必要がありますが、今はまだ中学生なので日常生活のあらゆる場面で声がけや配慮が必要です。

何でもできるスーパーマンみたいな人間はこの世に存在しませんが、障害故にできないこと、苦手なことが人よりも多くあり、誰かの手や声がけ(今はもっぱら親の手と声がけ)を必要としなくてはいけない場面がこの先もあると思います。

息子には早い段階で障害告知をしていて、段階的に特性を伝え、理解に繋げていっている最中です。どう頑張ってもできないことがあるのは仕方ないことですが、「そのくらいやってくれたっていいじゃん!」「僕にはADHDがあるんだからやってくれて当たり前じゃん」という言葉が出た時には思いっきり叱り飛ばしました。

サポートしてもらうのは“当たり前”ではないのです。

「配慮やサポートはやってもらって当然」この考えは(定型、身体障害、発達障害問わず)とても危険です。サポートする側が『困っている人を助けるのは人として当たり前』と考えるのと、サポートをしてもらう側が『やってくれて当たり前』と考えるのは大きな違いがあります。

「気をつけてメモを取るように心掛けていますが、忘れっぽいところや他の作業に取り組んでいる時には、他に注意が向きにくいのでひと声かけてくれたら助かります」が本来の気の持ち方だと思っているのです。これが「忘れっぽいって言ったんだから声かけてくれてもいいじゃない(声かけてくれるのが“当たり前”)」だと、誰も協力したり力になろうという気は起きません。障害があろうとなかろうとだと思います。

障害がない人でも、誰かの手やサポートを必要とすることがあります。例えば、外国人と接する時、英語を話せない場合。身近に英語を話せる人がいれば力を借りようとしませんか?その時『俺は(私は)英語が話せないんだから、話せるあなたが相手をするのは当たり前!』と思うでしょうか。大概は「英語を話せないので、ちょっとお願いしてもいいですか?」に自然と態度がなっているはずです。障害があってもこの心持ちが大切だと思うのです。

【やってもらって当たり前】

とても傲慢な考えに思えませんか?少なくとも私にはその姿勢が傲慢で偉そうに感じます。そんな態度をされたら、とても不愉快になると思います。

【共生社会】

とても良い言葉ですし、理念も素晴らしいと思います。それには障害があろうとなかろうと「お手間お掛けします」「いえいえお互い様ですから」「ありがとうございます、助かります」「何かあったら声をかけてくださいね」・・・支援や配慮を何もしたくない、と言っているわけではありません。お互いに気持ちよく社会生活を送る上で、この姿勢が何より大切なのではないか?と考えているのです。どちらかが不愉快な思いをしたり、我慢を強いられる社会は共生とは言えません。

不必要に腰を低く「申し訳ありません」「すみません、ごめんなさい」と生きろなんて、これっぽっちも思いません。

「ごめんなさい/申し訳ありません」も「ありがとう/ありがとうございます」も魔法の言葉ですが、支援や配慮に対しては「ありがとう/ありがとうございます/助かります」の気持ちが何より大切な気がするのです。所謂、【謙虚な姿勢】ですね。

恥ずかしながら私は並外れた方向音痴で、いつもパートナーには手間をかけさせていますが「方向音痴でごめんね」ではなく「いつもありがとう、助かる!」です。これが「方向音痴って知ってるんだから教えてくれたっていいじゃない/教えてくれるのが当たり前だよね」だと、わかっていてもパートナーはカチン!とくるはずです。(実際パートナーに、もし私がそういう態度だったらどう思う?と聞いたことがありますが、「方向音痴以前に人としてダメだ」と言われました)

何が違うのかというと【感謝】の気持ちを常に持っていることです。

「わかってくれて当然」「やってくれて当たり前」

どんなに関係や距離が近くても自分以外この世は全部他者です。あなたを気遣ってくれるのは、気遣ってくれる人のあなたへの“好意”や“愛情”で、それは当たり前ではない、とわかると感謝の気持ちが生まれるのではないでしょうか。夫婦関係にも通じるかもしれませんね。

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