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メンタルと三大欲求の関係性:メンタルヘルスマネジメント

メンタル・イデア・ラボを運営する代表のスミです。今回は本城に代わり、私が寄稿します。今後もたまに寄稿することがあるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

今回はメンタルと三大欲求の関係性から

メンタルヘルスマネジメント

について自分の体験を踏まえた私見を書きたいと思います。

その前にここでの三大欲求を定義します。人によって食欲、睡眠欲、所属欲などいろいろ言われているようですが、ここでは日本で一般に言われている【食欲】【睡眠欲】【性欲】を三大欲求とします。三大欲求という表現は日本独自のようです。また宗教によってもさまざまな欲求が唱えられています。欲求といっても意外といろいろあるものだなと思いました。

さて本題です。メンタルが不調になると三大欲求のどれか、あるいはすべてに影響が表れた経験はないですか?私はメンタルの不調の度合いによって三大欲求に何らかの影響が表れます。

私の場合、男性だからか最初に性欲に影響が出ます。性欲が無くなるというと語弊がありますが、著しく減退するという感じでしょうか。そして異性に興味を持つことが極めて薄くなります。一般に男性は女性より性欲を司る脳の視床下部は2倍大きく、テストステロンというホルモンの分泌量は女性より10〜20倍多いと言われています。そう考えると身体としての機能が備わっているにもかかわらず、著しく性欲が減退する、異性への興味が薄くなるということは

個人的に男性(雄)として危機的状態

にあるのではないか?と思ってしまいます。

メンタルヘルスの不調がさらに深刻化すると、私は不眠状態になります。そうは言っても眠ることは眠るのですが、寝付きがものすごく悪くなり、明け方になってようやく眠りに就くも睡眠時間はとてつもなく短く、程なくして目覚めてしまいます。普段の寝付きは1分〜2分以内なので、明け方まで眠くならない、睡魔が来たとしてもすぐに目覚めてしまうことが連日続くと、日中は無気力な状態で、夜は極度な焦燥感に襲われました。

生命力が衰弱していく感覚

すら覚えました。

その時は『さすがに睡眠薬に頼ろうか』とも思いましたが、睡眠薬なしでは眠れなくなることが怖くて我慢しました。

食欲については幸い不振になった記憶はありません。ここ15年ぐらい、一日一食ということもあるのかもしれませんが、食欲不振になるのは風邪を患った時ぐらいです。ただ、料理を味わい幸福感を得るという人間的、文化的な食事というより、単に何か食べるだけの原始的な行為だった気がします。メンタルヘルスの不調により、人によっては過食症や拒食症になるとか・・・。

以上のことから私は、メンタルの不調と三大欲求のいずれかは密接に関係していると実感しました。その表れ方については人それぞれだと思います。またメンタルの不調の度合いや深刻度によっても程度に差が出ることでしょう。私も私なりにその時はかなりしんどかったです。しかし病院を受診するとか専門家に相談するという発想は浮かびませんでした。今思えば理由は二つありました。一つは私にとってそれらは、

まったく身近な存在ではなかった

一つは、

相談機関の存在を知らなかった

ということです。ただ一人で耐えるしかないこと、と思い込んでいました。

このメンタルヘルスと三大欲求の関係性を体感したことから、身体にまで悪影響が表れること、それはつまり社会生活に悪影響が出ることを痛感しました。そう考えた時、メンタルヘルスは

自分らしく生きるための根源

ではないだろうか、と思うようになりました。もっと自分のメンタルに身体同等に意識を向け、自分自身のメンタルの状態を確認し把握することが重要だと気付きました。それは

大切に自分を生きること

になるのでは、と思うのです。

そのためには体調不良の時に薬を服用したり、休養をとったり、あるいは栄養のあるものを食べたりするのと同様に、メンタルヘルスを意識し、戦略的に予防したり、労ったり、しなやかさを保つコツだったりなど、自分に合った心的栄養補給や心的健康管理を実践する

メンタルヘルスマネジメント

が肝心ではないかと思うのです。ここまで考えると、もはや科学的根拠のない今までの我流では不安なので、やはり心理士のような専門家の力を借り、そうした予防技術や手法、心的習慣を享受したほうが安全で安心ではないかと思うのです。身体でいうところの健康診断のようなイメージでしょうか。

趣味に没頭する、親しい人と話す、美味しいものを食べる、カラオケをするなどは、日常の一時的なストレスの発散にはなるかもしれませんが、自分のメンタルと意識的に向き合い、マネジメントすることとはニュアンスが違うと思います。

クオリティ・オブ・ライフやワーク・ライフ・バランスという概念が盛んに言われていますが、それを可能にする土台となるのは、

ボディ&メンタルヘルス(心身共に健康)

ではないでしょうか。当然といえば当然ですが、メンタルヘルスの体制は現状とても脆弱に過ぎると思って止みません。特に国や企業としての取り組みはOECD加盟国の中で日本は十数年遅れています。その証左として、メンタルヘルスの不調による経済的損失は日本全体で2.7兆円にもなるそうです。

働き方が多様化、複雑化する中で、メンタルのセーフティネットとして、心理士などいよいよメンタルの専門家による

【科学に基づいた予防的メンタルケア体制】

の充実が社会全体に必要な時期にきていると、素人ながらに思うのです。

精神科医や心療内科医は何らかの疾患を発症し、それを治療する専門家であって、セーフティネットとしての専門家とは違う気がします。

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改めて【命】について考える【私見】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

コロナ禍で自粛が続き在宅時間が増えた人も多いと思います。そんな中、ペットを迎える人が増えているようです。

外出自粛でインターネット利用時間も増え、SNSを見れば可愛い犬猫の画像が溢れ、「可愛い!飼いたい!これを機にお迎えしよう!」と思う人がいてもおかしくありません。

現代日本で飼われている犬猫のほとんどが愛玩用のペットであり、昔のように番犬のために犬を飼い、ネズミを捕ってもらうために猫を飼う・・・は少なくなっています。家族同様大切にされ、扱われている犬猫、昔に比べて随分長寿になってきたので、人間と同じように病気になった犬猫を連れ、動物病院に通うことも増えました。

生き物を迎えるということは、大袈裟に言えば(私は当たり前のことだと思っていますが)命を預かる、その命に責任を負う、ことだと思っています。

犬猫に限らず、生き物と暮らす前に思い描いていた生活。しかし「こんなはずじゃなかった」があらゆる場面で表れるものです。生き物(の世話)に使う時間、お金が思ったより負担になることは、共に暮らし始めてわかることではないでしょうか。

生き物その種に合った環境を整え維持し、餌、新鮮な水、体調を崩せば病院、病気や怪我をすれば通院治療に自宅で投薬や看病、歳を取れば人間のように認知症様症状が表れ、あちこちで粗相、寝たきりになれば時間など関係ない介護。

ペットを迎えることは、最期まで命に責任を持ち、飼育を途中放棄しない。これは絶対だと考えています。

安易に子供のためにミシシッピアカミミガメ(ミドリガメ)を飼い始め、思ったより大きくなったからと池に放す。たかが金魚すくいの金魚だからと適当に扱い、ゴミのように捨てる。おとなしく飼育が簡単と聞かされ飼い始めるフトアゴヒゲトカゲ、モフモフして可愛い、垂れ耳が可愛い、短足が可愛いと飼い始める長毛猫やある種の猫たち。

小さなミドリガメがフルサイズになるとどのくらいの大きさになるか知っていて飼い始めたのでしょうか。可愛いミドリガメは肉食で、大きくなると案外凶暴になることを知っているのでしょうか。日光浴をしないのであれば、爬虫類用ランプが必要で、それがなければどのような病気になるのか、カルシウムが不足するとどうなるのか、そうさせないためには何をすればいいのか。

ホームセンターの片隅でお手頃価格で売られている、ひょうきんで可愛いフトアゴヒゲトカゲ。最初にどれだけの飼育用品が必要なのか、その生態はどんなものか。

すぐに毛玉だらけになる長毛猫の日々の丁寧なブラッシングは不可欠ですし、垂れ耳猫や短足猫は遺伝的にさまざまな障害を持ちやすいことを知っているのでしょうか。

我が家にも前記した長毛垂れ耳猫が二匹、長毛猫が一匹、日本猫が一匹います。手入れの行き届いた長毛なので、やたら高級感はありますが、いずれも可愛い盛りの子猫からではなく、ブリーダー多頭崩壊や繁殖リタイア猫、保護猫たちで、成猫で我が家に来た猫ばかりです。

親友も無類の生き物好きで、多くのユニークな動物たちと暮らしていますが、命との向き合い方はとても真摯です。

どのような生き物でも、人に飼われた途端、人に依存してしか生きていく術を失うのです。自然界ならば、病気になり歳を取れば自然淘汰されていく命でも。

大きくなったから可愛くなくなった、歳を取って臭くなった汚くなった、病気になってお金がかかる、避妊手術をしてないから(可哀想で)子猫(子犬)が産まれたけどいらない・・・自分から飼い始めたくせに、身勝手極まりない理由で保健所に持ち込まれたり、遺棄される生き物たち。

いらなくなったからと捨てるのなら、生き物を飼ってはいけないと思うのです。手間のかからない(懐きませんが)マリモくらいにしておくのが良いのでは?と思うのです。

あなたが、最初は可愛がられ大切にされていたのに、歳を取ってヨボヨボになった時に信頼していた飼い主に「汚いからもういらない」と棄てられたり、飼育放棄され餌も貰えず、世話もしてもらえなくなったとしたらどうでしょう。

人間のように細分化した感情はないと思われている一部の生き物ですが、信頼や情はあります。嫌がることをすれば嫌われますし、可愛がっていれば飼い主でなくても懐いてくれます。好き、嫌い、怖い、痛い、嬉しい。これだけの感覚、感情があれば十分ではないでしょうか。

心から尊敬する獣医師がいます。どんな小さな命でも全力で助けようとし、実際に持ち込まれる動物は犬猫に留まらず、ヘビやトカゲはもちろん、小さなアマガエルに金魚まで。日本一多くの種類の動物を診ている獣医師と言われており、我が家の動物たちも度々お世話になっています。

命を尊び助けようとするその姿勢のほんのわずかな気持ちでも、生き物を飼う人たちにあれば、今の無責任で悲しい実情を変えられる気がしてなりません。

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意識が高い人と意識高い系ウザイ人

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

「もっと〇〇だったら」「ここをこうできれば」「あの時〇〇しとけば・・・」と、過去を振り返りグダグダ悩み、足掻く生き物が人間です。

「あいつはポジティブだからなぁ」「私はネガティブだからダメ・・・」などと耳にしますが、本来誰しも両面持ち合わせているものではないでしょうか。

過去の経験、場面や気持ちの持ち方、捉え方、その時々のストレスをどの程度ストレスコーピングができるのかなども影響し、ポジティブ、ネガティブの割合が変化するものだと思っているのです。

私自身、決してネガティブ寄りではありませんが、だからと言ってポジティブ絶対主義(原理主義?)でもありません。

何かとポジティブ=善、ネガティブ=悪、と捉えられがちですが、本当にそうなのでしょうか?

例えば、不安を感じやすく、失敗が怖くてなかなか一歩が踏み出せずグズグズ悩みネガティブな人。

見方を変えれば、いろいろなことを細かく考え、繊細でとても慎重な人、だとも考えられませんか。

いつまでも踏み出せず不安にばかり包まれていると、それはそれで困ったことになってしまいますが、

そもそも人にはその人のペースというものがある

ものですし、それを完全無視して(尊重せずに)、良かれと無意識に尻を叩く(優しく)というのは『小さな親切、大きなお世話』にもなりうるウザイ行為になるのです。

ゴシップ雑誌にありそうなタイトルの【意識高い系ウザイ人】ですが、実際に私が経験したことからお話しします。

彼女はとても上昇志向が強く、いつも何にでも全力投球で、「もっともっと」を求めるエネルギッシュな人でした。自己啓発セミナーや能力アップセミナーに通い、啓発本やハウツー本をせっせと読んでは実行に移し、「コレは!」と思ったものは誰かれ構わず積極的に薦める人。

ここまで極端でなくても、啓発本マニアはいますよね(笑)本棚には次々と出版される『稼げる人がやっている〇〇の習慣』だとか『できる人になるには〇〇をやれ』みたいな本がズラリ。

いや、いいのです。誰がどんな読書傾向であろうと。問題はそこではありませんから。

あれこれ手を出すうちに自分にマッチするものと出会い、上手くいったとすれば誰かに薦めたくもなるでしょう。本当にその人のためを思い、オススメしてきてくれることもあるのでしょう、たまには。

でも、あまり必要としていない(考えてもなければやりたいとも思っていない)ことを、「あなたのためを思って」を大義名分にして、延々と薦めてこられるのは、大きなお世話の保険勧誘、甚だ迷惑な宗教勧誘、一歩間違えれば犯罪になりうるネットワークビジネス勧誘に似ているところを感じませんか?

実際、「〇〇しなきゃ!絶対〇〇したらいいって!」「あなたは〇〇だからダメなの、△△してみれば?」「あーダメダメ!それじゃちっともポジティブじゃない」とダメ出しばかりされ、地味にムッとしたことを覚えています。ちなみに、その相手に何かを相談したことは一度もありません(笑)

「一緒にセミナー(啓発系)に行けば生き方変わるって!」と啓発セミナーに引っ張り出されて、何故か大宇宙と交信させられたり(できない)、体育会系の暑苦しいノリで気合いの話ばかりされたり(気持ちは氷点下に冷え冷え)したこともあります。

その結果・・・。

繊細ではない私でも、彼女の顔を見ること、声を聞くことが苦痛になり、全力で避けるようになってしまいました。完全に苦手意識を持ってしまった、ということです。

私は彼女を尊敬していましたし、そのエネルギッシュな生き方を羨ましく思う部分もありましたが、だからといって、“彼女のようになりたい”や“彼女のやり方を採り入れ、変わりたい”と思っていたわけではありません。望んでもいないことを“あなたのためになるから”と、彼女のペースで無理矢理薦められた結果、ありがたいを大きく上回る“鬱陶しい人”になってしまったのです。

最初は幾重にもオブラートに包んでやんわりと迷惑を伝えましたし、あまりの伝わらなさ具合に、直球で迷惑だと抗議したこともあります。

しかし、自分の学んだやり方で上手くいった経験を持つ彼女は「あなたを思って」が前面に出て、“こんなにもあなたを思ってるから薦めてるのに”と、飽くまで善意であり好意だと思い込んでいるので、どうやっても伝わらないのです。

彼女の目には、拒否する私が“あなたを思ってるからなのに!私の気持ちをわかってくれない!”と映ったようでした。仲違いする気はありませんでしたが、私のペースや考え、意思を無視した彼女の押し付けを拒否したことから関係に溝を生み、関わりが薄くなっていきました。

意識が高いこと自体はとても良いことだと思いますし、志高く努力を重ねていくことも素晴らしいと思います。しかし、“あなたにとってベストで素晴らしいもの”が他者にはそうとは限らないのです。それを確認もなく他者にグイグイ薦めてくるのは如何なものか?

意思を尊重し、ペースに考慮し、押し付けでなければ、話をしているうちにひょっとしたら興味を持ってくれるかもしれません。持ってくれなければ潔く諦め、興味を示した時に“あなたのため”などというインチキ臭い耳障りの良い言葉を使わずに話をしてみる、これで十分だと思うのです。

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何だか疲れるズレ

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の会話泥棒についでに、会話のズレについて話そうと思います。

どんな場面でズレて、何故ズレるのか、ぶっ飛んだトンチンカン返しになるのか考えてみます。

話をしていて、激しくトンチンカンな場合もあれば、微妙な会話のズレとしてモヤモヤすることがあります。これも重複がある息子を例に会話のズレを見ていきましょう。

中学生の息子はASDもある重複で、会話から早合点したり、違う方向に勝手に解釈したり、他者感情を考えない独特の受け取り方や被害的な受け取り方をする特徴があります。それが原因で、起こらなくてもよい衝突が学校でも家庭でも日常的に起こります。

まず彼は、コミュニケーションの大原則、5W1Hのどれもが適当か、スッポリ抜け落ちたコミュニケーションスタイルで、彼の話したいことに辿り着くまでかなり時間がかかります。

「話したいことを今言いたい!今!!」というADHD衝動性に突き動かされ、頭に浮かんだことからそのまま口に出すので、のっけからまったく意味がわからない、端折りまくりの、息子本人にしかわからない噛み合わない会話(?)がスタートします。

例えば、とある日の息子との会話。

息子:800円!
:いきなり何??
息子:(微イラ気味に)だーかーらー、提出!!
:教材徴収金ね、プリントと封筒をもらってない?
息子:(中イラ気味に)だーかーらーっ!教材費!!
:それはわかった、プリントと封筒があるんじゃない?
息子:明日800円いるんだよっ!!
:それもわかった、いつも教材費徴収連絡プリントと一緒に封筒をもらってくるでしょ?
息子:お釣りなく出さなきゃいけないんだってば!!
:いつもそうだから知っているよ、封筒ないの?こっちで用意するの?
息子:1,000円札じゃダメって言われた!
:だからさ、さっきから教材費用の封筒あるかどうか聞いてるでしょ?
息子:(イライラMAXぶちギレて)もー!!話通じないなっ!

かなり、かな〜り疲弊します。彼の頭の中では話したいストーリーが全部繋がり出来上がっていて、私の頭の中でも繋がっている(わかるはず)と考えているのです。私はただの凡親でエスパーではないので、いきなりの800円から息子が言いたいことを全部を察し、汲み取ることはできません。でもそんなことはお構いなしなのが息子です。

これは極端なトンチンカン返しですが、微妙な会話のズレはもっと頻繁です。

:このマンガ面白いね、動物好きな人が描くマンガって、生き物あるある多くて面白くない?
息子:この人、カエルの絵下手。
:いやいや絵の上手い下手じゃなくて(実際は特徴を上手く捉えていてとても上手い)、内容、内容。
息子:こんなカエルいるわけない、見たことない。 ←マンガだからデフォルメされている。

↑全然会話になっていません。

:今回の都知事選は立候補者多いね、ビジュアルもマニフェストもなかなか個性的だよねー。
息子:気持ち悪い、落ちればいいのに。具合が悪くなった。
:いきなりナニ??
息子:僕は投票しない。←そもそもまだ君に選挙権もありません(笑)

↑人の話を聞いてませんね。

一度ICレコーダーで普段の会話のやり取りを録り(いつも会話がズレるので、いつ録っても見事なズレっぷりが録れる)、コミュニケーションのどこにズレがあるのか二人で聞いたことがあるのですが、息子曰く「母さん・・・意味わかんない!オカシイ!」と、自分ズレしてない自分オカシクナイ!で話になりませんでした。

ASDの人と会話をすると、心の理論が薄かったり欠如していたりすること、認知の違いから微妙にズレた会話になるのはよくあることですが、息子はかなり極端だと思っています。

はっきり言語化されていなくても、会話の中からの情報を繋ぎ合わせたり、表情、仕草といったノンバーバルコミュニケーションから、察することや汲み取りは得意なのですが、日々息子とやり取りしていると、会話がズレずトンチンカンなことを言い出さない人と、しっくり噛み合った話をしたくなるもので、そんな時は仲の良い友人相手にガス抜きさせてもらっています。

「朝から雨だと気分が上がらないよね」と話し掛けたら、皆さんはこの他愛もない雑談にどう答えますか?ちなみに息子は「梅雨なんだから当たり前に雨降るよ」でした(笑)

このやり取りをズレと感じますか?ズレていないと感じますか?コミュニケーションとしてまったく成り立っていないわけではありませんが、明らかにズレています。

普通(この表現はあまり好きではありませんが)は「ほんと、憂鬱な気分になるよね」だったり、「え、雨好きだからウキウキしちゃう(笑)」になるものです。何故なら、朝から雨だと“気分が上がらない”という“気分”について話が振られているからです。

「困ったな、事故で電車が遅れてるから取引先に間に合わない」に対し、「日本の鉄道は世界一正確だと言われてるんですよ」だと、ズレていると思われてしまいます。私も当然ズレを感じますが、間に「それは困りましたね、連絡取れてますか?」→「すぐに電話しなきゃ」からの「日本の鉄道は世界一正確だと言われているんですが、事故だと流石に遅れ出ちゃいますよね」という流れであればズレもトンチンカンも感じません。

A:ここのホットサンド、美味しいんだよ。
B:パセリ、嫌い!

これでは会話が噛み合っているとは言えませんよね。Bは言いたいことを言ってるだけで、コミュニケーションとは言えません。

会話はキャッチボールです。

投げっぱなしは会話ではないのです。

気になるキーワードにだけ注目して反応し、目の前にいる人が何を言わんとしているかを意識(無意識にですが)して噛み合った会話をしないと「何だか話が通じない」「ちょっとズレてる」「人の話、聞いてないの?」と思われているかもしれません。

「そんなこと言っているんじゃないんだけどな」←着目点のズレ

「何でそう受け取っちゃうかな」←認知の違い

これが繰り返されると「あーもう疲れる・・・。」になるものです。

会話する、って案外難しいものだと思いませんか?前回に引き続きコミュニケーションについて書いてみましたが、改めて自分のコミュニケーションスタイルを意識したり、自分のクセに目を向けてみると、今までよりより会話が弾んだり、コミュニケーションが楽しくなるかもしれません。

あなたのコミュニケーションクオリティがワンランクアップするといいですね。

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神出鬼没?【会話泥棒】にご注意

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

【会話泥棒】

ご存知でしょうか。

泥棒と付いていると何やら穏やかではありませんが、“物を盗み取る”という泥棒ではありません。

皆さんの周りにもいませんか?話をしていると、まだ話し終わっていないのに「聞いて聞いて私も〜」と話を被せてきたり、「私なんかさ・・・」「私だって・・・」と、自分の話に持っていってしまう人。

持っていってもすぐに話をしていた人にバトンを戻せばいいのですが、大概奪ったバトンは奪いっぱなしです。

A:ちょうど出かけてる時に雨が降ってベランダの洗濯物が濡れたよ、最悪。
B:そうそう、いきなりの夕立だったよね。
A:買い物も中途半端、洗濯やり直しで散々!大丈夫だった?
B:タッチの差で取り込めたから大丈夫だけど、雨で買い物に行きたくなくなっちゃった、洗剤買わきゃもうないのに・・・。
C:うちも洗い直しになっちゃった。午前中に買い物を済ませてたのが救いだったかな。洗剤切らすと困るよねー。

↑これは会話のキャッチボールが上手くできている状態。

A:ちょうど出かけてる時に雨が降ってベランダの洗濯物が濡れたよ、最悪。
B:そうそう、いきなりの夕立だったよね。
A:買い物も中途半端、洗濯やり直しで散々!大丈夫だった?
B:タッチの差で取り込めたから大丈夫だけど、雨で買い物に行きたくなくなっちゃった、洗剤買わな・・・。
C:うちも洗い直しになっちゃった。ていうかさ、この前雨が降った時、うちの主人ったらさ〜・・・

↑これ、会話泥棒が混じってますが、誰が会話泥棒になってしまっているかわかりますか?二人で話している時はもちろん、数人で話をしていても無意識に平気で“自分の話”に持っていく人がいます。

話しを相槌を打ちながら聞くのは、聞いてもらう側にとっても心地好い会話を楽しめるものですが、話を被されたり途中から自分の話にすり替えて会話ごと自分の話したい流れに持っていってしまうこと、これはいけません。

ここに発達障害が加わると・・・

ADHDなら、“雨”“買い物”“ベランダ”など会話に含まれる、自分が気になったキーワードから話したいことを抑え切れずに(衝動性)、話を被せてきたり、話さずにいられなくなり、結果会話泥棒になってしまうことも。

重複がある息子は、目に見える多動はないものの(脳内多動のみ)、ADHD衝動性も強いので、誰かと話しているとそれが電話でも、気になったキーワードに反応して口を挟んでくるので「人の話にいきなり割り込まないで」「話を被せてこないように」「いきなり自分の話始めない!」と口を酸っぱくして注意することの繰り返しです。地味に疲れます・・・。

誰でも話を遮られたり、いきなり割り込まれたり、最後まで話したいのに勝手に話題を変えられたらムッとするものです。電車移動をしていると、聞こうとしなくても自然と会話が耳に入ってきて、「あ、会話乗っ取られてる」と思うことがあります(笑)

行動観察がてら注意を向けていると、乗っ取られてしまった人が一瞬「え?」の後、ムッと表情に出したことにも気付かず話を続けているので、乗っ取られた人は相当面白くないだろうな〜と思います。

これが毎回続いたらどうなるでしょう?

「あの人と話しても何だか楽しくない」

「いつも自分の話ばっかり」

「人の話をまったく聞かない」

こう思われてしまうのです。

何故か嫌われてしまう人の中には、この【会話泥棒】が原因の人もいるので、今一度自分のコミュニケーションスタイルを振り返ってみるとよいかもしれません。

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思考について考えてみる【後篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

ひと口に思考と言っても、今は“〜シンキング”というものが流行りのようで、多くの思考法が溢れています。

よく聞く言葉に『ポジティブシンキング』がありますが、今回はポジティブ、ネガティブという“捉え方”ではなく、

“如何に考えるか?”

という思考方法の話です。

思考は、

  • 思考を広げる(幅)/水平思考/ラテラルシンギング
  • 思考を絞り込む(深さ)/垂直思考/ロジカルシンキング

大きくこのふたつに分けられ、

  • 思考を疑う/クリティカルシンキング

を合わせて3つの思考法と言います。

ラテラル

ロジカル

クリティカル

この3つのシンキングについて話を進めていきたいと思います。

重ねての説明になりますが、それぞれ

●ラテラルシンキング → 水平思考(幅)
●ロジカルシンキング → 垂直思考(深さ/論理的思考)
●クリティカルシンキング → 批判的思考

で、ロジカルシンキングは論理的課題解決力と言えます。

ロジカルシンキング=課題解決力、というと何が何でもロジカルシンキングが良い!と思い込みがちですが、必ずしもそうではありません。

ロジカルシンキングは考えねばならない一つの課題に対し論理を構築し、より深く考察していく考え方で、ラテラルシンキングとは、前提や過去の情報に捉われず、斬新な解決策を模索する、広がりのある自由な考え方です。

クリティカルシンキングは“批判的思考”と訳されますが、決して攻撃的な意味ではありません。

これでいいのだろうか?本当に〇〇は△△なのか?と

前提を疑う思考法

です。解決すべき課題に対し、自らの考えを疑う(疑問を持つ)、です。

わかりやすいのはテストの見直しですね。

「この公式で出した解だから正解に決まっている」という気持ちで見直しをしても、間違いを見つけられないことがあります。

「この問題を解くのに、この公式でよかっただろうか?」という気持ちで見直しをする、これが見直しをする上でとても大切になります。

クリティカルシンキングを心掛けるために、陥りやすい幾つかのバイアスがあるので意識しておく必要があります。そのバイアスは次のとおりです。

▷都合の良い結論ありきで考えてしまう。
▷自身の中にある記憶や知識だけに頼る。
▷情報をアップデートせず、最初に得た初期情報に依存する。
▷反対に、アップデートされた情報だけを頼り、初期情報を蔑ろにする。
▷うまくいかなかった時に他責方向で考える。
▷自身の知識や体験にこだわり、ニュートラルな視点で発想できない。

以前にもお話した【認知バイアスの罠】がここでも働いてしまうのです。

時と場合によっては、ラテラルシンキングで多角的に広がりをもって考え、ロジカルシンキングでより深掘りし、クリティカルシンキングで疑問を投げかけ検証し、さらに考えに修正を加え研鑽していく・・・が、最善の解を導き出す方法であったりもします。

どの考え方が一番良い、ということではなく、いろいろな思考法をバイアスを取っ払い柔軟に駆使しながら課題解決に取り組む、この姿勢こそが大事なのではないかと思うのです。

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思考について考えてみる【前篇】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

いきなりですが“考える力”を育むために必要な要素とは何だと思いますか?

それは、

知識力と思考力

です。今回は知識力や思考力、また思考方法などを前篇・後篇で書きたいと思います。

知識力とは、その人自身が持っている知識の量ですが、暗記が得意で知識だけが溢れるほどあっても、思考力が伴っていなければ考える力が高いとは言えません。

知識力と思考力をマスク製作を例に出して考えてみましょう。

マスクを作るために必要な道具(ミシン、縫い針、ハサミなど)や材料(さまざまな布やゴムひもなど)が考えられます。

●道具の使い方やさまざまな布やゴムひもの性質をどれくらい知っているか?

↑これに該当するのが知識力になります。

●どの素材(夏だから接触冷感にしよう、冬は暖かな肌触り。ゴムひもは耳が痛くならないニット製、それとも耐久性のどちらを選ぼうかな)を使い、どんな形のマスク(立体型?プリーツ型?など)を、何を使って(手縫いだけにしようか、ミシンを使おうか)どのような手順で作るのか(先にまとめて裁断しようか、ゴムひもから取り掛かろうか)?

↑これに該当するのが思考力になります。

道具や材料が揃っていても、

  • 何のために
  • どのようなマスクを

をイメージできなければ実際の行動に移すことはできません。取り掛かれても、途中でグダグダになることが目に見えています。

私たちは、

無意識に知識を使い、知識を発展させたり応用するという思考がセットになって行動に繋がっている

ことが分かってもらえたと思います。

一度自分の行動を振り返り、

どのような知識を使い、それを発展、応用しているのかを意識してみる

とわかりやすいと思います。

料理、買い物といった家事、営業や接客、指示されたものを作り上げるといった仕事、そこには蓄えた知識を柔軟に発展、応用しているあなたがいるはずです。

後篇では思考法について考えてみます。

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視覚機能って?

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回はASD・ADHD重複を持つ息子を例にしながら、【視覚】についてさまざまな角度から簡単にお話したいと思います。

発達障害と言っても、<先の見通しを立てることが苦手><こだわりが強くて融通が利かない><部屋が片付けられなくてカオス><忘れ物が半端ない><先送り癖がヒドイ>といった、比較的わかりやすい特性だけを取り出して『ASDなんだから』『ADHDだし』と、困り感を一言で表すことはできません。

仮に診断名が同じであっても、特性の表れ方や濃淡には差がありますし、元となる性格の違い、見落とされがちですが、成育歴や取り巻く環境によっても本人の困り感、周りの困り感の表れ方が違うからです。

発達障害の中には、息子のように視覚機能に弱さがあるケースも非常に多く見られます。視力も数ある視覚機能の一つですが、視覚機能は視力だけを指すのではなく、

  • 眼球運動や両眼の使い方、それを調節する【入力機能】。
  • 視覚情報を記憶、認知したり想像する【処理機能/視覚認知】。
  • 見たものを体と協調させる【出力機能】。

があり、これらをまとめて【視覚機能】と呼びます。

視覚機能の“入力系”に弱さがあると、

  • 読むのにかなり時間がかかる。
  • 本を読む時に文字や行を読み飛ばしてしまう。
  • 読んでいるところがわからなくなる。
  • 板書を写すことに時間がかかる。
  • キャッチボールや球技が苦手。

“処理系”に弱さがあると、

  • 漢字やひらがなを覚えることが苦手。
  • 同じ間違いや反転文字(鏡文字)が多い。
  • 身振り手振りを真似することが苦手。

眼球運動機能や空間認知もこの能力に関係しています。

“出力系”に弱さがあると、

  • 細かい手作業が苦手。
  • スポーツが苦手(球技、縄跳び、跳び箱など)。

いろいろな場面で<不器用>という形で困り感が表れます。

視力だけが良くても、目で見た情報を処理する機能が上手く働かなければ、脳でその情報を処理できず体が動けなくなってしまいます。不器用さは手先指先だけのことと思われがちですが、実は視覚機能と深い関係があるのです。

次から次へと山のように困り感が噴出中の息子を例にすると、彼は学力に大きな問題がないにも関わらず、

●板書を写すこと。
●文字の大きさを揃えてバランスよく書くこと。
●スポーツ全般、特に球技。
●自転車に乗ること(乗れることは乗れます)。
●よく物を失くし見つけられない。
●紐を蝶結びしたり、ビニール袋を丸めて片結び。
●(服などの)ボタンを留める。
●工作や裁縫。

など多くのことに困り感があります。本人の自己理解や障害受容がまだまだのため、困り感といっても実際には本人はどこ吹く風の状態で、専ら私を含め、周りが支援だ、トレーニングだ、自己理解だ、と対応策に追われているのが実情です。

学校生活を送る彼の、視覚機能で一番の課題は“眼球運動”です。人は誰でも【眼球運動(情報入力)→ 視空間認知(情報処理)】という過程を辿りますが、眼球運動に弱さがあると、かなり生活に影響が出てきます。

この“眼球運動”には追従、跳躍とあり、追従はゆっくりめに眼球を動かす運動、跳躍は素早く眼球を動かす運動です。例えば、“右(左)から左(右)へ向け、ゆっくり移動させる指先を顔を動かさず目だけ(視点)で追う”は追従、“両手を広げて左右の指を一本立て、その間を顔を動かさず目(視点)だけで素早く移動させる”は跳躍、になります。

息子は追従運動にはさほど苦手ではありませんが、跳躍運動には問題を抱えており、ビジョントレーニングを継続していますが、頭痛まで加わりかなり疲れるようです。

視覚機能のチェックポイントの“入力系”“処理系”を見ていくと、幾つかの特徴があります。これはあくまで学校生活から見たチェックポイントになりますが、大人でも当てはまる部分があるので参考までに。

〜入力系〜
▷文字を読むのに時間がかかる。
▷読んでいるところがわからなくなる。
▷読む時に文字や行を読み飛ばしてしまう。
▷ボールの受け取りがとても苦手。
▷作業時に忙しなく視線を動かす。
▷板書や文字の書き写し(辞書を見ながらノートを写すなど)に時間がかかる。
▷図形が苦手。
〜処理系〜
▷左右を間違えやすい。
▷ひらがなや漢字を覚えることが苦手、同じ間違いや反転文字(鏡文字)が多い。
▷目で見て動き(体操、ダンス)を真似ることがとても苦手、あるいはできない。

『学校の勉強、全然できなくて・・・頭悪かったもんなぁ』が、知的な問題ではなく、実は視覚機能に何らかの弱さがあったのかもしれません。

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愚痴の効用/副作用

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

普段からさまざまなストレスに囲まれて生活する私たちにとって、切っても切り離せない【愚痴】、今回は愚痴についてお話します。

愚痴には、

前向きな愚痴

ただ垂れ流す愚痴

の二種類があることをご存知でしょうか。

誰でも嫌なこと(理不尽、不快、怒り、悲しみ)がなければ愚痴はこぼしません。

その愚痴には、

  • 気持ちを落ち着ける。
  • 気分を切り替える。
  • 口に出すことで頭(あるいは気持ち)を整理する。

という効用があります。これは愚痴をこぼす側からの視点です。

愚痴をこぼされる側の視点で効用を考えると・・・、

  • 何で怒って(不快になっているのかわかることで、その人をより理解することに繋がる。
  • 自身の傾聴力が上がる。
  • 傾聴姿勢を持つことで、その人との間に信頼関係が生まれる。

こういったところでしょうか。

愚痴にはマイナスイメージばかりで、特に男性には『カッコ悪い(みっともない)から愚痴は吐きたくない』という人が多いように思います。世代にもよるかもしれませんが、私のパートナーもまさにこのタイプです(笑)。

確かに、会えば愚痴、口を開けば愚痴オンリー、では疲れるものです。ただ頑張っている人の愚痴(弱音と言い換えてもいいかもしれません)と現状を変える気もなく努力もしていない人の愚痴には、聞く側の気持ちは違うと思いませんか?

「共働きなのに旦那が全然家事を手伝わないのよっ!」という愚痴を例に考えてみると・・・。

毎回イライラを吐き出すだけで改善策(感情的にならず落ち着いて家事分担について話し合う)を講じず、「手伝ってくれない!」という愚痴だけを延々とリピートされるのと、最初は「家事を手伝わない!」という愚痴でも、次に「ちゃんと話をしようとしてるんだけど、『疲れてる』とか『今度聞くから』とか言って話し合いから毎回逃げるんだよね・・・(どうすれば話し合えるかなぁ)」になると、多少前進しているように感じませんか?

同じ話を何の進歩もなく(ないように感じる)、何の努力もしていない(ように感じる)と、愚痴を聞かされる側は疲れてくるものだとわかっていただけましたか?

関係や距離をわきまえず、誰かれ構わず話といえば愚痴や他者の悪口ばかり・・・そんな人もいます。聞いているだけで負のパワーがこちらのエネルギーを吸い取りそうです。一定の関係、距離で、ある程度の信頼関係がないと、愚痴を聞かされる側はその人物の性格や背景がわからないことで、『また(同じ)愚痴か・・・』とウンザリするものです。

先ほど、パートナーは愚痴をこぼさないタイプだと書きました。突然彼がポツポツ愚痴(らしきもの)をこぼすようになったのは、信頼関係がしっかり出来てからだったように思います(それまで数年は要した気がします)。側にいて彼の頑張りを見てきている私は、ようやく愚痴をこぼしてくれるようになったと嬉しく思ったものです。でも、親友以外の相手や馴染みの飲み屋などではまったく愚痴は言わないか、あるいは言いたくない心理が強く働き、それは今でも変わらないようです(笑)

●コップから溢れそうだから、溢れないためにこぼす愚痴。
●コップから溢れてしまった部分を愚痴としてこぼす愚痴。

二つの意味が愚痴にはあると考えています。

私も信頼関係があり、互いの背景がわかっている時には愚痴を言います。一旦立ち止まり頭を整理する、疲れたからリカバリーする・・・ための愚痴ですね。

愚痴を受け止めてくれる存在の、長い付き合いの親しい友人たちやパートナーは、私の今までの経緯や背景をよく知っており、共感と共に聞いてくれます。ただ聞いて共感してくれる、手厳しいアドバイスをくれる、どちらも本当にありがたいと思っていますし、周りに恵まれていることに感謝しています。

彼らも当然愚痴をこぼすことはありますが、ただただ垂れ流すだけの疲れる愚痴ではなく、もがき悩み、何とかしようと努力していることを知っているからこそ、気持ちに寄り添えますし、

共感の気持ちを持ち、その愚痴を“愚痴”とは思わずに話を聞くことができる

のです。

上手に愚痴をこぼせる

これも人間関係に影響します。積極的に愚痴をこぼしていいと思っていますし、そう話をしています。ただ、相手を選び、相手の状況も考慮したほうがいいでしょう。←ここを間違えると“いつも不満だらけで話を聞くのが疲れる人”になってしまいます。もちろん【会話泥棒】なんてもってのほかです。

愚痴=前向きなガス抜き

愚痴≠不満の垂れ流し

ちょっと意識してみませんか。

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“注意”をADHD(ADD)の特性から考える

一応緊急事態宣言は解除されましたね。まだまだ油断はできない状況に変わりはない中で、急に暑くなり、それでもマスクを外すことはできず、今度は熱中症にも注意しなければいけなくなりそうです。

お元気ですか?メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

さて今回は、生活していく上でいろいろな場面で必要となる能力、【注意】について、その種類や役割を、また、学校生活や家庭、社会生活でも困り感が出やすいADHD(ADD)の特徴と照らし合わせながら見ていきたいと思います。

軽くADHDのおさらいと、【注意】の種類やどのような場面でそれらの能力が使われるのかについて説明します。

ADHDは大きく3つのタイプに分けられます。

  • 多動/衝動性優勢
  • 不注意優勢
  • 上記を併せ持つ混合型

です。それぞれどのような特徴があるのかは発達障害のコラムを参照してください。

次に【注意】の種類や機能についてお話します。前回“分割的注意”とは?でお話しましたが、他にも幾つかの【注意】があります。

集中的注意(持続性注意)

選択的注意

分割的注意(分配性注意)

転換的注意

被る部分もありますが、例を挙げながらそれぞれの【注意】を説明します。

集中的注意(持続性注意): 一つのことに集中力を持続する機能(読書、テスト、書類をまとめる、作文を書く、授業を受ける、何かの作業をする、など)。

選択的注意:選択的注意には、今の自分にとって重要な情報を集める、不要な情報を遮断する、という二つの機能があります。 いろいろな情報から、自分に必要な情報を選択し集中する(ラジオを聴きながら勉強or仕事、散歩しながら献立を考える、など)。

分割的注意(分配性注意): 同時に一つ以上の情報に注意を向けながら行動する(複数で会話する、電話しながらメモを取る、運転しながら話をする、など)。

転換的注意: 一つのことに集中している時に、別のことに気付いて注意を切り替える(テレビを見ていて電話が鳴ったらすぐに話ができても気付かない、テレビを見ていて電話に気付かない、など)。

1日にどのような【注意】機能を使っているのか例を挙げ、見ていきましょう。あえて書き出すと、呼吸のように無意識且つ連続的に使っていることがわかります。

<設定>:週末。自宅に要介護の家族がおり、ヘルパーさんが訪問中なので、その間に近くのスーパーへ買い物に行った。

買い物帰りに友人に声をかけられました。週末で人も多く騒がしい街中、そんな場所で友人の声(話)に注意を向けます。← 選択的注意

久しぶりの友人との楽しい会話に注意を向け続けます。← 集中的注意(持続性注意)

会話を楽しんでいるとヘルパーさんから電話がかかってきたので、一旦話を止め、ヘルパーさんと話します。← 転換的注意

電話を切り、またすぐに友人と歩きながら話を続けます。← 転換的注意

道幅が狭い場所に差し掛かり、話をしながら後ろから来る自転車や車も意識します。← 分割的注意

何となくイメージできたでしょうか。

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