心境〜なんとなくモラトリアム

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

今回はここ何日かの心境について書こうと思います。独りよがりに思われるかもしれません。ご容赦ください。

ここ何日か、心に力が入らないという感覚があります。体は至って元気なのですが、心に力が入らない感じがします。落ち込むでもなく無気力とも違います。ましてや『鬱』とも違います。

似たような感覚は、若い頃もあったような記憶があります。当時は目標を失い、何をして生きていけばいいのか、わからなくなったと記憶しています。それをモラトリアムと言うのかもしれませんが、今まさにそんな感覚に包まれている感じがします。

モラトリアムとは『猶予』という意味だそうです。私は人生における猶予と解釈しています。学生時代のそれは通過儀礼のようなもので本人は苦しい思いをしますが、社会人になるために必要なことだと自らを納得させることができます。

しかし私の年齢は学生とは違い、一定の社会経験を積んでいるので、学生の時とは質の違うモラトリアムなのだろうと思っています。

ここで今までを振り返り、今まで生きてきたことを一旦総括せよ、という暗示なのかなと思ったりもします。

思えばいろいろなことがありました。ここでいちいち書きませんが、おしなべて運がよかったと思います。もっと言えば、運だけでここまで生きてこれた、と言っても過言ではないかもしれません。

いいことも嫌なことも、すべて必要なことというのは理解しています。困難、苦難の連続だったように思いますが、そう感じてこなかったなら『無難』ということになります。しかしながら、あいにく困難、苦難の連続だったと感じているので『有難』ということになります。訓読みすれば『有り難し』になります。つまり、私は有り難い連続を生きてこれた、ということになります。

そうであるならば、これからも有り難く生きていくためには、どうして生きていけばよいのだろう、という問題が芽生えているのが今の状態と言っていいかもしれません。

これからも困難、苦難が続くとすれば、それらの中に『生』を感じたいと思います。それを『充実感』というのかもしれません。いかに充実感を得られる困難や苦難と向き合っていくか、が問われているのだろうと思います。

今までも充実感を感じてこなかったわけではありません。多分、年齢的なこともあるのでしょうが、今までとは違う充実感を欲するようになったのかもしれません。

今、それを模索する時期に来たのかな、とぼんやり思っているところです。奇しくもゴールデンウィークに入りました。この短期間でそれを見つけられるとは思いませんが、模索し始めるにはいいタイミングだと思っています。

それでは楽しいゴールデンウィークをお過ごしください。

※5月のコラムは5日金曜日はゴールデンウィークのため休載し、10日水曜日より掲載します。

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ASDはなぜ攻撃的と言われるのか【2】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

前回の続きで、今回はASDの脳機能や特性から考える、“なぜ感情コントロールが難しいのか?”をお話しします。

発達障害(グレー含む)があると、脳の前頭葉の一部で神経活動が低下していると言われています。前頭葉は感情をコントロールしたり、思考やさまざまな注意、情報処理や実行機能を司っています。この部分の働きが弱いと感情コントロールが難しく怒りっぽくなってしまうのです。

また、ワーキングメモリー(作業記憶/短期記憶)の問題もあります。ワーキングメモリーは、一時的に記憶を保持したまま複数のタスクを実行していくための必要不可欠な機能ですが、発達障害があるとワーキングメモリーの容量が少ないことがわかっています。

16歳の息子を例に出すと、一度にひとつの指示なら問題なく入りますが、指示が2つになるとひとつは怪しくなり、3つになると2つは抜け落ちます。記憶の保持が得意ではないので「食べ終わったら食器は下げて洗い、ポン酢は冷蔵庫にしまって、残った小鉢はラップをかけて冷蔵庫、忘れずにクスリも飲んでね」←こんな指示を出そうものなら、あちこち抜け落ちてグダグダになります(笑)

一斉指示が通りにくいと言われる理由はここにあります。

学校では「次の時間は体育だから、体操服に着替えたらハチマキを準備し、今日使うボールを体育館に取りに行ってから校庭に集合、班ごとに並んで待っていてください」などと指示されますが、抜けまくりです。ただ、周りを見て他のクラスメイトたちの真似をすることで、上手くいくこともあります。

横道に外れましたが、このワーキングメモリーは、不安や心配事があったりストレスフルになるとあっという間に容量がいっぱいになります。キャパシティーオーバーの状態です。

こうなると、他のことを考えたり感情をセルフコントロールすることまで脳の手(?)が回りません。誰でも思いどおりにならないとイライラしてしまうものですが、発達障害がある人は余計に負荷がかかり、イライラしやすくなるため、怒りっぽい/キレやすい、と思われてしまうようです。

ASDには、あちこちに本人にしかわからない“こだわり”があるのですが、そのこだわりの強さからイライラしやすく攻撃的に見えてしまう人もいます。

息子が通院している精神科は発達障害を専門に診ている数少ないクリニックなので、突き抜けて個性的な患者も多く、時折、こだわりを曲げられず折り合いもつけられず、受付でブチギレている人を見かけます。実際にこんなことがありました。

患者:あそこにある時計が5秒遅れている!予約の時間がもう15秒過ぎているが、時計が5秒遅れているせいで、自分は20秒も待っている!一体何秒待てばいいんだ!(怒)」←この人は両腕合わせて4個も腕時計をつけていました。

数や時間、決まった手順でのやり方などにこだわりがある発達障害の人は多いですが、秒単位で強いこだわりをみせる人に出会ったことがなかったので、『クリニックも大変だろうけど、何より本人が生きづらいだろうな・・・』と思いながら眺めていました。

こだわりの内容や強さは人によってまったく違います。一方で“こだわりは強いけど場面に応じてこだわりの順位を入れ替え”たり、自分なりの折り合いの付け方を身につけている人もいます。こういう人は順応力、適応力が高いため、ASDであるけれども周囲からはASDとは気づかれない傾向にあります。

このように、特性からくるあれこれで定型と言われている人たちに比べると、不快になったり怒りっぽくなってしまうのは事実です。

理由もなくブチギレているわけではないので、一旦クールダウンしたり、時間をかけて丁寧に聴き取る、などを試し、互いに良い関係を築けるよう心がけてみたいものですね。

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ASDはなぜ攻撃的と言われるのか【1】

⚠︎:発達障害は先天的な脳の発達の偏りなので、親の躾や環境、また、本人のせいでもありません。発達障害をややこしくしているのは、無理解、無知からくる不適切な対応などでさまざまな神経症や精神疾患を併発したことによる二次障害といえます。

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

時として「ASDは攻撃的だ」と捉えられてしまうことがあります。

これは特性だけではなく、脳機能や本来その人が持っている気質も深く関係してくるので、一概に『ASD“だから”攻撃的』とは言い切れないということを注意した上で、さまざまな特性があるという側面からASDを理解すると何となくわかるかもしれません。

定型と言われる人たちと比べ、社会性/イマジネーション/コミュニケーションに弱さや違いがあるASDですが、独特のコミュニケーショスタイル以外にも多くの特性があります。

もちろんASDだからといって、皆が皆、同じ濃さで特性を持ち合わせているわけではなく、濃淡があります。これはASDに限らず、発達障害を考える上で重要なポイントです。

ある程度共通する特性としては、次に示すようなものがあります。『ある程度』というのは特性の濃淡により、強く出る特性とそうでない特性が人によってバラバラだからです。しかし、総じて次のような特性自体は持ち合わせていると言っていいでしょう。

思ったことをそのまま言ってしまう。

興味関心があることへの強い探究心。

空気を読むことが苦手。

急な予定変更や先の見通しが立ちづらいことに対し、強い不安・不快感情を持つ。

日常生活のルーティン化。

暗黙の了解や言語化されていないことを読み取ることが苦手。

他者の気持ちや感情を汲み取ったり、想像することが苦手。

マイルールが強い。

こだわりが強い。

(主に初対面の人との)雑談が苦手(特に意味のない雑談)。

気持ちの切り替えに時間を要し、ネガティブな感情をしばらく引きずる。

などなど。

これらの特性は意識的に見れば認識できることがありますが、目に見えないことが多いだけに、通常認識することは困難です。また、ADHDのように“忘れっぽい”“片付けられない”などとまったく違う特性も多くあります。

発達にアンバランスがあるとストレス耐性が低いためストレスを感じやすく、また、生きてきた中で否定されてきた過去からレジリエンス力(※)も低いので、リカバリーにも時間がかかります。切り替えが苦手な彼らはこの時間、とても苦しい(苦痛・不快・苦悶・無気力・絶望・自暴自棄などなど)時間を過ごしています。

※レジリエンス力:落ち込んだ後など、気持ちが乱れた後に立ち直る力。

次回はASDの脳機能や特性から考える、“なぜ感情コントロールが難しいのか?”をお話しします。

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認知と自動思考【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

今回は認知再構成法についてお話しします。

認知再構成とは、今ある認知を変化させることです。今ある認知を見直し、“再び”構成していく、で認知再構成です。

認知を変化させるとあなたの中にある自動思考が変化します。

自動思考が変化することで、引き起こされる感情に変化が表れます。

認知を変える→引き起こされる感情を変えることができる、ということです。

前回の社内試験に合格できない人を例にお話をします。

【現状→社内試験に自分だけが合格できない】

これを前回とは認知を変えて考えてみましょう。

「誰でも失敗するし、上手くいかない時はあるよな。誰でも失敗すれば落ち込むのは当たり前だ。大切なのは落ち込んでも前に進み続けようとすることだ、うん、そうだ!」

「足を引っ張ってしまい自分を疎ましく思う人がいるかもしれないが、自分には絶対に味方になって応援してくれる人がいる!」

こう変えることで落ち込み過ぎて絶望したり、必要以上の孤独感を感じることは薄くなります。

認知再構成により、感情をより良い方向に変えていく方法を認知再構成法といい、数ある認知行動療法のひとつです。

落ち込むことがあると悲観的な気持ちになるのは誰もが経験することです。

落ち込むな、ではありません。落ち込んだ後にリカバリーする力、“レジリエンス”を意識した考え方が認知再構成かもしれません。

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認知と自動思考【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前コラムで“認知”とはその人が持つ物事に対する捉え方/考え方という話をしたので覚えている人もいると思います。

2020.10.25コラム 2020.10.30コラム 2020.11.5コラム

また、“思考”とはその人が認識した物事についての解釈であり、【自動思考】とは無意識に自動的に頭に浮かぶ思考を言います。

認知(自動)思考に反映され、感情(自動)思考により引き起こされます。←一瞬のことなので気づかないかもしれませんが、誰もが思考する前に感情は先立っています。

そして、“感情は認知を変えれば変化する”←これがさまざまな認知療法のベースになっています。

今回は誰にでもある自動思考について、ちょっと深掘りしていきましょう。

思考が感情を生み出すという話はしました。

自動思考は勝手に自動的に頭に浮かび思考してしまうので、その人自身が意識することができません。

(自動)思考がどのように感情を生み出すのか簡単な例を挙げてみます。

(現状/状況の把握 A)
今回も社内試験に合格しなかった。
        ↓
(頭に浮かぶ自動思考 B)
同期は全員試験に合格しているのに、自分は足を引っ張っててダメな人間だ。きっとみんな無能だと思っているに違いない。
        ↓
(そこから生まれる感情 C)
絶望感と疎外感など。

実際は、

(A)現実の状況把握をすると、その解釈を脳が自動的におこなう。

(B)解釈した内容が思考として頭に浮かぶ。

思考の結果、

(C)さまざまな感情が想起される。

タバコをポイ捨てする人を見た。→やはり喫煙者は非常識だ!→腹が立つ/嫌悪する。

こんな感じでしょうか。

認知はその人自身の育ってきた環境や関わってきた人たちにより、生まれたその人自身の価値観や考え方が強く影響しますから、多少乱暴ですが限りなく平たく考えると、

認知=自動思考

と言えるかもしれませんね。

次回は認知再構成法についてお話しします。

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注意機能【2】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

人には触覚をはじめ全身に多くの感覚器官があり、視覚・聴覚・嗅覚・味覚からも膨大な量の感覚情報が大脳に送られます。

しかし、脳の情報処理には限界があるため入力された一部の感覚情報を取捨選択しています。今重要な情報にフォーカスし意識を向け集中するというのが注意機能の役割になります。

人の意識には無意識(潜在意識)/意識(顕在意識)があるのはご存知だと思います。生活する上で今必要な情報を抜き出し意識に上げ(顕在化)、大部分の情報は意識に上げない(潜在化)フィルターを持っています。

定型(もしくは健常者)と言われるタイプの人は、五感から入る多くの情報から無意識に今必要(重要)な情報を拾い上げ(選択・集中)顕在化しています。

スマートフォンで行き先を確認しながら歩いていて横断歩道に差し掛かった、と想像してみてください。目の前の信号を確認するのはもちろん、対向車が右左折しようとしていないか、スピードを出した車がこちらに向かって来ていないか、点滅する黄信号で向こうに渡り切れるか、自転車やバイクはいないか、渡ったらどちらの方向か、などさまざまな情報を無意識に感覚器官から受け取っていますよね。

定型(もしくは健常者)が意図せず無意識にやっている作業でも、発達障害/高次機能障害/認知症などがあると、多くの情報から特定の情報を拾い上げる注意の集中・選択が苦手だったり、できないことで日常生活に支障が出ることも多くあります。

ASDなどで感覚過敏があったりADHDがあると、感覚情報が多すぎて押し潰れそうに感じたり、脳内整理ができずパニックになったり、思考がフリーズしてしまう場合もあるのです。

自分ができることは誰でもできるだろうと思ってしまいがちですが、目に見えない特性から不得手だったり、できない人もいる、ということを知るのは大切なことだと思っています。

4月のコラムは5日水曜日は春季休業のため休載し、10日月曜日より掲載します。

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注意機能【1】

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

以前このコラムにも書きましたが、認知心理学で使う『注意』は、一般的に使われる“頭上注意”や“大雨注意報”とは意味が異なるという話をしました。

2020.6.5コラムより

私たちは『注意』をさまざまな認知機能のベースになるものと考えています。

注意の定義はなかなか難しいのですが、日常に溢れ返る多くの情報から自分に必要/大切な情報を選択する、選択/処理機能、それが『注意』であるといえます。

『注意』には大きく分けて【全般性注意】【方向性注意】がありますが、今回は私たちが日常的によく使う機能、全般性注意をお話ししようと思います。

全般性注意には、【持続性注意】【選択性注意】【転換性注意】【分配性注意】があります。持続“的”、選択“的”という表現もしますが意味は同じです。それぞれについて説明します。

【持続性注意】
持続する、繰り返しおこなわれる活動/作業の間(話を聞く/読書/勉強/運転など)、その行動を持続させる力。 ← 最も低次で基本的な注意。
読書/書類整理/勉強/運転などの作業を例にとると、注意集中を妨げる要因がない静かな環境で、一定時間集中して作業や行動を継続する能力のことをいいます。
【選択性注意】
複数の刺激がある状態(テレビ/他人の会話/外部の騒音など)がある環境で、これらの外部刺激を無視し、本来の目的作業、行動のみに専念する力。
アナウンスや音楽が流れ、人出も多い雑踏の中を歩きながら友人の話に耳を傾けるような状況で発揮される力です。
【転換性注意】
複数の情報処理を交互におこなう力のことで、例えば勉強中に電話がかかってきた時に電話対応中は勉強の手を止め中断し、電話を切った後にすぐまた勉強を再開する、などです。
この力が弱いと、止めなくてはいけないのにゲームを止められず、どんどん風呂に入る時間が遅くなってしまう/部屋の片付け中に出てきた雑誌を読み耽ってしまい、部屋が片付かない、などが起こりやすくなります。
【分配性注意】
電話をしながら要点をメモする/資料をまとめながらスケジュール確認をする/料理をしながら洗い物を片付けていくなど、複数の作業/行動を中断せずに継続し同時処理する力。 ← 最も高次で複雑な注意機能になります。
実際には二つ以上のことを並行して作業していくのでマルチタスクといえます。わかりやすい最たる例は料理で、究極のマルチタスクですね。

次回は注意機能を情報フィルターという視点からお話しします。

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『多様性』どこまで認める?【組織】

メンタル・イデア・ラボ、AEのスミです。

前回、『社会としてどこまで多様性を認めるか』ということを書きました。今回は【組織】、つまり企業の中において、どこまで多様性を認めるかを書こうと思います。私どもが考えるひとつの提示であって、決してこうあるべきという意味ではありません。

組織は社会と違い、狭い世界になりますが、社会篇の中で書いた『個人の権利を侵害しない範囲内』であることは、組織にももちろん当てはまることは言うまでもありません。

その上で、どこまで多様性を組織(企業)として認めるかを考えます。

組織の場合、より社員個々人の価値観をいかに理解し、あるいは説得していくかが問われると思うので、社会としてよりも複雑な問題を孕みそうです。学校でも同じかもしれません。

例えば、結婚。今の時代、結婚観は人それぞれです。今の団塊の世代の人たち辺りまでは専業主婦が多かったように思います。つまり男性は働き、女性は家庭を守るという長年日本を覆っていた結婚観です。当時女性は就職して結婚したら退職することが一般的でした。寿退社という言葉があったぐらいです。

今は違います。経済的な事情もありますが、それとは関係なく女性もキャリアを積み、働き続けたいと考える割合が当時と比して増えています。しかし、そこで今問題となっているのは、昔の結婚観と今の結婚観の狭間で、仕事(女性)・家庭(妻)・育児(母)の1人3役の重圧を背負わされた女性たちの存在です。

これは今最もホットな問題でもあります。組織の育児に対するフォローをどう構築していくかが問われていることでもあるからです。国ができることは限界があります。男女問わず、育児しやすい労働環境を創出するかは個々の組織で考え、取り組まなければなりません。社員個々人に合った具体的な施策は難しいかもしれませんが、組織に最も大事なことは、育児しやすい職場環境であることを社員に実感し安心してもらうことではないでしょうか。

恐らく、組織にとって多様性をどこまで認めるかの必要条件は、さまざまな価値観を持つ社員に、最大公約数的安心感を与えること、ではないかと思います。心理的安全性はそのひとつの解であり手法だと思います。

一方で、組織には社風という企業文化・企業風土があります。組織規模が小さくなればなるほど、トップの考えがダイレクトに企業文化となり企業風土になります。大企業であれば、長年培われた伝統がそれに該当すると思います。いろいろな組織があって当然だと思いますが、どんな組織であれ、これからの組織に求められるのは、社員の多様性をいかに認めることができる企業文化へと進化(深化)させることができるか、だと思います。自治体も例外ではありません。

思うに今組織が直面している課題は、社員の多様性と企業文化の間にある溝をどう埋めていくか、ということだろうと思います。

例えば産休・育休を考えてみると、制度は組織にあっても取得しにくい社風であれば、その制度はお題目に過ぎず、ポーズに過ぎません。活用されてはじめて制度が活きるというものです。

もっと言えば組織にそのような制度があるにも関わらず、直属の上司がいい顔をしない、あるいは取得しないように圧力をかけてくることもあるでしょう。そのような企業文化が蔓延ったままだと、社員の多様性など到底認められることはないと推察できます。

組織としてどこまで社員の多様性を認めていくかという問題は、即ち、溝を埋めていくかは組織の文化をアップデートさせる必要があると言えます。これにはトップをはじめとする経営層の思考回路を変える必要があります。

時代に支持される企業風土をどのように作り上げていくか、という仕事は経営層にしかできない仕事だと思います。業績や戦略を考えることも大切ですが、それを実行するのは人、社員です。その社員が能力を存分に発揮するためには、企業文化、企業風土というものがかなり心理面に影響を与えます。

とにかく行動しろ、失敗の責任は部長である私が取る。という企業文化であれば、社員は恐れることなく果敢に挑戦しようとするでしょう。失敗したら怒られる、責任を追求される、と思わせる企業文化、企業風土であれば、社員は挑戦して失敗するリスクを冒そうとは思いません。それはその企業にとって長期的な視点で見れば損失に繋がることにならないでしょうか。

ベンチャー企業が元気な傾向にあるのは、組織規模が小さくトップも若手が多いことを背景に、長年培った伝統も歴史もないため、いい意味で過去に捉われず、トップをはじめ社員の多様性の活用が一応できているからではないか、と思われます。(トップと社員の世代が近いせいか価値観を共有しやすい、あるいは立場の距離感も近いため、必然的にコミュニケーションが活発になり、制度化しなくてもよい面はある。)

このように考えてくると、組織において多様性をどこまで認めるか、という問題は、長年の伝統や歴史に培われた企業文化・企業風土をアップデートしつつ、その範囲内で社員に対して最大公約数的安心感を与えることだろうと思います。

社員の多様性をどこまでも認めべきとは思いません。やはりそこには企業ごとに一定の範囲内という制約は外せません。そうでなければ、その企業としての個性が失われることになるからです。社員もそうした制約の根拠を理解することが必要です。それにはやはり、コミュニケーションが肝になってきます。

組織として多様性をどこまで認めるかは、一人でも多くの社員にいかに気持ち良く安心して働く環境を提供していくか、という問題に言い換えられます。それにはまず、トップをはじめとした経営層の思考のアップデート、次に管理職クラスの思考のアップデート、そしてコミュニケーションスキルの向上だと考えます。

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サバサバ系女子

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

東京は桜が開花しましたね。平年より10日早いそうです。

さて、今回はサバサバ系女子について書こうと思います。

いますよね、自称サバサバ女子。

私は今まで何人か出会ってきました。まがい物のサバサバ女子ということで、私は“偽サバサバ女子”、略して“偽サバ”と命名します。

小さなことを気にしなくて大らか?同性同士のお付き合いが苦手で友人は異性ばかり?趣味がアクティブなサバゲーや海釣り?他者のバウンダリー(自他境界)をマルっと無視してズカズカ踏み込んでくる人?

偽サバ女子には特徴があります。

まず、本当にサバサバしている人はわざわざ自分から「私、サバサバしてるから」など言いません(笑)他者にサバサバしていると捉えられようと捉えられまいと、どうでもいいからです。

偽サバは自分の発言や行動で誰かが気を悪くしたり不快になる、傷つけることがあっても反省したり謝ったりしません。

「ほらぁ、私ってサバサバしてるから何でも思ってること言っちゃうの〜(だから悪気ないの、(´∀`*)テヘ)」と、自分が考えるサバサバした性格を免罪符に自己正当化して謝りません。

それは気遣いできないただの無神経な人だということがわからない残念な人なんですけどね。心で静かに合掌してあげてください(笑)

次によくいるのが「私ってサバサバしているから女の子より男友達が多くてー(男友達といるほうがラクでー)」と男友達が多い(モテる?)アピールする場面。

微妙にマウンティングしている感も否めません。このタイプは「映えスポットなんて、そんな女子らしいこと苦手だな〜、SNSやらないしぃ」と言いながら、異性との飲み会はシレッとアップします。

“男性に囲まれてる私”“男友達いっぱい”でモテるんだをマイルドにアピールしたい裏返しですが、なかなかの承認欲求です。

わざわざ男っぽい言葉を使ったり、多少乱暴な行動(飲み物の入ったグラスを適当に置くなど)を取ってみたりします。

整理整頓せず机が散らかっている様子を「私ってサバサバして男っぽいから(だから細かいことは気にしない (´∀`*)テヘ)」と、時間にルーズなことを、ただのいい加減でガサツ、デリカシーがなく下品なだけを“サバサバしてるから”と勘違いで免罪符にしようとしてきます。

勇気のある人は「それ、サバサバじゃなくて、ただガサツなだけじゃないの?」「それ、サバサバじゃなくてズボラでいい加減なだけだよね」と鋭くツッコムと面白いかもしれません。

私も「サバサバって、モノは言いよう、よね〜」と心の声がダダ漏れてしまったことはあります。

思っていることを我慢せず、思ったままに何でも言うのを“サバサバしてる”と勘違いしている人は一定数いますよね。言いたいことを言うなとは思いませんが、いい大人が相手に何の配慮や気遣いもなく、傷つけたり不快になるかもしれないことを考えもせず、ズバズバものを言うのは・・・。

ただのデリカシーのない無神経な人に他なりません。

わざと敢えてそのような言い方をすることは私にもあります。それは、相手が無神経でデリカシーのないバウンダリーオーバーな話し方をしてくる場合に、です。目には目を、歯には歯を、のような感じでしょうか。

「嫌われることを恐れず何でも思ったことを口にする私は裏表のないからサバサバした性格!(カッコいい〜)」とセルフイメージを作り上げる人もいますが・・・。それはただのデリカシーのカケラもない、ただの無神経な人なのです。

本人がどういう意図であれ無意識であれ、周りからは「いちいち否定してくる不愉快な人」「他人に気を遣えない幼稚な人」「話してても面倒な人」「一緒にいても全然楽しくない人」「突っかかってくるから話したくない」と思われているものですが、残念ながら気付けないんですよね・・・。

言いたいことを何でも我慢しなくてはいけない、ではありません。

他者に配慮した話し方ができるほうが素敵な大人ですよ、なのです。本人に悪気はなく、思ったことをそのまま口にする(してる)だけだと思いますが、時々【口撃】になってしまっている人も見かけます。

ズバズバ歯に衣を着せない物言いが「カッコいい」ではなく、他者感情に配慮して言葉を選び、わざわざ他者を不愉快にしないコミュニケーションを取れる人が“カッコいい”のではないでしょうか。

偽サバで評価が下がるのは、とても損なことだと思いますし、わざわざ好かれなくてもわざわざ嫌われるキャラを作り上げる必要もないと考えています。

自分は偽サバになっていないか、一歩退いて自分の全体像を眺めてみるといいかもしれません。

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【カウンセリング】【コーチング】【コンサルティング】の違いや目的

メンタル・イデア・ラボの本城ハルです。

私たちがおこなうカウンセリングとコーチングの手法に大きな違いはありませんが、その目的や性質には、かなりの違いがあります。

コーチングは自己実現/目標達成のための自己啓発やビジネス場面で取り入れられることが多い手法です。

それに対しカウンセリングとは、心が抱える問題に対し、専門家が援助、治療をしていく手法になります。

もっとも大きな違いは、

メンタルバランスが安定した状態で(これが重要)プラス方向に力を発揮していけるものがコーチング。

過大なストレスを抱えていたり(公私にトラブルを抱えている/家族を失った/災害に巻き込まれた、など)、心にダメージがあることで感情コントロールが難しい状態にはカウンセリング。(この場合コーチングは不向き)

 ◇

また、よくわからないのがカウンセラーとコンサルタントの違いだと思います。質問を受けることも多くあります。

コンサルタントは相談したい分野の専門家である必要があります。経営/資産運用/教育/終活/ハウスリフォーム/移住などを思い浮かべてもらうとわかりやすいでしょう。コンサルタントは、相談者の相談内容から疑問点や問題点を的確に読み取り、問題解決のために充分な情報提供とアドバイスをおこないます。

一方、カウンセラーはクライエントが自分自身の力で問題を解決できるように心理面から援助していくので、働きかける部分が違うことがおわかりでしょうか。

勉強ができない人に勉強を教えるのがコンサルタント、勉強のやり方を教えるのがカウンセラーと考えると、より理解しやすいかもしれません。

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